とんとむかし29

うつぎ伝説

とんむかしがあったとさ。
むかし、ごれいの里に、いんの吉平という人がいて、古い話を数伝えていた。中でも

「清いの衣。」
の話は珍しく、今でもなにがなしかある。
いんの吉平はかんな宮の神主で、七十八になってその職を継ぐ。それまでは百姓をし、わたし守りであったり、旅へ出たりする。代々いんの吉平で、それ以前に死んだら、孫子が七十八になるまで、神主はいない。
清いの衣は、人がこの世に生まれぬむかし、一本のうつぎの木があった。
うつぎの木は西東南北をこさえ、葉は舞い飛んで鳥になり、走ってけものになり、海に入って魚になり、ただようて虫になった。根は知慧の石をつかみ、時を花開き、善悪の実をむすぶ。
はて世の中は盛んになり、うつぎの木は大欠伸して、
「面白うもないってことはないが。」
ちょっとそこいらをと云って、うつぎの木を抜け出した。
日差しもまぶしいほどに美しく、くしゃんとくしゃみをしたら、そこから女が生まれた、女が男を生んで、人の世の中になった。
「よき衣がほしい。」
という。
鳥からは袖を召し上げ、けものからは彩りを、魚からはきぬずれの音を、虫からは丈を召し上げた。それはもう美しい衣を着て、心行く楽しんで姿を消す。
うつり香は虹になって残った。
虹という字は虫がつく、虫は生きもののことだという。
別伝があって、うつぎという、美しい娘がいた。みなもとの義経の寵を受け、一かさねの衣をたまわった。義経があいはてる時に、東国再興の黄金を、うつぎの衣に託して隠しおいたという、ちなみに衣川という、果てる地を呼ぶのは、この故にである。
鳥の右袖は、なぎの川の底岩にはりついていたのを、拾い上げてお寺に奉納した。どうして底岩にというと、もうりのとりの娘が、身を投げたからという。右袖だけというのは、それが気に入って着物に縫いつけた、するとよくないことばかりあって、恋にも破れ、もうりのとりは失脚し、家はつぶれた。
とりの左袖は、もうりの娘と着分けたという、かもたりの娘が持ち、降るような縁談を断って、一生独り身で過ごした。左袖はお墓へ持って行った。そのお墓がようやく見つかった。
とりの両袖を見つけたのは、かんぞという若者で、
「とりの右とりの左とうつきなる虹より虫の魚のおひれを。」
といういしぶみがあって、わけもわからぬのを、そういう衣さへ見つければ、きっと黄金のありかがと信じ込んだ。
手にした二つの袖は、さし向かふ鳳凰の刺繍。
かんぞは次の手がかりをさがした。
いわいの泉は塩を含むという。
あるとき湧き溢れて海に入れ、たいやひらめが泳いで来た。しおみつの玉をひたち、塩を含んだ。
わきあふれる底に、虹が立つという。
衣のようである、かんぞは取りに入って、命を失った。
次に、にお太郎という者が、黄金伝説の着物をさがした。
にお太郎は、虹の衣をつかんで浮かび上がった、かんぞのむくろをさらい上げたという。たしかに三枚の布を持っていた。
鳳凰の左右の袖と、うつぎの花とかげろうの前みごろ。
にお太郎は婿で、食っては寝てばかりの女房を養う他に、なんにもしなかった。押しつけられた女房が死んだとき、形見の品の中に布があった。後ろみごろだった、虹と魚のうろこの波模様。
にお太郎の子の、いおんなには天の才があった。
男と女の二なりという、一生独身で、六十を過ぎても、少年の風があった。左右の袖とみごろを合わせ、えりとすそとおくみを描いてみた。
けものはきりんか、龍か、おそらく前みごろにはきりん、うしろみごろには龍を。
不思議な着物だ。
これはうわさに聞いた、えぞの住人のものだ。
それを戦国のあでやかさに変え。
では着物はえぞを表わす。
さけやますの取れる所。
そういえば、いおんなは思った、みなもとの義経はえぞに逃れ、のち海をわたって、じんぎすかんになったという。
うつぎという女がいた。
伝え聞いて、向こうからやって来た。
「いえ一夜の夢にあなたさまを。」
という、夢と同じいおんなであった、
「移り香は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ。」
そういって一つ屋に住む。
あたしがうつぎというは、代々あととり娘をうつぎというて、これを伝えたと、きりんの裾を示す。
ひきつれた乳母が、龍の布切れを示す。
それはいおんなが描いたものと、同じであった。
衣が衣を呼ぶ不思議。
そっくりのに作らせて、うつぎが袖をとおし、白拍子に舞うと、それにつれて、鳳凰ときりんと龍の間に、えぞの地が浮かぶ。
「うむわかった、だがわしは捜しには行かぬであろう。」
いおんなはうつぎに云った。
「わしのようなものを愛してくれる、ではそれがこの世に二つとない宝。」
どのように読み取ったか。
鳳凰のやぶにらみの目と龍の炎、いやきりんの脚がくわしく。
いおんなは初代神主になった。
七十八まで生きたものが、うつぎ神話であったか、黄金伝説を次代に伝える。



けさらんぱさらん

とんとむかしがあったとさ。
むかし、いなの村に、かさんがらさんというきのこが生えた。
まっ白い、幾かさねにもなる、おいしいきのこであった。ある年、殿様に献上の、名物のじねんじょが不作で、もしやと添え物にしたら、
「苦しゆうない、来年もまた頼む。」
ということであった。
「へえ、じねんじょよりうめえか。」
そりゃ掘る手間がはぶけるといって、秋になると、かさんがらさんを取って、じねんじょと献上した。
「だがの。」
と、村の物知りが云った。
「あんげなもの献上していると、今に困ったことになるが。」
「なんしてじゃ。」
「ありゃ食い過ぎると、へそのあたりかゆくなるし、それに。」
「お殿様だで、食い過ぎなんてねえ。」
「娘っこばりこいたあとにはさ、まあふっくら生いるもんでな、でもって、それ食らうと酔っ払ったようになる。」
「そう云えば、聞いたことあったな。」
などいったが、おとがめなしの、何年か続いた。
すると、こう云って来た、
「聞けば、黒いかさらんがさらんがあるという、それはまことか、まことであるならば差し出せ。」
かさらんがさらんの黒いのは、あるにはあったが、だれも食べなかった。
どうも変なにおいがする。
どうしようかたって、お殿様の云わっしゃるにはとて、ずいぶんこれは珍しかったが、捜し当てて献上した。
でもってそれっきりだった。
かさらんがさらんには及ばぬ、じねんじょだけにしろという。
だからすっかり忘れていた。
するとある年、立派なおかごがふうらりと来て、そこへ止まったかと思うと、美しい衣装を着た、女の人が下り立った。
清うげに歌いながら、林に入って行く。
あとを追うてお侍どもが来た。
「奥方さまは、やれどこへ行った。」
「あれをさがしに行かっしゃったか。」
村人を頼んで、林をさがす。
すると、美しい衣装やら、腰のものやら、脱ぎ捨ててある、
「あいや下がりおれ。」
お侍だけで連れ戻した。
だれも見たものはないというのに、見るもまぶしい奥方さまの、いえ舞い狂う姿が、のちの世までも伝わった。
かさらんがさらんは、
「けさらんぱさらん。」
という名に変わった。
衣装を脱ぐ音であるという。



即身仏

とんとむかしがあったとさ。
むかし、ゆうきの村に、何とかいう行者どんがあった。どえらい美しいかあちゃんがいて、口が聞けなかった。
口の聞けないのをおっちといった。おっちのかあちゃんは、たいていなんにもしないで座っている。行者どんが、飯を炊き、洗濯ものしたり、村付き合いやなんでもまかった。
「行者さまはまた別だで。」
「まあべっぴんさまのかあちゃんだし。」
と、人は云った。
きっと修行のうちじゃ、修行といえば、行者どのは、二月には、山へこもって滝にうたれる。
水の低いときに五穀豊穣を願い、ものみなの吉凶を占う、これを行という、人は天地同根であるという。
「万事たたりのねえようにな。」
聞く人は云った。
「同根てなものがおったつんかな。」
「おまさんもやってみるか。」
「お払いしてもらえばそれでいい。」
六月は火渡りといって、燃し火のあとへ、塩まいて踏みわたる、
「そりゃ、穢れがあっちゃ火傷すっか。」
人は聞いた。
「でもってどういうご利益あるだ。」
「諸霊を清めてもって、人は万物と一如。」
心を空しゅうするをもって、証という。
「空しくなっちゃ幽霊だがな。」
「おまえさんもやってみるか。」
「いやご祈祷してくれりゃそれでいい。」
なにしろ行者どんは、てえしたもんだった。
二月と六月、行者どんの留守に、美しいかんちゃんとこ夜這いすっか、なんとかに口なしでえっへえという、そんなこというからにはうわさもたった。
「おらもう天にも上る心地。」
「六根清浄金剛杖をこう。」
もったいなくもという。けしからん。
本気にして夜這いかけた、与六という者が、「あほらしい。」
と云った、
「あいつらおっぱらわれたで、あんげなこという。」
そりゃな、おれもさ好きもんで、月明かりを頼りに、
「月の光みてえ笑ってな。」
神々しいっていうか、好き心もふっとんじまった、
「ありゃ天女さまだ。」
と云う、
「もしや。」
耳打ちするには、行者どんってあれ夫婦でねかったりして、と。
そんな噂も去って何十年した。
行者夫婦もじいさまばあさまになった。
子持たずであったのに、ある日とつぜん若者が現れた。
たくましく美しい二十歳の、たしかに行者どんのかあちゃんに、そっくりだった。
「そうさ、わしらが子よ。」
行者どんは云った、
「生まれてじき、お山で預かって、そこで修行しておった。」
という、うそかまことか、立派に口も聞けて、村人が知らぬことも知り、なんでもよく答えて、ご祈祷もお払いも、それは目の覚めるような。
一年して、行者夫婦はいなくなり、若者だけになった。
「どうしたか。」
と聞くと、浮き世の用が終わったで、しゅみせんとかへ帰ったという。
若者は、ほんの少し悲しい眉をした。
村人は首をかしげた。
どえらく美しいかあちゃんの、子を生むまえは、口を聞いたんだという。
ではどういうことか。
あとのことは解からずじまい。
活仏といって、お山へ入ってミイラになる、そういうこったと、知ったかぶりが云った。



左衛門四明

とんとむかしがあったとさ。
むかし、そうどのいよの村に、やすき左衛門という、名字帯刀のお人がいた。先代がお殿さまの命を救ったので、士分のお取り立てであった。
そうど川は、やすの川に入って海へ行く、暴れ川で、何年にいっぺんか、十ケ村を丸呑みにしたりする。
となりのくげ村に、たいぞうというはげしい男がいて、村が水没するのは、いよの堤防のせいだ。
お上がそうする、おらほうを捨ててといって、ことあるとつっかかる。
娘がいて、いよのしげるを恋して、いっしょになろうというのを、破談になった。
娘はいよの淵へ身を投げて死ぬ。たいぞうは気が狂った。
おれはあきず権現の生まれ変わりだという、ぐりっとした目玉、やせて頑丈なところは、鬼やんまに似ていた。
水を鎮めるには、青い布を巻いてみそぎする。田植えどきに大騒ぎする、みんな集まれといって戸をたたく、困じはててだれか、
「娘が人身御供にたったから、もういいではないか。」
といった、それがいけなかった、
また大水が出て、田んぼがひたったら、
「なんで娘を。」
お上が悪いといって、かまを振り回して、お殿さまではなく、虫送りの行列に突っ込んだ。主立ちの何人か、手足を切られて、一人は死んだ。
きょとんとして突っ立っている。
捕らえられて、人を殺したらそりゃ死刑だが、左衛門さまが言上申し上げて、死罪はは免れた。
「あれは正気に返った、やったことを覚えてはおらん。」
たしかにそうであったが、納まらぬ何人か、左衛門さまは、
「わしに免じて。」
といって、まいないして回った。
「なんであんなものの為に。」
人みないったが、
「そうではない、人間やっかいごともあれば、生きていりゃ役に立つこともある。」
といった。家が絶えぬようにということだった。
島送りから帰って来て、十年のちであったか、たいぞうは一人で、村の堤防に、石をつんでいた。人はばかにしたが、一年二年とするうち中、手伝うものもでた。
水の出たときには、助かった田んぼも、家もあった。
せいじというのは、盗人ぐせがあって、柿や瓜をとっても、おやがなんにも云わず、ほしいものは手を出す。
たんびに巧妙になって、よしえの姉から大金をくすねたのは、大きな子にいって、よしえの子に持ち出させて、長らく気付かれなかった。
流れ者があって、せいじはその財布をとって、腕をねじあげられた。たたっ切るという。
「おまえはそういうくせだな、指一本切るよりいっそ。」
という、おそろしさに、せいじは涙流し、勘弁してくれといった。
流れ者を押さえて、左衛門さまが、
「わしも腕一本に賛成だ、だがまあ、洗いざらい白状したら、考えようではないか。」

といった。
せいじはほかのいくつかと、よしえの姉の大金も白状した。
村は流れ者を泊めなかったが、左衛門さまは、いちおうというこの男を、
「いたいだけいろ。」
といって、お屋敷内に置いた。
一月いていちおうは、出戻りのよしえの姉といっしょになった。
なにかあって流れて来たが、真っ正直な男で、もとは侍であったか、いちおうのおかげで、せいじはくせを出さなくなった、盗人だの暴れん坊に、にらみが効いた。
「いや云はずてよい、わしはおまえさんを信用する。」
左衛門さまのその一言だった。
いちおうは真っ正直がたたって、お侍を追われて、さすらい歩いた。長い放浪に丸くなった、百姓もまたよかろうと云った。
もう一人おかしな男がいた。これは名門の出で、父親が、
「飲む打つ買う。」
というのか、身を持ち崩して、いおりというそのせがれは、家を興すというより、乞食同然になって、ほっつき歩いていた。
「雲の行く水の流れる、花に咲こうか、鳥に飛ぼうか、人の世なんぞ。」
うそぶいて、
「それなら今日はホーホケキョ。」
といって歩く。
お屋敷は残ったが、ほとんどよっつかず、物貰いしたり、むしろ巻いて橋の下に寝ていた。父親が首をつったから、借金取りが来るでとか、人は云った。
「わしが意見してみたが、届かなかったか。」
と、左衛門さまがいうのは、その父親で、ずいぶん出資もしたらしい、
「あの男は、どこかうらやましかった。」
といった。
「俳句を読ませても、仕舞いを舞っても、天性のものがあったな。」
と。
せがれについて知ったのは、ずっとのちだった。
なにかしたらしい。
会うてみなけりゃといってさがすと、牢屋の中にいた、
「いえね、女物のきんちゃくをとったっていうんですがね。」
「まさか。」
盗人するような男ではないし、それにといって、問うてみるとほんとうだった。
なぜと聞いてもだまっている、身もと引き受け人になって、貰い下げて来た。
ありがとうとも云わぬ、
「なんでとった。」
「あれはきんちゃくっていうんか、あいつがおれを呼んだんだ。」
「あいつってだれだ。」
「なんの花柄かさ、ふうとな。」
こいつは親父より天才というのか、哀れなところがある。左衛門さまは思った。
「牢屋はどうであった。」
「くさい飯かなあうっふう。」
「どうだ、無著しんめい禅師という、偉いお方がおられる、会うてみるか。」
といった、
「世の中らちもねえのに、坊主か。」
といったが、左衛門さまについて来た。
無著しんめい禅師に会う、いっときのまに、平服して、
「弟子にしてくだされ。」
といった。
左衛門さまは、すべて用意して、彼を出家させた。
ほかに多数あったが、まあこのくらいでよかろう。いやもう一人あった。
これはどうしようもない女で、まつよといった。
十を過ぎたらもう男をこさえて、常に三人四人引き連れちゃ、盗みやかっぱらい、たいていなんでもした。
それがちゃっかりというか、憎めない、
「そう、だってほしかったんだもん、代わりによしおでもふんじばる、それともあたしと寝る。」
ふうっと笑う。
おやもとっくに見放して、
「世間様というものがあるで、よそへ行ってやってくれ。」
といった、
「どこへ行くたて、あたいのかって。」
ゆすりたかりして遊んで、容色は衰えず、それがいちおうに捕まって、牢屋へ入った。

あとはわしがとて、左衛門さまが行って、受け出した。
そいつがどうも、そのあと、
「さすがの左衛門さまも。」
と人のいう、
「いえ、左衛門さまにかぎって。」
という。
当のまつよは、
「お天道さまのもと、世の中あんないい男はいない。」
あっけらかんといって、
「あたしの恋人。」
という。
そこら歩いたって、
「さあさま。」
すっとんきょうな声を上げる、お屋敷に押しかける、
「お金がない、ちょっと貸して。」
左衛門さま、なにがしかわたしていた。
どうにもこうにもで、そのご人格というか、とやこうも云われなかったが。
左衛門さまがなくなられて、それはもうお殿様から、お使いが来た。
「わが田中の懐石、父子二代の形枯をもって、人心を富貴ならしむることは、これなんとか。」
お殿さまの、漢詩というものが掛かる、末を安堵するとあった。
命を助けたというのは、おしのびで釣りに来て、川へはまったのを、先代が救い上げた。
お殿さまの宿をする家であった。
みな引いたあとに、四人が残った。
立派な坊さまと、なお美しい女の、腕に墨の入った前科もの、また屈強な百姓だった。

「わしらは兄弟よな、なつかしい。」
坊様がいった、
「一目でわかった。」
「どうしてだろ、あたしを変な目で見ないし。」
「わけなんか知るか。」
よもやまの話というではなかった、冷や酒いっぱい酌み交わして、
「縁があったらまた会おうぞ。」
といって、手をとって別れた。
田中の懐石、左衛門さまの四明子という、まつよがどうして仲間入りかって、どうしてか人がうなずく。
「そりゃまつよだもん。」
という。
われをかえりみず他が為という、いおりのしんせき快誉禅師の名は、人にも知られた。

2019年05月30日