とんとむかし9

いるーじょの行列 一

とんとむかしがあったとさ。
むかし、せんのだ村に、むくげが咲いて、いるーじょという幻の行列が通った。
「狐の嫁入りだ。」
という人もいたが、見る人によって、いろんなふうであった。
一太と藤丸と、さよという女の子が、同じいるーじょを見た。がき大将の一太は、
「馬に乗った、立派なお侍の行列だった。」
と云った。字の書ける藤丸は、
「きんらんのお坊さまが行く。」
と云ったし、女の子のさよは、
「きれいなお姫さまのお輿入れ。」
と云った。
田んぼの草を刈る、二つ年上の六郎という子には、なんにも見えなかった。
戦の世であった。
一太は、おさむらいになるといって、家を飛び出した。
西へ向かって歩いた。
刀が欲しかった。かっぱらったり、食うや食わずに、三日歩いて町があった。
鍛冶屋だった。ふんどし一つがとんかん、つちをふるう。
一太はつったって見ていた。
仕上がったものが置いてある。そいつはずっしり重い。
「刃がついておらん。」
うっそりと男が立った、右腕がない。
「刀が欲しいのか。」
「欲しい。」
一太がいうと、
「ついて来い。」
といって先へ行く。道はうねって林に入る、にれの木があった。
「登れ。」
男がいう、枝にとっつくと、
「向こうを見張れ、だれか来たら知らせろ。」
男はいって隠れる。
「一人来た。」
商人が来た。男はあっさり殺した。
身ぐるみはぐ。
そうやって渡り歩き、何人めかさむらいがいた。
刀をとって、投げてよこし、
「かかって来い。」
といった。
一太は刀を抜いた、
「うおう。」
と、叫んで切りつける、
「だめだな。」
うち落として、男はいった。
「帰ったほうがいい。」
「帰らぬ。」
追剥ぎして歩いて、一太は、
「どりゃ。」
「おう。」
たんびにうってかかって、男の一本きりの腕を、たたっ切った。
「おいはぎのあとつぎか。」
へらーり笑って、男は息絶えた。
刀を背負って、一太は歩いて行った。
「おれはさむらいだ。」
そうだおれはさむらいだ、つぶやいてのし歩き、食わずの三日、
「おいはぎするしかないか。」
限界だった。
なんという乗物であろうか、美しい女が二人、供のものをつれてさしかかる。
「えものだ。」
一太はよって行った。
先客がいた。
野伏せりが二人襲いかかる。
一太は一人をたたっ切った、あとは逃げる。
「あやふいところを、おおきに。」
女声が聞こえて、一太は目を回した。
まるまっちい髭っつらが、にゅっと笑ってのぞき込む。
「礼をおいて行っちまったぞ、あれは上の山の女衆だ。」
ひげずらは云った。
「幾つだ。」
「いくつだっていい、腹がへった。」
「あっはっは、では来るか、食わせてやろう、侍になりたけりゃ、仕事もある。」
ひげ面は一太を連れて行った。
「刀を引っこ抜いて、かせいだ金だ、取っておけ。」
なにがしかを手渡す。
砦があった。
野伏せりか、
「野伏せりではない、さくら党といってな、戦の助っ人だ、さよう頼まれりゃ、どこへでも行く、敵も味方もない。」
ひげ面は云った。
「稼ぎによっては、一国一城の主よ。」
にゅっと笑う、名は海野十左衛門といった。
藤丸はお寺へ上がった。
口べらしの小僧さまになって、村のお寺から、大現寺という、これは大寺へ差し出された。
日も夜もなしに、こき使われ。
わらしといい、くろんぼうといって、雲水や上品の、洗濯から使い走りから、一から十まで、衣もなければ、お経も読めず、
「こんなではどうもならん。」
年上がいった、
「そこらへんの堂守りにもなれん。」
「どうすりゃいい。」
藤丸は聞いた、
「三年もいりゃ坊主のこた、見よう見真似でたいていできる、お袈裟から一式、上品のやつかっぱらって、ご本山にでももぐり込むか。」
「そうだ、ご本山の僧には、お上人さまだって、頭上がらん。」
ではそうしようといって、文字が見えねばならん、
「それさ。」
という、
「でなきゃ一生くろんぼう。」
「ふうん、わっぱでな。」
藤丸は字を覚える、たいていのことではなかった。捨てられた筆に、かけた硯を使って、片仮名や、どうやらお経の文句をなぞる。
三年たった。
坊主ごとは、おおよそ覚える。
しろうさという上品がいた、青っ面して、まったくよく、くろんぼうを扱き使う。
「おいわっぱ。」
そこな藤丸を呼んだ、
「この手紙を、客殿の僧に手わたせ、よいか、知られんようにな、文字も見えんわっぱならいいか。」
 ぬすみ見するのも修行、藤丸は読んだ。
「二日の開枕後になる、ご用意のものを薬石に、迎えは四人、こっちはお主と二人。」

とある、開枕とは就寝、薬石の夕飯にとは、ー 大現寺は、稲田の若殿を預かっていた。しろうさは今村の出身で、清志につながりがある、稲田の大叔父、かもんの守のそれは。
二の上に一本足して三日にして、藤丸はその手紙をつなぐ。
二日の開枕後騒ぎが起こった、
しろうさをとらえて、たくましい声、
「なにごとだこれは。」
「薬は、かんにん坊。」
しろうさの悲鳴。
境内をさむらいどもが走る。
藤丸は板を打った。
さむらいどもは消え、夜目にもそれは稲田の若殿であった。しろうさと、客殿の僧かんにん坊がつかまった。
「ものもうす。」
といって藤丸は、お上人さまに取り次いでもらった。緊急時には、わらしにもそれができた。
手紙を覚えていきさつを話す、
「二の上に一本足したとな。」
お上人さまはいった、
「そうか字が見えるとな、人の手紙を読むなとは、以後慎まねばならん。」
「はい。」
藤丸は平伏した。その辺へお上人さまは、
「得度させよう。」
と云った。
あくる日、藤丸は、せんじゅという名を受け、墨染めに、お袈裟一式を頂戴して頭を剃った。
そうして若殿付きの行者になった。若とのが望んだという。
お預かりの身が命さへ危ふかった。
「さむらいの中に、一太そっくりがいたが。」
藤丸あらためせんじゅは思った。
さよは十二になって、上の山の使いがってになって行った。
上の山は、稲田さまのご支配であって、湯治場があり、美しい女たちがいて、戦の世にも大いに賑わっていた。
殿さまは負けたが、上の山は流行る。
さよはくるくるとよく働いた。疲れて湯に浸かるのが、たった一つ楽しみだったが、それより寝たほうがよかった。
おとうという、人気の女衆がいた。さよを気に入って、
「おさるのおさあちゃん。」
といって、かわいがった。
手拭いや、浴衣のお古をくれたり、客の余りものをとっといたり、
「おさあちゃん、あんたも女衆になるかい。」
と聞く。
「ううん、あたしみっともないから。」
「器量なんて二の次さ。」
つくずく見て、
「ひょっとして上品になるかも。」
「あらあたし、お姫さまになろうと思ったのに。」
おとうは笑いころげて、おさあちゃんのそういうとこが好きといった。
「丹波笹山のお猿だって、みやこのお花見ってね。」
「でもあたし、歌を読んだり、ちんとんってしたりするの、とってもできない。」
「耳を澄ませているの。」
さよは一心に耳を澄ませた。
おとうの客に、海野十左衛門という、まるまっちい顔に、ひげを生やした、おさむらいがいた。
飯を食って、一寝入りしたら、もういなかったり、十日も流連ずけたりする。
「ここにいると、世の中の動きがわかるんじゃ。」
十左衛門がいった。
「世の中って、女の眉毛の間にあるんですって。」
「どうして。」
「ここにへの字を書くと戦争になる。」
「ふうん女へんにへと、さあちゃんかこれ。」
さよの顔にへの字を、
「あたしへの字もほの字も書けない。」
ふっくら顔のおとうがいった。
「いやおかげさんでおん身安泰。」
「アッハッハ。」
「また戦があるの。」
さよが聞いた、気安くできるのは十左衛門、
「うんまあな。」
にゅっと笑う、
「どう、この子お姫さまになれる。」
「お姫さまとな、なんならわしがしてやろう。」
「どうやって。」
「うっふっふ、今どき犬ころだってお殿さまになれる、命のほどは知らんがな。」
恐い人のようでもあり、
「ねえあたしは。」
「間抜けな亭主でも世話しようか。」
「そんなのいや。」
「上の山の大明神。」
「こんこんさまじゃないのさ。」
上の山には稲荷神社があって、お祭りには、売れっ子の女衆が、輿に乗ってねり歩く。

遠くに戦があって流れて来る人や、新興の依田と清志の間で何かあったそうで、刀きずのさむらいが湯治に来たり、伊東に雇われに行く一団があったりする。三年たった。さよは、見違えるように、垢抜けた。
おとうはさよを引き回す。
でもまだ使いがってだった。
遅くにさよは、湯につかっていた。
うつらとして見上げると、
「ほう、いい女だ。」
精悍な男が見据える。
さよは声も出なかった。無造作によって来て、あてみをくれる。
どこかへ押し込められていた。
売れっこの女衆のような、美しい着物を着せられる。
「悪いようにはせぬ、はいといって従え、へたに騒ぐと命はないぞ。」
低い声が聞こえた。
大現寺は稲田の菩提寺であった。若殿は清志の大叔父、かもんの守預かりとなって、身は大現寺にあった。
「戦に負けりゃ、せんもない。」
若殿はいった。
「わしを殺すわけにも行くまいと思ったら、そうでもないらしい。」
「きっとわたしがお守りいたします。」
藤丸ことせんじゅがいった。
「はっはっは、わしとおまえは同い年だそうじゃ、無理するな。」
せんじゅは飯台のたんびに、毒見をし、いっとき離れず、お上人さまのお許しがなければ、人を通さなかった。
「朝のおつとめに出て下さい、うさばらしになります。」
「あの退屈なのがか。」
せんじゅが出ると若殿だけになる、お上人さまに願い出て、朝のお経を位牌堂に上げることにした。
「ふりでいいんです、辛抱なされませ。」
そうやっていると、檀下の羽目板がそけて、屈強な面がまえがのぞいた。
とっさにかばい立つと、
「読み続けろ、手のものだ。」
若殿がいった。
「おまえがあんまり厳しいから、ここへ出た。」
「殿、位牌堂とは考えましたな、ご先祖さまに手をあわせるとは、わっはっは清志の覚えもよく。」
「どうであったか。」
「上の山からの二千両、有効に使いましたぞ、依田も追い込まれて一か八かー 」
あとはせんじゅには聞こえなかった。
三日して若殿がいった。
「世話になったなせんじゅ、わしはここを出る、三日ほどはお上人さまにも、知られぬようしてくれ。」
せんじゅは黙ってうなずいた。
四日ばかり知られなかった、隠しおおせるものではなく、せんじゅは引き出されて、明日はせんぎという晩、お上人さまが呼んだ。引っ立てられて行くと、人払いする、
「これはご本山の安居許可状じゃ、これをもって夜のうちに抜け出せ。」
といって、書状を手渡す。
九拝してもって受けて、
「あのお上人さまは。」
と、せんじゅは聞いた。
「はっは心配するな、わしだってもとは稲田のさむらいよ。」
まっ白い眉にお上人さまはいった。
せんじゅは寺を抜け出した。
一太は雑兵を集めていた。あと三百は欲しい。
「どうせこいつら、おっ始まりゃ逃げの一手だ、だが一千ありゃ格好がつく。」
というわけの。
槍に具足を手渡して、一応の手立てはする、
「いいか、背中向けりゃぐさっと来る、どうせ逃げるんなら前へ逃げろ。」
その日は百四十連れて、十左衛門のもとへ行った。
「たいてい二千にはなった、もういい、そいつを置いて、おまえは本隊のほうへ行ってくれ。」
十左衛門はいった。
駆けつけたその本隊がおかしかった。さくら党の精鋭が、朱塗りの槍を持ち、派手な旗もあれば、吹き流しもある。
長持ちを担ぐやつ、
「こりゃお輿入れの。」
「狐の嫁入りよ。」
半蔵という頭株がいった、
「こいつで伊東と依田のまっただ中を押し渡ろうっていうんだ。」
「戦の真っ最中か。」
「わっはっは決死隊さ、歌えるやつも笛吹くのもいる。」
若い二十人ばかりと、一太は具足の上に女物を羽織り、面に白粉を塗ったくる、行列は上の山へ向かった。
稲荷明神のお社に、狐のお面をかむった、花嫁が現れた。
輿に乗せて、しずしずと行く。
「めでたや稲田のお殿様、
上の山からお輿入れ、
笹に黄金の雨さんさ、
晴れては虹のかけ橋。」
十万と一万の睨みあい、原を埋め尽くして、赤い四つびしの伊東と、青い浮き雲の清志の連合軍、一か八かの戦いを挑む新興の依田は、えんじの巴に染めて、これは小高い丘に陣取る。
三日がたって依田は動かぬ。
狐の嫁入りはかもんの守の本陣へ行く。
「なんの騒ぎだ。」
たちまち取り囲まれた。
「今日はみなずき四日にござります、千年続きましたる、上の山から稲田のご門にお輿入れ。」
口上がいった。
「まずはかもんの守さまにご挨拶。」
祝儀は相当だぜ、ご本家っていうではないか、いや大叔父だ、ではなおさらとか声高にいう。
「いまは戦じゃ。」
ずいとよって、輿の上の狐のお面をはぐ、美しい顔が現れた。
「なんという罰が当たり申す。」
「うむ。」
さっさと行けとて、なにがしか祝儀が出た、行列は歓声が上がって、
「これはかもんのお殿さま、
年も豊年満作の、
旗は青天浮き雲の、
上の山へと草木もなびく。」
歌い上げてねり歩く、縦横に行くにしたがい、人数が増える、えんじの巴が走りでる、戦になった。かもんの守から、若殿の軍勢が抜け出る、槍を押し並べて、まっしぐらに駆け抜ける雑兵、行列はあっというまに、膨れ上がった。
「ようし突っ走れ。」
女ものをかなぐり捨てて、一太と二十人輿を担いで突っ切った。
稲田の城門が押し開く。
輿を担ぐ中に若殿がいた。雷が鳴ってごうぜん雨が降る。
えんじの巴が急襲する。
「勝機があるぞ、うって出よ。」
若殿が叫んだ、ふって湧いた稲田の軍勢の先頭に立つ。
戦は一時に終わった。依田は不意を突いて、伊東の首級を上げ、かもんの守は敗死し、十万の軍勢は総崩れになった。
稲田のお城に主が帰った。
墨染めの衣がいた。
「ご苦労だが行列を返してくれ。」
若殿がいった。
「米百俵は送り届ける。」
一太は行列を作った。狐のお面をとって、まぶしい花嫁姿が、
「一太。」
と呼ぶ、
「おまえはさよ。」
「わしは藤丸ことせんじゅ。」
雲水がいった。
せんじゅも行列に加わって、三人は上の山へねって行く。
「これは稲田の若さまの、
天晴れ迎える唐衣、
からくれないに振り袖の、
返す刀を米百俵。」
「いるーじょと同じ、あたしはお姫さま。」
さよがいった。
「さむらいにはなった。」
と一太、
「わしはご本山の僧。」
藤丸ことせんじゅ。
上の山には総勢出迎えた。
「米百俵とって来たわね、上の山衆の女棟梁よ。おさあちゃん。」
おとうがいった。
「あらどうして。」
「そういうきまりになっているの。」



いるーじょの行列 二

とんとむかしがあったとさ。
むかし、せんのだ村に、むくげが咲いて、いるーじょという、幻の行列が通った。
六郎という村の男が、田の草を刈っていると、いるーじょの行列が通る。物持ちやお付きの者や何人もして、台傘さして美しい人が行く。
その人がにっこり笑まう、
「六郎ではないか。」
いるーじょが口を聞いた。ほうけてつったった。
「おっほっほ、あたしはさよ。」
上の山から里帰りした、おさよであった。
三日いて、先祖のお墓参りをして帰った。さよといわず、上の山の棟梁光山太夫、光山太夫に会いに行こう、この手に抱きしめてと、六郎は思った。
田んぼを売っても足らず。
六郎は会いに行った。
めくらむような朱塗りの大門に、
「せんのだ村の六郎どの。」
と、呼ばれるまでに三日かかった。
白い扇を手渡された。そこへ歌を読むのだと知って、どうにもならなかった。
つったっていると、まるまっちいひげ面が通る。
「金山人足に身を売って、はあて幾ら使った。」
とう。
「もうたいてい使った。」
六郎はいった、どう使ったのかもわからぬ。あっちやこっちへ。
「会わせてやろうか、光山太夫に。」
ひげ面は云った。
「ほんとうか。」
「ついて来い。」
六郎はついて行った。紅葉の庭を廻り、しとみ戸を開けて萩の小路を行く、ぬれ縁があった。
「これ。」
声をかけた。
「はーい。」
小女が出る、
「あれ十左さま。」
「ござらっしゃるかの。」
「あい。」
光山太夫が出た、光山太夫というより、それは着流しのさよだった、にをうがように美しく、
「おっほ、おまえさんの幼なじみってお人じゃ。」
十左衛門がいった。
「六郎どのかえ。」
六郎はまっしろい扇を差し出した、光山太夫は笑まう、小女もころころ笑った、その扇をとって、文箱を持って来させて、さらさらと書き、
「いくら使ったの。」
おさよになって聞いた。
六郎は使った額をいった、その倍額扇の上にのせて、
「もう来てはだめ。」
といってさし渡す。何かいおうとしたときには、引き込んでいた。
「もう会えんよ。」
まるまっちいひげがいった。
「光山太夫はな、お姫さまにならっしゃる。」
半月のち、太夫はもとのおさよになって、依田の遠縁に当たる、いぬいのお館に入る。

いぬいの養女になった。
「なにはえのあしのかりねのひとよゆえみをつくしてやこひわたるべき。」
扇にしるした歌を、六郎が知るよしもなく。
稲葉の若殿は所替えになって、依田の飛地、ひえだのお城へ行った。
そうするよりなく。
「かんの沢の三つも抜けば。」
ふっと笑って依田がいった。かんの沢は伊東の次の、会田の所領であった。そうしたらどうなる。
「仕方がないよ、こういう時代だ。」
一夜の契りを交わして若殿はいった、再び会うことはなかろう、おさよは依田の姫君の一人になって嫁ぐ。
「おさあちゃんのお姫さまもたいへん。」
おとうがいった。
「オッホッホ。」
それは笑まうよりなく。
一太はたのも重太郎という名になって、依田のこ従佐野源兵衛の家来になった。戦には源兵衛の馬にくっついて走る。
「それだって、大将首を上げるということがある、しっかり勤めよ。」
十左衛門がいった。
「だがな、さくら党はさくら党だ。」
そういうことであった。
佐野源兵衛は、依田の七本槍といわれて、知られた豪傑であった、馬に乗ると、どこへ突っ走るかわからない。
「ついて来れたら飼ってやる。」
ごうけつはいった。一太の重太郎は、たくみに走って先を読み、馬わきを離れなかった。
「ふうむ、なかなか。」
「油断なされると、首を横取りしますが。」
わっはっは、そいつはいいと豪傑は笑った。なんなら娘の一人半分取ってもいいぞといった。
「飯が食えるようなりましたら。」
重太郎はいった、三人いる娘のうち、末娘は親の源兵衛に似ず、清うげで愛くるしかった。
戦はじきやって来た。依田をたたきつぶそうとする、でなくばやられるというものは、幾多あった。源兵衛主従は一番槍をと、真っ先駆けて、連合する相手の軍勢の、うすみを突いた。
叩き伏せ駆け抜けて、二人の前に大兵のひげ面が現れた。
「依田のへな槍か。」
「ううむ大月兵衛。」
「覚えたか、そりゃ大きにな。」
「佐野源兵衛見参。」
佐野の馬はあっけなくひっくり返った。敵の丸太ん棒のような槍の一なぎ。すぐ立ち上がって、互角の戦いもやや分が悪い。
一太の重太郎が出た。
「わっぱ、のけ。」
さくら党は具足をつけぬ、弓矢をよけ刀を払う技さえあれば、存分に働ける、名乗りを上げるなと、相手が鉄砲なれば、いらんこと。
「一刀に決めろ。」
十左衛門はいった、
「あやふけりゃ逃げろ、名分ではない。」
大兵に丸太ん棒の槍なと、隙だらけ。
その日、依田は一敗地にまみれたが、手柄を立てたのは源兵衛主従だった、一方の大将、やすだ広江の首級を上げた。
二度の合戦ののち、たのも重太郎は、依田かずさ、上総之介良雲の側近に、召し上げられた。
お目見えに依田、
「ふん、用済みにならんよう稼げ。」
と云った、そういえばお手打ちになった者、一人や二人ではなく。
ひどい仕事であった。
戦の最中に、相手の陣中にお茶を煎てに行く、文字通りそんなふうの、
「なにをこやつ。」
 戦う前に首を抜く、
「首とは脳味噌のこった。」
依田は能書きが大嫌いだった。ある日云った、
「源兵衛の末娘とな、おれが仲立ちだ、貰っとけ。」
祝言を上げたら、翌日は会田の居城、やすしろの城下に物見に行かされた。
さくら党の吉城というのが、そこにいた。
「依田の側近か、首が幾つあっても足りんが。」
「あっはっは出世しようと思ってな。」
物見は吉城の情報で足りた。
「ところで大野田が動く。」
「なんとあのど阿呆がか。」
「稲田をお供え餅にしてな、見事に依田が仕組んだ。」
吉城がいった。
大野田に倍の兵力を注ぎ足せ、そういうこった、十左衛門どのの企てはな、なるほど、重太郎はうなずいた。
一気に依田の世の中を作ろうという、動かぬ大野田を派手に動かして、
「ことはそれからよ。」
いよいよ化物が出る、十左衛門どのはそういった、
「稲田の若殿を救い出せ。」
「わかった。」
いうとおりの他はなく。
稲田の若殿は、苦労の末に、かんの沢の三つを抜いて、大名というにはほど遠く、
「これじゃ、上の山の女衆の半分の稼ぎにもならん。」
稲田の精鋭どもは苦笑した。
だが大野田と依田の小競り合いには、別行動が取れる。
「稲田へ帰れるのは、いつの日か。」
「天下を取ったらな。」
それとも死んだ後か。
依田から鳴海へ縁組みをしろといって来た、二つ城を会わせ持つ、
「上の山の倍は稼ぐぞ、めっかちの嫁さんに、肥沃の河岸をつけるってこった。」
そうする他はなく。
せんじゅはご本山の安居僧になって、三年が過ぎた。
新到三年白歯を見せず、死んだもののような年月が過ぎて、せんじゅは副司(ふうす)さまの行者(あんじゃ)になった。
副司さまは立派なお方で、詩文の才に秀で、ご修行もたいていでなく、貴人やなにがしさまという信者が多かった。
行者は五人いた、上の四人は公家やさむらいの出であった。
せんじゅは発奮した。
気の遠くなるような、経蔵の山。
「副司さまには及びもないが。」
たいへんに苦労する、苦労のしがいもないのかもしれぬ、ようやくできた詩を、兄弟子に見てもらうと、鼻にしわを寄せて、
「ひょうそくはあっている。」
と云った。
「懍々たる孤風自ら誇らず、
寰海に端居して龍蛇を定む、
大虫天子曾て軽触せず、
三度び親しく爪牙を弄するに遭う。
黄ばく禅師は生まれついての大宗師、生得の解脱人と云われる、汝ら妄りにこれを用うる能わず、観音大士時に変化して彼が道連れとなり云々。」
頌古を提唱する副司和尚の、ああおれもこのもういっぺん生まれ変わってあんなふうにと、せんじゅは思うには思う。
冬であった。
破れた土塀をくぐって、雪をかきわけて、乞食坊主が現れた。
副司寮の美しい障子に、無遠慮に手をかける、
「あの。」
「えいじゅはいるか。」
副司さまを呼び捨てにする。絶句する兄弟子ども、
「ただいま他出中であります。」
「では待たせてもらおう。」
わらじを脱いでずかずか上がり込む、あんなのを上げたら叱られる、でもひょっとしてその、―
 兄弟子どもはせんじゅを突き出した。
「ご用はなんでありましょうか。」
お拝して伺うと、
「別に用事はない。」
「はい。」
「茶を所望する。」
といってごろり横になる。せんじゅは茶を煎てて持って行くった。起き上がってうまそうに服む。
引き下がろうとすると、
「目に一丁字もないったってな。」
といった。
「一個天上天下。」
その目が笑っている。
手枕して、すやすや寝息を立てる。
せんじゅは仰天した。
いったいあの御方さまは、あとになって古参がいった。
「かいせん和尚じゃ、禅師さまとて頭上がらぬ。」
かいせん和尚は、あくる日にはもういなかった。
法要があった、たいへんなお布施が上がって、下っ端のせんじゅにまで白衣一枚。
そうしてそのあと、せんじゅは兄弟子と旅に出た。
副司さまの手紙をお届けする。
戦の世、ご本山の雲水姿はかえって通行手形になった。
依田に立ち寄って西へ向かう。
途中に、引っ立てられた。
「わたしどもはご本山の。」
兄弟子の弁舌も功を奏さず、書状を取りあげられて三日、
「まちがいであった。」
といって放免された。
京の別院にわらじを脱ぐと、兄弟子は、
「あとはわし一人でいい、見物でもして帰れ。」
といった。見物をして歩き、せんじゅは京の街中に、かいせん和尚を見た。
あとを追って見失う。
さよは依田のお城へ上がった。
依田上総之介、若殿と年はいくらも違わぬはずが、
「おれの妹になれ。」
いきなりいった。
「美しいおまえを、おれが欲しいところだが。」
この人はとつぜん死ぬ、さよはどういうものかそう思い。
戦の世はいっときこの人を中心に回る、
「なぜです。」
どうして聞いたのか、
「知るか。」
透明な笑い。
「負けるなよ、日はまた昇る。」
まっすぐに見る。さよは依田くみという名になって、館山のお城へお輿入れ。館山は大野田の首根っこ。
館山治信は凡庸の人物で、美しい光山太夫に首ったけ、依田の狙い通りというか、そうしていつ寝返るかわからぬ、
「ばかめが、それが現代風だと思っている。」
依田はいった、
「ずいぶん持たせろよ。」
というのが、妹依田くみへのはなむけだった。
小競り合いの末に、大野田と依田の大戦になった、
「痛いかゆいはいっとき、煙ったいのは我慢ならぬ。」
というのが大野田の言い種、外野の稲田が、何かあるつどうるさったい、
「ええひねりつぶせ。」
一息にというのが、そうは行かぬ。
大軍を押し破って依田は、胸の空くような勝利を納めた。
世の中はいっぺんに依田になびいた。
館山と鳴海の間がおかしくなった。
館山はよく戦って、依田の期待以上の成果であったが、稲田はたいした功もなく、というよりいっとき破れて、死んだと思ったやつが甦る。
だのに鳴海は領土を増やし、館山には誉め言葉以外になく。
依田に掛け合うと、
「親類ではないか。」
という、
「たとい親類だって、必死に戦った兵どもには、恩賞もできぬ。」
「だったら鳴海にいって、なんとかせい。」
という乱暴な返事。鳴海にかけあってどうなるものでもなく、
「館山は京へ上る要衝、依田はここが欲しいのです、お気をつけなされ。」
美しい奥方がいった。
「ではなおさらだ。」
稲田のへな槍をといって、大野田の引きと二三語らって、攻め寄せようという、あっというまに稲田の軍勢に囲まれた。
なにさまへな槍どころではなく、
「おれは依田の親類だ。」
「寝返ったものは致し方ない。」
見る間に壊滅した。
さよの奥方は、具足も付けぬ、刀を差したっきりの三、四人に連れ出された。
半日輿に乗せられて、山中の館についた。
一太がいた。
「そうだ、今は頼母重太郎という、けっこうな名までついている。」
「あたしはどうなるの。」
自分の言葉ではないような、
「光山太夫から館山の奥方さまは、美しい。」
「せっかく嫁いだものを。」
重太郎は消えて、十左衛門が現れた。
まるまっちいひげ面が、にゅっと笑う。
「つまりお前さまは、館山どのといっしょに死んだことになっておる。」
といった。
「ここはどこ。」
「稲田の金山館じゃ、人に知られぬ隠れ里。」
「そう。」
歌は読めるなと、十左衛門はいった、
「おまえさまは、さる高貴なお方の、お側室に上がらっしゃる。」
さよはだれということも聞かなかった。
成り行きはだが急転直下する。
依田は窮地に立つ。
大枚を使って手立てした、さる高貴なお方が、どういうわけか寝返って、天下に令を発して、依田の追討軍を起こした。
依田上総之介はいっとき逃れて、情勢を見る。


いるーじょの行列 三

とんとむかしがあったとさ。
むかし、せんのだ村に、むくげが咲いて、いるーじょという、幻の行列が通った。
「おっほっほ、いるーじょの行列。」
光山太夫の美しい奥方が笑った。依田とその手勢がやって来る。武将もいたし、稲田の若殿もいた、刀折れ矢つきた兵ども、商人もいたし女たちもいた、それにあれは雲水姿のせんじゅ。
「なんというまあ、地獄に向かっているーじょ。」
地獄ではなく、稲田の支配になる金山があった、人には知られぬ隠れ里。
いっとき敗軍の勢をかくまう。
依田とその武将たちがせんぎする。
「あれだけの黄金を手配したというのに、このざまだ。」
依田はわめいた。
「どういうことだ。」
「敵というのは、西に松井東のこうの山、浅井に重信に、たいてい同じ勢いだ、日和見があおり門徒がいる。」
「なびくか各個撃破であった。」
「それがさ。」
「うーむ。」
とやこうらちあかぬ。
「うすみはないか。」
「討って出りゃ、しりえに囲まれる。」
「なんでこうなった、天下は依田にってときに、時を逸しては消えるばかりよ。」
「松井もこうの山も、例のお方を担いでどうのってことではない、新興の依田がぽしゃって、領地の一つ二つ稼げればってな、できりゃ元の木阿弥の、門徒にしてやられるってのが落ちだ。」
「どうする、松井こうの山と手を組むか。」
「門徒だけは真っ平だ。」
依田は居城に入っていねば、
「十左衛門。」
上総之介が呼んだ。
「そちの手勢をもって、やつを盗み出せ、よしあきをな。」
人みな唖然とした、例の高貴なお方を盗み出して、さてどうなる、
「空手形なら、そいつを破り捨てりゃいい。」
依田はいった、なるほどそうかも知れぬ。
「そうしますか。」
十左衛門はあっさりいった。
「三日もあれば十分、わしらが依田の差配でないということを、お忘れなく。」
どういうことかとも、依田は問わず。
手勢の中に重太郎は入っていなかった。依田の意向を伝えに、おさよのもとへやって来た。
「せいぜいめかし込んでおけっていうのでしょう。」
さよがいった。
「気に食わなかったら、そっぽを向けってことです。」
「それはおおきに。」
稲田の若殿に会うかいと重太郎は聞いた、さよはかぶりを振った、だが若殿は会いに来た。
扇を差し出す、
「これは光山太夫の手じゃな。」
白い扇に、
「難波江の葦の仮寝の一夜ゆえ身を尽くしてや恋ひわたるべき。」
と書いてある。
「どうしてこれを。」
「金山人足が死んだ、足を踏み外したそうの。荷物の中に、法外な大金とこれがあった。」

「六郎という同郷の者です。」
「そうか、あきらめ切れなかったのだな。」
若殿はいった。
二人は見つめあった。
「なにかできることはないか、わたしに。」
「いいえ。」
ふっと笑った、透明な笑い。
依田の策は成功した。十左衛門配下は、さる高貴なお方、よしあきという年寄りを連れて来た。年寄りに見える、ふっさりと白髪の、だがさして年取ってはおらぬご様子、
「どこにおられた。」
「ふっふそれがお城を抜け出して、山の手の道を歩いてござった。」
十左衛門はいった。
「こうの山から松井に所替えか。」
「そうでもないらしい。」
依田上総之介とふっさり白髪のよしあきどののご対面。
「仰せのほどはご用意したつもりですが。」
依田はいった。
「ふむそうであったかの。」
「なぜにわたしの追討令ですか。」
「はて困ったの。」
よしあきは笑った。
「何ゆえであったかの、たとえばじゃ、
懍々たる孤風自ら誇らず、
寰海に端居して龍蛇を定む、
大虫天子曾て軽触せず、
三度び親しく爪牙を弄するに遭う。
とな、碧巌のこれをもじった詩をもって、わしを迎えようなど、失礼というより、大虫天子とは唐の宣宗であっての、わしなぞ格好とて及ぶべくもない、龍蛇を定めようにも、ふをっほっほ、さっぱりだれもいうことを聞かん、依田が三度び戦に勝ったろうが、そりゃ腹を立てさせようってわけが、耳の中の蚊だってえのは、たしかに片方の耳は聞こえにくい、これを知ってるものは、いや大枚たしかに頂戴した、忘れたってわけではない、懍々たる孤風ってこってな。」
高貴のお方は何をいうのか、ちんぷんかんぷん、漢詩の見えるのは坊主だ、そういえばだれかいた、せんじゅが呼び出された。
せんじゅは京の街にかいせん和尚を見かけ、あとを追って、戦に巻き込まれた。
稲田の軍勢であった。
奇妙なことをしている。
音に聞こえた稲田の精鋭が、三列に並んで日向ぼっこをする。
「これ坊主、年寄り坊さんは、向こうへ行ったぞ。」
だれかいった。
「はっはっは、じじいのくせに、おまえより元気だったがな。」
通り過ぎて、肝をつぶす轟音を聞いた、三段に聞こえる。
鉄砲というものだとは、後に知った。
「この詩は雪竇禅詩が黄ばくを称えたものです、臨済の師であるおうばく禅師です。」  せんじゅは説明した。
「でも変ですね、おうばくのような別格の御方のことは、みだりに用いてはならんと、副司さまは常云うておられましたが。」
「高名のあの和尚にな、たしかに仲立ちを頼んだ。」
依田がいった。
「ひょっとすると。」
せんじゅは使いに出て、途中引っ立てられたこと、兄弟子に追っ払われたことを話す、

「手を見ればわかります。」
「あれはえいじゅ和尚の手ではないな。」
よしあきがいった。
「わしは禅坊主なと、あまり好きではないが、如才ないあのお人の、書の頃合は知っておる。」
「すると。」
「そうさな、わしのたちをよう知っておる、何者かの仕業じゃな、へたな持ち上げようは、ひょっとして化けて出ようっていう。」
ふをっほとよしあき、せんじゅをつかまえて、
「薫風南より来たる。」
「殿閣微涼を生ず。」
問答に興ずる、
「おっほ禅坊主よの、でそのあとをなんという。」
「行って帰らぬ旅のはて。」
「どくろの杖に花開く。」
依田上総之介とその一党は、それどころではなかった。
「あの煮ても焼いても食えぬ、よしあきを手玉に取るとは、なにやつ。」
「ひょっとして陳祭樹という中国人では。」
稲田の若殿がいった。
「詩をようする、中国貴族としかわかりませぬが、黄金と鉄砲、これからの戦はこの二つじゃといって、わたしに金山の発見と精錬法を伝授して、鉄砲鍛冶を引き合わせた。」
「ふうむ、そやつが何故に。」
「いえ、天下統一に向けて、主導権を取るは依田と。」
そのあとを稲田はいわなかった。
「そのものもしや、日本名を山名清山といわなかったか。」
依田の武将かんのなにがしがいった。
「茶人であり、すきものであり、三千世界のことは、何一つ知らぬものなしといった、とてつもない男だ。」
「わしの知る男は、海の向こうの広大を解く、左かねよという人物だが。」
十左衛門がいった、
「お椀の中のような島国を制覇したって、せんない、個人の時代をきずけ、万里の波頭を越えてと説く。」
不意にいるーじょの行列を見る、たのも重太郎は愕然とした、みなまた何者かによって、たぶらかされ。
「よしあきに聞いてみよう。」
依田がいった。
「わしの知己というかな、知己というより面白い男がいる、果林居士というてな、幻術をよくする、年はいくつか、他愛ない男よ。」
高貴のお方はいった。
「ええわかった、そんなことはほっとけ、敵中突破だ。」
依田上総はいった。
「よしあきどのには、美しい妹を授けよう、逃げられぬよう見張っとけ。向こうにいないとなりゃ、天下はこっちのものよ、錦の御旗でも作っとけ。」
「敵中突破はお任せあれ。」
稲田がいった。
「使える鉄砲は今は百挺、ですがこれにて十分。」
よしあきの旗がなびいた。
黒ずくめを着た、稲田の鉄砲隊が行く、そのあとへ総勢がついた。
一斉射撃が間断なく続く。
それは稲田の工夫といえる、三十挺づつ交代して三段構え、十万からの敵の包囲網がどっと崩れて、敗走する。
あっけないほどの道行きだった。
「鉄砲か、これは人間を変えるな。」
依田がいった。
「人の命が数の問題だ、戦は鉄砲よ。」
「わたしはそれに苦しんでいます。」
稲田がいった。
「苦しもうが呻きもがこうが、浮き世の車輪は回って行く、恐ろしいか、恐ろしければ、その恐ろしいっていうやつになれ。」
呻くようにいう、
「人には臓物がある、血塗れにうごめくやつが。」
依田も稲田も同じふうつきの。
かばねを踏みわたり、しまいには空鉄砲を撃って押し渡る。
かちどきを上げて、依田の本隊は居城に入った。
戦は終わりだった。
まだ大敵はあり、従わぬ十や二十、門徒あり馬借ありする、自由の夢を見る死に損ないと脳天気と。
勝っても負けても、明日ということがわからなかった。
「もう少しすっきりすると思ったがな。」
十左衛門がいった。
「三人死んで一人生きる、どいつもこいつも化物よ。」
「みんな生かそうっていう変なのがいます。」
重太郎がいった。
「稲田の対抗馬でみつよしという天才です。依田が鉄砲を向けるのを、次次説得して歩く、どういうものか納まる、依田の手足になって、天下統一はみつよしによる。」
「ふうむ。」
十左衛門はいった、
「わしらはなんせ死なぬ工夫だ。」
みつよしか、しまいには色ぼけの強欲たかりと聞こえ。
「はっはっは、化物はおれ一人でいい。」
依田はいった、息をするよりたやすく人を殺し。
みつよしが手懐けた、門徒と海賊一揆を、稲田の鉄砲が皆殺しにする。
せんじゅはかいせん和尚を捜し当てた。
かいせん和尚は、稲田の金山にいた。時にもっこを担いで、金山人足とともに暮らす。

せんじゅは三拝した。
「地獄を見るかいの。」
和尚はいった。
せんじゅは師とともに、金山人足になった。
水替え人足という、無間地獄の。
抜けようとして、半殺しの目に会う者、病みほうけてうっちゃられる者、きちがいもいれば人殺しも。
喧嘩をし、ばくちをうち女を買い。
「どうしてこんなふうに。」
たまりかねてせんじゅは聞いた。
「夢見るというやつか。」
かいせん和尚は笑った。
「夢破れて無惨。」
「おまえが夢を見ている。」
「はい? 」
「水を替えるとき水を替えりゃいい。」
せんじゅにはわからなかった。
「稲田が依田を殺さにゃいいが。」
かいせん和尚はぼつりいった。
一日金山を抜け出した。
地獄の門を抜けて歩いて行く、かいせん和尚は、いったいどこでも素通り。
金山館の別邸であった。
「いたな。」
かいせん和尚はいって、せんじゅをつれて入る。
瀟洒な今様作りの、高貴なお方よしあきが、美しい側女と暮らす。
客があった。
「ほう今様一休どのか、よいところへ来た、名物男を紹介しよう。」
ふっさりと白髪のよしあきがいった。
よしあきとおさよの前に、のっぺりと長い顔の、ひょろり口髭を生やした男が坐る。

赤ん坊のようなといをうか、奇妙な老人。
「これは果林居士。」
よしあきにいわれて、目を上げぬ、立ち上がって出て行こうとする。
「せんじゅ、とらまえろ。」
かいせん和尚がいった、せんじゅは立ちはだかる。不思議なことに、よしあきはいなくなった相手と歓談する。
「かいせん和尚はの、斗酒なほ辞せず、酒を飲ませりゃ一級品で、それだけでも国師号は間違いなく。」
老人はうつろな目を向ける、おさよの方が、ふうわり立って、着ているものを脱ぎかける、まぶしいようなその。
見てはいけないもの、
「おっほっほおいでせんじゅ、肉身の仏とやらもうす。」
「や、やめ。」
というのへ、まっしろい指が、
「とおーつ。」
かいせん和尚の一喝。逃れ出る果林居士の腕を、せんじゅはとらえた。
「そこへひきすえろ。」
老人は半分にちじまって、へたり込む。
「いたずらもいい加減にせい、でなくったって浮き世は騒がしい。」
「いやおほん。」
果林居士なる老人が口を開く、
「陳祭樹というは唐にモデルがあってな、なにすこぶるまじめな男よ、稲田よりゃだいぶ賢いな、おっほっほ、山名清山は茶人でな、どっかに死体が転がっとるは、あいつは面白いとこがあって、うまいもの食いでそいで― 」
際限もなくしゃべり出す。
「そりゃまあ化けたよ、左かねよってのは魚の骨に細工した、ほっほっほ、いやこんな楽しい時代ってのはそうはない。どやつも坂道のてっぺんに目白押しでな、車つけてひょいと押してやりゃよかった、妄想に車、ぐるぐる回りがまっしぐらってえのは、ひゃっはこりゃ面白かった。」
「そうかい。」
「心頭滅却すれば火もまた涼しって、焼け死ぬのも一興。」
「わしをたらかそうたって、そりゃだめじゃ。」
とかいせん和尚。
「おまえの年は二四0歳、まっちょうな形になって貰おうか。」
「やめろ、一休の相手だってしようという、わしのいない世の中なんて、わさびの効かん刺身のような、あほうのよしあきだって、ほれあんなに楽しそうな。」
「えい、こいつがまちっとしっかりしてりゃ、戦は起こらなかった。」
かいせん和尚は払子を振る。
「う、浮き世はたのしい、いーいーー。」
奇妙な老人はちじこまり、されこうべになって転がった。
ぽかんと口を開けるよしあき、急に田舎娘に返ったようなさよ。
「古い書物にこいつのことが載っておる。梨の種をまいて、そいつが芽を出して木になる、花が咲いて葉が茂って、見る間にたわわに実る。木に登っ実を取って見物人に食わせる、うまいといってそれを食って、気がついたら財布がなかったという。まずは世の中そっくりってやつか。」
されこうべを拾って、和尚は去る。
「えいじゅの詩がな、物まねばっかりだったのが、急に色っけずいてな、変だと思って、それで気がついた。」
去って行くかいせん和尚に、せんじゅはとりすがった。
「どうか、わたしを弟子にして下され。」
「わしといっしょに行こうというには。」
かいせん和尚は、病みほうけた金山人足の、吐き戻すものを示して、これを食えといった。
せんじゅは食えなかった。
それを平らげて和尚は去る。
天下統一の前夜依田上総之介は、稲田の闇討ちに会った。みつよしが稲田をとらえて、首をはねた。
稲田は逃れて、しまいには金山人足になったともいう。
果林居士の車は止まらず。
海野十左衛門は、依田から免許状を貰って、大船を仕立てて、海の向こうへ乗り出した。
せんのだ村の三人も従った。
依田が死んで免許状は無効になる。
帰って来れなくなった。
いるーじょというのは、まやかしとか幻という、外国語だそうの。

2019年05月30日