温海温泉万国屋

温海温泉万国屋


 かあちゃんが温海温泉へ行こうと云う、去年も暮れに行った。年だで年末年始は億劫だ。せがれが嫁貰わん、朝のお経が終わると、たたき起こされて飯ってやつで、でなくったってなんでもかあちゃん、少しはご機嫌を取っておいて。いやさ他にも多少の理屈あって。
 葬式があって一日ずれた。金曜になる、優雅にカラオケ独占てわけにゃ行かぬか、あいにく雨も雪になりそうな。

たはぶれも早に終はんぬ笹小舟しの降る雨に雪うちまじる

 中条まで高速道路で行く。その向こうはだめか、村上まではつくと云ったのにさ。昼飯だ。去年は神林村の道の駅でカツライス食った。
「商売だなあ、ふっくらカツ。」
 と云ったら、そのとおりにかあちゃんこさえた、へえ。
 今晩はご馳走だで、軽いスナックといって、そんな店がある。ピザとコーヒーとにした。
 おっさんが女連れで二組、いやさわしら入れて三組か。はてな年金じっさか。上林暁という手足しびれた作家、まだ生きてんのかなと、だからトーマスマンなんて不自然なの、止めとけっていうのに。

雪は降れ無明の尽くることもなし神林村の空のあかとき

 村上には弟子がいた、坊主どもやえげつない檀家に、さんざんな目にあってさ。生き仏のような男だってのに。
 そりゃみんなわしのせいだ。
 朝日村にも弟子がいた、気のいい親切者が、おんぼろ寺建てなおさんといかん。

磐舟の重き舵棹取りて行けよしやあしだに流れ笹川。

 七号線はトンネルを幾つも抜けて山北町へ、寒村の代表みたいな、名勝笹川の流れから、海へ出るにはしばらく。雪はふらっと降って、また晴れて。
 何度か秋田へ行った。
 夜中八0キロで走る、そいつを陸送運ちゃんが見ずてんに追い抜く。うわっはキーンてもんの格好いいだやら、この日も追い抜かれた。
 こりゃ高速道路いらん。
 義経伝説のある鼠ケ関はもう温海町、冬荒れの恐ろしいような海。

ささめ雪我が妻とかもかひわけて山北村を荒海へ行く
三たび我がなんのえにしぞねずケ関干物売るらむ夕の辺荒れる
義経がいにしへあとをうしを華舞ひ行くものは海猫の鳴く

 温海温泉万国屋は客あしらい日本一という、知る人ぞ知る。ほんにすっきりした仲居さん、新人研修は三カ月。
 若い子がきしっと着物を着こなして、三つ指ついて、かっこいいって云ったら、
「千と千尋みたいって思って。」
 と笑う。
 儀左衛門の湯といって江戸時代からあった、明治になってパリ万博の因に万国屋と改名。流行っていた。ひところは角栄嶽山会の客とか、テレビにも出てたな。
 水枯れどき来たが、先生や銀行の、
「はいそうです。」
 お金持ちの忘年会だってさ。
 窓の下には古い桜並木があって、手入れもだいぶしてある。
 川に鮭がのぼる、
「いえとっても食べられた代物では。」
 と、そりゃまそうだ。

花は老ひ千歳を人はふる里の温海川なむ海にさし入れ
湯の花の入りあふ郷を住みよしのもがり吹けるはたが物云ひぞ

 そりゃもうなんたってご馳走が出る、もったいないが年で残す。
 わしは神経痛を治し、かあちゃんは低血圧を、冷え症を治し、温泉に二度入ったら、仲居さんがあんまを呼んだらと云った。夫婦して揉んで貰った、わしのあんまの方が上手だってさ。
 どうと風が吹いて、あしたは雪の予報。
 今年はなんせ中越地震。
 恐怖の大地震だった。繰り返し来て、後始末もまだ残っている。

温海の湯いつか老ひたり夫婦して地震に会へば風さへに揺れ

 温海温泉も被災者を受け入れた。
 かあちゃんは朝湯。いっとき止んで雪になる。
 スノウタイヤを履いて来た。
 まあどこへ行くたってどうも、映画館ないか、
「ハウルの動く城。」
 見ようといったら、若い仲居が喜んで、田んぼ中に、三川ジャスコという大店舗が出来て、幾つも映画館がある、あたし調べて来ようといって、問い合わせる間に、かあちゃんの支度が出来て出発。
 酒田へ行った帰りにしよう。
 去年来て、
「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に。」
 という、本間屋敷を、折悪しく休館日で見損じた。
 海っぱたをふうわり塩の花。

しをの花うしを寄せなむかもめ鳥早乙女にほふ酒田の郷へ
いざ子ども風に舞ふらむうしを花しばし別れむ鳴くは海猫

 鶴岡は通り過ぎて、

いずこにか雪降りしきりますらをと思える我や過ぎがてにせむ
月の山湯殿の山と聞こえしは或いはそれの雪降りしきる

 本間美術館を見学する。重文藤原惺窩の筆跡があって、さすがに上古の書は違う。
 江戸時代へうつり明治維新へ続く。いずれ大家大人の書が、なにかあんまり感心せぬが。
 勝海州はめったらなんに上古の趣がある、さすがだ。
 西郷南州もさすがだ。ほとんど仏の書だとか、山岡鉄州の真物は初めて見た。なんという気品。
 そうかうーんといっては納得。
 大正天皇がお泊まりになるというので、建て直した、瀟洒な庭園を見下ろす別邸に行く。
 女の子が先だって説明してくれた。
 総欅の階段や、四方正の柱、巨大な杉の根っこからとった板張りや、大正時代のガラス窓がなつかしくぼやけ。
 押し花のしおりがあって、一枚300円10枚も買って来た。本間美術館の印。
 せっかく本間邸はまたお休みだった。

上古には人もありしを明治には志士もありしをつらつら椿
戦にもつつがなしやと思し召せ飯塚邸は地震に崩れ
見まく欲りせめてなりたや殿さまの本間屋敷は雪にしの降る
名にしおふる本間屋敷の別邸の花のしおりは何故に売る

 鵜川の飯塚邸は、終戦直後の御幸に陛下をお泊めした。地震から復活、たいへんであったなあれは。

 ジャスコだなあ、田んぼの中に出来立ての巨大店舗があって、そこで昼飯を食べ、宮崎駿雄映画、
「ハウルの動く城。」
 を見た。シニア三割引きだってさうっふ。
 始まったとたん大画面がわしになって、向こうきりの無印象。
 帰ってからあれ見たよといったら、弟子のハイデッガー先生が、とくとしてあれは駄作だ、思想の統一性がない、なんのかんのと云う。
 喝してもって届かず。
 まったくに知るとは、
「あいつはああゆうやつだ。」
 としか、云いようがないのだ。しょーがないやつだ。
 そうさ彼の最後の作品、ハウルはお礼のしるし。
 粟島に夕陽が沈む。


我れもまた客にしあらむかもめ鳥陽炎ひ迎へ粟が島山

 鯛の姿造りに米沢牛のしゃぶしゃぶにと、昨日とはまったく別の献立、板前変わらずば同じ味がってさすが。
 年に一度の贅沢。
 年金貰えるようになったしさ、かあちゃんと二人カラオケは、なんせ小学校唱歌日本の歌。
 去年は客もなく、せっかくママが取り持ってくれた。今年は混む、部屋で歌おうといって一人歌っていたら、仲居さんが料理運んで来て、うふっおしっこ漏らしたような顔した。
 パパゲーノのアリア。
 ニュウイヤーコンサートに魔笛やるっていうから、メル友彼女と行こうって、かあちゃんにばれてちょっとその。
 かあちゃんは砂山でも小諸なる古城のほとりでも、ソルベイグの歌でも、なんでも歌える。わしは音痴でせぜいが埴生の宿ってとこ。
 せっかく部屋でといって、かあちゃんご馳走の食い過ぎでダウン。
 ぐっすりと寝た。

七十のパパゲ-ノに浮かれては寝やる温海に雪降りしきる

 帰りは山沿いの道を発見して、冬期間通行止め看板、
「まだ行けるさあ。」
 と押し通って、温海町というけっこう広い山林をぐるっと一廻り、鼠ケ関へ出た。
 やまめの釣れそうな川。
 薪を山のように積む家。

夫婦して華やかなりし湯治場の山を廻らひ煙立ち立つ

 お土産は、雲水どもに牛たんと中国産干しさくらんぼ。麩に飲み残しのワインに、えーとお菓子に。冬至も過ぎたしじきに忙しい正月。
 むかし大面の庄大字小滝。大面のおおもめ寺だってさ。

滝の門のどうめきあへる大杉の雪降りしきり年立ち代はる