碧厳録2

第二十六則~第五十則


第二十六則 百丈大雄峰

本則・挙す、僧、百丈に問ふ、如何なるか是れ奇特の事。(言中に響き有り。句裏に機を呈す。人を驚殺す。眼有って曾て見ず。)丈云く、独坐大雄峰。(凛凛たる威風四百州。坐者立者二人倶に敗缺。)僧礼拝す。(怜悧の衲僧。也恁麼の人有りて恁麼の事を見んことを要す。)丈便ち打つ。(作家の宗師。何が故ぞ来言豊かならざる。令虚りに行ぜず。)

百丈懐海は馬祖道一の嗣、如何なるか是れ奇特の事。奇特というんでしょう、まったくこれなければおのれなし、生きた覚えなし、生きる甲斐なしというんでは、未だ百歩届かんです、しかもなんと云う、なんとも云うてみようがないです、実に奇特の事。この僧是れを知る、知るとは如何なることか、この僧是れを知らず、まったく知らなければあえて問う、(言中に響きあり、句裏に機を呈すとは、なを未だし、それゆえに人を驚殺す、眼有ってかつて見ず、無自覚の覚かつて未だし。)丈云く、独坐大雄峰。無限絶対という、へたな田舎芝居じゃないんです、大見栄を切っている、その自分を観察していては、それは仏教じゃないんです、威儀即仏法という、無心心がないんです、ではどうして知るかというに、爪から先。(凛凛たる威風四百州、はいかくの如く知る、坐するも立つもって敗缺、はいかくの如く知らず。)僧礼拝す、さっすがあってなもんです、すきあり。はあていったいどこに。(怜悧の衲僧、恁麼の人とはだれ、はいあなた、ではどうして恁麼の人を見る。)丈便ち打つ。(作家の宗師、なんで毀誉褒貶例によって令を行ずやらない、わっはっはあほか、いやもう舌を巻くんです、令みだりに行ぜず。論外の論、是か不是かというに、すでに論外。)

頌・祖域交馳す天馬駒。(五百年に一たび間生す。千人万人の中一箇半箇有り。子は父の業を承く。)化門の舒巻途を同じうせず。(已に言前に在り。渠儂自由を得たり。他の作家の手段に還す。)電光石火機変を存す。(劈面来也。左転右転。還って百丈為人の処を見るや也無や。)笑ふに堪へたり人の来たって虎鬚を将づることを。(好し三十棒を与ふるに。重賞の下には必ず勇夫有り。喪身失命を免れず。闍黎一著を放過す。)

天馬駒は漢の武帝、大宛国よりよき馬を得て天馬と名付く。雪竇百丈の祖域に於て、東西縦横天馬駒の如く、交馳して殊に少礙なきこと、自由の処を見て頌す。(五百生の大善知識という六祖禅師、路に応無所住而生其心と聞いて、まさにこれの行なわれるのを知る。信を云えば100%の信、小人は疑いもて見る、なんとなれば、てめえは棚に揚げて、悟りだの仏と云う、ちらともあればあげつらうばかり。そうやっている自分の問題だというのに、いつかな気がつかない。一00人弟子があっても、あるいは九九人までこれ、子は父の業を受くと、師の難癖を免れること、はるかに希なり、もっとも父母未生前に参ずる人些少、坊主という自閉症群、世襲になってどうにもこうにもみっともないことは、)化門の舒巻途を同じうせず、僧馬祖に問う、如何なるか是れ仏法の大意。祖便ち打って云く、我若し汝を打たずんば、天下の人我を笑い去ることあらん。又問い、如何なるか是れ祖師西来意。祖云く、近前来、汝に向かって道はん。僧近前す。祖劈耳に便して云く、六耳謀を同じうせずと。六耳は三人、秘密は保てぬという方言。化門、学人を接するんです、巻舒、あるいは巻、あるいは舒、巻舒にあらず、舒巻にあらず、あるときは巻、舒処にあらず、あるときは舒、巻処にあらず、あるときは巻舒ともにあらず。(已に言前にありです、自由を得たりとはどういうことか、他の作家の手段に任すと、まさに勝手にやってくれというんですか、てめえに向かって云うんですか、だれに云うんですか。)電光石火機変を存す、自分という忘我ですか、これが標準なんです、他の物差しをあてがってああだこうだの、世間一般ではない、さあやって下さい、でなきゃ接化なし。(でもって、百丈かえって為人のところを見るや、わっはっは為人のところ、どうです、たとい見れば不可。)笑うに堪えたり、虎のひげをなでるとは。(よう仕出かしたようし三十棒。勇気あるでえほんに、よってもって見事大死一番、ええ、どうだいほんとうか。)

第二十七則 雲門体露金風

本則・挙す、僧、雲門に問ふ、樹凋み葉落ちつる時如何。(是れ何の時節ぞ、家破れて人亡じ、人亡じて家破る。)雲門云く、体露金風。(天をささえ地をささふ。斬釘截鉄、浄羅羅赤灑灑。青霄に平歩す。)

おおよそ宗乗を扶竪せんには、也須らく是れ全身担荷して、眉毛を惜しまず。虎口に身を横たえて、他の横に引き倒に曳くに任すべし。若し此の如くならずんば、争か能く人の為にし得んとあります、事をかまえ、自分を別誂えにおいて、他をあげつらい、しかも仏法をなどいうことはありえないんです、世間事はそれでいい、仏は全身全霊もってしても、なを不足です。学者坊主の千万語なきにしかず。樹凋み葉落つる時如何、学者坊主の千万尽きるんです、人としてどうあるべき、仏としてかくあるべきが失せる、刀折れ箭尽きるんです。だれあってこうなる、おのれという根拠が消える、釈尊菩提樹下に坐す、太祖大師腕を切って差し出す、心を求めるに心無しと、通身投げ出す以外にないんです、坐禅とはこれ、他の方法の一切まったくないことを、痛感して下さい。(是れ何の時節ぞ、秋でもなく春でもないんです、家破れ人亡ずるを見る、見ている人が亡ずるんです、全世界破れ去る。)門云く、体露金風。言下に行くですか、まったくもって他なし、他の樹凋み葉落ちるをもって転ずるんです。(天をささえ地をささえる、はーいこれっきりになって下さい、斬釘截鉄、そいつをぶった斬るんです。無心心無し、浄らら灑灑らくらく、ふわあっとものみなです、強いて云えば青天に平歩す、玉露空に浮く、はい、求めるはこれっきり、単純そのもの、禅すなわち単を示す、心は一つと知るとき、心が無いんです。とやこう云ってたら百年待河清。)

頌・問既に宗有り。(深く来風を弁ず。箭虚りに発せず。)答も亦同じき攸。(豈に両般有らんや、鐘の扣を待つが如し。功浪りに施さず。)三句弁ずべし。(上中下。如今是れ第幾句ぞ。須らく是れ三句の外に向かって薦取して始めて得べし。)一鏃空に透る。(中れり。過也。祝土ーしゅく著石へんに蓋の草かんむりなしーがつ著。箭新羅を過ぐ。)大野兮涼飆颯颯。(普天匝地。還って骨毛卓竪することを覚ゆる麼。放行し去れり。)長天兮疎雨濛濛。(風浩浩。水漫漫。頭上漫漫、脚下漫漫。)君見ずや少林久坐未帰の客。(更に不喞留の漢有り。人を帯累殺す。黄河頭上より瀉ぎ将ち過ぎ来る。)静かに依る熊耳の一叢叢。(開眼も也著。合眼も也著。鬼窟裏に活計を作す。眼瞎し耳聾す。誰か這の境界に到らん。汝が版歯を打折することを免れず。)

問既に宗有り、宗とはなんですか、たった一つこと、他宗邪教一神教あるいはとやこうの仏教、達磨さんに毒を盛る、前歯を折ったりは、今では宗門そのものですか、あっはっはこういうの宗教とは云わないんです。間違っているというだけ、騒々しく剣呑なだけですか、宗とは一心に成り終わることです。(深く来風を弁ず、ここにしてようやく問いになるんです、箭妄りに発せず、すでにしてまっしんです。)答えもまた同じ処、ただこれと云う他にないんです。(鐘の扣、叩くのを待っている、ただこれと、功妄りに施さず、なんのかの云って、法に契うなど、是是など云わない、問うところをそのまんま。心とはそういうものです、能書きじゃない、あるとき響くんです、でなきゃなんにもならない。)三句弁ずべし、雲門世の常三句ありと、たとい俳句も歌も三句あります、でなかったら響かない、のび切ったうどんなんです。仏法僧の三でもいい、おのれと彼と一般でもいい、過現未でいい、自閉症じゃない、これと。たとい俳句歳時記の膨大な数を見る、ふっとささやき声の聞こえるのは、きまって芭蕉です、余のものは何か、言葉になっていないんです。そりゃ詩歌の辺、宗乗のこと、打てば響くとは何。八方を捜したって皆無、師家というただの死語。(すなわち三句の外に向かって薦取して始めて得べし、論外の論ですよ、父母未生前に蓋天蓋地して下さい、知ったかぶりや反芻じゃないんです、猿芝居じゃない。)一鏃空に透るんです。(しゅくちゃくがっちゃく、ぴったりばしんです。一瞬もうないんです、事終わっているさえ意識の外。)大野涼飆颯颯、はーいこの通り。長天疎雨漫漫、ただこうあるっきりなんです。宗というなにものもないとは、宗のまっただ中です。(かえって寒毛卓立することなしや、しゃばの人間の住めるところじゃないです、わっはっは情実なしですか。ましてや諸宗教よこしまのちらとも触れる能わず。)静かに依る熊耳の一叢叢、熊耳山は達磨の塔処。一人半分跡を継いだです。君見ずや少林久坐未帰の客。行きて帰る心の味は芭蕉の俳句、行きて帰らぬ無心はこれ達磨の宗。(この唐変木めが、人をいっしょくたしやがって、黄河を頭の上にのっけやがる、わっはっは達磨だとよ、くそうめ。)まあしょないわ、一箇半箇、たとい前歯へし折られようとも、まさにかくあるべし。

第二十八則 南泉不説底の法

本則・挙す、南泉、百丈の涅槃和尚に参ず。丈問ふ、従上の諸聖、還って人の為に説かざる底の法あり麼。(和尚合に知るべし。壁立万仞。還って歯の落つることを覚ゆる麼。)泉云く、有り。(落草し了れり。孟八郎にして什麼か作ん。便ち恁麼の事有り。)丈云く、作麼生か是れ人の為に説かざる底の法。(看よ他作麼生。看よ他手忙しく脚乱るることを。錯を将て錯に就く。但試みに問うて看よ。)泉云く、不是心、不是仏、不是物。(果然として敗闕を納る。果然として漏逗少なからず。)丈云く、説了也。(他の与に説破すること莫れ。従他一平生を錯ることを。他の与に恁麼に道ふべからず。)泉云く、某甲は只恁麼。和尚作麼生。(頼に転身の処有り。長に与すれば即ち長、短に与すれば即ち短。理長ずれば即ち就く。)丈云く、我又是れ大善知識にあらず、争か説不説あることを知らん。(看よ他手忙しく脚乱るることを。身を蔵し影を露す。去死十分。爛泥裏に刺有り。恁麼那我を賺す。)泉云く、某甲不会。(たちまちに恁麼なるべし。頼に不会に値ふ。会せば即ち汝が頭を打ち破ん。頼に這の漢の只恁麼に値ふ。)丈云く、我はなはだ汝が為に説き了れり。(雪上に霜を加ふ。竜頭蛇尾にして什麼か作ん。)

これ是の涅槃和尚は法正禅師なり、百丈に在って西堂となり、田を開いて大義を説く者なり。南泉すでに馬祖に見え了る、ただ是れ諸方に往いて決着す、百丈この一問を発す、又大いに酬ひ難し。云く、従上の諸聖、還って人の為に説かざる底の法有りや。(壁立万仞取り付く島もないのに、なぜとっついた、かえって歯の抜け落ちることを覚ゆるや、知らんやつが知っている、知ってるやつがなーんも云えぬ、これ日常、なにも仏教辺にかぎったこっちゃないです、なぜか。)泉云く、有り。(孟八郎は、粗暴な男、でたらめいうやつ、そらみたことか、やっちゃった、参じ去り参じ尽くして、ついにこれという時に、孟八郎なんです、わかりますか、此岸にいて彼岸を求める、これなんぞ、答えを出さにゃいられないんです、てめえ答えってのが、千万年わからない。)丈云く、そもさんか人の為に説かざる底の法。(どうだいと聞く、手忙しく脚乱れる、法という求めるものがあって忙しいんです、脚乱れて答えを出す、ではまそいつに乗っ取って聞こう、さあどうですか、ええあなたですよ。他人ごとなんてないんです。)泉云く、不是心、不是仏、不是物、たしかにそのとおりは、是心、是仏、是物と云うも同じ、云わずもまた同じ、あっはっはだからどうだまったく届かない、いやもと底抜けです。(はたして敗北、こうと答える、どこからそやつを持って来た、漏逗少なからず、大切な法を漏らしたというんですか、だったら完全じゃない。)丈云く、そんで説き終わったんかい。(わしみたいにだからどうの、そいつは間違ってる云わない、あっはっは説破してみちゃ、馬鹿にされてます、どうにもしょうがないです、でも他が一生の問題と、たとい蟷螂の斧をさ。恁麼これ恁麼にあらず。(泉云く、それがしはただ恁麼、もうこれっきりって両手を広げるですか、和尚そもさん。(ちょっとは自閉症止める、転身の処有り、悟ったあ悟ってるじゃないんです、長には長短には短、だからどうのすりゃそれっきりなんです。)丈云く、我れまたこれ大善知識にあらず、いかでか説と不説あることを知らん。おおむかしからちゃーんといたんです、知らない人。今も変わらず、花のように咲く。(あっはっは、手忙しく脚乱れてって、田んぼせわしくって、そんなこと知らんてんです、蔵したって影露れる、こりゃもう存分。孟八郎のでたらめじゃない、刺突きささるぜ。そうそうこれって、うっふ。)泉云く、それがし不会、わかりません。ほうらまさに答えこれ。(わかったという頭ぶち破れ。)丈云く、われはなはだ汝が為に説き終れり。(雪上に霜を置く、蛇足ですか、竜頭蛇尾ですか、せっかく大だんびら振り上げておいてさ。たいしたもんだ、南泉が役に立つ。)

頌・祖仏従来人の為にせず。(各自に彊界を守る。条有れば条を攀ず。箇の元字脚を記得して心に在かば、地獄に入ること箭の如くんらん。)衲僧今古頭を競うて走る。(草鞋を踏破し柱杖を拗折して高く鉢嚢を掛けよ。)明鏡台に当たって列像殊なり。(堕也破也。鏡を打破し来れ、汝と与に相見せん。)一一南に面して北斗を看る。(還って老僧が仏殿に騎って山門を出づるを見る麼。新羅国裏曾て上堂、大唐国裏未だ鼓を打せず。)斗柄垂る。(常処も也知らず。什麼の処にか在る。)討ぬるに処無し。(瞎。可惜許。椀子地に落ちて楪子七八片と成る。)鼻孔を拈得して口を失卻す。(那裏よりか這の消息を得来る。果然として恁麼。便ち打たん。)

祖仏従来人の為にせず、為人の処と云うはおのれ無きが故に、他の諸宗の世のため人のためという、世界平和博愛などいう、そういうことはまるっきりないんです、よくよく看取して下さい。自分あって他の為にす、善悪ともにこれ迷妄、ついには地球を滅ぼすに到る、収拾のつかない人類心事。お釈迦さん四十九年かつて一字を説かず、達磨西来せず、少林の妙缺なし、諸仏かつて出生せず、一法の人に与ふるなし。(各自に彊界を守る、花は花のようにあり、雲は雲のように浮かぶ、知らずして見れども飽かぬ、元まるっきり他なしなんです。条あれば条を攀じと、まさにかくの如く生活があるんです、元という字の脚ですか、元かくあるべしという、仏本来という記せばすなわち役立たず、いいえ地獄に落ちること箭の如し。あっはっはそういった坐禅をしていませんか、自ら構えて自ら苦しむ。)衲僧今古頭を競うて来る、なんたって一を知れば十、目から鼻へ抜け、七通八達は古来坊主が一番です、だれもかなわなかった。ああいえばこういう坊主。一から十より全体、目から鼻より目鼻なし。うっふっふさあてね。(草鞋を踏破し柱杖を折って、はじめて知る、参じ去り参じ尽くして、おのれは何かってことですよ、平地に立って下さい、初心の他なく、ちらとも頼むあれば去る、どうにもこうにもです。どうにもならんのが仏。)明鏡台に当たって列像殊なり。身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如しと、そういうものがなくなっちまうと、個々別々なんです、漢来れば漢現じ、胡来れば胡現ず、はい初心これ、一般と全く違うことを知って下さい、迷悟中の人じゃないんです。坐ってたといなにが出ようとも、手を付けない、はいようやくこれができます、只管打坐。(堕すだの破るだの、まあさそう云ってる、自分という鏡をぶっこわせ、そうしたら相見ることにしよう。)一々南に面して北斗を看る、南面して北斗七星を見る、はーいこれ実感ですよ、観音さま。(大唐国に太鼓を打てば、はしっこの新羅に普請する、あっはっは、もう一枚剥がして、さあこれ。)斗柄垂る、討ぬるに処無し、我れまた是れ大善知識にあらず、争でか説不説あることを知らん、解き放つんです、各自に彊界を守るんですか、拈花微笑ですか、倒折刹竿著ですか、さあ早く箇の自由を得て下さい、他にはないとはぜんたい、いかでか修証を仮らん、もとかすっともかすらない坐禅です、はーいなんにもならんです。(落処もまた知らず、てめえというこれ地に落ちて、散華、まさにそれを知って下さい、でないと一字を説き、千万仏教他の諸宗と同じ、うるさったいことは、なんせ聞いてやらんきゃならん、世の中じいさばっさで充満。)鼻孔を拈得して口を失卻す。わっはっはまさにそのとおり。(でもさどこからこの消息を得て来た、ふーん威張るな、痛棒。)

第二十九則 大随劫火洞然

本則・挙す、僧、大随に問ふ、劫火洞然として、大千倶に壊す。未審し這箇壊か不壊か。(這箇是れ什麼物ぞ。這の一句天下の衲僧模索不著。預め掻いて痒きを待つ。)随云く、壊。(無孔の鉄鎚当面に擲つ。鼻孔を没卻す。未だ口を開かざる已前、勘破了也。)僧云く、恁麼ならば即ち他に随い去るや。(没量の大人語脈裏に転卻せらる。果然として錯って認む。)随云く、随ひ去る。(前箭は猶ほ軽く後箭は深し。只這箇多少の人模索不著。水長せば船高く、泥多ければ仏大なり。若し他に随ひ去ると道はば什麼の処にか在る。若し他に随ひ去らずと道はば、又作麼生。便ち打つ。)

大随法真は長慶大安の嗣、百丈下三世。劫火洞然として大千倶に壊す、いぶかし這箇壊か不か。お経にある文句をもって大随和尚に問う、まさに劫火洞然、大千、世界宇宙壊滅する時、おまえさんはどうするというんです、どうですか、人類の歴史まさに劫火の燃えるが如く、あるいはすべてものみな壊滅、あるいはお釈迦さんの出家はこれ、生老病死苦をもってする、我れと我が身心の劫火洞然です、これをなんとかしようとする、救われようとする、ついに得たり、大千壊滅。ないものはもはや傷つかぬ、壊れないこれ。空と云えばすでに有るんです、劫火洞然に耐えうるもの、ただまっしぐらに求めて下さい。さあ飢えた虎に食われちまって下さい。(這箇はこれ何物ぞ、天下の衲僧模索不著、そうですお釈迦さまの最初発心がわからない、そんじゃどうしようもない、なにかしらわかったという、では予め掻いて痒きを待つのマンガです。)髄云く、壊。ぶっこわれるさというんです。(無孔の鉄鎚です、鼻つらとって引き回すなんてものじゃない、どかんぼっかり、勘破もへちまもないです。)僧云く、恁麼なれば他に随い去るや。そんじゃ因果必然、同じくしたがい去る他はないのかと聞く、なんたる浅ましさ、さっぱりわかっちゃおらん。(没量の大人言葉の辺に目鼻じゃ、命失うです、そうじゃないんだってばさ。)随云く、他に随い去る。(前箭は軽く後箭は深し、まさにこれ。水ませば船高く、泥多ければ仏大なり、世間まさしくそうなんでしょう、だからといって右往左往じゃないんです、まさにそれ、高うし多しする、そやつごと捨て去って下さい、もし随い去ると云えばどこにある、もし随い去らずと云えばどこにある、すなわち打つ。)またこの僧、修山主に問う、劫火洞然として、大千倶に壊す。未審し這箇壊か不壊か。山主云く、不壊。僧云く、なんとして不壊。山主云く、大千に同じきがためなり。壊も也人を礙塞し、不壊も也人を礙塞す。僧会せずして、投子に往く。投子問う、近離いずれの処ぞ。僧云く、西蜀の大随乃至遂に前話を挙す。投子香を焚き礼拝して云く、西蜀に古仏あって出世す、汝すみやかに帰れと。僧大随に到る、随すでに遷化す。

頌・劫火光中に問端を立す。(什麼と道ふぞ。已に是れ錯り了れり。)衲僧猶ほ両重の関に滞る。(此の人を坐断して如何が救ひ得ん。百匝千重。也脚頭脚底有り。)燐む可し一句他に随ふの語。(天下の衲僧這般の計較を作す。千句万句も也消得せず。什麼の他の脚跟を截断し難き処か有らん。)万里区々として独り往還す。(業識茫茫。蹉過するも也知らず。自ら是れ他草鞋を踏破す。)

劫火光中に問端を立す、これまさに初心、初発心です、南閻浮の人身に発心すべきなり、四苦八苦のしゃば世界より発心するんです。人間とは何か、己とは何か、なにをどうすべきか、どうしたら救われるか、劫火に焼かれてもって光明を見いだすこと、ついにこれを求め、ついに捨身施虎、虚空とう飢えた虎に食われてしまって下さい、食われてる間は阿鼻叫喚。わっはっは地獄の沙汰、食われちまったら無心、無身、身も心も無うして、劫火も焼くことあたわず、光明も照らすことなし、父母未生前に帰る、まさに救われてある、ただこれこれ、問端以前に知る他なし。(なんと云うぞ、すでにこれ錯り了れり。)衲僧猶ほ両重の関に滞る、壊か不壊か、実にこれ理論にあらず、こうあるべきにあらず、救いという膏薬にあらず、マニフェストにあらず、ただこれ実際、劫火に焼かれ、壊と不壊と、救いあり救いなし、解脱あり不解脱あり、どうですか坐っていて。さあどうなんです、自分をごまかしたってなんにもならんです、しかもこの関を透る、まさにもってかくの如し。(此の人を坐断して如何が救いえん、さあこれです、百匝千重、なにさあ毎日日にちやって下さい、是あり不是あり、仏あり一般あり、たった一個の生死をもってこれ回答。)あわれむべし一句他に随うの語。お経の文句を仮りたって二束三文です、大随に問い投子に問いついに落着せぬ、万里区々として独り往還す、みじめなみっともないありさま、よくよく省して下さい、参禅しているんではない、他の物差しにてめえをあてがって、ああでもないこうでもないやっている、百万年坐ろうがなんもならんです。(千句万句もまた消得せず、たいていの坊主どもこれ。もっとも今の坊主なんてそりゃ問題にならん、仏教の敵っていうより自堕落。他の脚跟を截断する、なんの難しいことかあらん、ただこれ、坐になるかならないか。業識茫茫も、蹉過する悶々も、かえってこれまた知らず、なにさ一枚ぺろうり皮剥ぐふう、てめえお釣りなしの、往復ただそれこっきり、こーんな楽ちんないんです。草鞋を踏破百万べんだって、かすっとも残らない、一瞬もなしを味わって下さい。)

第三十則 趙州大蘿葡頭

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、承り聞く、和尚親しく南泉に見ゆと、是なりや否や。(千聞一見に知かず。拶。眉八字に分る。)州云く、鎭州に大葡頭を出だす。(天をささえ地をささふ。斬釘截鉄。箭新羅を過ぐ。脳後に鰓を見ば、与に往来すること莫れ。)

この僧なかなかもって、そこらへんの雑っぱとは違う、承り聞く、お聞きしておりますが、和尚は親しく南泉に見ゆと、是なりや否や。どうですか、ちったあなんかありましたかってわけです。どう答えたらいいんですか、うん、やった印下底だっていうんでは、あんまり不足ですか。狗子に仏性有りや、云はく無。また云はく有と。有耶無耶談義は、若し世の中そんなふうじゃ、なんにもならんです。証拠する実際。(百聞は一見に及かず、はらばたさらけ出す以外にないです。これ仏、如来他なし、挨拶には眉八の字ですか、わっはっはまあそういうこったな。)州云く、鎭州に大羅葡ーふの字は富につくるー頭とは、大根です、でっかい大根を出す。なんのこったかわかりますか、わかったら納得するんですか、おまえが大根ですか、ともに大根ですか、雲が浮かぶ、日月が廻るっきりですか、まったくのでたらめですか、さあどうなんですと、確かめる前に、どかんはーいってことあります。僧三拝して去る。広大智慧観、悲観及慈観、ただこれ。たとい宇宙全世界仏だとしても、生きた仏が口を聞くんです。僧、九峰に問ふ、承り聞く、和尚親しく延寿に見ゆ、是なりや否や。峰云く、山前麦熟すや也未だしやと。人を思想の牢屋に閉じ込めないんですよ、あっはっは蛇足です。(天をささえ地をささう物は何者、あなたですか、それとも見えないものがささえるんですか、放った箭の跡形もない、これ仏問仏答、鰓のあるやつはことをかまえて策謀する、うっふだれのこってす。)

頌・鎭州に大羅葡を出だす。(天下の人知る。切に忌む道著することを。一回挙著すれば一回新たなり。)天下の衲僧則を取る。(争奈せん不恁麼なることを。誰か這の閑言長語を用ひん。)只知る自古自今。(半開半合。麻の如く粟に似たり。自古も也不恁麼、自今も也不恁麼。)争か弁ぜん鵠は白く烏は黒きことを。(全機頴脱す。長者は自ずから長、短者は自ずから短。識得する者は貴し。又弁ずることを消得せず。)賊賊。(咄。更に是れ担枷過状。)衲僧の鼻孔曾て拈得す。(穿過了也。裂転。)

鎭州にでっかい大根が取れる、大根なあ変哲もないのがぬうっとさ、でかいやつ。金に真のこんこんちき。なーんて解釈すると、脚跟下千仞、なんせ怒られる。(天下の人知る、だれでも知ってる大根、だれあって知る趙州。道として定番極則、これが極まりっては云わない。如何なるか是れ道。道は籬の外にあり、てめえというそいつをとっ外せ、ほどけば仏。否我が問うは大道なり、大道長安に通ずと。一回道著、これだと極めつけやれば、次にはそれが外れます、うっふっふ毎日日にちやって下さい、坐るたんびに新たです。)天下の衲僧則を取る、どうしても大根じゃいやだっていうんです、もうちょっとましなものを、せっかく出家して、なにもかも抛って仏門に入ったんだ、商売の出来るなにがしかをってね。(ざーんねんながら、ことこの事に関する限りそんなものないよ、不恁麼。禅宗無門関ですか、閑言長語、らしくの殺し文句な、そんなものあるわけねーじゃねえか、ばあたれ。)只知る、いにしえ今。むかしも今も鷺は白く、烏は黒いってことを、とやこう弁ずるやつがいるか、はいさ、仏教とはこれ。(まあ言い種いいってばいい、悪いってば届かぬ。麻の如く粟に似たり、どうもこうもならんのめったくさ、法を説く実感ですか、糠に釘なれば是。長短自ずからだとさ、勝手にせえ。識得するものは貴しの世の中、そやつを忘れる少なし。全機頴脱、知らないって花は云う。)賊賊。まあさこれだけは余計です、大趙州、余計だけにてめえを見いだす。云く有云く無、そりゃまたご苦労さんなこってす。でもわしの鼻の孔かつてこのまんま、さあどうしてくれる。(どあほ、めちゃんこつぶれのくせに。)
第三十一則 麻谷両処に錫を振ふ

本則・挙す、麻谷錫を持して章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振ふこと一下、卓然として立つ。(曹溪の様子一模に脱す。直に得たり天を驚かし地を動ずることを。)敬云く、是是。(泥裏に土塊を洗ふ。一般の人をれんー貝に兼ー殺す。是れ什麼の語話ぞ、繋驢楔子。)雪竇著語して云く、錯。(放過せば即ち不可。猶ほ一著を較くこと在り。)麻谷南泉に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振ふこと一下、卓然として立つ。(依前として泥裏に土塊を洗ふ。再運前来。鰕跳れども斗を出でず。)泉云く、不是不是。(何ぞ承当せざる。人を殺すに眼を貶せず。是れ什麼の語話ぞ。)雪竇著語して云く、錯。(放過せば不可。)麻谷当時云く、章敬は是と道ふ、和尚什麼として不是と道ふ。(主人公什麼の処にか在る。這の漢元来人の舌頭を取る。漏逗し了れり。)泉云く、章敬は是、是れ汝は不是。(也好し人を殺しては須らく血を見るべし。人の為にせんには須らく為に徹せしむべし。多少の人を瞞卻し来る。)此は是れ風力の所転、終に敗壊を成す。(果然として他に籠罩せらる。自己を争奈何せん。)

麻谷宝徹は馬祖の嗣、章敬も同じく。古人の行脚、叢林を遍歴して、直きに此の事を以て念となし、他の曲ろく木床上の老和尚の、具眼か不具眼かを弁ぜんことを要す。一言に相契はば即ちとどまり、一言に契はざれば即ち去る。麻谷章敬に到って禅床をめぐること三匝、錫を振ふこと一下して、卓然として立つ。(曹溪の様子一模に脱す、曹溪山は六祖禅師の地、この我れらが大法、滴滴相続底これがありようです、卒業してもって卓然として立つ。他なしです。すなわち天を驚かし、地を動かす。)敬云く、是是。よしよしってわけです。(泥の中に土塊を洗う、是是ってね、本来のありようこれ、錯もまたこれ、一般の人呆然ですか、いいえ一言にして行く、まるっきり他なしです、威儀即仏法、省みる我れなし、心を求めるに不可得、無心これ。なんの語話やあらん、棒杭につながったろばじゃ、そりゃなんともならんです。だからおれはやる。悟ったろうが悟るまいが。)雪竇著語して云く、錯。まちがい、ばかめがってんです、なぜだ。(するりと抜け出る、そんじゃなんともならぬ。錯たってやっぱり同じだぜえ。)麻谷南泉に到って、まったく同じことをする。(そりゃ同じだから同じ、はたしてまったく同じか、同じのほうがおかしいってことあります、鰕大魚ですか大海老ですか、飛び跳ねても北斗を出ず、念に捕われ、則を用いする、まるばつの世界です。)泉云く、不是不是、だめだよってんです。(なんでさ、おかしいじゃないか。人を殺すのに眉毛一つ動かさず、うふうじゃなんともならんぜ。)雪竇云く、錯。(錯を以て錯につく、すなわちこれ法という、そんなことさらさらないんです、ちっとは開眼するか、どうだという、するり抜けちゃ役立たず。)章敬は是、和尚なんとしてか不是。(馬脚を表わしたな、主人公である自分がだからどうだやっている、人の舌頭てか、ふんどしで相撲を取る。)泉云く、章敬は是、汝はこれ不是。はいまったくそのとおりなんです、わかりますか。たとい汝も是、まさにもってこれ。(多少の人を瞞卻し来る、眉毛有りや、知らずして殺し、知ってころし、あるいは活かしする、ものみな一般かくの如し。)これはこれ風力の所転、ついに駄目点です、是身無作風力所転、どっお経にあるそうな、お経とはもと実際に行なわれるんです、(はたして籠の鳥、てめえの分はどこにあるんだい。)

頌・此錯彼錯。(眉毛を惜取せよ。令に拠って行ず。天上天下唯我独尊。)切に忌む拈卻することを。(両箇無孔の鉄鎚。たとひ千手大悲も也提不起。或いは若し拈じ去らば、闍黎に三十棒を喫せしめん。)四海浪平らかに。(天下の人敢て動著せず。東西南北一等の家風。近日雨水多し。)百川潮落つ。(浄羅羅赤灑灑。且つ得たり自家安穏なることを。直に得たり海晏河清なることを。)古策風高し十二門。(這箇に何以ぞ。杖頭に眼無し。切に忌む柱杖頭上に向かって活計を作すことを。)門門路あり空しく蕭策。(一物も也無し。汝が平生を賺す。覩著せば即ち瞎せん。)蕭策に非ず。(果然。頼に転身の処有り。已に瞎し了れり。便ち打つ。)作者好し無病の薬を求むるに。(一死更に再活せず。十二時中什麼としてかかつ睡する。天を撈し地を模して什麼か作ん。)

此錯彼錯、錯をもって錯につくという、いったいこれ何、禅床を三匝して錫を振ふこと一下卓然として立つ、示すによって錯ですか、是是という、不是不是という錯ですか、ではいったい箇の何をか得る、(わっはっはわずかに箇の眉毛を動かす、令によって行ず、拈華微笑、破顔一笑して、我れに正法眼蔵涅槃妙心の術あり、あげて迦葉に付嘱すと、天上天下唯我独尊事これ。)切に忌む拈卻することを、釈迦牟尼仏花をとって拈ず、なーにやってんだうっふと笑ったんです。風無きに波を起こす。(両箇無孔の鉄鎚、麻谷も章敬も南泉も無孔の鉄鎚、なんでいったい悟りもせぬ麻谷が無孔の鉄鎚、木の葉の風に揺れる、これ無孔の鉄鎚、大悲千手あるいはまた提不起。たとい三十棒。)四海平らかに。(天下の人敢えて動著せず、章敬は是汝はこれ不是、鼓腹げきじょうの理想社会も何せんや、たとい五風十雨、馬鹿に付ける薬なしだとさ、あっはっは。)百川潮落つ。(自分というもの無うして、浄羅羅赤灑灑、自家安穏をぶち破って先ずはこれを得て下さい、付和雷同のその他大勢夢にだも見ぬ。海晏河清、たとい葛藤窟裏も戦争もです、対立意見なし。)古策風高し十二門、古人鞭をもって策となす、衲僧家柱杖をもって策となす、西王母が十二の朱門を設ける、天子および帝釈また十二の朱門あり、頭上の清風十二の朱門よりも高しと。(杖頭に眼無し、策をもって策となす、未だ上味噌にあらずですか、発酵せにゃ味噌にはならん、おうおう泣いて涙が止まらず、あるいはげらげら笑いっぱなし、どうすりゃいいって、ほっとけと云ったら中就納まる。そうしたら坐れるようになった、何時間坐ってもいいような、かすっともかすらないという、たといこれ仏教事始め。)門門路あり空しく蕭策す、世間一般みなこれです、せっかく大法を得て、令を行ずるかくの如しの、きれいごとじゃまったく役立たぬ。(一物もまたなし、では担いで帰れ。平生というすかしっ屁、これ仏これ悟りと見る、堕地獄。)蕭策にあらず、はいわしの語録はうっふ、いてもたってもいられないこれ、みなまた求めて止まぬものなりと。(まあさ、一応許すか。)作者好し無病の薬を求めるに、すなわち他にないんです。達磨さん以来これ、如何なるか是祖師西来の意。(死んだら死んだっきりだよ、暗室移らず、天も地もなく。)

第三十二則 定上座臨済に問ふ

本則・挙す、定上座臨済に問ふ、如何なるか是れ仏法の大意。(多少の人此に到って茫然たり。猶ほ這箇の有る在り。訝郎当して什麼か作ん。)済、禅床を下って擒住し、一掌を与へて便ち托開す。(今日捉敗す。老婆親切。天下の衲僧跳不出。)定、佇立す。(已に鬼窟裏に落つ。蹉過了也。未だ免れず鼻孔を失卻することを。)傍僧云く、定上座何ぞ礼拝せざる。(冷地裏に人有って覩破す。全く他の力を得たり。東家人死すれば西家の人哀を助く。)定、礼拝するに方って、(勤を将って拙を補ふ。)忽然として大悟す。(暗に灯を得るが如く、貧の宝を得が如し。錯を将って錯に就く。且く道へ、定上座箇の什麼を見てか便ち礼拝する。)

定は是れ向北の人、最も朴直なり。既に之を得て後、更に出世せず。後来全く臨済の機を用ふ、また妨げず頴脱なり。一日路に巌頭、雪峰、欽山の三人に逢ふ。巌頭乃ち問ふ、甚れの処よりか来る。定云く、臨済。頭云く、和尚万福なりや。定云く、已に順世し了れり。頭云く、某等三人、特に去って礼拝せんとす。福縁浅薄にして、又帰寂にふ。未審し和尚在日、何の言句か有りし。請ふ上座、一両則を挙せよ看ん。定遂に挙す。臨済一日衆に示して云く、赤肉団上に、一無位の真人有り、常に汝諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よと。時に僧有り出でて問ふ、如何なるか是れ無位の真人。済便ち擒住して云く、道へ道へ。僧擬議す。済便ち托開して云く、無位の真人、是れ什麼の乾屎楔ぞといって、便ち方丈に帰ると。巌頭覚えず舌を巻く。欽山云く、何ぞ非無位の真人と道はざる。定擒住して無位の真人と非無位の真人と相去ること多少ぞ、速かに道へ速かに道へと云はれて、山無語。直に得たり面黄面青なることを。巌頭雪峰近前礼拝して云く、這の新戒好悪を識らず、上座に觸忤す。望むらくは慈悲且らく放過せよ。定云く、若し是れ這の両箇の老婆にあらずんば、這の尿床の鬼子をしゅくー祝に土ー殺せんと。まさにこうあります。定如何なるか是れ仏法の大意と、臨済に問ふ、(多少の人ここに到って茫然たり、仏法とはと云って、あれやこれやある間は、そりゃ他山の石ですか、なんにもならんです、茫然たりをもって、ようやく問うに値する、意味上のことに終始して、なをかつ割愛を問う、このどあほ、どうやったら割愛だと、ふーんくそたれたか、はぐらさないで下さい、真剣に問うものをと、ねこまんまめが、執行猶予ですか、死刑にするのに、首に縄かける以外になし、訝しっていったい何が。)臨済、擒住して、禅床を下りて近寄って行く、一掌を与え、平手打ちです、托開は突き放す。(せっかく老婆親切、なことやってたらだれ一人仕出かさんぜ。)定佇立す、呆然突っ立っているんです。(すでに鬼窟裏に落つ、半分向こうへ行ってるんです、日常の糸が吹っ切れる、なんだあってんでもいいです、まるっきり別の何か=てめえの全て=忘我へ。蹉過了也、ちらと残ったかい、未だ免れず鼻孔失脚、面目丸潰れには、丸潰れを意識しないってわけの。)かたわらの僧が云った、なんで礼拝しないんだ。(ちゃんと見て取ってるやつがいた、他の力これ、自の力じゃそいつが障る、死んだら哀れむやつがいる、死体ですか、かんしけつ。)定礼拝するに方って、(勤勉実直の習慣ですか、礼拝というそやつが、できそくないを補った、うはうるさったい。)忽然として大悟す。(暗に灯を知るが如く、貧に宝を得るが如し、なーんて語に迷ってたらいかん、たしかにかくの如く自知なし。錯をもって錯につく、かすっとも残らない、跡形ないんです、仏とはこれ。定上座箇の何をもってか礼拝す、どうかこれを知って下さい、そうねえ上には上があるんです、切りもなしと云っておこうかって、あっはっは悟り悪いでさ。)

頌・断際の全機後蹤を継ぐ。(黄河は源頭より濁り了れり。子は父の業を承く。)持し来って何ぞ必ずしも従容に在らん。(什麼の処にか在る。争奈せん此の如き人有ることを。脚手無き人還って他を得んや也無や。)巨霊手を擡ぐるに多子無し。(嚇殺す。少売弄。打つこと一払子。更に再勘せじ。)分破す華山の千万重。(乾坤大地一時に露出す。堕也。)

断際とは、臨済の師黄檗に唐の宣宗が断際禅師の号を賜った。後蹤を継ぐとは、定上坐に存分に伝わったこと。全機です、説明能書きじゃない、仏の要機は身をもってする、証拠を挙げる以外にはないんです、就中黄檗の一掌、臨済の棒喝、あるいは擒住して、一掌を与えて托開す、これまったく他なしをただもうそのまんま、(黄河はみなもとより濁る、あっはっは子は父の業を継ぐ。どうしようもなくこれ。)持し来たって何ぞ必ずしも従容に在らん、物まねじゃないんです、もとこのようにある、大海中の波、なにをしようが悪辣の手段、即ちこれそのものです。他の学者常識には無縁の品です、お茶を濁すだけの、お椀の中の人生。とくとくとして多数派工作ですか。(いずれの処にかある、どこにもありっこない、しかも人あり、托開して云く、無位の真人是れなんの乾屎けつぞと。脚手無き人こそ真、まずもってこれを知って下さい、取り付く島もなし、はいあなた自身。あなたあっちゃ取り付かれ。)巨霊手を擡ぐるに多子無し、分破す華山の千万重。巨霊神大神力あって、手をもって大華を劈開し、水を放って黄河に流入すとあります、そういう伝説です。全機まさに眼華妄想百万だらの、人間なるものをいっぺんに粉砕です、手段を弄せず。(人を脅し殺すなど、こざかしいってんです、払子に触れて死に絶えてそれっきり。乾坤大地一時に露出す、わずかに一個死ねば世界ぜんたい、一粒の麦若し死なばのいいかげんさじゃないんですよ、右念のため。)

第三十三則 陳操資福に看ゆ

本則・挙す、陳操尚書、資福に看ゆ。福来るを見て便ち一円相を画す。(是れ精、精を識り、是れ賊、賊を識る。若し蘊籍ならずんば争でか這の漢を識らん。還って金剛圏を見る麼。)操云く、弟子恁麼に来る。早く是れ便りを得ず。何に況んや更に一円相を画するをや。(今日箇のかつ睡の漢に撞著す。這の老漢。)福便ち方丈の門を掩卻す。(賊は貧児の家を打せず。已に他の圏簣に入り了れり。)雪竇云く、陳操只一隻眼を具す。(雪竇頂門に眼を具す。且らく道へ、他の意什麼の処にか在る。也好し一円相を与ふるに。灼然として竜頭蛇尾。当時好し一拶を与へて伊をして進むにも亦門無く、退くにも亦路無からしめんには。且らく道へ、更に他に什麼の一拶を与へん。)

陳操尚書は睦州門下の居士、おおよそ僧の来るを見れば、まず斎に請じ、銭三百を供養して、是れの勘弁を用ふ。一日雲門到る。すなわち問う、儒書の中は問はず、三乗十二分教は、自ずから座主有り。作麼生か是れ衲僧家行脚の事。雲門云く、尚書曾て幾人にか問ひ来る。操云く、即今上座に問ふ。門云く、即今は且らく置く。作麼生か是れ敬意。操云く、黄巻赤軸。門云く、這箇は是れ文字語言、作麼生か是れ敬意。操云く、口談ぜんと欲して辭喪し、心縁ぜんと欲して慮亡ず。門云く、口談ぜんと欲して辭喪するは、有言に対するが為なり。心縁ぜんと欲して慮亡ずるは、妄想に対するが為なり。作麼生か是れ敬意。操無語。門云く、聞くならく尚書法華経を看ずと是なりや否や。操云く、是。門云く、経中に道ふ、一切の治生産業、皆実相と違背せずと、且らく道へ、非非想天、即今幾人有って退位す。操又無語。門云く、尚書草草なること莫れ。師僧家三経語論を抛卻し、来って叢林に入って、十年二十年、なほ自ら奈何ともせず。尚書又争か会することを得ん。操礼拝して云く、それがしが罪過と。かくの如くして、中国官吏の蘊籍というのか、寛博余り有るという、一流中の一流知識が、仏門に入る、知識権威を誇らない、ただの人になる優しさですよ、わかりすか、生き甲斐です。資福如実は、西塔光穆の嗣、い山下三世。福彼の来るを見て、すなわち一円相を画す、地面に円をえがくんでしょ、円相これ禅門みたい、習い事じゃないんです、無心というものみな仏、仏のありようを画す、画さねば露われぬ、坐ってそうして下さい、我れ仏と。(よくよく知ってこれを用いる、知らぬが仏、金剛圏とはいったい何。)操云く、弟子恁麼に来る、まさにもうこのとおり他なしに来る、取りえもなんにもなし、玉露の宙に浮かぶ如く、だのになんで更に一円相を画すと聞く。(眼を開いて眠っているやつめ、頭なでなでしてやっか、眼を開いたまま眠って、運転して正面衝突、如何なる幸運か双方ことなきをえて、わが弟子、あいつこれをえて間も無くだったな。)福すなわち方丈の門を掩卻す。戸を締めちまった。未だしっていうんです、なぜか。(賊という、相手の持ち物を奪い取るんです、金持ちには与え貧乏人からはとことん奪う、ちえ貧乏屋敷が、つまらねえ敷居築きゃがって、どあほめといったぐらい。仏の教えだっていうんでしょう、みんなまあそういったふうの、もう一枚。)雪竇云く、陳操只一隻眼を具す。蛇足の後押しですか。(これによってなにほどか開けたか、もう一つ一円相ですか、わっはっは竜頭蛇尾。進むに門なく、退くに路なき一拶を与えて、はじめて知る、それほどのとんでもない壁、はいこれが仏の教え。)

頌・団団珠遶り玉珊珊。(三尺の杖子黄河を攪く。須らく是れ碧眼の胡僧にして始めて得べし。生鉄鋳なす。)馬載驢駝鉄船に上す。(許多を用ひて什麼かせん。什麼の限りか有らん。且らく闍黎に与へよ看ん。)海山無事の客に分付す。(人の要せざる有り。若し是れ無事の客ならば也消得せじ。須らく是れ無事にして始めて得べし。)鼇を釣って時に一圏攣を下す。(恁麼にし来り恁麼にし去る。一時に出不得。若し是れ蝦蟆ならば什麼を作すにか堪えん。蝦蜆螺蚌いかんせん。須らく是れ鼈を釣って始めて得べし。)雪竇復た云く、天下の衲僧跳不出。(身を兼ねて内に在り。一坑に埋卻せん。闍黎還って跳得出す麼。)

団団珠遶り玉珊珊という、一円相の実際ですか、すべからく是れ桶底脱し、機関尽き、得失是非一時に放卻すべし。更に道理の会をなすことを要せず、また玄妙の会をなすことを得ず。畢竟作麼生か会せんと。ただの人になり終わる、就中皆無ですか、ちらともありゃそれによって滞る、氷と水の如くです、水は方円の器に従うと、だからといってかくあるべきじゃ、無事の人です。団団珠めぐり玉珊珊などいう、ぶっとばしてくれようかと、たしかにしゃしゃらくらくあり、思想観念を絶した済々は、他の清澄とは比較にならんです、千万異化身釈迦牟尼仏、与仏有因、与仏有縁、仏法僧縁、常楽我浄はただこれ坐に勤しむ、他にはまったくないんです。自分を見つめないんです、ただこれ。(三尺の杖子黄河を攪く、たった一人自分なんです、他の標準神だの仏だのだからどうのじゃないんです、でもって妄想濁りの黄河を攪拌する、はい座禅これ。達磨さんにして始めて可能です、みなまた達磨になる他なく、鉄は熱いうちに鍛えろとさ。)馬載驢駝鉄船に上す、なんでもありありなんです、こうしたらどうのだからということなし、でたらめすっちゃかめっちゃかのまんま、静かになったうまく坐れるようになったなど嘘、たとい九十七の円相有りという、たしかに悟ったかくの如くと、あっはっは毎日の如く、でも自分を観察していたら無心ではないんです、なかなかどうして、すったもんだ上には上。(だからどうだっていうんだ、ものに限りがあるって思う、そやつが間違い、有ると思う、得たと思ったらつっぱなせ、これ参禅の要決、更になんの取り柄もなし。一円相これ。)海山無事の客に分付す、初心まさにこれ。(人というものが要らんのです、あなたのまるっきり死に絶えたあとの世の中。)鼇を釣って時に一圏攣を下す、でっかい亀を釣る、はーい釣針になり終わって下さい。(恁麼にし来り恁麼にし去る、いてもたってもいられないってんならわずかに可。蝦蜆螺蚌とさ、いかにでっかいものでも中途半端ならだめです、これ坐っている実感です、ついに本来本当の大があるんです、脱し去る時浮き世三界なにするものぞ、自由を味わって下さい。)雪竇云く、天下の衲僧跳不出。(なにさ妄想百万だらのまんまです、飛び出すも飛び出さぬも同じ無常楽、まあほんと、他にはまったくないんですよ。)

第三十四則 仰山曾て遊山せず

本則・挙す、仰山、僧に問ふ、近離甚れの処ぞ。(天下の人一般。也間過せんことを要す。風に向かって火を吹く。常の程と作さざる可からず。)僧云く、盧山。(実頭の人得難し。)山云く、曾て五老峰に遊ぶ麼。(行に因って妨げず臂を棹ふことを。何ぞ曾て蹉過せん。)僧云く、曾て到らず。(一歩を移せ。面の赤からんより、語の直からんには如ず。也忘前失後するに似たり。)山云く、闍黎曾て遊山せず。(太だ多事生。眉毛を惜取せば好し。這の老漢甚んの死急か著たる。)雲門云く、この語慈悲の為の故に、落草の談あり。(殺人刀活人剣。両箇三箇。山上の路を知らんと要せば、須らく是れ去来の人なるべし。)

い山仰山い仰宗の祖、近離いずれの処ぞ、どこから来た。い山一日仰山に問ふて云く、諸方若し僧有り来たらば、汝什麼をもってか他を験せん。仰云く、それがし尋常僧の来るを見れば、只払子を挙して伊に向かって問ふ、諸方還って這箇有り麼。伊が語有らんを待って、只伊に向かって道はん。這箇は即ち且らく置く、那箇は如何と。い山云く、これは是れ向上の人の牙爪なりと。どうですか何がどうなっているんですか、これありやという、答えを待って、これは置く、あれはどうだってんです、うっふっふ宇宙流転三界わがものと得るんですか、突き放すんですか。多少の功徳、喝するによく笑うによくって、猿芝居じゃないってこと、はてなあ今の坊主どもは紙芝居ですか、吹けば飛んじまう。(天下の人一般、だれあってどこから来たと聞く。はいあっちと、見過ごすべからず、風に向かって火を吹く、常套手段ではない、たとい言下に大悟すと、一生百年の情識まずもって一皮剥くによし。)盧山から来た、親しく盧山に参ずるんですか。(ただの山だろうが同じ、親しくとは何、たったいっぺん味わって下さい、これという100%故郷を。)山云く、曾て五老峰に遊ぶや。五老峰とは盧山にある聞こえた峰です、これも天下の人一般。(問うんです、他なし、無心の俎板の上の大鯉、外れるということなしを、どうやらただの生臭。)僧云く、かつて到らず。(そうじゃないんだってば、渾身口に似て虚空に掛かる、打てば響くんです、到らずは響かず、似せて赤恥かくよりは、素直なほうがいい、呆然自失、まずはよし。)山云く、わしはかつて遊山せず。(そりゃまあご苦労さん、大きにっていうんです、手を差し伸べた、眉毛をぴくっとするぐらい、我と我が身心を省みるにっよし。でもさちったあ相手を見たのか、死急ありや。)雲門云く、この語皆慈悲のための故に、落草の談あり、なんとしても悟らせてやろうという、ぶったるんだんです、語るに落ちた。(山上の路を知る、ただの人になり終わる向上門ですよ、悟ったという一辺倒じゃない、去来を知るんです、口を開けば殺人刀活人剣。)

頌・出草入草。(頭上漫漫、脚下漫漫。半開半合。他も也恁麼、我も也恁麼。)誰か尋討することを解せん。(頂門に一隻眼を具す。闍黎尋討することを解せず。)白雲重重。(千重百匝。頭上に頭を安ず。)紅日杲杲。(破也。瞎。眼を挙すれば即ち錯。)左顧瑕無く、(瞎漢。依前として無事。汝許多の伎倆を作して什麼かせん。)右貶已に老ひたり。(一念万年。過。)君見ずや寒山子。(癩児伴を牽く。)行くこと太だ早し。(也早からず。)十年帰ることを得ず。(即今什麼の処にか在る。灼然。)来時の道を忘卻す。(渠儂自由を得たり。一著を放過す。便ち打たん。這の忘前失後をなすこと莫くんば好し。)

出草入草、参禅弁道の入ったり出たりは、人数ですか、それとも一個人の日常ですか、他人ごとはいいです、ただ我と我が一心、(頭上漫漫脚下漫漫、どこまで行ってもですよ、こうあればいい、しばらくうまく行く、少しはましになった、妄想から自由になったなどない、妄想とは妄想、もと見えないんです、是とし不是とし、半開半合、とどまらず滞ることなし、参ずる者もかくの如く、応ずる我れもかくの如く、未熟という一喝し、突き放しする、未熟100%一喝は喝し、突き放すとき宇宙全体。どこをどう突っついたろうが、不増不減。就中平らかという一線がないんです、これでよいとするなし。)誰か尋討することを解せん。だれかれ結果を得ると、結果とはもとおのれそのものです、結果を知る、無自覚もっとも親切。(頂門に一隻眼を具す、そりゃあ俗人俗論とはまったく別なんです、物差しあてがってあーだこーだの一億評論家じゃないんです、一とは無心、ないんです、答えのまっただなか。闍黎尋討することを解せず、はいこれが正解です。)白雲重重。紅日杲杲、煙羃羃草茸茸ですか、思想観念による統一がないんです、わっはっは美しくないですか、なあにさものみなモーツアルト、花ということなし松ということなしと、別段のことわりがいらないんです、作法あれば歌も絵も出来上がるってこと、そりゃものみなかくの如く。(なんかあるように思ってりゃそりゃ大変です、明き盲てなもんですか、だからどうのやったら、おしまい、一多の際ならんや、錯につくまたよし。)左顧瑕無く、右貶已に老いたり、こりゃまあそういう実感ですか、仏教かくあるべき、坊主はこうあらんきゃならんという、もと無意味なんです、因果歴然という、すでに中にって万億年。(無事の人には力がないんです、一手擡一手搦、たとい寸分も天地まさに動くんです。伎倆じゃないものみなかくの如し、花は何ゆえに開く。)君見ずや寒山子、寒山拾得です、(癩病みはとも連れ。)行くことはなはだ早し。(早かねーよ)十年帰ることを得ず、来時の道を忘却す。別に寒山でなくっても行きて帰らぬ無心です、かつてこうあったからこそ、他を説得しうるにせよ、かつてのことなんか忘れ去っています、自分とかてて云った処の過ちだらけ、仏如来として、この世に生まれたそいつの冒涜さんざくたですか、免れてあるよりないんです、自由になった、どうしようもない罪科弥天から解き放たれるんです。(これ仏という紐をうっちゃる、すなわち打たん、うっちゃった跡形だとさ、呆然自失というしがらみなくんばよし。)

第三十五則 文殊前三三

本則・挙す、文殊無著に問ふ、近離什麼の処ぞ。(借問せずんばある可からず。也這箇の消息有り。)無著云く、南方。(草窩裏より出頭す。何ぞ必ずしも眉毛上に担向せん。大方外無し什麼としてか卻って南方有る。)殊云く、南方の仏法、如何が住持す。(若し別人に問はば即ち禍生ぜん。猶ほ唇歯に掛くること在り。)著云く、末法の比丘、少しく戒律を奉ず。(実頭の人得難し。)殊云く、多少衆ぞ。(当時便ち一喝を与へん。一拶に拶倒し了れり。)著云く、或は三百或は五百。(尽く是れ野狐精、果然として漏逗す。)無著文殊に問ふ、此間如何が住持す。(拶著。便ち鎗頭を回転し来れり。)珠云く、凡聖人同居、龍蛇混雑。(敗缺少なからず。直に得たり脚忙しく手乱るることを。)著云く、多少衆ぞ。(我に話頭を還し来れ。也放過することを得じ。)珠云く、前三三後三三。(顛言倒語。且らく道へ、是れ多少ぞ。千手大悲も数へ足らず。)

無著は釈無著、永嘉の人、四祖牛頭法融の嗣、五台山は文殊菩薩の霊場。無著五台に遊ぶ、中路荒僻の処に至って、文殊一寺を建立して宿せしむ、遂に問ふ。近離甚れの処ぞ。どこから来たというんです、すなわち文殊現れて真正面に問う。かつて逃げ場なし。(借問せずんばあるべからず、問はにゃわからんです、各その消息あり、そやつをぶち破る。)無著云く、南方。(草草です、思い込み雑念より来る、正しくはこうあるべき、だのにと云うんです。まあさたいてい坊主も在家も同じです、あっはっは大方の他なし、無心無方です、ものみな掌する以外ない、だのになんで南方。)ほう、南方の仏法どんなふうだ、如何が住持す、いやさおまえさんはどうだと聞くんです。ことはそれ以外になし。(別人に問ふこと禍のみです、唇歯に掛ける、でもって坐禅しますか、それともじっと我慢の子ですか。)著云く、末法の比丘、少しく戒律を奉ず。(実頭の人得難し、戒律を奉ずとはいったい何か、仏戒とは何か、人が守れというから守るのか、守ってりゃ安心なのか、そんなもの仏法じゃない、もの食わんやわからん、食ってみろ。他をあげつらう前に実際、坊主はしょうがねえと云っては管を巻くしょうがねえだけの坊主。腐れ睾丸。)珠云く、でもって多少衆ぞ、一般の人信者ですか、どうなっている。(なんてえまあ歯がゆいったら、下らないことを。已に一拶しおわれり。)著云く、あるいは三百あるいは五百。(すべて野狐精、仏じゃない狐狸の類だ、語るに落ちたってやつ。)してもって無著文殊に問う、こういうところにどうやって住持するか。(うっは錆びた槍ぶん回して来たぞ。)珠云く、凡聖同居、龍蛇混雑。(もうちょっとましなこと云え、ぬるいよ、凡聖同居、龍蛇混雑って、煙べきべき草じょうじょうですかあ、銀椀に雪を盛り、混ずる時んば処を知るってぐらいにさ、はいからにさ。)著云く、多少衆ぞ。(ちえおれに回して来い、すんなこと云わせねえぜったく。)珠云く、前三三後三三、うんここへ来てすっきり、いいですか、外へ向かって坐って下さい、意見思想の内容だからどうだ、蚊の鳴くようなこと云ってないんですよ、前三三後三三。(ふんでたらめこきゃがって、あっはっは多少の人だってさ、千手観音も数え切れずって、蛇足だあな、どんと来い。)

頌・千峰盤屈して色藍の如し。(還って文殊を見る麼。)誰か謂ふ文殊是れ対談すと。(設使普賢なりとも也顧みず。蹉過了也。)笑ふに堪へたり清涼多少の衆。(且らく道へ什麼をか笑ふ。已に言前に在り。)前三三後三三と。(試みに請ふ、脚下に弁じて看よ。爛泥裏に棘有り。碗子地に落ちて楪子七片となる。)

沙界に廓周す勝伽藍。満目の文殊是れ対談。言下に仏眼を開くことを知らず、頭を回らして只翠山巌。台山に遊んで荒れ寺に至る、まさにこれかくの如くの風景、千峰盤屈して色藍の如く、誰れかいふ文殊是れ対談すと。自然に帰れ、風景の美しさをいう、これ文殊なければ無意味です、我が釈迦牟尼仏の声と姿とという、これなくんばただもう殺風景、情実もって女の裸を見る如くですか、あるい害意そのもの、今の子弟教育まずもってこれを脱すること先決、伸びたうどんみたいな国語だの、自閉症のまあ能書き百万だら、あっはっはそんな人間の数増えてなんになるんですか、うるさったくごみあくた、平和博愛だと笑わせる。(かえって文殊を見るや、たとい普賢なりともまた顧みず、神さまを見るんじゃないんですよ、そりゃ我田引水、ひとりよがりあるいは狂信です、地球をぶっこわす槍ですか、不信はでたらめごみ捨て場、廓然無聖です、花のように知らないんです。)笑うに堪えたり、清涼多少の衆、だからまさに仏教はそういうこと云わないんです、清濁合わせ飲むの不都合じゃなです、清涼の底抜け、清涼といういぎたないんです、比較を絶するんです、(かえてこれ蚊子の鉄牛を咬むに似たろ、早くこれ脱し去って下さい、てめえに突っ込んでいる首を抜け、元の木阿弥。)前三三後三三、じゃましょうがないからこの語でも覚えて置きますか、わっはっはまったくの無意味。(試みに請う、脚下に弁じて見よ、だからそういう手続きがもとまったくいらないんです、夢にも見ないとは実にこれ、おのれを捨てるとはまさにこれ。泥ん中に刺あり、せっかくお椀地に落ちて七片てさ、はいご苦労さん、刺のまんまお椀で飯食いますか、はーい刺いらない。)

第三十六則 長沙落花を遂うて囘る

本則・挙す、長沙一日遊山して、帰って門主に至る。(今日一日、只管に落草。前頭も也落草、後頭も也落草。)首座問ふ、和尚什麼の処にか去来す。(也這の老漢を勘過せんことを要す。箭新羅を過ぐ。)沙云く、遊山し来る。(落草す可からず。敗缺少なからず。草裏の漢。)首座云く、什麼の処にか到り来る。(拶。若し至る所有れば、未だ落草することを免れず。相率いて火坑に入る。)沙云く、始めは芳草に随って去り、又落花を遂うて囘る。(漏逗少なからず。元来只荊棘林の裏に在って坐す。)座云く、大に春意に似たり。(相随来也。錯を将って錯に就く。一手擡一手搦。)沙云く、也秋露の芙渠に滴るに勝れり。(土上に泥を加ふ。前箭は猶ほ軽く、後箭は深し。什麼の了期か有らん。)雪竇著語して云く、答話を謝す。(一火泥団を弄する漢。三箇一状に領過す。

長沙鹿苑の招賢大師は南泉の嗣、趙州や紫胡と同じ。一日山遊びして山門に帰る、(今日一日ただもう遊び呆けたんですか、しかり何をどうしようというんでもなく、結果何を得たというんでもないんです。)首座和尚、第一座問う、どこへ行って来たんですか。(聞いてみよう、験してみようというんです、そう思う前に已に験す、でなかったらなんの修行、放った箭はあっはあどこへすっ飛んだ。)遊山して来た。(もうちょっとましに答えてやったらどうだ、そこらへんの馬の骨と同じだ、どうしようもないぞ。)どんな所へ行って来たですか。(ちっとは得る所あったかと問うには、未だ迷悟の人、生鉄鋳なす、あいともに参禅弁道ですか、そりゃその通り、でもさどっか雲泥の相違です、一抜けたっていう、空気を吸ううっふ。)沙云く、はじめは草のよろしきに随い行き、又花の落ちるのを遂うて帰る。(そんなたわけたこと云うからわっはっは、元来我れと我が身心をどうする、仏とはこうあるべき、荊棘林に七転八倒が参禅というものだ。)首座云く、そりゃまあ大いに春意に似たり、けっこうなこってすという、俗人俗をもってする、常にそりゃ会話はこんなふうです、どうしようもないんです、迷いを開く、同じ土俵じゃないってことを知らしめる。(錯をもって錯につく、春には秋と、いやちがうぞ、こうだからこうだと理をもってする、土上に泥を洗う、うんわしなんぞたいていこれ、なんにもならんな。)また秋露の蓮に滴るに勝ると。(これすばらしいですな、長沙歩歩清風起こるの内容を、だれあって鑑みること不可能、一言ずばりと示す。)雪竇著語して云く、答話を謝す。(泥んまるけを照らす一火、無明黒闇を照らす灯です、三箇、たとい無明と、法灯を求めると、求め終われば初心と、一箭に貫く。)

頌・大地繊埃を絶す。(戸ようー片に庸ーを瞎開して軒に当る者は誰ぞ。尽く這箇を少くことを得ず。天下太平。)何人か眼開けざらん。(頂門上に大光明を放って始めて得ん。土を撒し沙を撒して什麼か作ん。)始めは芳草に随って去り。(漏逗少なからず。是れ一囘草に落つるのみにあらず。頼に前頭に已に道ひ了るに値ふ。)又落花を遂ふて囘る。(処処全真。且喜すらくは帰来することを。脚下泥深きこと三尺。)るー痩せる病むの意ー鶴寒木につまだち。(左之右之一句を添ふ。更に許多閑事の有る在り。)狂宴古台に嘯く。(卻って親しく力を著くるに因る。一句を添ふるも也得ず。)長沙限りなき意。(便ち打つ。末後の一句什麼とか道はん。一坑に埋卻せん。鬼窟裏に堕在す。)咄。(草裏の漢。賊過ぎて後弓を張る。更に放過す可からず。)
見ずや雲門云く、直に山河大地、繊毫の過患無きを得るも猶ほ転句と為す。一切の色を見ざるも、始めて是れ半提。更に須らく全提の時節、向上の一竅有ることを知って、始めて穏坐を解すべしと。これどうですか、我田引水とっかかりひっかかりする、個性だの天才だのいうのが跡形もなくなるんです、すると始めて出家です。仏門ですか、そうか坐らにゃならんと坐る、坐る以外の答えはないんです、る鶴寒木につまだちっていうことあって、狂宴古台に嘯く、我れからということが失せて、ものみなに与え任す、捨身施虎、大死一番するんです、どうしてもこれがないと甦らないです、参禅とはこれです、他の方法横滑りなぞないです。でもこれ未だ半提、あるいは十年二十年するんですよ、ようやく坐れるようになった、日々新たにです、日々断絶です、どこまで行こうが未だしが、楽しい嬉しい百花開く。長沙限りなき意、芳草に随って去り、落花を遂うて帰る、あっはっは帰って来れてよかったねって、虚虚全真は、行きて帰らぬ心無さ、行きて帰る心の味と、脚下泥深きこと三尺。初心これという、初心に参じて下さい、まるっきり他の追随を許さないんです、独立独歩人、便ち打つ。咄、そうさ草裏の漢、賊過ぎて後弓を張るばっかりしている、更に放過すべからずって、はあてね、他愛ないこと夢の如し。

第三十七則 盤山三界無法

本則・挙す、盤山垂語して云く、三界無法。(箭既に弦を離れて返囘の勢い無し。月明照らし見る夜行の人。中れり。法を識る者は懼る。好し声の和して便ち打つに。)何れの処にか心を求めん。(人を瞞ずること莫くんば好し。重挙するに労せず。自ら点検して看よ。便ち打って云く、是れ什麼ぞ。)

盤山宝積は馬祖下の尊宿なり、後普化一人を出す。師遷化に及んで衆に謂って云く、還って人の吾が真をばく得、どうだわしの真実をかたどる、描いて見せることができるかと聞く、衆皆真を写して師に呈す。師みなこれを叱る。普化出でて、おれができるよと云う、よし示せ、普化とんぼ返りを打って去る。師云く、這の漢向後風狂の如くにして人を接し去ることあらんと。一日衆に示して云く、三界無法。何の処にか心を求めん。四大本空、仏何に依ってか住むせん。瓊機動ぜず。寂止として痕無し。覿面相呈す。更に余事無しと。流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。出家剃髪の偈です、葬式の時にも唱えて頭を剃るんです。この世とおさらばですか。法のあるなしを云う、未だこの世の未練ですか、浮き世の傀儡。あっはっはでは無法とは何か、法のまっただ中にもとこうある、とんぼ返りを打ってただこれと云うが如し。(箭既に弦を離れて返囘の勢いなし、はーいその通りなんですよ、どうだどうだと云わない、でも口を開けば天地動く、見る人は見るんです、月明照らし見る夜行の人、これはこれ観音大士仏心印を得ると、かえって少林に到って面壁九年。仏心印を得る人、かえって知らず、中れり、法を識る人は懼る、懼はおそれる、あやぶむ、いてもたってもいられないんですかあっはっは、法という物差しだからのお仕着せを失う、まっぱだか、りゃ当然です、よし声に和して便ち打つに、こうりゃばかったれってなもんです。)何れの処にか心を求めん、腕を切って差し出した慧可大師、それがし心安からず、師我れが為に示せという、達磨心を持って来い、救ってやろうという、弟子心を求めるに不可得と、師我れ汝を救い得たりと。無心=心の無いことを知る、無いものは汚れず傷つかず、不増不減、不生不滅です、金剛不壊です、今の人まさにこれを知って下さい、ストレス社会あるいは極めて困難な時代です、困難な時代にこそ座禅が流行るんです、だれにでもできる単純な法です。(人を瞞ずること無くんばよし、ろくでもない坊主ども、師家にひっかからないように、あっちもこっちも右を向いても左を向いてもですが、重挙するに労せず、心の問題は顧みるに従い煩雑ってことあります、何自分のこったです、心は一つ心が心を顧みることの不可能、自ら点検するとはこれ、すなわち打って云く、これなんぞ。)

頌・三界無法。(言猶ほ耳に在り。)何れの処にか心を求めん。(重挙するに労せず。自ら点検して看よ。打って云く、是れ什麼ぞ。)白雲を蓋と為し。(頭上に頭を安ず。千里万重。)流泉を琴と作す。(聞く麼。相随来や。一たび聴いて一たび悲しむに堪えたり。)一曲両曲人の会する無し。(宮商に落ちず角微に干るに非ず。路を借りて経過す。五音六律尽く分明。自領出去。聴けば即ち聾す。)雨過ぎて夜塘秋水深し。(迅雷耳を掩うに及ばず。直に得たり。施泥帯水。什麼の処にか在る。便ち打つ。)

三界無法、まったくこれ卒業して下さい、虫けらや花鳥と同じですか、知らず廓然無聖ですか、人間という脳味噌のお化けを克服するんです、主客転倒事を元に復す、よってもって十二分に使えるんです。(言なほ耳に在り、云う必要があるんでしょう、忘れることは一大事。)何れの処にか心を求めん、どうしたってこれを得なきゃならんです、やってみなけりゃどうもならん、心を求めるに不可得、だからと云ったって二束三文、日教組じゃあるまいし、思考停止教師の観念倒れじゃ、一木一草も育たんです。共産党だ紅衛兵だ、蹉別問題だ、観念のカリカチュアは遂に、ぶっこわれて人をやっつけて、伸し渡るのに便利ですか、人という無形用の実体、心という無心と、これらあんちょこと、喧嘩すりゃ共産党が勝つんです、奇妙なものです、始めから過ちを知って黙るより仕方がない、歴史とはがらくた。(たとい何をするにしたって、心は労しないんですよ、観念倒れの思考停止が煩瑣にするんです、皮歯より犯すという、顧みて下さい、顧みるに我無しを知る、知慧とはなに、即ち実際を糊塗しないんです、平和がいい戦争は悪い、だからといっててめえを棚に揚げないんです、罪科とはこれ、便ち打つ。)白雲を蓋となし、流泉を琴となす。もと始めからこの通りなんです、そういうよかりそうな境遇じゃないんです、聖人夢無し、(頭上に頭を安ず、千里万里、白雲になりおおせるとは、なんにも云い得ないんです、どうしようもなく涙するんですか、生涯尽きるんですか、千里万里も一瞬、うっふう形無し。)一たび聴いて一たび悲しむに堪えたり、ほんにさ一曲両曲人の会するなし、聴くというに聴く者なし、ただこれ大事件。(五音、宮・商・角・微・羽だそうです、六律は、十二律のうち陽を六律、陰を六呂というんだそうです。わしは音痴だからさっぱりわからんけれども、たとい音痴も五音六律に適うよりなく、まあさそういったこと、一音耳を聾すは、自分という垣根失せて、三日耳を聾すと、まずはこれを得て下さい。よってもって竜泉琴。)雨過ぎて夜塘秋水深し、はいそういうこと。(いずれの処にか在る、すなわち打つ、なんで礼拝せざる。)

第三十八則 風穴祖師の心印

挙す、風穴郢州の衙内に在って上堂。云く、(公に倚って禅を説く。什麼と道ふぞ。)祖師の心印、状鉄牛の機に似たり。(千人万人撼かせども動かず。ごうー言に肴ー訛節角什麼の処にか在る。三要印開して鋒鋩を犯さず。)去れば即ち印住し、(正令当行。錯。)住すれば即ち印破す。(再犯容さず。令行の時を看取せよ。拶。便ち打つ。)只去らず住せざるが如きんば、(鈍置の処無きことを看よ。多少のごう訛。)印するが即ち是か、印せざるが即ち是か。(天下の人頭出頭没するに分有り。文彩已に彰る。但請ふ禅床を掀倒し大衆を喝散せんことを。)時に盧陂長老なるものあり、出て問ふ、某甲鉄牛の機あり、(一箇の暗暁得を釣り得たり。妨げず奇特なることを。)請ふ師印を塔せざれ。(好箇の話頭。ごう訛なりことを如何せん。)穴云く、鯨鯢を釣って巨浸を澄ましむるに慣れて、卻って蹉す蛙歩の泥沙に輾ぶことを。(鶻の鳩を捉ふるに似たり。宝網空に漫たり。神駒千里。)陂佇思す。(可惜許。也出身の処有り。惜しむ可し放過することを。)穴喝して云く、長老何ぞ進語せざる。(旗を引き鼓を奪ふ。炒閙也。)陂擬議す。(三回死し了る。両重の公案。)穴打つこと一払子。(好打。這箇の令須らく是れ恁麼の人にして行じて始めて得べし。)穴云く、還って話頭を記得す麼、試みに挙せよ看ん。(何ぞ必ずしもせん。雪上に霜を加ふ。)陂口を開かんと擬す。(一死更に再活せず。這の漢、人を鈍置殺す。他の毒手に遭ふ。)穴又打つこと一払子。牧主云く、仏法と王法と一般。(灼然。卻って傍人に覩破せらる。)穴云く、箇の什麼の道理をか見る。(也好し一拶を与ふるに。卻って鎗頭を囘し来れり。)牧主云く、断ずべきに当たって断ぜざれば、返って其の乱を招く。(似たることは即ち似たり。是なることは未だ是ならず。須らく知るべし傍人眼有ることを。東家人死すれば西家人哀を助く。)穴便ち下座す。(錯を将って錯に就く。機を見て変ず。且らく参学の事畢ことを得たり。)

風穴延沼は臨済の嗣。衙内は太守の居処。衙内に在って上堂、云く、公けに説くんですか、(公けに禅を説く、なんと云うぞ、今の世人を多く集めたほうが勝ちっていう、つまらんこってす、人を説得は個人を於てなく、一隅を照らす者はこれ国宝と、伝教大師説くには、或いは笑うべし優等生の人集め、いえそりゃ別に公けだから悪いってことなし、結果は如何。)祖師の心印、仏心印です、六祖以前は証拠のお袈裟が伝わっていた、阿難時に迦葉尊者に問う、世尊金らんのお袈裟の他に箇の何をか伝うと、迦葉阿難と召す、阿難応諾す、迦葉云く、門前の刹竿を倒して来いと、阿難大悟す。このようにして印し来り伝わった仏心印、かたち鉄牛の機に似たりと云うんです、さあどうなんですか。(千万人動かそうにも動かず、他の何物ももしやこんなものないです、たとい金欄のお袈裟なら動くんでしょう、心機のものであっても、仏心印以外は動かぬということないんです。ごう訛、杜撰というか正当でないなまりです、口に出だせばごうがです、説得即ちこれ、せっかく曲げて他の為にする、どうすりゃあいい、お手並み拝見。三要仏法僧でいいです、印開してさらけ出すんです、はらわたさらけ出して、鋒鋩を犯さず、ごうがであれたといなんであれ、いながらにしてです。)去れば即ち印住し、(印下するならしてみよ、そんなものはいらぬという、あるいは印下を忘れ去る、とたんに印住するという、おれは印下底だからとやる。(正令のまさに行なわれる、というちらとも思えば錯。)住すれば即ち印破す、印下を受けたという後生大事、せっかくの印下をずたずたにする。(再犯許さず、印するというたった一度の大罪をまたも繰り返す、どあほうが、令行の時を看取せよ、印された時ですよ、拶するはまさにこれ、打つによし。)只去らず住せざるが如きんば、かすっともかすらないとは、安住の地無し、いてもたってもいられないんですか、しかも生まれる以前からこうあるんです。人間本来、かえって知る人なく、転ばぬ先の杖の印下だと、そりゃ笑える。(鈍置のところなき、どうすればいいかとか反芻する、そりゃ世間底の免許皆伝、ごうがそのものなんですが、そいつを正当というは即ち世間知、はーい多少ともそりゃあるよってわけです。)印するが是か印せざるが是か、ではどうすりゃいいってんです。(天下の人頭出頭没、印するあり印はいらぬというありですか、頭出頭没が問題になるを世間天下です。文彩もってするよりは、禅床を蹴倒して、大衆を喝散せんには。)盧陂という長老出て問ふ、おれには鉄牛の機あり、(おう一箇の生半可、いえさ暁の見えたやつを釣り上げたぞ、こうやって出て来たんはたいしたもんだ。)請ふ師、印を塔せざれ、これけっこう常套句になっているんですか、印するなって云うんです。(でもまあさそりゃ同じこったですよって。)穴云く、くじらを釣り上げて大海の澄むのに慣れて、かえって泥んこ蛙につまずくなかれ。(鶻は鷲鷹、わしが鳩を捉えるように、虚空に網を広げてすっぽり、神駒千里というには、ごうがですか、法宝というより世間人間のありようをもってするんです。)陂佇思す。(せっかく出身の処あったのに、無駄にしちゃいかん。)穴喝して云く、長老何ぞ進語せざる、印下がぶら下がってるぞと云わんが如く。(為に旗をひき鼓を奪う、戦争指揮の旗と太鼓をうばう、印下云々を奪い去って丸裸にするんです、もとまるはだかをもってする、印するはまるはだかこれ。炒閙来也、さわがしく身を揉むんならそいつをそのまんま来い。)穴打つこと一払子。(これすばらしいんですよ、山僧さんもさ感心するがほどに。)かえって話頭を記得すや、さっきおれが云ったことだ、試みに挙せよ看ん、云ってみろっていうんです。(別に云わなくたっていいんだぜ、げんこつ一つぬうっとでも。)陂口を開かんと擬す。(一死更に再活せず、死んだら大活すりゃいいってのに、もたもた退屈死ですか、やってりゃ他の毒手に会う。)穴また一払子、なんじゃいこりゃあってのへ、牧主、太守が云うんです、王法と仏法と一般、同じだと、(傍目八目ですか。)穴云く、ほう何か道理がありますか。(太守にも一拶、ほこさきを囘すんです。)断ずべきに当たって断ぜざれば、返ってその其の乱を招く。(わしも老師の印下いらないといってからに、その乱を招く、人は信用しない、すると自分もおかしくなる、印するが是か印しないが是かを、さらでだに往復ですか、お笑い。似たることは即ち似たり、是なることは未だ是ならず、王法と違うところは自知するんです、ついに鉄牛の機なんです、無いものは滅びない、瑕の付けようがないんです。世間哀れみ岡目八目と関係ないです。)穴即ち下座す。(一応用はすんだんです、まずは太守に預け、うっふっふ従いこの則、卒業するのにしばらくかかったですよ。)

頌・盧陂を擒得して鉄牛に跨がらしむ。(千人万人の中、也巧芸を呈せんことを要す。敗軍の将は再び斬らず。)三玄の戈甲未だ軽々しく酬ひず。(局に当たる者は迷ふ。災を受くることは、福を受くるが如く、降を受くることは、敵を受くるが如し。)楚王城畔朝宗の水。(什麼の朝宗の水とか説かん。浩浩として天地に充塞す。任ひ是れ四海なるも、也須らく倒流すべし。)喝下曾て卻って倒流せしむ。(是れ這の一喝、汝が舌頭を截卻するのみにあらず。咄。陝府の鉄牛を驚走し、嘉州の大象を嚇殺す。)

盧陂を鉄牛に跨がらせるための、一喝一払子ですか、せっかくこれを得たというのに、なんで乗りきらぬ、得てはいないのか、生半可手前推量か、そんなことない、もと始めからなにがなしあるわけはないんです、なにがなしあって、てめえはと手前に首突っ込んでいる、そやつを引っこ抜きゃおしまい、外へ出せみっともないよ。(千人万人の中おれがというんには、そりゃうまいことやらんきゃならん、あっはっは敗軍の将兵を語らずですか、いいや二度とは首ちょん斬らんていうんです、さあ云ってごらん。)三玄の戈甲とは臨済の宗旨を云うとあって、戈甲攻防戦ですか、臨済下に三玄三要有り、凡そ一句の中に須らく三玄を具すべし、一玄の中に須らく三要を具すべし。僧あり臨済に問ふ、如何なるか是れ第一句。済云く、三要印開して朱点窄し、未だ擬議を容れざるに主賓分る。喝するにはかーつとはらわたさらけだすんでしょう、不思善不思悪正与麼の時と、だからどうのなというゆとりもなく、はと思ったらもう主客転倒です、主人公これと直指人身。如何なるか是れ第二句、妙弁豈に無著の問を容れんや。嘔和截流の機を負はず。妙弁、弁舌さわやかですか、無著の問いは俗流にはないんです、本当とは完結しているんです、べったり貼り付かない、さあできますか。即ち応えるに当たって、おうわせつる、そうねえ切ったり貼ったり、殺し文句だ、うまくいったなどしないんです。如何なるか是れ第三句、但看よ棚頭に傀儡を弄することを。抽牽まったく裏頭の人に籍る。あやつり人形の棚です、錯をもって錯につくと云う、例のやつですか、引いたり押したり操るのは、まったく裏頭の人、なにさ頭のない人間にしとけ。はーいかくの如くに臨済の喝。無為の真人面門に現ずと。(局に当たる者は迷う、どうすべきかこうすべきかという、どうしても取捨選択です、災を受けることは福を受ける如くとは、なんていうか仏教弁証法ですか、降れば敵を受ける、負けちゃいかんと思う、まあさすったもんだ。)楚王城畔、郢州のことです、朝宗の水、晴れて公の場に公の問答ありですか。(まあさ勝手にしろってわけの、浩浩として天地に充満、というより長老一個逼塞、たとい四海の水も倒流せん、でなくばというんです。)風穴渇してもって倒流、めちゃんこにして大活現成を待つ、たとい払子に触れる、そうかといって登竜門です、(倒流ねえ、こっちの鉄牛を走らせ、あっちの大象をぶっ殺す、そりゃそうなんです、無事禅言い訳能書きの禅なぞ、もとっこないんです、今の人それを知らぬ。得るところなくして三百代言。)

第三十九則 雲門花薬欄

本則・挙す、僧、雲門に問ふ、如何なるか是れ清浄法身。(葢扱堆頭に丈六の金身を見る。斑斑駁駁、是れ什麼ぞ。)門云く、花薬欄。(問処真ならざれば、答へ来ること鹵莽なり。しゅくー祝土ー著かつー石に盖ー著。曲、直を蔵さず。)僧云く、便ち恁麼にし去る時如何。(渾崙に箇の棗を呑む。放かんー敢心おろかーして作麼。)門云く、金毛の獅子。(也褒也貶。両采一賽。錯を将って錯に就く。是れ什麼の心行ぞ。)

雲門、如何なるか是れ清浄法身と問ふのへ、花薬欄と応ずる、花薬欄、花を囲う垣、どういうことかわかりますか、わかったからってどうにもならぬという、だが無意味の答え、でたらめじゃないんです、清浄法身という、この僧何を求めるんですか、清浄とは何、形あれば塵芥。清浄という穢れ。(がいきゅうたいとう、土砂の堆積を丈六の金身、金色の仏像に見る、はんぱんばくばく、あっちこっちさまざまめったやたら、これなんぞ。はいまさにこれを呼んで清浄法身とする、どうですあなたもやってないですか。)門云く、花薬欄。花を囲う垣、おれはなんとしようぞ、この大事なものを、清浄法身たらんと四苦八苦、囲うんですかそりゃご苦労さん。(問い真ならざれば、人はみなそう云うがというんですか、答え鹵茫なり、いいかげん杜撰、人の云うまさに花を囲うが如く、しゅくちゃくかっちゃく、とっかかりひっかかりそのものです、曲直を蔵さずとはまあ大騒ぎ、どうです騒々しいことやっていませんか、淋しいんでしょう。)僧云く、恁麼にし去るとき如何。(渾崙に箇の棗を呑む、なんかうまいことがあるんですか、ほうかんして、愚かなっていうんです。囲い消えれば花も消え、だからってそういうの眺め暮らして、死体もいいところ、でもってどうなるという、そやつを蹴倒す。)門云く、金毛の獅子、あっはっは唐獅子牡丹ですか、跳躍。(一つ描いてまた一つ描く、毀誉褒貶何をもって為す、どっちか当たればいいって、ものなんにもなし。錯によって錯をなす、これなんのわざ。)

頌・花薬欄。(言猶ほ耳に在り。)蹣骭すること莫れ。(麻の如く粟に似たり。也些子有り。自領出去。)星は秤に在って盤に在らず。(太はだ葛藤。各自に衣単下に向かって返観せよ。道理を説くことを免れず。)便ち恁麼。(渾崙に箇の棗を呑む。)太だ端なし。(自領出去。灼然。錯って他の雲門を怪しむこと莫くんば好し。)金毛の獅子大家看よ。(一箇半箇を放出す。也是れ箇の狗子。雲門也是れ普州の人賊を送る。)

花薬欄、まんかんは愚かな貌だそうです、如何なるか是れ清浄法身、花薬欄、金毛の獅子であり、愚かな貌であり、大家でありする、さあどういうことですか。花薬欄、内にあるんですか外にあるんですか、大騒ぎですか、それともまったく収まるんですか。花薬欄、言猶ほ耳に在り、これやあ阿呆な面して突っ立ってるんじゃない。(麻の如く粟に似る、麻三斤もたとい自領出去、汝これ渠にあらず、渠まさにこれ汝、いささかばかりあるんですか、かすっともかすらない、卻って不可。あっはっは。)星は秤の棹にあって、皿にはついてないっていうんです、さあどうしたらいい、(はなはだ葛藤花薬欄。各自に衣掛けの下に向かって返観せよ、衣って若しや仏法のこと、清浄法身と手前味噌ですか、道理を説くことを免れず、いやはや。)すなはち恁麼、もとこのとおりある手つかずです。(渾崙に箇の棗を呑む、何か故事諺でもあるのかと、文字通りこんろんに箇の棗を呑む、手つかずのありようを視覚化して下さい。)はなはだ端なし、取り付く島もないんです、取り付くそのもの。(はあっと気がついて下さい、金輪際のたがを外す、雲門という特殊武器じゃないんです、雲をつかむような話でもないんです。)金毛の獅子躍り出でて、ものみなあるかのように思えて、苦労葛藤これ金毛ですか、だったら仏とはまさにこれ、仏教という、そうさな説得の相手です、過ぎればなし。(一箇半箇を放出す、なんとかしてやりたい、普州には賊多し、転ずるに賊を送る、いったいだれが。)

第四十則 南泉一株花

本則・挙す、陸亘大夫、南泉と語話する次、陸云く、肇法師道はく、天地と我と同根、万物と我と一体と。也甚だ奇怪なり。(鬼窟裏に活計を作す。画餅飢えに充つべからず。也是れ草裏に商量す。)南泉庭前の花を指さて、(什麼とか道はん。咄。経に経師有り、論に論師有り、山僧が事に干らず。咄。大丈夫当時一転語を下し得ば、唯南泉を截断するのみにあらず、亦乃ち天下の衲僧の為に気を出さん。)大夫を召して云く、時の人此の一株の花を見ること、夢の如くに相似たり。(鴛鴦を終し了って君が看るに従す。金針を把って人に度与すること莫れ。寐語すること莫れ。黄鶯を引き得て柳条を下らしむ。)

陸亘大夫、字は景山、蘇州の人、南泉門下の居士。肇法師は晋時代の高僧、羅什門下の四哲という、幼年より好んで老荘を読む。後に古維摩経を写すに因って悟処有り。老荘の意に云く、天地は形の大なり。我が形亦しかなり、同じく虚無の中に生ずと。ただこれ斉物を論ず。肇公の意は、性は皆自己に帰することを論ず。見ずや他の論中に云く、それ至人は空洞として象無し、而して万物は我が造に非ざる無し。万物を会して自己と為る者、それ唯だ聖人かと。神あり人あり、賢有り聖有り、各別なりと雖も、しかも皆同じく一性一体なり云々。石頭因に肇論を看る、万物を会して自己と為すという処に至って、豁然として大悟す。のちの参同契を作る。陸亘大夫即ち問う、天地と我と同根、万物と我と一体、また甚だ奇怪なりと。そうねえ今の人観念倒れ、こういう知識あってだからどうだと云ってそれっきり、奇怪なりとも云わぬ。仏法についても同じです、血肉ということを知らぬ、皮肉にもならんですか。人格以前です、ぜにもうけ一辺倒の若いのも、役人官吏の成り上がりもついに人に非ず、がきにもならんどうしようもなさ。まずもってこれをなんとかせにゃ、そりゃ仏教どころじゃないです、せっかく仏も仏という技能、流行りぜにかね、悟りという物流ですか。しかもそれにも気が付かない、恥曝し。こりゃどうにもこうにもです。天地と我と同根、そりゃそうだだからじゃない、確かめるとは忘れ去ること、万物と我と一体の生活です、画餅じゃ腹いっぱいにならぬ、甚だ奇怪なりをもって、他なしにぶっつけるよりないんです。(草裏に商量すという、比較検討して、是非善悪を云う、つまらないだけ、悟りとは一回的、通身もてする故に、悟り終わって悟りなし、忘れ去ってはじめて是れ、始めて修菩薩行です。)南泉庭前の花を指して、(何を云おうってんだ、経には経師あり、論には論師ありってのはむかしからです、0x式テストのあんちょこ、正解とは何、てめえもとっから正解、0もxもたといなんたってこれ。汝に三噸の棒を許すと。)大夫を召して云く、時の人此の一株の花を見ること、夢の如くに相似たり。はいこれもそういう知ったかぶりじゃないんですよ、如実に見ることが、どれほどのことか、天地雲泥どころじゃないことを知る、時の人、はいあなたは未だ生きた覚えなし、夢や現つの塵芥、月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな。死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき。(鴛鴦を終し了って、あっはっは仲良く手を携えてやってきて、見よという、はーいそいつ終わって、君が見るに任す、見よという、命がけの問題です、ただじゃあただになれん。金針、伝家の宝刀引っこ抜いて向こうへ行っちゃうわはは、寝言を云うな、地獄の鶯が鳴いているぜ、柳の風に面洗って来い。)

頌・聞見覚知一一に非ず。(森羅万象一法有ること無し。七花八裂。眼耳鼻舌身意。一時に是れ箇の無孔の鉄鎚。)山河は鏡中に在って観ず。(我が這裏、這箇の消息無し。長者は自ら長、短者は自ら短。青は是れ青、黄は是れ黄。汝什麼の処に向かってか観ん。)霜天月落ちて夜将に半らならんとす。(汝を引いて草に入り了れり。遍界曾て蔵さず。切に忌む鬼窟裏に向かって坐することを。)誰と共にか澄潭影を照らして寒き。(有り麼有り麼。若し同床に睡るにあらずんば、焉んぞ被底の穿たれるを知らん。愁人愁人に向かって説くこと莫れ。愁人に説向すれば人を愁殺す。)

聞見覚知一一に非ず、見聞覚知という世間一般他にはなし、わずかに奇跡と云い、天才を発揮して妄想を切り開くという、葦の髄から天井を覗く、自分という見るものあって、他という見られるものあってする、百年河清を待つ、どこまで行っても世の中面白うもない、したがいヒットラーだ戦争だ共産主義平和だって、くそかきべらのごったくさ。一一に非ず、わずかにこれを知る、もと掌するんです。(森羅万象のかくあるべしということないんです、森羅万象のそのまんまとは、まるっきり見えないのと同じですか、七花八裂ものみな歓喜、無眼耳鼻舌身意、玉露宙に浮かぶ、無孔の鉄鎚。)山河鏡中に在って観ず、形影相見るが如くの、宝鏡三昧、汝これ渠にあらず、渠まさにこれ汝、鏡というよけいものがないんです、自分という仮処分を免れる。(わが這裏、這箇の消息無し、はーい自分で確かめてください、汝いずれの処に向かってか観ん。)霜天月落ちて夜まさに半らならんとす。(汝を引いて草に入らんとす、霜天月落ちての風情ですかあっはっは、遍界曾て蔵さず、特別ということないんです、おれはだからということを止める、できますか、けっこう不可能に近いんですよ、転ばぬ先の杖不要、だからといって坐禅に凝る、こりゃ反対っこですよ。)誰とともにか澄潭、澄み切って底無しの水です、影を照らして寒き、まあさそんな風情です、一般の我欲妄想を離れる、夢がないんです、生死という味付けなし。(有り也有り也と問う、だれがだれに向かって、愁人という、まるっきりの一人ぼっちですか、だからって何をどうするわけもなし、愁いなきにしもあらず。切に見るただこれ。)


第四十一則 趙州大死底の人

本則・挙す、趙州投子に問ふ、大死底の人卻って活する時如何。(恁麼の事有り。賊は貧児の家を打せず。曾て客と作るに慣れて方に客を憐れむ。)投子云く、夜行を許さず。明に投じて須らく到るべし。(樓を看て樓を打す。是れ賊、賊を識る。若し同床に臥するにあらずんば、焉んぞ被底の穿たれるを知らん。)

投子大同、翠微学の嗣、青原下五世、趙州投子に問ふ、大死底の人卻って活する時如何、大死一番大活現成というでしょう、だからどうのの横滑りは駄目です、死んで蘇るは一回こっきり、死んでみなけりゃどうもこうもならんです、死ぬことは誰にでもできる、仏の法は平等です、学者坊主にはあるいは関係がないんです。死ぬとは死んだらそれっきりです、蘇るなんてない、到り得帰り来たって別事無し、柳は緑花は紅、水を掬すれば月掌に有り、花を拈ずれば香衣に満つ。どうですか自分という邪、架空のものが一切失せている、(恁麼の事有り、悟りという必ずこれがあるんです、でなかったら役に立たない、羅漢果を得る、忘我のことあって始めて修菩薩行です、でなかったら三百代言、実際を知らぬたわけです。賊という、杓子定規によらぬ、本来人自由無碍にはなれんです、刺を抜き氷を水に返す、他に仏教という手段があるわけではないんです、なすことこれ賊、貧からは貧を奪え、すかんぴん盗むものなし、主客転倒事、憐れむには愚かしく、うっふっふ間が抜けているんですか。口を開けばこれ、開かずとも別。)投子云く、夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし。夜行のできないのを悟りというんです、自閉症坊主どもの夢にも見ぬこと、まさにまる裸、隠れるに物陰なし、しかもかくの如くといえども、夜行を許さず、痛棒を食らってはいと、三拝九拝です、如来現ずといって、浮き世のことは夢のまた夢ですか、しかも身勝手無しを、どう戒めればいい、趙州投子の大問題ですか、たとい六十歳再行脚、我れより勝れる者は、たとい三歳の童子と雖も是れに師事し、我れより劣れる者は、たとい百歳の老翁と雖も、是に示さんという、明に投じて須らく到るべし、ただこれあり。(樓を看て樓を打す、なにほどか物を持ってりゃそいつを奪う、ちらともありゃ不要です、賊賊を知るんです、若し同床に臥するにあらずんば、焉んぞ被底の穿たれるを知らん、根本これ、それ以外に一切事なし。

頌・活中に眼有り還って死に同じ。(両つながら相知らず。翻来覆去。若し蘊籍にあらずんば、争でか這の漢の緇素を弁得せん。)薬忌何ぞ須ひん作家を鑑みることを。(若し験過せずんば、争でか端的を弁ぜん。遇著して試みに一鑑を与へよ。又且つ何ぞ妨げん。也問過せんことを要す。)古仏尚ほ言ふ曾て未だ到らずと。(頼に是れ伴有り。千聖も也伝へず。山僧も亦知らず。)知らず誰か塵沙を撒することを解す。(即今也少なからず。開眼も也著、合眼も也著。闍黎恁麼に挙す、什麼の処にか落在す。)

活中に眼ありかえって死に同じ、どこまで行ってもってことあります、いつだって自分というよこしまです、認める者あり、認められる者ありする、あるいはふしだら、あるいは放任、でなくばかたくなです、大死一番大活現成なら、そいつを毎日やって毎日役立たず、もとこのとおりあるという、こっちの預かり知らぬところ、直ちに歓喜ありという、坐るごには重石を外す、うわっはっはそいつはご苦労さん、でもなんせえ、住むに処なし、生きるも死ぬもなし、あーあ大欠伸もやっぱりなし、うっふ。(大活も大死も知らぬ、知る自分がないんですか、じゃなんにもならんといって日々新しく、翻来覆去、そりゃもうまさに他なし、禅者の生活とはこれ、蘊籍は、温雅蘊籍有りと、よくよくの善知識雪竇を持ち上げる、渠でなけりゃかすっともかすらないよ。)薬忌、食い合わせが悪い、毒となるもの、何ぞもちいん、賊というんでしょう、どうも頭なぜてありようにこれを説く、どだいそんなものないんです、食い合わせ悪いのを、どかんとぶっつける、作家用いるに、蛙の面に水。(験してみなけりゃわからん、大死底の人如何、これと示すにこれ大死底の人、ちらともありゃ木端微塵、わっはっはそいつは幸い。一鑑という、あいつはこうだと答えを出すんですか、そりゃ剣呑、問いは活か死か、蛸の八足、死んだやつが動く、適う者なし。)古仏なを云う未だ到らずと。これこれ、投子の姿、お釈迦さま達磨さん仏祖師みなもってかくの如しです、到り得る、滞る同じ、赤貧洗うが如くして、はじめて人間本来のありようです、だからと云って他の一神教の狂信未だしとは、まったく関係がないんです、すべての宗教は同じなどいう、あっはっは宗教を卒業して、はじめて地球のお仲間入り、宗教即ち人間という爪弾きもの、無宗教は雑念です、不法投棄の公害物質、いいですかよくよく省して下さい。(千聖も伝えず、山僧もまた知らず。)知らずだれか塵沙を撒することを解す、塵沙を撒す、目つぶしの砂を撒くんです、趙州の説得、狗子に仏性ありや、云く無。如何なるか是道、大道通長安、驢を度し馬を度す石橋、さあこいつが目つぶしになっちゃ、そりゃそれまでのこってす、命なんていくらあったって足らない、大死一番大活現成、塵沙の滅するなしですか、わっはっはさあどうぞ。(まあさ千聖不伝の所。)

第四十二則 ほうー广に龍ー居士好雪片片

本則・挙す。ほう居士、薬山を辞す。(這の老漢作怪也。)山十人の禅客に命じ、相送って門首に至らしむ。(也他を軽んぜず。是れ什麼の境界ぞ。也須らく是れ端倪を識る底の衲僧にして始めて得べし。)居士空中の雪を指して、云く、好雪片片別処に落ちず。(風無きに浪を起こす。指頭に眼有り。這の老漢言中に響き有り。)時の全禅客といふものあり、云く、什麼の処にか落在す。(中れり。相随来也。果然として鈎に上り来る。)士打つこと一掌。(著。果然として鈎賊破家。)全云く、居士也草草なることを得ざれ。(棺木裏に瞠眼す。)士云く、汝恁麼に禅客と称せば、閻老子未だ汝を放さざること在らん。(第二杓の悪水溌ぎ了る。何ぞ止だ閻老子のみならん、山僧が這裏も也放過せじ。)全云く、居士作麼生。(そー鹿が三つー心改めず。又是れ棒を喫せんことを要するか。這の僧頭より尾に到るまで頼を著ず。)士又打つこと一掌、(果然。雪上に霜を加ふ、棒を喫し了って款を呈せよ。)云く、眼見て盲の如く、口説いて唖の如し。(更に断和の句有り。又他の与に判語を読む。)雪竇別して云く、初問の処に但雪団を握って便ち打たん。(是は即ち是。賊過ぎて後弓を張る。也漏逗少なからず。然も是の如しと雖も、箭鋒相柱ふを見んと要す。争奈せん鬼窟裏に落在し了ることを。)

ほう居士、馬祖石頭の両処に参じて頌有り。初め石頭に見えて便ち問ふ、万法と侶為らざる、是れ什麼人ぞ。声未だ絶えざるに、石頭に口を掩卻せられて、箇の省処有り。頌を作って道はく、日用事別無し。唯吾自ら偶諧す。頭頭取捨に非ず。処処張乖没し。朱紫誰れか号を為す。青山点埃を絶す。神通并に妙用。水を運び及び柴を搬ぶと。後に馬祖に参じて、又問ふ、万法と侶為らざる、是れ什麼人ぞ。祖云く、汝が一口に西江水を吸尽せんを待って、即ち汝に向かって道はん。士豁然として大悟し、頌を作って云く、十方同聚会。箇箇学無為。此れは是れ選仏場。心空及第して帰ると。ほう居士薬山を辞す、薬山惟儼は青原下三世、(這の老漢作怪也、そこらじゅうはやらかして、薬山会下にもほしいままにする。なんじゃいって云うんです、あっはっは。)山十人の禅客とおいともに送って、山門に到る、(いや存分なんもんですか、これなんの境界ぞ、人騒がせじゃなく、あるものはちゃーんとあるんです、でなきゃどうもこうもないです。)居士空中の雪を指して、好雪片片別処に落ちず。これを知る、まさに本来人、悟り終わって悟りなしの、ただの人、生悟りも一般人も、雪降るのも見えず、どこへ降るかも知らず、生きている甲斐もない、死んでも死に切れず、ただこれ。(風無きに乱を起こす、試みに挙す、看よと、指頭に眼あり、言中に響きあり。むだっことってないんですよ、でなくばなんの参禅、みなまた忘れ去って無為の真人。)全という禅客あって、いずれの処に落在す、どこに落ちるんだと聞く、まるっきりわかってないんです、(あっはっは、やっぱり一匹ひっかかったわ。しょうもねえやつ。)居士打つこと一掌。こやつに落ちるに決まってるじゃないか、他にどこに落ちるんだ。(せっかく賊がはらばたさらけ出し、でしゃばり。)全云く、草草なることなかれ、そんな乱暴なっていうんです、うっふ、一般の人みなこれ、瀬戸内寂聴の本が売れるわけ、みんな仲良く平和に、笑う門には福来る、ぶんなぐっちゃあいかんよ君。棺桶の底で目を瞠るんですか。居士云く、そんなんで禅客と云うのか、閻魔さまに足ひっつかまってじたばた。(二杓めの悪水ですか、別にただほんとうのこと云ってるだけです、錯によって錯につくって、雪は片片別処に落ちず、てめえはどうあるべきの、地獄問答ついに絶えることなく、なんというてめえに首突っ込んで歩くお化け。)全云く、居士そもさん。どうなんですって、答えそのまんまのやつを。(そ鹿三つはさわがしい、なっちゃいないでたらめ=俗人常識をなをそのまんま、こんなの棒を喫する価値があるんか、徹頭徹尾なーんもならん。)また打って云く、眼見て盲の如く、口説いて唖の如し、(わっはっは夢にだも見ずですか、雪上に霜を加う、ちったあ利けばいいたって蛇足、款を呈しって罪状認否をまずしなけりゃ、仕方がない、判決下すわな。)雪竇別して云く、初問の処、どこへ落ちるという全の問いです、雪団を握って即ち打たん、(是は是、だけど間が抜けている、箭鋒あひささう、必ず当たればいいです、たいていまたではどうしたらいい、おれはいかにとおっぱじめるきりだ。)

頌・雪団打雪団打。(争奈せん第二機に落在することを。拈出するに労せず。頭上漫漫脚下漫漫。)ほう老の機関没可把。(往往に人の知らざる有り。只恐らくは不恁麼ならんことを。)天上人間自知せず。(是れ什麼の消息ぞ。雪竇還って知る麼。)眼裏耳裏絶瀟灑。(箭鋒相柱ふ。眼見て盲の如く、口説いて唖の如し。)瀟灑絶。(作麼生。什麼の処に向かってかほう老と雪竇と見ん。)碧眼の胡僧も弁別し難し。(達磨出で来るとも汝に向かって什麼とか道はん。打して云く、闍黎什麼と道ふぞ。一坑に埋卻せん。)

雪竇の意に云く、当時若し雪団を握って打たん時、居士たとひ如何なる機関有るも、亦構得し難からん。居士にしてやられてはなーんて思うのは、そりゃわしばかりじゃあるまいが、他の禅客を打つには間が抜けたと思ったら、こりゃほう居士を打つ、あっはっは間違えた。(いかんせん第二機に落在する、これもと手付かずの真相、そりゃ手付けたら第二機です、雪に能書きいらん、正しくかくの如く降る、これあって他なし、拈出する花一輪、なにをまた余計事を、頭上漫漫脚下漫漫、やっぱり間が抜けた。)ほう老の機関没可把、まったく捉えようがない、そりゃそうです、心を捉えようがない、ゆえに無心です、心がないと読む。(これを仏と云い、禅機横溢という、そりゃひいきの引き倒しにもならん、お釈迦さんを冒涜するものです、ただこうある、あるいは自知する能わず。)天上人間自知せず、ただもうまったくこの中にあるんです、無自覚の覚にして、かつがつ届く、はい雪月花ものみなです。(それゆえに云う、是れなんの消息ぞ、雪竇かえって知るや。)眼裏耳裏絶瀟灑、わずかに無眼耳鼻舌身意なんです、想像を絶するんです、もとのありようただこれ、早く父母未生前を得て下さい、わずかに雪の降るを知る。ものまねでない生活、空前絶後事。(あっはっはものみなぴったりは、盲の如くつんぼの如しだとさ。)瀟灑絶、そりゃ当たり前だ、瀟灑だのいう醜悪、そうねえもう一つ醜悪を云えば、雪舟の絵を見るにいいです、たしかにこれがありよう、見事に写しています。個性なんて関係ないんだったらばさ、どあほ。(いずれの処に向かってか、ほう老と雪竇を見ん。)碧眼の胡僧も弁別し難し、もと一物もないんです、歴史始まって以来って、別に歴史なんていう、胡散くさいものにはよらん、空劫以前からこのとおりです、わずかに主客転倒事、さあ云え云え、(馬鹿に付ける薬なし、ものまねでない一句。闍黎なんと云うぞ、一劫に埋卻せん。)

第四十三則 洞山無寒暑

本則・挙す、僧洞山に問ふ、寒暑到来、如何が回避せん。(是れ這箇の時節にあらず。劈頭劈面。什麼の処にか在る。)山云く、何ぞ無寒暑の処に向かって去らざる。(天下の人尋ぬるに得ず。身を蔵して影を露す。蕭何売却す仮銀城。)僧云く、如何なるか是れ無寒暑の処。(一般の人を兼殺す。他に随って転ず。也一釣に便ち上る。)山云く、寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す。(真偽を掩はず、曲直を蔵さず。崖に臨んで虎児を看る。特地一場の愁。大海を掀翻し、須弥を剔倒す。且らく道へ洞山什麼の処にか在る。)

洞山良价は曹洞宗の祖、黄龍の新和尚云く、安禅は必ずしも山水を用いず、心頭滅卻すれば火も自ら涼しと。これは信長に焼き討ちされた快川和尚、言葉の辺ではなく、まさに実際です。仏教の事は、絵に描いた餅ではなんにもならんです、三百代言、葬式商売のお布施坊主じゃ、ただもう醜悪なだけです、仏教をせいぜいがてめえの弁護に当てる、じゃどうしようもないです、まずもってそれを去って下さい。僧問ふ、寒暑到来如何が回避せん。(是れ這箇の時節にあらず、三百代言やってるんです、そうなったらどうしたらいいっていう、わっはっはどあほ。人はたいていこんなふうです、劈頭劈面まっすぐまっしんに中るんです、すると什麼の処にかあると、顧みる自分がない、そんなゆとりがないんです、もう半分救われています、脳内アドレナリンの問題じゃないんですよ。)山云く、なんぞ無寒暑の処に向かって去らざる、逃げるんじゃないんです、逃げれば追っかける、追えば逃げる、ものみなこれ。(天下の人尋ぬるに得ず、どういうものかこの道理が分からない、一年休職して仕事に出る、恐怖だという、どうしたらいいというから、逃げるな面と向かって行け、と示したら、そのように坐って満面笑う。身を蔵して影を露はす、理屈でもってかくあるべきじゃしょうがない、蕭何蛮国を伐たんと謀り、我に銀城ある之を売却せんと、蛮人見んとして、都に入る、一々之を捕らふと。まあさ面倒なこといらん、そっくり捕らえりゃいいんです、そっくりすりゃもとないんです。)僧云く、如何なるか是れ無寒暑の処。(そんじゃなんかそういういいところがあるんかって、はいありますよ、うふふ。)山云く、寒時は闍黎(出家のおまえさん)を寒殺し、熱時には闍黎を熱殺す、寒いきりになると、寒いを観察する、推し量る自分が消えるという、単純な理屈です、なにいよいよ耐えられないってんなら、死にゃいいです、まあそれっこっきり、快川和尚弟子とともにまさに焼け死んだ、百人が百人救われてあったんです、わっはっはどっちみち逃げ場なし。(真偽を掩わず、曲直を蔵さず、言い訳だから云々じゃない、あるものあるっきるです、崖に臨んで虎児を看る、仏を見ることあるんです、大海を掀翻し、須弥を剔倒す、如来が現ずるんですよ、ビッグバンの三つ四つポケットの中ってね、生死また互いに移る。)

頌・垂手還って万仞崖に同じ。(是れ作家みあらずんば誰か能く弁得せん。何れの処か円融せざらん。王勅既に行れて諸候道を避く。)正偏何ぞ必ずしも安排に在らん。(若し是れ按排せば、何れの処にか今日有らん。作麼生か両頭に渉らざる。風行けば草偃べふし、水到れば渠成る。)瑠璃古殿明月を照らす。(円陀陀地。切に忌む影を認むることを。且く当頭なること莫れ。)忍俊たる韓ろーけものへんに盧ー空しく階に上る。(是れ這囘のみにあらず。蹉過了也。塊を遂うて什麼にか作ん。打して云く、汝這の僧と同参。)

洞山大師の五位かくの如く、正中偏、三更初夜月明の前。怪むこと莫れ相逢ふて相識らざることを。隠隠として猶旧日の嫌を懐く。偏中正、失暁老婆古鏡に逢ふ。分明覿面に真無し。更に頭に迷って還って影を認むることを休めよ。正中来、無中路有り塵芥を出ず。但能く当今の諱に触れず。也前朝断舌の才に勝れり。兼中至、両刃鋒を交へて避くることを須ひず。好手還って火裏の蓮に同じ。宛然として自ずから衝天の気有り。兼中到。有無に落ちず誰か敢えて和せん。人々尽く常流を出でんと欲す。折合して還って炭裏に坐す。あっはっはまずはこれ確かめてみて下さい、一つ通ずれば他自ずからに開けと、どうもこうも面倒くさと云う人、仏を得るのに六十二段あるという人、たしかに未だ到らず、いったいぜんたい何と問う、這の向上の境界に到って、まさに能く此くの如くの按排を消ひずと。他を接する為の動機、まずもっておのれを顧みて下さい。垂手、入てんー字を忘れたです、市井というほどの意味ー垂手という、ついには手を垂れて市井に入る、これ双六の上がりですか、あっはっは始めから入てん垂手の他なく、鬼窟裏に活計を成す、どうでもこれを得ようという、仏に成る他に人生の目的なしと知って、勤しむんです。すると一人抜きんでる、でもまったくその方向じゃなかったんです。三更初夜月明の前、怪しむことなかれ相逢ふて相識らざることを、いんいんとして旧日の嫌を懐く。水の中にあって渇を求める、たといどのような疑問でもいいです、どうしたらいいということあって一心に求める、求めるものこれ。ついに求め得て、入てん垂手がかえって万仞崖に同じ、実にこれ感想です、(そうしてちゃんとやってくんですよ、微塵も齟齬なし、でもおのれを知れるものまったくなし、円融という、悟った人は云々という、誤解の中というより、他は殺伐無神経です。しかも象王行くところ狐狸の類影をひそめ。飯田とう陰老師、酒を飲みながら一人これこれとやっていると、あのお宅の気違いさんまた来てまっせと、酒屋から電話が入った、あっはっはわしは俗人俗物そんなこたあないです、でも万仞崖。)正偏何ぞ必ずしも按排にあらん、いつだってほかは見えんのです、脱してのち始めて省みる、しかも未だしってことあります。いつだって100いや200%。(風吹けば草のべふし、水到れば路成る、実にこれ以外ないんです、なにをさ元の木阿弥の道。)瑠璃古殿明月を照らす、あるんですよ箇のありようです、境界なしといえども、人あり、人なしといえども、ちゃーんとあるんです、仏はたった一種。(影を認めることなかれ、わっはっはあるという、そんなこと云ったらいかんですか、殺伐を免れる、歩歩清風起こる。)忍俊たる韓ろ、韓氏の犬は俊狗なり、中山の兎は狡兎なり、そのろにしてまさにその兎を尋ねると、戦国策にあり、俊敏なる犬が階を駆け登って明月を見る、仏を求める、一を聞けば十を知る、目から鼻へ抜ける以上の俊敏です、でなかったら洞山五位も形無し、さあてさ、でもって駆け登ってついに明月を得ずですか、そるあつまらん、空しいったって、つまらんものこれ、空しいものっきりなく。(打して云く、汝とこの僧と同参。)

第四十四則 禾山解打鼓

本則・挙す、禾山垂語して云く、習学之を聞と謂ひ、絶学之を鄰と謂ふ。(天下の衲僧跳不出。無孔の鉄鎚。一箇の鉄楔子。)此の二を過ぐる者、是を真過と為す。(頂門上に一隻眼を具して何か作ん。)僧出て問ふ、如何なるか是れ真過。(什麼と道ふぞ。一筆に勾下す。一箇の鉄楔子有り。)山云く、解打鼓。(鉄楔、鉄しつり。確確。)又問ふ、如何なるか是れ真諦。(什麼と道ふぞ。両重の公案。又一箇の鉄楔子有り。)山云く、解打鼓。(鉄けつ。鉄しつり。確確。)又問ふ、即心即仏は即ち問はず、如何なるか是れ非心非仏。(什麼と道ふぞ。這箇のきゅうー土に丘ーきゅうー土に及ー堆。三段同じからず、又一箇の鉄楔子有り。)山云く、解打鼓。(鉄楔、鉄しつり。確確。)又問ふ、向上の人来る時、如何が接せん。(什麼と道ふぞ。他の第四杓の悪水に遭ひ来れり。又一箇の鉄楔子有り。)山云く、解打鼓。(鉄楔、鉄しつり。確確。且らく道へ什麼の処にか落在す。朝に西天に到り、暮に東土に帰る。)

禾山無殷、九峰虔の嗣、青原下七世。習学という、仏はかくあるべし、仏法はかくの如くと習う、これ示す方はないと云うんです、もとなんにもないと奪う、捨てよという。それが習う方は、あると聞き、なにものかになろう、得ようとする。なぜかどうしてもそうなるふうです。「あるあるというから、一生懸命やって来たのに、なーんだなんにもなかったんじゃないか。」あるとき老師にそう云って笑われた。仏教という、とことんこうあるべきと知る、なんだこりゃというんです。絶学之を隣と云う、なんにも得はしなかった、得るものなどないと知る時に、となりです、ようやく近い、入り口に立ったというんです。以無所得故、菩提薩たボーディサットバ、修菩薩行です。仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘れるなり、こう知ってこれを忘れるまでのこと、自分を忘れるんです。(天下の衲僧跳不出、取り付く島もないんです、無孔の鉄鎚、ぜんたいもって向かうよりない、そやつを木端微塵。いやさ鉄のくさび、けつは木に厥です、忍者の道具みたいな、なんてえこったこりゃ、ぐさっと突き刺さるきり、他なし、命ないんですかこりゃ。)此の二を過ぎる者、これを真過。忘れ去ってただの人になるんです、だったら始めから同じって、若しやまったく始めから同じ。(だから頂門上に一隻眼を具して何かせん、印下底だっていうんでしょう、なにか役に立ちますか。あるいは邪魔になるっきり、さあどうです。)僧出て問ふ、如何なるか是れ真過。(なんと云うぞ、一筆に勾下、一筆に削る、習学絶学なんもかもをこの一問です、わっはっは削った分鉄楔子ですか。)山云く、解打鼓。太鼓の打ち方を解している、作務太鼓とか茶鼓一通とか、行を起こすときに太鼓を打つ、とやこう解釈したってだめですよ、それという、これというのと同じか否か、世界察し来るに粟米粒の如し、面前に放過す、鼓を打って普請して見よという、漆通不会という。せいぜいが省みる自分というものなしを知る。(忍者の道具さらいますか、確かめるによしって、あほか。)如何なるか是れ真諦。解打鼓。即心即仏は問わず、如何なるか非心非仏。解打鼓。向上の人来る時、如何が接せん。解打鼓。なーるほど鉄楔、鉄しつり、ごろんと転がってもって、他を解き放つことができるのか。悪水莫頭に注ぐ、王水みたいに溶かし去って、へんてこなかす作ったってしょうがない。あるあるという、朝に西天に到り、暮れに東土に帰る、おおきにご苦労さん。

頌・一曳石。(寰中は天子の勅。癩児伴を牽く。向上の人恁麼に来る。)二般土。(塞外は将軍の令。両箇一状に両過す。同病相憐れむ。)機を発することは須らく是れ千鈞の弩なるべし。(若し是れ千鈞ならば透ることを得ず。軽く酬ゆ可かえあず。豈に死蝦蟆の為にせんや。)象骨老師曾て毬をこんー車に昆ーず。(也人有って曾て恁麼にし来る。箇の無孔の鉄鎚有り。阿誰か知らざる。)争か禾山の解打鼓に似かん。(鉄けつ子。須らく這の老漢に還して始めて得べし。一子親しく得たり。)君に報じて知らしむ。(雪竇も也未だ夢にだも見ざること在り。雪上に霜を加ふ。汝還って知る麼。)莽鹵なること莫れ。(也些子有り。ろうろうとうとうーにんべんに龍と同と。)甘き者は甘く兮苦き者は苦し。(答話を謝す。錯って注脚を下す。好し三十棒を与ふるに。棒を喫し得る也未だしや。便ち打つ。旧きに依って黒漫漫。)

一に石を曳き二に土を般ぶ、新到のまずとるべき道という、石は且らく汝が曳くに任す、即ち中心の樹子を動著することを得ざれと。木平頌あり、東山は道窄く西山は低し。新到三転の泥を辭すること莫れ。蹉す汝が途に在って日を経ること久しきことを。明明たれども暁らず卻って迷と成る。僧あり問ふて云く、三転の内は即ち問はず、三転の外の事作麼生。平云く、鉄輪の天子寰中の勅。僧無語。平便ち打す。一曳石、(寰中は幾内天子の勅令が透る、苦労して重いものを運べというんですか、全力を上げよというんですか、天子の勅です、他まったくなし、だからこうすべきだっていうんじゃない、ただやる、まるっきりそれなり。)二般土。(塞外は将軍の令です、そりゃ同じこってす、仏そのものと外道とあるという、いえそんなことないです、なにやったってただこれ、土を担う多種じゃないんです、同じ死の病、憐れむべき自閉症じゃない。)機を発することは千鈞の弩、いしゅみ弓です、一発で死ぬ、二度三度射っては外れっぱなし、(若し千鈞ならば透ることを得ず、かったるいきりだっていうんです、死がまを射貫くんじゃない、軽く触れりゃ走る、良馬です、鞭影もいたずらにせず。)象骨老師、雪峰に象骨山あり、即ち雪峰一日玄沙の来るを見て、三箇の木毬、木のまりですか、をこんず、急に転がすさま、いっせいに転がした。玄沙即ち折牌、禅床にかけてある牌ですか、そやつをへし折る勢いをなす。雪峰深く之を肯う。しかも総てこれ全機大用の処なりと雖も、禾山の解打鼓にはしかずと。(だれにだって無孔の鉄鎚あり、あたかこれを知らざる、全機大用です、これなくんば禅にあらず、ただこれ。)いかでか禾山の解打鼓にしかず、君に報じて知らしむ、莽鹵なること莫れ。(這の老漢にして始めて得べしというんです、雪竇もまた夢にも見ざることあり、雪上に霜を加う、百尺竿頭一歩を進めて下さい、解打鼓と、あるいは一子親しく得たり、さあおまえさんはどうだ。)莽鹵おろかなでたらめです、微塵もそんなものはないんです、甘き者は甘く苦き者は苦いし、当たり前じゃあないかっていう、あるいは仏教を知るとはこれ、因果歴然を知ること、ひとりよがり我田引水の分がないんです、他の宗教とは比べものにならんです。(答話を謝す、錯って注脚をくだすと、はーい三十棒、さて痛棒を喫しうるや未だしや、糠に釘ですか、是か非か、すなわち打つ、旧によって真っ暗けうっふ。ちらともありゃ落第ですか。)

第四十五則 趙州万法帰一

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、万法一に帰す、一何れの処にか帰す。(這の老漢を拶著す。堆山積学。切に忌む鬼窟裏に向かって活計を作すことを。)州云く、我青州に在って、一領の布衫を作る。重きこと七斤。(果然として七縦八横。漫天の網を曳卻す。還って趙州を見る麼。衲僧の鼻孔曾て拈得す。還って趙州の落処を知る麼。若し這裏に見得せば便乃ち天上天下唯我独尊。水到れば渠成り、風行けば草偃す。もし或いは未だ然らずんば、老僧汝が脚跟下に在らん。)

万法一に帰す、一何れの処にか帰す、観念倒れではない、まさにもってこう成り終わって、いったいおのれはと問う、でなくばせっかく趙州の答えも、意味なさんです。なんだこりゃってことになる、我青州にあって一領の布衫を作る、重きこと七斤、まさにこうしているという、まったくの答えなんです、(這の老漢を拶著す、聞いてみるという、どうだお前も解かっているのかという、答えがあって問う、おおかたの人これで、もしくはなんの問いにもならん、話頭を転ずるだけのこと、ほんとうに聞くとは、ほんとうに知らない、わからないんです、すると自ずから答えです、百尺竿頭に一歩を進める、わからんのを忘れる、ものみな現前です。青州にあって布衫、つつそでみたいなもんですか、作っていて重さ七斤。どうですか堆山積学の吹っ飛ぶ処、ただのありよう、他に仏法はない、異物なく自分というよこしまなしにある、能書きしてもしょうがないか、趙州の答えに付け足し不要です。それをまたひっくりかえし、仏という悟りというはと、鬼窟裏の活計しない、一切手つかず、ものみなです。)如何なるか是れ祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子。僧云く、和尚境をもって人に示すこと莫れ。州云く、老僧曾て境をもって人に示さず。ここのところが一般人にはわからない、能書きイメージングの世界しかないんです、何をどう説いても何か他にあると思っている、満足しないからです、捨て去ることこれ、他なしを知らないんです。(果然として七縦八横、ただの現実がもうめっちゃくちゃに見える、はあっと気がつきゃいい、趙州なく万法なく、すなわち趙州万法といっているおのれ、そいつが失せるんです、天上天下唯我独尊。うをうっとまったくこうあるんです、夢にだも見ないんですか、そこそこ見性した、問答つうかあなんてやってる人、不自由。水到ればみぞなり、風吹けば草のべふす、水を掬すれば月掌に有り、花を手折れば香衣に満つと、ほんとうにただの人に成り切る時節、はーいまったくただの生活が始まります、たった今死んでもいいんですが、なんという死ぬほどの喜び、想像を絶する美しさ。趙州を去って下さいって蛇足。)

頌・編辟曾て挨す老古錐。(何ぞ必ずしも這の老漢を拶著せん。挨拶して什麼の処に向かってか去る。)七斤衫重し幾人か知る。(再来半文銭に直らず。直に得たり口扁担に似たることを。又卻って他に一籌をかち得らる。)如今抛擲す西湖の裏。(雪竇の手脚に還して始めて得ん。山僧も也要せず。)下載の清風誰にか付与せん。(自古自今。且らく道へ、雪竇他と酬唱するか。他の与に注脚を下すか。一子親しみ得たり。)

十八問のうち此を編辟問という、十八問という仏教辞典でも引けばくわしく出ているんでしょう、碧巌の評唱にも何種か出て来ましたが、なんせ上の空で忘れた。編辟という、布衫にひっかけて用いる、万法一に帰すとやっておいて、一何の処にか帰すと問う、編み辟よる、まあそんなふうに見て下さい。なんのとやこうじゃないんです、どかんとおのれのありようもって示す。曾て挨す、一たびまさにこうです、青州に在って一領の布衫を作る、重きこと七斤。老古錐は二、三十年参じ来たる、趙州まさに何十年、こりゃ一寸坐せば一寸の仏、一寸でも多く坐した者に軍配が上がるんです、いえ坐り方知らんけりゃ、なんぼ坐っても無駄骨、まずもって坐を我がものにして下さい、我を失い去れば手に入ります。(何ぞ必ずしも、別にそりゃ趙州でなくってもいいんです、自らという自閉症でなければ、木片石かけでいい、拶著するという、いったんは虎穴に入って虎児を得るんですか、そのあとどうなります、水の中にあって水を求める、虚空また重し。)七斤衫重し幾人か知る、さあ誰が為の衣ですか、狗子に仏性ありやまたなしや、云く無。如何なるか仏法の真髄、汝が云うは真髄ではなく皮袋であろうが。これ真ですか、衣ですか、知る人極めて希なり、南無観世音菩薩。(次に庭前の柏樹子と云ったって、半文にもならずは、世の坊主どもの問答、反吐吐きたくなるようなんしかいない。一発どーんと来るんです、口への字に結ぶきりです。これをしも一籌わっはっはそやつはご苦労さん。)いま抛擲す西湖の裏、問答ごと抛うっちゃうんです、すると始めて役に立ちます、哲学だ宗教だ最高の悟りだという、虫ピン刺して標本箱やっている、そんな馬鹿な。真人間に返るこったな。早くさ。(忘れるとは捨てること、自分というこの立脚のすべなし、でもって始めてなにかしら、すなわちあるとき有りあるとき無し。)下載の清風誰にか付与せん、趙州を継いで下さい、それっきゃ方法はないです、我青州にあって、一領の布衫を作る、重きこと七斤。趙州いずこにありや、七斤衫重しだけが残るんです、いいえさ残るとは何。下載あり上載ありですか。(しばらく道へ、雪竇他と酬唱するか、おやまあ孤独人、愁いありですか、うっふっふまあさ。)

第四十六則 鏡清雨滴声

本則・挙す、鏡清僧に問ふ、門外是れ什麼の声ぞ。(等閑に一釣を垂る。聾を患へずんば問うて什麼かせん。)僧云く、雨滴声。(妨げず実頭なることを。也好箇の消息。)清云く、衆生顛倒して己に迷ふて物を逐ふ。(事生ぜり。其の便を得るに慣ふ。鐃鈎塔索。他の本分の手脚に還す。)僧云く、和尚作麼生。(果然として敗缺を納る。槍を転じ来れり。妨げず当り難きことを。卻って槍頭を把って倒しまに人を刺す。)清云く、ほとんど己に迷はず。(咄。直きに得たり分疎不下なることを。)僧云く、ほとんど己に迷はずと、意旨如何。(這の老漢人を逼殺す。前箭は猶ほ軽く後箭は深し。)清云く、出身は猶ほ易かるべし。脱体に道ふことは応に難かるべし。(養子の縁。然も是の如しと雖も、徳山、臨済什麼の処に向かってか去る。喚んで雨滴声と作さずんば、喚んで什麼の声とか作ん。直に得たり分疎不下なることを。)

鏡清道付心、雪峰の嗣。鏡清僧に問ふ、門外是れ什麼の声ぞ。僧云く、雨滴声。清云く、衆生顛倒して己に迷ふて物を逐ふ。又問ふ、門外什麼の声ぞ。僧云く、鳩の声。清云く、無間の業を招かざることを得んと欲せば、如来の正法輪を謗ずる莫れ。又問ふ、門外什麼の声ぞ。僧云く、蛇蟇を咬む音。清云く、まさに謂へり衆生苦と。更に苦衆生有りと。雨滴声の公案、徳山臨済みまたいずれの処に向かってか去ると、雨滴声となさずんば、喚んで何とかなすと。かつて兄弟子、雨滴声に参じていたら、とつぜん聞こえなくなった、さあどうだと云う、わしは妄想裏に反応して、そりゃそういうこともあるさと云った。兄弟子取り合わず。妄想の人、かえってなんでもわかるという、キリスト教の牧師のように、見るもおぞましい、すべてなんでもわかるよいう、神を信ずるが故にですか、解かるという不都合。解からぬもっとも親切、これが単純の理を知らぬ、花は知らぬという、人間だけが知っている、知っているだけ嘘です、醜悪です。神を作し天上界という、いらぬお節介に地球が滅びます、汚れた手。すなわち信ずる者は救われるといって、すべては自分の思い込みを写す、知っていることしかわからない。はい、まずもって雨滴声に参じて下さい、心という有心という閉ざされたものを開いて下さい。(なおざりに一釣を垂る、食らいつく魚がはたしているか、てめえの知ったかぶりをもって答える、愚かな、つんぼ桟敷の真っ暗闇です、それが哀れを知るが故に。)僧云く、雨滴声。(妨げず実頭なることを、はい他にはないんです、知るも知らぬもないこれ。)清云く、衆生顛倒しておのれに迷うて物を逐う、はいまさにこれ他にはないんです、見る聞く思う行なうみな、迷い出してどうにもこうにもならんです、無苦集滅道と、まずもってほどき終わって下さい、泳ぎ出してどこへ行く、ほどけば仏、宗教を卒業して下さい、うるさったく騒がしく、かき汚すきりです。まずもっておのれという間違い、顛倒妄想を免れんことにゃ、なんにもならぬ、歩みを進むれば近遠にあらず、迷うて山河の箇を隔つ。さあこれ。(事生ぜり、あっはっは平地に乱を起こすんです、仏教というこの便に習う、他そりゃなしです、にょうこうたっさく、かぎやりとしばり縄。どうにもこうにもくんずれほんずれです、ついにこれを脱する、他の本分の手脚にかえす、うん仏教これってなもんです、虚空に消える。)僧云く、和尚作麼生。(完全負けを受け入れて始めて問いになるんです、てめえの答えを相手に云わせる、これひとりよがりの、自閉症、一神教の愚、思考停止です、学校の先生の鼻持ちならぬ。この僧通見槍になって転じ来る、さかしまにとって人を刺す、はじめてまっとうです、人間以外まさにこの生活あり。)清云うく、ほとんどおのれに迷わずと。これです、観念の人には届かぬです、ほとんどおのれに迷わず、(咄、じきに得たり分疎不下、なんとも云ってみようにない、手付かず、即ち実際です。ようやく人間の顔してます、なんでも説明がつく三百代言ではない、すっきりとは天上界の椅子じゃないんです。)ほとんどおのれに迷わず、意旨如何。(前箭は軽く後箭は深し。どういうことだ、こうあって他にはないはずの、)出身はなを易かるべし、悟という忘我体験ですか、我と有情と同時成仏、まさにこれを得る、こっちのほうがたやすい、脱体に道ふことは難かるべし、如来現じ来るに、就中とやこうあり、他にはまったくないんです、神が自分にとって変わるという、線型絵に描いた餅とは違うんです、いろんな宗教をごっちゃにする人いますが、仏教の他に真はないです、あとは色分けの世界、分別の延長です、そうじゃない標準はこれ。物差しのまったくない=おのれ。(養子の縁、臨済徳山と雨滴声つながりですか、あっはっははーいはい、まあいいようにやって下さい、まったく知らない明日。)

頌・虚堂雨滴声。(従来間断無し。大家這裏に在り。)作者酬対し難し。(果然として知らず、山僧従来是れ作者にあらず。権有り実有り、放有り収有り、殺活擒縱。)若し曾て流れを入すと謂はば、(頭を刺して膠盆に入る。喚んで雨滴声と作さずんば、喚んで什麼の声とか作さん。)依前として還って不会。(山僧幾くか曾て汝に問ひ来る。這の漆桶我に無孔の鉄鎚を還し来れ。)会不会。(両頭坐断す。両処分れず。這の両辺に在らず。)南山北山転たほうー雨にさんずいと方ー霈。(頭上脚下。若し喚んで雨声と作さば即ち瞎。喚んで雨声と作さずんば、喚んで什麼の声とか作さん。這裏に到って須らく是れ脚実地を踏んで始めて得べし。)

虚堂雨滴声、自分というなーんにもないんです、雨滴声だけがある、雨音が聞こえるのか、聞こえないのか、聞いているものがない、向こう合わせです、釣られっぱなしですかあっはっは。(従来間断なし、大家というそれっこっきりです、宇宙無限大ですか、いえそういう枠を食み出すんです。)作者酬対し難し、作者という、人のふんどしで相撲を取る、見たふう聞いたふうではない、だれが何を云っただからではない、キリストさま使徒の業績じゃない、ただこうある、どっちかというと赤ん坊ですか、でもって作家かというと、良寛さんなんか平然人の歌を真似る。酬対し難し、あるとき雨滴声消え、あるとき万雷の如くし、あるとき邪魔にはならず、あるとき快く、すなわちものみなよって起こる。(権あり実あり、大法これという、いえ因果必然これ、実際なり、放てば満てる、すなわち収める、坐ってみて下さい、たいていそうやってます、妄想めったらとかうっふっふ、雨滴声必ずしも権ならず放ならず、定の出入りまた他なし。)若しかつて流れをかえすと云はば、もとこうあるんです、とやこうの埒外です、仏としてこうあるべきを返上する、おのれは如何を休む、すると雨滴声ですか、永劫以前にこれありですか、まったくないんですか。(頭を刺して膠盆に入る、むさくるしいたとえですってさ。脳味噌刺してにかわ盆、そりゃ喚んで雨滴声となさば、なさずんばとやってりゃ、どうにもこうにも。)依前としてかえって不会。(標準なしを知る、楽になるんです、どこへどう転んで行こうがこれ、這の漆桶、らちあかん真っ黒けです、なんとかしようというからにまっくろけ、えいもうどうにでもなれと突っ放すと、はあーっとなんにもなくなる。)会不会。(好い悪い、こうすべきだやっているそれ、対峙を双眠する、すなわち坐の醍醐味です、あってもなくっても。)南山北山うたたほう霈。こらまあ蛇足。ほうはいとして雨の降るさま、だれの所有ですか、だれの無責任ですか、それともついに得るんですか、不用なんですか、総じて不可、いつだって雨は降るんです。(頭上脚下、人みなおのれもって無自覚の覚。)

第四十七則 雲門六不収

本則・挙す、僧、雲門に問ふ、如何なるか是れ法身。(多少の人疑著す。千聖も跳不出。漏逗少なからず。)門云く、六不収。(斬釘截鉄。八角の磨盤空に走る。霊亀尾を引く。朕兆未分の時薦得するも、已に是れ第二頭。朕兆已に生じて後薦得せば、又第三首に落つ。若し更に言語上に向かって弁得せば、且喜すらくは没交渉。)

如何なるか是れ法身、法身として別にあるわけではない、(多少の人疑著すと、多く過ってこれなんぞと、法身というからには特別にある、特別とはこうあるべき、こうあらねばならぬという、理想観念ですか、実際を無視する、従い千差万別、どこまで行ったってきりがない、人の生活はこれが右往左往です、まあさこのぐらいでと、強いて落着、一朝事あると木端微塵です。うっふっふするとようやく仏門、おのれをどうしようかという問題になる、なに木端微塵そのもの。ゆえにこれを求めるのに、仏を習う、仏道如何と問う人、かえって百年河清を待つ、どうにも切羽詰まった人が、いっぺんに行く。はいそうです、殺し文句の世界から、夢にも見なかった真実です。取り付く島もないあなたという本来に、行き合おうとする、取り付く島もないそのまんま。)門云く、六不収。無眼耳鼻舌身意という、まずもってこれを知って下さい、もとっからそのようにできている、他にはないんです。眼も鼻も舌もなし、いえちゃーんとここにあるではないかという、でも実感すること不可能、耳も鼻も知らないんです、無色声香味触法です。教えられて知る草々です。耳で聞こえると云うから聞こえるんです、嘘なんですよ。観念がんじがらめを元へ復す。自分というものがまったく失せる、玉露宙に浮かぶ。門扉に足を挟まれて、骨折する、激痛です、それが痛みいずれの処にかある、痛いことは痛い、どこが痛いかわからない、雲門の初関はこれであった。坐っていて、就中うまく行かない、たしかに身心脱落という、なぜうまく行かない、ないはずのものがある、もっと坐ればという時に、六不収です、まあさ向こうへ押しやるふう、てめえに責任ないよとさ、てめえのものとしている、そやつを解き放つ、はい解き放っている、そやつをおっぱなす、(斬釘截鉄、すったもんだする、みーんなてめえでこさえている、これを氷解するには、てめえのものとするのを休む。まさに六根六境六塵、雲散霧消すると、なんだなーんにもないなんて云ってないんです、黒漆のこんろん夜に走る、八角の磨盤、まあさ八角した磨いた盤でしょ、そいつが吹っ飛んで行く、霊亀尾を引くと、ユーレイカわっはっは。朕兆未分の時、分別観念の生ずる以前ですか、生まれる以前、そりゃ坐ってごらん、たしかに元の木阿弥、おのれを知らないんです、一念起こって忘我から返る、ものみなあるんですか、はい第二頭に落ち、第三頭に落つ、悟跡の休缺なるところ、如何が示さん、そうねえ、こうなって初めて人間です、右の頬を打たれりゃ左を差し出せなどいう、観念倒れのうんちと違います、観念とは無能です、わかったといっていよいよわからない、それをもってやたらにとっつく、未消化うんちのどっ汚さ。没義道の犯罪。)

頌・一二三四五六。(周して復始まる。滴水滴凍。許多の工夫を費やして什麼か作ん。)碧眼の胡僧も数へ足さず。(三生六十劫。達磨何ぞ曾て夢にだも見ん。闍黎什麼としてか知って故に犯す。)少林謾に道ふ神光に付すと。(一人虚を伝ふれば万人実と伝ふ。従頭来已に錯り了れり。)衣を巻いて又説く天竺に帰ると。(一般の人をれんー貝に兼ー殺す。麼羅ーみなりっしんべんがつくー少なからず。)天竺茫茫として尋ぬるに処無し。(什麼の処にか在る。始めて是れ太平。如今什麼の処にか在る。)夜来卻って乳峰に対して宿す。(汝が眼晴を刺破す。也是れ風無きに浪を起こす。且く道へ、是れ法身か、是れ仏身か。汝に放す三十棒。)

一二三四五六周してまた始まるんですか、でなきゃ無限に続く、一一滴水滴凍、一ありゃまったく済むんです、うっふっふ済まないで凍るんですか、氷が溶けてもって仏ですか、仏といういらんお節介ですか、なんのなんの。(六不収という、参禅の要決ぜひこれを得て下さい、以無所得故菩提薩たです、坐っているとどうしても欲しい、悟りたい、楽になりたい、ぜんたい無上楽、だからとやるんです、かすっともかすればそれを把る、こうだと握り締めるに従い、不都合です、滴水滴凍わっはっは凍っちまうですか、すわち把握する処を、放して行く、一一に放してもって、ついには放すことの不用を知る、なあんだおれ要らないだてなもんです、工夫なし、工夫をする人なし、況んや全体はるかに塵埃を出ず。宗乗自在なんぞ工夫を費やさん、このなーんにもなしがまったく足るんです。仏教という他宗という、あらゆる一切が一目瞭然、いえさ目なんかなく、了然です。だれ何云ったて彼が腐れ心根をさらけ出すだけです。云ったってわかんなきゃ、手引くだけだな。服と不服とは医の科に非ず。)碧眼の胡僧は達磨さんです、数え足さず、まあそういうこってす。(三生は前生今生生まれ変わって次の世ですか、六十劫一劫は五光のすりきれってやつで、たいていまあこのぐらい挙げときゃ足る。達磨さんもかつて夢にだも見ず、生臭坊主なんによってかことさらに犯す、一二三四五六ともとこうあるのへ、仏だの禅だのおっぱじめるな、七を加えってね。)少林謾りに云う、神光に付すと、達磨さんが二祖慧可大師に法を付したということ。(一人虚を伝えれば、万人実と云う、そうなんですよ、なんにもないものを仏と云い、観音大師という、崇め奉るんです、あっはっはだからいいんですよ、キリスト教みたいに、有るものを崇め奉ると、まあさオームどころじゃない、人殺し集団ひすてりーなんせ犯罪の集大成、そろっと脱して下さいよ、インカの宗教のほうがよっぽど立派です。)衣を巻いて説く天竺に帰ると、達磨さんの棺には草鞋一つ、天竺へ帰ったと伝えられる。(尻尾巻いて帰ったと云われるが落ち、もらとは恥、大恥かきです。)天竺茫茫として尋ぬるに処無し、個々別々、廓然無聖です、完全に跡を消すとは、跡を消すというあとかたを残さないんです、茫茫です、知らんわいと云って、夜来卻って乳峰に対して宿す。雪竇山には双峰あって、乳峰と呼ぶ、(へん格好付けやがって、いらん波風を起こすふう、これ法身か、これ仏身か、汝にゆるす三十棒、あっはっは肯がったってこと。)

第四十八則 王太傅煎茶

本則・挙す、王太傅招慶に入って煎茶す。(作家相聚る、須らく奇特有るべし。等閑に無事ならんや。大家一隻眼を著く。禍を惹き来れり。)時に朗上座、明招の与に銚を把る。(一火泥団を弄する漢。煎茶を会せず、別人を帯累す。)朗茶銚を翻卻す。(事生ぜり。果然。)太傅見て上座に問ふ、茶炉下是れ什麼ぞ。(果然として禍事。)朗云く、棒炉神。(果然として他の箭に中り了れり。妨げず奇特なることを。)太傅云く、既に是れ棒炉神、什麼としてか茶銚を翻卻す。(何ぞ他に本分の草料を与へざる。事生ぜり。)朗云く、官に仕ふること千日、失一朝に在り。(錯って指注す、是れ什麼の語話ぞ。杜撰の禅和麻の如く粟に似たり。)太傅払袖して便ち去る。(灼然として作家。他に許す一隻眼を具すことを。)明招云く、朗上座招慶の飯を喫卻し了って、卻って江外に去って野たいー木へんに埋ーを打す。(更に三十棒を与へん。這の独眼龍只一隻眼を具す。也須らく是れ明眼の人点破して始めて得べし。)朗云く、和尚作麼生。(拶著。也好し一拶を与ふるに。終に這般の死郎当の見解を作さず。)招云く、非人其の便りを得たり。(果然として只一隻眼を具す。一半を道ひ得たり。一手擡一手搦。)雪竇云く、当時但茶炉を踏倒せん。(争奈せん賊過ぎて後弓を張ることを。)

王太傅は長慶門下の居士、太傅は官名三公の一。招慶は泉州に在り、朗上座は雪峰下三世、長慶の嗣。明招徳謙、羅山の嗣巌頭下三世、一眼なり、独眼龍と呼ばれる。招慶のもとに煎茶す、官人という今の比じゃない、科挙の試験に及第して天子の補佐をする、県知事どころじゃないんです、それが煎茶する、(作家あいあつまる、いずれ錚々たる龍像が参列する、そりゃ並みのこっちゃない、必ず大力量です、ただもう無事禅の一般じゃない、うっふうろくでもないことが起こるぞ。)時に朗上座、明招のために銚を把る、銚とは茶を温める器、柄あり口あるもの。(一火泥団を弄するの漢、居眠りやってんじゃねえやっていう、余計ごとですか、わしもお茶席大嫌いで、作法も知らぬからエロ話、うっふ二度と招ばれない、煎茶を会せず、別人を帯累す。無心ではない。)朗茶銚を翻卻、投げ出す、ひっくりかえす。(事が起こったな、はたして。)太傅見て上座に問ふ、茶炉下是れなんぞ。(ほうらろくでもなく、無孔の鉄鎚、抜け道のないはずが。)朗云く、棒炉神。炉端の神さまですか、等閑にせずってこってすか、おのれ神さま。(はたしてひっかかったな、神さまになっちゃった、いやまあたいしたもんです。)太傅云く、すでにこれ棒炉神、なんとしてか茶銚を翻卻す。(どうして上座に本分の草料、なるほど一句ありっても云わずと、ぷるっともしない平静の問いです、さあてさ事生ぜり。)朗云く、官に仕えること千日、失うは一朝。(そりゃ違うんですよ、始めから云いたかったんですか、口を突いて出るにしては、かくあるが故に参禅、浮き世は実に危脆なりという、建て前担板漢。)太傅払袖して去る、そうです一般の人これができないんです、とやこう云わず、答え200%です。わしもたいてだめだな、一昨日おいでとかなんとか、(こりゃたいしたもんだってね、わからんちんも一隻眼を具すによし。)明招云く、はたして他また道う、朗上座、せっかく招慶の飯を喫しおわって、卻って江外に去って、まあさ江湖会の外ですか、野たいを打す、枯れ木の根っこを叩く、役に立たぬことをしているというんです。(更に三十棒、明招独眼龍、まあさよくよくこれを見るがいい。)朗云く、和尚作麼生。(うんまんざら死んでるわけじゃねえや。)招云く、非人その便りを得たり。いやしいやつめっていうんです、てめえのいやしさがわかったか、再度茶銚を翻卻して、呵呵大笑するによし、でなくば。(独眼龍一半を云い得たり、一つもたげりゃ一つゆるむ、仕残したぞ。)雪竇云く、当時但茶炉を踏倒せん。(払袖して去るのほうがいいかな、いかんせん泥縄。そりゃまあ泥縄。)

頌・来問風を成すが若し。(箭虚りに発せず。偶爾として文を成す。妨げず要妙なることを。)応機善巧に非ず。(泥団を弄する漢、什麼の限りか有らん。方木円孔に逗す。妨げず作家に撞著することを。)悲しむに堪へたり独眼龍。(只一隻眼を具す。只一楔を得たり。)曾て未だ牙爪を呈せず。(也牙爪の呈す可き無し。什麼の牙爪とか説かん。也他を欺くことを得ず。)牙爪開く。(汝還って見る麼。雪竇卻って些子に較れり。若し恁麼の手脚有らば茶炉を踏倒せん。)雲雷を生ず。(尽大地の人一時に棒を喫せん。天下の衲僧身を著くる処無し。旱天の霹靂。)逆水の波幾囘をか経る。(七十二棒、翻って一百五十と成る。)

来問風を成すがごとしというのは、荘子に出ている由、郢人壁を塗るに、小部分を残す、泥をまるめて投げてぴったり補う、そのとき泥が蝿のように鼻についた。かたわらに匠者あって云く、我斤を廻らして鼻端の泥を取らんと、風を捲いて斧をふるって之を切る、鼻を傷つけず、泥だけをきれいに払った。双方名手だという。太傅の問処、斤を運んで風を成すに似る、大力量がかすめたんですか、たいていかすめてもどこ吹く風、寒毛卓立の人希少、痴人に夢を説くなかれ、かえってさんざんの目に会います。(箭みだりに発せず、こりゃ観念の物差しじゃないんです、清風正解ただこれ、なにをどう云ったって中るんです、語に響きあり、壁立万仞、取り付く島もないんです、まさに王太傅の言、ただこれ棒炉神既にあり、なんで茶銚を翻卻すと、いたずらに応ずるには、真っ二つにたたっ切られます。たってもう切られているのに、気がつかない。)応機善巧にあらず、そっぽ向いている、うまく答えられなかった。(泥団を弄する、ああでもないこうでもないやるんです、自分にけりがついていない、キリスト教のよに、虎の威を仮る狐の弁です、ふがいないがさつです、まあしかし朗上座、他の三百代言とは違います、方木円孔に逗す、そりゃ一本筋が通ってます、言を左右の醜悪じゃない、板担漢っていうこったさな。)悲しむに堪えたり独眼龍、これ招慶の飯を喫しおわって、かえって江外に去って野たいを打すという、実感が籠もっています、他をあげつらう意なぞてんからないんです。(二股膏薬なんてないのさ、ものはあるようにしかない、そうだよこれがわかるやつ皆無。単を示すが禅。)いまだ牙爪を呈せず、独眼龍だから牙爪。(また他を欺くことを得ず、なんの牙爪とか説かん。)牙爪開く、非人その便りを得たり、ぶんなぐったより効いているんだけどな。(雪竇卻って些子にあたれりというがほどに、茶炉を踏み倒す以前。)雲雷を生ず、龍です。人のはるかに届くあたわず、これを知らないんだなあ、くどくどと云いつのってさ、わっはっは民主主義の対等だってさ、どうもならんなこやつ。(尽大地の人一時に棒を喫せん。旧参底も卻って取り付く島もなし。旱天の霹靂、はいこれ仏。)逆水の波幾囘をか経る、響き伝わるんですかわっはっは、そんなもな知らん。(七十二の倍は百四十四。)

第四十九則 三聖網を透る金鱗

本則・挙す、三聖雪峰に問ふ、網を透る金鱗、未審し何を以てか食と為ん。(妨げず縦横自在なることを。此の問大高生。汝合に只自知すべし。何ぞ必ずしも更に問はん。)峰云く、汝が網を出で来らんを待って汝に向って道はん。(人の多少の声価を減ず。作家の宗師天然として自在。)聖云く、一千五百人の善知識、話頭も也識らず。(迅雷霹靂はなはだ群を驚かす。勃跳するに一任す。)峰云く、老僧住持事繁し。(勝負に在らず。一著を放過す。此の語最も毒なり。)

三聖慧然は臨済の嗣、網を透る金鱗、尋常他の香餌を食わず、何を以てか食と為すと、こと大受用を得る、まさにこれ金鱗と云いつべし、人間妄想をいったん卒業するんです、是非善悪とらわれの人を止めるとは、妄想とらわれの網を、出たり入ったりですか、自由の分あるんです、いいことしいの頭なぜなぜじゃないんです、神だの仏だのしんどいこと云ってない。だったら食う物ないじゃないか、別格食い物なけりゃ、霞食って生きているんかい、さあ答えろってわけの、これを提解問あるいは借事問と云うと。(妨げず縦横自在なることを、まずは透過して自在神通力ですか。いやたいしたもんだ、でもこの問い必ずしも更に問はん、ただ自知すべきもの也。)峰云く、汝が網を出で来らんを待って汝に向かって道はん。これ見誤ったわけじゃないんです、しっかり抜け出て来い、ばあたれってなもんです、間が抜けているぞ。(人の多少の声価を減ず、せっかく三聖人も知る大人底のたって、雪峰天然無縫、まさにこれ口を突いて出る。)聖云く、千五百の善知識、話頭もまた知らず、千五百の雲衲が雪峰のもとで修行していた、まちったあさば読むにしたってさ、なんだせっかくの大宗師が、答えようも知らんのか、うっふうどっか頭に来たですか、いくらなんでもないものへは来ない、俗人俗語じゃない、でも四つに組んでこの野郎ぐらいやってみたい、(迅雷霹靂、さすが三聖、わしみたいに能書き垂れていないんです、はなはだ群を驚かす、省みるなしに来る、向こう任せ。)峰云く、老僧住持事繁し、住職業でもって忙しい、そんなことやってられないよ。見事に食ってみせるんです、何をもってか食となす、うっふう納得しましたか。転ずべし。喝。(勝負にあらず、一著を放過す、三聖の一著ってどこにあります、この語もっとも毒なり、いえまったくそう思うんですが。)

頌・網を透る金鱗。(千兵は得易く一将は求め難し。何似生。千聖も奈何ともせず。)云ふことを休めよ水に滞ると。(他の雲外に向かって立つ。活発発地。且く鈍置すること莫くんば好し。)乾を揺し坤を蕩し、(作家作家。未だ是れ他の奇特の処にあらず。放出すること又何ぞ妨げん。)鬣を振ひ尾を擺ふ。(誰か敢えて端睨を弁ぜん。箇の技倆をなし得たり。売弄出来る。妨げず群を驚かすことを。)千尺鯨噴ひて洪浪飛び。(那辺にか転過し去る。妨げず奇特なることを。尽大地の人一口に呑尽す。)一声震って清飆起こる。(眼有り耳有って、聾の如く盲の如し。誰か竦然たらざらん。)清飆起こる。(什麼の処にか在る。咄。)天上人間知んぬ幾幾ぞ。(雪峰は牢く陳頭を把り、三聖は牢く陳脚を把る。土を撒し沙を撒し什麼か作ん。打って云く、汝什麼の処にか在る。)

網を透る金鱗、云ふことを休めよ水に滞ると。登竜門ですか、魚変じて龍と化す、もう水の中の餌じゃないんです、天空に飛んで、洪波浩渺、白浪滔天の処に在りと。(千兵は得る易く一将は得難し、百人千人座禅をやって、いよいよかたくなに三百代言ですか、なにものかになろうという、一兵卒の出世卑し根性を捨て切れんのです、まあさ一箇千聖も奈何ともせず、にっこり赤ん坊、飴嘗めて笑ってるんですかうっふっふ。)乾坤を揺蕩す、手をもたげれば天地動くんです、鈍置することなくんばよし、等閑にしてはいけない、ニヒルになっちゃだめですよ、たとい世の中卒業したっても、なを世の中。厳に戒めるによし。(作家という、活発発地という、未だ是れ他の奇特の処にあらず、千五百の善知識話頭もまた知らずと、いやたいしたもんだ、放出するにまた好し、他の奇特の処さあて如何。)たてがみを振るい尾をうちはらう、虎のひげを撫でちゃったんですか、(端睨すべからざるという、単純を示す禅は、まっすぐまっしぐらしかないんです、箇の技倆をなし得たる、通身もてするんです、売りに出た、群を驚かす、力量これに過ぎたるはなし。)千尺鯨噴ひて洪浪飛び、(三聖のこれそりゃ並みの人には出来んです、はじめて言葉、能書き自堕落じゃない、俳句歳時記の山のようなくずの中に、ふっとささやく声を聞く、決まって芭焦、なにしろ言葉してみよ、まったくそれからです、一個たること人間です、因果必然を知る、でなくば仏教にならんです、だがさ、こやつはそのレベルじゃまったくないんです、故に巨鯨噴いてであり、一声雷震うんです。尽大地の人一口に呑尽す。)一声雷震って清飆起こる。これは雪蕩の老僧住持事繁しを頌す。飆は大風ですか、歩歩清風起こるという、見るとおりまさに清風起こる、ビジュアルにです、住持事繁しの実際。そうですよ、雪渓老師とともにあったとき、まさに見たです、感嘆しました。)清飆起こる。(什麼の処にかある、咄。まあさ坐って下さい。他なしですよ。)天上人間知んぬ幾幾ぞ。(二、三いたんですがね、跡継ぎが出るかとなるとってさ、ほんにまあでたらめ杜撰ばっかり、一般にいたっては何やってんのかてめえにもわからんという。雪峰は陳頭をとり、三聖は陳脚をとり、今の世またまったく変わらぬことを知る人は知る、個人のいきさつなんぞに関わらんです、はい、だれにでもできます。)

第五十則 雲門塵塵三昧

本則、挙す、僧、雲門に問ふ、如何なるか是れ塵塵三昧。(天下の衲僧尽く這裏に在って窩窟を作す。満口に霜を含む。沙を撒して什麼か作ん。)門云く、鉢裏飯、桶裏水。(布袋裏に錐を盛る。金沙混雑す。錯を将って錯に就く。含元殿裏に長安を問はず。)

塵塵三昧という、如何なるか是れ塵塵三昧、しっかりやってますか、すきなく行ってますかという、老師にこう云われて無対、修行未熟、坐らにゃならんだってと、あっはっはこりゃ隙だらけ、どうしても自ら事を構えて、塵塵三昧、道本円通とはいかんのです、なぜか、もと水の中にあって渇を求める、しかり求め終わって始めて円通、初心あるいはこれ塵塵三昧と知る。(天下の衲僧ことごとく、求めるにしたがい這裏にむかってかー穴に巣はい穴の中の巣ですー窟をなす、口を開けば満口に霜を含むんです、でもって他に会えば、如何なるか是れ塵塵三昧と聞く。うんまい食い物に砂をまぶすが如く、でもさ、これやらんきゃどうもならんですか、もと手つかず、これでいいたってどうでも納得しない、納得するまで尽くしてみりゃいいです、手も足も出なくなるまで、お釈迦さまが実にそうでした、刀折れ箭尽きて菩提樹下に坐す。)門云く、鉢裏飯、桶裏水、しっかりやってますか、すきなく行ってますか、どうですと云うんです。(布袋に錐を含む、ぐさっとやられるものがあっちゃ、そりゃだめです、初心一般金と砂がまざるってさ、そりゃしょうがねえなあって思うです、キリスト教だの創加学会だのキムジョンイルだの社会党だの、うっふっふ三悪四悪並べ立てなくたって、日常茶飯事、だがなわずかに頭ん中、妄想はそりゃ妄想、過ちをもって過ちにつく、触れるものみななにほどか開ける、これ観音大師、仏心印を持す、殺されたって殺されないんです。すべての道は長安に通ずたって、長安の宮殿にあって長安を問わず。)

頌・鉢裏飯、桶裏水。(露也。沙を撒し土を撒し什麼か作ん。口を漱ぐこと三年にして始めて得ん。)多口の阿師嘴を下し難し。(舌頭を縮卻す。法を識る者は懼る。什麼と為てか卻って恁麼に挙する。)北斗南星位殊ならず。(東を喚んで西と作して什麼か作ん。坐立厳然。長者は長法身、短者は短法身。)白浪滔天平地に起こる。(脚下深きこと数丈。賓主互換。驀然として汝が頭上に在り。汝作麼生。打つ。)擬不擬。(蒼天蒼天。咄。)止不止。(什麼をか説く。更に怨苦を添ふ。)箇箇無こんー衣に昆ーの長者子。(郎当少からず。傍観の者は咥ふ。)

鉢裏飯桶裏水、多口の阿師嘴を下し難し。喫茶去という、日常茶飯なるほどこれという、今の人根も葉もない、これが禅などいうて知らん顔している、坊主師家までお茶を濁すきり、あるいはてめえの蘊蓄をひけらかす、これじゃどうもこうもならん。なにしろ漆桶を打破し、達磨さん七転び八起きなら、片目でも入れてから、嘴を下すによし、始めからなんにもならんじゃ、仏教もくそもなし。他の一神教哲学思想とごっちゃにする、醜悪です。(露也、人間200%現れて下さい、でなきゃまったく意味がない、能書き三百代言、砂をまき泥をまぶししていないんです、単純にただこれ、若しもこれを本当に得ることあったら、三年口をすすいで後になせ。)多口の阿師ばっかり、右を向いても左を向いても、らしい噂の騒々しく、猿真似。(舌足らずですか、法を知る者はかえって恐れる、うっはっは常識じゃあるまいし、はーい知らぬが仏。)北斗は北十字星は南、決まりきったことに安住して、実はさっぱり用いず、いささかも知らず、南天して北斗を見る。(坐立厳然他なしにある、長者は長く、短者は短くって、法身だと、なーんのこっちゃ、そんなことは知らず。)白浪滔天平地に起こる、脚下深きこと数丈と、夢にだも見ぬことがあるんです、日常これ壁立万仞、どういうこったかわかりますか、赤ん坊に世の中渡らせてごらんなさい、いえこれ人の真実。(主客互いにうつる、七転び八起き、なんだって達磨さんが、うるさい驀然として汝が頭上にあり、打つ。)擬不擬、止不止。(なにをか説くって、なんにも説かぬと、一瞬ごとに説くのと、蒼天蒼天、たとい物悲しくも、これ人、なんの着物も杖もなし、ふんどし一丁なし。)箇箇無こんの長者子、こんは下帯のこと。傍観の者は笑う。そりゃまあそういうこってす、更に怨苦を添えですか。寒山詩にあり、六極常に苦に嬰る。九維徒らに自ら論ず。才有って草沢に遺てられ。勢無うして蓬門を閉ず。日上って巌猶ほ暗く、煙消して谷尚ほ昏し。其の中の長者子。箇箇総にこん無しと。まあさ味わって下さい、わしんことかいほんとに、ふん生臭坊主が。