歌ふたたび

歌ふたたび


朝のまだきをさへかなかなが鳴いて、身を切るような思いのする蒲原田んぼのはずれにさ、七十を越えた。
朝な夕なかなかな鳴くかいやひこのはざうら田井に住みはてむとす

黄金の湯は万座より乳頭温泉のほうがまさるって、でもあそこは遠いし、
吾妹子や黄金の湯に浸らむは秋田駒なむ吹き降ろす風

スリランカ料理って初めて食べた、おいしいし種類も豊富、マスターは本国にいりゃ殺されたっていう政治家。
幸あれや国を追はれて松本にスリランカ料理の店を開く

名物の干し柿は天竜川の霧の発生による、美緒ちゃんのおばあちゃんがそれ作るの名人だと云っていた。
鳴る神の天竜川をさかのぼり霧らひこもせば名物の柿

富士山から南中北アルプスが見え、浅間山にも雪が来て、
早乙女の美ヶ原と神さびて雪を冠ぶる百方の尾根

プリンスホテル屋上レストランの絶景
アルプスは南中北と池のへの紅葉を見よやコーヒー一杯
蓼科に雪うちよせて湯の煙妻に恋ふらむ紅葉たけなは

これは春、
蓼科の月はおぼろかねこやなぎ妻に恋ふらむ湯の煙立つ
蓼科の月はおぼろかねこやなぎしくしく降れるその雨をかも

万座温泉へ一泊して
しのび逢ひ白根の谷を紅葉してひばの森さへメールヘンなる

山田牧場、行くてにどでっかい牛が三頭ぐわどーにもならん。
笹山のひばの牧場を抜け出でて涎のったり牛は肥って
信濃路は雪の便りを万山望下風荒き紅葉まにまに

秋山郷から奥志賀へ抜ける道は10月26日に閉ざす。
百代の平家の軒を切り明けて紅葉下照る奥志賀へ行く

鶴岡の湯田川温泉は延喜式のむかしからあるという、
湯田川の古き軒辺を足駄がけ花の山路の行方知らずも
あしびきの山の花にぞ咲くやらむ月に浮かれてさ寝も寝やらず

江島生島で有名な高遠の花はそめいよしのではなく、ふーん老人組合ばっかし、
高遠のいついつ花を芽吹き山しのひ逢ふ瀬は過ぎにけらしや
七十を過ぎて通へば高遠の吹き入る花にさ寝もい寝やれ
吹きいれる花を清やけし阿賀野川人も筏に竿差して行け

にりんそうの群生地もある、にりんそうは花が三つあったり四つあったりする。
春さらば裾花川の奥の井にみずばせふ咲く知らじや吾妹

接心が終わってみんなで湯沢まで行く、だれかれ結婚話。
湯沢から川は流れて行く秋の思ひ起こさば妹を悲しも
嫁ぎ行く妹を悲しも阿賀野川橋をわたらふ風の清やけさ

小出から角栄の碑のある田子倉ダムを廻って会津へ抜ける道。
初秋は小出を廻り入広瀬人を恋ほしき田子倉に行く
あじさひの憂き世終はんぬ入広瀬日差しをのみぞ山を越え行く
柳津ゆ川は流れていたずらにてふの舞ふさへもの悲しかも

猫魔という山があって、冬はスキー秋にも磐梯山の有料道路が二つあって、なかなかいい。
にぎはひは裏磐梯の猫魔とふ名にしおふなる宿らひそくね
これもまた阿鼻叫喚の名残りとふ五色沼なむあけびを見つけ

あでやかな浴衣を備え付けて、
彩りの宿りと云ふぞ上山浴衣美はしその子と母と

斉藤茂吉記念館がある、
茂吉とふ名にしおふるは問はずして蔵王を廻り山を越え行く
みちのくのハイウェイとなむ山川のい行きい行きて人住む郷へ

遠野から宮古へ、これは国道なんだけれど昨日熊が出たっていうし、途中村が一つあった。
みちのくは遠野を過ぎて行き通ひ冬を迎へむいくつ村字
人も知る遠野に来たり思ほゆは河童橋とふむかし小川の
山川のはろけくも来たりふだらくや浄土が浜にかもめ舞ひ行く

あっか洞といったっけか、鍾乳洞はつい最近も発見されていて、
この洞の百メートルの水底には恐竜さへもなほ新しき

魚沼は四月になったって雪にすっぽり、
夕ざれば濁りも行けど清やけしや魚野川なむ雪の奥の井
奥の井の岩魚の宿に雪は降り汝が大杉を仰ぎ見なむか

たなびくは五色の雲をモーツアルトきさらぎ雪の降りしくあれば

なんせ飯山までは雪冬はまあひどい道、
飯山の金井の妹を恋ほしくばしのふる雪をかひ別けて行け
飯山を過ぎて通へば雪も消え妹も待たずは酒でも食らへ

野沢も松之山も熱い湯。
かし胡桃かきて食らひて炬燵掛け二人しあらむ野沢の熱湯

松之山は十日町に合併したのか、雪掻きブルは万全でもって、
きさらぎの雪かき別けて吾妹子が松之山なむ春遠みかも
熱き湯をま悲しかもよ吾妹子が松之山とふ雪はしのふる

妙高に露天風呂があって、もし湯が熱かったら雪でうめる。
妙高の露天風呂には雪と月しのひ逢ふ瀬を絶景ならむ

鶴ヶ城には荒城の月の歌碑があり、茶室があって、
荒城の月とは聞こえま悲しやたれか命の茶を喫し去る

雪ふりしきり冬の旅は
猫魔なる冬の宿りを摩訶不思議月押し照りてぶなの林を
この湖にわかさぎ釣らむ人をかも道は閉ざして雪降りしきり
ふたたびも蔵王の山を越えて行け雪に追はれて雪なき郷へ
空しくは塩の花なむかもめ鳥由良の浜みのきぬぎぬをかも
八乙女の由良の浜辺に雪は降り鷲にてあらむ島に宿借る
食す国は我らをのみぞ最上川しくしく降れるその雪をかも

江戸の玩具館が岩船にある、その姫達磨がいたく気に入って、
雪は降り朝日村なむあかねさしのーんと笑まふ江戸の玩具も

裾花川の岩盤には化石が出て、小学校一つ廃校になったのを博物館にする、
裾花は四万年の潮の香舞茸を取りに秋を我が行く

信濃路の旅
清やけしはしなのの山を越え別けてむかししのぶの人住む郷へ
犀川と千曲の川の出会ひには竿を押し並べ何を釣るらむ

たらちねの母に恋ふらむ旅にしや浮き世のはてを金木犀の
過ぎし日をもやもや思ふ旅にしや浮世のはてを銀木犀の

町村合併して、
いにしへの人に恋ふらむ雪椿こしの小国は長岡に就き

鵠沼で育って何十年ぶりに江ノ島へ行ってみた、富士山だけが同じ。
江ノ島に夕の辺仰ぐ富士の嶺やわたつみ海を思ひうちよせ
遊行寺を行き過ぎがてに思ほゆは早に忘れし幼な心ぞ

笹川の流れ
松影も年をへぬれや笹川の流らふ月を見れど飽かぬかも
月影も年をへぬれや笹川の流らふ松を見れど飽かぬかも
涼しさを求めてい行く岩船の岩牡蠣を食らひに二日酔ひせぬ
鳥海に霧らひこもして見裂ければ早稲の松浦に白波よせぬ
蛸釣りの親父は禿げて清やけしや夕波洗ふ出羽の江ノ島

秋をになる夕波荒れてちぬは釣れず目交ひに見ゆ粟ヶ島山

水母の水族館で全国版になったのは、なんとかいうノーベル賞学者のせいだ。
八乙女の由良の宿りを出で行けば加茂の浜辺は水母の館
村上の高根の川に秋長けて鮭を待つらむ稲刈るはいつ

蒲原の入り泊てすらむ月影やいくつ灯を信濃河波
地蔵堂とかつては云ひし町角の木枯らし吹けばしのに思ほゆ

松もないのになんで松之山なんだって云ったら、松はあるってさたしかにに三本、高柳にも柳はどうもあんまり。
高柳右にむかへば花の畑左に行けば川のみなもと

一階級あるいは二階級特進して陸軍伍長、
山百合のゆりあへ咲かむむ久しく陸軍伍長念彼観音力

いくら字書いたってみみずののたくった、
秀でては花も実もあれ浮き世草こはおろかしき空ろ木にして

だれが植えたんでもなく山百合が咲いた、
山百合や親の因果が子に報ひ二人もうでぬ故郷の秋
我が耳は虫の鳴く音と山百合のゆりあへ咲かむ親の塚にぞ
月湯女の名をさへ知らずみずぐきのあとも美はし紙漉きの門
松代の渋海の川の百合あへの久しき時ゆ通ひき我れは

ことさへく雪は降れるに高柳松代ならむ瀬替への里ぞへ
モーツアルトひったくさったく舞へや鳶小出が辺り雪はしのふる
未だ見ぬ妻に恋ほつつ新芽吹くぶなの木村に空き屋の多き

この道の世に忘れられつばくろや軒を問はむにあしかび茂み
上毛の蚕を飼へる大屋敷村に外れてあげは舞ひ行く
吾妹子が松之山なむ雪は降り夕かぎろへばいにしへ思ほゆ

五島美術館に古渡り更紗展を見に行く、
とつぜんに我が物思ひは更紗なるクリシュナ物語日に三たびして
見よやこれ鳥に獣にクリシュナの笛の乙女や古渡り更紗

1950年代のピアノコンチェルトを買った、20から27までをとっくりかえしひっくりかえし聞く、今様のピアノソナタはこりゃもうあかん、空間のない生け花のような。
血まみれのピアノにあらむモーツアルト人の心をなほざりにして
穂に出でて小野の小町の里といふぞ母と娘とフルートを吹き

地震のあとがらんとして、
柏崎逢ふ瀬の夏と思ひきや一人二人泳ぐべらなり

草むしりは毎日まわって、草と競争はこっちが負けそうになって、彼岸過ぎると急に楽になる。
愉しさは草をむしれば様変はりつゆ花草の珍しみ秋

君見ずや茂み木末の夕映えと蓮池に舞ふ白鷺の群れ
野鯉釣る味方村の水路には鷺群舞へり稲を刈り干す

なんにしや人を恋ふらむ初秋の雲井に躍る明け方の月
思ひかて君が心を問ふべしや雲井隠らへ今宵月影
空しくに我が物思ひは長岡の花火にあらむ闇に消え行く

湯上り娘という枝豆ができて
枝豆も湯上り娘の浴衣着て長岡花火は八月二日

押しの坂荷物一つをかたつむりたが辿り行く日は照りまさる
槿咲く夏の夕は過ぎにしや思い起こせば妹を悲しも

また鯉を釣ろうと思ったらじっさどもが釣っては逃がして、学習能力の高い鯉はさっぱり釣れぬ。
信濃河野鯉も釣れず仰ぎ見む雲い流れて夕映え衣
冬荒れの海に差し入れ信濃夕映へすらむ佐渡は四十九里

地震があってなんにも釣れない川
地震から鮎はも釣れず魚野川夏をしくしくずくなしの咲く
米山のぴっからしゃんから雲い立ち蒲原田井を夏ならむとす
栃尾行く古き軒辺を茂み雨たが住まへるか手向けの花も
田上行く風のまをさへうらみ葛虫の鳴く音に秋立ちにけり

高遠の花はそめいよしのではなく古い桜がものの見事に咲いている、でもさ老人組合ばっかり行って、
廻り来てつひの浮世ぞ高遠の吹き入る花を雪のつぎねふ
散りしける花の夕を清やけしやほろ酔ひ酔ふてのちの浮世は

南会津へ入るのは始めての、素通りしただけがいいところが多々あるそうの、
名所には塔のへつりと川のへに仏を祀り野鯉一匹
明星を仰がむものや芦の牧いにしへよりは湯の煙立つ
大内の宿とは聞こえへ今にしや水を清やけき新屋根の家

月山湯殿山参道を行く、感動の雪消え芽吹き山、
たまゆらの世は尽き果てて湯殿山月の山なむ芽吹かひ行くに
月の山湯殿山なむみちのくの名にしおふなる芽吹かひ行くに

湯田川温泉はたけのこの季節
もののふや花は終んぬ湯田川の名代と云はむたけのこを食ひ

笹川の流れを行けばうねりよせ春粟島の荒れ残りたる
茂吉とふ名にしおふるを訪のへば幾代うつろひ朴の花に咲く
上杉の鷹山公は巨大なる鼻にしあらむ優にやさしき
上杉の古き社に参でむは菖蒲に咲けるたけなはの時

ユッカという百年ものの花が咲く、40年前から棘の強い茂みがあった。
百年の君が代蘭に咲きにほひ命尽きたるはての幸せ
見よやこれ忘れ呆けて生死とふ君が代蘭の花にしぞ咲く
龍像の伝への如く幽けしや君が代蘭咲きにほひける

阿修羅展を見る国立博物館
仏達失はれずありし感激は美はしき我が若き阿修羅も
二十一世紀何十万の仰ぎ見む三面六臂君が阿修羅か

円空仏の寺に行く
見ずやこれ巨大なる木はひび割れて新帰元なる円空仏は
高山の屋台会館神子らがり氷いちごもなほ美はし

七十の冥土の土産は寿司を食ひ築地は今を何変はらずや
見下ろすは雷門に花屋敷これはお高きホテルにあらむ

雨降りながら
島々や上高地とふ七十のてふを追ふらむなぜに雨ふる
六文銭真田の旗のなびかへるむかひの山のまた山を越え

天の川黄金の湯に浸らむはしのび逢ふ瀬を万座のや

二百五十を越える古墳の谷間。
松代の二百五十の古墳なれさやめくものは天の川して

日光まで40キロというところで、別途へ。
二人して青葉若葉の日光へせせらぎに住む魚の如くに

若い鹿がいて、手を振ると逃げもせずに。
乙女らが美しヶ原の茂み井のお使ひ神はうら若うして
長久保の我がはらからも老ひいにしや見上げる山を大かもしかの
飯山の正受庵とふ花をねんじ白隠さんにはなぜ伝はらず

あだん咲く三千世界一村の涙溢れて極楽浄土
西塔は飛天になりて鳴り響み見れども飽かぬ月を廻らへ
あしびきの雪ふり袖の如くして出雲の阿国はいつ問ひ越せね
不如帰月に追はれて卯の花の茂み会津に八十里越え

波のまに拾ふ昆布のにほひよき津軽乙女のくちずけすらく
田口なる廃村にしていくつ軒けものを追へば飼ひ猫ならむ
萩のへにもんきあげはの落ちしけるこは美はしき夏の形見に
耳なれし歌さへ忘れ飯綱の夏野を行くか青春の日よ
しのひ逢ひ音をのみ聞くか春蝉の我が茂みへを大湯に至る

滝谷の慈光寺という、せっかく村から僧堂の寄進を受けてなんにもならず。師家がなけりゃ当然のこと。
禅堂はいたずらにして閑けさや涙すなるは出家せぬ尼
一木に二百の蝶の群れあへる八石山のしのび逢ふ瀬を
小出より栃尾に行かむ茂みへの雨に降りあへ山百合に咲く