二連禅歌=冬

二連禅歌=冬


あはあはも雪は降れるにこの鳥やうれたく鳴きて蒲原に過ぐ
 坊主姿して町をうろつく、というのも抵抗があったが、土田舎寺に雪が降って、じとっとしているのも存分。わっはっは、今は坊主頭もさっぱり気にならんとさ。
夕されば雪は降れるにこの鳥や恋痛み鳴きて大橋越ゆる

八海に雪は降れりと聞きしかど過ぎにし軒は時雨あへたる
 湯沢へ行っていた弟子がいいとこへ案内するといって、六日町の水無川を遡って行った、上流は豊かな水の、本当にいいところで、すばらしい紅葉に雪の八海山に。
あしびきの奥の井紅葉かそけしや水無しの瀬に雪はふりしく

八海の滝と雪とを見渡せば六十男なんに枯れさぶあらむ
 真っ青な淵にいわながぽっかり浮かぶ、シーズンオフの道を押しわたって絶景、紅葉まにまに雪が降る。
水無しの奥の井紅葉清やけしやその一握の初初雪と

米山のぴっからしゃんからしのひ降れ廻らふ月に追はれてぞ来し
 米山さんの半分は真っ黒けに曇って、雨がはらつく、半分は月が出て。直江津から一時間ハイウェイを通って帰る、海にはたこふねを見た日であった。
米山のぴっからしゃんからしのひ降れ雲井を裂きて沖つ白波

おくしがのぶなの平らにふりしける初音の雪か道ふたぎける
 奥志賀林道は十月二十六日には閉ざす、寸前に行ってみたら雪が降っていた、スノーを履かずともどうやら通れたが、枯れ落ちたぶなの林の深閑。
おくしがのぶなの平らにふりしける初初雪か月はめぐらへ

あしかびに月さし出でてなにゆえか河を越ゆらむ雪は降りつつ
 獅子座流星雨を見よう、当日新潟県は時雨れる、ようし富士山五合目か、三保ノ松原と云って、弟子どもと車をぶっ飛ばす、テントにシュラーフして一晩中をと。
あしかびに雪はふりしけ夕月の過ぎにし妹を忘らえぬかも

言伝へ面隠みおはせ雲井にか見裂ける月に追はれてぞ来し
 弟はアルツハイマーになって死んだ、最後の旅に戸隠を選んだ、とんでもない旅だった、わしは逃げ出した、兄弟二人少年の日の思い出は。
加茂川の月に宿借る柳生のしじにも雪は降りしかむとす

仰ぎ見る大杉の戸に忘らえて思ひ起こさば一の鳥居も
 一の鳥居までが、歩いて蝶を採りに行く道程だった、きべりたてはやえるたてはや、すじぼそやまきちょうや、兄弟二人の一生を忘れえぬ。
飯綱の過ぎにし夏をしのふるは法師ケ池と夕月夜かも

夕月はしなのの河に言問はむなんに山越え群らつの鳥も
 草津温泉に行って、かあちゃんと二人人力車に乗って、山を越えて、白根山から奥志賀へ、ちえぐうすか寝ている、千曲川が信濃河になる。
名月は千曲の川に言問はむなんにしだるる神代桜

松本のひったくさった舞へや鳶我が旅行くは駿河の海ぞ
 姥捨の駅にほうとうを食うか、止めとくといって食わなかった、親父が木曾の向こう、山口村出身で、がきのころ食わせられた、ほんにあずきとかぼちゃ、うどんだけならいいのにって思い。
姥捨の駅はもいずこ谷内烏舞ひ行く方に吹雪かもとき

うつせみの命を惜しみふり仰ぐ富士の高嶺ぞ雪は降りつつ
 三島は裾野市のとなりに、お寺を持った弟子が、どっかなおそうとすると、富士山噴火してからに、地震のあとにと云われ、あっはっは弱った、そういえば斜めの道斜めに歩いて。
うつせみの命を惜しみ廻らへる忍野見えむ沖つ白波

松原に流らふ星を迎えてや二十一世紀を我れは知らずも
 明け方四時がピークだと云って、三保ノ松原にテントを張って寝た、四時に起き出すと、まわりじゅうびっしり人、うわあといってその割りにはさっぱりの流星。外れの年だった。
天人の舞ひ舞ひ帰る羽衣のよしや浮き世と忘らへ行かな

竹やぶのしましく夜半を目覚むれば満ち満つ月に廻らひ行かな
 年寄ったら夜中に目が覚める、きんたまに白髪も生える、どうしようかって、元気のいい和歌でもこさえて、はあて棺桶まっしぐら。
風吹けべいさよふ月と覚しきやこは竹林の賑やかにこそ

わたつみの夕の入り陽を見まく欲り和島が辺り雨にそほ降る
 寺泊赤泊間フェリーに、つばめが十一巣をかけていた、いわつばめだ、往復して子育てする、うっかり頭の辺にぴちゃ。新しい船になってはてどうなった。
出舟にはなんに鳴きあへかもめ鳥佐渡は四十九里波枕

柏崎夕波荒れてみずとりのかよりかくより雪降るはいつ
 わしは字がへたくそで、この歌を短冊に書いて、しくじって紙貼って書いて、また書いて、そうしたら貰って行った人がいた、変です剥げたといって、持って来る。
いやひこの芦辺を枯れてみこあひさ羽交ひ寄せあひ雪は降りつつ

今町も夕さり来れば山茶花の人を恋ふらむ雪は降りつつ
 ピアノ弾きの幸ちゃんが、山上進津軽三味線とミニセッションして、青森の民謡酒場までわしらは会いに行った。すると有名になったでもう出ないという。てやんでえと帰って来たら、彼はわしのために作曲してくれた。音痴のわしじゃもったいなく。
明日には雪になるとふ山茶花のじょんがら聞かめ津軽恋歌

田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪に朝夕わたる
 田んぼの溝の辺り凍って、水が澄み切って流れる、どじょうやたにしが取れたむかしの川、無理が通れば道理引っ込むみたい、わけのわからん親父もいた。
田の末に生ふる柔草凍しみて降りにし雪にかぎろひわたる

玉垂れの残んの柿に初々の雪は降りしく残んの柿に
 甘柿は甘百、渋柿は八珍、むかしはそれは宝物であったに違いない、葉は鮮やかな紅葉して、すっかり散りしくと、対照的な二つの見事な枝ぶりだった。
天つ鳥つひばみ来寄せ門とへの残んの柿に雪は降りしく

初初に降る雪なれば越し人の我れも門とに走り出でてむ
 いい文句だあ、これって歌でもねえしなんだって、檀家の親父が云った。歌ってのはこういうもんだって、御自作を示すて人もいた、そういうんなら苦労しねえって、まあさ。
いにしへゆかく生ひなるや二もとの柿の木の辺に雪ふりしきる

二十世紀しの降る雪ぞひよどりや残んの柿をつひばみ食はせ
 生涯かけて二つのものを完成したぞ、法を継ぐことと、文芸復興だ。むかしばなしと歌をこさえた、どんなもんだいってみんなそっぽ向く、親不孝傍迷惑。
半生をたはけ過ごして冬至とふ柚子の風呂にも浸かれるものか

七十の芦辺を枯れて信濃河鳴き交はしつつ白鳥わたる
 白鳥が数十羽鳴きわたると、あたりがぱあっと明るくなる、なんで烏はだめで白鳥だ、増えすぎだ、鍋にしよう、食いであるぞうって、やまとたけるの生まれ変わりなんだぞ。
酔ひいたもしのふる雪を大面村残んの柿にわたらひも行け

年のうちに降りにし雪の消え残り松の梢に白雲わたる
 万葉にそっくり同じようなのがあって、実景として強烈にこの通りに見えて、歌にした。年の瀬に正月が来たような。松とぽっかり雲。
村上は雪にしのふる年の瀬も地蔵の門に花を参らせ

吾妹子や早に辿らむかもしかの住まへる郷ぞ雪はふりしく
 平地なのにかもしかが四百頭もいて、天然記念物。ひめさゆりは、笹の葉っぱみたいのへ、ピンクの花が咲く、一度見たら忘れられない。大雪が降る。
笠掘の笹み小百合のゆりあへに鳴る神起こし雪はふれども

シュ-ベルト冬の旅なむいやひこのもがり吹雪の舞ふらむ烏
 冬の旅としゃれてドライブ、半日回れば田んぼから磯っぱた、三条市をかすめて、五十嵐小文治の下田村、山の辺りまで行く、いえさ順不同。
妹らがり通へる道は牛の尾のもがり吹雪の呼びあへも行け

ここもまた過ぎがてにせむ松がへやしぶきに濡れぬそのかきの殻
 積丹岬にも柏の木があった、どこか人なつかしい感じの、如何なるか祖師西来の意、云く庭前の柏樹子は、かしわではなく松の仲間という、ようも知らぬ。
妹らがり通へる道は今もありし冬枯れすらむ柏樹がもと

三つ柳風にぬぐはれ一里塚しのびがてせむ春の如くに
 三つ柳の人からお地蔵さんの額を頼まれて、大苦労して書いて、うんまずまずと思ったら、彫る人がへたくそで駄目、なんだこりゃあって、目くそ鼻くそをののしる。
牛首がいにしへ雪を踏み分けて何を求めむ鹿熊川波

白鳥の忘れ隠もして梓弓春を廻らへ時過ぎにけり
 五十嵐神社はあるが、垣しろ跡は残っていない、明暗寺という虚無僧寺が、明治維新とともに全焼して、その墓地が残っている、檀家であった人の過去帳を見た。
五十嵐の古き都は牛の尾のなんにおのれが時雨わびつつ

弓勢は幻にしていやひこの蒲原田辺を雪は降りつつ
 牛の尾牛首という地名がある、どういういわれか知らない、この辺りだけではない、鹿熊というのも二つあった、山はなんといっても、守門と粟が岳。
川の辺の落ち行く夕にあはケ岳呼び交しつつ白鳥わたる

神からか神さびおはす大杉の流らふ雲の年たちかはる
 杉やけやきの巨木があっちこっちに残っている、行ってみるとなかなかの代物、蓮華寺街道にある大杉は八百年、小木の城跡に行く道は、だが地震で陥没してしまった。
滝の門のどうめきあへる大杉のわたらふ雲の年たちかはる

どん底の左卜全と云ふらむは他力本願雪降りしきる
 正月映画に黒沢明のどん底をやっていた、わしは初めて見た、むかしの作物はめりはりが利く、そうかなあって納得、でもさ門徒って、あれは仏教と云えるのかなあと。
あせを松は倒れむ年を越え燃やさむ日には霰うちつつ

七草の春のあしたを降る雪はほがら降りしけ弟が門も
 弟がアルツハイマーになって、どん底っちゃあんなどん底なかった、すべてはわしのせい、阿呆な嫁くっつけたのもわし、そうさどうにもこうにも。
鬼木なる橋を越えてもしましくはうつらへ行かな月読み木立

嵐かも吹き止みぬれば大面村雪のしの路があり通ひける
 豪雪の記憶は書きとめると鮮明に残る、去年の雪はもうないってこった、なんせまあ約束したって、直きに忘れるってのが雪国。明日のことはわからない。
いやひこのおのれ神さび吹き止めば松のしのだへ物音もせで

そこばくの松を張り裂け降る雪の鳴る神わたりまたもしの降る
 松の張り裂ける音のほかには、なんにも聞こえない、雪はしの降る、恐ろしさはそりゃもう、雪下ろしではなく雪掘り。
しましくに星は見裂けれそこばくの松の梢が雪わびさぶる

月影もわたらひ行くかいやひこの雪降り止みね松は裂けるに
 雪下ろしして振り返ると同じだけ積もっていたり、そりゃ新雪は嵩が張るけど、だってもうんざり、風景はみんな屋根の上からって。わっはっは。
寺の井の松はも見えず降りしのひ雲井の方にあかねさしこも

息絶えておのが軒辺はかき下ろし鳴る神起こしまたやしの降る
 庫裡は変な屋根の組み方で、えらいきつかったけど、ようやく直した。雪下ろしには蜜柑がうまい、紅茶にウイスキー入れたのも、わっはっは、がんばったっけな長年。
なんにしや夕の軒辺はかき下ろし酒を食らはば死にはてにけり

いついつか我れも越人鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え
 最近になってようやく、屋根の構造や、家の作りを豪雪に合わせる、何百年同じの、なにしろ上って雪下ろし、馬鹿みたいってば馬鹿みたい。なんかいわれがあったんかな。
越人の代々を住まへれ鳴る神のしのふる雪は耐ゆるには耐え

つぎねふに松の尾上は降りこもせ雲井を裂きて月押しわたる
 昭和十二年竹の高地というところに、人がいるらしいと聞いて、役人が赴くと、おかしな格好したのが、源氏は滅んだかと云って、飛び出したっていう、はてね。
平家らがいにしへ人を吹き荒れて松の尾の辺に月の押し照る

磐の坂が雪は降りつつ山茶花のにほへる如く君や訪のへ
 冬の間はだれも来なかった、氷柱が二メートルにもなってぶら下がり、そこらじゅう兎の運動会、本堂屋根のてっぺんまでも足跡。月光に孕むという兎。
妹がへも押し照る月を見まく欲り松浦ケ崎に雪は降りつつ

昨夜にはもがり吹くらむ軒のへもなんの一枝か色めきいたる
 なんの木か春めいて見える、いえそういう色をしているんだって、図鑑に書いてあった、二月も三月も冬まっただ中、どうしようもなくさ。
蒲原の夕荒れ吹雪止みぬればいずこ宿らむこの迷ひ鳥

古寺のあは雪しのふ松がへも今夕見裂ける星のむたあれな
 松の辺にはずっしり雪が載って、その向こうに雲の切れ間、星が瞬く、いえたしかに春の星。
古寺のあは雪しのふ松がへも見裂ける星は春にしあらむ

田上行く一つ灯がみをつくし降り降る雪は春をし告げな
 月経に来いという、さっぱり行かなかった、どうもわしは神経過敏というか、いらんこと云ったりする、雲水が来て雲水任せ、適当に小遣にはなるか。
川上の十軒田井を吹き荒れてまふらさぶしも群らつの鳥は

広神のいにしへ人は万ず代にい行き通ひて春を祝ほげ
 雪の少ない年にトンネルを抜けて行ってみた、広神村に入広瀬。三十回も雪下ろしをするという、むかしは交通途絶、雪の中の別天地だった、雪が少なければ、わしらんとこと変りないか。
谷内烏舞ひ舞ひ行きて川を越え広神の背に雪は降りつつ
あぶるまの関をわたればちはやぶる神の御代より雪は降りつつ

加茂川や芦辺を枯れて白鳥の鳴き交しつつ降り降る雪ぞ
 冬期間通行止めという道があって、それはブルを出して除雪せにゃならんし、六軒部落のためにけっこうな道つけてってのも方々にある、ゼニ誰が払うって、まあさ。
粟ケ岳しのひ吹けるに芦辺なしなんの鳥かもたはぶれ遊ぶ

真之代や吹き降りせむに行けるなく信濃河もがあひ別れ行く
 二月には接心があって、弟子どもの同窓会を兼ねる、おいゼニ出せ、はいよとかいって、寺泊まで行って、あんこうを買って来て、冬はこれにかぎるとか。
傍所なる吹き降りせむに行き通ひ言足らばずてつらつら椿

見附なむ雁木わたらへしましくに守門はこもせ雪降り荒らぶ
 雁木が残っている町はもうないのかも知れぬ、町ごとそっくり雪よけの、買い物にはすこぶる便利な、でも雪下ろしは毎日だ、なんせ天井は平ら。
古寺の松の梢ゆこの夕べ押し照る月に雪は消ぬべく

大面村寄せあふ軒の梅が枝のくしくも雪は消ぬべくあらむ
 梅が呼吸する、だから軒下べったりの雪も霧らい溶けるふう、春はもうすぐという、そうしたら、松食い虫に弱った松が、ばったり倒れ。
きさらぎやいつか降りしく雪の辺に松は倒れむ月の押し照る

かんばらのしの降る雪を別け出でて忍野の梅の初に咲けるを
 弟子が縁あってお寺に婿養子に入る、出家とラゴラ=寺院子弟とは、水と油でそりゃもうどうしようもないけど、愚の如く魯の如く、まずは六十になるまでさ。
ここにして富士の嶺いも春ならむ忍野の梅の初に咲けるを

六十我が大トンネルを抜け出でて燃ゆるが如きこはなんの花
 大清水トンネルという、これができる前は山越えに延々行く、こないだ久しぶりに通った、高速を使わぬ陸送が行く、猿がいた。
六十我が大トンネルを抜け出でて迎えむものは降り降る雪も

田口にはいさよふ月を関山の雪降り荒らび越しの真人は
 田口は妙高高原になったのかな、女流プロの尚司和子さんから、お呼びがかかって、高原ホテルで駒場寮の同窓会、さすがプロでだれも勝てなかった。あらうまいわねえ、負けそとか云って、ぽんと打つ。
田口にはふりしく雪を関山の紅葉にせかれ谷川の水

紅の春に迷はむこの鳥やオホ-ツクより吹き荒れけむに
 のごまという、北海道へ行く鳥がお寺へ迷い込む、喉が鮮紅色。なむねこという猛烈猫がいて、ぱくっと食っちまったが、もうこのときは他界していた。
松の木は堂を破りしきつつきのつがひにあらむ春の燭台

めでたくは松をなふして松代の長寿無窮ぞ寒茸を食ひ
 松代も有数の地滑り地帯で、むかし行き倒れを人身御供に建てたという、そうそう行き倒れなんかない、ふんどしの汚れたやつからという、嫁なしはきつい。
松代の春はきはまり二メ-トルの氷柱を欠きて子らとし遊ぶ

随喜すはシュミオナ-トのケルビ-ノ絶えて久しき声をしぞ聞く
 ショルツの魔笛をまずまずと思っていたら、最近1950年代のフィガロを手に入れる、そりゃもうすばらしい、涙流しながらカーステでもってドライブ。
半生を尻に敷かれてその亭主一朝逝けば嘆かふ妻ぞ

オホ-ツク氷の海の豊穣を知らずも我れは半世紀をへ
 科学者の云うことは三年ごとに変るといって、恐竜なんぞ三日たったらもう別、坊主社会も変るか、なんせだれもお寺によっつかなくなった、長年の化けの皮剥がれて。
クリオネの舞ひ舞ひ悲しオホ-ツク流転三界春をたけなは
美はしきは命なりけれシベリアの極寒立ち馬蒼天蒼天

雪の降る与板の橋を過ぎがてに見ずて来にけり夕町軽井
 松之山に行く二車線道路ができて、トンネルをくぐって冬でも楽々行ける、雪の辺に婿投げとか、声楽家が飲んで温泉入って死んだとか、きのこ十三種も食わせるとか。
松之山名月さへも押し分けて雪をまふらにトンネルを抜け

たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏が下の地蔵菩薩も
たが子らかそにみまかりし冬枯れの柏が下の雪はうちよせ
 佐渡の最高峰は金北山で、海を越えて真っ白に見えるのはどんでん山ではない、そう云われてでもどんでん山、お地蔵さまの真向かいにさ。
雪降れば何をし見なむかもめ鳥海波荒れてどんでんの山

三界に身はも横たへ信濃河しかも残んの枯れ葦のむた
 雪の原野ーいえ田んぼなんだけど、雪降れば原野を、信濃河が蛇行して行く、絶句するばかり、似合うのは白鳥か、わしもよそ者。
この岸の流転三界雪は降り鳴き交しつつ白鳥わたる
白鳥の列なり行くか信濃河夕の入り陽の触れあふ如く

角田なる荒磯寄せあふ波のへの降り降る雪は春にしあらめ
 何十という渡り鳥の群れが、雪の降る海をわたって行く、春とはこういうことを云うんだなあと、突っ立って見送る、たったの一度そういう日に出会った。
椎谷なる雪は降れるに梓弓春かりがねの幾重わたらふ

かりがねの越しの日浦をま悲しみあら降る雪を信濃河波
 新宿の風月堂には柳影があって、どかんと座って大空を見上げていた、何十年たってとつぜん思い起こす、人をなつかしむには、こっちが変り過ぎってとこ。
この鳥やさ鳴きわたらへいやひこのおのれ神さび雪は残んの

雪消えに会はなむ鳥や群らつ鳥尾崎の田井に鳴きわたらへる
 なんていうんだろあれ、大きな鳥なのに、おとなしくって百舌鳥に追われてどこへ、えながとかかしらだかとか群れ鳥も、雪の消えぬまに。
この鳥や百舌鳥に追はれて大崎の雪の梢に何を見むとや

河上の夕荒れ吹雪止みぬれば帰らふ鳥の姿さへ見ず
 地吹雪というのは二月、ホワイトアウト、車を止めたら追突、どうしたらいいって一瞬。歩いて来て川へはまったり、押し流されてすんでにってやつ。
いついつか夕荒れ吹雪止みぬれば田井に安らふ社の木立も

恋ほしくば荒磯わたらへ鷺つ鳥風に問へるはその雪のむた
 鷺が飛んで来る、雪消えに水たまりができていたり、ごいさぎがよたって、助けを求めたり、ぽこんと穴が開いて、何か顔を出したり、りすのつがいがぶら下がったり。
君見ずやしのふる雪の木の間よもなんのものかはたはぶれ遊ぶ

きさらぎにふりふる雪はしかすがに霧らひこもして見附路わたる
 きさらぎじゃなくって、たいてい弥生なんだが、春めいてしかも雪は毎日降る。彼岸法要のための、雪のけが大仕事だった、今はブルがいっぺんでかき寄せ。
吾背子が遠へなれりつ降る雪のあはあは行かめこれの日長を

滝の門のまふらに雪の降りしけば押し照る月は堂のしとみも
 ゴムボートを持ってかさご釣りに行く、きつねめばるというんだが、沖のテトラポットに渡る、資源保護だといって中学のせがれがうるさい、でもまあ入れ食い。
鷺の森廻らふ月の久しくに妹が辺りも継ぎて見ましを

守門なる入りあへ深み降る雪の久しく止めばあり通ひける
 吉ケ平は全村引っ越して、笠掘は空家が目立つ、二三年もすりゃ雪でぺっちゃんこ、そう云えば、山地へ行けば、どこもかしこもそんなふう、生まれ育った故郷だのに。
夕ざれば粟がみ山にあかねさし春を待つらむ家路淋しも

代々をしも住みなしけむや春さらば雪崩やうたむ笠掘の郷
 下田村の一番奥のお寺は時宗だという、檀家仏教だで、まあ何宗だって同じこったが、浄土宗が二軒あって、先生をしていた跡取りが駆落ちして、一軒はつぶれ同然とかさ。
きつつきの穿てるあたり降り降りてまふら淋しも軒伝ひ行く

人面はたれぞ刻まむふる雪のしましく行くか月読み木立
 大面村に一本足りない人面村は、ひとづらと読む、そりゃもう豪雪地帯の、どんづまり村、冬始めて通って見た、道路は今はもうちゃんと除雪してある、しっくりといい感じの。
人面を我れも刻まむあは雪の久しく行くか月読み木立

年寄るはなんに淋しえしらたまの酒を酌みては月に一献
 七十近くなってやっと晩酌の味を覚えた、赤ワインが老人病にいいという、キリストさまの血だってさとか云って飲んでいたら、くせになった、2ちゃんねるの人が送ってくれたりする。
氷柱にはもがり吹けるに束の間も月さし出でてこれに一献

この鳥や雨はも雪にしのふるを蒲原田井と眺めやりつつ
 ヤフー掲示板で流行らかして、いっときは四位になった、2ちゃんねる荒らししたり、わっはっは年甲斐もなく。出合系サイトやって、弟子どもが差し止め。
蒲原のはざうら田井の烏さへ久しく春は告げなむものを

出雲崎春海波の寄せ返し恋ふらむ宿に雪は降りつつ
 ニュージーランドへ行きオーストラリアへ行きタイへ行き、もうこれでおしまいかな、あとはもう棺桶へまっしぐら、でもなにしろいてもたってもいられない春。
風吹けば散らへる雪のむたにしてあはにも行かめこれの日長を

うそ鳥は浮き世の花を啄ばまむたれぞ追ふらむ雪は降りつつ
 うそという鳥が花のつぼみを啄む、雀も花の蜜を吸う、めじろと違って花までむしる、稲の落ちこぼれとかなくなったせい、うそは赤い大きな鳥。
うそ鳥は浮き世の花を啄ばまむ吹く風しのひ春や追ふらむ