碧厳録3

第五十一則~第七十五則


第五十一則 雪峰是れ什麼ぞ

本則・挙す、雪峰住庵の時、両僧あり、来るって礼拝す。(什麼をか作す。一状に領過す。)峰来るを見て、手を以て庵門を托し、身を放って出て行く、是れ什麼ぞ。(鬼眼晴。無孔の笛子。頭を肇げ角を戴く。)僧亦云く、是れ什麼ぞ。(泥弾子。氈拍板。箭鋒相柱ふ。)峰低頭して庵に帰る。(爛泥裏に刺有り。龍の足無きが如く、蛇の角有るに似たり。就中措置するに難為なり。)僧後に巌頭に到る。(也須らく是れ問過して始めて得べし。同道方に知る。)頭問ふ、什麼の処よりか来る。(也須らく是れ作家にして始めて得べし。這の漢往々に敗闕を納る。若し是れ同参にあらずんば、ほとんど放過せん。)僧云く、嶺南より来る。(什麼の消息をか伝へ得来る。也須らく箇の消息を通すべし。還って雪峰を見る麼。)頭云く、曾て雪峰に到る麼。(勘破し了ること多時、到らずと道ふ可からず。)僧云く、曾て到る。(実頭の人得難し。打して両楔と作す。)頭云く、何の言句かありし。便ち恁麼にし去る。)僧前話を挙す。(便ち恁麼にし去る。重重敗闕を納る。)頭云く、他什麼とか道ひし。(好し劈口に便ち打つに。鼻孔を失卻し了れり。)僧云く、他無語。低頭して庵に帰る。(又敗闕を納る。汝且らく道へ、他は是れ什麼ぞ。)頭云く、噫、我当時悔らくは、他に向かって末後の句を道はざりしことを。(洪波浩渺、白浪滔天。)若し伊に向かって道はましかば、天下の人、雪老を奈何ともせじ。(癩児伴を牽く、必ずしもせず。須弥も也須らく粉砕すべし。且らく道へ、他の圏きー糸に貴ー什麼の処にか在る。)僧夏末に至って、再び前話を挙して請益す。(已に是れ惺惺ならず。正賊去り了ること多時、賊過ぎて後弓を張る。)頭云く、何ぞ早く問はざる。(好し与に禅床を掀倒するに、過也。)僧云く、未だ敢えて容易にせず。(這の棒本是れ這の僧喫せん。鼻孔を穿卻す。囚に停めて智を長ぜしむ。已に是れ両重の公案。)頭云く、雪峰と我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず。(漫天網地。)末後の句を識らんと要せば、只這れ這れ。(一般の人をれんー貝に兼ー殺す。我も也信ぜず。ほとんど分疎不下ならん。)

雪峰巌頭同じく徳山に参ず、雪峰諸方遍歴して、鰲山店において、巌頭にはげまされて、大悟す、我れ今始めて是れ鰲山成道と。巌頭は後に沙汰という、おおやけの難に会い、湖辺に隠れて渡し守りをする、両岸に板をかけ、人が板を叩くと、巌頭汝奈辺にか過ぐ、どこへ行くと問うて、芦辺から竿を舞わせて出ずと。雪峰は嶺南に帰って、住庵す。僧二人やってきて礼拝する。(なにをなす、礼拝すりゃ問うこと同じ、それとも問わずか。)峰来るを見て、庵の門を手に開いて、身を放って出て行って、云く、これなんぞ。(鬼眼晴っていうより、鬼眼を持つやつにはそう見える、ただこれ、すなわち孔のない笛を吹く、どうだというには、まさにこれをもってする。)僧云く、これなんぞ。ものはみんなこれなんぞなんです、事終わって雪峰低頭して帰る。雪峰は是、この僧は不是、てめえがかってに不是なんです、なんだあこりゃといって、他に答えを、すなわち言い訳屁理屈を期待する、(泥団子ですか、拍子をとっておうむ返しですか、でもってまったくに間違いなし。)峰低頭して庵に帰る。(泥団子に刺、ぐさっと刺さればいいんだが、なんかそうも行かず、ぱっくり食って、空団子、龍の足なく蛇に角ありってあっはっは、どうもこうもならんわこりゃ、mixiでも2チャンでもそういう思い多時。)僧後に巌頭に到る。(たいていまあ問過ぎて始めて、ありゃあと来る、どっか変だな、同道まさに知る、そりゃ巌頭に雪峰だ、大物の雪峰。)いずれの処より来る、どこから来たと、巌頭。(作家でなけりゃただの挨拶に終わる、ああそうですかとそれっきり、どかんぶんなぐって、へこんだきりってわけにゃ行かぬところ、これなんぞ。)嶺南より来る。(箇の消息、只管の消息、ただこれこれ、かえって雪峰を見るや。)曾て雪峰に到るや。(こう聞いてもう終わっているんですか、出会えば、契えば雪峰現前。)曾て到る。(架空の我と架空の事件と、ただこれ糠に釘、すべからく糠に釘。他なしです。)何の言句かありし。(雪峰に乗っかった。)僧前話を挙す。こうこうであったと云う。(雪峰無傷ですか、うっふう二度の敗北。)何云ったか。(口を裂いて鼻をもげ。得ればまたよし。)なんにも云わず、頭下げて庵に帰る。(また敗北やってる、どうだ、さあこりゃどういうこった、まずはおまえ云って見ろ。)頭云く、ああ残念だ、おれがそんときそこにいたら、あやつに向かって末後の一句を道ってやったのに。(うはあはたしてどかんと来たぞ、ひっくりかえして、さかさに振るってな、どうもこうも百年万年。)若し云って聞かせていたら、あいつも天下の人如何ともせじの大悟徹底人になったのにさ。(癩病やみ連れだって歩く、死の病とは仏の他になく、いやさ必ずしも連れだってじゃなく、須弥山も粉砕。さてさ、巌頭の仕掛けた罠ってどういうもんだい。うっふ。)僧夏末、修行期間のおしまいに、再び前話を挙す。(ちっとも役に立たなかった、曖昧模糊に過ごす、でもさ、せっかくとんでもない賊に会って、ぽんと持って行かれたのに、そいつにも気ずかず、今んごろ弓を張っている。なんでだ。)何ぞ早く問はざる。(禅床をひんめくったほうが早いよ。)未だ敢えて容易にせず。いいですかたいていこれです、答えを待って云おうとする、そんなんじゃない盲滅法やってみろ。わしもかつて独参に再度行かず悶々やっていたら、単頭和尚、雪担さん、行かずばわしにも考えがありますと云った。すわ殺されるってんで、夢中で立って歩いて行く途中に、すぱあと抜けるのを感じた、ははーんこういうのもあるかなと思うからに、元へ戻る、なんたらまあ余計ごとを。(囚に停めて智を長ぜしむ、あっはあだからいいっていうんですか、両重の公案、答えようとするのへ痛棒、なにかあると思うそいつをとっぱずせ。一瞬で足る。)雪峰我と同条に生ずと雖も、同条に死せず、どうじゃ見よ、雪峰と我と、そうしておまえと、末後の句を知らんと要せば、ただこれこれ。(そんなこというから人みな向こうへ行っちまう、なんにもねえの無事禅と区別付かないよ。)

頌・末後の句、(已に言前に在り。将に謂へり真箇と。覩著すれば即ち瞎す。)君が為に説く。(舌頭落ちぬ。説不著。頭有って尾無く、尾有って頭無し。)明暗双双底の時節。(葛藤の老漢。牛の角無きが如く、虎の角有るに似たり。彼此是れ恁麼。)同条生也共に相知る。(是れ何の種族ぞ。彼此没交渉。君は瀟湘に向かひ我は秦に向かふ。)不同条死還って殊絶。(柱杖子我が手裏に在り。争か山僧を怪しみ得ん。汝が鼻孔什麼と為てか別人の手裏に在る。)還って殊絶。(還って棒を喫せんと要す麼。什麼の模索する処か在らん。)黄頭碧眼須らく甄別すべし。(尽大地の人鉾を亡じ舌を結く。我も也恁麼。他人は卻って不恁麼。只老胡の知を許して、老胡の会を許さず。)南北東西帰去来。(収。脚跟下猶ほ五色の線を帯ぶること在り。汝に一条の柱杖子を乞へん。)夜深けて同じく看る千巌の雪。(猶ほ半月程に較れり。従他大地雪漫漫たることを。溝に填ち壑に塞がるも人の会する無し。也只是れ箇の瞎漢。還って末の句を識得する麼。便ち打つ。)

雪峰徳山の会下にあって飯頭となる、一日斎遅し、徳山托鉢してー鉢をかかげて、法堂に下り去る。峰云く、鐘未だ鳴らず鼓未だ響かず、這の老漢托鉢して什麼の処に向かってか去ると。山無語、低頭して方丈に帰る。雪峰巌頭に挙似す。頭云く、大小の徳山、末後の一句を会せずと。山聞いて侍者を喚んで方丈に至らしめて、問ふて云く、汝老僧を肯はざる那。頭密に其の語を啓す。山来日に至って上堂、尋常と同じからず。頭、僧堂前に於て、掌を撫して大笑して云く、且喜すらくは老漢末後の句を会することを。他後天下の人、他を奈何ともせじ。せっかくの傀儡芝居もなをまた三年を要す。得たといい、苦労したという、天下をとったといって、たいていはこれに拘泥して、ろくでもない品になる。あっはっは末後の一句、用い得て妙ですか、ただこれこれ。末後の句、(仏を用いず法を説かず、すでに言前に在り、でなかったら役に立たず、まさに思えりようやくにして真箇と、そう思ったとたんに堕地獄、まっ暗けです。)君が為に説く。(舌頭落ちぬ、なーんにもないんですか、なんにもないがあっちゃ、担いで帰る他なく、じつにこいつが不明、百叩き三十棒。はじまあっておわりなく、おわりあってはじめなく=君が為に説く。)明暗双双底の時節、明暗という、明中に当たって暗あり、暗相をもって遇ふことなかれ、暗中に当たって明あり、明相をもって覩ることなかれ。明暗おのおの相対して、比するに前後の歩みの如し。別にこれを俎板の上に乗せることはないんです、明暗といって差別するなら、もとただこう行なわれているだけです、差別平等など、意識上意識下などへたな考え休むに似たり、絶え間なしにことはこう行なわれ、取扱取り扱わずあり、かすっともかすらない、末後の一句というもと滞らないんです。(葛藤の老漢です、うっふっふどこまで行っても、虎の角あり、牛に角なきが如く、うまいこといった、是非善悪によったり、よらなかったりする、おもしろいっていうんでしょう、つまらないって云いますか。)同条生不同条死、ともに相識る、殊のほかに絶す、お互い出会うことなんぞほとんど無いんです、浮き世の義理でもほったらかしですか、でもって仲間っちゃあ渠をのみ。いっしょに飲むなんてえこともなかったりします。(これなんの種族ぞ、彼此没交渉。揚子江頭楊柳春、楊花愁殺渡頭人、一声恙笛離亭外、君向瀟湘我向秦。汝が鼻孔なんとしてか別人の手裏にある。どうですか、どこへ向かおうが別人の手裏にありじゃ生きた甲斐がないんです。)還って殊絶。これが生活そのものなんです、わっはっは思い入れ。(三十棒。模索そのもの。)黄頭碧眼すべからく甄別すべし、黄頭はお釈迦さま、碧眼は達磨さん、甄は瓦、甄別で明確に別ける、そりゃお釈迦さんと達磨さんはまったく違うよ、(そんなこと云うとたいていの人口をあんぐり、わしも同じたってわっはっは、そりゃ人のこた知らん、達磨さんを知って、達磨さんの境地を云わず、これ鉄則です、悟った人は如何という、答えがないんです。)南北東西帰りなんいざ。個々別々廓然無聖。(足下まだ五色の雲が棚引いていたりさ、はい一本の杖を授けますよ。)夜更けて同じく見る千巌の雪。まったくまあそういうこったです、仏のありよう、なを賛揚し尽くし難し、仏心は法界に充満し、あまねく一切群生の前に現ず、縁に従い喊におもむいてあまねからずということなし、しかもこの菩提座に処したもう。(なをこれ半月程、十五日の道程あってとっても届かぬという、かくかく云々大地雪まんまん、かえって末後の句を識得すや、すなわち打つ。)

第五十二則 趙州驢を渡し馬を渡す

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、久しく趙州の石橋と響く。到来すれば只略灼ー火ではなくぎょうにんべんーを見る。(也人有り来って虎髭を将ず。也是れ衲僧本分の事。)州云く、汝只略しゃくを見て、且つ石橋を見ず。(其の便りを得るに慣へり。這の老漢身を売り去る。)僧云く、如何なるか是れ石橋。(鈎に上り来れり。果然。)州云く、驢を渡し馬を渡す。(一網に打就す。直に得たり尽大地の人、気を出だす処無きことを。一死更に再活せず。)

趙州に石橋あり、李膺という名人が造って、天下にその名ありと、趙州は処の名。趙州城という城内に住む、如何なるか是れ趙州城。東門北門西門南門という問答がある。石橋にひっかけてこの僧問い来たる。かねて趙州の石橋と聞く、来てみりゃなーんだただの略しゃく、丸木橋じゃないかと聞く。(また人あり来って虎の髭をなでる、わっはっはっていうんですが、けだし虎のひげをなでるのが坊主の商売、これなきゃただの木偶。)州云く、汝ただ略しゃくを見て、かつ石橋を見ず。これたいていの人やるんです、なんのかの云ってただてめえの恥を云いつのる、おもしろいんですよ。ないものにとっかかりひっかかりする、てめえにいちゃもん付けているんです、石橋を見ずてめえの丸太棒を見る、うっふっふうってね。(其の便りを得るに慣へり、常識どっぷりつけの、常識しか見ない、キリスト教の確信犯はこりゃもうただの押しつけ、むかしはちっとはめりはりもあった、恥を知るんです、今は言を左右してただもううんちのようにひっつく。すなわち総ての宗教は同じ、平和博愛という、こりゃもうなんとも云う甲斐なし。うはは這の老人身を売り去る、趙州は是、わしは不是。はーい。)僧云く、如何なるか是れ石橋。(あっはっはつりばりに食らいついた、はたして。確信犯でなきゃ食らいつく、もっとも有耶無耶腹減らぬ連中とか、ほっといてくれ、おれはもうこれでいいんだとも云わずの、なめくじに塩。)州云く、驢を渡し馬を渡す、はい、おまえさんみたいな驢馬でさえ、ちゃーんとこう渡しているではないか、うっふうなめくじも付け加えるか。(一網に打就す、一網打尽、ひとかけらも残さないんです、これが大趙州、ぐうの音も出ないです、尽大地の人まったくに他なし、夢も希望もないんです、はい死んだらそれっきり。)

頌・孤危立せず道方に高し。(須らく是れ這の田地に到って始めて得べし。言猶ほ耳に在り。他に本分の草料を還さん。)海に入っては還って須らく巨鼇を釣るべし。(要津を坐断して凡聖を通ぜず。蝦蜆螺蚌問ふに足らず。大丈夫の漢、両両三三なる可からず。)笑ふに堪へたり同時の灌溪老。(也恁麼の人有り曾て恁麼にし来る。也恁麼に機関を用ふる底の手脚有り。)劈箭と云ふことを解するも亦徒らに労す。(猶ほ半月程に較れり。似たることは即ち似たり、是なることは即ち是ならず。)

孤危立せず道まさに高し、こりゃあ孤危に違いないんです。同類あるいは似たか寄ったかなんてのは、まるっきりいないんです。仏が孤独を云うなんてないです、道を云々どれだけよくなった、だからと云うこともないです。門徒の男が悟ったという、たいへんに苦労したという、もう一枚脱ぎ捨てて下さいというと、なんのかの云い募る。それじゃものにならないよと云うと、親鸞上人はとあげつらうんだが、はいどうぞごかってにと云っちまう、どうにもこうにも趙州和尚のようには行かんです、なんてえお粗末。(すべからくこれ這の田地に到って始めて得るべし、言なほ耳にあり、驢を渡し馬を渡す、かくの如くこうある、他に本分の草料をかえさん、てめえのこったと横面張ったって、そりゃ外様大名。)海に入っては、衆生の大海ですか、巨鰲は巨大な亀ですか、雑魚釣らない、蝦はえび、蜆しじみ、螺はたにしですか、蚌はこりゃかえる、ものにならんの釣り上げたって、三百代言やるっきりだ、だからおれはでもって終始する。(凡人聖人の問題ではない、両両三三、そんじょそこらに転がってはいないんだ、ふふ。)笑うに堪えたり当時の灌溪老、灌溪志閑、臨済の嗣。僧灌溪に問ふ、久しく灌溪と響く。到来するに及んで、只箇のおうー嘔の口をさんずいー麻地を見る。溪云く、汝只おう麻地を見て、且つ灌溪を見ず。僧云く、如何なるか是れ灌溪。溪云く、劈箭急なり。また僧黄龍に問ふ、久しく黄龍と響く、到来するに及んで、只箇の赤斑蛇を見る。龍云く、なんじ只赤斑蛇を見て、且つ黄龍を見ず。僧云く、如何なるか是れ黄龍。龍云く、だだ地ー龍の行くさま。僧云く、忽ち金翅鳥の来るに遇はん時如何。龍云く、性命存し難し。僧云く、恁麼ならば即ち他の食たんー口に敢ーに遇ひ去らん。龍云く、なんじが供養を謝すと。これ総に孤危を立す。是なることは即ち也是。力を費やすことを免れず。(恁麼の人あり恁麼にし来る、まるっきりなくなった人の、あるいは機関を用いる底の手脚、茹でた蟹の七足八足、さあてさ。)劈箭と云うことを解するも亦徒らに労す。(遠く及ばない、似たることは似る、是なることは未だ是ならず、ではせっかく驢を渡し馬を渡すに参じて下さい。)

第五十三則 百丈野鴨子

本則・挙す、馬大師百丈と行く次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。(両箇落草の漢。草裏にこんー車に昆ず。驀ちに顧みて什麼にか作ん。)大師云く、是れ什麼ぞ。(和尚合に知るべし。這の老漢鼻孔も也知らず。)丈云く、野鴨子。(鼻孔已に別人の手裏に在り。只管に款を供す。第二杓の悪水更に毒なり。)大師云く、什麼の処に去るや。(前箭は猶ほ軽く後箭は深し。第二囘啗啄す。也合に自知すべし。)丈云く、飛び過ぎ去れり、(只管他の後へに随って転ず。当面に蹉過す。)大師遂に百丈の鼻頭を捻る。(父母所生の鼻孔、卻って別人の手裏に在り。鎗頭を捩転し、鼻孔を裂転し来れり。)丈忍痛の声を作す。(只這裏に在り、還って喚んで野鴨子と作し得てんや。還って痛痒を識るや。)大師云く、何ぞ曾て飛び去らん。(人を瞞ずること莫くんば好し。這の老漢元来只鬼窟裏に在って活計を作す。)

百丈年若くして出家して、馬祖道一馬大師に心を傾けて依付す、二十年侍者となる。馬大師と行くついで、野鴨子の飛び過ぐるを見る、野鴨が飛んで行った、(二人ともにただの俗人、常識裏に転がって行く、なんのこたあない、景色を眺め、あれま鴨が飛んで行かあってなもんの、そいつがなぜとつぜんぎゃーすか云い出すんだ。これおもしろいんです、じつにまさにそういったものです、だがとつぜん見開く、解悟する、もしやかくの如く行なわれているってことを知る、夢にだも見ず。真相です。)大師云く、是れなんぞ。(和尚まさに知るべし、馬大師鼻の孔もまた知らず、ものみなかくの如く、現実であればあるほどに夢、識別観念を離れた実生活です、まあさいっぺんでいいからどっぷり漬けして下さい、なんだかんだ心身症吹っ飛ぶ。)丈云く、野鴨子、かもだ。老師、鳩かなんか飛んで行くのを見て、二人なんの鳥かという、老師がわしだと云った、二人わしなんかじゃないとか云って、ますます云い募る、あっはっはお粗末。(鼻孔すでに別人の手にあり、てめえの鼻まで人のもの、あれは鴨というから鴨だ、だからおれもそう云い、そう思い込まねばならぬ、といった罪状認否ですか、まあさどうせ別人のものなら、その鼻ごと、二杓めの悪水ぶっかけて。)大師云く、いずれの処に去るや、どこへ行った。(こっちのほうがぐさっと来る、第二囘啗啄、親が卵をつっついて殻を破るんです、はたしてさあ。)丈云く、飛び去れり、とんでっちまった。(なんとまあおうむ返し、ネタそのまんま、箭が刺さらない、鉄壁の常識。)大師遂に百丈の鼻頭をひねる。(父母所生の鼻孔、かえって別人の手に在り、どうだっていうんです、てめえも他人もあったもんじゃない、矛先を変えて、鼻の頭八つ裂き。)丈忍痛の声を出す、いたたってやつ。(ほうらこれっきり、野鴨子だって云ってみろ、え。いやさ、痛い痒いがわかるのか、いたたっていう、あるいは痛みいずれの所にかある。)大師云く、何ぞ曾て飛び去らん。なんで飛んでゆかねえんだ。こいつは効いた。(人を瞞ずることなくんばよし、たぶらかすなってんです、平地に波風を起こして、鬼に巣穴やっている、うっふっふ、虎穴に入らずんば虎児を得ず、どうしてもこれ知らずは、付和雷同右往左往の人。)

頌・野鴨子。(群を成し隊を作す。又一隻有り。)知んぬ何許ぞ。(用って什麼か作ん。麻の如く粟に似たり。)馬祖見来って相共に語る。(葛藤を打せば什麼の了期か有らん。箇の什麼をか説く。独り馬祖のみ有って箇の俊底を識る。)話り尽くす山雲海月の情。(東家の杓柄は長く、西家の杓柄は短し。知んぬ他葛藤を打すること多少ぞ。)依前として会せず還って飛び去る。(カ。道ふ莫れ他言ふことを会せずと。什麼の処にか飛び過ぎ去る。)飛び去らんと欲す。(鼻穴別人の手裏に在り。已に是れ他の与に注脚を下し了れり。)卻って把住す。(老婆親切。更に什麼とか道はん。)道へ道へ。(什麼とか道はん。也山僧をして道はしむ可からず。蒼天蒼天。脚跟下好し三十棒を与ふるに。知らず什麼の処に向かってか去る。)

野鴨子、(群をなし隊をなす、芦辺に群れている野鴨ですか、十把一からげにかもという、なにほどのことが解かったんですか、鴨という、そうかという、ではそれでよし次へと忘れ去る、日常のごみです、ふっと思い出す情景やっぱりごみですか、三つ四つの思い出という、たとい我というもの無うしてほうふつしますか、しかも我ありでは、百歩遅いんです、なぜか。)知んぬ何許、いくばくぞ、なにほどのことを知っているというのか、知るほどに知らず、(用いてなにかせん、くそ役にも立たぬ雑多です、分類学科学にたよったとて同じ、知るほどに知らぬ、あっはっはこれを知る仏入門です、始めにわざありき、言葉ありきの迷妄を知る、知識は力なりという、しまいには同否おなじになるんです、キリスト教などの末路ですか、おれの云うことを聞け、でないと祟るぞというほかに、なんにもなくなってただもううんちのようにくっつく、テルゼという成れの果てがいたな、けだし観念知識の末路ですか。右の頬打たれたら打ち返せ、うっふ。麻の如く粟に似たりで可。)馬祖見来ってあいともに語る。見るとは何、知るとは何。(どーんと底をぶち抜いて下さい、葛藤だろうが迷妄だろうが、そのまんまに我なし、風景と同じなんです、とんでもない世界ですよ、ねんねえやってないんです、馬祖ひとり俊底を識る、なんぞ曾て飛び去らんと。)語り尽くす山雲海月の情。はいほかに風景なぞないんです、一般の人ただもう死んでいるんです、平家なり太平記には月も見ず、そうさなあ、花は花月はむかしの月ながら見るもののものになりにけるかな。真っ黒い球が夜突っ走る、どばあっと蘇るんです。(こんなこと喋ったってしょうがねえやな、ねんねの自分打破する、ぶち抜くよりないんです、杓子の長短にゃよらん。)依前として会せず、百丈飛んで行っちまったよと云う。(カというのは口で囲む、かと喝する、てめえのはらわたさらけ出す。ばかがてめえこっち、あれむこうってのか。)飛び去らんと欲す、卻って把住す。あっはっはそうと知って、野鴨になって飛び去ろうとする、かえってそうしている自分がこっちへ残る。(蛇足もいいところの、すでに終わっているではないか、なにをまあ老婆親切。)道へ道へ。できりゃあ空前絶後事です、一言耳を聾す。(うっさい鴨の鳴き声じゃないんだ、おれに云わせようってのか、あほうめが、蒼天蒼天、悲しいかな知れるものなし、いずれの処に向かってか飛び去る。)

第五十四則 挙す、雲門、僧に問ふ、近離甚れの処ぞ。(也西禅と道ふ可からず。探竿影草。東西南北と道ふ可からず。)僧云く、西禅。(果然としてはなはだ実頭。当時好し本分の草料を与ふるに。)門云く、西禅近日何の言句か有りし。(挙せんと欲すれども恐らくは和尚を驚かさんことを。深く来風を弁ず。也和尚に似て寐語するに相似たり。)僧両手を展ぶ。(敗闕し了れり。勾賊破家。妨げず人をして疑著せしむることを。)門打つこと一掌。(令に拠って行ず。好打。快便逢ひ難し。)僧云く、某甲話有り。(汝翻款を要せんと待つ那。卻って旗をひき鼓を奪う底の手脚有るに似たり。)門卻って両手を展ぶ。(嶮。青龍に駕与すれども騎ることを解せず。)僧無語。(惜しむ可し。)門便ち打つ。(放過す可からず。此の棒合さに是れ雲門喫すべし。何が故ぞ。断ずべきに当たって断ぜざれば返って其の乱を招く。闍黎合さに多少を喫すべし。一著を放過す。若し放過せずんば作麼生。)

蘇州西禅は南泉の嗣、近離いずれの処ぞ、どこから来た。(また西禅と道ふべからず、西禅がそっくり自分のものになった、あるいは卒業すれば西禅なし、どうなったか探竿影草、さぐりを入れるんです、一言発すれば解かる、というよりもとから現れる、東西南北と云うべからず、どこから来てどうなった、ごみあくたです、5W1Hというんでしょう、なんの役にも立たぬのを知って下さい、記憶をさぐればたしかにある、だから何なんです、再度顧みるによし。)僧云く、西禅。門云く、近日何の言句か有りし。何か云っていたか。(ちゃんと得るものは得たというんです、ぶっつけるにはまず挨拶ですか、深く来風を弁ず、うっふっふ、ひっかついで来たんですか、それともてんでんぱあですか、物云えば寝言、はあてな。)僧両手を展ぶ。(どうだというには敗北、見せるんじゃしょうがない、たとい破家散宅も未だ是ならず、たしかに一著あるんです、雲門でなけりゃしてやられる。)門打つこと一掌。(令によって行ず、決まり文句ですか、いいえ仏を行ずるんです、つうかあこれ、間髪を入れずは、言い訳だからどうのがない、ものさしはおのれ。虚。)僧云く、それがし話在り。(翻款、裁判の供述をひるがえす、いや違うんだこれこれこう、旗をひき鼓を奪う、敵軍の指揮を奪い取る、雲門をひっくりかえすには、まどろっこしい、はたして。)門卻って両手を展ぶ。(嶮。わっはっは、これまあ二重の公案どころではないな、そっくり相手になって、どうだっていう、相手の顔をぬうっとさ、(青龍という名馬、せっかく乗っかっても卸することができない、西禅の仏法かくの如しと、絵に描いた餅ですか。)僧無語。(惜しいかな、ひっぱたきゃいいのにってさ、あっはっは。)門すなわち打つ。(この棒まさに雲門が喫すべきなのに、断ずべきに当たって断ぜざれば、其の乱を招く、登竜門です、雲門を透過する、別段のことはない、たったの一棒。どうだいおまえさん方は、ちらとも顧みる、すなわち敗北、いやさ、今からでも遅くはない、一言云ってみろ。)

頌・虎頭虎尾一時に収む。(殺人刀活人剣。須らく是れ這の僧にして始めて得べし。千兵は得易く、一将は求め難し。)凛凛たる威風四百州。(天下の人舌頭を坐断す。蓋天蓋地。)卻って問ふ知らず何ぞ太だ嶮なる。(盲枷瞎棒す可らず。雪竇元来未だ知らざること在り。闍黎相次著也。)師云く、一著を放過す。(若し放過せずんば又作麼生。尽天下の人一時に落節す。禅床を撃つこと一下。)

虎頭虎尾という、僧両手を展ぶ、雲門すなわち打つ、何がどうなっていったい虎頭なんですか、能書き以前に知る、あるいは不知なれば、すなわち知って下さい、棒下にこれを得る、納得ずくではないこと。雲門両手を展ぶ、僧無語、門又打す、なんでこれ虎尾なんですか、なんで収まるんですか、一塵上がって大地まったく収まる、何があったんですか、なんにもなかったんですか。猿芝居なんからごら坊主にしかないんです、(殺人刀活人剣。すべからくこの僧にして始めて得べし、右往左往しているんじゃないんです、両手を展べる、一将は求め難し。ほかなんにもなしを知る、これ先決、即ち大力量これ。)打しえてもって、凛凛たる威風四百州、今どき臨済みたいに、見性した赤飯炊いてみたり、白衣をつけて無門関だ碧眼を卒業した云々じゃ、そりゃ自閉症、なんの役にも立たぬ手前味噌です。(天下の人の舌頭を坐断す、モーツアルトが出ようが、どん亀が出ようが、烏が鳴こうが、ひとりよがりの神さまだろうが、一言もないんです、複雑怪奇な卒業証書じゃない、わずかにおのれ一個を断ず。断ずるわかりますか、手放すんです、蓋天蓋地これ。)卻って問ふ知らず何ぞはなはだ嶮なる。雲門という後先なしです、事起こってまったく収まる、ほかなしは、日々是好日。(盲枷瞎棒、臨済坊主どものでたらめ、曹洞坊主どものむちゃくちゃ、且喜すらくは、仏教とはなんの関係ないんです、ちらとも仏あれば盲枷瞎棒は、厳に慎むべきです、雪竇未だかつて知らざることあり、坊主どもうっかりかんですか、いいえちらとも知るあれば百棒。)師云く、一著を放過す、ついに握っているところを手放す、あっはっはいつだってこれが方式ですか、蓋天蓋地を知る。(手放さないとき如何。うっふっふなーんにも手放していない人、はーいわし、だれかれ同じ妄想うんこまみれだってさ、そいつを知らない、自覚症状ゼロ、どうしようもないぜこやつ、くっせえかな、あれ臭わんぜ、どうしよう一著を放過を手放しちゃったんです、困ったやつ。禅床を撃つこと一下。)

第五十五則 道吾漸源と弔慰す

本則・挙す、道吾漸源と、一家に至って弔慰す。源棺を拍って云く、生邪死邪。(什麼と道ふぞ。好し惺惺ならず。這の漢猶ほ両頭に在り。)吾云く、生とも也道はじ、死とも也道はじ。(龍吟れば霧起こり、虎嘯けば風生ず。帽を買ふに頭を相ず。老婆心切。)源云く、什麼としてか道はざる。(蹉過了也。果然として錯って会す。)吾云く、道はじ、道はじ。(悪水驀頭に注ぐ。前箭は猶ほ軽く後箭は深し。)囘って中路に至って、(太だ惺惺。)源云く、和尚快やかに某甲が与に道へ、若し道はずんば、和尚を打し去らん。(卻って些子に較れり。穿耳の客に逢ふこと罕に、多く舟を刻むの人に遇ふ。這般不喞留の漢に似たらば、地獄に入ること箭の如し。)吾云く、打つことは即ち打つに任す。道ふことは即ち道はじ。(再三須らく事を重んずべし。就身打劫。這の老漢満身泥水。初心改めず。)源便ち打つ。(好打。且らく道へ、他を打って什麼か作ん。屈棒元来人の喫する有る在り。)後に道吾遷化す。源、石霜に到って、前話を挙似す。(知って故さらに犯す。知らず是か不是か。是ならば即ち也太奇。)霜云く、生とも也道はじ、死とも也道はじ。(はなはだ新鮮。這般の茶飯卻って元来人の喫する有り。)源云く、什麼としてか道はざる。(語一般なりと雖も意に両種無し。且らく道へ前来の問と是同か是れ別か。)霜云く、道はじ道はじ。(天上天下。曹溪の波浪如し相似たらば、限り無き平人も陸沈せられん。)源言下に於て省あり。(瞎漢。且つ山僧を瞞ずること莫くんば好し。)源一日鍬子を将って、法堂に於て、東より西に過ぎ、西より東に過ぐ。(也是れ死中に活を得たり。好し先師の与に気を出すに。他に問ふこと莫れ。且らく這の漢一場の漏羅するを看よ。)霜云く、什麼をか作す。(随後婁数也。)源云く、先師の露骨を覓む。(喪車背後に薬袋を懸く。悔ゆらくは当初を慎まざりしことを。汝什麼と道ふぞ。)霜云く、洪波浩渺、白浪滔天、什麼の先師の露骨か覓めん。(也須らく他の作家に還して始めて得べし。群を為し隊を作して什麼か作ん。)雪竇著語して云く、蒼天蒼天。(太遅生。賊過ぎて後弓を張る。好し与に一坑に埋卻するに。)源云く、正に好し力を著くるに。(且らく道へ、什麼の処にか落在す。先師曾て汝に向かって什麼とか道ひし。這の漢頭より尾に到り、直に如今に至るまで出身することを得ず。)太原の孚云く、先師の露骨猶ほ在り。(大衆見る麼。閃電に相似たり。是れ什麼の破草鞋ぞ。猶ほ些子に較れり。)

道吾円智、薬山の嗣青原下四世。漸源仲興、道吾に継ぐ。この時は侍者であった。弔慰す、これはまた葬式に行って棺桶叩いて、生か死かとやっている、今そんな坊主いない、らごらの御坊じゃ、わっはっはもっての外。浮かばれないことはなはだの葬式ごっこ、紙ぺら一枚の血脈授与、すなわち坊主をぶったたいて、生か死かとやるによし。(なんと云うぞ、もっての外のこった、見えておらんな、生死の二股膏薬、なおさらどっかにひっかかっておるぞ。)吾云く、生とも道はじ、死とも云はじ。(龍吟ずれば霧おこり、虎嘯けば風生ず。そいつがわからんようじゃ、百年遅い、生死のたがに併せて心を整え、あっはっはそいつに併せて問答する、老婆親切、いいですかこれ、うっふたいていまあこうやってるです、帽子にあわせて頭をととのえる愚、せっかく親切もビールの泡。)源云く、なんとしてか云はざる。(このまちがいわかりますか、ではおまえ云ってみろ、咄と、生死を免れると云って、生死の間、あるいは何。)吾云く、道はじ道はじ。(悪水驀頭もただのこれ真相です、真相だからと云うんでは千年遅い、どうじゃと再度確かめる、確かめるといって何を。ないものはたしかめられん。はい生死。)卻って中路に到って、ちったあ惺惺ですか、まあさ、源云く、和尚それがしが与に道へ、応えがわかっているんですか、そりゃもうお粗末、まさかそんなわけじゃあ、若し道はずんば打し去らん。(ノウハウを問う人ばっかり、つまらないんです、一歩抜きんでて問う、こやつがまあ困難、どやつもこやつも堕地獄。)吾云く、打つことは打つに任す、道はじ。露骨じゃない、真相露れっぱなし、打てという、道はじを打つ。真相というもの失せ。(再三事を重んず、後生大事にやってらあ、あほか。初心改めず、二重の公案ていうのは、ものすべからく両重の公案、初心これ。)源すなわち打つ。(好打。うっふ二重の公案。他を打ってなにかせん、はあっと気がついて下さい、屈託なきがごとくに。)道吾遷化す、石霜に前話を挙す。石霜慶諸は道吾の嗣、青原下五世。(知ってことさらに犯す、だからそういう児戯に類することやってちゃ駄目です、はーいご苦労さんて云われるが落ち。)霜云く、生とも道はじ、死とも道はじ。(はなはだ新鮮、まったくかくのごとくの日常茶飯、気がついて下さい、寸分の齟齬なし。)なんとしてか道はざる。(前の問いと同じか否か、まるっきり違ったりさ、あっはっは。)道はじ、道はじ。(曹溪の波浪、六祖は曹溪山に拠る、もし相似たらば、両重の公案、人陸沈さる、木端微塵の沈没です、あとかたも残らない。)源言下に於て省あり。(そうかという、たしかに一瞬全世界陸沈、悟りと云う、うふうわしを瞞ずること莫んばよし、悟りだってさ。)源一日鍬をもって、法堂の東から西へ、西から東へ。(死中に活を得る、いいやまさに、せっかく師匠を弔うんです、云わんとけ、麼羅はりっしんべんつき、恥さらしするに任せ。)霜云く、なにしてんだ。(随後婁数、分別なく人の語につきしたがう、はい石霜のことです。)先師の露骨を覓む。(葬車背後に薬袋を懸く、死体に薬、事すでに及ばず。なにをやってんだ。)洪波浩渺、白浪滔天、両手を広げてかくの如しという、どうだと云う、なんの先師の露骨をか覓めん、露骨です、万象のうち独露身、皮袋破れてなんの露骨、はーいそいつをしなけりゃ収まらん、一場の麼羅。(石霜に遇うて雲散霧消、世間たわけ草。)雪滔著語して云く、蒼天蒼天、ああ悲しいかなだってさ。(あんまり遅きに失っした、雪滔も一つ穴に埋卻ってこった。)源云く、まさによし力を著くるに、仏を得るんですか、仏を捨てるんですか、うっふうけりをつけるんだってさ、まさか。(出身のところありやなしや。)太原の孚、雪峰の嗣。先師の露骨なほあり。(そりゃまあそういうこったな、破草鞋の処、行脚の終わるところ、なあるほどこれってことあって、なを些子に較れり、そうねえようやく修行が可能になるんです。)

頌・兎馬に角有り。(斬。はなはだ奇特。はなはだ新鮮。)牛羊に角なし。(斬。什麼の模様をか成す。別人を瞞ずることは即ち得たり。)毫を絶し釐を絶す。(天上天下唯我独尊。汝什麼の処に向かってか模索せん。)山の如く嶽の如し。(什麼の処にか在る。平地に波乱を起こす。汝が鼻孔を祝土著す。)黄金の露骨今猶ほ在り。(舌頭を截卻し、咽喉を塞卻す。一辺に拈向す。只恐らくは人の伊を識得すること無きを。)白浪滔天何の処にか著けん。(一著を放過す。脚跟下に蹉過す。眼裏耳裏著くることを得ず。)著くるに処無し。(果然。卻って些子に較れり。果然として深坑に没溺す。)隻履西に帰って曾て失脚す。(祖禰了ぜざれば、累児孫に及ぶ。打して云く、什麼と為てか卻って這裏に在る。)

兎馬に角あり、牛羊に角無し、毫を絶し釐を絶す、山の如く嶽の如し。この我らがありよう、寸分の違いなし、兎に角という、いいことはいいことだ、だからという、いつのまにか人間本来を忘れて、是非善悪のひよこ、ぴーこぴーこと蚊の泣くようなまあ、だってもみんなそう云うからと、右往左往。(ぶった斬るによし、目を見開くこれ畢生の大事、ものみな始めて見る如く。ぶった斬れ、よってもって付和雷同、だから仏法だといって、夢からまた夢の、どうしようもないではないか。毫釐という、大には方処を絶し、細には無間に入る、天上天下唯我独尊です、これまったくの実感なんです、理論観念を振り回す学者、猿の月影を追うという、インキの染みです、そうではない模索不著それ自身。他なしを知るんです、知れるものなし。たとい平地に乱を起こすも、もとまったく収まる。)黄金の露骨今なほ在り。そりゃああるんです、金輪際忘れられぬ、師嗣相伝ですか、一器の水が一器に一滴漏らさずと、あっはっはなにをたわけたことを。(識得すること無しをもってする、拈花微笑、倒折刹竿著。)白浪滔天いずれの処にか著けん、死んだ魚じゃないんです、おれは悟った如来だなときちがい、仏はこうあるべきという、石っころ邪魔、そうじゃない獰龍の自由自在。(ただこうあるっきり、著くるなし。)著くるに処無し。(これを得たという、まるっきり違うんです、あるいは元の木阿弥、深坑に没溺は、うっふうそれっきり、暗室うつらずとな。)隻履西に帰って曾て失脚す、達磨さんが草履かたっぽう持って西に帰ったという、かつて失脚す、どうしようもこうしようもないんですよ、しかも我をおいてこの事なし。(祖禰、祖先の廟です、了じおわって始めて、ただの人、でなけりゃかたくなに、うるさったいだけ、門徒はじめ他の諸宗のかつて夢にも見ざること。あっはっは、持って回る物無しですよ。)

第五十六則 欽山一鏃破三関

本則・挙す、良禅客、欽山に問ふ、一鏃破三関の時如何。(嶮。妨げず奇特なることを。妨げず是れ箇の猛将なることを。)山云く、関中の主を放出せよ看ん。(劈面来也。也大家知らんことを要す。主山高く按山は低し。)良云く、恁麼ならば即ち過ちを知って必ず改めん。(機を見て作す。已に第二頭に落つ。)山云く、更に何れの時をか待たん。(擒有り縦有り。風行けば草偃す。)良云く、好箭放って所在を著ずといって便ち出ず。(果然。翻款を待たんと擬す那。第二棒人を打するも痛からず。)山云く、且来闍黎。(呼ぶことは即ち易く遺ることは即ち難し。喚び得て頭を囘らさば什麼を作すにか堪へん。)良頭を囘らす。(果然として把不住。中れり。)山把住して云く、一鏃破三関は即ち且らく止く、試みに欽山が与に箭を発せよ看ん。(虎口裏に身を横たふ。逆水の波。義を見て為ざるは勇無きなり。)良擬議す。(果然として模索不著。打して云く、可惜許。)山打つこと七棒して云く、且らく聴す這の漢、疑うこと三十年せんことを。(令合に恁麼なるべし。始有り終有り。頭正しく尾正し。這箇の棒合に是れ欽山喫すべし。)

欽山文邃、洞山良价の嗣。良禅客は巨良という人。一鏃破三関の時如何、一本の矢で三つの関をぶち抜く、(嶮、あぶないこったな、まさにまたこれ猛将。はい三関ってなんですか、若しあると云えば、山のような瓦礫の堆積、はいあなたのこってす、ぶち抜こうとしているものこれ、ぶち抜いたと云っているものこれ。禅門の三関なんてありっこないんです。)山云く、関中の主を放出せよ看ん。はいまさにまったく、答えはこれ以外にないんです、そうですよ、いつだってこれ以外になく、試みに挙せよ看ん、汝に三噸の棒を許す。(宮城第宇を造営するに、主山、按山、輔山を設ける、北に高きを主山、南に低きを按山、連なりてこれを輔くるを輔山と。劈面来や、真正面他なしです、あっはっは主山は高く按山は低いことを知って下さい、いろはのい。)良云く、恁麼ならば即ち過ちを知って必ず改めん。なんとな、おれが過っていたらば、必ず改めるが、さあ云ってみよという、とろいんです、なにか持っているという証拠を曝け出す。(機を見てなすには違いない、すると第二頭に落つ、第二頭も第一頭もまったくないんです、機を見ることなし、どうですかこれ。)山云く、更に何れの時を待たん。何を寝言云ってるんだってんです、(さっさと取れ、手さしのべりゃ即ち伏す、暖簾に腕押しじゃ、しょうがない。)良云く、好箭放って所在をえずといって便ち出ず。せっかく破三関の箭を放ったのにどこへ行ったかわからないという、所在を得ず、まさに答えのまっただ中、だれしもこれです、答えのまっただ中にあって、これを得ず。(翻款を待たんと擬すな、別の判決が出るものと思っている、そうなんです、だかららち開かないんです、なんのかんのいう、第二棒です、てめえよいと思っている、ちえ頭へ来る、うっふっふ、こんの野郎めどかっとやっつけて、短気は損気のいつも馬鹿やっているのが、わしです、そこへ行くと欽山和尚、はてな。)山云く、且来闍黎、おいこっちへおいでと呼ぶ。(呼ぶほうがたやすい、行かせるほうが難しいとさ、でもって頭を囘らせば、何をかなす。阿呆めがと蛇足ですか。)良頭を囘らす。(はたしてです、てめえ払袖して出るにはお釣りが来る。)山云く、一鏃破三関は即ちしばらくおく、こころみに挙せよ看ん。(ほっぽっときゃいいのにって、義を見て為さざるは勇無きなり、てめえをぬうっとさし出した、逆水の波。)良擬議す。(模索不著です、惜しいかな、もう一歩を踏み出して、まったく虚空に浮く。)山打つこと七棒して、しばらく許す這の漢、疑うこと三十年せよと。(令まさに恁麼なるべし、他にはないんですが、他にはないんですよ無始無終、この棒はまさに欽山喫すべし、賛成。)

頌・君が為に放出す関中の主。(中れり。当頭に蹉過す。退後退後。)放箭の徒莽鹵なること莫れ。(一死再活せず。大いにごうー言に肴ー訛。過ぎ了れり。)箇の眼を取れば兮耳必ず聾す。(左眼半斤。一著を放過す。左辺前まず右辺後れず。)箇の耳を捨つれば兮目双べ瞽す。(右目八両。只一路を得たり。進前する則んば坑に堕ち塹に落つ。退後する則んば猛虎脚を銜む。)憐む可し一鏃破三関。(全機恁麼に来る時如何。什麼と道ふぞ。破也堕也。)的的分明なり箭後の路。(死漢。咄。打って云く、還って見る麼。)君見ずや、(癩児伴を牽く。葛藤を打し去る。)玄沙言へること有り兮。(那箇か是れ玄沙にあらざる。)大丈夫天に先って心の祖と為ると。(一句截流万機寝削。鼻孔我が手裏に在り。未だ天地世界有らざる已前、什麼の処に在ってか安身立命せん。)

帰宗智常に長頌あり、帰宗事理絶云々の中に、棄箇眼還聾。取箇耳還瞽。一鏃破三関。分明箭後路。可令大丈夫。先天為心祖。とあって、これを用いる。宗に帰する事理を絶す、ものみなのまっただ中です、事理を尽くす以前に実際です、すなわちこれを知らんけりゃどうもならんです。無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法という、眼を捨てればかえって聾、耳を取ればかえって瞽。あっはっは面白いですねえ、目で聞き耳で見るほどなら、たいていだれでもでみますよ。一鏃破三関は、ただこれ自分という仮設を木端微塵です、もとないものを後生大事。分明に見るんです、箭の通った後ですか、箭を射る者も箭もなし、何をどうして何とやらの、関係学を払拭する、点と線ではなく個々別々。すなわち大丈夫、天にさきがけて心の祖となる。はいこれ。君が為に放出す関中の主。君というのは天子ですか、天子というのはあなたですか、たとい関中の主という、手足になり策謀する官人です、坐っていて、必ずこあるべきいや違うをやっている、そいつが失せるんです、おのれというそのおのれも知らず、すなわちこれ至心帰依。(中れり、まさに中るんですよ、当頭に蹉過す、入頭の辺領に四の五のやっている、そいつが失せる、退歩の術です、自分というでしゃばりをなくして行く、ただこれ。)放箭の徒莽鹵なることなかれ、微妙この上ないんです、莽鹵は愚かしく粗暴なること、こうあるべきだからこうだというそれ、自らを運んで悟ろうとする、莽鹵です、万象のすすみてこれを証するを、まさにこれ。(一死再活せず、わずかにこれを得る、死ぬるよりないんです、はい死んだものは蘇らんです、ごう訛、うっふどうしようもないんです、善人一般の顰蹙を買うだけ、過ぎ了れり、人間を卒業する。)箇の眼を取れば耳必ず聾す。(一著を放過すれば全体通ずと、こうやるべきといってはやる、それを見ているものあれば即ち不可。シーソーのぎったんばっこんではしょうがないですよ。)箇の耳を捨つれば目双べ瞽す、瞽は盲、ぜこの瞽。(ただ一路を得るという、しでに深坑に堕す、深坑のみのとき深坑なし、ちらとも顧みるあれば、猛虎に足をくわえられ。あっはっはこれ坐る人、よくよく知るんです、ざまあみろってね。)憐れむべし一鏃破三関。(いいからやってごらんなさい、什麼と道うたって道うに道う者なし、破家散宅。色不異空と、まずはてめえ屋敷の敷居を跨いで下さい、即ち外の空気吸うっからかな。)君見ずや、(癩病やみがひきつれ歩く、玄沙和尚常に、大丈夫天に先だって心の祖となるの語を用いた、だれかこれ玄沙にあらざる、提婆宗は仏心宗と、他の諸宗をただこれ迷妄と顧みぬところ、よくよく見てとって下さい、諸悪莫作とはまさにこれ、うっふう癩病やみになるっきゃないでえ。)玄沙言へること有り。大丈夫天に先だって心の祖となると。(ただの人、一句截流万機寝削、はいただこれを味わって下さい、うっふうまるっきりのひとりぼっちだよ、孤独なんてけちなネタじゃないんです。)

第五十七則 趙州田庫奴

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀択と。如何なるか是れ不揀択。(這の鉄しつーくさかんむりに疾ー黎。多少の人呑むことを得ず。大いに人の疑著する有る在り。満口に霜を含む。)州云く、天上天下、唯我独尊。(平地上に骨堆を起こす。衲僧の鼻孔一時に穿卻す。金剛鉄券を鋳る。)僧云く、此れ猶ほ是れ揀択。(果然として他に随って転じ了れり。這の老漢を拶著す。)州云く、田庫奴、什麼の処か是れ揀択。(山崩れ石裂く。)僧無語。(汝に放す三十棒。直きに得たり目とうー目に登ーし口こー口に去ーすることを。)

至道無難唯嫌揀択、ただ憎愛無ければ洞然として明白なりと、三祖信心銘の劈頭にあり、趙州好んでこの句を用う、至道無難、唯嫌揀択、ただ憎愛無ければ洞然として明白なり、余は明白裏にあらず、汝等還って護惜すやまた無しや。第二則にあります。道に至るに難なし、ただあれこれ選り好みをしない、憎愛を離れれば洞然として明白、もとからこのとおりというんです、臨済の祖師、至道無難禅師はこの語によって省ありと、これよくよく見て下さい、至道無難を得るには、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき。あるいは、人あって地獄を問う、身心に科あるを地獄と云う。また人あって極楽を問う、身心に科なきを極楽と云う。では仏とは何か、身心なきを仏という、身心なきは死体と同じではないか、しかり、死体と同じこれわが宗旨なりと。わかりますか、わずかに唯嫌揀択を得る、てめえのくされ衣裏表ひっくりかし、垢やのみ払うんじゃなく、いったん脱ぎ捨てる、あるいは脱着自由、いいですか衣取ったらてめえないんです、まずもって底抜け。如何なるか是れ不揀択。(この鉄しつり、鉄菱ですかね、ぐさりと来る、どう足掻いても免れられんです、七転八倒ついに足掻くものこれ、三百代言屁理屈じゃどうにもならんです、満口の霜を溶かし去って下さい、かすっともあっちゃ、これ揀択、余は明白裏にあらず、汝らかえって護惜すや否や。)州云く、天上天下唯我独尊。(これですよ、まったくこれこの答えの他なしってわっはっは、大趙州、かすっともかすらないのを観察していては、大活現成しないんです、参ずるとはただわずかにこれ、いそしんで下さい。金剛鉄券とな、ただ一枚こっきりの場外券。)僧云く、此れ猶ほ是れ揀選、くっそう馬鹿が。(はたして他の物差しをあてがい見る、つまりてめえを用いずの観念、どこまで行こうが答えの出ないやつ、しょうがない鳴物入りが、大趙州の髭を撫ず。)州云く、田庫奴、田舎者ですか、下賤無恥のやから。いずれの処か是れ揀択、実際と思い込みの違いなんです、揀択ないから天上天下唯我独尊なんです、二二んが四より単純な理屈、思い込みをもってする、田庫奴、厚顔無恥のやから、はいあなたです、あなたのお仕着せおんぼろ衣、悪臭粉々たる、あなたという思い込みですかあっはっは、趙州までそうだと思い込む、ぐわなんてえまた。山崩れ石裂く、はいどうぞ。

頌・海の深きに似。(是れ什麼の度量ぞ。淵源測り難し。也未だ一半を得ざること在り。)山の固きが如し。(什麼人か撼し得ん。猶ほ半途在り。)蚊虻空裏の猛風を弄し。(也恁麼底有り。果然として力を料らず。はなはだ自ら量らず。)螻蟻鉄柱を撼かす。(同坑に異土無し。且得没交渉。闍黎他と同参。)揀たり兮択たり兮。(水を担って河頭に売る。什麼と道ふぞ。趙州来也。)当軒の布鼓。(已に言前に在り。一坑に埋卻せん。麻の如く粟に似たり。打って云く、汝が咽喉を塞卻す。)

海の深きに似る、虚空そのものですか、わずかに揀択なく、天上天下唯我独尊事、(まさにこれなんの度量ぞ、測り難し、他の物差しによらぬ、観音さまの掌ですか、虚空に似てしかも人です、触れるものあり、でなかったら仏教とは云えない、しかもなを未だ一半を得ざることあり、はいこれです、一00歳だろうが二00歳だろうが、日々新です、一半を得ざるあり、これ仏教。)山の固きが如し。他またどうしようもないんです、因果必然そのものですか、かくあるべしというヒヨコ担板漢とは違うんです、(何人か動かし得ん、うっふっふ不動心とは動かぬものじゃないんですよ、だったらじき壊れる、なを半途あり、すなわちこれ、先生みたいに知識の切り売りは、そりゃあ思考停止、鼻持ちならない厄介ものです、たとい禅門、そんな無様であっちゃならんですよ。)蚊虻空裏の猛風を弄し、蚊子鉄牛を咬むという、仏にいちゃもんをつける、まさにこれが実際、天に向かって唾するよりみっともない、(恁麼底という、仏の悟りに六十二段ありなど云われる、たしかに悟っては捨てする六十二段、世尊金欄の袈裟の他に箇の何をか伝うと、大真面目に問うんです、初心これ、阿難と召す乃至倒折刹竿著、はじめて修行ということがあるんです、さあどういうことですか、お釈迦さまの修行。力を料らず、はなはだ自ら量らず。)螻はおけら、蟻鉄柱を動かす。(うっふう同坑に異土無し、同じこったというのです、おけらですか鉄柱ですか、はいわしはおけら。)揀たり択たり、至道無難よくよく参じて下さい、喜怒哀楽に蓋をしたら化けて出るきりです、オール真正面にぶっつけて、坐って坐って坐り抜く以外ないんです、でもって結果が出るんですか、さあどうなんです。(水を担って河頭、河馬に売るんですか、河童のほうがいいか、うっふうなんと云うぞ、趙州来也。うわあ逃げろ。)当軒の布鼓、当軒は分明にあり、布鼓は音が出ない、無用の長物。無敵の艦隊これ。(さあなんか云ってみろ、たってこりゃぶったたかれても、一言もないんですか、同じ穴のむじなじゃ、いぎたなし。)

第五十八則 趙州分疎不下

本則・挙す、僧、趙州に問ふ至道無難、唯嫌揀択と。是れ時の人のかーうかんむりに巣ー窟なりや否や。(両重の公案。也是れ人を疑はしむる処。秤鎚に踏著すれば硬きこと鉄に似たり。猶ほ這箇の有る在り。己を以て人を方ぶること莫れ。)州云く、曾て人有って我に問ふ、直に得たり五年分疎不下なることを。(面の赤からんより語の直からんには如かず。胡孫毛虫を喫す。蚊子鉄牛を咬む。)

至道無難、唯嫌揀択、道に至るに難無し、ただ揀択を嫌う、いいわるい、こうすべきだなど云わない、ただ憎愛無ければ、洞然として明白なりと。如何なるか是れ不揀択、天上天下、唯我独尊と。どうですかすんなりとはいそうです、その通りですと云えますか。たといその通りだとして、透過できますか、どこがいったい無難なんですか、おれには到底不可能だなと、直に得たり、五年分疎不下。言い訳が出来ぬ、答えられぬ、取りつく島もないんですか、取りつく島もなし=はいあなた自身と、どうですか、趙州の意作麼生。時の人のか窟なりや否や。なんてえ質問ですか、わっはっは答えて云く、曾て人有って我に問ふ、直に得たり五年分疎不下。はいあなたですか、そっくり照らし返す、明鏡亦台にあらず、がーんと棒喝よりいやさ効果なんてもんじゃないです。この問題我と我が身心にあり、他の介入とはまさにこれ、趙州来る、逃げも隠れもできない、(両重の公案とな、まだるっこいことを云ってないんです、てめえ疑いあれば人を不安にさせるのみ、だからといって秤鎚一寸刻みも、うわっと吹っ飛ぶ、わっはっはたいていの人趙州を見ずに、てめえの醜悪を見る、はいおまえと指し示す、急転直下底なし。)赤面して正直を得る、もしやまあ至道無難、胡孫毛虫を喫す、胡孫は猿だってさ、猿が毛虫を呑吐不下、まずは一00人喫する能わず、いやんなっちまうぜ、しゃあない勝手にさらせ、ぴーこぴーこ蚊の泣くようなことまくしたてやがってさ、あほらし。うふ。

頌・象王頻ー口へんー呻し。(富貴中の富貴。誰人か悚然たらざらん。好箇の消息。)獅子考ー口へんー吼す。(作家中の作家。百獣脳裂す。好箇の入路。)無味の談。(相罵ることは汝に饒す。嘴を接げ。鉄楔子に相似たり。什麼の咬嚼の処か有らん。分疎不下五年強。一葉舟中に大唐を載す。渺渺兀然として波浪起こる。誰か知る別に好思量有ることを。)人口を塞断す。(相唾することは汝に饒す水を溌げ。夷。闍黎甚麼と道ふぞ。)南北東西。(有り麼有り麼。天上天下。蒼天蒼天。)烏飛び兎走る。(自古自今。一時に活埋せん。)

象王来る時狐狸の類姿をくらますと、就中そうは行かない世の中ですか、なにさ一箇半分まさにかくの如くあれば、他いたって平静。ひんしんはうーんと伸びをすることですとさ、曾て人有り我れに問ふ、直に得たり五年分疎不下と、あっはっはまさにこれ。ですとさってみたいな言。問者をつまんでほったらかすこともせず、(富貴中の富貴とはなんにもないこと、ほんとうになんにもない人、一万年に一人と云うが如く、生まれ本来、生まれる以前ですか、ただの人、財を知らぬ富貴中の富貴、仏教という卑しい道具建てをしないんです、わかりますか、会う人悚然、寒気卓立です、居る場所がないんです、好箇の消息。)獅子こう吼す、獅子ってのはわっはっは吼えるっきゃないですか、欠伸ってのはだめですか。(作家中の作家、小説の作家じゃない強いて云えば大説の作家、物差しがないんです、物差しなしで一言云ってごらんなさい、できたら印下うっふ。まず無理だわな、趙州何物か、ちらとも見るによし、百獣脳裂す、はい無門関。)無味の談。まあさ、別段のこたないです、たしかには五年分疎不下、中途半端でお茶を濁す人九九、やり遂げようとする一。だからそう云ったって話、なあおまえさんよってなもんの、人口を塞断す、まったく出口なし。(じたばた騒いでいるなあ、嘴をつげとさ、鉄のくさびって、なんの咬嚼の処かあらんて、いやはやおっしゃる通りです、分疎不下強。一葉舟中に大唐を載せ、達磨にあらずこれ趙州、渺渺として波浪起こる、たとい何あるったって、他にはもうまったくないんです。)人口を塞断す。(唾することは汝に任す、てめえにひっかかるだけ、水をそそげ、さあそそげ、なんにも云えんでしょうが。)南北東西。はい南北東西。(天上天下唯我独尊事如何、かすっともかすらんのでしょう、有りや有りやと問ふに蒼天、悲しいんですよ。)烏飛び兎走る、日はめぐり月はうつるんですか、それともあなたが烏という、兎という余りものですか。(いにしへいまという、まるっきり他なし。)

第五十九則 趙州只這の至道

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、至道無難、唯嫌揀択。(再運前来。什麼と道ふぞ。三重の公案。)纔かに語言あれば是れ揀択。(満口に霜を含む。)和尚如何が人の為にせん。(這の老漢を拶著す。カ。)何ぞ這の語を引き尽さざる。(賊は是れ小人、智君子に過ぎたり。白拈賊。賊馬に騎って賊を追ふ。)僧云く、某甲只念じて這裏に到る。(両箇泥団を弄する漢。箇の賊に逢著す。だー土に朶ー根敵手し難し。)州云く、只這の至道無難、唯嫌揀択。(畢竟這の老漢に由る。他に眼晴を換卻せらる。捉敗了也。)

趙州云く、至道無難、唯嫌揀択、纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず、是れ汝等還って護惜すや也無しやと。時に僧有り問ふて云く、既に明白裏に在らずんば箇の什麼をか護惜せん。州云く、我も亦知らず。僧云く、和尚既に知らずんば、什麼としてか明白裏に在らずと道ふ。州云く、事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了って退け。わずかにもの云うあれば、取捨選択により、あるいは明白である、どうですかこれ、人間の議論、善いの悪いの、喧嘩や戦争の原因、平和だという明白にして、争いを起こすこと、よくよく見てとって下さい。余は明白裏にあらず、わたしというものがない、主義主張によらないただの人、元の木阿弥です。よくよく考えて下さい、たいていそんなこと不可能なんです、なぜか。汝らかえって護惜すや否や、どうしても何かしら欲しい、自分という立身出世です、はじめにわざありき、言葉ありきです、でないとなんにもならない、なんにもならないはおぞましい、いやだという。さあよくよく知って下さい、おのれとは何か、うっふう答えを得たいんでしょう。僧あり問ふ、すでに明白裏にあらずんば、箇の何をか護惜せん、ほうら護惜しているんですよ、我れもまた知らず、知らないんですよ、てめえを露呈するだけなんです、やりこめたって糠に釘です。すでに知らずんばなんとしてか明白裏にあらずと云う、論理じゃこういうことになるんです、馬鹿ったいです。事を問ふことは即ち得たり、しょうがないやつめ、礼拝しおわって退れ。大趙州です、こそっともせんです。至道無難唯嫌揀択。(さあまたやって来た、この僧未だしですか、なんと云うつもりだ、無難なら生まれる前のお茶の子さいさい、揀択なら問うことなし、かれに問うんですか、てめえにですか、いやあなたに、何を。)わずかに語言あれば是れ揀択。(満口に霜を含む、霜を溶かして下さい、うっふふ。)和尚如何が人の為にせん。こりゃま小人、てめえというものあるが故に、にっちもさっちも行かぬ。(老僧を拶著するっとは、カ。)州云く、なんぞ這の語を引き尽くさざる、ただ憎愛無ければ洞然として明白、老僧は明白裏にあらずと、まあさ、云ってみればみーんな答えは出ているってふうのさ、(君子の智恵ですか、けちくさいって云うんです、みんな仲良く平和に、満口に霜を含むこと再三、白拈賊はすり、すりの上前刎ねるってなわけの、いいことはいいからのキリスト教も、人の財布で勝負ですか、どうにもこうにも醜悪。)それがし只念じて這裏に到る、これが嘘なんです、一心に考えたと云いながら借り物、醜いんですよ、まずもってこれを知る、(両箇泥団を弄するの漢。わっはっは大盗人に出会ったですか、君子じゃない、わけのわからんコングロマリットに根っこ張ってては敵対し難し、ただの人にはお手上げ。)州云く、ただ這の至道無難、唯嫌揀択。ほんとうに人の為を知る、自分という囲いなければなんです、これしか方法はないんです、すべての人が幸せにならなければ個の幸せはないんじゃなくって、一箇光明なれば四維を照らすんです、世の中をよくする方法はたったのこれっきゃないんです、よくよく行じて下さい。(まあさ趙州でなければ、この説得なしと、そんなこたあない、人みなこれあって他なし。)

水灑げども著かず、風吹けども入らず、虎のごとく歩み、龍のごとく行く。趙州の風貌かくのごとく、良寛さんのありようも、まさにどっかそんなふうです。常識歴史から食み出して、なをかつ常識歴史のまんま、とやこう批判やあげつらうことしない、人間から出外れて、まったくの人間です、一挙手一投足面白いんですか、あるがまんまと人みなの云う、まったく関係ないんです。(何をか説く、自説も仏説もない、大深遠生とはただの人、底なしが人生、あいともに語る人なし、あいともに語る必要がないんです。)風吹けども入らず、無風なんですか、いいえ滞るなし、暖簾に腕押しほどの、跡もつかず。(虚空のごとくに相似たり、虚空そのものになり終わってのちの修行です。硬くってかちかちだとさ、おもねる付和雷同みたいななんにもない、良寛さんもそうであったな、空を望んで啓告す、ただの人がただの人ではないことを知って下さい。)虎歩龍行。(他家自在を得たり、突き放すんです、捉えることをしない、思い込み独善の分が微塵もないんです、わかりますかこれ、触れるものみな解き放す。これ仏。)鬼号び神泣く、この僧ただ一場の麼羅大恥かきしたってだけでなく、鬼も叫び神も泣く、でなかったらなんの日送りぞ。うっふう行ったり来たり。(大衆耳を掩う、どうしようもないんです、咬み難く捉えがたし、草のようにのべふす、闍黎、雪竇われらも御同様さまですかって、あっはっは。)頭長きこと三尺、知んぬ是誰ぞ。僧、洞山に問ふ、如何なるか是れ仏、山云く、頭長きこと三尺、首長きこと二寸と。 わっはっはまさに良寛さん、彼に出会えばまさにこの感想。(怪物ですかね、箸にも棒にもかからんです。いずれの聖人=らしいのきちがいとは無縁。宗教者というおぞましさ、もっともろくでもないもの、ありがたやのうじむし、右の頬を打たれれば左を差し出せとべったり取っ付く、うわたまらん。使徒という虎の威を借る狐。人間が宗教を卒業したら、はじめていっちょう前。)相対して無言独足にして立つ。思い込みひとりよがりをもって説得という、うるさったいことをしない、しかも宇宙の中心です、ただこれ。(咄、頭を縮めて去る、はいはいってなもんです、わしとこそんなありがたいことしてませんのでー、僧堂の門前払いですか、一著を放過す、創加学会だの、門徒だ既成諸宗いんちき宗教、みなまさにどうにもこうにもです、ほんとうがないから数を頼んでってだけの、思い込みご利益、山しょうは一本足のお化け、すだま。そうですなあ宗教者と比べて下さい、どっちがろくでもないんですか、でもさ、ほっとくってわけには行かない、くっさあほっとけ。)

第六十則 雲門柱杖化して龍と為る

本則・挙す、雲門柱杖を以て衆に示して云く、(点化は時に臨むに在り。殺人刀活人剣。汝が眼晴を換卻し了れり。)柱杖子化して龍と為り、(何ぞ周遮することを用ひん。化することを用ひて什麼か作ん。)乾坤を呑卻し了れり。(天下の衲僧性命存せず。還って咽喉を礙著する麼。闍黎什麼の処に向かってか安心立命せん。)山河大地、甚の処よりか得来る。(十方壁落無く、四面亦門無し。東西南北四維上下。這箇を争奈何せん。)

雲門柱杖を以て衆に示して云く、柱杖子化けして龍と為り、乾坤を呑卻し了れり、山河大地甚の処より得来る。柱杖、柱はてへんです、杖です、見ろこやつが龍となって乾坤を丸呑みしちまった、山河大地いずれの処より得来る、さあどうなっているんだというんです。さあどういうことですか。杖が龍となるってなんのこっちゃ、てめえ食われるじゃないかって、乾坤を呑卻するんです、てめえまるごと消えちまうです、だったらどうなる、獰龍ばっかりの天地、はてなあ天地も呑卻すとある、ではいったいぜんたいー。あっはっは面白いんでしょう。参ずるとはこういうふうにやるんです。柱杖を以て衆に示して云く、(点化、これだと示して云う、ではこれっきりになって下さい、時に臨むとは他なしです、比較検討しないんです。龍と化すんです。うわあこれだと大死一番大活現成。常識歴史来し方行く末がいっぺんに吹っ飛ぶ、如来現ずるを待つ、すなわち人生とはこれ、如来を渇仰するか、現じているかの二つに一つです。)柱杖子化して龍と為り、(周遮は迂回の義、もってまわること、龍を用いて何かせん、あほなことやっとるなと云うんです、直接で存分です。)乾坤を呑卻し了れり。(天下の衲僧性命存せず、まったく自分に用なしなんです、就中これがわからない、如何なるか是れ道と求めて、まがきの外と聞く、垣根の外にはアスファルトの道、はあっと気がつくわけには行かぬようです。てめえの垣根を取り去るとは、山河大地だけです、死んでから七年めのおまえさんというと、龍と化けないんですか、だれも忘れ去ってなんにもないの新聞記事。わが求めるは大道なりと云って、いいことしいの三重丸ですか、大道通長安。さあ乾坤に呑卻し尽くされましたか、未だしと、ふうなーんてこった、外に向かって参ぜよという、すると内があったり。咽喉を礙著せん、自分失せるにつれ咽喉にひっかかる、あっはっはどうってこたないですよ、一歩を出でよ、いずれの処に向かってか安心立命せんと、そんな用はないんです、まあさてめえを如来に預けてごらんなさい、預ける自分がなくなるんですよ。)山河大地、いずれの処よりか得来る、不可思議なんです、ぴったり行くんです、自分=山河大地の、しかも自覚なしの覚。(十方壁落無く、四面亦門無し、悟ったよという風景じゃないんです、境地だの天才だのの入る余地がないんです、金剛不壊疵なしの玉。)

頌・柱杖子乾坤を呑む。(什麼と道ふぞ。只用ひて狐を打たん。)徒に説く桃花の浪に奔ると。(向上の一竅を撥開すれば、千聖斉しく下風に立つ。也雲を拏ひ霧を攫む処に在らず。説き得て千遍満遍せんより、如かじ手脚籠一遍せんには。)尾を焼く者も雲を拏ひ霧を攫むに在らず。(左之右之。老僧只管看る。也只是れ一箇の乾柴片。)腮を曝す者も何ぞ必ずしも胆を喪し魂を亡ぜん。(人人気宇王の如し。自ら是れ汝千里万里。争奈せん悚然たることを。)拈了也。(慈悲を謝す。老婆心切。)聞くや聞かずや。(草に落つることを免れず。聞くことを用ひて什麼か作ん。)直に須らく灑灑落落たるべし。(残羹そうー食に叟ー飯。乾坤大地甚の処よりか得来る。)更に粉粉紜紜たることを休めよ。(令を挙する者先ず犯す。相似に汝が頭上に到る。打って云く、放過せば即ち不可。)七十二棒且く軽恕す。(山僧曾て此の令を行ぜず。令に拠って行ず。頼に山僧に値ひ得たり。)一百五十君を放し難し。(正令当行。豈に只恁麼にし了る可けんや。直饒朝打三千、暮打八百するも、什麼を作すにか堪へん。)師驀に柱杖を拈じて下座。大衆一時に走散す。(雪竇竜頭蛇尾にして什麼か作ん。)

柱杖子乾坤を呑む、大用現前規則を存せず、自分というこのものがまったく無くなるんでしょう、なくなるを見ている者がない、大自在を得るんです、天上天下唯我独尊事は、だからといってふんぞりかえる、なにかしらであると見做すんではないんです、これが他の諸宗あるいは思想道徳とまったく違うんです、おのれをなにかしらと見做す、乾坤に呑み尽くされていない、参禅は自らを観察しない、いいのわるいのしない、これが出来なければ座禅にならない、わかっちゃいるけど就中どうにもこうにもってね、三十棒七十二棒、ともあれぶっ叩いてぶっ叩いてさ、はーいどうしようもなし。(なんと云うぞ、この杖ただ用いて狐たぬきの類を打たん、はいその通り。)徒らに説く桃花の浪に奔ると。けだし兎門に三級の波有り、三月に至るごとに、桃花の浪みなぎる。魚よく水に逆らって躍って浪を過ぎる者は、即ち化して龍となる。雪竇云く、たとい化して龍となるも、またこれ徒に説くと。(向上の一竅と、仏はこうである、かくなってこそと開き直る、これ一竅穴ぼこです、そんなことあるわけがない、知らぬもっとも親切、知っている分が嘘です、如来ぽっかり咲いた花、見れども飽かぬ山河大地、極楽浄土などいう汚れじゃないんです、さあてさ人間だけが嘘の醜悪、たとい雲を掴み霧をひっ攫をうと、説き得て千遍万遍するよりは、手脚羅籠ただこれ。)尾を焼く者も雲を拏ひ霧を攫むに在らず、魚兎門を過ぎれば、自ずから天火ありて尾を焼き、雲を拏らひ霧を攫って去ると、雪竇の意は、たとい化して龍となるも、雲をつかみ霧をひっさらう者にあらずと。腮を曝す者も何ぞ必ずしも、肝を喪し魂を亡ぜんと。兎門を透過せざる者は、点額して、額にばってんを付されて囘り、死水砂石に困じて、その腮を曝すと。清涼法眼、華厳大観の序に云く、積行の菩薩、なを腮を龍門に曝すと、よくよくこれを鑑みて下さい、何事が問題になっているんですか、悟を得る得ないではない、仏とは何か、おのれはどうあるべきかという、まったくそれ以外にないんです。(ただ一箇の枯れ柴に過ぎぬ、乾坤を呑卻し終わること如何、左右これ。)腮を曝す者もなんぞ必ずしも肝を喪し魂を亡ぜん。(一寸の虫にも五分の魂、どこへどう転んだっててめえ主なんです、だったら救え、悚然たるは悚然たるをもってする、皮一枚剥ぐによし、他なし。)拈了也、聞くや聞かずや。(慈悲を謝す、救いの手を差し伸べるんですか、龍になれなかったこのもの全体、はい救い終われり、老婆心切。草に落ちることを免れず、じゃうっふどうしようもないさ。)直にすべからく灑灑落落たるべし。(自分失せるにしたがいこれ、いいのわるいのだからどうのいう、そいつが消えるんです、たとい竜頭蛇尾も関係なく、乾坤大地さらに不要。)更に粉粉紜紜たることを休めよ。(令を挙さないんですか、挙するんですか、あるときは挙し、あるときは挙さず、なあにさもとからただの人、ものみな有耶無耶うっふ。)七十二棒且く軽恕す。(ぜんたい。打っても打たずともなあ。)一百五十君を放し難し。(まさにこれ。)師驀に柱杖を拈じて下座。大衆一時に走散ず。(あっはっは。)


第六十一則 風穴若し一塵を立すれば

本則・挙す、風穴垂語して云く、(雲を興し雨を致す。也主と為り賓と為らんことを要す。)若し一塵を立すれば、(我法王為り法に於て自在なり、花簇簇、錦簇簇。)家国興盛し、(是れ他の屋裏の事にあらず。)一塵を立せざれば、(蹤を掃ひ跡を滅す。眼晴を失卻す。鼻孔に和して失す。)家国喪亡す。(一切処光明。家国を用ひて什麼か作ん。全く是れ他家屋裏の事。)雪竇柱杖を拈じて云く、(須らく是れ壁立千仞にして始めて得べし。達磨来也。)還って同生同死底の衲僧あり麼。(我に話頭を還し来れ。然も是の如しと雖も、不平の事を平らげんと要せば、須らく雪竇と商量して始めて得べし。還って知る麼。若し知らば汝に許す自由自在なることを。若し知らずば朝打三千暮打八百。)

風穴延沼、臨済下四世。若し一塵を立すれば、家国興盛し、一塵を立せざれば、家国喪亡すと。さあどういうことですか、一塵を立するとは何、雪竇柱杖を拈じて云く、かえって同死同生底ありや。これをもって全く仏法の義終わる。他の諸宗、思想哲学道徳倫理の類と違う、趣味趣向の問題ではないことを知って下さい、これいろはのい。何かしら他にあると思っている間は悟れない、祖師の関は通らないです。人間一個=すべての知識歴史宇宙あるいは社会全般、あげて一塵になり終わって下さい、一塵興って大地まったく収まる、これのうしては仏はないです。一挙手一投足従い天地興るこれ、ようやくに大自在、あっはっは山川草木と同死同生底、すべからくものみなの喜びこれ、生きていてよかったなど、反芻動物しないんです、まったくに箇の万万歳うっふっふ。一塵を立すれば、(雲を興し雨を致す、天地創造なんていう以て回った委任状じゃない、てめえ主となり客となる以外ないんです、ほかまったくの無意味。)若し一塵を立すれば、(我法王たり法に於て自在なり、法華経譬喩品の句だとさ、人みな法王、いえものみなすべて法王、法とは何、かえってこの中にあり、知るや知らずや、花簇簇錦簇簇、棺桶の紋柄だってさ、あっはっはそんなこたないです、法というかれこれ云うものなければ、花簇簇錦簇簇、いやさ蒼天。)家国興盛し、(さあやってごらんなさい、これ他の屋裏の事にあらず。)一塵を立せざれば、(ものみな有耶無耶の天地創造以前ですか、そういうヒエラルキーじゃないんです、興るときまったく興り、亡ずるときまったく亡ずるんです、しかも蹤なく跡なし、波と大海と同生同死、どうですかとやこう云ってないでまさにこれ、他にはないんです、さあさものみな有耶無耶如何。)家国喪亡す。(一切処光明、光明を用いて何かせん、心の水に澄む月は、波も砕けて光とぞなる、なにしろ大騒ぎじゃないんです、平らかにこれを得て下さい、心なき身にも哀れは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れと、どうか一転して下さい、もとこれ他なし。)雪竇柱杖を拈じて云く、(すべからく是れ壁立千仞にして始めて得べし、取り付く島もないんです、達磨来也=はいあなた自身。)かえって同生同死底の衲僧ありや。(しかもかくの如くなりと雖も、不平を平らげんと欲せば、すべからく雪竇と商量して始めて得べし、はーいそうです、とことんやって下さい、雪竇をぶっ殺すもよし、まるっきり影響を受けなくなるまで、でなきゃ使い物にならんよ、朝打三千暮打八百。)

頌・野老従教眉を展べざることを。(三千里外箇の人有り。美食飽人の喫に中らず。)且く図る国家雄基を立することを。(太平の一曲大家を知る。行かんと要すれば即ち行き、住らんと要すれば即ち住まる。尽乾坤大地是れ箇の解脱門。汝作麼生か立せん。)謀臣猛将今何にか在る。(有り麼有り麼。土曠かに人稀にして相逢ふ者少なり。且く点胸すること驀れ。)万里の清風只自知す。(傍若無人。誰をしてか掃地せしめん。也是れ雲居の羅漢。)

眉を展べざる、顔をしかめて心配そうにすること、従教さもあらばあれと読む。南泉衆に示して云く、黄梅七百の高僧、尽く是れ仏法を会する底の人、他の衣鉢を得ず。唯蘆行者のみ有って、仏法を会せず。このゆえに他の衣鉢を得と。又云く、三世の諸仏有ることを知らず、狸奴白狐卻って有ることを知ると。野老或いは顰蹙し、或いは謳歌す。あっはっはどういうこったかわかりますか、なんかこりゃマスコミ流ですか。そう云えば六祖禅師はマスコミ受け。(三千里外箇の人有り、三千里の外にあるっていうんです、マスコミはおろか一般の手が届かぬ、浪花節流でもなければ、美食飽人の喫する能わず。)且く図る家国雄基を立することを、この法王、世界に向かってメッセージなんてことしないんです、博覧強記でもなく、英語もドイツ語もまあたいてい知らないんです、ただ嘘をつかない、真実そのもの、いたって箇です、すなわち家国雄基を立する、あるときまさにこうならんきゃ嘘です。(太平の一曲大家を知る、自分の他にはまったくないんです、第一人者、独立独歩人です、行住坐臥これ、箇の解脱人、汝そもさんか立せん、はいこれ大問題ですよ。)謀臣猛将今いずくにか在る、なにしろ必死にぶち抜くんです、こうやりゃこうなるなんて寝言たわごとじゃ届かない、思いつく限りのそれ以上のことをやる、死ぬなら死んでみろ、世界中めちゃんこの猛将です、でもってそれが失せる、今いずくにかある。(有りや有りや、無いわけはないんです、謀臣猛将これなんぞ、日常茶飯ですか、いいえちらとも見えず、土はるかにあい会う人稀なり、そりゃまったくその通り、点胸は、てめえの胸指さしてどうだっていう、自慢するんです、そりゃあるときそうするはな。唯一人者。)万里の清風自知す、でもって大安心ですか、灑灑落落は他にまったくいらんのです、威張るなんてえけちなことしない、雪月花若しくはこれ。(傍若無人、雲居の羅漢は自負すること、はいはーい珍重。)

第六十二則 雲門形山に秘在す

本則・挙す、雲門衆に示して云く、乾坤の内、(土曠に人稀なり。六合収むることを得ず。)宇宙の間、(鬼窟裏に向かって活計を作すことを休めよ。蹉過了也。)中に一宝有り、(什麼の処にか在る。光生ぜり。切に忌む鬼窟裏に向かって覓むることを。)形山に秘在す。(拶。点。)灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、(猶ほ商量しつ可し。)三門を将って灯籠上に来たす。(雲門大師是なることは即ち是、妨げずごうー言に肴ー訛なることを。猶ほ些子に較れり。若し子細に点検し将ち来らば、未だ屎臭の気を免れず。)

乾坤の内宇宙の間、中に一宝有り形山に秘在す。形山とは四大五蘊肉体のこと、これ肇法師の宝蔵論の数句なりと、肇維摩経を写して、老荘の未だ妙を尽くさざるを知り、羅什を礼して師となす。一日難に遭い、刑に臨んで七日の猶予を乞い、宝蔵論を造る。これたしかにみな宗門の説話と符合す、かつてこれを得るか論のものか、今雲門これを用いる、乾坤の内、(このとおりはるかにこうあるんです、見聞覚知のとおりです、では悟る悟らぬに拠らぬ、ではいったい何か、土はるかに人稀なりという、いったん自分という五紜こんぐらかりコングロマリットを去って下さい、見聞覚知即ちこれ、かすっともかすらないんですよ、生活そのものです、六合とは天地四方です、収めること不可能、まさにこれ。)宇宙の間、(鬼窟裏に向かって活計をなすことを休めよ、どうしてもこれをやるんです、平らかに行かない、仏とはおのれとは、こうすべきだだからといって、平地に穴を穿つ、どうやったら座禅になるかといって、七転八倒する、そうしている間は座禅にならない、自分がやっている、そいつを休めればもと乾坤宇宙なんです、推量するに従い、宇宙も物理も不毛の禿頭、あるいは科学というものの即ち不始末です、中にあって暮らし尽くすこと、真相とはこれ、過ちを知って手つかずになる、自ずから只管です、まるっきりただ。)中に一宝有り、(どこにあるんだい、光明を放つってさ、そうかいそりゃ丁重。そりゃまたしかに、宝と云わんきゃならん理由。)形山に秘在す、おまえさんの中にあるよってさ、云うに云われぬ理由。(どうじゃ、これを知ってこれを用いること。)灯籠を拈じて仏殿裏に向かい、どうですか、本堂伽藍と灯明ですよ、じゃことはそれっきりないんです、乾坤宇宙まさにこれ。(なほ商量しつべし、いやさ四の五の云わない、伽藍堂と云ったら伽藍堂。)三門は山門と同じ、をもって灯籠上に来たす、はいあなた自身これ、形山に秘在せる一宝。ええまったく他にないんです、唯一無二の宝。(雲門ごうが、いい加減杜撰ていうんですか、物差しで計った正解より、よっぽど間違いないんですか、へったくそって云われたり、あっはっは。未だ屎尿臭い=抹香くさいと同じですか、まあさ是は是。)

頌・看よ看よ。(高く眼を著けよ。看ることを用ひて什麼か作ん。驪龍珠を玩ぶ。)古岸何人か釣竿を把る。(孤危は甚だ孤危。壁立は甚だ壁立。賊過ぎて後弓を張る。脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ。)雲冉冉。(打断して始めて得ん。百匝千重。灸脂帽子、鶻臭布衫。)水漫漫。(左之右之。前に遮り後へに擁す。)明月蘆花君自ら看よ。(看著すれば即ち瞎す。若し雲門の語を識得せば、便ち雪竇末後の句を見ん。)

霊光独り耀いて、遑かに根塵を脱す。体露真常、文字に拘らず。心性無染、本自ら円成。但妄縁を離るれば、即ち如如仏と。本来無一物という、実際にこれを知る、元の木阿弥なんです、それをもって回って、なんにもない、無一物だからという、遠くて遠いんです。霊光独り耀くことをたとい本人も知らず、根塵を脱するという、まっぱじめから何事も身に就かず、仏というんでしょう、知らぬが仏ですか、文字にかかわらずとは、たとい百万年修行も、なんにもならなかったことを知る、うっふっふどうにもこうにもですよ、たしかに仏説の通りにものみなある、手に取ったお椀の中にころりと入る、自分というかけらもなしに、ものみな円成。だからなんだというんです、一瞬千変万化、なんにも得てはいない実際です、自分というさっぱりかんです、相手にならんのですよ、すると幾分か体露真常ですか、わっはっはそんなこた知らんです。看よ看よ。(見るに見るものなし、見られるものなし、なーんにもならんのぞっと空っけつ、高く眼を著けよとは何事、驪龍珠を弄ぶんだって、そりゃまあご馳走さま、てやんでえ勝手にやっとれ。)古岸何人か釣竿をとる、お釈迦さま達磨さんの道ですか、宗教家やってるんですって、そいつはろくでもない、人類のうちのはなわだかす。灯籠仏殿ですか、そいつはご苦労さん、山河大地失笑す。(孤危は甚だ孤危、壁立は甚だ壁立。まあさ元の木阿弥、なんの取りえもないんですよ、すると風通しがいいんですか、人でなしの物云い、賊過ぎてのち弓を張る、若しや仏教という百歩遅し、えらのある奴は悪漢だ、たくらみごとあるから気をつけろと、中国では云った。仏ありゃ企みごと、気をつけろ。)雲冉冉、冉はたなびく貌。(打断して始めて得る、あいつもえらく打たれていたからなあと、印下後に如浄禅師の云う、だれあって自負しわれこそはという、そいつを落とすにはぶったたく以外にないですか、叩かれないやつはたいていいつまでたっても。百匝百回堂々巡り、千重いつまでも同じ問題をさ、なぜか、でもってお灸の脂のくっついた帽子、鶻臭腋臭の臭いのする衣、うひい人間のやることまあさこれ、なんいも得られずに立ち返って下さい、おまえさんはさっぱりもうなんとも役立たず、生まれて来なりゃよかったんだ、はーい、うふ坐っていうの、形造ることできますか、うんまあ時には。)水漫漫みなぎるありさまです。(ただこれ、まったく別段のことはないんです、虎を描いて猫にもならず、おのれは元に栄造生、来し方捨て去らず。)明月蘆花自ずから看よ、すばらしいっていうかなつかしいっていうか、ただっていうそれありますよ、強いて云えばあるいは生死これ。(仏はとかだらといったら、それっきり馬鹿になる、生死とはこれ生死。)

第六十三則 南泉猫児を斬る

本則・挙す、南泉一日、東西の両堂猫児を争ふ、(是れ今日合閙なるのみにあらず。也一場の漏逗。)南泉見て遂に提起して云く、道ひ得ば即ち斬らじ。(正令当行。十方坐断。這の老漢龍蛇を定むるの手脚有り。)衆対なし。(惜しむ可し放過することを。一隊の漆桶什麼を作すにか堪へん。杜撰の禅和麻の如く粟に似たり。)泉猫児を斬って両断と為す。(快哉快哉。若し此の如くならずんば、尽く是れ泥団を弄するの漢。賊過ぎて後弓を張る。已に是れ第二頭。未だ挙起せざる時好し打つに。)

東西の両堂は今でも西序東序と云って大衆は東西に別れて並ぶ、どっちみち猫に仏性ありやまた無しやとか他、収まりの就かぬ議論沸騰ですか、時に二僧あい争う、風動くか旛動くか、遂に収拾が就かぬのへ、六祖出て、風も動かず、旛も動かず、汝が心動くなりと云って、けりをつけた。これ面白いんですよ、風に木の葉が揺れ動く、風も揺れず木の葉も揺れず、こっちがこう揺れ動くんです。論とは観念による架空の論争なら、そりゃなんでもありなんです、同否またどんなにでんぐり返っても痛まぬ、おれは正しいんだだからという押しつけ以外にない、キリスト教や共産党の末路に似ている、数による暴力以外にない、たいてい宗教というまあろくでもなさ、恨みつらみですか、云うこと聞かぬと、祟るぞというやつ、正当性とは何か、たといなにを云おうが正当というんです、人間以外にこんなややこしいものはないんです、これにけりをつける、ただの現実です、実際をもってする、納得とは何か、猫真っ二つに斬ることですか、あっはっはそりゃお粗末。南泉晩に至って他出より返る趙州に同話を挙す、趙州草鞋を頭上に按じて出で去る。汝若し有りせばあったら猫児を斬らずにすんだのに、とあります、では解決とは、草鞋を頭の辺にのっけることですか、どこがいったい納得するんですか、うっふふ、猫児に仏性有りやまた無しや。東西の両堂猫児を争う。(これ今日合閙、うるさったい騒がしいんです、今日収拾が就かぬというだけではない、漏逗、漏れる恥ずかしいんです、てめえの決着のつかなさが、たとい物云わずだろうが、漏れ出るんです、どうしようもないです。)道ひ得ば即ち斬らじ。(正令当行、答えのまっただ中です、十方坐断、てめえという右往左往、噂をかなぐり捨てて、不思善不思悪、正与麼の時那箇かこれ明上座が真面目、猫ぶった斬る位のこっちゃない、人間というどうしようもないお粗末です、さあ云え。)衆対無し。なんであんなに喧噪が、(杜撰の禅和麻の如く粟に似たり、今の老師だの禅宗旨だのいう、ただもうでたらめばっかり、本性ならいいけど、本音が透けて見えるばかり、騒々しいとは貧しい、淋しいこと。)泉猫児を斬って両断となす。(快哉、若しかくの如くならずんば、泥団子を弄するの漢。さあそうではない一句をどうぞ、たとい賊過ぎて後、泥縄だってもいいですよ、けりつけて下さい、未だ挙起せざる時打つに好し。)

頌・両堂倶に是れ杜禅和。(親言は親口より出ず。一句に道断す。款に拠って案に結す。)煙塵を撥動して奈何ともせず。(看よ汝什麼の折合をか作さん。現成公案。也些子有り。)頼に南泉の能く令を挙することを得て、(払子を挙して云く、一へに這箇に似たり。王老師猶ほ些子に較れり。好箇の金剛王宝剣、用ひて泥を切り去る。)一刀両断偏頗にに任す。(百雑砕。忽ち人有り刀を按住せば、看よ他什麼をか作ん。放過す可からず。便ち打つ。)

両堂ともに杜禅和、まったく今の世の中、たとい左右に別れようが、自我の延長上のあーでもないこーでもないばっかりです、自分という全く失せて如来現ずる、答えのまっただ中は、応以仏身得度者、即現仏身而為説法、まさにこれ仏を現ずる他なく、悟りという何かある、修行というなさねばならぬ何事も式じゃないんです、道へ道はざれば斬猫、草鞋を頭上に按じて去るこれなんぞ、煙塵を撥動して奈何ともせず、ものみなの行なわれ尽くす、ごみ芥じゃないんです、清々如何ともし難しは、能く何人かこれを得る、(親言は親口より出る、親でなけりゃ他人ごと、どいつもこいつもどうしようもないという、もとからあばずれほうけですか、真実が聞こえてこなけりゃしょうがねえわな。)煙塵を撥動す、そいつが黙っていられない、ろくすっぽ知らぬ分をうるさったいばかり。(汝什麼の折り合いをか作さん、まあさしゃばの議論はみんなこれ、間違いと間違いの転々、たとい現成公案という、登竜門ですか、ではそやつを忘れてっからにして下さい、本来そんなものないんです。)さいわいに南泉能く令を行ず。(払子を挙して云く、これなんぞ、他なしという、大小の老師云い得たり為し得たりですか、そいつは丁重、まさに金剛王宝剣、泥団子を真っ二つ。)一刀両断偏頗に任す、偏頗かたよる、頭がでっかかろうが、尻尾が長かろうがおかまいなしに、ばっさり。(でたらめばっさりじゃないんです、刀をとって振り上げたら、そりゃぞっと注目、正令全提、真正面を向く、真正面を向く後先なし、うっふう紙片になってふっ飛ぶ、すると応分のことあり、あったら叩っ切る。)

第六十四則 趙州頭に草鞋を戴く

挙す、南泉復た前話を挙して趙州に問ふ。(也須らく是れ同心同意にして始めて得べし。同道の者方に知る。)州便ち草鞋を脱して、頭上に於て戴ひて出づ。(免れず打泥帯水なることを。)南泉云く、子若し在しかば、恰か猫児を救ひ得ん。(唱拍相随ふ。知音の者少なり。錯を将って錯に就く。)

これ二つでもって一つにくっついていたと思ったら、別だった、二段にあるこれを、今の人いやいつの世だって、まともには取り扱わぬ。南泉猫を斬るのも以ての外なら、趙州草鞋を頭へ載っけて出るのも、とんでもないったらたいてい取り付く島もなし。錯をもって錯に就くという、この我が宗門の、まったく他の諸宗の、他の哲学思想等の、はるかに及びもつかぬことを知る。これは理解解釈などの問題ではない、納得行くまで、おのれ使い得るまで、ただもう遮二無二参ずるよりなく、そうかとちらとも悟るあれば、即ちそやつを忘れるによく。復前話を挙して趙州に問ふ。(すべからく是れ同心同意にして始めて得べし、同心同意とはどんなこったですか、杓子定規に拠らないってことですか、でたらめですか。同道の者まさに知って下さい。)便ち草鞋を脱して、頭上に載せて出ず。(同じ穴のむじなだって思われるぞとさ、うっふふ。)南泉云く、子若し在しかば、恰猫児を救い得てん。(唱うのと拍子を取るのとまさに相随う、なあるほどってね、知音の者稀なり、いったい現在に至るまでだあれもいないかな。しかもかくの如くに仏法在り。)

頌・公案円かにし来って趙州に問ふ。(言猶ほ耳に在り。更に斬ることを消ひず。喪車背後に薬袋を懸く。)長安城裏閑遊に任す。(恁麼に快活なることを得たり。恁麼に自在なることを得たり。手に任せて草を拈じ来る。汝をして恁麼にし去らしめずんばある可からず。)草鞋頭に載く人の会する無し。(也一箇半箇あり。別に是れ一家風。明頭も也合し暗頭も也合す。)帰って家山に到って即便ち休す。(脚跟下好し三十棒を与ふるに。且く道へ、過什麼の処にか在る。只汝が風無きに浪を起こすが為なり。彼此放下す。只恐らくは不恁麼ならんことを。恁麼ならば也太奇。)

公案とは云はずは猫をぶった斬ると、命がけ真っ正面です、一つ解き終われば万法円かなり、これたった一つ、あれこれに化けて出ない、自分というたった一つ、他にはなんの答えもなし、自分という答えのど真ん中を知る、すなわち後先なし。公案円かにし来って趙州に問ふ。(一塵わずかに起こって世界全く収まる、右往左往の大衆更に収まらず、言猶予ほ耳にあり、更に斬ることをもちいず、ふーんなんてこったい、葬式の車の背後に薬袋。あっはっはしゃあないわな、趙州払拭。)長安城裏閑遊に任す、大暇が開いたという、禅門ほか狐狸とかいっさら残らず、大道通長安、長安楽しといえどもこれ久居にあらず。長安はなはだ閙すし、我が国晏然。住んでみりゃいいんです、たとい蓮の台も退屈。草鞋を頭上に按じて出るが如し。(恁麼に快活なることを得たり、そろっとあと先なし、恁麼に自在なることを得たり、まあさ親元を離れ。手に任せて草を取る、ふうっふできないでしょう、さあやってごらん、趙州に触れるによし、けい礙なきことを知る。)草鞋頭に載く人の会する無し。(だからどうのの杓子定規を離れる、人ありかくの如く、なんの会するなし、また一箇半箇あり、別にこれ一家風。ものまねらしいことじゃないんですよ。及びだからどうのの、説得意図を含まない、明頭来也明頭打、暗頭来也暗頭打。わっはっは山河大地これ。)帰って家山に到ってすなわち休す。(脚跟下三十棒を与ふるに好し。いいですか、たいていの人たいていのことを行なう、同じか否か。風なきに波を起こす、良寛の鼻くそ丸めてまた自分の鼻へ。彼此放下、彼此より犯すことなく、まあさいいの悪いの云わない、でもって不恁麼俗流じゃつまらんです、恁麼なれば也太奇、でかした。)

第六十五則 外道仏に問ふ

本則・挙す、外道、仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はず。(然も是の如くなりと雖も、屋裏の人也些子の香気有り。双剣空によって飛ぶ。頼に是れ問はず。)世尊良久す。(世尊を謗ずること莫れ。其の声雷の如し。坐者立者皆他を動ずることを得ず。)外道賛嘆して云く、世尊大慈大悲、我が迷雲を開いて、我をして得入せしむ。(怜悧の漢一撥すれば便ち転ず。盤裏の明珠。)外道去って後、阿難、仏に問ふ、外道何の所証あってか、而も得入と言ふ。(妨げず人をして疑著せしむることを。也大家知らんことを要す。錮鑪生鉄を著く。)仏云く、世の良馬の鞭影を見て行くが如し。(且く道へ什麼を喚んでか鞭影と作す。打つこと一払子。棒頭に眼有り明かなること日の如し。真金を識らんと要せば火裏に看よ。口を拾得して飯を喫せよ。)

外道とは仏教以外をすべて云うんです、今の坊主ども仏教のぶの字も知らず、邪魔にもなりえない、こんなのは外道とも云えず、早く抹殺するによし、死出虫稼業に汲々としているばかり。なぜ外道かというと、仏教の他に真実なし、他求めるに従い山河を隔つ、自ら云く、我れは是れ一切智人、あらゆる所に人の論議を求むと、キリスト教のように知識を以てすれば、ことは足れりと思い込む、否定されれば別の論議をあてがう、ついにはてめえ弁護の為に、同否ごっちゃごちゃ、あばずれほうけて、うんちのようにべったりくっつく、右を打たれりゃ左の頬って、わっはっはこれどうしようもないです、反省力なしは、ただもう世の害悪は、これ歴史の証明するところです。さすがにこの外道、問端を致して釈迦老子の舌頭を坐断せんと要す、世尊繊毫の気力を費さず。他即ち省し去る。外道仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はず、(しかもかくの如くなりとも、でたらめにぶっつけるんじゃないんです、だからどうだ、やっつけようの共産党じゃない、差別問題のあんちょこと違う、屋裏の人なんです、香気とは人間そのものです、すなわちたった一つを求めるんです。有言無言二つの剣は、空中に舞う、虚空という掌するんです、屁理屈によらない、わかりますか、さいわいに剣を問わず、答えとは何か。)世尊良久す、身をもって答えるんです、答えのまっただ中に、まさに相手をもある、さあこれができますか、できたら如来、仏です、できなけりゃ、そりゃなんにもならんです、わかりますか。(世尊を謗るなかれ、蚊子鉄牛を咬むんですか、世尊という、まったく他にはないんです、他の諸の聖者とはまるっきり違うんです、禅坊主たとい百年も、それを知らない、他また知らぬ。その声雷の如し、そりゃ自分失せりゃ声も宇宙そのもの。なにをどうしたって、びくともせんものです、これを知って他始めて用いる、世尊良久、無自覚の覚。)外道賛嘆して云く、世尊大慈大悲、我が迷雲を開いて、我をして得入せしむ。(怜悧の漢一撥すれば、すなわち転ず。盤裏の明珠。さあこれを得るんですよ。百年待河清じゃないんです。)外道去って後、阿難仏に問ふ、外道なんの所証あってか、得入と言う。(そりゃまあたしかに疑うわな、大家、こういうことがあると知るは大家ですか、錮鑪いかけ鍋の類、いかけに生鉄はつかぬ、糠に釘のやからの中に、生鉄鋳なす如くする者多少。)仏のたまはく、世の良馬の鞭影を見て行くが如し。(わっはっは余計ことのたまわくですか、とっつかまって修行じゃかなわんと云って走ったですか、いえ決着著けたですか、打つこと一払子。さあなって云うんです、どうしたってこれを得る、火裏に投ずるよりないんです、でなきゃあ糠に釘、はーい糠に釘に成り終わって、始めて飯を喫せよ=世尊大慈大悲。)

頌・機輪曾て未だ転ぜず。(這裏に在り。果然として一糸毫を動ぜず。)転ずれば必ず両頭に走る。(有に落ちざれば必ず無に落つ。東にあらざれば即ち西す。左眼半斤右眼八両。)明鏡忽ち台に臨む。(還って釈迦老子を見る麼。一撥すれば便ち転ず。破也破也、敗也敗也。)当下に妍醜を分つ。(尽大地是れ箇の解脱門。好し三十棒を与ふるに。還って釈迦老子を見る麼。)妍醜分れ兮迷雲開く。(一線道を放つ。汝に許す箇の転身の処有ることを。争奈せん只是れ箇の外道なることを。)慈門何の処にか塵埃を生ぜん。(遍界曾て蔵さず。退後退後。達磨来也。)因って思ふ良馬の鞭影を窺ふことを。(我に柱杖子有り、汝が我に与ふることを消ひず。且らく道へ、什麼の処か是れ鞭影の処。什麼の処か是れ良馬の処。)千里の追風喚び得て囘す。(仏殿に騎って三門を出で去る。身を転ぜば即ち錯まる。放過せば即ち不可。便ち打つ。)喚び得て囘らば指を鳴らすこと三下せん。(前、村に搆らず、後、店に迭らず。柱杖子を拗折して什麼の処に向かってか去る。雪竇雷声甚大にして雨点全く無し。)

機輪、機はこれ千聖の霊機、輪はこれ従本已来諸人の命脈なりと。命脈絶えて已に久しく、たとい山河大地霊機正令するも、更にこれを受け継ぐなし、人類ただ無意味に過ぎる、喧噪といい加減とですか、ひとかけらも育たない、とやこう弁じ立ててお粗末。機輪曾て未だ転ぜず、(這裏に在り、全体はるかに塵埃を出ず、どうですかこのように坐って下さい、一糸毫違約すれば、もはやまったくの役立たず、徒らに転じてもって、外道は野に走るのみ。)転ずれば必ず両頭に走る。(有耶無耶ですか、東にあらざれば西と、右眼半斤左眼八両の思い、どうですだれかれこれですか、なにそんなこたないです、東なら東こっきり、西もってオールマイティ、何足らはずや。)明鏡忽ち台に臨む。(有耶無耶というそやつをぶった斬る、明鏡また台にあらず、かえって釈迦老子を見るや、ちらとも見りゃ墮地獄、一撥すれば即ち転ず、破れほうけ敗北ですか、見ようとする眼、試そうとするなにがしかが、雲散霧消するんです、玉になって走る。一果明珠。)当下に妍醜を分つ、はあっと悟るんです、(尽大地これ箇の解脱門、尽大地悟る、三十棒です、あとさきを奪い去るんです、お釈迦さまが見えないんです、うっふう自分がお釈迦さまですか、だったらなんの自意識もなし、仏足石の上にはただこれ山河大地。)妍醜分かれ迷雲開く、妍醜分かれ、自分という徒よこしまを瞬間知るんですよ、これなくば悟れないです、(一線道を放つ、箇の転身を示すんですが、なんで外道のまんまってそりゃ云いたくなる。)慈門何の処にか塵埃を生ぜん、外道なんて許されるはずもないんです。(ただもう全世界これ、達磨さんです、ちらともありゃ退歩、駄目ってんです。)因って思う良馬の鞭影を窺うことを。そんな手間ひまのあるわきゃないんだが。(われに柱杖子あり、汝の与えたものにあらず、いずれの処かこれ鞭影、いずれの処かこれ良馬。)千里の追風呼び得て囘す。(お釈迦さまは三七二十一日の間、かくの如く思惟す、我むしろ説法せずして、すみやかにねはんに入らんと、千里の追風喚びて囘す、囘さば即ち囘ると。仏殿に騎って山門を出て走る、身を転ぜばすなわち錯る、これ仏の道なんです、他にはなく。)喚び得て囘らば指を鳴らすこと三下せん。(これと示す要あり、前村にいたらず、後店にいたらず、中途半端は許せんです、なぜか、ただおのれ楽しむものにあらず。雷声甚大にして雨点なしだってさ、あっはっは。

第六十六則 巌頭黄巣過ぎて後

本則・挙す、巌頭、僧に問ふ、什麼の処よりら来る。(未だ口を開かざる時敗缺を納れ了れり。髑髏を穿過す。来処を知らんと要するも也難からず。)僧云く、西京より来る。(果然として一箇の小賊。)頭云く、黄巣過ぎて後、還って剣を収得す麼。(平生曾て草賊と做らず。頭の落ちんことを懼れず。便ち恁麼に問ふ。好大胆。)僧云く、収得す。(敗也。未だ転身の処を識らず。茅広の漢麻の如く粟に似たり。)巌頭頸を引べて近前して云く、カ。(也須らく機宜を識りて始めて得べし。陥虎の機。是れ什麼の心行ぞ。)僧云く、師の頭落ちぬ。(只錐頭の利を見て、鑿頭の方を見ず。甚の好悪をか識らん。著也。)巌頭呵呵大笑す。(尽天下の衲僧奈何ともせじ。天下の人を欺殺す。這の老漢の頭の落処を尋ぬるに得ず。)僧後に雪峰に到る。(依然としてまんかんもうどう。這の僧往往十分に敗缺を納れ去る。)峰問ふ、什麼の処おりか来る(来処を説かずんばある可からず。也勘過せんことを要す。)僧云く、巌頭より来る。(過然として敗缺を納る。)峰云く、何の言句かありし。(挙し得るも免れず棒を喫することを。)僧前話を挙す。(便ち好し追い出すに。)雪峰打つこと三十棒しておー走に干ーひ出す。(然も斬釘截鉄なりと雖も、甚に因ってか只打つこと三十棒。柱杖子也未だ折るるに到らざること在り。且つ未だ是れ本分にあらず。何が故ぞ朝打三千暮打八百。若し是れ同参にあらずんば争か端的を弁ぜん。然も是の如しと雖も、且らく道へ、雪峰巌頭什麼の処にか落在す。)

黄巣というのは、金の太祖なんかな、天から物が落ちた、一振りの剣であった、黄巣と銘あり、これによって兵を起こし唐に叛すとある、どうだ得たかと聞く。龍牙徳山に問う、学人ばくやー金に莫と金に耶ーの剣、まあとんでもなくよく切れる剣です、吸毛剣、によって、師の頭を取らんと擬する時如何。徳山頸を引べて近前して云く、カ。龍牙云く、師の頭落ちぬ。山便ち方丈に帰る。牙後に洞山に挙似す。洞山云く、徳山当時什麼とか道ひし。牙云く、他無語。洞山云く、他無語なることは即ち置く、我に徳山落つる底の頭を借し来れ看んと。牙言下に於て大悟す。遂に香を焚いて遙に徳山を望んで礼拝懺悔す。伝え聞いて徳山云く、洞山老漢好悪を知らず。這の漢死し来ること多少ぞ。救い得るも何の用処か有らんと。巌頭呵呵大笑す。首を述べて近前してカー口の中にカー。この僧収得有りと云うのとどう違うか、未だ転身の処を知らずと、たしかにこの通りとわかっても、能書きじゃしょうがないんです、もと始めっからその通りなんです、心身五体これを用い得て生活です、忘れ去って始めて身に就く、すなわち日常所作。ついには神さまを100%信ずることだと、キリスト教の牧師が云った、100%信ずるとは忘れ去ること、従い信と不信に苦しむどうしようもない輩。呵呵大笑と即ち方丈に帰ると如何、あるいは雪峰の三十棒食らわせて追い出すのと、洞山の落ちる底の頭出してみろ、看んというのと如何、追い出したらなんにもならんですか。徳山の洞山好悪を知らず、死んじまったやつ用いて何かせんと云う、あっはっは三十棒どころじゃないな。陥虎の機という、どうあったって仏は仏です、他如何ともしがたし。これこの段面白いんです、ぼろくそ坊主はさておき、巌頭と徳山と、また洞山と雪峰と、世尊の良久とまた同じか否か、到りえて以て人人示して下さい。

頌・黄巣過ぎて後曾て剣を収む。(孟八郎の漢什麼の用処か有らん。只是れ錫刀子一口。)大笑は還って応に作者知るべし。(一子親しく得たり。能く幾箇か有る。是れ渠儂にあらずんば争か自由を得ん。)三十山藤且らく軽恕す。(同条に生き同条に死す。朝三千暮八百。東家人死すれば西家の人哀を助く。卻って与に救ひ得て活せしむ。)便宜を得るは是れ便宜に落つ。(款に拠って案に結す。悔ゆらくは当初を慎まざりしことを。也些子有り。)

黄巣過ぎて後剣を収む、常識というおのれ=世間国家の反乱を起こすんです、黄巣の剣がいります、なまじのこっちゃどうしようもないです、ついに得たり、みな人の得難てにすとふ、うずみこ得たりという、そいつをまた叩き伏せなくってはものにならない、ここが仏の仏たる所以です。投子、僧に問ふて云うく、黄巣過ぎて後、剣を収得す麼。僧手を以て地を指す。投子云く、三十年馬騎を弄す、今日卻って驢子に撲せらると。驢馬に蹴られたってなもんです、どうですか納得しましたか。(孟八郎まずは板担漢です、てめえ何者かを触れて歩くんですか、一般人みなこれです、そんなものに用事はない、錫の刀一口、役に立たんです。)大笑は卻ってまさに作者知る。(一子親しく得たり、どうしようもないです、一般解なんかないです、師まったく失せて始めて相続、彼これにあらずんばいかでか自由を得ん、呵呵大笑するんですよ、うっふうできますか、しめってちゃだめ。)三十山藤、杖ですか棒、しばらく軽恕す、三十棒くれて軽く許した。(同条に生き同条に死ぬ、お釈迦さま菩提樹下にこれを得て以来、今にいたるまで別ことないんです、まったく同じなんです、これをまず知って下さい、ついに手も足も出なくなって、坐す、三十棒じゃ足りんですか、ちらともてめえの分あるうちは、言い種ある間は悟れんです。これを知る、これを得て同病相哀れむんですか、あっはっはべえまずい。)便宜を得るは是れ便宜に落つ。(款によって案に結す、てめえ白状する、自白文によって断罪するんです、仏を得る手がかり、ノウハウなんかない、とにかくわしに問う、どうやったらいいか、こうやって坐ってるがどうかなど、手がかり足がかりです、とっ外し、突き放しするうち、諦めて行ってしまう、人の親切がわからんな、あっはっは一昨日おいで。今の見仏聞法みなこの便宜、ついに仏法が便宜に終わる、こりゃもう真っ暗闇、どうしようもないです、取り付く島もなし=あなた。そも始めから間違っているたって、はあと気がついてではとやって下さい、なにも邪魔にはならんです。)

第六十七則 伝大士経を講ず

本則・挙す、梁の武帝、伝大士を請じて、金剛経を講ぜしむ。(達磨の兄弟来也。魚行酒肆は即ち無きにはあらず、衲僧門下は即ち不可。這の老漢老老大大として這般の去就を作す。)大士便ち座上に於て、案を揮つこと一下して、便ち下座す。(直に得たり火星迸散することを。似たることは即ち似たり。是なることは即ち未だ是ならず。葛藤を打することを煩はざれ。)武帝愕然たり。(両囘三度人に瞞ぜざる。也他をして模索不著ならしむ。)誌公問ふ、陛下還って会す麼。(理に党派して情に党せず。肘膊外に向かはず。也好し三十棒を与ふるに。)帝云く、不会。(可惜許。)誌公云く、大士講経竟んぬ。(也須らく国を逐に出して始めて得べし。当時誌公に和して一時に与に国を追い出さば始めて是れ作家。両箇の漢、同坑に異土無し。)

梁の武帝は菩薩戒を婁約法師に受け、仏袈裟を塔けて、自ら放光般若経を講じて、以て父母に報ず。時に雑公異を表し衆を惑わすによって獄中に繋がる、誌公分身して城邑に遊化す、帝知って感悟して、よって之を推重す。雲黄山に善慧大士という者有り、誌公推挙して、武帝の前に金剛経を講義す。これを伝大士という。案は机、座上に於て、案を打つこと一下して、即ち下座すと。(達磨の兄弟が来たんですか、魚行酒肆魚市場や酒場、伝大士が城中に入って魚を売ろうとしたことに引っかける、伝大士なるもの未だ仏にあらずですか、たしかにそういうことはあろうが、わしの門下には無し、だいたいこの公案老老大大として這般の去就をなす、そんなもな達磨の公案で沢山。)案を打つこと一下して即ち下座。(火星迸散つっ走って消えるんですか、うっはあおら知らんてやつかなあ、似ることは即ち似る、未だまったく是ならず。葛藤を打することを煩はざれ、たしかにこうだからこうだという、そりゃお話しにならんです、自ずから答えを出す以外にない、葛藤めったやたらから突出するんです。)武帝愕然たり。(あっはっは、達磨さんになんとか大士に誌公さんに、同じこと三度、すっかり瞞ぜられて、模索不著。)誌公、こりゃまあジャーナリズムですか、能く知っていて役立たずってのは、いつの世にもいます、へたな学者よりは確かです。陛下還って会すや。(理はこれ、情けに与せず、陛下なんまんだぶやらないところは、肘外に曲がらずってなわけで、三十棒の価値あるってんです、こんにゃくは打てどもらちあかん。)帝云く、不会。(惜しい、正解だってのに、不識と云うと同じですか。)誌公云く、大士講経竟んぬ。(また須らく国を追い出して始めて得べし、達磨さんを追い出してもって、始めて得る、これ仏教の鉄則です、ちらともあれば役立たず、そりゃもう仏教常識もなんも追い出す、自分というたった一箇です、門を叩くのはこれ、同坑に異土無し、雑多雑念の交通整理じゃないんです。)

頌・双林に向かって此の身を寄せず。(只他の把不住なるが為なり。嚢裏豈に錐を蔵す可けんや。)卻って梁土に於て埃塵を惹く。(若し草に入らずんば争か端的を見ん。風流ならざる処也風流。)当時誌公老を得ずんば、(賊と作って本を須ひず。伴を牽く底の癩児有り。)也是れ栖栖として国を去る人ならん。(正に好し一状に領過するに、便ち打つ。)

双林とは伝大士の道場、そこに納まってりゃいいのに、のこのこやって来た、良寛一生不離叢林という、俗世間に云う気随気ままなぞもとっこないんです、一人きりの妄想ほしいままは不自由、哲学だの思想、諸宗教の我田引水は許されんのです。良寛の対大古法は子供であった。こんなめちゃくちゃな修行はない。相手はまったくなにやるかわからん。あっはっはわしなどの到底出来るこっちゃないな。双林に向かってこの身を寄せず、何故か。(把不住とりとめがない、他愛無かったんですか、嚢裏に錐をかくす、まあさ、そんなこっちゃ叢林にならん、今の永平寺だの仏教のぶの字もない、でたらめ兵隊の訓練ですか、ちらとも知る、道元禅師の末裔ならば、よっぽどでなけりゃ嚢裏に錐をかくすよりなく、ついには追ん出るしかない、いたたまれんですな。)卻って梁土に於て埃塵を惹く、武帝の前に出て、即ち案を打って下座、実にもってこれを示す、なんでこれが塵埃か、一塵起こってまったく収まらなかったんですか、大騒ぎですか。(若し草に入らずんばいかでか端的を見ん、求める人に出会うよりなく、風流ならざる処也風流、見た目修行、たとい行ない清ますって、まあそんなわけにゃいかんです、草に入る、すっちゃかめっちゃかです。)当時誌公を得ずんば、(達磨さんの翻案ですなこりゃあ、蛇足ってんです、一つありゃ沢山、誌公という岡目八目をこしらえたんで、もういっぺん使いたくなったんですか、彼いなきゃどうしようもならなかったって、達磨さんにそんなものなかったです、命危い、江を渡って少林に到り、面壁九年。伝大士雑誌社とつるんで何しようという。)也是栖栖えおして国を去る人ならん。(国にいられんで去る、どこが栖栖、さあてさ寺にいられんで去る、やっぱり栖栖かな、便ち打つ。)

第六十八則 仰山三聖に問ふ

本則・挙す、仰山、三聖に問ふ、汝名は什麼ぞ。(名実相奪ふ。勾賊破家。)聖云く、慧寂。(舌頭を坐断す。旗をひき鼓を奪ふ。)仰山云く、慧寂は是れ我。(各自に封彊を守る。)聖云く、我が名は慧然。(閙市裏に奪ひ去る。彼此卻って本分を守る。)仰山呵呵大笑す。(謂つ可し是れ箇の時節と。錦上に花を敷く。天下の人落処を知らず。何が故ぞ。土曠かに人希にして相逢ふ者少なり。一へに巌頭の笑に似て、又巌頭の笑に非ず。一等の是れ笑、什麼と為てか卻って両段と作る。具眼の者にして始めて定当し見よ。)

仰山慧寂い山の嗣、三聖慧然臨済の嗣。呵呵大笑す清風凛凛地、どうですか、慧寂でも慧然でもどっちでもいいという、どうもそんなこっちゃないんです、まあ平らったく云うと、身心ともに無しが、二人相対するんでしょう、じゃてめえを囲う謂れはないんです、因に慧寂と慧然、実にもって正令の行なわれる、各自に封彊を守るのが世の習わし、だったら習わし通りに名告ればいい、でもこやつ相対しての会話、ひょっとさ他の美辞麗句、いやさ百万語費やしても、たとい手を握りあったとても、三聖云く、慧寂。仰山云く、慧寂は是れ我、三聖云く、我が名は慧然。ほどにつうかあというか、意思の疎通なんてまだるっこしいものじゃない、呵呵大笑まさにもって他なしなんです。先の巌頭の呵呵大笑も、天上天下唯我独尊、きわなく響み渡るんですが、おまけに肯わざる底、かす一匹はじき飛ばすんです。ここに仰山の呵呵大笑は、三聖と二人たずさえて天地のきわを突っ走る、わっはっはこんな大事件、かつてこの世にあったかどうか、人類歴史戦争だ、平和だごたくさなんてものまるで無意味です、なにをくよくっよ川端柳、まあさ万分の一も悟りの望みあれば、仕方ない死刑を免れる、早う柳の葉っぱと揺れておれ、流転三界というさてもまったく納まるか、我が名は慧寂、さよう慧然。

頌・双収双放若為が宗なる。(知んぬ他幾人か有る。八面玲瓏。将に謂へり真箇恁麼の事有りと。)虎に騎る由来絶功を要す。(若し是れ頂門上に眼有り肘臂下に符有るにあらずんば。争か這裏に到ることを得ん。騎ることは即ち妨げず只恐らくは汝下り得ざらんことゐ。是れ恁麼の人にあらずんば、争か恁麼の事を明めん。)笑ひ罷んで知らず何の処にか去る。(尽四百軍州恁麼の人を覓むるに也得難し。言猶ほ耳に在り。千古万古清風有り。)只応に千古悲風を動ずべし。(如今什麼の処にか有る。咄。既に是れ大いに笑ふ。什麼と為てか卻って悲風を動ず。大地黒漫漫。)

双収双放いかんが宗なる、名は何と云うぞ。我が名は慧寂。慧寂は我。我が名は慧然。収めるあり放つありですか、二人まさに行なわれる、どうしてこれが宗教なんですかっていうんです。この宗以外に知らず。対話有り教義有り荒唐無稽の神話有り、平和博愛あり、同じ鳥の羽根を集めるあり、右往左往あり、すべてこれ地球の邪魔、人類という収まりつかん、放てば掌に満つるを知らない、いたずらにほしいままにする、どうしようもこうしようもないんです。(知る人他に幾人、八面玲瓏です、塵芥がない、まさにこれ真実不虚、他にはまったくないんです。)虎に騎る由来絶功を要す、うだうだ能書き、てめえに首突っ込んで歩く不格好、てめえという杖を引く、たいてい一般の不必要をまったく免れるんです、百非を絶すという、まずは人間を卒業して下さい、でないと虎には騎れませんよ。(頂門上に眼ありと、三つめの目ですかあっはっは、身心ともになしってこと、肘臂下に符有りと、まあこの括弧内符ばっかり、うっふう面倒事たってさ、これなくば人間天上泳げないですか、咸敬仰とまあさ散華荘厳。虎に騎ったっきりで下りること知らんとさ、幸せな人、たとい凡百坊主胡散くさあもてめえが邪魔。)笑いやんで知らず何れの処にか去る。(呵呵大笑してまるっきりそれっこっきりってのできますか、なにかちらともあれば狂人。四百軍州、宋の時天下をかく区分した、万里雲なし万里の天、千江水有る千江の月、まあいいさ誰いなくっても、言なを耳にあり、古来の清風。)ただまさに悲風を動ずべし、何を得るた、お悟り八段だからおれはっていう、臨済禅師の余計こと外してごらんなさい、ものみな悲しいだけなんです、ただの一箇、山川草木みなこれ。(いいえ、そういう文人趣味妄想とはまったく無関係ですよ。蛇足。)

第六十九則 南泉一円相

本則・挙す、南泉、帰宗、麻谷、同じく去って忠国師を礼拝せんとす。中路に至って、(三人同じく行くときは必ず我が師有り。什麼の奇特か有る。也端的を弁ぜんを要す。)南泉地上に於て、一円相を画して云く、道ひ得ば即ち去らん。(風無きに浪を起こす。也人の知らんことを要す。陸沈の船を擲卻す。若し験過せずんば争か端的を得ん。)帰宗円相の中に於て坐す。(一人鑼を打てば同道方に知る。)麻谷便ち女人拝を作す。(一人鼓を打てば三箇也得たり。)泉云く、恁麼ならば即ち去らず。(半路身を抽んづ是れ好人。好一場の曲調。作家作家。)帰宗云く、是れ什麼の心行ぞ。(頼に識破することを得たり。当時好し一掌を与ふるに。孟八郎の漢。)

当時馬祖は化を江西に盛んにし、石頭の道湖湘に行なわれ、忠国師の道長安を化す。他は親しく六祖に見ゆ。いっときまさにかくの如し、人類文化の華ですか、つとに滅んだというてまだしっかり残ってますよ、一箇半箇の道、あるいは突然大いに復活するんです、ただ伝え残すことこれ。三人去って忠国師を礼拝せんと欲す、中路に至って、(三人同じく行くときは必ず我が師有り、だれの師だろうがまったく同じです、寸分の違いなく我が師、彼が師なぞなし。若し師なくんば鵜合の衆ですか、いたずらに騒々しいばかりです、世間無駄っことばかりですか、このとき三人みなともに師なり、奇特とはまさにこれ、ではまだるっこいこと不要、ただこれ、物と物とのぶつかりあいに似て、ふっふ。)南泉一円相を描いて、道へと云う、道ひ得ば即ち去らん。もう用なしだってわけです。(風無きに波を起こす、これすなわち仏教です、他の諸宗の押しつけがない、あっかましい破廉恥じゃないんです、云わなきゃ知りえない、だからです。陸沈の船を蹴っ飛ばす、しょうがないことしたもんだ、陸沈とは大事件起こってめっちゃくちゃですか、破家散宅です、出来上がっちゃった人物ですよ、でも験してみんことにゃ、どんなふうかわからんてんです。やってみた。)帰宗円相の中に坐す。はいいいですか、物まねじゃないんですよ、円相といい坐すといい、格好付け耳たこの世界じゃないんです。ちゃんと坐れるか、坐になっているか、一目瞭然です。師家禅師だのあれこれ、いくら坐ったって徒らです、ちらともありゃめったやたら。(一人鑼を打てば、どらをぼーんと打ったら、みんな知るんです。)麻谷女人拝をなす、腰をかがめて合唱低頭ですとさ、うんいいとこだ。(一人鼓を打てば三箇また得たり、けりをつけた格好です。)泉云く、恁麼ならば即ち去らず。肯わないんですか、肯ったんですか、だらしがないって云えばあっはっは、(いえさ、南泉半路身を抜きんでてという、まあ勘弁してやろうってんですか、そりゃびくともせんです、一場の曲調、大恥っかきでも、けろっともうないんです。わがことに於て省みず、なにさ省みるおのれがないんです。ものみなかくの如し。)帰宗云く、これ什麼の心行ぞ。心行若しありゃめちゃんこ。ふーんなんだって云うんだ、てなもんですか。(さいわいに事なきを得た、では一掌。)

頌・由基が箭猿を射る。(常頭の一路誰か敢えて向前せん。触処妙を得たり。未だ発せざるに先ず中る。)樹を遶ること何ぞ太だ直なる。(若し承当せずんば争か敢えて恁麼ならん。東西南北一家風。已に周遮すること多時。(千箇と万箇と。(麻の如く粟に似たり。野狐精の一隊。南泉を得ること争奈せん。)是れ誰か曾て的に中つ。(一箇半箇。更に一箇没し。一箇も也用不得。)相呼び相喚んで帰去来。(一隊泥団を弄する漢。如かじ帰り去るの好からんには。卻って些子に較れり。)曹溪路上登陟することを休む。(大労生。想ひ料るに是れ曹溪門下の客にあらず。低低の処之を平らぐるに余り有り。高高の処之を観るに足らず。)復云く、曹溪路担平。什麼としてか登陟することを休む。(唯南泉半路に身を抽んづるのみにあらず、雪竇も亦乃ち半路に身を抽んづ。好事も無きには如かず。雪竇也這般の病痛を患ふ。)

由基は楚の人、楚の荘王狩りに出て、白猿あり、群臣の箭ことごとく中らず、白猿卻って箭をもてあそぶ。誰か射る者はないかといって、由基が呼び出された。由基弓を引けば、猿樹を抱いて悲号す。猿樹をめぐってこれを避ける。箭もまた樹をめぐって射殺すと。(だれか敢えて向前せん、だれも敢えてせずは、常頭の一路、たとい何をどうあったって中るんです、無心これ、仏というちらともなくば、触処妙を得たり、未だ発せざるに先ず中るんです。)樹を遶ることなんぞ太だ直なる、曲がりくねった道をまっすぐに歩くんですか、いつだって真正面、命中して太だ直なるってこってすよ、一般の人これができない、妄想という客に支配されて、ないはずのてめえを持つ、注意一生怪我一秒の世界です、しんどいこってす、早く足を洗え。(三箇の老漢途を殊にして帰を同じゆうす、一揆一斉に太いだ直なりと。まあそういうこってす。若しこれだからどうの、こうあるべきやったら七縦八横、人間は理解しあえれば沢山だなど、小林秀雄の言ですか、コンセンサスという情けなさ、貧しいんですかね、だったら大儲けすりゃいい、百川風流、同じく大海に帰す。)千箇と万箇と。(麻の如く粟に似たり、だれかれかくの如くと云えば、そりゃどうしようもこうしようも、仏を得ようとして仏に習えば即ちこれ、野狐精の一隊ですか、今の世まさに、麻の如くあぶくの如く、それ故に南泉、恁麼ならば即ち去らずと云う、道ひ得ば即ち猿と云う。たった一箇。)是れ誰か曾て的に中つ。(一箇あり半箇あり、たしかにあることはあって承当するんです。一箇没し、仏を忘れてしまうやつがいる、まるっきり役立たんのがいる、あっはっは。)相呼び相喚んで帰りなんいざ。(曹溪の春、理想社会とはただまさにこういったの三人ばかし。)曹溪路上登陟することを休む。忠国師に到る道も、六祖に到る道もないんです、まっ平らにかくの如し。(たいへんにご苦労さんですか、わざわざ三人して行脚、でもこれよくよく見れば曹溪の客にあらず、曹溪という頭と尻尾を計るのに、めんどうだで昼寝という連中。)また云く、曹溪の道担平、什麼としてか登陟することを休む。別段止めないったっていいよ。(南泉半身を抽んでる、雪竇もさ、たとい円相の中に坐るったって、ないにこしたことはない。女人拝も拈華微笑もさって、うっふ雪竇また這般の病痛を患う、そりゃま。)

第七十則 百丈咽喉を併卻して

本則・挙す、いーさんずいに為ー山、五峰、雲巌、同じく百丈に侍立す。(阿呵呵。終始ごうー言に肴ー訛。君は西秦に向かほ、我は東魯に之く。)百丈、い山に問ふ、咽喉唇吻を併卻して、作麼生か道はん。(一将は求め難し。)い山云く、卻って請ふ和尚道へ。(路を借りて経過す。)丈云く、我汝に向かって道はんことを辞せず。恐らくは已後我が児孫を喪せんことを。(免れず老婆心切なることを。面皮厚きこと三寸。和泥合水。就身打劫。)

百丈また同じく五峰に問う、峰云く、和尚也須らく併卻すべし。丈云く、人無き処斫額して汝を望まん。また雲巌に問ふ、巌云く、和尚有りや也未だしや。丈云く、我が児孫を喪せんと。三人各々これ一家。同じく百丈に侍立す。(阿呵呵、お笑いだっていうんです、はじめからしまいまでいい加減だとさ、君が西秦に向かえば、我は東魯に行く、がん首揃えて同じじゃ、侍立にならない、これが当然を知るは仏以外になし。)咽喉唇吻を併卻して、作麼生か道はん。そりゃむーともあーとも云えないですか、さあどうする、高い木の上に登って、手を離し足をはなし、口にかじりついてぶら下がった、下に人あって仏を問う、さあどうするという公案、なにさ口を開けばいいっていうのどうです。(一将は求め難し、かれこれ見性したの、仏法通暁ああ云えばこう云う、衝天の志気を挙しなどいるが、たった一箇これなし、一将という、仏を外れて真の仏がいないんです。何を云うたろうが、云わないだって真、外れるということなし、これただの人、咽喉唇吻で物云わぬ人です。さあてはたして。)い山云く、卻って請ふ和尚道へ、(どうですか理屈上の、即ち道へば咽喉だからですか、路を借りて経過す、なら和尚道ってみろですか、うやむやむうとそっぽ向く、蜻蛉返りを打って出る、一将なら何をどうすればなんて、他の為に余計ことしないですか、うふ。)我汝に向かって道はんことを辞せず、恐らくは児孫を喪せんことを。せっかくあとが続かないっていうんです、おれに殺されっぱなし。はあてね。(免れず老婆心切なることを、面皮厚きこと三寸だってさあっはっは、云うことはある、云えばというまあさ。泥んこに水ってやつ、就身打劫は、身に寄り添ってすり取るんですってさ、い山和尚見事にすられたんですか、釘を抜き楔を抜く、かくあるべしと思い置く、かけらもなくなった、うわーっと気がつくんですよ、坐が坐になる。)

頌・卻って請ふ和尚道へ。(函蓋乾坤。已に是れ鋒を傷り手を犯す。)虎頭に角を生じて荒草を出ず。(はなはだ群を驚かす。妨げず奇特なることを。)十州春尽きて花凋残。(触処清涼。讃嘆するに也及ばず。)珊瑚樹林日杲杲。(千重百匝。争奈せん百草頭上に他を尋ねるに得ざることを。答処蓋天蓋地。)

僧羅山に問ふ、同生不同死の時如何。山云く、牛の角無きが如し。僧云く、同生亦同死の時如何。山云く、虎の角を戴くが如しと。牛に角なく虎に角あろですか、どうです無事円満ですか、それとも大千世界ひっくり返しますか。同生同死、同生不同死ってどうですか、何をどうする、何がどうなるんですか。自分という架空がまったく失せて、ものみなかくの如く、手つかずというんでしょう、今まで寝る間も惜しんで提ぜいして来たのが、ふうっと失せるんです、生まれたまんまのなんにもせずていい、すると函蓋乾坤です、身心とものみなと、同死同生です、ただもう清々としてこうある、仏ですか。でもって折に触れてこれとやるんです、同死不同生ですか、うっふっふこりゃあべこべ、虎に角を生ずるんです。卻って請ふ和尚道へ。(函蓋乾坤、大地宇宙が口を聞くんですか、どうじゃというんでっしょう、手をもたげる、すでにして鋒を破り、波風のないところに波を起こす、起こしてみなけりゃわからない、なにがって真箇のこれ、観念いいことしいのお寝んねじゃない、権あり実ありです、二次元人間が三次元にってなもんです、ものみなを動かす。)虎頭に角を生じて荒草を出ず、荒草ですか、悟りや座禅をいじくっている一般、何を云おうが力ないんです、まだてめえに首を突っ込んでいる、かたわもんですか、差別用語な。(はなはだ群を驚かす。い山にしてかくの如し、百丈よってくだんの如し。妨げず奇特なることを、始めてちったあ役に立つんです。)十州春尽きて花凋残。海上に三山十州あり、百年をもって一春となす、春尽きる時百千万株の花一時に凋残す。独り珊瑚樹林のみなあって、太陽とあい奪うて、光交映すと。(触処清涼、讃嘆するにまた及ばず。いったん人間的なんものがまったく失せるんです、世間世情の花というものが凋残する、どうしてもこれ、ちらともあったら色気、色即是空にはならない。死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、大力量これ讃嘆に価しますか。)珊瑚樹林日杲杲。月によって生まれるという珊瑚樹ですか、うんそうねえ、とやこういうより、実感としてなーるほどってことありますから、味わってみて下さい。先はい山、これは百丈ですか、(千重百匝そうさなあ、坐断して下さい、どこまで行ってもってことあって、ついには生まれたまんま。すべてこれ真語。)


第七十一則 百丈五峰に問ふ

本則・挙す、百丈復五峰に問ふ、咽喉唇吻を併卻して、作麼生か道はん。(阿呵呵。箭新羅を過ぐ。)峰云く、和尚也須らく併卻すべし。(旗をひき鼓を奪ふ。一句截流万機寝削す。)丈云く、人無き処斫額して汝を望まん。(土曠に人稀にして相逢ふ者少なり。)

五峰常観、百丈の嗣。これ前の一則に同じ、看よとさ。たとい同じだろうが千差万別、行方定まらずかといって、これ主中の主。咽喉唇吻を併卻して、さあ云えという、なにほどのこともないんです、だからどうの、だってもおれはという、ぴよぴよひよこの云い分がないのです、無条件生きです、あるいはまったく死んじまっているんです。死ねというと死に切れぬという、どうしてもわずかに残るという、もう一歩進めて下さい、百尺竿頭です、自分という手足咽喉唇吻を手放すんです、仏という後生大事を捨てる、仏という他山の石を捨てたって、そりゃらごの跡継ぎ坊主です、求道心のない連中は、そりゃ問題にならんです、一歩を進めようにも、どっ汚いったら糠に釘。坊主じゃないっていう前に人間失格ですか、さあ作麼生か道へ。(阿呵呵、どあほって云うぐらいの、呵呵大笑ですか、箭新羅を過ぐ、一昨日おいでって云うんです、なぜか。)峰云く、和尚またすべからく併卻すべし。てめえなきゃ相手しかいないって、身も蓋もない事実を、なんたってそうは簡単に手に入らないんです、どこまで行っても仏あり修行あり、ちったあいいといい、退歩の術ありです、まったく失せる、昨日の我れを200%外して行く、これすなわち修行ですか、しゃば人間の歩一歩とはまるっきり違う、うっふっふ根も葉もないんです、これ波風を起こすなと、胸倉とって五峰たるもの、旗をひき鼓を奪う、ひくはてへんに免三つ、引っ張り取るんですか、太鼓も旗も戦を指揮する、そいつをめちゃんこにしちまう、一句切断すりゃ、万機のべたんおしまい。)丈云く、人無きところ斫額して汝を望まん、斫額するという、額を折るんですか、登竜門を通らなかったら、額にばってんつけて、泥んこの水にうろこ剥げちょろこけて横たわると、もとなんにもなしに帰るとは、なんにもなしがあるんじゃないんです。俗流一般と同じ、金欄のお袈裟の他に箇の何をか伝ふると聞いて、倒刹折竿著、三日耳を聾するんです。てめえという拠って立つ処なし、これがどんなことかたいていは夢にも見ぬ、はじめて一箇、ぱあっと開けるなんてものじゃないんですよ、あっはっは一句截流万機寝削ですかあ。(まるっきり人っ子一人いないんです、早くあとを継げという、跡継ぎいたっていう百丈、わしは未だになし。)

頌・和尚也併卻すべし。(已に言前に在り了る。衆流を截断す。)龍蛇陣上に謀略を看る。(須らく是れ金牙にして始めて七事身に随ふことを解すべし。戦に慣ふ作家。)人をして長く李将軍を憶はしむ。(妙手多子無し。疋馬単槍。千里万里。千人万人。)万里の天辺一鶚を飛ばす。(大衆見る麼。且らく道へ、什麼の処にか落在す。中れり。打って云く、飛び過ぎ去る。)

和尚また併卻すべしと、百丈をして、人無き処斫額して汝を望まんと云はしめる、こりゃまったく後先なく、気迫十分です。ちらとも省みるあればこうはいかない、百丈に痛棒を食らう、倒退三千。龍蛇の陣という、東は青龍、龍の陣。西は白虎、虎陣。北は朱鳥、鳥陣。南は玄武、蛇の陣という、孫子云く、首を打てば尾至る、尾を打てば首至ると、これ蛇陣など。已に言前にあり了る、衆流を截断すと、たといものみなこのようにあって、龍蛇陣上の謀略なんですか、和尚また併卻すべしと云い出る、なんと云ったって咽喉唇吻です、重囲をどう破るか、うっふっふ謀略です。金牙とは、大将軍が建てる旗ですとさ、七事は弓矢刀剣甲矛です、戦に慣う作家、悟り得て七通八達も、百戦錬磨が必要ですか、くわ面倒くさ一昨日おいでってほうが、わしの性分だあさな、あほにしてやられてふわーいてなもんの。百丈の重囲を破ること飛騎将軍の、敵前を脱するがごとく、李将軍は弓の名手だった云々と、単騎よく逃れて千万里、開けて人を導くこと、千万人。そりゃ後続同じこと云って、庭前の柏樹子やっても、坊主猿芝居の愚。鶚はみさご、魚をよく捕らえるわしたかの仲間。これは斫額して汝を望まんと、万里の天辺に放つわけです。大衆見るやと、一将きわめて得難しです、そこそこ仏教だの悟りだのいう、うるさったい鵜合の衆ですか。馬大師野鴨子ですか、飛び去って行く、あれはなんだ、わしですってさ。いずれの処にか落在す、中れりという如何、いったいおまえさんは何をしているんだ、さあどかんと答えておくれ。)

第七十二則 雲巖有也

頌・和尚有りや也未だしや。(公案現成。随波逐浪。和泥合水。)金毛の獅子踞地せず。(灼然。什麼の用処か有らん。可惜許。)両両三三旧路に行く。(咽喉唇吻を併卻して作麼生か道はん。身を転じ気を吐く。脚跟下蹉過し了れり。)大雄山下空しく弾指す。(一死更に更活せず。悲しむ可し痛む可し。蒼天の中更に怨苦を添。)

和尚有りや未だしや、どういうことですか、公案現成、ついに卒業したんですか、卒業したら忘れ去る、有るとは咽喉唇吻を併卻してかくの如しという、未だしやと問う、間延び漬け、(どうもこやつが問題です、仏の示す通りになったという、だからいい子いい子マルですか、はい百万年やっとれ、どこまで行ってもって、そりゃもうどこまで行ってもです、こんなの何十人いたって、およそ役立たず、波にしたがって浪を逐う、師家世の常の手段ですが、一発転覆を狙っているんです、波にしたがい浪を追うんではなんにもならない、和泥合水も、てめえ我利我利の皮っつらを剥ぐ、てめえなでなでじゃないんです。)金毛の獅子踞地せず、獅子はこれ金毛とさ、物を捉ふるに、牙を蔵し爪を伏して、踞地返擲す。物大小となく皆全威をもってす。その功を全うせんことを要すればなりと。はい自然にこれができるといいんです、たとい駄じゃれもジョークも全令を含む、真実以外にありえないんです、(灼然、はたして明々白々です、絵に描いた餅じゃないんです、たとい是は是だろうが、なんの響きもなく。)両両三三旧路を行く、あっちもこっちも、そんなんばっかりごろごろ、師家だの学者だのいう、一皮剥きゃただの我利我利亡者、てめえ失せてないんじゃただてめえの為にだけ、(作麼生か道はん、身を転じて気を吐くんです、杓子定規じゃない、錯によって錯につく、まずもって咽喉唇吻を併卻して下さい、踞地獅子。)大雄山下空しく弾指す、わっはっは毎日こやつの繰り返し、あーあ欠伸。(一死、ひとまずは死ぬんですか、我利を仏の道に捨てるんですか、しかも再活せず、さあ何故ですか、何故です、これ参然。心は一つ、一心ゼロ、すなわち無心です。無心如来ものみな、花あり月あり楼台ありです。悲しむべし痛むべし、仏教の傀儡、蒼天のうちにしかも怨苦を含む。ついにこれを得る、なんでこんなもののために大騒ぎ、ぐわお釈迦さまめ、なんという無残、はい無残の生涯、とんでもねえこやつをたとい一瞬恨もうが、次には空っけつ。)

第七十三則 馬祖四句百非

本則・挙す、僧、馬大師に問ふ、四句を離れ百非を絶して、請ふ師某甲に西来意を直指せよ。(什麼の処よりか這の話頭を得来る。那裏よりか這の消息を得たる。)馬師云く、我今日労倦す。汝が為に説くこと能はず。智蔵に問取し去れ。(退身三歩。蹉過するも也知らず。身を蔵し影を露す。妨げず是れ這の老漢、別人に推過し与ふることを。)僧、智蔵に問ふ、(也須らく他に一拶を与ふべし。蹉過するも也知らず。)蔵云く、何ぞ和尚に問はざる。(草裏より焦眉の大虫出で来る。也什麼と道ふぞ。直に得たり草縄自縛することを。去死十分。)僧云く、和尚教へ来たって問はしむ。(人の処分を受く。前箭は猶ほ軽く後箭は深し。)蔵云く、我今日頭痛す。汝が為に説くこと能はず。海兄に問取し去れ。(妨げず是れ八十四員の善知識、一様に這般の病痛を患ふることを。)僧、海兄に問ふ。(別人に転与す。臓を抱いて屈と叫ぶ。)海云く、我這裏に到って卻って不会。(とうーりっしんべんに刃ーとうたることを用ひず。さもあらばあれ千古万古黒漫漫。)僧、馬大師に挙似す。(這の僧卻って些子の眼晴有り。)馬師云く、蔵頭白海頭黒。(寰中は天子の勅。塞外は将軍の令。)

智蔵は西堂智蔵、海兄は百丈懐海、ともに馬大師の嗣。四句を離れとは、有と無と非有非無と、非非有非非無と、この四句を離れればその百非を絶すと、これインド人の思考ですか、四句にあいまって百非を作る。まったくもってすばらしい、そりゃもう思考錯誤うっふうもののありよう真実の底を抜けと、残念ながらさっぱりそうは行かぬで、こうして坊主やって来て、四句を離れ百非を絶して、祖師西来意如何と問う、問はれて答えない馬大師じゃないんです、どかんずばっとそのものを示す。(いずれの処よりこの話頭を得来る、どっからもってきたっていうんです、あっはっはまさにさ、いったいなんなんだと云いたくなる、たとい仏教ぎりぎりも百非を免れず、頭痛くなるんですよ、坐を得る、坐れるようになって坐っている、祖師西来意です、自分という架空ですか、形骸をはるかに絶して、うっふう出たり入ったりでもいいですよ、自然にこうあるんです、そこへ四句を離れ百非をもって来られちゃ、ぐわくたびれ、頭痛くなる、まあさそこらへんから、馬大師に接して下さい。)我今日労倦す、くたびれた、おまえさんの為に説くこと不可能、智蔵んとこへ行って聞け。(退身三歩、退いたっていうんです、蹉過することもまた知らず、ありようを説く、本来を示す、正令全提もまた蹉過了也。身を隠し影を露わすたって、てめえの弟子に責任転嫁ですかあ、わっはっははいごもっとも。)僧、智蔵に問ふ。(他に一拶を与える、これあって仏法は成り立っているんです、智蔵も海兄も答えぬわけには行かない、あっはっは面白いんです。てめえやってること知らなくたって、あるいはこれ同じ。)蔵云く、何ぞ和尚に問はざる。(草むらから焦眉の大虫、年とった虎が出て来た、やぶつっついたら蛇じゃなくって馬大師が出た、またなんと云うぞって、そんなこと関係ないがな、馬大師なしによって、自縄自縛の縄ふっきれ、死に去ること十分にして、始めて使えるんです。)僧云く、和尚教え来って問はしむ。(人の処分を受ける、てめえで縄つけた首を差し出す、一回目より二回目のほうがそりゃあ、ずっしり。)蔵云く、我今日頭痛す、汝が為に説くこと能はず、海兄に問取し去れ。頭痛がしてらちあかん、海兄のとこへ行けってたらい回しですか、こりゃ効くんですよ、四句を絶し百非を離れ云々経が、いっぺんに吹っ飛ぶ。うっふう吹っ飛ばなかったりして。(八十四員、馬祖下の善知識八十余りと云われる、ちえどいつもこいつも頭痛だと、あほくさ。)僧、海兄に問ふ。(別人に転与す、てめえのことを人に預けるんですか、臓を抱いて、めったら妄想知識、ああでもないこうでもないを包蔵して屈託です、屈と叫ぶ、こりゃまあ一般人みなこれですか、臭いものに蓋して、愛だのいじめだのやっている、しかも悪いのは世間など、あっはっはどうにもこうにも。)海云く、我這裏に到って卻って不会、いやそういうのはわからんというんです、はじめっからこれ答え。そうですわかりやすいところから入門、うは三十棒な。(とうとうは心に憂ふるさま、やっこさんに成り代わって、そりゃまあそうだわな、だからどうのやらない。道徳思想の後押ししない、同病相哀れむしない、いやさ気違いに肥やし与えない、そううさな千古万古黒漫漫、てめえに首突っ込んでるのは人間だけ、馬鹿くさいんです。)僧、馬大師に挙似、報告に行ったんですか、どうもこうも。(でもさ、この坊主、馬大師ごと面倒見ちゃったってえうっふ。)馬云く、蔵頭白海頭黒。(天子の勅に、将軍の令。はーい見事なもんですかねえ。)

頌・蔵頭白海頭黒。(半合半開。一手抬一手搦。金声玉振。)明眼の衲僧も会不得。(更に行脚すること三十年せよ。終に是れ人に汝が鼻孔を穿卻せらる。山僧故に是れ口偏担に似たり。)馬駒踏殺す天下の人。(叢林中也須らく是れ這の老漢にして始めて得べし。這の老漢を放出す。)臨済未だ是れ白拈賊にあらず。(癩児伴を牽く。たとひ好手なるも也人に捉へ了らる。)四句を離れ百非を絶す。(什麼と道ふぞ。也須らく自ら点検して看るべし。阿爺阿父に似たり。)天上人間唯我知る。(我を用ひて什麼か作ん。柱杖子を奪卻せん。或いは若し人無く我無く得無く失無くんば、什麼を将てか知らん。)

この問答みなこれ四句を離れ百非を絶する底の実際、仏教というノウハウですか、人間かくあり、かくあらねばならぬという不必要ですか、もと住すれば雲散霧消です、あなたはだあれと花に聞く、知らないと答えるんです、花は花の十二分、如来無心です、ただの人の日送り、達磨の不識に似て、雲の行く月の照りまさるんです、かつがつ自由の分があります。海頭黒蔵頭白これです、あっはっは黒白ありやなしや、うっふ有耶無耶うぞうもぞうの頭黒白もなし。こうありああありする、よきかな是。(半合半開、花のつぼみと咲き開くのと、一手抬一手搦、こうやってもたげるのと、ああやっておっぱなすのと、寸分の無駄もないんですよ、やってごらんなさい、自己反省のまったくない完全、はい赤ん坊の如く、金声玉振です。平和博愛なんてちんけなこと云わない、蔵頭白海頭黒。)明眼の衲僧も会不得。明眼の衲僧やってたんでは、はかに届かないんです、自知する以外にない、仏仏教という金縛りを免れるんです、金網を出る魚と、どうにもこうにもこれが難しい、難しいことはない、ただの生まれたてに帰ればいい、父母未生前のおまえさんの眉毛です、八万四千の経巻ただこれを説く、しかるにひっかかり首吊り、死体ばっかりごろごろ。(更に行脚すること三十年せよ、まずもって初心に返って下さい、すると人に鼻明かされて、あっはっははいそうでかってやってますよ、我今日倦労す、蔵主に問い去れ、はいまさにこれ答え、口へんたん、へんはコの反対っこの中に扁、へんたんで天秤棒です、口への字になって一言も云えないありさま、むうと押し黙る。)馬駒踏殺す天下の人、六祖、南嶽懐譲に云く、向後仏法、汝が辺より去らん、已後一馬駒を出して、天下の人を踏殺せんと。馬祖を予測したんです、たいへんなものが出た、(叢林中実に比類なし、この老漢を放出す、固有名詞なしって風ですよ、わかりますか、うっふ。)臨済未だ白拈賊にあらず。白拈賊大泥棒ですか、持ち物そっくり奪い取る、臨済一日衆に示して云く、赤肉団上に、一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門に向かって出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。時に僧有り、出て問ふ、如何なるか是れ無位の真人。臨済禅床を下って、趨住して云く、道へ道へ。僧無語。済托開して云く、無位の真人是れ什麼の乾尿楔ぞと。雪峰後に聞いて云く、臨済大いに白拈賊に似たりと。馬祖の機鋒もっとも臨済に過ぎたり。どんなへたくそでも完全に奪い去ればよし。(癩病です、死にいたる病とされていた、すなわち仏病、すでにして死ぬっきゃない、人を道連れですか、なんで礼拝せざると云われて、礼拝中に身心を脱す。でもってさ、臨済教になっちゃ、うっふう目くそ半かけ。)四句を離れ百非を絶す。(阿爺は江南で云う、阿だー父に多ー江北に云うと、まあさ好好爺ですか、一般の親父、ほんとうにこれ自知する以外になし、坐だけが証拠するんですが、坐という形骸を免れる、なんとも云いようにない、もとこれ。)天上人間唯我知る。(我を用いてなにかせん、柱杖子を奪卻す、あっはっはまさにこうしてごらん、人無く我無く得無く失無く、なんだわしんこと云うとるなあってさ、何をもってか知らん。)

第七十四則 金牛飯桶

本則・挙す、金牛和尚、斎時に至る毎に、自ら飯桶を将って、僧堂前に於て舞を作して、呵呵大笑して云く、菩薩子喫飯来と。(竿頭の糸線君が弄するに任す。清波を犯さず意自ずから殊なり。醍醐毒薬一時に行ず。是は即ち是。七珍八宝一時に羅列す。争奈せん相逢ふ者小なることを。)雪竇云く、然も此の如くなりと雖も、金牛是れ好心にあらず。(是れ賊賊を識り、是れ精精を識る。来って是非を説く者は、便ち是れ是非の人。)僧、長慶に問ふ、古人道ふ、菩薩子喫飯来と。意志如何。(妨げず疑著することを。元来落処を知らず。長慶什麼とかふ。)慶云く、大いに斎に因って慶讃するに似たり。(席を相て令を打つ。款に拠って案に結す。)

金牛は馬祖の嗣、斎時に至るごとに、飯台、おときです、ご飯になると、きまって飯桶をもって、舞いをなし、呵呵大笑して、菩薩子喫飯来と云う、菩薩さまが飯食いに来たと、こんなことできたらいいですね、痛快ですか、毎度こうするってのはなんですか、いえ為人のところ、さあ食えってんです。(竿頭の糸線君が弄するに任す、竿の先に糸くっつけて傀儡人形ですか、茹で蟹の七足八足です、自分で動いているのに、ただもう動かされているようなこんな感じ、でなきゃあ臭い芝居、鼻持ちならぬ一般芸ですよ、自分を観察しないんです、威儀即仏法とはこれです、坊主の我田引水じゃないんです、坊主かまあほんにしょーがないやな。清波を犯さず意自ずから殊なり、まさにそんなふうにです。醍醐毒薬一時に行ず。仏飯を喫するとはこれ、五観の偈があります、一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。二つには己の全欠と忖って供に応ず。三つには心を防ぎ過を離れることは、貪等を宗とす。四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。五つには成道の為の故に、今此の食を受く。まさに斎時に至るごとに唱えるこれ、はいクリアーしましたか、たった一つも是非の人卒業できんです、ないがしろにして生臭坊主ですか、すれば人格の破壊です、さあどうする。因に十重禁戒、不殺生戒、不偸盗戒、殺すなかれ、盗むなかれ、犯すなかれができますか、できなかったらそれで坊主終わりです、命がけで対処して下さい、これは神さまとの契約ではないんです、実にこうあります。醍醐毒薬一時に行ず、是は即ち是と、かすっともかすらないんです、跡形も残らぬときに、七珍八宝一時に羅列す、見事に舞いを舞うんです、飯桶かかえて呵呵大笑、できますか。)雪竇云く、しかもかくの如くなりとも、金牛これ好心にあらず、好き心でやってるんではないというんです、あっはっは蛇足、こうすりゃ人みな喜ぶ、みんな仲良く世界平和のうじ虫じゃないんです、花が咲き、月が照るのと同じ、まさにそのようにして生死あり、余計ことは地球を滅ぼす。(これ賊賊を識り、さすがは雪竇よく見ておるといんです、金牛この一箇をもって大衆雲衲を救う、精精を知る、大機大用です、精神とは何か、おのれという省みるなしです、さあこれを得て下さい、もとっこきれいさっぱりですよ。なを求めずんば露れず。是非を説くものはこれ是非の人。地球の荷厄介。)僧長慶に問ふ、菩薩子喫飯来と、意志如何。(まあさ疑問に思うことから始めておくれ、くさいものには蓋=てめえのこと。うっふっふ元来落処を知らず、さあどうする、なんて云うか。相変わらずいま一。)慶云く、大いに斎に因って慶讃するに似たり、万事めでたしって云うんですか。(相手によって令を行ず、相手とはてめえここが悪いって顔に書いてある、白状してやって来る、つまり罪状認否をハンコ捺してやりゃいいってんですか。ふん。)

頌・白雲影裏笑呵呵。(笑中に刀有り。熱発して什麼か作ん。天下の衲僧落処を知らず。)両手持し来って他に付与す。(豈に恁麼の事有らんや。金牛を謗ずること莫んば好し。喚んで飯桶と作し得てん麼。若し是れ本分の衲僧ならば這般の茶飯を喫せず。)若し是れ金毛の獅子子ならば、(須らく是れ他格外にして始めて得べし。他の具眼を許す。只恐らくは眼正しからんことを。)三千里外にごうー言に肴ー訛を見ん。(半文銭に直らず。一場の漏逗。ごう訛什麼の処にか在る。瞎漢。)

白雲影裏笑い呵呵、なんのわだかまりもない天下太平です、でもってそういう時ってありますか、うじうじもそもそ絶え間なしの日常でしょう、せっかくこの世に生まれて、前後左右なんだかだとやっている、つまらんです、一切を捨てる、おぎゃあと生まれたまんま、父母未生前、笑い呵呵です。一文も銭かかりませんよ、静室宜しく飲食節ありと、一向に坐ればもと大人、だれあって手つかずの完全です。(笑中に刀あり、そりゃ有象無象忸持たるを突出し来たるんです、刀ですよ。触れりゃ切れる、あっはっは真っ二つ、熱発してなにかせん、飯桶もって舞うとかいう、別誂えする、あほじゃねえかっていうんです、ともあれ取り付く島もないんです、天下の衲僧向かって参禅も四分五裂ですか、良寛を習うというは自己を習うなり、自己を忘れてはじめて、たとい金牛を見る、見れども見えずの良寛、うすぎたない良寛振り、ぐわかなわん。)両手持ち来って他に付与す、斎によって慶讃すと、お手上げ万歳ものみな全員です、これできますか、世間一般ただの悪ふざけです、そうではまったくないんです、知るや。(豈に恁麼の事有らんや、仏教本分をひっかつぐ以前ですよ、さあこれできなけりゃまさに本分なし。呵呵大笑も拈花微笑もなし。よくよく見て取って下さい、金牛これ、飯桶を抱えたって舞い踊る不可能、縁叩いてもって音もせず、さあて喫飯如何、ちらともあありゃ落第。わっはっは落第坊主の代表わし。)若し是れ金毛の獅子子ならば、はいあなたですよ。(格外とは何、坐っていてわずかに自分失せるんです、失せたという思い込みを外す、他の具眼を許す、するとついの今まで仏あり道理ありしたのが、一万通りも別様あったりします、ぼかっと忘れ、しかも法の中。)三千里外にごう訛を見ん、ごう訛、入り組、見難き法理と注釈ありますが、なにでたらめ方言ですか、本来を表わすのに杓子定規いらんです、卻って間違う、わかりますかこれ、もと本来人なんです、三千里外など知らぬ。(どあほうめなに抜かすってんです、もとこれこれ。あっはっはもとどあほうですか。)

第七十五則 烏臼屈棒

本則・挙す、僧、定州和尚の会裏より来たって烏臼に到る。烏臼問ふ、定州の法道、這裏と何似。(言中に響有り。深浅を弁ぜんことを要す。深竿影草。はなはだ人を瞞ず。)僧云く、別ならず。(死漢の中に活底有り。一箇半箇。鉄楔子と一般。実地に踏著す。)臼云く、若し別ならずんば、更に彼の中に転じ去れといって便ち打つ。(灼然。正令当行。)僧云く、棒頭に眼あり、草草に人を打つことを得ざれ。(也是れ這の作家にして始めて得ん。卻って是れ獅子児。)臼云く、今日一箇を打著といって、也又打つこと三下す。(什麼の一箇とか説かん、千箇万箇。)僧便ち出で去る。(元来是れ屋裏の人。只屈を受くることを得たり。只是れ機を見て作。)臼云く、屈棒元来人の喫する有る在り。(唖子苦瓜を喫す。放去又収来。点得し囘り来たらしむるとも何の用を作すにか堪へん。)僧身を転じて云く、争奈んせん杓柄、和尚の手裏に在ることを。(依前として三百六十日。卻って是れ箇の怜悧の衲僧。)臼云く、汝若し要せば、山僧汝に囘与せん。(知んぬ他阿誰か是れ君、阿誰か是れ臣。敢えて虎口に向かって身を横たふ。はなはだ好悪を知らず。)僧近前して臼の手中の棒を奪って、臼を打つこと三下す。也是れ一箇作家の禅客にして始めて得ん。賓主互喚、縦横時に臨む。)臼云く、屈棒屈棒。転。這の老漢什麼の死急をか著たる。)僧云く、人の喫する有る在り。(呵呵。是れ幾箇の灼柄か卻って這の僧の手裏に在る。)臼云く、草草に箇の漢を打著す。(両辺に落ちず。知んぬ他は是れ阿誰ぞ。)僧便ち礼拝す。(危きに臨んで変ぜず。方に是れ大丈夫。)臼云く、和尚卻って恁麼にし去るや。(点。)僧大笑して出ず。(作家の禅客天然の有る在り。猛虎須らく清風の随ふことを得べし。方に知んぬ始を尽くし終を尽くすことを。天下の人模索不著。)臼云く、消得恁麼、消得恁麼。(惜しむ可し放過することを。何ぞ劈背に便ち棒せざる。将に謂へり走りて什麼の処にか到り去ると。)定州和尚は名を石蔵、神秀下三世。烏臼は馬祖の嗣。定州のもとから僧が来た、烏臼問いふ、定州の法道、這裏といかん、こことどうだと聞く。(深浅を弁ぜんことを要す、云うことは同じ、実際は雲泥の相違ってことあります、百人いれば百様、ちっとはおのれの為に資すか、弁道行脚はまさにこれ、深竿影草はさぐりを入れる、どうだと聞いて、一言すれば敵を知る、はなはだ人を瞞ずとは、嘘なんでか真なんですか、それとも。)僧云く、別ならず。同じだというんです、はたして。(仏法として同じだという、死体です、こうあるべきが堕在する、同じだがとこの僧、卻って聞く、おまえさんなにかあるんかい、示せという、わっはっはさあたいへんだ。)臼云く、別じゃないってんなら、定州和尚のもとへ帰れっと云って、打つ。(そりゃ当然です。このたわけがどんとやる。)僧云く、棒頭に眼ありっていうじゃないか、妄りに打つもんじゃなあいぞ。(こりゃまあけろんぱ、もし観念常識をもってするなら、百棒打って追い出す、どうもまったくそじゃないらしい。)臼云く、今日一箇を打著す、おっほう骨のあるやついたかといって、また打つこと三下。(なんの一箇とか説かん、千箇万箇、ひとりよがりの個人じゃないってところを見て下さい、清々打つことはかくのごとし。)僧すなはち出で去る。(元来屋裏の人、もとこれ本来人ですか、打たれ損、出で去るも機を見てなすと、これ屋裏の人を観念倒れと見ると、まったく同じに意味が通ずるから変だ、妄想また厄介。)臼云く、屈棒元来人の喫するあり、打たれて喜んでるやつもいらあな、どだい棒を喫する=人間てとこですか。(聾唖がにが瓜を喫す、なんとも表現方法がない、顔を歪めるんですか、仏=おのれを表わすはまさにこれ、とっつかまえるかおっぱなすしかない、点得して、虫ピンで貼りつけたってなんの標本ですかね、たいして役立たず。)僧身を転じて云く、しかたがない、棒はそっちにあるんだしさ。(なんの変化もない失敗作。利口な男ですか。)若しいるんなら、棒をわたすぜ。(どっちがどっちですかってわけです、虎口に身を横たえるこの僧ですか、烏臼ですか。はなはだ好悪を知らず、まさにこれ作家、双方独立人です。)僧、臼の手から棒を奪って、打つこと三下。(だからどうだって、うっふうどう思いますか、舌を巻く以外になんともはや、ではさ、あとは蛇足の付け足し。)臼云く、屈棒屈棒。(転、どうですかこの標本、なんの死急をか得たる、かすっともかすらないんですよ。)僧云く、人の喫するあり、あっはっは返事ですか。(幾箇の灼柄か、ひしゃくの柄ですか、千箇万箇のお返し、行ったり来たりってわけ、軽い。)臼云く、草草に箇の漢を打著す。(どあほうめが、妄りに打つなってさ。)僧すなわち礼拝す。してやったりですか。(危きに変ぜず、虎口を逃れるにこれ大丈夫。)臼云く、なんだそれっきりか、(点。あっはっはこれ。)僧、大笑して出ず。(天然のあるありですか、ちっとも変化しねえがな、はたしてそれでいいのか、清風無始無終。模索不著もこれはこれ風力の所転。)臼云く、消得恁麼、ふんくそったれって云うんです、忘れちまえってのはだれにか。(なんぞひっせきに棒ぜざる、背中打てってんです、走り出てこやついったいどこへ行く、いやさまさにそう思うです。)

頌・呼ぶことは即ち易く、(天下の人総に疑著す。臭肉蝿を引き来る。天下の衲僧総に落処を知らず。)遺ることは即ち難し。(妨げず剿絶することを。海上の明公秀。)互換の機鋒子細に看よ。(一出一入、二倶に作家。一条の柱杖両人扶る。且らく道へ阿誰が辺にか在る。)劫石固うし来るも猶ほ壊すべし。(袖裏の金鎚如何が弁取せん。千聖不伝。)滄溟深き処も立てば須らく乾くべし。(什麼の処に向かってか按排せん。棒頭に眼有り。独り許す他親しく得ることを。)烏臼老烏臼老。(可惜許。這の老漢好悪を知らず。)幾何般ぞ。(也是れ箇の端無き漢。百千万里。)他に杓柄を与ふ太だ端なし。(已に言前に在り。ほとんど方に蔡州を打破すべし。好し三十棒を与ふるに。且らく道へ過什麼の処にか在る。)

呼ぶことは即ち易く、遺ることは即ち難し、蛇を呼ぶことはたやすく、これをやることは難し、あっはっはまあそんな具合ですか、仏教入門はたやすく、仏教を卒業することは、極めて難ですか、定州の法道這裏と如何と呼んで、即ち打つ。同じなら定州のもとへ帰れという、どっこいさようですかと引き下がらない、こりゃ猛毒の蛇、世の常瞎睡漢にあらず、目を開いたまんま眠っている、そうさなあたいていの人これ、棒頭に眼有り、草草に人を打つことなかれと。(天下の人総に疑著す、なんだろうっていうんです、仏教といううたいてい反対こと、常識の夢を破るんですか、臭肉蝿を引き寄せる、ちいっとそやつが行き過ぎた、烏臼の痛棒天下の衲僧落処を知らず、頭撫でられて大安心ってわけに行かぬ。)遺ることは即ち難し。(妨げず剿絶することを、ほんとうにすっからかんになれってんです、仏教の首枷をもってしゃば世間をおさらばしたら、次には首枷外して自由になりゃいい、海上の明公秀は蜃気楼ですか、自分というこやつも架空なれば、それを免れる仏法というのも蜃気楼なんです。すべてはてめえが作る。)互換の機、子細に看よ。(ここにまったく免れ出たただの人二人、こんなのは珍中の珍です、よく見よという、一出一入、一本に柱杖をもってす両人、他にないんかったってこれをもって十二分ですか、消得恁麼、かすっとも残らないんです、まずこんなこたないんです、老師は是こっちは不是、でもってまたって具合です、面白くない。)劫石固うし来るも猶ほ壊すべし、一劫はそうねえ四国くらいの大岩を、五百年に一度天人が舞い降りて衣にこする、でもってその大岩がなくなるまでっていんです、劫石これ。固いっていうのはこの僧ですか、烏臼ですか、わっはっは虚空が固いですか、だったらなんにも無くならない、てめえを持ったらそいつが失せる、どんなにかたくなだろうが無常の風です、吹き曝されるんです、仏だってまったく同じ。(袖に隠し持つ金鎚、千聖不伝はそりゃそんなものまるっきりないからです、ないもの金剛不壊=仏法です。)滄溟深き処も立てば乾くと、深浅卻って如何、これ無反省、いいやさ糠に釘ですか、悟ったら是か悟らずんば不是か、さあ面と向かって対決です、ことはそれから。(いずれの処に向かってか按排せん、按配そのもの、棒頭の眼おのれ知らず。)烏臼老、たいしたもんだこんなやつ滅多にいないおってね、うっふ。(惜しいかな、この老漢好悪を知らず、はいこれです。のべたん人間になれってこと。)幾何般ぞ、天下に何人あるか、(千万七通八達、なにをどうすりゃっていう、人間もとノウハウなし。)いやはや相手に棒を渡しちまうぞ、とんでもねえったら真似してみな。(ほとんど合に蔡州を打破す、方言に死して弔わず、また命を糸に掛けるが如くとさ、すでに言前にあり、逃げるな、物まねしようがしまいが三十棒。)