伝光録2

第二十九章~第五十二章


第二十九章

第二十九祖、大祖大師、二十八祖に参持す。一日祖に告げて日く、我れ既に諸縁を息む。祖日く、断滅と成り去ること莫しや否や。師日く、断滅と成らず。祖日く、何を以て験と為す。師日く、了了として常に知る、故に云うことも及ぶべからず。祖日、此れは是れ諸仏所証の心体、更に疑うこと勿れ。

師姓は姫氏、父は寂、未だ子なく、常に思う、わが家善をなす、あに子なからしめんやと、一夕異光あり、室を照らす、その母よって孕む。照室の瑞をもって光と名づく。幼より志群を抜き、書を読み家産を事とせず。山水に遊び、嘆じて日く、孔老の教えは礼術の風紀なり、莊易の書は未だ妙理を尽くさず。龍門香山の宝静禅師について出家す。あまねく大小乗の義を学す。一日仏書般若を見て、超然として自得す。昼夜坐して八載を経しに、神人告げて日く、大道遙かなるに非ず、汝それ南せよと。神光と改名す、その頂骨五峰の秀出するが如く、したがい嵩山小林寺に到り、達磨大師に見ゆ。大通二年十二月九日、大師入室を許さず。その夜大いに雪降る。雪中に明けるを待つ。積雪腰を埋め、寒気骨に徹る。乃至、自ら利刀をとりて左臂を断ず。大師是れ法器なりと知って日く、諸仏道を求む、法の為に形を忘る、汝臂を断つ、求むること亦可なること在り。師ために名をかえて慧可と日う。ついに入室を許す、左右に給仕して八載、有る時師、大師に問うて日く、諸仏の法印得て聞くべしや。大師日く、諸仏の法印は人より得るにあらず。ある時示して日く、外諸縁を息め、内心喘ぐことなく、心墻壁の如くにして以て道に入るべし。大師ただその非を遮り、ために無念の心体を説かず。ある時大師に侍して、小室峰(嵩山の西峰)に登る、大師問う、道何の方に向かい去る。師日く、請ふ、直に進前せば是なり。大師日く、若し直きに進まば一歩を移すことを得ず。師聞きて契悟す。ある時大師に告げて日く、我れ既に諸縁を息む、乃至、さらに疑うことなし。
われ既に諸縁を息むという、左臂を切って出家沙門のこれ、ついに円成するんです、諸縁を放捨し、飲食節有りと、普勧坐禅儀にあるように、一歩禅堂に入れば、世の中の暮らしというんですか、あれこれ全般を離れて、わずかに身心を養う、本来を得る、もとのありように立ち返るこれです、それができたというんです、坐って真似事ではない、本来事これ。大師日く、断滅と成り去ること莫しや否や、思想考え方として、ちらとも残りあればこれです、無明無しあって無明の尽くる無しを知らないんです、そうですよ世の中諸縁のまっただ中なんです、しかも諸縁を息む、面白いんでしょうこれ、まさにこれを知らざれば、仏法なし、仏法としてちらよもあれば、諸縁対仏法です、すなわちこの事を得て下さい。大師日く、では何を以て験すと、諸縁有象無象と同じかと問う、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば所を知ると、師日く、了了として常に知る、故に言うことも及ぶべからず。大師日く、これはこれ諸仏の心体、さらに疑うことなかれと。

空朗朗地縁思尽き、了了惺惺として常に廓明たり。

大祖神光慧可大師が、このように廓明了了、空朗諸縁尽きはてて、法を継ぎよってもって今に到る、師法を僧さん(王に粲)に付してのち、都辺に於て随喜説法す、四衆帰依すと、三十年におよび、あるいは諸の酒肆に入り、屠門を過ぎり、街談を習い、厮役にしたがうとある、酒屋へ入ったり、肉を食らったり、にぎやかな街をうろつき、雑多な人々といっしょになる、坊主はお経師家は説法など、らしくの形姿を破りすてて、むきだしに市井を歩く、どうですか他仏如来としてないんですよ、ついに法師和尚の類に、謗りを受けて獄中に死す、あっぱれ天下泰平です、いいですか、ほんとうにこれを得て下さい、お悟り虫では、そりゃなんにもならんです。



第三十章

第三十祖鑑智大師二十九祖に参ず、問いて日く、弟子の身風恙に纏わる、請うらくは和尚罪を懺せよ。祖日く、罪を将ち来れ、汝の為に懺ぜん。師良久して日く、罪を覓むるに不可得なり。祖日く、我れ汝が与めに罪を懺じ竟る、宜しく仏法僧に住すべし。

師は何れの人というを知らず、初め白衣を着て二祖に謁す。歳四十余なり、名字を云はず、礼して問いて日く、弟子が身風恙、癩病に纏わる、乃至宜しく仏法僧に依りて住すべし。師日く、今和尚を見て已に是れ僧なることを知る、未審し何をか仏法と名く。祖日く、是心是仏、是心是法、法仏無二なり。僧法もまた然り。師日く、今日始めて知りぬ。罪性は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず、其心の如きも然り。仏法も無二なり。祖深く之を器とす、為に剃髪して日く、是れわが宝なり、宜しく僧さん(王に粲)と名くべし云々。三祖大師信心銘等今に残る、罪を求めるに不可得、我れ汝が為に懺じ得たりという、心身の救いこれ以外にないこと、今の世もまったく同じ、よくよく見てとって下さい、迷いから迷いへの諸宗付け焼き刃、殺し文句じゃないんです、無心という、心の無いことを知る、無いものは痛まない、傷つかないんです、無心とは是心是仏です、是心是法です、法仏無二、かくの如くです、僧法また同じく、まったくに他なしです。我れ今初めて知れりと、どうかこれ万人が万人、初めて知って下さい、罪性は内に在らず、外に在らず、中間にも在らず、心もしかなり、仏法無二なり。豁然大悟です、他なしに開ける。ようやく病癒ゆると。周の武帝仏法を廃する時にあたり、あらかじめこれを知って、法難を避ける、これ達磨般若多羅の記すに拠ると、のち大いに興る、鑑智はおくりなである。

性空内外無く罪福蹤を留めず、心仏本是くの如く法僧自ずから暁聡なり。

禍福はあざなえる縄の如しという、これ俗説ですよ、たといあざなえる縄の如くも跡なしです、それゆえたとい大悟十八辺小悟その数を知らずも、まったく跡なし、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれ、では法とは何か、跡なしです。心というたとい顧みるものこれ、では見えない道理、よくよくこれを知って下さい、参じ尽くし参じ去ってのちに、自ずから明らか
です、取り付く島もないとき、ようやく使いえて妙です、信心銘、これを用いるによし、心銘またよしと云ったって、はてな一言半句思い出せないで弱った、わしはもうろくじっさ。



第三十一章

第三十一祖、大医禅師、鑑智大師を礼して日く、願くは和尚慈悲、乞ふ解脱法門を与えよ。祖日く、誰か汝を縛すや。師日く、人の縛するなし。祖日く、何ぞ更に解脱を求めんや。師言下に於て大悟す。

師諱は道信、師生まれて超異なり、幼より空宗の諸の解脱門を慕う、あたかも宿習の如し。年十四にして三祖大師に参じて日く、願くは和尚慈悲、乃至言下に大悟す。師祖風を続ぎて摂心寝ることなく、脇席に置かず六十年、徒衆とともに吉州に到る、群盗城を囲みて七旬に及ぶ、師憐れみて摩訶般若を念ぜしむ、時に群盗城壁をうかがうに、神兵あるが如し、定めて異人あるべしといって、ようやく引き下がる。帰りて破頭山に住す、学侶雲集す。一日黄梅路上に親しく弘忍を接し、牛頭頂上に横に一枝を出す。唐の太宗詔して京に招く、師上表して遜謝すること三返、使い来たりて、もし起たずば首を切れという、神色厳然、ついに切れず。一切諸法、悉皆解脱、汝等各自護念して、未来を流化せよと、云い終わりて安坐して逝す。
和尚慈悲乞う解脱の法門を与えよという、誰か汝を縛すや、いいえだれも縛ってはいないという、では何ぞ更に解脱と求めんや、師言下に於て大悟す。そうです、まったくこれっきりなんです、十四歳にしてこうです、七転八倒座禅により見性によち、ああでもないこうでもないの、まったくそんな必要のないことを、直きに知って下さい、手つかずの法門、手をつける必要がないんです、言下に於て大悟して下さい、まるっきりのただ。だからなんでもありあり、しゃばの我欲不都合のそのまんまですか、摂心寝ることなく、脇席につかず六十年です、自ずからにかくの如くです、務めてなすのおいて務めてなすんです、わかりますかこれ。

心空浄智邪正無し、箇裏知らず何をか縛脱す。縱ひ五蘊及び四大を別つも、見聞声色終に他に非ず。

もとこのとおりにあって、他にないのを何で知らず、何ゆえ安住せぬかという、根本の問題です、何ゆえと問いわれて、答えようがないんですか、いえ我欲のゆえに、とらわれのゆえに、いえ我れという架空のゆえに、五蘊あり四大ありする、見聞覚知を追うんですか、どうしてもこれを免れえぬと思い込むんですか、すなわちこう云えばこれ切りがないんです、切りのないのを人生という、いったんどうでもってことあります、これではならじということあって、願くは和尚慈悲、わがために解脱の法門を示せという、願くはなければ、だれも縛ってなぞいない、もとかくの如しとは気がつかない、これ仏教、でなくばもとっから仏の教え不要。たといまあそういうこってすか。



第三十二章

第三十二祖大満禅師、黄梅路上に於て三十一祖に逢う。祖問いて日く、汝何の姓なる。師日く、性は即ち有れども是れ常の姓にあらず。祖日く、是れ何の姓ぞ。師日く、是れ仏性なり。祖日く、汝姓無きや。師日く、性は空なるが故に無し。祖黙して其の器なるを識り、法衣を伝付す。

師はき州黄梅県の人。先に破頭山の栽松道人たり。かつて四祖に請うて日く、法道得て聞きつべしや。祖日く、汝すでに老いたり、若し聞くことを得るとも、よく化を広めんや。若し再来せば吾なを汝を待つべしと。即ち去りて水辺に往いて、女の衣を洗うを見て、礼して日く、寄宿し得てんや否や。乃至女一子を生む、不詳の子とて濁港の中に捨てる。流れに濡れることなし、神仏護持して七日損せず。母これを見て養う、長じて母とともに乞食す。人呼んで無姓児という。智者ありていう、この子七種の相を欠きて如来に及ばずと。黄梅路上に四祖の出遊に会う。即ち骨相奇秀常童に異なるを見て、問いて日く、汝何の姓ぞ。乃至黙してその法器なるを知り、母に請して出家せしむ、時に七歳なり。よって伝法出家せしより、十二時中一時も蒲団にさえらることなし、余務欠くことなしと雖も、かくの如く坐し来る。上元二年、徒に示して日く、吾事すでに畢んぬ、すなわち逝くべしと云いて、坐化す。
現代人からみると、理不尽というか奇異な伝えですが、たといどうなろうと、そのことわりをまっとうするんです、寸分も忽せにせぬ所が見えます、どうかこれを見習って下さい。さまざまな人に接し、そのありようを見るに、すんなりと行く人、滞り七転八倒の人、あるいはまったく無縁の人、せっかく開示しながらどうにもこうにもの人、はたして宿縁のなせるが如くと、いえたとい今生も、蒔いた種は刈らんが如きです、必ずやその結果を得る、これをもって念じて、ついには仏です、如来来たるが如しと、これを観じて下さい、故は如何、仏教に一微塵も過ちはないんです、他なしにこうあります。

月明らかに水潔く秋天浄し、豈片雲の大清に点ずる有らんや。

たとい親不孝傍迷惑、云う甲斐もなやのわしみたいなものでも、ついにそれを忘れ切ることができます、悪業の中の悪業出家非行道とて、自分が自分を許されぬ、ついにはその自分が失せるんです、すると如来仏という、もとこれのみがあって、私無し、私というあったかなかったか、夢にも見ないほどの、たかが百年足らずです、願くはもう一度生まれ変わって、若くして化を広めたいと思う、それはなんとも滞って、この世この身心を徒労に用いる歳月の長かったこと、未だに一人の跡継ぎをも見いだし得ないことです、とにかくあっはっは死ぬまで生きるんですか、暁幸を待つ。



第三十三章

第三十三祖、大鑑禅師。師黄梅の碓坊に在りて服労す。大満禅師有時夜間に碓坊に入りて示して日く、米白まれりや。師日く、白まるも未だ篩ふこと有らざる在り。満杖を以て臼を打つこと三下す。師箕の米を以て三たび簸りて入室す。

師姓は盧氏、その先は范陽の人、父は武徳中に南海の新州に左遷せられ、ついに喪す。その母志を守りて養育す。長ずるに及んでもっとも貧なり、師樵して以て給す。一日薪を負いて市中に至る。客の金剛経を読むを聞き、応無所住而生其心というに到りて感悟す。師その客に問いて日く、これは何の経ぞ。客日く、これは金剛経と名く、黄梅の忍大師に得たり。師急に母に告げて、法の為に師を尋るの意を以てす。尼無尽蔵常にねはん経を読む。師しばらく聞きて、ためにその義を解説す。尼巻を取りて字を問う、師日く、字は知らず。尼驚嘆して、能はこれ有道の人なり、宜しく請して供養すべしと。人競い来たりて礼す。宝林古寺あり、師をして住せしむ、四衆雲集してにわかに宝坊となる。一日自ら念じて日く、我れ大法を求む、豈中道にしてとどまるべけんやと。師辞し去って黄梅に到り、五祖大満禅師に参謁す。祖問うて日く、何くより来る。
師日く、嶺南。祖日く、嶺南人に仏性なし。なんぞ仏を得ん。師日く、人に即ち南北あり、仏性豈然からんや。祖是れ異人なりと知りて、乃ち訶して日く、槽廠に着き去れと。能礼足して退き、碓坊に入りて杵臼の間に服労し、昼夜息まず。八月を経たり。祖付授の時至るを知りて、遂に衆に告げて日く、正法難解なり、徒らに吾言を記して持して、己が任と為すべからず、汝ら各自随意に一偈を延べよ。若し語意冥府せば則ち衣法皆付せん。時に会下七百余僧の上坐神秀、学内外に通じ、衆の宗仰する所なり。みなともに推奨して日く、もし尊秀に非ずんば、たれか敢えて之に当たらん。神秀偈を作ること終わりて、数度呈せんとして堂前に至る。心中恍惚として遍身汗流る、前後四日をへて呈することを得ず、如かず、廊下に向かいて諸著せん、他の看見するに従い、若し好しと道へば、出て礼拝して秀が作と云はん、若し不堪と道へば、まげて山中に向かいて年をへんと、この夜三更、自ら灯をとりて偈を南廊の壁に書す。身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ。祖経行してこの偈を見て、これ神秀の述ぶる所と知りて、賛嘆して日く、後代これに依りて修行せばまた勝果を得ん。各をして誦念せしむ。師碓坊にありて偈を誦するを聞きて、美なることは即ち美なり、了ずることは未だ了ぜずと、童子をして秀のかたわらに一偈を写す。菩提本樹に非ず、明鏡亦台に非ず、本来無一物、何れの処にか塵埃を惹かん。一山上下皆日う、これ実に肉身の菩薩の偈なり、内外喧すし、祖盧能が偈なりと知りて、未見性の人なりと云うて、かき消す。夜に及んでひそかに碓坊に入りて問ふて日く、米白まれりや未だしや。乃至三度び簸りて入室す。祖示して日く、諸仏出世、一大事の為の故に、機の大小に随いてこれを引導す。遂に十地三乗頓漸の旨あり、以て教門を為す。しかも無上微妙秘密円明真実の正法目蔵を以て、上首大迦葉尊者に付す。展転伝授すること二十八世達磨に至り、この土に届いて可大師を得、承襲して我れに至る、今法宝及び所伝の袈裟を以て、用いて汝に付す。善く自ら保護して断絶せしむることなかれ。師跪きて衣法を受けて啓して日く、法は則ち既に受く、衣何人にか付せん。祖日く、昔達磨初めて至る、人未だ信ぜず、故に衣を伝えて以て得法を明かす。今信心既に熟す。衣は即ち争いの端なり、汝が身にとどめて亦伝えざれ。且らく当さに遠くに隠れて時を待ちて行化すべし。いわゆる受衣の人は命懸糸の如くならん。黄梅の麓に渡しあり、祖自ら送りてここに至る。師いっして日く、和尚速やかに還るべし、我既に得道す、まさに自ら渡るべし。祖日く、汝既に得道すべしと雖も、我れなを渡すべしと云いて、竿を取りて彼の岸に渡し終わり、ひとり寺に帰る。それより後五祖上堂せず。衆問えば、我が道逝きぬと、師の衣法何人か得る、祖日く、能者得たり。盧行者、名は能、尋ぬるに既に失せり。すなわち共に走り追う。時に四品将軍、発心して慧明というあり。衆人の先となりて大ゆ嶺にして師に及ぶ。師日く、この衣は信を表す、力を以て争うべけんや。衣鉢を盤上に置きて草間に隠る。慧明至りてこれを揚げんとするに、力を尽くせども揚がらず。大いにおののきて日く、我れ法の為に来る、衣の為に来たらず。師出て盤石の上に坐す。慧明作礼して日く、我が為に法要を示せ。師日く、不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ明上座本来の面目。明、言下に大悟す。また問いて日く、上来密語密意の他、かえりて更に密意ありや。師日く、汝がために語る者は即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に有らん。明日く、慧明黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省せず。今指示をこうむる。人の水を飲んで冷暖自知するが如し。今行者は即ち慧明が師なり。師日く、汝若しかくの如くならば、吾と汝と同じく黄梅を師とせん。明礼謝して返る。後慧明を道明と改む、師の上字を避ければなり。師四県の猟師の中に隠れて十年を経る。二僧あい争う、風刹旙を揚ぐ、一は旙動くと日い、一は風動くと日う、師日く、風旙の動くに非ず、仁者の心動くなりと。これを以て出世す。
然して後曹溪に返りて大法雨を雨降らす、覚者千数に下らず、寿七十六にして沐浴して坐化す。
六祖大鑑慧能禅師によって宗風大いに興ること、またこれが伝法出世の因縁、人のまたよく知るところです。信を表するもの、たとい石の上に置かれようが、取ろうたって取れんです、このときいったいこれの何たるかを知る、作礼して日く、我が為に法要を説けと、不思善不思悪、正与麼の時那箇かこれ明上座が本来の面目。まさに目の当たりまったく他にはないことを知る、言下に於て大悟すとは、今も昔もあるんです、存在するという無自覚、常にその中にありながら、別こと余計ことなんです。身は菩提樹と願い、心は明鏡台の如しと示し、どうにもそうはなり切れんのを、時時につとめて払拭せよ、塵埃をひかしむることなかれとやる、嘘でありごまかしです。菩提もと樹にあらず、明鏡また台に非ず、いいですか明鏡そのものですよ、菩提心与麼に長ずるんです、本来無一物、手つかずのものみな、いずれの処にか塵埃をひかん。ちりもほこりもない、真正面ですよ。すると、旙動かず風動かず、こっちがこう揺れていたりするんです。

臼を打つ声高し虚碧の外、雲に簸るる白月夜深うして清し。

簸るとはふるいにかけて選り分けるんですか、砂米一時に去る、それじゃ大衆は何を食うというのあったですが、応無所住而生其心と感悟するところのものを、出入し長長出させるんですか、砂も米も同じに見え、空間も同じに映り、しかもなをかつ、これをついて米白まり、これを簸る神変不思議です、あると思いあとかたと見え影とも見える、自分という架空請求がまったく失せるんです、よってもって臼を打つ声高しです、虚碧の外という、ほうら他なしです、雲に簸るる白月と、ものみなはっきりしています、深うして清しと、それっこっきりですよ、世間も仏教界もないんです、あっはっはこんなの出世は難中の難ですか。でもさ、今の世も知る人はちゃ-んと知る。



第三十四章

第三十四祖弘済大師曹溪の会に参ず。問いて日く、当に何の所務か即ち階級に落ちざるべき。祖日く、汝曾て甚麼か作し来たる。師日く、聖諦も亦為さず。
祖日く、何の階級にか落ちん。師日く、聖諦すら尚為さず、何の階級か之れ有らん。祖深く之を器とす。

師は幼歳にして出家し、群居して道を論ずる毎に、師はただ黙然たり。後に曹溪の法席を聞きて乃ち往きて参礼す。問いて日く、まさに何の所務か階級に落ちざるべき、乃至祖深く之を器とす。会下の学徒多しといえども師首に居す。
一日祖師に云いて日く、従上衣法ならび行ず、師資たがいに授く。衣は以て信を表し、法は乃ち心を印す。吾今人を得たり、何ぞ信ぜられざるを患えん。衣は即ち留めて山門に鎮ぜん、汝当に化を一方に分かちて断絶せしむることなかるべし。師吉州の青原山静居寺に住し、乃ち曹溪と同じく化を並べ、ついに石頭を接してより、人踵を接して来たる。もっとも大鑑の光明なりとす。後に弘済大師と謚す。
まさに何の所務か階級に落ちざるという、ついになんの所務もなく階級もなき人、これたとい何人もそうには違いないんですが、生まれついてのなんにもならぬ人います、別段他と比べて能力に劣っているというわけではなく、たいてい何やらしても抜群というほどに、しかも群居して道を論ずるに黙然たりです、すると不思議に思うんです、人の形を表わす、それはいったい何か、中途半端の不満足のまま、いえそんなこってはとうてい、いえ自分もそうせねばいけないんだろうがと、慧能もと技倆なし、どうしようもなく、聖諦すら尚為さずです、すなわち何の階級かこれあらんと、そのまっしんに坐すんです、自分という何物もない坐を知るんです、いいも悪いもないまったい安住して他なしです、浮き世というあるいは仏教という、あるいは光陰互いに行くんですか、現実とは他のどんなやつよりもまさに現実です、しかも三百六十五日夢。通達することかくの如し、学人雲集すること然り、青原行思俗に一宿覚という、曹溪に一晩宿って悟ったからと。

鳥道往来猶跡を断つ、豈玄路の階級を覓るに堪えんや。

みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれと、人のありようものみなのありようまさにこれ、本能の赴くままという人間傲慢を少しは思い返してみるといいかも知れません、人知という、目から鼻へ抜けるという、これ形あり、一を聞いて十を知る、これ跡型あるんです、そうではないもと目鼻なし、もとはじめからぜんたいです、階級という便宜あってあるとき用い、あるとき解消するんですか、いいえ階級のまんま無階級ですよ、解消という不自由じゃないんです、人々よく確かめて下さい、わっはっははい無責任。

第三十五章

第三十五祖無際大師青原に参ず、原問いて日く、汝甚麼の処より来る。師日く、曹溪より来る。原乃ち払子を挙して日く、曹溪に還た這箇有りや。師日く、但だ曹溪のみに非ず、西天にも亦無し。原日く、子曾て西天に到ること莫しや否や。師日く、若し到らば即ち有らん。原日く、未在更に道へ。師日く、和尚也た須らく一半を道取すべし。全く学人によること莫れ。原日く、汝に向かいて道うことを辞せず、恐らくは已後、人の承当すること無からん。師日く、承当は無きにしも非ず、人の道得すること無からん。原払子を以て打つ。
師即ち大悟す。

師諱は希遷、母初め懐妊して葷茹を喜ばず、師孩提に在りと雖も保母を煩わさず。既に冠して然諾自許す。郷民鬼神を畏れて淫祀多し。牛を殺し酒にしたしむことを常とす、師即ち往いて祀を壊ち牛を奪いて帰る。年に数十、郷老禁ずること能わず。十四歳にして初めて曹溪に参ず。六祖まさに滅を示さんとす。
師問いて日く、和尚百年の後、希遷まさに何人にか依付すべき。祖日く、尋思し去れ。祖の順世に及んで、師毎に静処に於て端坐し、寂として生を忘るが如し。時に第一座南岳懐譲問いて日く、汝が師すでに逝す、空しく坐して何かせん。師日く、我れ遺戒をうく、故に尋思するのみ。譲日く、汝に師兄あり、行思和尚という、今青原に住す。師直に青原に到る。原問いて日く、人あり嶺南に消息ありと道う。師日く、嶺南に消息ありと道わず。原日く、若し恁麼ならば大蔵小蔵何れより来たる。師日く、ことごとく這裏よりし去らん。原之を然りとす。ある時原払子を挙して日く、曹溪にまた這箇有りや。乃至師大悟す。
これ六祖大満禅師に初相見、いずれおり来る、嶺南より来る、嶺南人無仏法というのに、人には南北あり、仏性に別なしと答えるのとどうですか、物まね人まねではない、まっさらです、まっしんに当る変化、では今はどうかというに、六祖檀経の素直さがいいです、信心銘や心銘が実にいいと思います、六祖より輩出する活発発地、そりゃすばらしい時代であったです、南岳の懐譲その弟子の大趙州、慧忠国師もだれも、ほんにばくやの剣なと云う他はない、手も触れられんです、そりゃ六祖だって同じこってすが、一宿覚の青原行思ああ云えばこう云うの、石頭希遷に持って行かれないんです、いぶかし更に道へという、人に預けないで一半を道取すべし、てめえがことに首突っ込んでいない勢いです、そりゃ他なしの自身、これを未だしと知る、そりゃ自分がないからです、言句上のこっちゃないです、承当は無きに非ず、人の道得すること無からんというやつを、払子を以て打つ、わずかにかくあるべしを払う、廓然大悟。
石頭希遷のミイラを見たですよ、忘れられん大事件でした。

一提提起す百千端、毫髪未だ曾て分外に攀じず。

青原のもたげた払子です、そやつから一歩も外へ出られない様子です、人真似で一指頭を挙げても失笑を買うだけですが、さしもの希遷大和尚、ついに分外によじずですか、払子のざんばら髪、ついに打たれて消えるんですか、生死同じくこうある、ふいっと失せる、大悟というそりゃ完全無欠です、髪一重もあれば収まり切らんです、手を取り足を取りしたって、契わんときゃ契わんです、あっというまの急転直下、なんでおれは今までもたもたという、わっはっはしょうがねえやつであったなという感想、でもって実になんにもないんですよ、得失無し。ミイラになって死んでもいいってのそれですか、そりゃ用事終われば。



第三十六章

第三十六祖弘道大師、石頭に参じ問いて日く、三乗十二分教は某甲粗ぼ知る。
嘗て聞く、南方に直指人身見性成仏と、実に未だ明了ならず、伏して望むらくは和尚、慈悲もて指示せんことを。頭日く、恁麼もまた得ず、不恁麼もまた得ず。恁麼不恁麼総に得ず、子作麼生。」師措くこと罔し。頭日く、子が因縁此に在らず、且らく馬大師の処に往き去れ。師命を受けて馬祖を恭礼す。すなわち前問を陳ぶ。祖日く、我れ有時は伊をして揚眉瞬目せしめ、有時は揚眉瞬目せしめず、有時は揚眉瞬目する者是、有時は揚眉瞬目する者不是なり、子作麼生。師言下に於て大悟す。便ち作礼す。祖日く、汝甚麼の道理を見て便ち作礼するや。師日く、某甲石頭の処に在りて、蚊子の鉄牛に上るが如し。祖日く、汝既に是くの如し、善く自ら護持せよ、然りと雖も汝が師は石頭なり。

師諱は惟儼、年十七歳出家し納戒す、博く経論に通じ戒律を厳持す。一日自ら嘆じて日く、大丈夫まさに法を離れて自浄なるべし。誰か能く屑屑として細行を布巾に事とせんや。首め石頭の室に到る、便ち問う、三乗十二分教は某甲ほぼ知る、乃至、善く自ら護持せよと。侍奉すること三年、一日祖問いて日く、子近日見処作麼生。師日く、皮膚脱落し尽くして唯一真実のみあり。祖日く、子が所得謂いつべし。心体に協うて四肢に布けりと。既に然り、是の如く、まさに三条のベツ(三すじの竹の皮)もて肝皮を束取して、随所に住山し去れ。
某甲またこれ何人なれば、敢えて住山せよと云うぞ。祖日く、然らずんば、未だ常に往いて住せざること有らず、未だ常に住して行かざること有らず。益さんと欲すれども益す所なく、為さんと欲すれども為す所なし。宜しく舟航となりて、久しく此に住すること無かるべし。師乃ち祖を辞して石頭に返る。石頭問いて日く、汝這裏に在りて什麼をか作す。師日く、一切為さず。頭日く、恁麼ならば即ち閑坐せり。師日く、若し閑坐せば即ち為せり。頭日く、汝道う、為さずと、箇の甚麼をか為さざる。師日く、千聖も亦識らず。頭偈を以て讃して日く、従来共に住して名を知らず、任運に相い将いて只麼に行く、古え自り上賢猶を識らず、造次の凡流豈明らむ可けんや。後に石頭垂語して日く、言語動用没交渉、師日く、言語動用に非ざるも亦没交渉。頭日く、我が這裏針箚不入。師日く、我が這裏石上に花を栽ゆるが如し。頭之を然りとす。後にレイ州の薬山に住す。海州雲会す。
皮膚脱落しつくして真実のみありという、どうですか、先ずはそうなって後の仏教ですよ、でないとどうしても仏教を求めるんです、標準が他にある、他にあってなをかつおれはとやる、心体一如にして初めて仏です、彼岸に渡る知慧です、他にはないんです。でもって薬山惟儼出てけったって出て行かない、可笑しいんです、馬祖道一といっしょに暮らしていりゃあ世界ぜんたいです、益さんと欲すれども益す所なく、為さんと欲すれども為す所なく、こんこんと云われて、宜しく舟航となりて、久しく此に住することなかるべしと云われて、のこのこ石頭のもとへ返る。どうですか、我こそは歴史に一頁などけちなこと云わんのです、じゃ水や空気と同じではないかという、恁麼なれば即ち閑坐せりというに、若し閑坐せば即ち為せり、水や空気じゃない、まさにこれ仏、打てば響くんですよ。言語動用没交渉と云えば、言語動用に非ざるも亦没交渉。
我が這裏針の頭も入らんと云うに、石上に花を栽ゆるが如しと、就中秀逸です、これは師をしのぐ。海衆雲会す。そうですね、大丈夫まさに法を離れて自浄なるべし、たれかよく屑屑として細行を布巾せんやという、この心です、あたかも蚊子の鉄牛を噛むが如くと、かつてを顧みる人、いえまさにこれ。

平常活発発の那漢、喚びて揚眉瞬目の人と作す。

法によって自縄自縛を知り、ついにこれを破り去る、活発発地を知る、喚びて揚眉瞬目の人ですか、強いて云えばという、なんにもしない、一山の主になって出て行こうともしない、木偶の坊かというと、まさにこれ他の千倍し万倍する、なんというまあとんでもない人です、わずかに皮膚散じ尽くして真実という無自覚、もと生まれたまんまのこれが消息。



第三十七章

第三十七祖雲巌無住大師、初め百丈に参侍すること二十年、後に薬山に参ず。
山問う、百丈更に何の法をか説く、師日く、百丈有る時上堂、大衆立定す、柱杖を以て一時に趁散す。また大衆と召す、衆首を回らす。丈日く、是れ甚麼ぞと。山日く、何ぞ早く恁麼に道はざる、今日子に因りて海兄を見ることを得たり。師言下に於て大悟す。

師小くして石門(石門山馬祖道一入寂の地)に出家す。百丈懐海禅師に参ずること二十年、因縁契はず、後に薬山に謁す。山問ふ、甚麼の処より来る。師日く、百丈より来る。山日く、百丈何の言句ありてか衆に示す。師日く、尋常日く、我に一句子あり百味具足すと。山日く、鹹は即ち鹹味、淡は即ち淡味、鹹ならず淡ならず是れ常味、作麼生か是れ百味具足底の句。師無対。山日く、目前の生死を奈何せん。師日く、目前に生死なし。山日く、百丈に在ること多少の時ぞ。師日く、二十年。山日く、二十年百丈に在りて俗気だも也た除かず。
他日侍立する次で、山又問ふ、百丈更に甚麼の法をか説く。師日く、有時道く、三句の外に省し去る、六句の外に会取せよと。山日く、三千里外、且喜すらくは没交渉。又問ふ、更に甚麼の法をか説く。師日く、有事上堂、乃至師言下に於て大悟す。

我に一句子あり、百味具足すと云えば、これを仏なりとて、吟味鑑賞する、二十年来なを俗気だも除かずと、目前の生死をいかんせんと云われて、生死を持ち出す、日く生死なしと。仏教として何かあると思って止まぬ、どうしてもこれを得て、なにかしらになろうとする、我が畢生の大事竟んぬとしたい、実は早に終わっている、どうしてもこれがわからない、手に入らんのです。三句の他に省し去れ、六句の外に会取せよと、必死にやってるんです、且喜すらくは没交渉と、一喝ぶっ飛ばされてなをかつですか、ついに知るんです、百丈大衆を鱈たらい回しの、これなんぞ。なんでそれを早く云わない、今日初めて海兄を知ると、もやもや首を突っ込んでいた、そういう自分にまったく用はなかったんです、な-んだというほどに、言下に於て大悟す。そうです、因縁時節とは云いながら、たとい雲巌無住大師これを得るとも、他の凡百何千ついに死ぬまで、てめえの糞袋に首を突っ込むきり、いったいこれをなんとしようぞ、生まれ変わってまた出て来いという以外にないか、次の世には必ずと。

孤舟棹ささず月明に進む、頭を回らせば古岸の蘋今だ揺がず。

孤舟棹ささずとは、二十年参じて薬山を問う雲巌大師ですか、月明とは仏ですか、古岸は百丈と、蘋伸び放題の草ですか、まことにこれ師弟の問答のありさまを見るようで、気がつくとなんと初めから大悟徹底です、面白いですね、この偈を読んで気に入らない人なんかいない、いい二連です、雲巌無住大師万歳。



第三十八章

第三十八祖洞山悟本大師雲巌に参ず、問いて日く、無情の説法什麼人か聞くことを得ん。巌日く、無情の説法無情聞くことを得。師日く、和尚聞くや否や。
巌日く、我れ若し聞くことを得ば、汝即ち我が説法を聞くことを得ざらん。師日く、若し恁麼ならば即ち良价、和尚の説法を聞かざらん。巌日く、我が説法すら汝猶聞かず、何に況んや無情の説法をや。師此に於て大悟す。乃ち偈を述べて雲巌に呈して日く、也太奇也太奇、無情の説法不思議。若し耳を将て聞かば、終に会し難し。眼処に声を聞いて方に知ることを得ん。巌許可す。

師最初に南泉の会に参じ、馬祖の諱辰に値う。泉衆に問いて日く、来日馬祖の斎を設く、未審、馬祖還り来るや否や。衆無対。師出でて対て日く、伴あるを待て即ち来らん。泉日く、この子後生なりと雖も甚だ雕琢に堪えたり。師日く、和尚良を圧して賎と為すこと莫れ。次にい(さんずいに為)山に参ず。問いて日く、このごろ聞く、南陽の忠国師無情説法の話ありと。某甲未だその偈を究めず。い日く、闍黎記得すること莫しや。師日く、記得す。い日く、汝試みに挙すること一遍せよ見ん。師遂に挙す。僧問う、如何が是れ古仏心。国師日く、墻壁瓦礫是れ。僧日く、墻壁瓦礫豈是れ無情にあらずや。国師日く、是。僧日く、還て説法を解するや否や。国師日く、常説熾然、説に間欠無し。
僧日く、某甲甚麼としてか聞かざる。国師日く、汝自ら聞かず。他の聞者を妨ぐべからず。僧日く、未審甚人か聞くを得ん。国師日く、諸聖聞くことを得。僧日く、和尚還て聞くや否や。国師日く、我れ聞かず。僧日く、和尚既に聞かずんば、争無情の説法を解するを知らん。国師日く、頼わいに我れ聞かず。我れ若し聞かば即ち諸聖に斉し。汝即ち我が説法を聞かざらん。僧日く、恁麼ならば即ち衆生無分にし去るや。国師日く、我れ衆生の為に説く、諸聖の為に説かず。僧日く、衆生聞きて後如何。国師日く、即ち衆生に非ず。僧日く、無情の説法何の典教にか拠る。国師日く、灼然、言の典を該ねざるは君子の処談に非ず。汝豈見ずや、華厳経に日く、刹説衆生三世一切説と。師挙し了て、い日く、我が這裏にも亦た有り。祇だ是れ其人に遇うこと希れなり。師日く、某甲未だ明きらめず。乞う師指示せよ。い払子を竪起して日く、会すや。師日く、
某甲不会。請う和尚説け。い日く、父母所生の口、終に子の為に説かず。師日く、還て師と同時に慕道の者ありや否や。い日く、雲巌道人あり、若し能く撥草瞻風せば、必ず子が重する所たらん。師い山を辞して雲巌に到る。前の因縁を挙して即ち問う、無情の説法甚麼人か聞くことを得る。巌日く、無情聞くことを得る。師日く、和尚聞くや否や。巌日く、我れ若し聞かば、汝即ち我が説法を聞かざらん。師日く、某甲甚麼としてか聞かざる。巌払子を竪起して日く、還て聞くや。師日く、聞かず。巌日く、我が説法すら汝尚聞かず、豈況んや無情の説法をや。師日く、無情の説法何の経典をか該ぬ。巌日く、豈見ずや、弥陀経に日く、水鳥樹林、悉皆念仏念法と。師此に於て省あり。即ち偈を述べて日く、也太奇也太奇、乃至眼処に聞く時方に知ることを得ん。師雲巌に問う、某甲余習未だ尽きざることあり。巌日く、汝曾て甚麼をか作し来る。師日く、聖諦もまた為さず。巌日く、還て歓喜すや未だしや。師日く、歓喜は即ち無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾い得たるが如し。師、雲巌に問う、相見せんと擬欲する時如何。日く、通事舎人に問取せよ。師日く、見に問次す。日く、汝に向かいて甚麼をか道わん。師、雲巌を辞し去る時問いて日く、百年後忽ち人あり還て師の真を貌せしや、否と問はば如何が祇対せん。巌良久して日く、祇だ這れ這れ。師沈吟す。巌日く、价闍黎、箇事を承当することは大いに須べからく審細にすべし。師猶ほ疑に渉る。後に水を過ぎて影を見るに因りて前旨を大悟す。偈あり日く、切に忌む他に従いて覓むることを。迢迢として我れと疎なり。我れ今独り自ら往く、応に須らく恁麼に会して、方に如如に契うことを得ん。
洞山悟本大師は我が宗の始祖、汝今これを得たり、宜しくよく保護すべし、宝鏡三味は隔日毎に誦しています、まことなわが心銘とてこれに過ぎたるはなし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す、混ずる時んば処を知る、心異に非ざれば、来機また趣くと、宝鏡に臨んで影形あい見るが如しという、その水上を過ぎて影を見て大悟するまでに、かくの如く紆余曲折があったです。若くして南泉に食ってかかるなぞ、身のとやこうを顧みない天晴れ、まさにこうあって不惜身命、参禅は他になしというがほどに。無情の説法慧忠国師のこれ面白いです、だれか祖師の語録を見てユ-モアがあって面白いと云った、ユ-モアなんて毛ほどもないですよ、無情というんでしょう、人情人間の入る余地まったくないというんです、溪声山色花鳥風月さながらに、我が釈迦牟尼仏の声と姿と、君子たるもの即ち読書人だから、華厳経に云くとやる、眼で聞き耳で見る底は、わしだとて出家以前に知っていた、仏教のありようを見て、隔靴掻痒は洞山大師、余習ありと、汝曾て何をかなし来る、聖諦もまた為しえず、かえって歓喜すや、歓喜は無きにしもあらず、糞掃堆頭に一顆の明珠を拾うが如しと、たしかにこうあってどうにもこうにもの年月です。ぴったりはっきり行かないから、他に標準を求めるんです、墻壁瓦礫仏事をなしともてはこぶ、無情の説法我れ聞かずと追う、いきおい他の聞者を妨ぐべからずと返る、うるさったいこいつ、なんとしようば、百年後の師の真貌はと問う、ちらともありゃこんな質問です、否と云えばって、雲巌良久して、ただこれと、この事を承当するには須からく大いに審細にすべしと、もう一押しなんです、それがどうにもってことあります、相見せんと擬欲するとき如何、必死にこう問う人多いんです、通事舎人、面会を取り次ぐ側近侍者に聞けという、あっはっはこりゃ困る、見に問次す、だから周辺徘徊、でなんと云った。そりゃ答えているんですが、どうにも。あるときまったく手を引くんです、生死同じくなるんですか、切に忌中他に従いて求めることを、云うには他になく。自分終わるんです、影形あい見ているんです。さあこれ、どう云ってみてもてめえこっきりですよ、いえ曖昧なことなんかこれから先もないです。

微々たる幽識情執に非ず、平日伊をして説くこと熾然ならしむ。

微々という世間ではなにかしら残るありさまでしょう、これはまったくないんです、宝鏡に臨んであい見るんです、汝これかれに非ず、常識情堕に落ちず、洞山大師のありよう他のまったくうかがうこと不能です、老母師を尋ねて乞食をして経行往来す、我が子洞山に住むと聞いて、あい見んとするに方丈室を閉ざして入れず、老母恨みて愁死す、洞山行きて屍の持てる所の米粒三合あり、粥に和して炊いて一衆に供養す、母洞山の夢に告げて日く、よって我れ愛執の妄情断ちて、天上に生じたりと。



第三十九章

第三十九祖雲居弘覚大師洞山に参ず。山問いて日く、闍黎名は什麼ぞ。師日く、道膺。山日く、向上更に道え。師日く、向上に道えば即ち道膺と名づけず。山日く、吾れ雲巌に在りし時の祇対と異なること無し。

師は童子にして出家し、二十五にして大僧となる、その師声聞の篇聚を習わせ、好みにあらずこれを捨て遊方す。翠微に至り道を問いう、会に与章より来る僧あり、盛んに洞山の法席を称す、師遂にいたる。山問う、甚れの処より来る。師日く、翠微より来る。山日く、翠微何の言句ありてか徒に示す。師日く、翠微羅漢を供養す。某甲問う、羅漢を供養するに羅漢還て来るや否や。微日く、汝毎日箇の甚麼をか食らう。山日く、実に此語ありや否や。師日く、有り。山日く、虚しく作家に参見し来たらず。山問う、闍黎名は什麼ぞ。乃至祇対と異なることあし。師洞水を見て悟道し、即ち悟旨を洞山に白す。山日く、吾が道汝に依りて流伝無窮ならん。また有る時、師に謂いて日く、吾れ聞く、思大和尚(南岳慧思)倭国に生まれて王と作ると、是なりや否や。師日く、若し是れ思大ならば仏ともまた作らず、況んや国王をや。山之を然りとす。一日山問う、甚麼の処か去来す。師日く、遊山し来る。山日く、那箇の山か住するに堪えたる。師日く、那箇の山か住するに堪えざらん。山日く、恁麼ならば国内総に闍黎に占却せらる。師日く、然らず。山日く、恁麼ならば即ち子箇の入路を得たりや。師日く、路なし。山日く、若し路なくんば争か老僧と相見することを得んや。師日く、若し路あらば即ち和尚と隔生し去らん。山日く、此子以後千人万人も把不住ならん。
青原行思でなくて南岳の慧思という天台宗なんですとさ、それじゃあんまり得道とも云えんが、若しこの事まっとうすれば、生まれ変わり仏となることなく、まして況んや王家をやです、そりゃ実感ですか、如来来たる如し、たとい万物と化してこうある、あるいはまったくないんですか、闍黎、阿闍黎坊さんのことです、これ名はなんというと聞く、道膺です、これまあ意を云えば膺は胸、ですがんあんの太郎兵衛でも同じこってす、ああたはだあれ、知らないという、花も鳥も宇宙一切ものみな、こう答える、人間だけが名前ですか、でもこれだからどうのというんでなし、達磨の不識は実感です、知らないから知らないんです、向上更に道えとは、おうよそこのこと、更にひっかからずは、向上に道えば即ち道膺と名づけず。あっはっはおれが雲巌にいた時と同じだなってわけです。洞水を見て悟るとある、そりゃ箇の因縁各種あるたって、みなまったく同じです、機縁に触れて一念起こる、いたりえ帰り来るんです、洞山大師が、吾が道汝によりて流伝無窮なりと、太鼓判ですから間違いないです。後の問答はその内容を示すんですか、師匠勝りの感、洞山問われて禅床震動することを得んなと。後三峰山に庵を結んで、法堂に出ない。洞山、なんで斎に出ぬと云えば、天神に供を送るという。山日く、我れまさに思えり、なんじ是れ箇の人と、猶這箇の見解をなすか、汝晩間に来れ。師晩に来る、山膺庵主と召す、師応諾す、山日く不思善、不思悪、是れ甚麼ぞ。師庵に帰りて寂然坐す。
天神ついに現れず。三日を以て絶す。乃至、曹山とともに後を継ぐ。

名状従来帯び来たらず、何の向上及び向下とか説かん。

はいこのとおり脱し切って下さい、迢迢として我と疎なりと、しかも葛藤これ本来、我れと世間と我にあらず世間にあらずと、如来無心また把不住、坐る以外にそりゃまったくないんですよ、わかりますかこれ箇の人。



第四十章

第四十祖同安丕禅師、雲居有時示して日く、恁麼の事を得んと欲せば、須からく是れ恁麼の人なるべし。既に是れ恁麼の人なり、何ぞ恁麼の事を愁えん。師聞いて自悟す。

師は即ち雲居に参じて侍者と為りて年をふる。有時雲居上堂して日く、僧家言を発し気を吐く、須らく来由あるべし。等閑を将てすること莫れ。這裏是れ甚麼の所在ぞ、争か容易なることを得ん。凡そこの事を問う、也た須らく些子好悪を識るべし。乃至、第一将来すること莫れ。将来すれば相似ず。乃至、若し是れ有ることを知る底の人ならば、自ずから護惜することを解すべし。終に取次ならず、十度言を発し九度休し去る。甚麼としてか此の如くなる。おそらくは利益なからん。体得底の人は、心臘月の扇子の如し。直に得たり、口辺ぼく(酉に業)出ることを。是れ強いて為すにあらず、任運是くの如し。恁麼の事を得んと欲せば、乃至何ぞ恁麼の事を愁えん。恁麼事即ち得難きこと、此の如く示すを聞きて、師乃ち明きらめ、終に洪州鳳棲山同安寺に住す、道丕禅師なり。あるとき学人問う、頭に迷いて影を認む、如何が止まん。師日く、阿誰にか告ぐ。日く、如何して即ち是ならん。師日く、人に従いて求めば即ち転た遠し。又日く、人に従いて求めざる時如何。師日く、頭甚麼の処にか在る。僧問う、如何が是れ和尚の家風。師日く、金鶏子を抱いて霽漢(天空)に帰る。玉兎(月)胎を懐きて紫微(天帝の座)に入る。日く、忽ち客の来るに遇はば、何をもって祇待せん。師日く、金菓早朝に猿摘み去り、玉華晩れて後鳳ふくみ来る。言を発し気を吐く、すべからくこれ来由あるべしと、いたずらに為すことなかれと。当時もまた禅家風だの、機横溢だのそれらしい風と、本来を取り違えることがあったんでしょう、禅という別にあるもの、大悟徹底という化物です、今に至るまで別誂えに、人生を費やす、聞いたふう見たふうの雑多です。這裏これ何の所在ぞ、目を覚ませというんです、容易の感を為すことなかれ、本当本来です。おおよそこの事を問う、廓然無聖です、知らないんです、個々別々、すべからく些子好悪を識るべし、第一義如何ではなく、もとまったくの手付かず、将来すれば、何事か用い来たれば相似ず、たとい仏の言葉でもですよ。若しこれを知る人自ずから護惜することを解すべし、そりゃそうなんですよ、たとい傷口のように痛むと云うと叱られるか、もとのありようこれ、終に取り次ぎならず、十度び発して九度び休し去る、なんとしてかかくの如くなる、強いてなすにあらず、任運かくの如し。まさにこの通り、どうしようもないです。しかも本則実に適切、恁麼の事を得んと欲せば、すべからく恁麼の人たるべし、恁麼という挙げてぜんたい、自分という内も外もです、あれこれなくって急にです、するとどうしてもそうなろうとする、既にこれ恁麼の人なり、突き放して下さい、もとこうあるっきり、とやこういいの悪いの全生涯ですよ、ただもうそのまんま、あるもないもないんです、何ぞ恁麼の事を愁えん、師大悟す。

空手にして自ら求め空手にして来たる、本無得の処果然として得たり。

なんでこれができないかという大問題ですか、大問題にもなんにもならぬものこれ、時節因縁ですか、いつだって常に自ずからに熟す、自ずからというもの不要の故に。



第四十一章

第四十一祖後の同安大師、前の同安に参じて日く、古人日く、世人の愛する処我れ愛せずと、未審如何なるか是れ和尚の愛する処。同安日く、既に恁麼なることを得たり。師言下に大悟す。

師諱は観志、その行状委しく記録せず、先同安まさに示寂せんとす、上堂日く、多子塔前に宗子秀いず、五老峰前の事若何んと。是の如く三たび挙するに無対、師出でて日く、夜明簾外排班して立ち、万里歌謡して太平を道ふ。同安日く、須らく是れ驢漢にして得べし。しかしより同安に住し、後同安と号す。
世人の愛する処我れ愛せずと、みなまた出家するんです、世の中何不自由なくは、お釈迦さまですが、せっかく美しい后と子を捨てて出家する、歓喜という名の阿難尊者は、あんまり大もてでもって、悟るのが遅かったという、ほんとう本来を知るには、世の中そのまんまでは、見えるはずのものも見えない、きっとうまく行かんのです。後の同安大師も必ずこの轍であった、そうして出家して確かめに行く、大小の悟はあったんでしょう、きれいさっぱり断ずる、あるいは愛欲を断ち切ることが、どうも奇妙なことに見えてくる、たとい行事綿密も、あれこれこうあるっきりだ、世人の愛するところ我れ愛せずと、たといかつて大見栄を切ったとて、いぶかし如何なるかこれ和尚の愛するところ。同安日く、すでに恁麼なることを得たり、師言下に大悟す。
わかりますかこれ、すでに得たんです、自分というとやこうのまんま失せる、世界ぜんたい掌する、いやさそういう能書きのいらない世界です。
大手を広げてこうなんです、一喝するも同じこと。
わかりますかこれ、蚊子の鉄牛を咬むに似たりじゃなけって、そうかって大悟して下さい、余すところも欠けるところもないんです、元の木阿弥。

心月眼華光色好し、劫外に放開して誰有りてか翫そばん。

多子塔は、多子塔前宗子秀でという、迦葉尊者がお釈迦さんに相見した所です、鬚髪速やかに落ち、衣法共に付すという、五老峰は江西省星子県の盧山中にあり、太祖慧可大師の因みにまさにこれ、法を継ぐ者出でよというに、誰も出でず、ついに後の同安大師出でて、夜明簾外、天子の座を覆う水晶のすだれだそうです、赤ん坊は王様、自分という架空請求を去る、宇宙の中心です、すだれの外はどうなっている、明月如昼ですか、臣民家来並び立って、恭順を示
すんですか、共産主義の無理矢理拍手じゃない、思想宗教のだから故にじゃない、万里歌謡して太平の御代です、鼓腹げきじょう、はてなどういう字だっけか、だれも王様のいらっしゃることなぞ知らんという、たらふく食って酒飲んで歌っている、ふ-ん須らく是れ盧漢にして得べし、どこの馬鹿だあっていうんです、そうして同安を継ぐわけです。心月眼華光色好、眼華という妄想世間知ですよ、そいつそのまんまそっくり坐ってごらんなさい、身心脱落してかすっともかすらない、浄羅羅心月見開くんです、劫外に放開して誰有りてか翫そばん、手のつけようがないんです。



第四十二章

第四十二祖梁山和尚後の同安に参侍す。安問ふて日く、如何なるか是れ衲衣下の事。師無対。安日く、学仏、未だ這箇の田地に到らざるが最も苦なり、汝我れに問へ道はん。」師問ふ。如何なるか是れ衲衣下の事。安日く、密。師乃ち大悟す。

師諱は縁観、後の同安に執侍すること四歳、衣鉢侍者に充つ。同安有る時上堂、早参、衲法衣を掛くべし。時到りて師衲法衣を捧ぐ。同安、法衣を取る次いで問ひて日く、如何が是れ衲衣下の事。師無対。乃至大悟す。礼拝して感涙に衣を湿ほす。安日く、汝既に大悟す。又道ひ得るや。師日く、縁観即ち道ひ得ん。安日く、如何が是れ衲衣下の事。師日く、密。安示して日く、密有り密有り。
師これより投機多く密有の言あり、学人ありて衲衣下の事を問ふこと多し。如何が是れ衲衣下の事。師日く、衆聖も顕すこと莫し。家賊防ぎ難き時如何。師日く、識得すればあだを為さず。識得して後如何。師日く、無生国裏に貶向せん。是れ他の安心立命の処なること莫しや。師日く、死水に龍を蔵さず。如何が是れ活水龍。師日く、波を興して浪を作さず。忽然として傾秋倒岳の時如何。師下座把住して日く、老僧が袈裟角を湿却せしむること勿れ。また有る時問ふ、如何が是れ学人の自己。師日く、寰中は天子塞外は将軍。是くの如く他の為にす、悉く是れ密有を呈示すと。
学仏未だ這箇の田地に到らざる、最も苦なりと、まことにこれ実なるかなです、いずれの地獄もっとも苦なりと問うに、洞山示して日く、学人未だ仏に到らざる、地獄のうちもっとも苦なりと。どうしても別の標準です、こうあるべきどうあるべきのたがが外れて、感涙に衣をうるおす、標準が自分なんです、すると省みる自分がない、密ですよ、密有り密有り、是是、他にはまったくないんです。衆聖も顕すことなし、だれがなんといって示すこともできないんです、だからといって妄想絶無なんていう、外野のあげつらうのとは違う、念起念滅する、家賊防ぎ難き時如何、防ごうとするに及んで収拾がつかんですか、識得すればあだをなさず、目を向けりゃないんです、そんな処から始めりゃいい.もとまっただ中です。無生国裏に貶向す、そのまんま手放しなんですよ、これが他の人にはできないんです、どうしても括弧とか紐でくくりたがる、すると死水に龍を蔵さず、死体いなっちまうってこってす、如何が是れ活水龍、ぶんなぐってやりゃいいところを、親切に示す、無理無謀がないんです、天子は帷中にすべてを見そなわせ、塞外に戦うのは将軍です、もとこれっきゃないって、あべこべしないんですよ。

水清うして徹底深沈たる処、琢磨を待たずして自ずから螢明なり。

わずかに自分というたがが外れるとかくの如くです、切磋琢磨みがいて修行してどうのこうのじゃない、そんなもののまったく届かぬ、ぼっかあずんぼらけ。密有り、ものみなの役に立ちますよ。


第四十三章

第四十三祖太陽明安心大師因みに梁山和尚に問ふ、如何なるか是れ無相の道場。山観音像を指して日く、這箇は是れ呉処士の画なり。師進語せんと擬す。
山急に索めて日く、這箇は是れ有相底、那箇か是れ無相底。師言下に於て省有り。

師諱は警玄、十九にして大僧となり円覚了義を聞く、遂に遊方して初め梁山に到りて問ふ、如何が是れ無相の道場。乃至省悟あり。便ち礼拝して立つ。山日く、何ぞ一句を道取せざる。師日く、道ふことは即ち辞せず、恐らくは紙筆に上らん。山笑いて日く、此語碑に上せ去ることあらん。師偈を献じて日く、我れ昔初機学道に迷い、山水千山見知を覓む。今を明め古を弁じて終いに会し難く、直ちに無心と説くも転た更に疑う。師の秦時の鏡を点出するを蒙り、父母未生の時を照らし見る。如今覚了して何の得る所ぞ、夜烏鶏を放ちて雪を帯びて飛ぶ。山日く、洞山の宗よるべしと。山没して太陽に到り、洞山一宗盛んに世に興る。師神観奇異威重あり、児稚の時より日にただ一食し、自ら先徳付授の重きを以て足しきみを越えず。脇席に至らず、年八十二に至って猶かくの如し。対にしん座して衆を辞し終焉す。
呉処士というのは唐代の画聖、観音さまの絵を指さして、師進語せんと擬す、だからどうなんだ、たとい画聖の絵だろうが、迷あり悟あり、黒白あいまってたとい山水千山の見知云々というんでしょう、すべてをぶっつける、即ち一箇そのものにならんけりゃ、聞こうにも聞けない、転た更に疑うんです、そいつを秦時の鏡、これまあなんか来歴あるんでしょう、秦時のたくらくさん馬鹿ですれてる、虎の欠けたるが如くです、そいつを梁山の宝鏡三味が見事に映す、這箇はこれ有相底、那箇かこれ無相底、ついにぶち破る、脱するんです、如今覚了しなんの得る所ぞ、夜烏鶏まっくろい鳥が雪を帯びて飛ぶ、黒漆のこんろん夜に走るんです。おうと云えばさらに宇宙ぜんたいです。道えば有相になる、紙筆に上らんという、わずかにひっかかる、後遺症とまではいかんですが、あっはっは紙筆どころか石碑になるぞといって払拭する。まあそういったこってす、もう一つの大切は、洞山によるべしという、曹洞宗この我が宗です、通身帰依によってのみ成立するんです。これ独立独歩。

円鑑高く懸けて明らかに映徹す、丹かく(蠖の虫でなく舟)美を尽くして画けども成らず。

まあこれ梁山から伝わった宝鏡三味ですか、丹かく、朱けのそほ舟じゃなくって赤い飾り舟、美を尽くすわけです、描けども成らず、わしは歌人であって、万葉を復活させたんですが、だれも知らん顔している、あっはっは世間のほうが間違いで、どこにも歌なんかない、ありゃ字面だけの伸び切ったうどんだってな、でもさそれはともかく、どんなにいい歌作ったろうが、風景そのもの、生活感情にはまったく及ばない、歌を作るは別ものってこってす、そいつもまた面白いからってだけの、一木一草空の雲もまあそれっきりで死んじまうほどの、いえ何万生もの人生を超えって、どう云ったってどうにも届かぬ、わしが雲水よりもよう坐るのはこれ、実際とはこれ。何ものも断じないんです、美を尽くすだのものを成すだの、けちなこと云わない。



第四十四章

第四十四祖投子和尚円鑑に参ず、鑑、外道仏に問ふ、有言を問はず、無言を問はざるの因縁を看せしむ。三載を経て、一日問ひて日く、汝話頭を記得すや、試みに挙せよ看ん。師応へんと擬す、鑑其の口を掩う。師了然として開悟す。

師諱は義青、七齢にして潁異、出家し経を試みて、十五にして得度す、百法論を習う、嘆じて日く、三祇道遠し、自ら困ずるとも何の益ぞ。乃ち洛に入って華厳を聴く。義珠を貫くが如し、諸林菩薩の偈を読み、即心自性と云うに至って、猛省して日く、法は文字を離る、寧ろ講ずべけんや、即ち捨てて宗席に遊ぶ。時に円鑑大師(浮山法遠、太陽の嗣)会聖巌に居す。一夕青色の鷹を養うと夢見て、師来たる。外問仏の話を看せしむ、乃至師了然として開悟し、遂に礼拝す。鑑日く、汝玄機を妙悟するや。師日く、設とい有りとも也た須らく吐却すべし。時に資侍者、傍らに在りて日く、青華巌、今日病に汗を得るが如し。師回顧して日く、狗口を合取せよ。若し更にとうとうせば我れすなわち嘔せん。此れよりまた三年をへて、鑑、時に洞下の宗旨を出して之を示す。悉く妙契す。付するに太陽の頂相、皮履布(皮の草履)直とつ(大衣)を以てし、日く、吾に代わりて其宗風を継ぎ、久しく此に滞まること無れ、よく宜しく護持すべし。偈を書して送りて日く、須弥太虚に立ち、日月輔けて転ず。群峰漸く他により、白雲方に改変す。少林風起こり叢がり、曹溪洞簾巻く。金鳳龍巣に宿し、宸苔豈に車碾せんや。
青華厳というあだなであった、華厳経を聴いて義珠を貫くが如し、明解手に取るようであったんでしょう、しかも即心自性というに至って猛省して日く、だから-ゆえにの世界じゃないっていうんです、法は文字を離る、講義するための学問、愚人のしがみつくそれを、なんにもならんとて捨てる、そりゃこの心なけりゃ、人間なんのためにもならんです、よって青鷹となって円鑑を訪う、外道仏に問う、有言を云わず無言を云わず、汝作麼生、さあどうじゃというんです、これを云える外道も珍中の珍ですか、ほんとうに答えがわからんで聞いたんなら正解、答えをもって聞く、つまりこれを外道と云う、お釈迦さまは端然坐すんです、これを見て外道、大慈大悲愍衆生というて去る、文殊菩薩が何ゆえに去ると聞くと、世の良馬の鞭影を見て行くと云われた。
ですからこれを得て下さいというんです、諦観法王法、法王法如是と、猿芝居の銭かねしてないで、これなくば仏とは云われぬ、滴滴相続底の引導も渡しえない、すると一から十まで嘘ばっかりの坊主どもです、世の中横滑りのかたり、衆門というおんぼろ伽藍堂です、がらがら崩れ去る。たといなにやったって駄目です。三載をへて、汝話頭を記憶すや、どうじゃと聞く、順孰するを見る、皮一枚どっかつながっていた、云わんと擬する口を掩う、師了然として大悟す。

嵯峨たる万仞鳥通じ難し、剣刃軽氷誰か履践せん。

嵯峨たり万仞は早く自分のほうにあるんです、鳥通じ難師と、あるいは毎日切磋琢磨、あるとき一皮むける、ふわっとなんにもないんです、ただこうあるっきりです、人が参じ来るのに、なにいうてもとなんにもないのになにをあせくと、はいといってはどう参じても届かない、嵯峨万仞鳥通難、でもってあるいは問答しだれかれやるんでしょう、剣刃軽氷上を行くんです、ちらりしくじったら、せっかくの大法をふいですか、いいえ老師なんぞ悟ったといえば、おうそうかてなもんです、おれはこうしただからというと、是是、なあに嘘つきゃ自分で転ぶてなもんです、これ剣刃軽氷上。



第四十五章

第四十五祖芙蓉山道楷禅師投子和尚に参ず、乃ち問ふ、仏祖の言句は家常の茶飯の如し、之を離れて外に為人の処有りや、也た無しや。青日く、汝道へ、寰中の天子の勅、還りて堯舜兎湯を仮るや、也た無しや。師進語せんと欲す。青払子を以て師の口をうって日く、汝意を起こし来たる、早く三十棒の分有り。
師即ち開悟す。

師幼より閑静を喜んで伊陽山に隠る。後に京師に遊んで台術寺に籍名す。法華を試みて得度す。投子に海会寺に謁して、すなわち問う、仏祖の言句は、乃至師開悟し再拝して便ち行く。子日く、且来闍黎。師顧みず。子日く、汝不疑の地に至る也。師即ち手を以て耳を掩う。後に典座となる。子日く、厨務勾当易からず、師日く、不敢。子日く、粥を煮るか飯を蒸すか。人工は淘米著火、行者は煮粥蒸飯。子日く、汝甚麼をか作す。師日く、和尚慈悲他を放閑し去らしめよ。一日投子に侍して菜園に遊ぶ。子柱杖を度して師に与う。師接得して便ち随行す。子日く、理まさに恁麼なるべし。師日く、和尚の為に鞋を提げ杖をかかぐ、也た分外と為さず。子日く、同行の在る有り。師日く、那一人は教えを受けず。子休し去る。晩び至って師に問い、早来の説話未だ尽くさず。師日く、請う和尚挙せよ。子日く、卯には日を生じ戌には月を生ず。師即ち点灯し来たる。子日く、汝上来下去総に徒然ならず。師日く、和尚の左右に在れば理まさに此の如くなるべし。子日く、奴児婢子誰が家の屋裏にか無からん。師日く、和尚年尊他を欠かば不可なり。子日く、恁麼に慇懃なることを得たり。師日く、恩を報ずるに分ありと。
これ芙蓉道楷和尚投子義青の老婆親切が通じたんであろうか、因みに猿芝居嘘ばっかりの宗門が、立職三旬安居の申請に、表をかかげて芙蓉楷祖の如くせよといって来る、なに一夜漬けの他だれもしやせん、ばかったい話だが、芙蓉楷祖天井粥という、米は同じ量で人数の増えただけ水を足す、粥に天井が映ったから云う。たしかに仏祖の言句は家常の茶飯の如しという、これを離れてほかに為人の処有りや、かくのごとく信じ行じ来たって、投子の面前に投げ出すんです、煮ようが焼こうがってわけです、はたしてそうか、寰中は天子の勅、四皇五帝に習う、持ち出すことはないぞという、他の標準あってはかたくななだけです、むろんそりゃ当然のこったという、云い分です、そいつの口を掩い、三十棒です、師すなわち開悟す。
奴児婢たが家の屋裏にか無からん、いいえおまえの中にだってあるはずだというんです、卑しいもの卑屈あいまいなもの、うしろめたくだから悪いという、そっくりそのまんま恥知らず、わっはっはわしはそっちの方が多いですか、でもこれ削ったらかたわもんですよ、差別用語ばっかり、わし差別されてるでさ。生活とは何か、明日はないんです、死んだやつに生活はない、という上の芙蓉楷祖の如くせよなんです。

紅粉施さざるも醜露れ難し、自ら愛す蛍明玉骨の装い。

はい時時に勤めて払拭すること、肝に銘じまして。



第四十六章

第四十六祖丹霞淳禅師芙蓉に問ふて日く、如何なるか是れ、従上の諸聖の相授底の一句。蓉日く、喚んで一句と作し来たれば、幾莫か宗風を埋没せん。師言下に於て大悟す。

師諱は子淳、弱冠二十歳にして出家し、芙蓉の室の徹証す。初め雪峰象骨山に住し、後に丹霞に住す。如何なるかこれ従上諸聖相授底の一句。釈尊明星一見より、迦葉拈華微笑、阿難倒折刹竿著、滴滴相続して今にいたる、これ寸分も別なく、相違なく、今この伝光録に全い見るように、諸聖まったく違わずです。これが相授底の一句、もしやそんなものがあるはずもなく、もしや有ると思えば、なにがなしそれをどうしようという、四六時中ていぜいも、ついに離れず自由の分なし、坐るという苦痛がついて回るんですか、あるいはいい悪いの我田引水、時には蜜を吸う如く、時には無味乾燥、はたしておれはと顧みるんでしょう、末期の一句が欲しいとなるんです、これを以て問う、喚んで一句となし来たれば、幾ばくか宗風を埋没せん、そう云っている限りは、そう云っているものがあるのさってわけです、師言下に大悟す。
みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけりよくこれを保任せよという、死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよきですか、いえさどこまで行こうが修行の上の修行。

清風数しば匝り縱い地を揺らすも、誰か把り将ち来りて汝が為に看せしめん。
はいまさにこれ参禅の要決です、いいことしいの頭なぜなぜは一神教ですよ、たとい箇の標準入り難し行じといえど、オ-ムや立正安国論のような、偏狭きちがい或いは、信ずれば救われる底の、独善じゃないんです。ただこれ、ただの真っ平ら、他に人間の智慧はなしと知る、大丈夫これ、だれかとりもちて汝が為に見せしめんです、即ちそのように坐って下さい。



第四十七章

第四十七祖悟空禅師丹霞に参ず。霞問ふ、如何なるか是れ空劫以前の自己。師応えんと欲す。霞日く、汝さわがしきこと在り、且く去れ。一日鉢盂峰に登り、豁然として契悟す。

師諱は清了、悟空は禅師号なり。その母赤ん坊を抱いて寺に入り、仏を見て喜び眉睫を動かす。師十八にして法華を講ず。得度して成都の大慈に往き、経論を習い大意を領ず。丹霞の室を叩く。霞問う、如何なるか是れ空劫以前の自己、乃至豁然として契悟す。ただちに帰りて霞に侍立す。霞一掌して日く、まさに謂えり爾有ることを知ると。師欣然として之を拝す。翌日霞上堂して日く、日孤峰を照らして翠に、月溪水に臨んで寒し、祖師玄妙の訣、寸心に向かいて安んずる莫れ。即ち下坐。師直に前んで日く、今日のしん坐更に某甲を瞞ずることを得ず。霞日く、爾試みに我が今日のしん座を挙し来り看よ。師良久す。霞日く、将さに謂へり、爾瞥地と。師便ち出ず。遍歴して長蘆山に至り、その跡を継ぐ。
如何なるかこれ空劫以前の自己、なんじさわがしと、どうですかこれ、空劫以前の自己といったら、空劫以前に帰って下さい、自分をとやこう云っていたら間に合わないですよ、たとい会に誇り悟に豊かにしても、そういうものと見做すなにかしらあったら騒がしいんです、安心の処がないんです。ところが丹霞子淳の偈は、日は上り月下りして祖師玄妙の訣、寸心に向かいて安んずること莫れとあります、これ我が意を得たりで、更にそれがしを瞞ずることを得ずと云う、どうですか、相手に肯定されたら、他に瞞ぜられますか、では道うてみよと、丹霞和尚、師良久す、まさに謂へり、そうかい瞥地ちらっとは見たか、というんです。是という、不是という、さあどうですか、余後の問答はないんです、辞し去って唯一人の天下です、これわかりますか、たとい大悟徹底の人も、まったくわからんですよ。よくよく看取し去って下さい。

古澗寒泉人疑はず、浅深未だ客の通じ来ることを聴さず。

古澗は谷の水、師後に出世して上堂日く、我れ先師の一掌下に於て技倆ともに尽きて、箇の開口の処を覓むれども得べからず。いま還て恁麼の快活不徹底の漢ありや。若し鉄をふくみ鞍を負うことなくんば、各自に便りを著けよ。実にそれ祖師の相見する所、劫前に歩を運び、早く本地の風光を顯はし来る。若し未だ此田地を看見し得ずんば、千万年の間坐じて言うことなく、兀兀として枯木の如く死灰の如くなりとも、是れ何の用ぞ。しかも空劫以前と云うを聞きて、人々あやまりて思うことあり。いわゆる自もなく他もなく、前もなく後もなく、呼んで一とも云うべからず、二ともいうべからず、同とも弁ぜじ異とも云はじ。是の如く商量計度して、一言も道いえば早く違いぬと思い、一念も返せば即ち背くべしと思うて、妄りに枯鬼死底を守り死人の如くなるあり。或いは何事として相違ことなし、山と説くも得べし、河と説くも得べし、我と説くも得べし、他と説くも得べし。また日く、山と道うも山に非ず、河と道うも河のあらず。唯是れ山なり、唯是れ河なり。かくの如く云う、これ何の所要ぞ。
悉く皆邪路に趣く。或いは有相に執着し、或いは落空亡見に同じくし来るなり。此田地あに有無に落つべけんや。故に汝が舌を挿さむ所なく、汝が慮りを廻らす所なし。且つ天に依らず地に依らず、前後に依らず、脚下踏む所なくして眼を著けて見よ。必ず少分相応の所あらん。又日く云々と。



第四十八章

第四十八祖天童かく(王に玉)禅師久しく悟空の侍者となる。一日悟空聞きて日く、汝近日見処如何。師日く、吾又恁麼なりと道はんと要す。空日く、未在、更に道へ。師日く、如何が未だしや。悟空日く、汝道ひ来ること未だしと道はず、未だ向上の事に通ぜず。師日く、向上の事道ひ得たり。空日く、如何なるか向上の事。師日く、設ひ向上の事道ひ得ると雖も、和尚の為に挙示すること能はず。空日く、実に汝未だ道ひ得ず。師日く、伏して願はくは和尚、道取せよ。空日く、汝吾に問へ、道はん。師日く、如何なるか是れ向上の事。空日く、吾又不恁麼なりと道はんと要す。師聞きて開悟す。空即ち印証す。

師諱は宗かく、ひさしく悟空の侍者となり、昼参夜参、横参竪参す。しかれども猶徒らならざる所あり。空問ひて日く、汝近日見処如何。師日く、吾又恁麼なりと道はんと要す、空日く、未在更に道へ。恁麼なり、かくの如くと道はんと要す、かくの如く、自分というものが虚空に消える、まったく無いんです、無いというものを無いと云えるか、そりゃ云えない道理で、又恁麼なりと道はんことを要すとはこれです。空日く、未在更に道へ、そりゃ言下に、そんなんじゃ駄目だって云います、無心心がない、無身体がないんですが、これ何段階もある、とかく向上の事どこまで行ってもという、どうもそう云っているものが吹っ切れるんですよ。おおっとなんにもなくなる=自分を問題にしないんです。これどう云い繕ったところで、なんにもないものには丸見えで、たといかくの如く、問答同じが是は是、不是は不是なんです。でも空日く、吾又不恁麼なりと道はんと要す、は効いています。自分終わるとまったく元の木阿弥なんです。恁麼も不恁麼もないんですよ、吾は得た、何を得たというてんからなしに、底抜けの自信としか云いようにない、信不信に関わらずこうあるきりなんです。即ちこれを得て、印証するんです。

宛かも上下の楔の如くに相似たり、抑ふれども入らず抜けども出でず。

もとないものをあると云うのと無いというのと、たしかにあたかも上下のくいの如く相似たりですか、でも抑ふれども入らず抜けども出でずとは、元の木阿弥まったくなくなるんです、くさびとかくいとか要らない。



第四十九章

第四十九祖雪ちょう鑑禅師、宗かく天童に主たりし時、一日上堂、挙す、世尊に密語有り、迦葉覆蔵せず。師聞きて頓に玄旨を悟り、列に在りて涙を流し、覚えず失言して日く、吾輩什麼としてか従来せず。かく上堂罷り、師を呼びて問ひて日く、汝法堂に在りて何すれど涙を流すや。師日く、世尊に密語有り、迦葉覆蔵せず。かく許可して日く、何ぞ雲居の懸記に非ざらんや。


師諱は智鑑、児たりし時、母ために師の手の瘍を洗いて問いて日く、これなんぞ。対えて日く、我が手は仏手に似たりと。長じて父母を失う。長盧清了に依る、時に宗かく首座たり、すなわち之を器とす。後に象山に逃れて百怪惑はすこと能はず、深夜に開悟して証を延寿(法眼宗三祖永明延寿)に求む。しかしてまたかく和尚に参ず。宗かく天童に住し、師をして書記に充てしむ。かく一日さきの因縁を挙す。ねはん経如来性品第四の二、爾時迦葉菩薩、仏に白して言さく、世尊仏所説の如き、諸仏世尊に密語ありと。是の義然らず、何を以ての故に。諸仏世尊唯密語ありて密蔵あることなし。譬えば幻主の機関木人の如し。人屈伸伏仰するを覩見すと雖も、内に之をして然らしむるものあるを知ること莫し。仏法は爾らず。悉く衆生をして咸く知見することを得せしめ、如何ぞまさに諸仏世尊に秘密蔵ありと云うべき。仏迦葉を讃して善哉善哉善男子汝が所言の如し。如来に実に秘密の蔵なし。何を以ての故に、秋の満月の空に処して顯露に、清浄にして翳なきが如く、人皆覩見す。如来の言もまた是の如し。開発顯露にして清浄無翳なり。愚人解せずして之を秘蔵と謂う。智者は了達して即ち蔵と名けず。
ぼう蟹の七足八足するが如しと、蟹を茹でると七足八足、意識なくかってにするさま、どうですかこれ、幻主悟らぬ人は屈伸伏仰を知ってするんですか、知らないでするんですか、悟った人は知らないでするんですか、知ってするんですか、あっはっはこれわしの密語です、よってもってよく確かめて下さい。何ぞ雲居の懸記とは、雲居道膺祖が雪ちょう智鑑の出現を予言したこと。師聞いて頓悟す、涙を流し、我輩何としてか従来せず、何ゆえかありどうしてこうあるかわからんのです、呼んで問うて日く、何すれぞ涙を流すや。師日く、世尊に密語あり、迦葉覆蔵せず。これ涙流れるです。

謂つべし金剛堅密の身、其身空廓明明なるかな。

金剛石ダイヤモンドも崩壊します、では何が壊れない、なんのかんのと有心の人云うんでしょう、有心であるかぎり有るんです、不思議ですねえ、無心は無いんです、すなわち無いものは壊れっこないんです、これ仏教、心が無いと知って救われるんです、殺し文句やお為ごかしじゃないんですよ、これっきゃない他なし。



第五十章

第五十祖天童浄和尚雪竇に参ず。竇問ひて日く、浄子曾て染汚せざる処如何が浄得せん。師一歳余を経て忽然豁悟して日く、不染汚の処を打す。

師諱は如浄、十九歳より教学を捨て祖席に参ず。雪竇の会に投じて便ち一歳を経る。尋常坐禅すること抜群なり。有る時浄頭(便所掃除の役)を望む。時に竇問いて日く、曾て染汚せざる処如何が浄得せん。若し道い得ば汝を浄頭に充てん。師措くことなし。両三カ月をへるに猶未だ道い得ず。有る時師を請し方丈に到らしめて問いて日く、先日の因縁道得すや。師擬議す。時に竇示して日く、浄子曾て染汚せざる処如何が浄め得ん。答えずして一歳余を経る。竇又問いて日く、道い得たりや。師未だ道い得ず。時に竇日く、旧窩を脱して当に便宜を得べし。如何ぞ道い得ざる。然しより師聞いて得励志工夫す。一日忽然として豁悟し、方丈に上て即ち日く、某甲道得すと。竇日く、這回道得せよ。師不染汚の処を打すと云う。声未だ畢らざるに竇即ち打つ。師流汗して礼拝す。
竇即ち許可す。
十九歳の時発心してより後、叢林の掛錫して再び郷里に還らず、郷人と物語せず、都べて諸寮舎に到ることなし、上下肩隣位に相語らず。只管打坐するのみなり。臀肉穿てるも尚坐を止めず。発心より天童に住する六十五歳まで、未だ蒲団にさえられざる日夜あらず。誓いて僧堂に一如ならんという、芙蓉より伝わる衲衣ありと雖も、上堂入室ただ黒色の袈裟衣を著く。自称して日く、一、二百年祖師の道すたる、故に一、二百年このかた我が如くなる知識未だ出でずと。諸方悉く恐れおののく。尋常に日く、我れ十九歳より以来、発心行脚するに有道の人なし。諸方の席主、多くは只官客と相見し、僧堂裏都て不管なり。
常に日く、仏法は各自理会すべし。是の如く道うて衆をこしらうことなし。今大刹の主たる、なを是くの如く胸襟無事なりを以て道と思い、曾て参禅を要せず。何の仏法かあらん。若し彼がいうが如くあらば、何ぞ尋常訪道の老古錐あらんや。笑いぬべし、祖師の道夢にだも見ざるあり。趙提挙、州府に就いて上堂を請せしに、一句道得なかりし故に、一万丁の銀子、受けることなくして返しき。一句道得なき時、他の供養を受けざるのもに非ず、名利をも受けざるなり。故に国王大臣に親近せず、諸方の雲水の人事すら受けず。道徳実に人に群せず。故に道家の流れの長者に道昇というあり。徒衆五人誓いて師の会に参ず。我れ祖師の道を参得せずんば一生故郷に還らじ、師志を随喜し、改めずして入室を許す。列には僧の次に著かしむ。又善如と云いしは、我れ一生師の会にありて、卒に南に向かいて一歩を運ばじと。志を運び師の会を離れざる多し。普園頭といいしは曾て文字を知らず、六十余に初めて発心す。然かれども師、低細にこしらえて依て卒に祖道を明きらめ、園頭たりと雖も、おりおり奇言妙句を吐く。上堂に日く、諸方の長老普園頭に及ばずと。実に有道の会には、有道の人多く道心の人多し。尋常ただ人をして打坐を勧む。常に云う、焼香礼拝念仏看経を用いず、祇管に打坐せよと示して、只打坐せしむるのみなり。常に日く、参禅は道心ある是れ初めなり。実に設い一知半解ありとも、道心なからん類所解を保持せず。卒に邪見に堕在し磊苴放逸ならん。付仏法の外道たるべし。故に諸仁者、第一道心の事を忘れず、一々に心を至らしめ、実を専らにして当世に群せず、進んで古風を学すべし。
はいまったくその通りです。如今またかくの如し、一箇半箇の道に勤しんで下さい、他に道うことないです。

道風遠く扇ひで金剛おりも堅し、匝地之が為に所持し来る。

道風金剛たとい遠くて遠しといえども、世にこれが他ないんです、一人きりで死のうが、なんにもならずとも、なにおのれけし粒の如くというより、内に向かってとやこうはないんです、たとい世のため人の為でもいい、外に向かって開きぱなし、ついに呑却せられるんです、するとこれを継ぐまた一箇半箇。



第五十一章

第五十一祖永平元和尚、天童の浄和尚に参ず。浄一日、後夜の坐禅に衆に示して日く、参禅は身心脱落なりと。師聞きて忽然大悟す。直に方丈に上りて焼香す。浄日く、焼香の事作麼生。師日く、身心脱落し来たると。浄日く、身心脱落、脱落身心。師日く、這箇は是れ暫時の技倆なり、和尚乱りに某甲を印すること莫れ。浄日く、我乱りに汝を印せず。師日く、如何なるか是れ乱りに印せざる底。浄日く、脱落身心。師礼拝す。浄日く、脱落脱落。時に福州の広平侍者日く、外国の人恁麼の地を得る、実に細事に非ず。浄日く、這裡幾回か拳頭を喫し、脱落雍容し又霹靂すと。

 師諱は道元、俗姓は源氏、村上天皇九代の苗裔。後中書王八世の遺胤なり。正治二年初めて生まる。時に相師見奉りて日く、此子聖子なり。眼に重瞳あり、必ず大器ならん。古書に日く、人聖子を生ずる時は、其母命危うし。この児七歳の時、必ず母死せんと。母儀是れを聞きて驚疑せず。怖畏せず。ますます敬を加う。果たして師八歳の時母儀即ち死す。人悉く道う。一年違い有りと雖も、果たして相師の言に合すと。即ち四歳の冬、初めて李僑が百詠を祖母の膝上に読み、七歳の秋、始めて周詩一篇を慈父の閣下に献ず。時に古老名儒悉く道う、此子凡流にあらず神童と称すべしと。八歳の時、悲母の喪に逢うて、哀嘆尤も深し。即ち高雄寺にて香煙の上るを見て、生滅無常を悟り、其より発心す。九歳の春、始めて世親の倶舎論をよむ。耆年宿徳云う、利なること文殊の如し、真の大乗の機なりと。師幼稚にして耳の底に是等の言をたくわえて苦学を作す。
 時に松殿の禅定閣は、関白摂家職の者なり。天下に並びなし。王臣の師範なり。此人、師を納れて猶子とす。家の秘訣を授け、国の要事を教う。十三歳の春、即ち元服せしめて、朝家の要人となさんとす。師独り人にしられずして、竊かに木幡山の荘を出で、叡山の麓に尋ね到る。時に良観法眼と云うあり。山門の上綱、顯密の先達なり。即ち師の外舅なり。彼の室に至りて出家を求む。法眼驚きて問うて日く、元服の期ちかし。親父猶父定めて瞋り有らんか如何。時に師日く、悲母逝去の時囑して日く、汝出家学道せよと。我も亦是くの如く思う。徒らに塵俗に交らんとおもわず、但だ出家せんと願う。悲母及び祖母姨母等の恩を報ぜんが為に出家せんと思うと。法眼感涙を流して、入室を許す。即ち横川の首楞厳院の般若谷の千光房に留学せしむ。卒に十四歳健保元年四月九日、座主公円僧正を礼して剃髪す。同十日延暦寺の戒檀院にして、菩薩戒を受け、比丘となる。しかしより出家の止観を学し、南天の秘教をならう。十八歳より、内に一切経を披閲すること一遍。後に三井の公胤僧正、同じく又外叔なり。時の明匠世にならびなし。因って宗の大事をたずぬ。公胤僧正示して日く、吾宗の至極、いま汝が疑処なり。伝教慈覚より累代口訣し来たるところなり。この疑をしてはらさしむべきにあらず。遙に聞く、西天の達磨大師東土に来てまさに仏印を伝持せしむと。その宗風いま天下にしく。名ずけて禅宗という。もしこの事を決択せんとおもわば、汝建仁寺栄西僧正の室に入りて、その故実をたずね、はるかに道を異朝に訪うべしと。
 因て十八歳の秋、健保五年丁丑八月二十五日に、健仁寺明全和尚の会に投じて僧儀をそなう。彼の健仁寺僧正の時は、もろもろの唱導、はじめて参ぜしには、三年をへて衣をかえしむ。しかるに師のいりしには、九月に衣をかえしめ、すなわち十一月に僧伽梨衣をさずけて、以て器なりとす。かの明全和尚は、顕密心の三室を伝えて、ひとり栄西の嫡嗣たり。西和尚健仁寺の記を録するに日く、法蔵はただ明全のみに囑す。栄西が法をとぶらわんとおもうともがらは、すべからく全師をとぶらうべし。師その室に参じ、重ねて菩薩戒を受け、衣鉢等をつたえ、かえて谷流の秘法一百三十四の行法、護摩等をうけ、ならびに律蔵をならい、また止観を学す。はじめて臨済の宗風を聞きて、およそ顯密心の三宗の正脈、みなもて伝授し、ひとり明全の嫡嗣たり。やや七歳をへて、二十四歳の春、貞応二年三月二十二日、健仁寺の祖塔を礼辞して、宋朝におもむき天童に掛錫す。大宋嘉定六癸未の暦なり。
 在宋の間、諸師をとぶらいし中に、はじめ徑山淡和尚にまみゆ。淡問うて云く、幾時か此間に到る。師答えて日く、客歳四月、淡日く、群に随い恁麼に来たるや。師日く、群に随わず恁麼し来たる時作麼生。淡日く、また是れ群に随いて恁麼にし来たる。師日く、既に是れ群に随いて恁麼にし来たる、作麼生か是ならん。淡一掌して日く、この多口の阿師。師日く、多口の阿師は即ち無きにしもあらず、作麼生か是ならん。淡日く、且来喫茶。又台州小翠巌に造る。卓和尚に見えて便ち問う。如何なるか是れ仏。卓日く、殿裏底。師日く、既に是れ殿裏底、什麼としてか恒沙界に周遍す。卓日く、遍沙界。師日く、話堕也。かくのごとく諸師と問答往来して、大我慢を生じて、日本大宋にわれにおよぶ者なしとおもい、帰朝せんとせし時に、老しん(王に進)と云うものありすすめて日く、大宋国中ひとり道眼を具するは浄老なり。汝まみえば必ず得処あらん。かくのごとくいえども、一歳余をふるまで、参ぜんとするにいとまなし。時に派無際去りて後、浄慈浄和尚天童に主となり来たる。即ち有縁宿契なりとおもい、参じてうたがいをたずね、最初にほこさきをおる。因て師資の儀をとる。委悉に参ぜんとして、即ち状を奉るに日く、某甲幼年より菩提心を発し、本国にして道を諸師にとぶらいて、いささか因果の所由をしるといえども、いまだ仏法の実帰をしらず、名相の懐標にとどこおる。後に千光禅師の室にいりて、初めて臨済の宗風をきく。今全法師にしたがい大宋にいり、和尚の法席に投ずることをえたり。これ宿福の慶幸なり。和尚大悲外国遠方の小人、願わくは時候に拘わらず、威儀不威儀を択ばず、頻々に方丈に上り、法要を拝聞せんとおもう。大慈大悲愍聴許したまえ。時に浄和尚示して日く、元子いまより後は、著衣扠衣をいわず、昼夜参問すべし、われ父子の無礼を恕すが如し。
 しかしより昼夜堂奥に参じ、親しく真けつを受く。ある時侍者に請せらるるに、師辞して日く、われは外国の人なり。かたじけなく大国大刹の侍司たらんこと、すこぶる叢林の疑難あらんか、ただ昼夜に参ぜんとおもうのみなり。時に和尚いわく、実に汝がいうところ、もっとも謙卑なり。そのいいなきにあらず。因てただ問答往来して、提訓をうくるのみなり。しかるに一日後夜の坐禅に、浄和尚入堂し、大衆のねむりをいましむるに日く、参禅は身心脱落なり、焼香礼拝念仏修懺看経を要せず、祇管に打坐して始めて得べしと。時に師聞きて忽然として大悟す。今の因縁なり。おおよそ浄和尚にまみえてより、昼夜に弁道して、時しばらくも捨てず。浄和尚よのつね示して日く、汝古仏の操行あり。必ず祖道を弘通すべし。われ汝をえたるは、釈尊の迦葉をえたるがごとし。因て宝慶元年乙酉、日本嘉禄元年たちまち五十一世の祖位に列す。即ち浄和尚囑して日く、早く本国にかえり、祖道を弘通すべし。深山に隠居して、聖胎を長養すべしと。
 しかのみならず、大宋にして五家の嗣書を拝す。いわゆる、最初広福寺前住惟一西堂というに見ゆ。西堂日く、古蹟の可観は人間の珍玩なり、汝いくばくか見来たる。師日く、未だ曾て見ず。ときに西堂日く、吾那裏に一軸の古蹟有り、老兄が為に見せしめんといいて携え来たるをみれば、法眼下の嗣書なり。西堂日く、ある老宿の衣鉢の中より得来れり。惟一西堂のにはあらず。そのかきようありといえども、くわしく挙するにいとまあらず。又宗月長老(は天童の首座たりし)について、宗門下の嗣書を拝す。即ち宗月に問いて日く、今五家の宗流をつらぬるにいささか同異あり、そのこころいかん、西天東土嫡嫡相承せばなんぞ同異あらん。月日く、たとい同異はるかなりとも、ただまさに、雲門山の仏法とは是の如くと学すべし。釈迦老子なにによりてか、尊重他なる。悟道によりて尊重なり。雲門大師なにによりてか尊重他なる、悟道によりて尊重なり。師この語を聞くにいささか領覚あり。又龍門の仏眼禅師清遠和尚の遠縁にて、伝蔵主という人ありき。彼の伝蔵主また嗣書を帯せり。嘉定のはじめに、日本の僧隆禅上座、かの伝蔵主やまいしけるに、隆禅ねんごろに看病しける勤労を謝せんが為に、嗣書をとりいだして、礼拝せしめけり。みがたきものなり。汝が為に礼拝せしむといいけり。それより半年をへて、嘉定十六年癸未の秋のころ、師天童山に寓止するに、隆禅上座ねんごろに、伝蔵主に請して、師にみせしむ。これは楊岐下の嗣書なり。又嘉定十七年甲申正月二十一日に、天童無際禅師了派和尚の師書を拝す。無際日く、この一段の事、見知を得ること少し。いま老兄知得す、便ち是れ学道の実帰なり。時に師喜感勝ること無し。
 又宝慶年中、師台山応山等に雲遊せし序に、平田の万年寺にいたる。時の住持は福州の元さい和尚なり。人事の次でに、むかしよりの仏祖の家風を往来せしむるに、大い(さんずいに為)仰山の令嗣話を挙するに元さい日く、曾て我箇裏の嗣書を看るやまた否や。師日く、いかにしてみることをえん。さい自らたちて嗣書をささげて日く、這箇はたとい親しき人なりといえども、たとい侍僧のとしをへたるといえども、これをみせしめず。これ即ち仏祖の法訓なり。しかあれども、元さいひごろ出城し、見知府の為に在城の時、一夢を感ずるに日く、大梅山法常禅師とおぼしき高僧あり。梅華一枝をさしあげて日く、もしすでに船舷をこゆる実人あらんには、華を惜しむこと勿れといいて、梅華をわれにあたう。元さいおぼえずして、夢中に吟じて日く、未だ船舷に跨らず、好し三十棒を与うるに。しかあるに、五日をへざるに老兄と相見す。いわんやすでに、船舷に跨ぎ来たる、この嗣書また梅華綾にかけり。大梅のおしうるところならん。夢中と符号するゆえにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや、たといもとむともおしむべきにあらず。師信感おくところなし。嗣書を請すべしというとも、ただ焼香礼拝して忝敬供養するのみなり。時に焼香侍者法寧というあり。はじめて嗣書を見るといいき。時に師ひそかに思惟しき、この一段の事、実に仏祖の冥資にあらざれば、見聞かたし。辺地の愚人にしてなんの幸いありてか、数番これをみる。感涙袖をぬらす。この故に師、遊山の序に、大梅山護聖寺の且過に宿するに、大梅祖師来たりて開華せる一枝の梅華をさずくる霊夢を感ず。師実に古聖とひとしく、道眼をひらく故に、数軸の嗣書を拝し、冥応のつげあり。是くの如く諸師の聴許をこうむり、天童の印証を得て、一生の大事を弁じ、累祖の法訓をうけて、大宋宝慶三年日本安貞元年亥歳帰朝し、はじめに本師の遺跡健仁寺におちつき、しばらく修練す。時に二十八歳なり。其後景勝の地をもとめ、隠栖を卜するに、遠国幾内有縁檀那の施す地を歴観すること一十三箇所、皆意にかなわず。しばらく洛陽宇治郡深草の里極楽寺の辺に居す。即ち三十四歳なり。宗風漸くあおぎ、雲水あいあつまる。因て半百にすぎたり。十歳をへて後、越州に下る。志此の莊の中、深山をひらき、荊棘を払うて茅茨をふき、土木をひきて、祖道を開演す。いまの永平寺これなり。興聖に住せし時、神明来たりて聴戒し、布薩ごとに参見す。永平寺にして龍神来たりて八斎戒を請し、日々回向に預らんと願い出でて見ゆ。これにより日々に八斎戒をかき回向せらる。いまにいたるまでおこたることなし。

 五三八嘘の始まりといって五三八年百済の聖明王が日本に仏像とお経を伝え、次いで聖徳太子に興り、弘法、伝教大師と護国仏教ですか、しかも本当ほんらいのものが入ったのは道元禅師によってです、どうしてこうなるといってそりゃよくわからんです、達磨さん祖師西来意も同じです、何百年してようやく本当になる、ヨーロッパへ仏教が遷るのも同じでしょう、そうですねえ、個人にとっても同様ですか、まず仏教という噂があって、有心のものをしてこれという、学人得便儀あり落便儀あり、しばらくあるあると思っているんです、夢を見ている、それゆえに打睡一下する、参禅は身心脱落なり、焼香礼拝念仏修懺看経を要さず、祇管に打坐してはじめて得んと、じつにこれ他にまったくなしを知る、仏教ことはじめです、わしがもとへ来る連中もまずこれです、お経だのあらぬ噂だのだからどうだとやっている間は、そりゃ参禅にはならんです、つい昨日までやっていたのが縁に触れて落ちる、
「おもしろいことがさっぱりない、左右どこをみたってつまらん。」
 という、
「よしようやく自分を捨てる糸口だ、断然坐れ。」
 というて坐る、日ならずしてちらとも気がつく。死ぬのが先、歓喜はそのあとですよ。自分失せて無上楽。
 身心脱落し来たるという、やったあやりましたです、違う脱落せる身心底、もとっからこのとおりと示す、ここにおいてまったく納まる。這箇はこれ暫時の技倆なり、和尚みだりに印するなかれとは、天晴れ道元禅師ですが、脱落脱落、それをしも奪い取るんです、礼拝感涙はまさにこれ恁麼の地。

明皎皎地中表無し、豈に身心の脱し来たるべき有らんや。

 わしは老師の所持する印下状を見て、それが大雲祖岳老師のものであった、
「これないと商売できんでなアッハッハ。」
 と笑う、一日入室面会して取って来た、そりゃ気に入ったってことないとそうもいかんだろうがという、そうかそんならわしいらねえやといって、仏教とはどうも違う祖岳老師、たとい形であっても、老師の法は別だろうがと思い、つまりそれっきりにしたら、あとでえらいめにあった。だれも信用しない、しばらくどっちつかずであったが、うっふそれもなんていうことはない、要するに紙切れだ。
 衣鉢相伝という、六祖禅師のような大騒ぎ、でもこれ五家の嗣書をすべて見るとは、たいへんなこった、まったく我国仏法の創始とて、これほどふさわしいことはない。大宋国に於ても、たいへんにありがたがるだけの、すでにして現実ではなくなっていた、そこに海を渡って来てついに活仏となったこの人、披露した嗣書が忽然として消える、まさにそういう風景だ。即ち明皎皎地中表なしです、身心脱落という、漆桶底をぶち抜いたという、かってにうるし桶のまっくらけだといっていた、そいつがなかったと知る、そりゃどうしたって必要だ、だが知ったとたんに不必要なんです、もとはじめっからとっかかりひっかかりない明皎皎地です。ただです。ただに印下もくそもないではないかと、アッハッハそういうこってす。
 でもこれたしかに仏仏に単伝する以外に手段はないんです。
 自分で自分にマルつけるとかコンセンサスなどない、一切他の便利はないんです、これが仏教です、仏教というは道元禅師の他にないです。



第五十二章

第五十二祖永平弉和尚、元和尚に参ず。一日請益の次いで、一毫衆穴を穿つの因縁を問いて即ち省悟す。晩間に礼拝して問う、一毫は問わず如何なるか是れ衆穴。元微笑して日く、穿ち了るなり。師礼拝す。

 師諱は懐弉、俗姓は藤氏。所謂九条大相国四代の孫、秀通の孫なり。叡山円能法印の房に投じて、十八歳にして落髪す。しかしより倶舎成実の二教を学し、後に摩訶止観を学す。ここに名利の学業はすこぶる益なきことを知りて、ひそかに菩提心を起こす。しかれどもしばらく師範の命にしたがいて、学業をもて向上のつとめとす。しかるにある時母儀のところにゆく。母すなわち命じて日く、われ汝をして出家せしむるこころざし、上綱の位を補して、公上のまじわりをなせと思わず。ただ名利の学業をなさず、黒衣の非人にして、背後に笠をかけ、往来ただかちよりゆけとおもうのみなり。時に師聞きて承諾し、忽ちに衣をかえてふたたび山にのぼらず。浄土の教門を学し、小坂の奥義をきき、後多武の峰仏地上人遠く仏照禅師の祖風をうけて、見性の義を談ず。師ゆきてとぶらう。精窮群に超ゆ。ある時首楞厳経の談あり。頻伽瓶喩のところにいたりて、空をいるるに空増せず、空をとるに空減せずというにいたりて、深く契処あり。仏地上人日く、いかんが無始曠劫よりこのかた罪根惑障悉く消し、苦みな解脱しおわると。時に会の学人三十余輩みなもて奇異のおもいをなし、皆ことごとく敬慕す。
 しかるに永平元和尚、安貞元丁亥歳、はじめて建仁寺にかえりて修練す。時に大宋より正法を伝えて、ひそかに弘通せんというきこえあり。師きいておもわく、すでに多武の峰に参ず。すこぶる見性成仏の旨に達す。何事の伝え来たることかあらんといいて、試みにおもむきてすなわち元和尚に参ず。はじめて対談せし時、両三日はただ師の得処におなじく、見性霊知の事を談ず。時に師歓喜して違背せず。わが得所実なりとおもうて、いよいよ敬嘆をくわう。やや日数をふるに、元和尚すこぶる異解をあらわす。時に師おどろきてほこさきをあぐるに、師の外に義あり。ことごとくあい似ず。ゆえに更に発心して伏承せんとせしに、元和尚すなわち日く、われ宗風を伝持して、はじめて扶桑国中に弘通せんとす、当寺に居住すべしといえども、別に所地をえらんで止宿せんとおもう。もしところをかえて、草庵をむすばば、即ちたずねていたるべし。ここにあいしたがわんこと不可なり。師命にしたがいて時をまつ。
 しかるに元和尚深草の極楽寺のかたわらに、はじめて草庵を結びて一人居す。一人のとぶらうなくして、両歳をへしに、師すなわちたずねいたる。時は文暦元年なり。元和尚歓喜してすなわち入室をゆるし、昼夜祖道を談ず。やや三年をすぐるに今の因縁を請益せらる。いわゆるこの因縁は、一念万年、一毫衆穴を穿つ。登科は汝が登科に任す。抜茎は汝が抜茎に任す。師これをききて即ち省悟す。聴許ありしより後、あいしたがうに、一日も師をはなれず。影の形にしたがう如くして二十年をおくる。たとい諸職を補すといえども、必ず侍者をかぬ。職務の後は、また侍者司に居す。ゆえに予=螢山祖孤雲祖に於て受戒す、奉侍年久なり、二代和尚の尋常の垂示をききしに日く、仏樹和尚の門人数輩ありしかども、元師ひとり参徹す。元和尚の門人またおおかりしかども、われひとり函丈に独歩す。ゆえに人のきかざるところをきけることありといえども、他のきけるところをきかざることなしと。卒に宗風を相承してより後、尋常に元和尚、師をもて重くせらる。師をして永平の一切仏事をおこなわしむ。師そのゆえを問えば和尚示して日く、わが命ひさしかるべからず。汝われよりひさしくして決定わが道を弘通すべし。ゆえにわれ汝を法の為に重くす。室中の礼あだかも師匠のごとし。四節ごとに太平を奉らるること是くの如く、義をおもくし、礼をあつくす。師資道合し、心眼ひかりまじわり。水に水を入れ、空に空を合するに似たり。一毫も違背なし。ただ師ひとり元和尚の心をしる。他のしるところにあらず。
 いわゆる深草に修練の時、すなわち出郷の日限をさだめらるぼう(片に旁)に日く、一月両度、一出三日なり。しかるに師の悲母最後の病中に、師ゆきてみることすでに制限をおかさず。病すでに急にして最後の対面をのぞむ。使いすでにかさなる。ゆえに一衆ことごとくゆくべしという。師すでに心中におもいきわむといえども、また一衆の心をしらんとおもうて、衆をあつめて報じて日く、母儀最後の相見をねがう、制をやぶりてゆくべしやいなや。時に五十余人みないう、禁制かくのごとしなりといえども、今生悲母ふたたびあうべきにあらず、懇請してゆくべし。衆心悉くそむくべからず和尚なんぞゆるさざらん。事すでに重し、少事に準すべからず。衆人の儀みな一同なり。この事上方にきこゆ。和尚ひそかにいう弉公の心、定んでいずべからず、衆儀に同ぜじと。はたして衆儀おわりて後、師衆に報じて日く、仏祖の軌範衆議よりも重し。まさしくこれ古仏の礼法なり。悲母の人情にしたがい、古仏の垂範にそむかん。すこぶる不孝のとが、なんぞまぬがれんや。ゆえいかんとなれば、今まさに仏の制法をやぶらん、これ母最後の大罪なるべし。夫れ出家人としては親をして道にいらしむべきに、今一旦人情にしたがい、永劫沈りんを受けしめんや。卒に衆儀にしたがわず。ゆえに衆人舌をまく。はたして和尚の所説にたがわず。諸人賛嘆して、実にこれ人おこしがたき志なりと。かくのごとく十二時中、師命にそむかざる志、師父もかがみる。実に師資の心通徹す。しかのみならず、二十年中、師命によりて療病せし時、師顔に向かわざること首尾十日なり。南嶽懐譲、六祖に奉侍せしこと、未徹以前八年、已徹以後八年、前後十五秋の星霜をおくる。その他三十年四十年、師をはなれざるおおしといえども、師のごとくなる、古今未だ見聞せざるなり。
 しかのみならず、永平の法席をつぎて、十五年のあいだ、方丈のかたわらに先師の影を安じて夜間に珍重し、暁天に和南して、一日もおこたらず。世世生生奉時を期し、卒に釈尊、阿難のごとくならんとねがいき。なを今生の幻身もあいはなれざらん為に、遺骨をして先師の塔の侍者の位にうずましめ、別に塔をたてず。塔はもて尊を表するをおそれてなり。同寺において、わが為に別に仏事を修めんことをおそれて、先師忌八箇日の仏事の一日の回向にあずからんとねがい、果たして同月二十四日に終焉ありて、平生の願楽のごとく、開山忌一日をしむ。志気の切なることあらわる。しかのみならず、義を重くし、法を守ること毫髪も開山の会裏にたがわず。ゆえに開山一会の賢愚老少悉く一帰す。今諸方に永平門下と称するみなこれ師の門葉なり。かくのごとく、法光歴然としてとおくあらわるがゆえに、越州大野郡にある人夢みらく、北山にあたりて大火たかくもゆ。人ありてとうて日く、これいかなる火なればかくのごとくもゆるぞと、答えて日く、仏法上人の法火なりと。夢さめて人にたずぬるに、仏法上人といいし人、うさかの北の山に住して、世をさりて年はるかなり。その門弟いま彼の山に住すとききて、不思議のおもいをなし、わざと夢をしるして咨参しき。実に開山の法道を伝持して、永平に弘通すること、開山の来機にたがわざるゆえに、児孫いまにおよびて、宗風未だ断絶せず。これによりて、当時老和尚价公、まのあたりかの嫡子として、法幢をこのところにたて、宗風を当林にあぐ。因て雲兄水弟、飢寒をしのび古風を学びて万難をかえりみず、昼夜参徹す。これしかしながら、師の徳風のこり、露骨あたたかなるゆえなり。

 一念万年、一毫衆穴を穿つ、登科は汝が登科に任す、抜茎は汝が抜茎に任す。一念というただ他にはあらず、これを知るもの極めて希なり、一念という一念発起してという狭さは、それを外から観察する自分があるからです、これ世の通念では決して届かない、それゆえに一念万年と云った、一念他にまったくなしは、仏祖の尋常世の常、一毫は即ち問わず如何なるかこれ衆穴、元和尚笑って穿ち了るなり、これより二十年あるいは未来永劫、開山和尚とともにあり、義をつくし礼を忘れず、つうと云えばかあというのは、馴れ合い衆を頼むということなしです、これが浮き世のしゃばとは違う、他の諸宗のいい加減じゃない、一毫もあい容れることなし、真実の法にしてはじめて如是、登科は汝が登科に任せること、実にこれ以外にないことを、仏教のみ知るんです、でなかったら叢林は不成立、羅漢さんの理想集団はないんです、だれあって他の科を云々できない、茎を抜くこと、だれあって手段を用いることできんです、これを知りこれをなす、はじめて仏教入門です、そうです仏教とは坐禅のことですよ、一念万年一毫衆穴を穿つと坐って下さい、じきに得たり一毫はおく衆穴如何と、そんなもの夢にだも見ないんです、仏教と聖俗と信不信と、他宗外道とあるごとく思っておった、なんという面倒臭い、逐一に云々せにゃならんかとどっかにかぶさってたやつが、すぱっと抜けるんです、抜茎でも登科だろうがなんだっていい、真正面に見るとないんです、真正面に見ることだれあって、おのれしかできないんですよ、逃げりゃ追いかけて来る、面と向かえばない、はいこうして恐怖心にうちかって、みごと職場に復帰した心身症引き籠もりさんがいた、そうです、精神病は自ずからです、自分で直す気にならんと治らないです、そうして自分と真正面に向き合ってごらんなさい、
「はてな。」
 というんですよ、自分がない、そうですこれ仏教入門、永平道元禅師門下です、実に二祖孤雲懐弉禅師の保護し来たったこれ無門関、水の中にあって水を求める工夫、一念万年。

虚空従来針を容れず、廓落無依誰有りてか論ぜん、謂うこと莫れ一毫衆穴を穿つと、赤酒酒地瘢痕を絶す。

 虚空従来針を容れずという、これを知るあるいは仏祖の列につらなる、どうしても一針一毫を容れるんです、だからといいゆえにという、理屈抜きでものみなのあることを、理屈では知っても、一針を投じて身心失せるわけには行かない、どうしようもないどっか瘢痕が残るんです、瘢はきずアッハッハ衆穴を穿ったきずあとですか、三世の諸仏知らずと、廓落からっとなんにもないとは、なんにもないと云うもの失せる、だれにも依存しないんです、ゆえに論ずることなくです、うっふだから云ってるなあ、まあそんなわけだ、それゆえどんなに年食おうが、苦労の末だろうが落着すること、あたかも死人の如く大安心なんですよ、一毫衆穴を穿つ面倒事もただ面と向かい合う以外になく、その労を取ろうという取り越し苦労がないんです、あるいはまったくの無責任ですか、でも死なない坊主の生臭お経は肩が凝るってことあります、早く赤酒酒赤貧洗うが如くですか、洗うものない貧乏首くくる縄もなしになって、からっと虚空の虚空を鳴り響むお経を読んで下さい、するとうぐいすや烏や田んぼの蛙なみに、地球のお仲間入りができますよ、ではどうしたらいいといって、未だしということあって、それに真っ正面する以外ないです、仏祖の道う、たとい登科は汝の登科に任せ、抜茎は汝が抜茎に任せとなら、もうそれっきりないんです、そうするにはどうしたらいいという、今の参禅者は遊んでいるんですよ、すなわち禅という悟りという何かあるとし、それをもって事を興そうというよこしまです、そうじゃない身心これしかなく身心脱落しかないんです、こんな簡単なことはない、以無所得の故にです、さあやって下さい。