松之山
フェユトン時代(ヘルマンヘッセ・ガラス玉演技)三00年のフェユトンとは文芸欄のことだと浅井が云った、大学時代どっぺり仲間の彼はドイツ文学者だ、小林秀雄の天才をもってしても批評である、つまり文芸欄だ、すべてを尽くしてもって、肉は悲しいかどうか、もはや新しい切片はない。
「成長点のない考える葦さ。」
という、デズニイランド仕様のあっかましさ、要するにエレガンスを欠く。
「へーい。」
浅井は飲ん兵衛で、社会人になったら、
「故郷の山のさ、あの雲がなあ。」
といって酒を飲む、ヘルマンヘッセが空しく書架に並ぶ、そのうち横着になった。
おまえの歌では、
花は花月はむかしの月ながら見るもののものになりにけるかな
というのがいい。
そりゃ至道無難の歌だ。わしのじゃない、そうかな、でもっておれが坐ってもなんにもならん。
「そのなんにもならんのが空。」
他に何かあると思う、それを捨てる。いやさ、同窓会に伝家の宝刀てな、ー
浅井と、わしらより二級下であった竹中、卒業は彼のほうが先だったが、を乗せてドライブに行った。坊主の庭を案内する。
竹中は是非にといって参禅した。
理科頭は、たいてい満足すべき自分を眺め暮らす。まあそういうこった。
わしと違って二人とも絵に描いたような秀才だった。旺文社の模擬試験というのがあって、わしが八00番台だったものを、浅井は七番竹中は四番であった。
日本の頭脳ともいうべき彼らを、浅井はドッペリ仲間になって、一生を棒に振り、竹中はそこへしか行けないという土木へ行った。
(申し開きができんあいつには。)
と思っていたら、定年になって電話が来た。
「おなつかしいです、竹中一彦です云々。」
はてなあそんなやついたか、適当に返していたら、
「恥ずかしながらすけかんです。」
と云った。けっこうな美男子を、すけかんと仇名したんだ、土木へ入ったのがゼネコン日本で大当たり、ろくすっぽ勉強せずが親分にはもってこいの、世の中なにがどうなるか。
竹中は特大や特殊免許も持っていたが、運転手お抱えの、
「車に乗るから足腰弱る。」
という。
「運転するから飯おごれ。」
いいよ、
「松之山温泉に、大正時代にできた木造三階建てのシックな宿あるよ、三十年前に行ったら九官鳥がいた。」
国道八号線から、梅雨晴れの小国を行く、雪深いふんどし町は、とんでもない山路になる、とんでもないのが好きで案内する、こんぺいの千谷沢町を過ぎ、濁りの入った渋海川を遡る。
いい川だ。
腕白どもの川ってもうないか。釣り人もいない。還暦を過ぎたらもとっこ腕白、スカートめくりより魚取りがさ、雪のにおいがして不意に花が咲く。なんの花か。
「アッハッハぶっこわれて、人生無意味ってことは。」
だれかれ、なんにも変わってないのさ。
赤谷の大けやきという標がある、案内した。坂上田村麻呂がお手植えと、八方に茂って今なを衰えぬ。新緑はまた格別。
百代なれ田村麻呂なむ大けやき千代に八千代にふりふる雪も
わくらばと廻らへともに大けやき二十一世紀なむ新芽吹かふに
松之山に新道ができてうっかりそっちへ行った。おふくろの味という店があった、どうせわしは烏の行水、温泉より昼飯だといって立ち寄った。山菜のてんぷらは、たらの芽ふきのとう桑の葉と、
「うどの葉っぱがうまいんだ。」
浅井は主張する、現代人は食い物にはうるさい。たらの芽より柔らかくという。やまおがらを食わせてやろう、緑そのものを食うんだぞ、わしも乗る。
竹中は声がでかい、だれがどうした、彼がこうしたと、三人に共通の話題を処かまわず、身にしみついた号令一下というやつ、すかっと腹が減る。
畑にごんぼうっぱが植わる、
「ごんぼうっぱってなんだ。」
「よもぎの代わりだ、よもぎよりうまい。」
浅井はよもぎに固執する。
笹団子をお土産にと思ったら、売ってない。新緑はどっか頼りないような。
吾妹子が松之山なむ田を植えて持たせやりたや笹団子をし
尋ね来てここはもいずこ松代のしぶみ小百合の年はふりにき
雪ひだに削られる山へ、
「あれへ登ろう、たしか尾根伝いに行けた。」
不確かな案内人が云う。
たしかなドライブコースがあった。
「秋に来てさ、かまわねえから行ったら、雪んなって死ぬとこだったぜ。」
菖蒲平という、牛の見えない牧場があった、向こうに、キューピットバレイなるスキー場がある。菖蒲は咲かず、赤いえんつつじと黄色い色変わりが咲く。
「キューピットバレイか似合わねえ名前だなあ。」
さすがにスキー場は閉じていた。いい道が登って行く。
学名たにうつぎというずくなしの花が咲く、浅井が感動した。下ではとっくに散って、これはなを蕾の。こしの花ともいうべきとわしは云う、淡いピンクのいちめんに。
残雪がはばむ。
四駆に入れて何度かクリアーしたが、立ち往生。雪が溶けて踏ん張りが利かぬ。そろうりバックで引き返す。
写真を撮った。
ほととぎすが鳴き、鶯が鳴く。真似してもずがさえずる。
浅井はやせわらびを取った。
ずくなしの花の門に入らむ日や松之山なむ舞ひ行く鷲も
ずくなしの花の門に入らむ日や松之山なむかもしかの群れ
松之山久しく春のえんつつじ百舌鳥にはあらでほととぎす鳴け
黒姫山は三つある、戸隠に一つ青海川に一つ、それから松之山の差し向かい、これも人気があって登山客が絶えない。ツーリングの石塚先輩は松之山に一泊して、黒姫山の裾鵜川にそって柏崎に出たという、ようしそれを辿ってみようか。
谷をわたりずくなしの花、
「いいとこだあ。」
と、浅井が歓声を上げる、ぽっかり切れて空の雲。
「あれ。」
だいぶ行ったのにキューピッドバレイの矢印がある、
「これもと来た道だ。」
土地勘のいい竹中、そう云えばたしかに。
どうやら抜けてメイン道路という、ガソリンスタンドがあった、土建屋竹中にスタンドのおっさん低姿勢。身に付いた貫禄っていうのかな。なつかしいような昭和三十年代、なんでも屋のある町。がらんとして誰もいない。
だいぶ来たのにキューピットバレイの矢印、鬼門だといって行く。
工事中迂回もある、安塚村大島村は地滑り地帯。
黒姫はそう、
「見えるはずだがな、そこら。」
妹が家も継ぎて見ましを大島の茂み水門は清やにあり越せ
うばたまの黒姫吾子が面隠みに大島八村田を植え終はる
石塚先輩はサイクリングツアーと別れて柏崎へ、海沿いに走って、弥彦に一泊お寺へやって来た、携帯用のパソコンに写真を入れ記事を書く。
わしと浅井がドッペったときに、じゃおれも仲間にはいる、一年遊んで寮歌集を作るといった。ああ玉杯にから年二つあて何百と、歌詞がまたやたら長い。ほんとうに作って、今はもう貴重品になった。八面六臂の活躍だった。
碁を打たされた。負けて四子になった。竹中も負けた。浅井は強かったが、今はもうやらぬ、テレビの碁を、見ているうちに眠っちまうといった、
「理科頭なあ、能細胞が一列に並んでるきりのさ。」
「どいつも変わらねえ。」
まあそういったわけだ、
「得意技滅びねえようにって、なんか先鋭化する。」
老化現象な。
川村は計測というところへ行って、大学教授になった。
計測はコンピューターの草分けだそうだ。一オクターブ高い声を出す、二つ向こう部屋からもわかった。
「あいつ薬餌審議会だってえから、つまりどういうこった。」
首を傾げる石塚先輩は、五十のときに会社を辞めた、それっきり郷里の蜜柑畑をいじくっている。
「会社暮らしはそぐわねえ。」
而化けだなど云っていたが、大会社も役人も同じだ。五十でトップを極めるというのか、その上のあるかないか。
来れなかった神野は子会社の社長をやっている、わしと浅井の真似だけはしたくないといって彼は勉強した。わしにはひどい目にあった、断わり状が、むかしの言い種とそっくりなのが面白い。
「じゃいったい世の中なんだったんだ。」
とて、むかしと同じにやっつけた。
アッハッハあいつもいい加減だった。女性恐怖症?のわしに、千人切りだといって、あのおねえちゃん、こっちのおばさんがと吹聴して、そいつをまあ本気にする。
急坂を下って行く、キューピットバレイの矢印。
「ひええなんだこりゃ。」
道も老化現象か。
天使なむキューピットバレイぞ松之山空を底無しずくなしに咲く
先輩を自転車ごとワゴンへ乗せて引っ張り回した。与板を行くと西山林道がある、お寺のあるこっちを東山、向こうを西山。
小木の城祉という西山最高峰は、南北朝時代の砦あとで、珍しい巨木の林。本丸跡は電波搭になっていた。
八方を見渡す。
佐渡が見える。
また蓮華寺という瀟洒な道がつく。
先輩は三0分で来た。
長岡の八方台にも行った。
信濃河から蒲原平野を一望。殿様が国見をしたという峠には、江戸中期のお地蔵さまのレリーフが立つ。
栃尾から会津へ抜ける道の、河合継之介が落ち延びて行く。栃尾へ入るとけっこう複雑が、じきにやって来た。
地図を手に冴えている。アッハッハ浅井やわしじゃたいてい迷う。
南北朝汝が潮騒を聞かむには茂みむすなる巨木の林
兄と我が思へる人もおはしませ夕入りはてむ佐渡が島廻を
兄と我が思へる人もおはしませ巨木に茂む荻の城祉を
岩原ワインの工場を見学しようか、いやいい、竹中は土建屋のくせに一滴も飲めぬ、親父はもっとひどかった、郷里へ帰るとあのせがれかという、酒と聞いてぽおっと赤くなるほどに。
飲ん兵衛の浅井は、貴腐ワインを持って来ることがあって、蘊蓄を傾ける、
「けちな浅井におごらせて今度は料亭でぱあっと。」
と云って、そいつがなまなか。女がいるとぴたっと脇にとっつくくせにさ。
「これはドイツ人のワインにおける趣向の一つの到達点であって、日照時間の絶対的不足を云々。」
黴をつけて甘味を増し、十一月氷点下に凍てつかせて水分を抜く、それを一粒一粒選り取ってこさえると、まあそういうこと。
ぶんどって隠しておいたら、三日めには味が変わった。
「そういうことしちゃいかん。」
浅井の云わく、
「開けたら乾杯してみんなで一杯ずつ。」
という貴重品。
海辺へ行こうか、柿崎方面かなあ、運転手は一服しなくっちゃ、どっかでコーヒー飲もうといったが、店がない、
「変だなあ黒姫山は。」
ぐるっと回って行くと、鵜川の上流。
綾子舞いという、角兵衛獅子の先祖のような舞いがあって、出雲の阿国がといっては突っ走る。黒姫ではない米山が見えた。
米山のぴっからしゃんから出雲崎舞ふは烏か早稲の田浦か
米山のぴっからしゃんから柏崎綾子舞ひなむ月踊り出で
「そうだ吉川町だ、同僚の実家があった。」
浅井が云った、村には交通信号一つしかないんだ、それがおれんちの前にあるといって威張っていた、行ってみようという。よし行ってみようといって、丸滝温泉という赤い矢印があった。
「温泉だ、入って行こうぜ。」
一服してさ、なんなら泊まって行こうと竹中。
谷川を遡る、だいぶ行ったと思ったらあと一0キロとある、
「うへえしょうがねえなあ。」
「秘湯だってへーえ。」
辿り着いたら、本日定休日だとさ。
週三の営業、そういうことは矢印んとこ書いとけ。
とっちゃんばあちゃんやって来て、賄いするやつ。
戻るのも面倒だ、どっかへ抜けるさといって、急坂を登って行った、深い山中になる、これはと思ったらスキー場があった、急ごしらえのなんとかリゾート、峠を越えたら新品の二車線道路になった。とっつきに廃屋が五軒、
「こういうのはたいしたことない、メーター二十万。」
税金使いはよく知っている竹中が云った。
「だってなぜ道路なんだ。」
「そういうことは云わんのさ。」
鵜川の上流であった。
もとへ戻っちまった。雨がぽっつり当たる。
吉川町行けばよかったと浅井。
「海っぱたへ出ると思ったんだ。」
お寺を仮りてミニ同寮会だという、石塚先輩がプリントアウトした寮歌集は、
「ああ玉杯に花受けて。」
から始まって、おまけにたいてい十何番まである。先輩はそれを残らず暗記する。
「こないだ寮歌の集まりあって歌ったけどさ、どうもな。」
という。ようしそんなら歌ってやれ、坊主音痴だけどお経節、わしは幾つも知らない。北帰行も寮歌であったし、聞け万国の労働者というのもそうだった、春爛漫の花の色や、あっちこっちの校歌になったのもある。
箕作秋吉の、
「若紫に夜は溶けて。」
というのは傑作だ。
青春の香りそのもの、河童とかいうボート部のは、琵琶湖周遊歌よりいい、三高逍遙歌や北大寮歌なぞ、そりゃ二三はこれからも残って行く。
「全部なんて、そりゃ無理だよう石塚さん。」
浅井がいった。
歴史に消える。
今でも涙するのはと浅井、
「運るもの時とは呼びて、
罌栗のごと砂子の如く、
人の住む星は転びつ。
人の住む星は転びつ。」
という昭和十七年記念祭寮歌、学徒動員の、そうなあ今の日本をまで見通すような悲痛。
みなで歌って涙ににじむ。
松之山久しく我は悲しみの何を訴へ時過ぎにけり
川村は入学試験のとき、小便をしたくなった、ええしちまえといって漏らした、
「帰ってからみるとほんのちょっとしか、出ていねえんだぜ。」
と云った。浅井は三日間遅刻した、だって起きられねえんだもんと云った。わしはけしごむなくって、三日間となりのやつから借りた、そいつは落っこちた。はた迷惑の始まり。
川村は今も学生をいじめる。
「乳離れしてねえの多いな、到来品の酒いっぱいある、飲みてえやつは飲めって、見せてやってさ、さぼりたいやつはさぼれ。だがな人の話聞かんで、出席日数だけってのは止せって云ったんだ。」
母親が匿名で投書する、
「酒を飲めっていった、さぼってもいいっていったっていうんだぜ。」
頭禿げたが、むかしのように高音に笑う。
浅井は辞書の編纂をするらしい。
前日川村を長岡駅に送りがてら、石塚先輩の走り下った八方台へ行った。
ふうらり来るかも知れん、よろしくと云った。
その朝先輩は自転車に乗って去った。
田を植えて国見せむとや大殿が太刀を履いたる信濃川波
江戸のまたお地蔵さまのレリーフは若葉青葉に笑まへるらしも
道を一つ手前で曲がったらしい、柏崎インターへ入るつもりが、いつのまにか高柳から松代へ行く、
「黒姫に呼び戻された。」
えらいこった、日が暮れる。
振り出しに戻った、赤谷の十二社に大けやき。なにしろ疲れた、一休みしようと云ったら、月湯女温泉というのがある、
変な名前だなあって、食堂があった、
「そうだ、ここまむしの姿焼き食わせる。」
わしは思い出した。弟子が、よせばいいのに試し食いして、首を傾げる、
「なにがまむしだ。」
食ってみろというのを、だれも食わなかった。和紙を売っていた、高価な短冊を買って書きそぼくった。
二階にある温泉に入った。
風呂のような。
竹中は若い体をする。もうおったたねえさという浅井も健康だ。
田舎坊主だけがほてい腹の。
「車がわりいのさ。」
という。
車なけりゃ田舎はどうもならん。
小川におしどりがいた。琵琶湖辺のとは違うが、つがいに棲む。
そこで飯を食った。
竹中は査察が入らんうちに、会社辞めたんだと云った。
タイには長かった。あの暑い国で汗を拭いたことがなかった、拭いてくれるんだという。使用人はちゃんと使わんきゃならんという、王族相手に裁判して、とうとう勝ったという、
「いいかげんな国さ、あっは金は戻らんかったがな。」
酒も飲まずの胴間声。
浅井は今もドイツへ行く、そっちこっち浅井先生の、息のかかったのいてなと、彼の腰巾着の数学博士が云った。
官費では一回も行かなかった。
「失業中の男いてな、飯食わせてさドライブに連れてって貰う。」
いいよう、町も美しいけど森や湖の辺りなぞ。
一生趣味の人間だな。
「もうこの世でモーツアルト聞けるのわしだけかな。」
といって、失笑を買ったわしを、
「そうだなあ。」
と浅井だけが頷いた。ドッペリ仲間というわけか。
「今日はえらい面白かった。」
浅井は本気で云った。
竹中は二年後に死ぬ。若い体でかえって進行が早かった。切ないことだった。
月湯女の芦辺を茂みしましくに鴛鴦やたぐえるたれかいにけむ
月湯女の鴛鴦やたぐえる束の間も見まく欲りせむ行方知らずも
提唱…提唱録、お経について説き、坐禅の方法を示し、また覚者=ただの人、羅漢さんの周辺を記述します。
法話…川上雪担老師が過去に掲示板等に投稿したもの。(主に平成15年9月くらいまでの投稿)
歌…歌は、人の姿をしています、一個の人間を失うまいとする努力です。万葉の、ゆるくって巨大幅の衣、っていうのは、せせこましい現代生活にはなかなかってことあります。でも人の感動は変わらない、いろんな複雑怪奇ないいわるい感情も、春は花夏時鳥といって、どか-んとばかり生き甲斐、アッハッハどうもそんなふうなこと発見したってことですか。
とんとむかし…とんとむかしは、目で聞き、あるいは耳で読むようにできています。ノイロ-ゼや心身症の治癒に役立てばということです。