二連禅歌=夏

二連禅歌=夏


いにしへは飯を盛るとふ朴柏おほにし咲けば人恋ほしかも
 田植えが終わって、山門は人気もなく、朴の花があっちやこっちに咲いて夏、大きな葉っぱは、お盆には刻んだ野菜を載せて、お墓に供える、山門には、天邪鬼を踏んずけて四天王。
朴柏おほにし咲けばいにしへゆつばくろ問へり四天王門

夏草は茂く生ふれどねじ花の汝をも愛ほし過がてにせむ
 山道の芝草の中にねじばなが咲く、美しい花だ、年によって数本咲いたり、群れになったりする、刈るなよというのを弟子が刈ってしまう。
ねじ花の汝をも愛ほし過ぎがての門の草を刈らしきはたれ

守門なる刈谷川辺に郭公の鳴きわたらへば時過ぎにけり
 これは万葉にあるのをそっくり真似た、鯉釣りに行ったらさっぱり釣れぬ、かっこうが鳴きわたる、ああそういうことかといってあてずっぽう。守門は南蒲原のどこからでも見える。
守門なるはだれの雪も消えぬらむ与板の橋をわたらへや君

恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや猿の物乞ひしつれ
 加治川は桜名所であったが、出家した翌年洪水で全滅、奥深い清流には猿が棲む、学者仏教を猿の月影を追うという、目つきのよくない猿がいた。なにかを掘った鉱山跡があった。
恋痛み加治川橋と行き通ひ哀れや猿の月影を追ふ

あしびきの山川なべに住まふ鳥鳴きわたらひて広神へ行く
 やまめを釣りに行くと、目の前に大物が現れて、悠然と向こうへ行く、でもって一尾も釣れず、入広瀬の葦原を夕方、みずとりの群れが立つ。
加茂川の芦辺に宿る鳥だにもつがひに舞へや夏の雲井を

年寄るはなんに淋しえ鳥越の椎い葉末に言問ひよさめ
 三島郡鳥越に法要博士がいた、悟ったりすると阿呆になるなと申し合わせて、葬式坊主どもに流行らかし、しまい宝筐寺の住持になった、仏教のぶの字もない宗門、一人淋しく死んだらしい。
夏来れば椎いをわたる風さへに袖吹き返し咲まへる子らは

山を越ゆ鳥にはあらね早乙女が袖吹き返し荒磯辺に行く
 鳥越はいいところだ、元気な女の子がいた、物部神社という大鳥居、深い山を越えて海へ行く、わがドライブコースは地震でずたずた、三年してようやく復旧。
物部の香椎の宮の乙女らが早苗取る手に言問ひ忘れ

実川の瀬を速みかもいにしへの五十嵐の家を言問ひ難し
 西会津へ入るところに実川と奥川という清流がある、実川は特に急峻で、中ほどに大杉の林があり、粗末な看板に、五十嵐の家と示す。人が住んでいる、何軒あるか、尋ねるには気が引ける。
代々をしも住みなしけんや実川の茂み門を言問ひ難し

実川の春いや深み散りしける花の門を言問ひがたし
 阿賀野川の支流、ともに飯豊の山中から馳せ下る、下界は花が散っても、まだ雪が残る、五十嵐の家の他に村はなく、奥川は弥平四郎という村が最後。
実川の雪は消えても飯豊なる代々に伝へむ花と月かげ

かもしかの足掻かふほどが雪代もなほ萌え出ずるいくつ村字
 秋山郷の六月、ようやく雪が消えて、沢にはまだ分厚く残って、ぜんまい取りが行く、かもしかが走る、山菜取りは評判が悪い、どこもかしこも入山禁止の赤札。
こしみちはぜんまひ取りの夏ならむ雪に問へるはしが木漏れ日も

つぎねふ嶺いの道と思しきや曲がりしだえて花にしぞ咲く
 魚沼スカイラインという、すばらしいドライブコースがある、雪に圧されて、地を這うように咲く花、ぶなの林は残雪と新緑。
上の沢十年帰る夏なれや人に会はなむ雪をけ荒き

田を植えて早に舞ふらむつばくろや粟が守門にはだれ消えつつ
 ともに金物の町燕と三条は仲が悪い、はたして合併は別になった、信濃河はこのあたり、中之口河と二流れになる、道は入り組んでようも覚えぬ。
田を植えて早に舞ふらむばくろや二た別れ行く信濃河波

越人が舟にもやへる芦辺にか信濃大曲夏いやまさる
 与板橋の下流には幾つかの島があって、田んぼや畑を作って行き来する、その舟がつなぎっぱなしになって夏。町軽井には遊女もいて、夏の夕方はそのむかしー 。
芦辺には月さし出でて与板橋もやへる舟は誰を待つらむか

田人らがもやへる舟を芦辺にか野鯉は釣れじ夕風わたる
 舟があっちへ行きこっちへかしぎ、野鯉は釣れず、旧橋桁がそのまんま残って、格好の魚の巣、一メートル五0センチの大物を見たと弟子がいう、ほんとうかな。
束の間もよしやあしやの信濃河暮れ入るさへに行々子かも

くちなしの妹はも風邪に引籠もり雨の降れればそれのかそけさ
 くちなしを貰って来て植えたのに枯れてしまった、せっかく風情も面倒見が悪くってだめ、でもってやっぱり鯉釣りに行く、釣れずにみずとりの群れを眺め。
田所や流らひわたる水鳥の舞ひ舞ひ戻り夏いや茂み

ほととぎす月に逐はれてずくなしの茂み会津に八十里越え
 戊申の役に破れた河合継之介は、会津へ落ち延びる途中、鉄砲傷が悪化して死ぬ。この道であったかどうか、八十里越えと六十里越えという道が今も残る。ずくなしは卯の花の遠縁。
破間の月を迎へむずくなしの花の会津へ六十里越え

雪代のたぎつる瀬々と思しきやこは破間をやませみの鳥
 破間(あぶるま)川には一メートルのいわなが棲んだという、豪雪の入広瀬を流れる、そう云えばちょっとした淵を竿が立たない、へえといって魂消た、なにしろやませみの颯爽たる姿。
行く行くは信濃の河にさしいれて橋をわたれば芹沢の郷

葛飾の真間の手小奈が問ひ深みこは龍人の淵とぞ云はめ
 新潟県でもっとも水質のいいのは龍ケ窪で、皇太子殿下が来られた折に、献上のお水を汲んだと、俳人で写真家の本多氏が云った、かずらの白い花と、ここにしかいない鱒と、十日町を過ぎてもう秋山郷の入り口。
橋の戸のいずこわたらへ十日町夏咲く花と忘らへにけり

真葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
 みーんーんと眠ったげに鳴く、まさか今頃と思ったら春蝉という、透明な青い蝉。糸魚川へ行く岬には、ひめはるぜみという天然記念物が棲む。
春蝉の長鳴きつつに山を越え風の頼りもうらみ葛の葉

谷内烏何に鳴きあへ日な曇り蒲原田井は植え終えずけむ
 日本は役人天国であって、烏天国であって、やひこさまのお使いかどうか、なんせ烏がよったくって、夏が来て秋になってというふう、烏はきらいじゃないんだが。
いやひこの何に群れあへ谷内烏これや田うらを夏の風吹く

いやひこの蒲原田井を夏なれや朝な夕なにかなかなの鳴く
 山のとっつきはひぐらしが鳴く、朝に夕に鳴く、早朝四時というともう鳴いて、うら淋しいとよりはすざまじいほどに。
いやひこの蒲原田井を住み憂くや朝も明けぬにかなかなの鳴く

いやひこの蒲原田井を住み憂くや雨に降りあへかなかなの鳴く
 たいてい空梅雨が後半になって豪雨、お寺の水は前谷内という村の、田んぼを海にして、いや申し訳ないと云ったってどうしようば、
住み憂くてなんの夏なへ米山の蒲原田井にかなかなの鳴く

田上行く青葉嵐か吹きしのひ守門がなへのはだれ消ぬれば
 守門はいい山で、六月雪消えを待って、雲水や居士大姉らで登って行った、固有種と云はれる花が咲く、そりゃもう見たこともないような、いえそっちは登りやすいんだ、こっちが云々と、登山口は六つもある。
安兵衛の花の菖蒲は咲かずかも河辺をわたり郭公の鳴く

水無月の花に吹き入れ信濃川たが客人か舟に棹さす
 遊覧船なんかより川を復活させろって、日本人は川が命、がきのころから、泳いだり魚を取ったり、死んだのちにも灯籠流しをなーんてさ。
村の名を弥平四郎と飯豊なむ花に吹き入れ今嫁ぎ行く

熱塩の加納を行かずはしだり尾の群れ山鳥に会えずもなりな
 奥川の終点は弥平四郎という村で、飯豊の登山口になる、それを脇に見て行くと、熱塩加納という道、峠を越えて四軒部落がある、地滑りで不通になって、みやまからすあげはの数百の群れ、秋には山鳥が何十羽も。
百重にし群れあふ蝶の熱塩の加納の道はふたぎけるかな

ずくなしのくたちに山を深みかも道は会津へ伊南の川風
 へえ格好の川があったと、二人でやまめを釣っていると、そいつがさっぱり釣れぬ、相棒が人と話をしている、行ってみたら入漁料をよこせという、合わせ取られた。もりあおがえるのでっかいのがすっ飛んだり。
柳津ゆ阿賀の川へも入り行くに夏日暮れつつ宿借るに憂き

雨降れば蛙鳴くなる柳津の灯どちが明け行きにけれ
 不忍池の岸に休んでいたら、そこを退け早くという、なんと巨大などぶねずみ、変に臭い、どうもこれホームレスの便所らしく、でもやっぱり花は蓮。
しのばずの花は蓮すか明け行けば極楽とんぼがこはホームレス

板倉の雪の伝へを恋わびてこぶしの花も詠み人知らず
 六月になっても雪が残り、こぶしの花が咲く、信州との境板倉清里大島と、このあたりまた地滑り地帯。
恋わびて清里行かめこぶし花万ず代かけて雪はふりつつ

妹が家も継ぎてみましを大島の茂み門は清やにあり越せ
 黒姫山は三つあって、妙高にあるのと姫川と、そうしてこれ。同じ伝説があり、各人気があって、雪ひだがまた美しい、松代大島清里と田んぼの村々。
田を植えていくつ村字うぐいすのしのひ鳴くかや大島に行く

ますらをと思へる我や竿を振り信濃河辺の鯉をしぞ釣る
 鯉釣りは情熱だった、一日一寸十日でやっと一尺、手を広げて何時何日おれはとやる、釣り上げて足ががくがく。指が震えて魚が外れない。
青柳の雨の降るさへ越し人の信濃河辺に投網暮らしつ

蒲原の沖つ興野にはざ木立つ雨降るさへがなんぞわぶしき
 はざ木はたまぎという木を並べ植え、竿を通して刈った稲を掛ける、雨ばっかり降ってはざのまんま芽が出たというのも今はむかし、田んぼ工場は一町~五町で一枚。
夏の日は棗の花に満ち咲きて雨降り我はここに宿仮る

むくげ咲く夏のあしたをしのへ我が蒲原田井にま草刈りつつ
 道の辺の槿は馬に食はれたり、野ざらし紀行のなぜかこの句だけ覚えている。むくげの花は一日限りの、次から次へ無数の花をつけ。
むくげ咲く寺井さ庭にま草刈りいついつ我は息絶えなんに

掃き清め大般若会を待ついとまつばくろ問へり四天王門
 七月の第一日曜がお寺の大般若会、なんせ暑い真っ盛り、冷房のないころは涼しいお寺の筆頭だったし、山門にある四天王は蒲原平の五穀豊穣を見そなわす。
宋代のたれぞ写せし六祖像どくろ面なるそがなつかしき

奴奈川のこしの伝へゆ問ひ越せば寄せあふ波に能登の島見ゆ
 こしはかしという玉の意がなまったものと、古代世界に知れ渡ったひすい、尺物のちぬを始めて釣って、スピード違反でとっつかまった、おれも釣りすんだ見せろと警官、ちえ頭来る。
空ろ木のもとないよらへ太夫浜すずきは釣れず月さし上る

五月雨の降り残してや春日山杉のさ庭ゆ舞ひ行くは鷹
 うちは上杉謙信の菩提寺、春日山のお寺とそっくりだっていう、行ってみたら似てない、閑散とした処だけそっくり。同じ曹洞宗で、弟子と同安居が跡を継いだなと。
五月雨の降り残してや春日山照れる月夜に鳴くほととぎす

小栗山雨しの降るにほととぎす二声鳴きて蒲原に過ぐ
 うぐいすが鳴きほととぎすが鳴きちいぽおと色んな鳥が鳴く、へえと思ったら百舌鳥だった、さすが百舌。むかしはお寺でも聞こえたホッキョカケタカ、今は山奥へ行かぬと。
守門なる西川なべをほととぎす鳴きわたらへば雨にしの降る

うれたくも雨は降れるかむら雀朝な夕なをさへずり止まね
 改装した新二階に住んでいたら、雀が来て出て行けという、たしかに雀の巣があった、うっさいここはおらあちだといったら、びいと糞ひって行く。跡が残り雀は鬼瓦に巣食っている。
雀らが縄張りすらむ軒の辺に人も住まえばこは騒がしき

人はいさ老ひ行くものを蒲原の青葉に酔ふて鳴くなる烏
 野積にバナナウインドというイタリア料理店ができて、リーズナブルでけっこういける、ママは感じがいい、それ行けとかいってだれかれ連れて行く、ブランコがあってチャペルがあって結婚式ができる、いえひっかけスポットだそうの、色目を使う烏。
蒲原も降りうつろへば夏木立夕映えしのに鳴くなる蝉は

わくらばは如何にしあらむ酔ひ蛍雨に打たれて二つ舞ひやる
 湧くように蛍が出たのに、水害地震あとの工事で二三年ほとんど出ない、待てば海路の日和か。舞い飛んでいた蛍が車のウインカーに寄ってくる、そうかとか客が云って、どうでも蚊に食われ。
一二三流れ舞ひやる酔ひ蛍えしや浮き世の明けはつるまで

山路来てなんの花ぞも咲くやらん降り降る雨をあげは舞ひ行く
 酒は越しの寒梅より雪中梅より、秋田の高清水だと云ったら、弟子が毎年送ってくれる、年寄りはせっかくいい酒も、酔うたらあと眠っちまうだけ。
我が子らが出羽よりよこす酒一升蝉の鳴くなる合歓の花辺に

帯織を山王へ行く幾つ字葵咲くらむ雨降りながら
 帯織は無人駅になって、山王は田んぼばかりだったのが、国道からトラックを乗り入れて運送会社の林立、雨が降っても空梅雨も葵の花盛り。
山王へ廻らひ行ける幾つ字葵咲くらむ空梅雨にして

我れやまた降り降る雨に行き通ひ野辺はしましく花盛りする
 よたかを初めて見て、なんだこりゃ直角三角定規、ばかみたいなんて思った、鳴き声は鋭く、でもこのごろどこへ行ったかさっぱり。くいなもいなくなったし、本堂に迷い込んだあかひょーびんも。
年ふりて茂みへ寝れば冷えさひも今宵み山を夜鷹は鳴かじ

月として棹さし行かめ岩の舟寄せあふ波の行方知らずも
 三面川の辺りは縄文の大集落があった、ダムの底になるというので発掘して、廃校を借りて処狭しと並べ立てた、おばちゃんどもと立ち寄ったら、みんなそっぽを向く、南春男の方がいい、博物館構想も予算が付かず。
いにしへの月を知らじやよしえやし漕ぎ別け行かむ縄文人は

岩船のくしやかじ棹取りて行けよしやあしさへ流れ笹川
 岩舟にお寺を持った弟子が、三人めの子をもうかる、そりゃそうだ他にすることねえからって、嫁さんに逃げられねえようにって、檀家は心配してたが。
縄文の遠いにしへゆあかねさし月の光も流れ笹川

こしみちの長者屋敷は掘をなし茂みまばゆう我れ他所に見つ
 小国の長谷川邸も、鵜川の飯塚邸も、地震で壊滅的な被害を受けた、飯塚邸は立ち直ったが、長谷川邸はまだ、あと三年はかかるという。
月読みのまかりの道も馴れにしや辿りも行かむ渋海川波

松代の街と云ふらむなつかしき三十年代にありし如くに
 松代も松之山も松なんかない、いやあるという、そうしたら何本かあった、雪深く山ふところの、今は北々線の駅もできて、賑わうのか、ふんどし町の十日町も。
十日町夏なほ夕の過ぎ行けば賑はふ里は何処にあらん

渋海川百合あへ咲ける松代の人に知られで住むよしもがな
 渋海川は信濃川に次いで長い、いつでも水が濁る、地滑り地帯を行く、小国から赤谷松代と山奥の、坂上田村麻呂お手植えのけやきというのがある。
松代のあかねさすらむ百合あへの人に忘らゆ名をこそ惜しも

田を植えて松之山なむ道の瀬に腹へり食らふ笹団子をし
 松之山温泉凌雲閣は木造三階建ての、大正期のシックな建物であったが、地震でどうなったか。六月にはようやく雪が消えて、ずくなしの花盛り、鷲が飛んで行く。
田を植えて松の山なむずくなしのしげみ門に夏は問ひ越せ

吾妹子が松之山なむ行く水の清きに入らむ遠き越路を
 信州へ入ると水が澄む、いや差し向かい清津川も中津川も清流、箕作の村から奥志賀へ、壮大な山並みに、萱の原などいうところあって、冬スキー客はリフトで登る。
明月に姥も泣くかや奥志賀の行けばやい行け萱の原まで

秋山の夏なほ霧らひしかすがに平家の郷は人知れずこそ
 秋山郷は平家の落人部落で、長野県と新潟県に股がる、けわしい道を辿る、秋山といわれるだけあって名にしおう紅葉、峰には雪が降って彩り染める、いやもう世界一。
わさび田を越え別け行けば屋敷なむ平家の軒を今夕望月

杉原の仙見の川に橋かけて鳴き止まずけむ山ほととぎす
 仙見川は早出川の支流、夢のような清流で、やまめがいっぱい、てんぐちょうの群れ、ほととぎすが何十となく鳴く、こんなん見たことないといって、三年たって行くと開発だ、もうただの川。
杉原の仙見の川に橋かけてなんに鳴き止む山ほととぎす

六十我が尋ね行きたや海の底山のはてなむ雪豹の道
 弟子に達者なのがいて、シュノーケルをつけて潜って、ふうっと吹いて水を抜いて、と教えて貰って、ふうっと吹いたらまだ水の中、どばっと飲んでふりもがいて、貝で足を切った、せっかく海底散歩は諦め。終戦は小学校三年だったな。
人みなの早に忘れてカンナの花やこは敗戦の東久爾内閣

年のへはならぬ梅さへけだしもや母がつとめのこは土用干し
 白梅はいい梅がなって、紅梅は花はいいんだけど、でっかい上に種もでっかく。梅を取るのは大嫌い、なんせ薔薇科のいばら、傷をつけたらもうだめだし、ぶうぶう云って毎年取らされ。
茂み井に廻らふ月をくまなしや土用干しせん梅があたりに

朴柏土用にあらむ日照りつつなんにおのれが歯痛み暮らし
 朴の皮を煎じて飲むと虫歯にならぬ、茄子のへたの炭でみがくといいと云い、それすると歯医者が倒産するでとか、なーんか半分ほんとうのような。
炎天下立ちん棒せる厚化粧たしかに夕は見附の祭り

しかすがに霧らひも行くか米山の蒲原田井を見れど飽かぬかも
 村ごとに米山薬師があって、わしらが村のはお寺が引き取って祀った。大きなもみの木があって、春の大風に田んぼに倒れ込み、舟つなぎの木という、蒲原平野は弥彦のあたりまで湿地だった。
刈谷田の守門がなへの小百合なす見ししや君が忘らへぬかも
守門なる笹廻小百合のゆりあへの人の姿にあどもへにけり

平家らが落ち人となむ剃髪せりし汝がみまかりし夏
 わしんとこで立職第一号は秋山郷出身で、彼の結婚式をすっぽかした形になって、謝りに行こうと思っていたら、死んでしまった、一生悔いが残る。ノルディックの国体手だった。
しましくは会へずもなりてみまかりし汝に回向の槿花一輪

のさばるは夏の烏か三千坊悲鳴を上げたる五助のばあさ
 五十嵐小文治は皇室よりも古いと云われる、こっちが即ち表日本であった、下田三千坊はなんの遺物も跡形もない、鏡が一枚出たという、それを持って朝鮮に赴任した校長さんとも、行方不明。
のさばるは夏の烏か三千坊鏡一枚いずこへ失せし

夏の日はなんに淋しえ米山の蒲原田井をかなかなの鳴く
 どこもかしこも嫁ひでり、かと思うと婿どんがじき出ちまったり、農家がいやだというより、人を受け入れる心が欠落、しばらくこりゃどうしようもないか。母子家庭にゼニやらんようにすりゃいいって、それもまあ一案。
夏の日はなんに苦しえいやひこの蒲原田辺をかなかなの鳴く

塚野目の人にも会へず降る雨の杉うら田井を夕凪わたる
 空手馬鹿の国際人がいて、それは優秀な男なんだが、じきミリタリーになる、ニュージーランドとオーストラリアに連れて行って貰った、かっぽれを釣ったりすてきな冒険だったが、蒲原平野に帰ってしばらくぼんやり。
笹川の流れに浮かぶほんだはらか寄りかく寄り年はふりにき

みるめ刈るしいや荒磯の波のむた別かれい行きし妹をかも思ほゆ
 空手の馬鹿が水中銃を手に泳ぐ、八方から魚がよって来るという、石鯛を持ってきた、でっかいのを抱えたらばかっと逃げられたといって、胸に傷。
柏崎寄せあふ波に暮れはてて沖つ見えむ烏賊釣り明かり

凄まじきものとや思へ番神の沖つ見えむ烏賊釣り明かり
 一定間隔に列なる烏賊釣り船の明かり、北海道まで続くらしい、風情なんてもんじゃなく、正に人類一種族の貪婪、食いつくす迄に滅びるかってやつ。
出船にはなんに鳴きあへかもめ鳥沖つ見えむ烏賊釣り明かり

夏の日は暮れじといえど松ケ崎入り泊てすらむ川面恋ほしき
 まんぼうの一尺に満たぬ子供が港いちめんに浮かぶ、そういえば卵の数が一番多いらしい、ちぬしか釣らんとうそぶいたら、さびきにいくらでもかかって、かまぼこの材料になる、けっこう食えるという。
夏の日は暮れじといえど柏崎行く川波がなんぞ恋ほしき

与板なるいくつ水門を越えてもや和島の郷は芦原がなへ
 塩入峠には良寛さんの歌碑がある、なんて書いてあるかようも読めん、塩が入って来るからと思ったら、井戸水に塩が入って塩の入り。温泉もあってまったりするほどきつい。
塩入りの牛追ひ人に我あらむつばくろ追ふて蒲原の郷
塩入りの牛追ひ人に我れあらむ与板の橋に夕を暮れなば

この夜さは寝やらずあるに萩を越え一つ舞ひ行く残んの蛍
 八月になってもぽつんと飛んで行く蛍、年だと思うのは暑さ、いやもうたまらんと35度40度近く、仕方なく人なみにお寺もエアコンの部屋を。
くだしくに雨は降るかやこの夕万ず虫ども寄せあふ如く

いみじくも暑き夏なへあしかびの待たなむものは雨の涼しさ
 熱暑とひでり続きに、山も砂漠、朴や楓の葉の大きいのから枯れ始める、どうなるかと思ったら雨が降った、天道人を殺さずとばあさが云った、じきに通用しなくなる。
十日町廻らひ行ける久しきに山尾の萩の風揺れわたる

名にしおふるひすいの里と聞き越せどしの降る雨を青海川波
 ひすいを盗掘してとっつかまった中学の先生とか、セクハラよりは格好いいか、フォッサマグナミュージアムに何十人案内して、新鉱物が発見されてまた行った、どかんと転がったひすいを、持ち上がるどころではなく。
橋立の金山掘りをとぶらへば久しき時ゆま葛生ひたる

いやひこの茂み田浦が百日紅四十路の夏も過ぎにけらしや
 さるすべりの木が、さして年もとらぬのに弱る、蟻が巣を作る、いや水はけが悪いからだといって、暑い夏が来たら花をつける、どか雪でめちゃんこになったのが盛り返した。
四十男が空ろ思ひを百日紅蝉の声のみあり通ひける

破間の八十氏川の川淀も浮かび寄せたるやませみの羽根
 浮きを流していわなを釣っていると、やませみがあっちへ行きこっちへ行き、夏の終わりをその尾羽根が漂う、どうしたのかな。
下関の十軒田井の外れにも木立どよもし蝉の鳴くなる