粛粛として天気清く、
哀哀として鴻雁飛ぶ、
草草として日西に傾き、
浙々として風衣を吹く。
漫々玄夜永く、
浩々白露滋し、
我れも亦此より去って、
寥々柴扉を掩はん。
粛粛として天気清く、哀哀として鴻雁飛ぶ、草草として日西に傾き、せき(さんずいに折)せきとして風衣を吹く。
秋のすっきり哀哀草草良寛の詩人たる面目躍如ですか。見るほうもすっきりかん。
漫々玄夜永く、浩々白露滋し、我れも亦此より去って、寥々柴扉をおお(俺のてへん)はん。
ここより去ってという、去っても去らずとも同じ様子がおかしい、幻住というんですか、真如これ。
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一路万木の裏、
千山杳霞の間、
秋に先って葉すでに落ち、
雨らずして巌常に暗し。
籠を持ちて木耳を采り、
瓶を携えて石泉を汲む、
迷路の子に非ざるよりは、
能く此の間に到る無けん。
一路万木の裏、千山杳霞の間、秋に先って葉すでに落ち、雨らずして巌常に暗し。
良寛無玄琴かくの如くにという、どうもこれたしかに山へ行くとこんなことあるな、一人できのこ取りに行くときは見知らぬ山だと迷わぬようにするのがたいへん、楽しいっていうときのこを取る楽しみと、林の森閑、一人っきりのなんだろうなよろずものみな。
籠を持ちて木耳を采り、瓶を携えて石泉を汲む、迷路の子に非ざるよりは、能く此の間に到る無けん。
とにかく飯を食ってたれかれ仲間があるってことですか、良寛の仲間というと子供らのほかにだれかいたんですか、書の仲間と仏の仲間と、そりゃとつぜんそういう仲間がいるにはいた、草花木石とたいして変わることもなし。
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玄冬十一月、
雨雪正に霏霏たり、
千山同じく一色、
万径人の行く稀なり。
昔遊総て夢と作り、
草門深く扉を掩ふ、
幾夜榾柮を焼き、
静に古人の詩を読む。
玄冬十一月、雨雪正に霏霏たり、千山同じく一色、万径人の行く稀なり。
冬になるんです、雨が雪にかわって霏霏として降る、千山いっしょく、どこもだれも通らない、まあこういったふうです。
昔遊総て夢と作り、草門深く扉をおお(俺のてへん)ふ、幾夜こつ(木に骨)とん(木に出)を焼き、静に古人の詩を読む。
こっとんはほだ、たきぎです、雪降ってまさにこんなふうです、一人っきりが壷中天地ですか、いいや天地そのものなんです、放逸にして不善をなすとはまったく別です、人間の強さを知るにいいです、文化とはこれです右往左往の流行じゃないです、わっはっはいまさら云うてもどうしようもないか。
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孤峰独宿の夜、
雨雪思ひ悄然たり、
玄猿山椒に響き、
冷氵閒潺湲を閉ざす。
窓前灯火凝り、
床頭硯水乾く、
徹夜耿として寝られず、
毫(ふで)を吹いて聊か篇を為す。
孤峰独宿の夜、雨雪思ひ悄然たり、玄猿山椒に響き、冷かん(燗のさんずい)潺湲を閉ざす。
孤峰頂上に一庵を結びですか、天下の人如何ともし難しとある、満員電車の中にあってもそりゃ同じです、どこで坐禅をすりゃもっとも端的好都合かっていう答えはおのれ自身です。雨まじり雪降って悄然、猿の鳴く山ですか、谷水は流れの音を閉ざす、雪溶けはどうどうでしょうがね。
窓前灯火凝り、床頭硯水乾く、徹夜こう(耳に火)として寝られず、毫(ふで)を吹いて聊か篇を為す。
あっはっは良寛の実存主義ですか、もっともピカソには空間がない、ただもう筆の穂先の跡が命です、良寛はちゃーんと両足で立って歩いています、良寛には跡継ぎがある、道は開けています、西欧実存主義はどんずまりの堕地獄です、もはや終わって久しく。
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日落ちて群動息み、
我れも亦柴扉を掩ふ、
蟋蟀声稍く幽かに、
草木色漸く衰ふ。
夜長うして数(しばしば)香を継ぎ、
肌寒うして更に衣を重ぬ、
勉めん哉同参の客、
光陰実に移り易し。 日落ちて群動息み、我れも亦柴扉をおお(俺のイでなくてへん)ふ、蟋蟀声ようや(のぎへんに肖)く幽かに、草木色漸く衰ふ。
日が落ちて夜になる、毎日のことながら思えばこれ大事件ですか、赤提灯に酒を飲みに行く、俺もそうだがおまえもそうでだからなどお茶を濁すか、テレビを見るか、一億総評論家にお宅にと、やたら犯罪に走る六十代と、世の中良寛独居を見直すにいいんですか、花や雲や鳥やけものと生活と上っ調子はないんです。
夜長うして数(しばしば)香を継ぎ、肌寒うして更に衣を重ぬ、勉めん哉同参の客、光陰実に移り易し。
一柱は4、50分、線香一本分です、ただもう坐るんです、悟り終わってようやく修行の緒に就くんです、悟跡の休けつを長長出ならしむ、良寛の生活の根幹です。
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冥冥たり茫種の節、
衲衣冷ややかにして乾かず、
軒は蓬蒿の没するに任せ、
牆は藤蘿の穿つに従う。
口有れども宛たかも椎の如く、
心無うして長く門を閉ず、
終日堵を環らすの室、
孤坐して思い翛然。
冥冥たり茫種の節、のう(衣へんに内)衣冷ややかにして乾かず、軒は蓬こう(くさかんむりに高)の没するに任せ、かき(状の犬を薔のくさかんむりなし)は藤ら(羅の四ではなくくさかんむり)の穿つに従う。
冥はどんより暗いんですか茫種は六月です、衣を干しても乾かず、軒は草ぼうぼう、垣根には藤やかつらが跋扈する。そりゃ山ん中は絶えず戦んと自然に負けてしまうです、お寺だって山寺は忙しない思いをする。良寛みたいにあんまり喜んでもいられんなあ。
口有れども宛たかも椎の如く、心無うして長く門を閉ず、終日堵を環らすの室、孤坐して思いしょう(ぎょうにんべんに又に羽)然。
椎のように押し黙って、無心というより心を使わずですか門を閉ざす、あっはっはどうしようもないんですな、堵は方一丈を板とし五板を堵とするとある、部屋のすがたです、坐って破れ法会、破家散家という、坐るに仏に出会わぬ人はどうしても纏め上げるんです、自ら運んでよきものを得る、そうじゃないんです、ぶっこわれ投げ与える方向です、どうにもこうにも千変万化のまんまついに用なしですよ。
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昨日城市に出でて、
乞食す西又東、
肩痩せて嚢の重きを覚え、
単衣霜の濃きを知る。
旧友何処へか去れる、
新知相逢ふ少なし、
行きて行楽の地に到れば、
松柏悲風多し。
昨日城市に出でて、乞食す西又東、肩痩せて嚢の重きを覚え、単衣霜の濃きを知る。
ご城下へ出て托鉢する、乞食こつじきと読む、西へ東へ、肩は痩せて嚢鉢重く、墨染めに霜がずっしり来る。若いたって米托鉢はどえらく重くって参ったが、どだい托鉢乞食は重労働だった、二時間もするとやけくたびれ、一村始めると一軒残さずというのがきまり。
旧友何処へか去れる、新知相逢ふ少なし、行きて行楽の地に到れば、松柏悲風多し。
年寄るに従いだれかれ死に別れ、新しい人に出会うのが疎ましくなる、そりゃ良寛だろうがだれあって同じですか、仲間うち同じに年老いて、松柏悲風多し、いいやつから先に死ぬ、非法相次ぐ一人ぼっち。自分という形影相見るが如く、死んだのちの自分のようにものみな一切です、これを知りかれを知る、しかも淋しいんです、月山でミイラになりますかあっはっは。
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昨日城市に出でて、
乞食す西又東、
力極まって道の永きを覚え、
肩は痩せて嚢の重きを知る。
疇昔の黄金の屋は、
今蓬蒿に任す、
行きて行楽の地に到れば、
松柏晩風に叫ぶ。
昨日城市に出でて、乞食す西又東、力極まって道の永きを覚え、肩は痩せて嚢の重きを知る。
昨日街へ出て西に東に托鉢して歩く、踏ん張りもきかずやけくたびれて、行鉢がずっしりと重かった。一斗入る行鉢を二つ背負ってというのが屈強の雲水のならわしだったが、そりゃどだい米一斗でいいかげんよろける、ゼニだけ繰れりゃありがたいってそうもいかない、わっはっは道っぱてで立ち往生しちまったこともあったな。
ちゅう(躊の足ではなく田)昔の黄金の屋は、今蓬こう(くさかんむりに高)に任す、行きて行楽の地に到れば、松柏晩風に叫ぶ。
ちゅう昔むかし黄金の屋立派な家屋敷ですか、良寛の因縁といえば家柄からして数あるわけだが、良寛のあとは弟が継いだんですか、わしはうろ覚え又聞きでわからんです、今は草ぼうぼうになっている、行楽の地とはかつてみなして遊び楽しんだんですか、松柏晩風に叫ぶとは、ぞっとまあ効果的です、良寛音楽なかなかのものです、いたずらな風景ではなく乞食して行く本来心、実に足音が響くんです。
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春風稍和調、
錫を鳴らして東城に入る、
青青たり園中の柳、
泛々たり池上の萍
鉢には香る千家の飯、
心には擲つ万乗の栄、
古仏の跡を追慕して、
次第に乞食して行く。
春風やや(梢ののぎへん)和調、錫を鳴らして東城に入る、青青たり園中の柳、へん(さんずいに乏)へんたり池上のひょう(くさかんむりにさんずいに平)
春風に和するにはまだ少しばかりっていうんですか、錫を鳴らして鈴を振るんですか錫杖を突くんですか、托鉢行です、城下の東に入る、柳は青々として、池にはうきぐさがただよいつく。
鉢には香る千家の飯、心には擲つ万乗の栄、古仏の跡を追慕して、次第に乞食して行く。
米も銭も千家の香りですか、心はたった一つです、たった一つは自らを知らず、栄誉という衣は着ない、古仏の跡を追慕して一人托鉢して歩く、らしいものだからおれはと顧みない時如何、独立独歩とはすなわち知らず。
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天気稍和調、
錫を鳴らして東城に入る、
青青たり園中の柳、
泛々たり池上の萍
鉢は香る摩詰の飯、
意は擲つ難陀の栄、
事に従ふ迦葉の跡、
遅遅として乞食して行く。
天気やや(梢ののぎへん)和調、錫を鳴らして東城に入る、青青たり園中の柳、へん(さんずいに乏)へんたり池上のぼう(くさかんむりにさんずい平)
ぼうは浮き草
鉢は香る摩詰の飯、意は擲つ難陀の栄、事に従ふ迦葉の跡、遅遅として乞食して行く。
摩詰はお釈迦さまの弟子、居士であったか道にいそしむ人のはしくれの心つもりですか喫茶喫飯これ、お経は阿難尊者とわしはとってもそんな博識大知識じゃないけれども、迦葉尊者の末裔だというんです、仏弟子で迦葉の跡を慕わぬものなし、大迦葉われらすべての第一座です、のこのこ乞食して行くんです、まずもってわしはなんにもならずの、そうさなあただのあほ。
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天気稍和調、
錫を飛ばして春遊を作す、
渓氵閒水涓々、
山林鳥啾々たり。
或いは僧侶に伴って行き、
復た友人に投じて休す、
生涯何に似る所ぞ、
汎たる彼の繋がざる舟。
天気やや(梢ののぎへん)和調、錫を飛ばして春遊を作す、渓かん(潤の王でなく月)水けん(絹のさんずい)けん、山林鳥しゅう(口に秋)たり。
天気はまず穏やかにして、錫杖を飛ばして春にたわむれ遊ぶ、谷間の水せんかん、山林に鳥はさえずりやまず。
或いは僧侶に伴って行き、復た友人に投じて休す、生涯何に似る所ぞ、汎たる彼の繋がざる舟。
坊主のあとについて行ったり、友人に出会って話し込んだり、わしの生涯はだれにも似ず、もやい綱を解かれた舟にょうに大海を漂う。
糸の切れた凧のように托鉢してついには明の国まで行こうとした良寛、人に似せて生活するのを世間という、似せるものなきを出世間という、ハーイまったくそりゃそのとおりです。
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維(これ)時八月の朔、
托鉢して市廓に入る、
千門平旦に開き、
万戸炊煙斜めなり。
宿雨道路を淨め、
秋風金環を揺かす、
遅遅として食を乞ひ行けば、
法界廓として無辺。
維(これ)時八月の朔、托鉢して市廓に入る、千門平旦に開き、万戸炊煙斜めなり。
八月の一日托鉢して街路に行く、家並みは夜明けを向かえ、戸戸炊事の煙が上がる。
宿雨道路を淨め、秋風金環を揺かす、遅遅として食を乞ひ行けば、法界廓として無辺。
夜来の雨が路を淨め、秋風に垣根が揺れる、一戸あて托鉢して行くと、ものみな廓然としてはてなし。
自分というものなくてものみなあるんです、ただこれこれ。金環は植え込み門扉の様子ですか、廓然無聖不識これ。
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晨朝杖錫を持し、
乞食して市鄽に入る、
市鄽疇昔に非ず、
池台半ば変遷。
面は払う霜夜の風、
嚢は重し老夫の肩、
行きて旧遊の地を過ぐれば、
松柏寒煙に閉ず。
しん(日に辰)朝杖錫を持し、乞食して市てん(廓の中のへんを墨)に入る、市てんちゅう(田に寿)昔に非ず、池台半ば変遷。
朝っぱらから錫杖をついて街に托鉢する、街は昔のようではなかった、池の辺が様変わりする。
面は払う霜夜の風、嚢は重し老夫の肩、行きて旧遊の地を過ぐれば、松柏寒煙に閉ず。
夜来霜を置く、その風に面つき涼しいんですか、行鉢は老いた肩に重く、むかし遊ぶ地を行けば、松に柏に寒いもやに閉ざす。
年置いた感慨がしみじみ出ています、現つです、現を抜かして甘い夢をむさぼればなをまた無惨ですか、はーい。
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終日乞食し罷る、
帰り来たって蓬扉を掩ふ、
炉には葉を帯ぶる柴を焼いて、
静に寒山詩を読む。
西風微雨を吹き、
颯々として茅茨に灑ぐ、
時に隻脚を伸ばして臥し、
何をか思い又何をか疑わん。
終日乞食し罷る、帰り来たって蓬扉をおお(俺のイでなくてへん)ふ、炉には葉を帯ぶる柴を焼いて、静に寒山詩を読む。
一日托鉢して、帰ってきて貧乏屋敷の戸を閉める、葉っぱのついた柴を焚いて、一人寒山詩を読む、寒山拾得二人交歓し山の上の岩に詩を書く。
西風微雨を吹き、颯々として茅茨にそそ(さんずいに麗)ぐ、時に隻脚を伸ばして臥し、何をか思い又何をか疑わん。
のっこり足を伸ばして寝て、何を思うこともなく何を疑うこともなし、浮世のこと知れるに悲しい、淋しいばかりですか、出家世捨て人自ら進んでということはなく、ただ凝れどうしようもこうしようもないんです、そうしてもって思うなく疑うなく手足等閑です、よろしくよく良寛に出会うて下さい。
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荒村に乞食し了って、
帰り来る緑岩の辺り、
夕陽西峰に隠れ、
淡月前川を照らす。
足を洗って石上に上り、
香を焚いて此に禅に安んず、
我れ又僧伽子、
豈空しく流年を渡らんや。
荒村に乞食し了って、帰り来る緑岩の辺り、夕陽西峰に隠れ、淡月前川を照らす。
貧乏村を托鉢しおわって、緑岩の辺に帰り来る、夕日は西の山の峰に隠れ、淡い月が前の川を照らす。
足を洗って石上に上り、香を焚いて此に禅に安んず、我れ又僧伽子、あに(山に豆)空しく流年を渡らんや。
足を洗って岩の上に坐す、おれも僧の仲間だ、一生不離叢林です、空しく歳月を費やすべからず、一人きりの良寛世の中仏の世界の一員です、一寸の光陰空しく渡らず、世間人のいう孤独だの自由だのいうただこれお茶を濁すだけの、なんのいわれもないです、妄想まるけの見るも無惨です、脱するチャンスあれば無為にせずと、一生に一度もないんです。
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終日煙村を望み、
展転乞食して之く、
日は落ちて山路遠く、
烈風髭を絶たんと欲す。
衲衣半ば烟の如く、
木鉢古りて更に奇なり、
未だ厭ず飢寒の苦、
古来多く斯くの如し。
終日煙村を望み、展転乞食して之く、日は落ちて山路遠く、烈風髭を絶たんと欲す。
一日中村村を廻るんですか、遠鉢といってこれがまあしんどいことは、日は落ちて山の中、おまけにひげをむしるような強風です、あっはっは泣きっ面。
のう(ころもへんに内)衣半ばけむり(火に因)の如く、木鉢古りて更に奇なり、未だいとは(がんだれに口月犬)ず飢寒の苦、古来多く斯くの如し。
墨染めもおんぼろぼうぼうですか、鉢の子お釈迦さまの頭蓋をかたどったという応量器です、禿ちょろけてようもわからんふう、空威張りして未だいとわず飢えと寒さとというわけです、あっはっはどうもこうもならんで古来多くかくの如しと云っているわけです。たいして托鉢もしないわしのようなんでも身に覚えがあります、今はだが禅宗滅んで托鉢はそういう商売があるっきりです、仏道というたった一つの光明がふっ消える。
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托鉢して此の地に来たる、
涼秋八月の夜、
園疎にして栗刺見れ、
天寒うして蝉声収まる。
我が性嗜なむ所無く、
起坐思ひ悠々たり、
八軸の法華経、
巻叙す胡床の辺り。
托鉢して此の地に来たる、涼秋八月の夜、園疎にして栗刺見れ、天寒うして蝉声収まる。
托鉢してここへやって来たというのです、五合庵に帰りついてもそりゃ同じです、涼秋八月の夜、もう九月になったんですか、お粗末な庭園には栗のいがが見え、天上はもう寒くなって蝉の声が止む。
我が性嗜なむ所無く、起坐思ひ悠々たり、八軸の法華経、巻叙す胡床の辺り。
我が性たしなむところなくは、坐っていてかすっともかすらないんです、他の詩人文人等には真似のできないところです、良寛音楽栗のいがであり蝉の声であり、天地はるかに通達する、趣向あり思想ありではわだかまる、起坐思い悠々たりとは、自分を観察しないんです、観察しようとする自分がないんです、仏仏に単伝して邪まなきときは自受用三昧これを標準とすと、古来これのできるものな何人もいなかったです、よくよく看るがいいです。
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孟夏芒種の節、
錫を杖いて独り往還す、
野老忽ち我れを見、
我れを率いて共に歓を成す。
芦蕟聊か席を為し、
桐葉以て盤に充つ、
野酌数行の後、
陶然畦を枕として眠る。
孟夏ぼう(くさかんむりに亡)種の節、錫を杖いて独り往還す、野老忽ち我れを見、我れを率いて共に歓を成す。
初夏六月のころですとさ、錫杖をついて一人往還す、野老百姓じっさが見て、来いよと引っ張って行く、歓談しばしですか。
芦はい(くさかんむりに発)聊か席を為し、桐葉以て盤に充つ、野酌数行の後、陶然畦を枕として眠る。
六月になりゃ蚊もぶよも食うんだけどな、あしのむしろを敷いて、桐の葉っぱを皿にして、のっぱらに酒を酌み交わす、陶然酔っ払って畦を枕に眠ったというのです。良寛と酔っ払うとは百万人のうちたった一人、なんという幸せか。そうは思わんですか、もっとも今様の人良寛の噂を知って良寛を知らず、ただこれ贔屓の引き倒しですか。
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誰が家か飯を喫せざらん、
何為れぞ自ら知らざる、
伊(ただ)余此の語を出す、
時人皆相わら嗤ふ。
爾(なんじ)も与(とも)に我が語を嗤ふ、
如かず退いて之を思はんには、
之を思ひて若し休まずんば、
必ず嗤ふべき時有らん。
誰が家か飯を喫せざらん、何為れぞ自ら知らざる、伊(ただ)余此の語を出す、時人皆相わら(口に山虫)ふ。
どこの家の飯食ったか食わなかったかそんなこと知らんというのです、出されりゃ食って出されなきゃ食わんだけのこと、ただもうそれだけって云うと、人みなあざ笑う。坊主のありようただこれだけ。飯なきゃ死ぬっきりです。
爾(なんじ)も与(とも)に我が語をわら(口に山虫)ふ、如かず退いて之を思はんには、之を思ひて若し休まずんば、必ずわら(口に山虫)ふべき時有らん。
なんだお前も笑うではないか、なーるほど一歩さがって思うには、思いかえりみてなをも止まずは、そりゃ必ず大笑いする時あらんと、あっはっは面白いっちゃ面白いけんども、なにが面白いのかなんで笑うのかじき忘れちまう。奇妙きてれつですか、どだい托鉢乞食して歩く、わっはっはものみな一切笑うべきってさ。
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古仏の経を持すと雖も、
祖師の禅に参ずるに懶し、
衣は実に風霜に朽ち、
食はわずかに路辺に乞ふ。
月に対しては月を詠じ、
雲を看てはここに還るを忘る、
一たび法舎を出でしより、
錯って箇の風顛と為る。
古仏の経を持すと雖も、祖師の禅に参ずるにものう(りっしんべんに頼)し、衣は実に風霜に朽ち、食はわずかに路辺に乞ふ。
古仏の経はお釈迦さんや道元禅師の言葉です、これは持っているけれども祖師の禅に参ずるにものうし、ここまでくりゃたいしたもんです、中途半端じゃ反対こと云います、お経は知らんけれども仏祖の禅に参ずると、どうですかよくよく看てとって下さい。参じ尽きてただこれまったくの禅ですか、しかも日々新たにというなーんにもなしです、お経はあるいは涙を流すに足るんです、良寛これ良寛、道元禅師以来わずかに数人ですか、仏仏に単伝してよこしまなき時は自受用三昧これを標準とすと、うまく行く行かないのからをすっかり落として下さい、これっこっきり百千万劫です。衣は実に風霜に朽ち、食はわずかに路辺に乞うと、生活のしがらみなきにしくはなし、まったくんさようやくにして気が付くとは情けなや、一箇まさにあるだけで十二分からです、いらんものはみんな捨てちまうんですよ、でもまっさきに自分この身心を捨てるんです。
月に対しては月を詠じ、雲を看てはここに還るを忘る、一たび法舎を出でしより、錯って箇の風顛と為る。
まったく文字通りこう暮らしているんです、物の見事としか云いようがない。わっはっは爪の垢を煎じて飲みますか、行く行くは我れも良寛ですか、いいえ良寛のほかにだれあって行き着くところはないんです。
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本色は行脚の僧、
豈悠々として存すべけんや、
瓶を携えて本師を辞し、
特特として郷州を出ず。
朝に孤峰の頂を極め、
暮れに玄海の流を絶つ、
一言若し契はずんば、
此生誓うて休せず。
本色は行脚の僧、あに(山のしたに豆)悠々として存すべけんや、瓶を携えて本師を辞し、特特として郷州を出ず。
本職でいいんですか本来は行脚の僧です、悠々としてなんかいられない、瓶は清瓶といって中国雲水の持ち物、口や手を注ぐ水が入っている、我が国にあっては不用ですか、清瓶を携えてが行脚の本筋ってことです、本師は出雲崎光照寺玄乗破了和尚、玉島円通寺国仙和尚の化縁に会い、郷里をあとにする。まさに不惜身命の修行であったこと、いくつかの事例が記されている、さぼっていりゃわしみたいに遅くなるばっかりです、命を預けることこれ。
朝に孤峰の頂を極め、暮れに玄海の流を絶つ、一言若し契はずんば、此生誓うて休せず。
孤峰頂上に一庵を結びと、天下の納子の舌頭を断ずと、仕上がった人を送り出す語です、唯一人です、だからどうのの卒業論文じゃないんです、比較を絶することこれ。一言若し契はずんばとは、自らに聞けということです、ちらとも未だしあればそれは未だしです、是とするまでは今生休もうったって休むわけにゃいかんです、どかんと大ひまが開いてはーいそれ以後を参禅というんです。
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宇内其の人有り、
永劫阿誰か難ぜん、
堂に升って面を見ず、
人を雇うて言語伝う。
空を拈じて山壑となし、
石を畳んで波潤と作す、
時有って康衢に出で、
手を伸ばして一銭を乞ふ。
宇内其の人有り、永劫阿誰か難ぜん、堂に升って面を見ず、人を雇うて言語伝う。
天下宇宙に一箇ありははーいあなたもそうです、もと生まれ着いていえ生まれる以前からまさしくっていうのに、気がつかない、仏に会いながら仏を見ず、如来来る如しを自ら判断せず、人を雇うて言語伝うと、噂の話をして良寛はこうだだからどうだという、どうしようもこうしようもない罰当たりですか、おとといおいで。
空をねん(てへんに占)じて山がく(叡に土)となし、石を畳んで波潤と作す、時有って康か(行のあいだに嬰の女ではなくふるどり)に出で、手を伸ばして一銭を乞ふ。
言語ではなく実際にやってみりゃ面白いです、空が山岳になり波が石畳ですあっはっは、でもって一時街中へ出て銭を乞う、面白いです、サルトルとかニイチェとかだれかれ夢にも見ぬ現実です。
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孤拙と疎傭と、
我れは出世の機に非ず、
一鉢到る処に携へ、
布嚢也相宜し。
時に寺門の側らに来たり、
偶たま児童と期す、
生涯何の似る処ぞ、
謄謄且らく時を過ごす。
孤拙と疎傭と、我れは出世の機に非ず、一鉢到る処に携へ、布嚢也相宜し。
一人きりですか、自分の判断をのみ尊重するんですか、あるいはどうしようもなく一人花開くんです、生まれつき疎遠です、天才性能というそりゃ生き残るための必死の努力ですが、疎傭ものうしと、世の中ついに出外れてあっはっは云うことなし、我れは出世の機に非ず、虎を描いて猫にもならず、元の木阿弥栄蔵生と、いつんころからこう自覚するんですか、人また一鉢携えて至る所にという、他まったくなしを知る、布嚢とこれっきり。
時に寺門の側らに来たり、偶たま児童と期す、生涯何の似る処ぞ、謄謄且らく時を過ごす。
世界に冠たる良寛禅師、乞食坊主がなすことがきどもと現を抜かす、生涯誰にも似ず、ゆにーくなことは天上天下唯我独尊、ぬーっと棒杭のように現れて、まったく他なしは哲学も思想も宗教もいいことしいもなーんにもなし、これぞただの人。破れ衣万歳です、人類史すなわち良寛です、わしはそう云ってはばからんです、なあ一休さん。
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荏苒歳云(ここ)に暮れ、
昊粛霜を降らす、
千山木葉落ち、
万径人の行く少なし。
永夜乾葉を焼き、
時に風雨の声を聴く、
首を回らして往事を憶へば、
都べて是れ夢一場。
じん(くさかんむりに任)せん(くさかんむりに丹)歳云(ここ)に暮れ、こう(日に天)粛霜を降らす、千山木葉落ち、万径人の行く少なし。
じんせん歳月の長引くさまですとさ、ようやくここに年は暮れ、天空は霜を降らす、千山枯れ落ちて、万径人の行く少なし。
永夜乾葉を焼き、時に風雨の声を聴く、首を回らして往事を憶へば、都べて是れ夢一場。
焚くほどは風がもてくる落ち葉かなですか、乾いた葉っぱを燃やして暖を取る、そりゃ夜は永いですか、時に風雨の声を聴く、思んみるに往事一場の夢、ほとんどまったく思い出さないんです、いえ良寛は真正直のやることはたしかにやって来たんでしょう、わしはひとりよがりはた迷惑ばっかりで、ついでなんにも思い起こさないんです、棺桶に入ってすっからかん、ははきぎに影というものなかりけりってねわっはっは、月に詠じて雲に忘我することは、一瞬一草命なんです、100%生きることはあるいは死ぬることと同じ。
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行きて山下の路に到る、
古墓何ぞ累累たる、
松柏千年の外、
竟日悲風吹く。
姓名漸く摩滅し、
自孫亦誰とか為す、
鳴咽して道ふ能はず、
策を杖いて復た帰り来る。
行きて山下の路に到る、古墓何ぞ累累たる、松柏千年の外、竟日悲風吹く。
山の辺りの路を行くと古い墓が沢山、松柏千年の外どうやら良寛の決まり文句ですか、松柏に悲風吹くのがぴったりです、音楽を奏でるには適材適所の音が必要ですか、墓はいい石を使えば100年200年はもつか、松はせいぜい100年ですか、どっちがどっちったって松柏千年の外ってのが似合ってます、禅語にある庭前の柏樹というのは松に近い種類らしいです、松柏と使う因縁をどうぞ興味ある人は調べて下さい。
姓名漸く摩滅し、自孫亦誰とか為す、鳴咽して道ふ能はず、策を杖いて復た帰り来る。
みっともねーから樹木葬にしろとか、千の風の歌とかうっふっふさまざまあるんですか、死を悲しみ弔うことは何が故に、せっかくの縁をついに得ずして行くがゆえにですか、却来して世間を観ずれば猶夢中の事の如し、これ年回回向ですが、なんにもなくなってものみな人事を見るとまさにこんなふうです、生きながら死ぬること、悲痛も空しさも別段のこれ現実ですか、ない自分を知るという不可思議劫です。
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我れ此の地に来たってより、
将来時を記さず、
荒蕪人の払ふ無く、
鉢嚢即ち塵に委す。
孤灯空壁を照らし、
夜雨間扉にそそ(さんずいに麗)ぐ、
万事共に己みぬ、
吁嗟又何をか期せん。
我れ此の地に来たってより、将来時を記さず、荒蕪人の払ふ無く、鉢嚢即ち塵に委す。
ここへ来てからというもの、将来のことなんか考えたこともない、そこらじゅう荒れはてたまんまに人為のなすことなし、すなわち鉢嚢、衣食の道具もほこりまみれのまんま。
孤灯空壁を照らし、夜雨間扉にそそ(さんずいに麗)ぐ、万事共に己みぬ、ああ(口干と口差)又何をか期せん。
ただ一つの灯火が空壁、棚もなんにもない壁を照らし、夜雨が戸をたたく、万事共にやむ、すべて終わってるんです、自分やめばものみなやむ、嘆息してああ何をか期せん、なすべきことすら思い付かぬ、それでどうかというに、取り立てて云うべきこともないんです、春は花夏ほととぎす秋もみじ冬雪ふりて涼しかりけると、心月輪です、心境とか境涯というものなし、もし師家迷悟中の人のいう良寛あれば、いっぱいにふたがって去来の自由がない、人でなしです。悟りある人不都合、将来を期す人不具合です、気力横溢もまったく未だ到らず。よくよく看て取って下さい、おんぼろけなげやりの良寛なんてない、立ち居振る舞い実にきしんとした人でした。孤独の杜撰など微塵もないです、一生不離叢林です。
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怜れむ可し美少年、
袖姿何ぞ雍容たる、
手に白玉の鞭を把りて、
馬を馳す垂や楊の中。
楼上の誰か家の女ぞ、
筝を鳴らして綺窓に当たる、
遙に見る紅塵を飛ばして、
聯翩として新豊に向うを。
怜れむ可し美少年、袖姿何ぞよう(甕の瓦なし)容たる、手に白玉の鞭を把りて、馬を馳す垂や楊の中。
かわいいですなあ美少年さま、優美に袖を通して、手には白玉の鞭をとって馬をやる、やなぎのしだれる道を。
楼上の誰か家の女ぞ、筝を鳴らして綺窓に当たる、遙に見る紅塵を飛ばして、聯ぺん(扁に羽)として新豊に向うを。
楼の女が筝を奏でて窓辺に寄る、とやこう馳走して女どもの巷を、新豊という中国の港ですか、これにひっかけてはるかに賑わいの地を目指すってこと。李白の真似でもしたかな、良寛もかつて美少年であったかようもわからん、でもたいていもてないほどの男道を求めるにつけても中途半端ですかわっはっは。
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尋思す少年の日、
知らず吁嗟ありしを、
好んで黄鵞の衫を著、
能く白鼻の騧に騎る。
朝に新豊の酒を買い、
暮れに杜陵の花を看る、
帰来知りぬ何の処ぞ、
直きに指さす莫愁の家。
尋思す少年の日、知らずう(口に干)さ(口に差)ありしを、好んで黄鵞のさん(杉の木でなく衣へん)を著、能く白鼻のか(馬に過のしんにゅうなし)に騎る。
少年のころを思い出す、なんかやっぱりうさがあったんだなというんです、嘆くこと悲しむことですか、黄鵞のさんってのどんな着物かようもわからん、庄屋の昼行灯なりに洒落のめしていたんですか、白鼻の浅黄色の馬に騎るという、これも相当に派手みたいわっはっは、貧乏人一般庶民には無理ですか。
朝に新豊の酒を買い、暮れに杜陵の花を看る、帰来知りぬ何の処ぞ、直きに指さす莫愁の家。
新豊という中国の港ですか、新しい酒ですか、暮れに杜陵ってにはよくわからんな女たちのたむろするところですか、ゼニもあったしもてもしたろうからうろついて、どうもだけど良寛歌は童貞性を思うんです、見るだけってやつ却って女のほうがたいへんかも、帰るところを知らぬ、青春はかなく悲しいなにものか、莫愁という歌謡に秀でた女が中国南京にいたそうの、詩人として新豊だの莫愁だのあげつらって、実際をぼやかすんですかより透明に尖鋭に思い起こすんですか。
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金羅の遊侠子、
志気何ぞ揚々たる、
馬を維ぐ垂楊の下、
客と結ぶ少年の場。
一朝千金尽き、
轗軻たれか復た傷まん、
帰り来たって旧閭を問へば、
歳寒うして四壁荒れたり。
金羅の遊侠子、志気何ぞ揚々たる、馬を維ぐ垂楊の下、客と結ぶ少年の場。
金羅馬のおもがいですかたずなですか、それとも己の衣装ですか、遊侠の人にして何ぞ志気揚々たる、どう転んでもただの遊び人てわけには行かなかったんでしょう、そりゃ面白おかしくってことはあってもどこかにお釣りが来る、どだい間が抜けているんだな平衡感覚を欠く、少年の場というなにがしか、ついには生涯の友達なし、仏というたったひとりぼっちを得る、いえさなんの物言いもなし、悠々詩を作るんですかあっはっはあほくさってな。
一朝千金尽き、かん(車に感)か(車に可)たれか復た傷まん、帰り来たって旧りょ(門に呂)を問へば、歳寒うして四壁荒れたり。
春酔一刻値千金、ぜにも時も失せたんですか、かんかとは車行の利ならざる貌だとさ、死んだのもどうかなっちまったのもいる、だれかれおのれま傷んでいるひまもなく、帰り来て旧聞を問えばそりゃもうさっぱりの、破れはて荒れるにまかせ。今様経済発展もなつかしいものみな失われ。
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越女桂麗多し、
遊戯して城闉に出ず、
芬芳風に因って遠く、
紅粧日に映じて新たなり。
翆を拾って公子に貽り、
花を折って路人に調す、
怜れむ可し嬌艶の歳、
歌笑日に紛々。
1越女桂麗多し、遊戯して城いん(門に西土)に出ず、ふん(くさかんむりに分)芳風に因って遠く、紅粧日に映じて新たなり。
越しの国は美人が多い、戯れ遊んで町に繰り出す、よい香りが風にのって遠くまでも行く、べにやおしろいは日に映えて新しく。
翆を拾って公子におく(貝に台)り、花を折って路人に調す、怜れむ可し嬌艶の歳、歌笑日に紛々。
翆、みどりを拾ってというのは扇のことかあるいは柳の枝か、花を手折って路行く人に渡す、こりゃまあ遊女のお祭りなんかなようもわからん、いとしくも哀れな、歌と笑いに満ちる日。はーいはい托鉢良寛さん。
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燦燦たる娼家の女、
言笑一に何ぞ工なる、
遅日相喚呼し、
翺翔す緑水の車。
高歌人の心を蕩し、
顧歩好客を発す、
歳暮何の待つ所ぞ、
首を掻いて凄風に立つ。
燦燦たる娼家の女、言笑一に何ぞ工なる、遅日相喚呼し、こう(皇に羽)翔す緑水の車。
あざやかなり娼婦の家、言葉巧みに笑いたくみに、春の日をいざないさそう、得意げにしぶきを上げる水車の如く。
高歌人の心を蕩し、顧歩好客を発す、歳暮何の待つ所ぞ、首を掻いて凄風に立つ。
高い声に歌って人の心をとろかし、歩きながら顧みて好き心を起こさせる、歳暮何の待つ所ぞ、時と所を択ばないってことですか、首を掻いて凄風に立つ、愁いを含んで身をひさぐありさま、良寛のいい訳も囲いもない心にそのものずばりは、詩情や哀しさを通り抜ける風ですか。
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柳娘二八歳、
春山花を折りて帰る、
帰来己に夕、
疎雨燕支を湿す。
頭を回らして待つ有るが如く、
裳を褰げて歩むこと遅遅たり、
行人皆佇立し、
道ふ誰氏の児と。
柳娘二八歳、春山花を折りて帰る、帰来己に夕、疎雨燕支を湿す。
柳家の娘は十六歳、春の山に花を手折って帰る、帰ってきてもう夕方になる、しっとりと降る雨にべにの花が塗れ。
頭を回らして待つ有るが如く、裳をかか(寒のてんてんを衣)げて歩むこと遅遅たり、行人皆ちょ(イにうかんむりに丁)立し、道ふ誰氏の児と。
首をめぐらしてだれかを待つような、もすそをかかげて歩み遅く、人みなただずんでありゃあどこんちの子だと云う、いやもって巧みなる表現乃至は鮮烈ですか、柳には燕なと。
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人生浮世の間、
忽として陌上の塵の如し、
朝には少年子たり、
薄暮には霜鬢となる。
都べて心の了ぜざるが為に、
永劫枉げて苦辛す、
為に闘ふ三界子、
何を以てか玄津と為す。
人生浮世の間、忽としてはく(こざとへんに百)上の塵の如し、朝には少年子たり、薄暮には霜鬢となる。
浮世に生きる命ですか、はく上とは街路のこと、街路上の塵っぱ一つ、少年であったと思ったら白髪まじりの薄暮です、無老死亦無老死尽、なーんてことはないったって仕方ないんですか、足腰痛む屁の臭さわっはっは人生塵芥。マインカンプフしますか、いやさそれも一興難事いよいよ難。
都べて心の了ぜざるが為に、永劫ま(木に王)げて苦辛す、為に闘ふ三界子、何を以てか玄津と為す。
たとい千日回峰行も心の処置を知らなければ何回やっても元の木阿弥です、いたずらに難行苦行の世間知ですか、三界子たといなすこと反対なんですよ、求めて得よう掴もうとする、玄津という結果ありとしがみつくんです、そうではない手放し捨てるんです、元の木阿弥初めっからです、満足しようという別心なければ大満足です、あっはっは元の木阿弥満不満なし、はーいはい。
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五月清江の裏、
揺曳す木蘭の船、
素手紅蕖を弄す、
相映じて転た新鮮。
岸上遊治の子、
馬を馳す翆楊の傍、
目撃尚未だ語らず、
特池正に断腸。
五月清江の裏、揺曳す木蘭の船、素手紅きょ(くさかんむりに渠)を弄す、相映じて転た新鮮。
五月清江の水ですか、ゆらり船を曳く、木蘭の船ってどういうものかわからんだけどもさ、白い手が蓮の花を弄ぶ、一幅の名画の如しってなもんです。
岸上遊治の子、馬を馳す翆楊の傍、目撃尚未だ語らず、特池正に断腸。
遊治郎という遊び人ですか、遊子といったぐらいの文人雅人、柳のもとに馬を馳せる、一目見て語らず、ぐわーってなもんの断腸の思いですか、特池っての、この池を別してってほどのこったか。まあさそういう思いを足裏に隠して出家托鉢っての、あっはっは風情あるでよってわけでもないか。
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伊(これ)昔経過せし処、
独り往く此の頽顔、
池台皆零落し、
人事幾たびか変遷す。
山は海門に到って尽き、
潮は夕陽を帯びて還る、
浮沈千古の事、
錫を卓てて思い茫然。
伊(これ)昔経過せし処、独り往く此の頽顔、池台皆零落し、人事幾たびか変遷す。
ここは昔通ったところだ、独り行くこのまあ衰えた顔が、界隈みな零落して、人移り世は変る。
山は海門に到って尽き、潮は夕陽を帯びて還る、浮沈千古の事、錫を卓てて思い茫然。
浮世離れの良寛ですか、せこせこ流行に後れまいと停年まで来て、定年後もあくせくには個の感慨なし、個を抜きん出て天上天下吐く息吸う息、はーてさて錫をついてまた一歩きってのどうです、そりゃもうまったく別格のこたないです、しかもこれ唯我独尊事。
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行く行く朝野を経れば、
朝野旧時に似たり、
旧時の人を求めんと欲す、
即ち今能く幾々ぞ。
緇と素と道はず、
日夜険危に走る、
惜しむべし平坦の路、
唯草の離離たるあり。
行く行く朝野を経れば、朝野旧時に似たり、旧時の人を求めんと欲す、即ち今能く幾々ぞ。
朝野まあ野っぱらですかこの世ですか、見られる通りの世界を行く、むかしなじみを捜そうとすると、はあて幾人いることやら。
し(糸に留)と素と道はず、日夜険危に走る、惜しむべし平坦の路、唯草の離離たるあり。
しは黒く素は白く、僧俗を云いまた千差万別をいうんでしょう、だれから日夜危険に走る、ぜにもうけも名利も競争激突です、なにかしら綱渡りアクロバットですか、もと人の歩むところ平坦なはず、平坦を求め大安心を願いなおかつ危険に走る、でもって平坦の路がどうかといううと、ひとりよがりてんでばらばらですか、あるいは宗教思想の同じ羽の鳥、きちがいたぬきどもですかあほくさ。
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紛々物を逐ふ莫れ、
黙々宜しく口を守るべし、
飯は腸飢えて始めて喫し、
歯は夢覚めて後に叩け。
気をして常に内に盈たしめば、
外邪何ぞ慢りに受けん、
我れ白幽伝を詠み、
聊か養生の趣きを得たり。
紛々物を逐ふ莫れ、黙々宜しく口を守るべし、飯は腸飢えて始めて喫し、歯は夢覚めて後に叩け。
受験勉強じゃこの事遠くて遠し、先ずそのことを今の人知るによく、知識や意味を追う実智慧にあらず、死活問題はまったくべつです、黙々口を守って修行という引き算です、得ようとしているうちは多弁の役立たず、飽食してはなんにも入らんです、たとい正師の語もてめえの物差し、邪見の辺に照らし合わせて云々は、たわけた話です、夢が覚めてからぶったったけと、わっはっはでなきゃただもう恨まれるだけ、痴人に夢を説くなかれとはまあさそういうこと。
気をして常に内に盈たしめば、外邪何ぞ慢りに受けん、我れ白幽伝を詠み、聊か養生の趣きを得たり。
白幽は白隠の師という、飯山の正受庵ですか、たしかに飯食節あり、古来の風を守る、今に残って気をして乃至外邪を受けんと伺い知れます。飯山の正受庵とふ花をねんじ白隠さんにはなぜ伝はらず。聊か養生のおもむきを得たりと、他にひけらかすことなどなかった良寛です。
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借問す三界子、
何物か尤も幽奇たる、
端坐して諦らかに思惟せば、
思惟便宜を得ん。
紛々として随照を羅ね、
意を守って時を失うこと莫れ、
久久若し淳熟せば、
始めて相欺かざるを知らん。
借問す三界子、何物か尤も幽奇たる、端坐して諦らかに思惟せば、思惟便宜を得ん。
借りに問うというんです、三界子はみなさんですか、問うこと借りには地がいぬ、借りに花に問う、何物かもっとも幽奇たる、すばらしいか言い尽くせぬものであるか、はいわたくしとは答えないんです、強いて云えば知らないと答えるんです、端坐してつまびらかに思惟せば思惟すなわちこれ、知らないとは自分を見ないんです、見る自分がない、忘我の辺境にあって悟出し悟入するんです、幽かであって絶学無位のこれほどすばらしいことはないんです、無上道これ我。便宜とは答えです。
紛々として随照を羅ね、意を守って時を失うこと莫れ、久久若し淳熟せば、始めて相欺かざるを知らん。
紛々随照はヨーロッパの考え方はみなこれです、たとい内を観察しようが外から入ってきたものをああでもないこうでもないとあげつらう、犀利になればなおさら落ち着かない、我が意を得たりといいながら時を失し、じきに流行遅れですか、かんしけつこれ未消化うんちの出かかったまんまですか、他人咀嚼物を満遍なくひっかきまわすんですか、わっはっは悪臭紛々です。波旬に瓔珞を掛けてやるとそれが犬と猫と人間の死体になった、波旬苦しみもがいて外してくれという、十力の為すこと十力をもってしか外れぬと、乃至は仏に帰依するんです。てめえの首にかけるものかくの如くであったかとその醜悪はた迷惑に気がつくことまずこれ、気がつけばゆいには免れ得るんです。
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昨日は今日に異なり、
今晨は来晨に非ず、
心は前縁に随って移り、
縁は物と共に新なり。
過ちを知らば則ち速やかに改めよ、
執は則ち是れ真に非ず、
誰か能く枯株を守り、
直ちに霜鬢と為るを待たん。
昨日は今日に異なり、今しん(日に辰)は来しん(日に辰)に非ず、心は前縁に随って移り、縁は物と共に新なり。
昨日は今日とちがう、今朝は明日ではない、あっはっはまったく当たり前のことが、自分というよこしま我田引水によってあとさき引きずって、だってこうだからという意思による、拘泥という泥足どったらばたら。心があるからに起こるんです、心はないんです、自分で自分は見えない、心が心を見ること不可能、ゆえに無心です、何かありゃそれによって遷るだけです、そこによこしまなものあれば糞詰まって動きが取れないんです、何を云ってもさっぱり入って行かない最近の若い連中ですか、自分の意識思惟もうはやないはずのものでいっぱいです、飽食の人飯を喫する能はず、知るということが自分の物差しをあてがう、その延長上の問題です、そりゃもしや思考停止です、でもって頭がいいと云っている、学校の先生だの学者これです、日々新ということがない。生活がほんとうは行われていないんです。
過ちを知らば則ち速やかに改めよ、執は則ち是れ真に非ず、誰か能く枯株を守り、直ちに霜鬢と為るを待たん。
物とともに新たなり、胡来たらば胡現じ漢来たらば漢現ず、これ仏です、もとないものをよこしまにする、架空の債権を破るんです、なにがどうあらねばならない、修行のノウハウはこうだなどいうこと絶無です、ただまっすぐ直かです、わっはっはぶんなぐる以外に親切なくですか、朝打三千暮打八百と云われる所以です、でなくばあっというまにしょぼたれじじいですよ。
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今年は去年に非ず、
今時往事に異なり、
旧友何れの処にか去れる、
新地漸くすでに非なり。
況や揺落の晩に属し、
山川光輝を斂む、
到る処意に可ならず、
見るとして凄其たらざるなし。
今年は去年に非ず、今時往事に異なり、旧友何れの処にか去れる、新地漸くすでに非なり。
昨日は今日にあらず、今年は去年にあらず、今時往事に異なり、今の世めまぐるしく変わる、ついて行けなくなって心身症だの自殺だのホームレスだの、故郷喪失感がある、なつかしい里がない等等、でも花も雲も水も故郷です、我が釈迦牟尼仏の声と姿と、自分という取り得なしにものみな、大安心帰家穏坐ですか、満不満の埒外です、ものみな元からにまさにこうです。旧友何れの処にある、新知という出会いも次第に疎くなる、さみしいんですかあっはっはひとりぼっちの葬式、楓の若葉と花筏の花と、新知も旧友もたったこれですか、小鳥と鳴きあう一瞬ですか、そうさなあまあまあ。
況や揺落の晩に属し、山川光輝を斂む、到る処意に可ならず、見るとして凄其たらざるなし。
葉っぱの揺れ落ちる晩ですか、山川暮色悄然、そりゃもうもの淋しい秋の暮れ、年よりゃあ思い通ぜず、見るものすざましいそうなあまるっきりぞっとしないんです。二十世紀うつろひ行かな曼珠沙華年ふり人の思ひは行かず、ありゃまあ行が二つも入っちゃった。21世紀ももう何年もたってさ。
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妄と道へば一切妄、
真と道へば一切真、
真外皿に妄無く、
妄外別に真無し。
如何ぞ修道子、
只管真を求めんと欲する、
試みに求むる底の心を求むるに、
是れ妄か是れ真か。
妄と道へば一切妄、真と道へば一切真、真外皿に妄無く、妄外別に真無し。
悟るというんでしょう、妄と真を分け隔てすることがなくなるんですか、妄中に悟るあり真中に悟るあり、坐っていりゃ自ずから見る、会得するありという会得というなにものも残らないんです。君見ずや絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めずと。無無明亦無無明尽、これを知らぬ他の諸宗はいらんものはポアしろという、なれのはての共産党に至るまでまことに物騒はた迷惑です。
如何ぞ修道子、只管真を求めんと欲する、試みに求むる底の心を求むるに、是れ妄か是れ真か。
求めようとする底の心すなわち肝心要のものがもとないんです、心を求むるに不可得、我れ汝を救い得たりと、投げ出す捨てるほかない、するとものみな平らかに行くんです、これを知るなかんずく尽くし終わるほかないんですか、わっはっはどうにもこうにも。
提唱…提唱録、お経について説き、坐禅の方法を示し、また覚者=ただの人、羅漢さんの周辺を記述します。
法話…川上雪担老師が過去に掲示板等に投稿したもの。(主に平成15年9月くらいまでの投稿)
歌…歌は、人の姿をしています、一個の人間を失うまいとする努力です。万葉の、ゆるくって巨大幅の衣、っていうのは、せせこましい現代生活にはなかなかってことあります。でも人の感動は変わらない、いろんな複雑怪奇ないいわるい感情も、春は花夏時鳥といって、どか-んとばかり生き甲斐、アッハッハどうもそんなふうなこと発見したってことですか。
とんとむかし…とんとむかしは、目で聞き、あるいは耳で読むようにできています。ノイロ-ゼや心身症の治癒に役立てばということです。