二連禅歌=秋

二連禅歌=秋


山門をとく夕立の降り止めばいついつ聞かむ虫の鳴くなる
 わが参道はすずむしの大合唱、夕立が過ぎるともう虫が鳴いている。そうさなあ、安定した季節感は終わったか、異常気象の洪水や地震や、むかしをなつかしむより、人間のほうが先に変になって。
大面村田ごとの松に照る月の雲井わたらひ小夜更けにけり

いやひこの何に鳴きあへ谷内烏早稲の田うらに日は照りまさる
 蒲原田んぼに烏が群れて、どこかゴッホの絵を見るような。托鉢して歩いていた雲水のころ、でもって住職三年火の車の、わけのわからん何年かを、うっふう蒲原田んぼ。
いやひこの何に群れあへ谷内烏早稲の田うらに雨もよひする
谷内烏鳴くも悲しえいやひこの早稲の田うらに長雨ぞ降る

今日もがも田んぼの烏かかと鳴け六兵衛屋敷に嫁は来ずとや
 空前の嫁ひでりになって、婿どんを貰うほうが早かったり、そいつがあっというまに別れて、じっさばっさ子育て、娘はどうした、いえそのう、とにかく檀家半減しそう。
夏草を刈らずてあればかかと鳴く烏も外けて六兵衛屋敷

群らふ鷺茂み田浦が夕のへも吹く風しのひ秋長けにけり
 大河津分水の、水の出たあと取り残された魚がいて、子供と遊びに行って、ばけつを拾って来て何十も取った、六十センチの鮒がいたり、魚の数はまあものすごいものがあった、今はどうなってるんだろ、同じかな。
あしの辺も吹く風しのひ大河津舞ひ行く鷺の姿さへ見ず

蒲原の郷別け中に橋かけてわたらふ月は清やにも照らせ
 郷別け中という地名があったが、なくなった、今は傍所という、これもどっか変わっている、鬼やんまがすーいと飛んで行って、池の島とか、牛首とかいう、川向うの名前。
蒲原の郷別け中に橋かけてわたらふ月は池島に行く

若栗はいついつ稔るあしびきの山おす風に問ふても聞かな
 おふくろが早稲と奥手の栗を二本ずつ植えた、わせは山栗よりも甘く、おいしかった、奥手はでかいんだが誰も食わず、おふくろが死んで二十年たつ、栗の木も伐られる。
若栗の稔らふ待ちにあしびきの山おす風がなんぞ恋ほしき

蒲原のはざうら田井もいついつか秋になりぬれ雨降りながら
 降り続く年があって、大河津分水は河川敷にも水が来て、ミニ揚子江だなぞ云ったが、本家本元の中国は、未曾有の大洪水、そりゃもうものすごい、河神の申し子だといって、かつがつ助かった子を、大事にするとか。
大河津別けても降れる長雨のまふらまふらに秋の風吹く

大面村芦辺をさして行く鷺の泊てむとしてやまたも舞ひ行く
 頭からうなじのあたり黄色い、ときでも逃げて来たんかな、あんなのはじめて見たと思ったら、図鑑にあまさぎと出ていた、ごく普通の種だそうだ、新潟も水郷でいろんな鷺がいる。
田の尻の橋を越えても長雨は降り止まずけむあれは米山

米山のぴっからしゃんから谷内烏早稲の田うらに夕焼けわたる
 米山さんからぴっからしゃんから雷鳴ったり雨が降ったり、蒲原郷いったいの百姓の神さま米山薬師、道の改修で村の米山さんは、お寺に合祇した。ここからは見えない。
米山のぴっからしゃんから群雀早稲の田浦に穂向き寄りあへ
こんぺいとうに赤のまんま咲く門前は刈り終えてすでに久しき

つゆしのふ長者屋敷は伝兵衛が早稲の田うらを押し分け行かな
 伝兵衛さは大旦那であって、お寺のかかりの半分はまかなったという、農地開放と事業の失敗で、広大なお屋敷は人手にわたる、こじんまりした家に住んで、花がいっぱい。せがれが文部官僚になった。
つゆしのふ長者屋敷は月詠みの萩の大門を押し別け行かな

別け越えてここはもいずこ十日町山杉しだえ人も老ひぬれ
 インドの民族画というのかな、ミチーラ美術館とか、新興宗教の教祖さまの故郷だったりして、十日町は織物の郷、山は深く雪も深く、折れ曲がった杉。
妹らがりい行くもあらんあしびきの山尾の萩の風揺れわたる
あしかびの十二社の寄りあへに人住む郷と我が問ひ越せね

ここにして美し乙女を見まく欲り早稲の田浦に吹く風のよき
 ぽんこつに弟子どもと乗り込んでみちのくの旅に出る、九月は稲刈り坊主はひま。余目というのは、目だけ残す日除けのかぶりもの、いやれが地名になったかどうか、
鳥海の廻らひ行ける久しきや遊佐の田浦に出羽の風吹く

みちのくの我が物思ひは大杉の太平山とぞただずまひけれ
 中学の時に秋田市に住んで、蝶を採集したり、喧嘩をしたり、秋田犬のそりに乗ったり、どう見ても青い目の女の子や、何十年振りに来て、木の内百貨店とお掘りが残っていた。
清やけしや早稲稲群を雄物川浮かべる瀬々に思ほゆるかも

行く春を忘れて思へや水の辺の碇ケ関とふおくの清やけさ
 碇ヶ関というのは、殿様がお忍びで来た温泉があったというだけの、関所はなかったと聞いた。弘前へ入ったら、どっとなつかしいりんごの郷、青荷温泉混浴の湯、電気は来ているのにランプの宿。
ここにして春を迎えむ大杉の出羽の田代とおくの清やけさ

我れやまた六十を過ぎて訪はむりんごの国の何を悲しと
 りんごは手の届くほどのは取ってもいいんだと、弘前大学の卒業生が云った。もったいないほどの見事なりんご。せっかくの川が排水に汚れて、でもやまめがいっぱいいた。
青荷なるランプの宿をま悲しみ問ひ行けばかも川音清やけし

門付けて我も行かめやじょんがらの津軽の郷に雪降りしきる
 津軽三味線高橋竹山の写真があった、最後の人間というのかな、こりゃ国宝だと云って立ち尽くす。そうしてそりゃやっぱり十和田湖の絶景、奥入瀬川また風景の代表。
いにしへの月を知らじや行く秋の長けき思ひを奥入瀬の川

みちのくの秋にしあらむここをかも酸ケ湯と云ふぞ舞ひ立つ蝶も
 酸ケ湯は有名な混浴温泉、どうして年々杓子定規になるんだやら、別時間をもうけたり、きべりたては、くじゃくちょうが舞う。じきに三内丸山古墳の、集会場の復刻版が気に入って、修行道場に欲しいなど。
日は上り月は廻らへ三内の埴輪の眉の物悲しうに

下北は遠くにありと思ふれど秋風しのひ野辺地を過ぎぬ
 下北の野辺地という、久しぶりに旅に出たという感慨、八百比丘尼が運ぶ椿の花の北限、浅虫温泉というでっかいのはパスして、先へ行く。スクールバスが先導の形、いずこ変わらぬ女高生のまあ。
暮れ行けばいずこ宿らむはまなすの茂み野辺地に風吹きわたる

行き行きて終ひの宿りは下北の松美はしき夕凪ぎにして
 下北温泉はなんでも屋を兼ねて、かあちゃん料理、たっぷりでまたおいしく、おめさま方恐れ山の大祭さ来た坊さまだけ、わかんねわかんねそったらこえーとこって、こっちも津軽弁で。
枯れ葦にもがりわたらへ下北の恐れの山と我れ他所に見つ

国民の鎮守にあらむつゆじもの忘れて思へや陸奥の稲群
 レーダーサイトがあって陸奥湾には艦隊が停泊、赤レンガの宿舎があったり。またこの辺りには田圃がある。仏が浦は奇岩絶壁、下りて行く道があったがしんどい、一カ所だけ見下ろせる所がある。
時にして海は荒れなむさひはての仏が浦とふ舟の寄りあへ

武士はここに長らへ下北の清き川内と笹鳴りすらむ
 戊申の役のあと会津藩士が移り住んだ、大変な暮らしの中に子弟の教育だけは忘れなかったという、川内川という美しい川の上流、やまめが泳ぐ。
初々に雪は降りしけ武士が清き川内と笹鳴りすらむ

出船にはなんに鳴きあへかもめ鳥大間ケ浜に夕を暮れなば
 大間岬から函館へ行くフェリーは四十五分、うるさくよったくって餌をねだるかもめ、腕がにょきっと伸びて、てぐす引いてマグロを釣るんだという、漫画のようなモニュメント。
手ぐす引き鮪釣るらむ波のもは寝ねても渡れ津軽の海ぞ

吾が背子がアイヌ神威に入らむ日や舟のしりへに寄せあふものは
 これはでも新潟港からフェリーに乗って、小樽へは翌日の午後五時着、車は二万円一人ただ、あと二人は二千円という、のんびり貧乏旅、坊主頭を当時オウムと間違えられたりして。
大島や小島の沖にいよるさへくしくも思へ暮れあひ小樽

カザルスのバッハを聞くは札幌の大空にして涙流るる
 札幌には弟子が行っていて、くろまぐろの刺身だの青いほっきがいだの、ゼニもないのに大変なご馳走をする、彼の思う人と彼を思う人と、どうも物は二分裂、バッハのCDを貰って行く。
ウルップの北海沖をしましくに一つ木の葉の舞ふぞ悲しき

ふきの葉の露にしのはむいにしへの見果てぬ夢は金山の郷
 十勝平野金山湖畔に宿を取る、ライダーはバイクで北海道を一周する、チャリラーは自転車、トホラーは歩いてという、ライダーの宿五百円など。キャンプ場は満員。
ライダーの宿とは云はむ過ぎ行けば残んの夏を芹の花ぞも

あけぼののオホーツクかも雪の辺に李咲くらむ知らじや吾妹
 丸瀬布温泉というところに泊まる、雪の原に花の咲く写真、すももの花だと客が云った、りんごしじみ、おおいちもんじ、蝶で有名なもうここはオホーツク。
りんごしじみおおいちもんじの丸瀬布タイムマシーンに乗れる如くに

行く秋をここに迎えむサロマ湖や寄せあふ波はオホーツクの海
 シーズンオフになって釣り具屋も店じまい、ラーメン屋もしまって閑散。サロマ湖の向こうには荒波が押し寄せ、岬には風が吹く。
岬には花を問はむにオホーツクの波風高し行くには行かじ

知床やウトロ岬のかもめ鳥何を告げなん行く手をよぎる
 北海道を一県と間違えてぶっ飛ばす、行けども行けども、網走刑務所跡を見過ごし、鮭の川を眺めてつったち、トホラーの女の子は残念反対方向へ行き、だれか荒海にルアーを投げ。
知床に海人の大網差し入れて迎えむものは二十一世紀も

知床の花の岬を今日もがも神威こやさむ我れ他所に見つ
 知床半島に行ってみたかったが、昼も過ぎて、美しい羅臼岳の道を行く、ひぐまの出そうな堰でもって、おしょろこまを釣る、でっかいのを隠しもっていてがれに怒られ、だってハングリー世代はなと、ごみのぽい捨てはわしはしないんだって。
羅臼らはしくしく夕を舞へるらく笹にかんばの衣つけながら

暮れ行きて宿を仮らむに白糠の鮭ののぼるを眺めやりつつ
 どういうわけか宿を断られ、一軒三軒、白糠というところで鮭の遡るのを眺めて突っ立つ、馬主来バシュクルと読むらしい、暮れ落ちてあっちへ行きこっちへ行き、野宿。
かき暮れて宿を借らむに馬主来の右に問へれば左へそける

音別の怒濤に寄せて行く秋の神威廻らへあれはさそりか
 どろんこ車ガソリンスタンドに寄せると、釣りけと兄ちゃん、うん釣れねえや、そっかなラッコ川でもえり川でも、百二百釣れたがなあと云って、教えてくれた、釣れた。
行く秋の神威こやさむここをかもラッコ川とふ舞ひ散る落ち葉

ひよどりに残んの酒を汲み交しつとに終えなむ鱒釣りの旅
 風もないのにはらはらと落葉、もう秋が来るのか、競馬馬で有名な辺りを過ぎ、襟裳岬に夕暮れ、どっか遠くに雷鳴って、じきに雨がはらつく。
秋の陽を寄せあひすらむ島影や襟裳岬を過ぎがてにせむ

門別に鳴る神わたり廻らへば過ぎし空知は如何にやあらむ
 雨が上がって札幌の夜景は見事、フェリーの時間を間違えて、最後の晩餐飲んで食ってやってて、ついにまた一泊、間抜けな話。
鹿の鳴く声だに聞かじ夕霧らひ行くにはい行け石狩の野を

我が宿に帰り来つれば長雨の萩はしだれも咲き満ちてけれ
 せっかく萩が咲くと雨ばっかり降って、しだれ咲き満つ、風情と云えば風情なんだがさ。萩は便利で、冬には刈り取ってホウキにもして、春には勢いよく芽吹いて来る。
我が宿のしだれの萩は咲き満つに雲井も出でな十四日の月

寝ねいても虫の鳴く音に行き通ひ今宵は月の出でずともよし
 萩が散って紅葉になるまではなんにもなし、虫の音もこおろぎになっておしまい、秋のお彼岸はまたほとんど人が来ない、稲刈りが終わったばかり。
長雨の萩の花ぞも散らふれば山の門とは誰をし待ため

山古志の水辺萩花咲き乱れなんに舞ひ行くこは雲に鳥
 山古志村の萩の道は、地震でもってずたずた、逃げ出した鯉が泳ぐんだろうか、せっかくの池だ、牛ひっぱって来て、どうだってんで、ただもう観光専門にしろと云って、怒られた。
山古志の水辺萩花咲き乱れなんに鳴き行くこは月に鳥

備中のいずはた知らね老ひ行かむ村にしもあれとよはたすすき
 テレビで見た老い行く村の、あるいは廃村になる話、大面山にはお寺の開基さんである、丸太伊豆守のお城があった、掘り跡が残る、そうさなあ、人間もいつか詠み人知らず。
武士のいにしへ垣のいつしばも押し照る月を読み人知らず

吹き荒れて萩にしあらむ山古志の雲井の月に追はれてぞ来し
 みずとりの名前がようもわからん、雁に鴨にきんくろはじろにええと、あいさというのは、そう云えばみこあいさという真っ白い鳥、とにかく歌にするには、いまだ。
入広瀬遠き芦辺に月出でて何の群れかも鳴きわたらへる

広神の八十氏川の瀬を速みしのふる恋もつり舟の花
 つりふねそうの実はほうせんかのように撥ね散る、あぶるま川へ入ったら、すずめばちの巣があって、弟子どもが刺された、なんとか大丈夫だった。
若しや君恋ふらむあらば八十氏のしぶきに濡れて破間の川

山古志のこの奥の井に我が行くか初々萩の咲き満つるまで
 山古志は山のてっぺんまで田んぼで、曲がりくねった道が縦横について、うっかり入ったらいったいどこへ行くか、古志郡山古志村から、地震後長岡市になった。
山古志のこの奥の井に我が行くか人を恋ふらむ道と如くに

初秋のなんの音かも片貝の花火にあらむ雨は上がりて
 静岡へ行った弟子の初デイトが片貝の花火、四尺玉がこの年は成功して、長岡の三尺玉を越えたんだといって大威張り、風の向きでお寺まで音が聞こえて来たりする、九月初旬。
片貝の花火にあらん初秋のたれ見に行かむ汝とその妹と

棟上げの秋にしあらむ野しをんの花の門に酒は五升
 戊申の役で焼けたあとに建てたという、お寺の接客を建て直す、あんまりひどかった、やっと人並みになるっていうんで、本当は鯛を奢って、銭に餅を撒いて棟上げ式。
野しおんの花を巡らひ二人して祝ひまつらむするめ一対

塚の辺はかやつり草も茂しきに勇名居士なむ搭婆一本
 かやつりぐさ、きばなのあきぎり、ままこのしりぬぐい、えーともう忘れちまった、雑草の名は子供の遊びから来たりして、ずいぶん風情がある、もうだれも見向きもしない、一つの文化が滅び去る。
塚の辺のかやつり草も茂しきに勇名居士なむ雨にそほ降る

時を超え帰り行くとふヒマラヤの花の谷間の青きけしはも
 だからさ、そういう歌を詠んだらちっとは人も知ると云われて、勢い込んでフィレンツェのと作ったら、首かしげて、やっぱりおまえのは駄目なんだって、そうかなあ。
フィレンツェの手料理となむ君もしやポテッツェルリの春の如くに

見附路や夕べ死ぬるは酒にして火炎茸とふ食らへる男
見附市の議員になりし清一郎永眠せるは夏の終はりに
 酒屋の息子がアル中になって死んだ。いい男で、ようまあ話に来た、イベントだの経済政策だのなんだの、一所懸命して市会議員になった、選挙の間にかあちゃんに逃げられ。
一箇だに打ちだしえぬとな思ひそね柿はたははに底無しの天

覚兵衛の嫁取りならむ大面村田ごとの松に押し照る月も
 覚兵衛どんの結婚式に呼ばれて行った、一人もんのかあちゃんと二人、音痴声張り上げてなんか歌おうと思ったら、時間切れ、弟の方も翌年めでたくゴールイン。
長け行きてしましく夜半の目覚むれば雪のやふなる月にしあらん

常波の川を清やけしよしえやし踏みし石根も忘らえずあれ
 阿賀野川の支流常波川は美しい川で、わしらのほうの山を越えた、ほんにそこまで来ている。山を越えては行かれぬ。回って行くと老人ばっかりの一村。
夕月の住み故郷にこれあらむ山も草木も常波の川

我やまたつげ義晴のいにしへゆ花に問へりし津川の里は
 じゃりん子知恵もいいんだけど、つげ義晴がやっぱり最高だって、あいつどすけべだけどな、なんせえ津川の町は彼の漫画のような、夢のような、なつかしい感じを残していた。
我やまたつげ義晴のいにしへゆ月に問へりし津川の街は

二十世紀うつろひも行け曼珠沙華年ふり人の思ひも行かず
 曼珠沙華彼岸花はおもとみたいに緑であったのが、すっかりなくなって、ふーいと伸びて花だけが咲く、また別種の彼岸花がある。こっちは淡いピンクの花。
二十一世紀うつろひ行かな曼珠沙華鮫ケ井の辺に人の声を聞く

エルニーニョ曇らひも行け曼珠沙華狂人北斎の筆になるとふ
 ごんしゃんごんしゃん雨が降るっていうのは、北原白秋か、なんせ不勉強だし、文才はないし、曼珠沙華だのほととぎすだ、てんでお呼びでなく、つまり現代子かな。
つくつくほうし名残り鳴くなへ曼珠沙華七十我れも狂人北斎

あしびきの入塩紅葉追分けていつか越ゆらむ牛の尾の郷
 上塩下塩中塩入塩とあって、かみじょなかじょと云うんだそうだ、真人はまっと、牛の尾はうしのおだけど、牛ケ首というのもある、どういういわれなのか知らぬ。
年老ひて杖を頼りに行く秋の思ひもかけぬこは梅もどき

山を越えここはもいずこしの生ふる忘れ田代を見れば悲しも
 田んぼがなくなって葦っ原になる、たしかに田んぼ跡とわかる、棚田観光名物として、残るものもある、いや魚沼産こしひかりで、けっこう残っているのか、カメラ抱えた老人組合が押し寄せ。
魚沼の夕を押し分けしの生ふる忘れ田代を見れば淋しも

芦辺刈る人はもなけれ行く秋の津南の郷を忘れて思へや
 入広瀬に洞窟の湯というのができて、何故か湯船の浅いのがいま一ってふうで、長い洞窟裸で歩けば壮観とか、たしか中華料理もあったな、もう十何年も行ってない。
湯の煙見まく欲りすれ入広瀬破間川の紅葉いやます

太郎代の一つ屋敷をしぐれつつ荘厳せむは若き楓も
 松食い虫でいっせいに松が枯れて、するとたいていのきのこが全滅、秋はもうわしはすることがなくなった、晴れても時雨てもドライブ、今ごろはおくしめじが出たのにとか。
見附路を郷分け中の一つ橋降りぬ時雨はひもすがら降る

鳴きあへる鴨の池はを夕もやひ門の辺にもみじ一枝も
 せがれの先生が僻地教育で山古志村に赴任した、音楽の女先生、いいとこなんけど、どこにいても見られてるって感じ、ご飯余すと悪いから食べ過ぎて太っちゃったって、山古志ねえちゃんて呼んだら、目をこーんなにして。
山古志のかなやの郷に行き立たしたなびく雲がなんぞ恋ほしき

早出川紅葉下照る村松の行くには行かじ道ふたぎける
 早出川の水系だけに山蛭がいて、そやつはどんなに支度したって必ず入り込む、これこれこうと云って、山好きの先生が話す、植物が専門で鳥にもくわしかった。
いついつか舞ひ立つ鳥の群にして早出川なむ秋長けにけり

隼の舞ひ行くあらむ八木鼻の松の梢に風立ちぬべく
 笠掘へ行く途中の八木鼻にははやぶさが住む、ややオーバーハングの巌で、山岳部の人がと見こう見して、七時間はかかると云った、実際に登った人がいて、隼がいつかなくなったなと。
良寛のえにしもあらむ出雲崎松の浦門に日は落ちきはむ

年のへも秋は長け行く何をなす焼酎柿を二人し食らふ
 村の忠助どんに警察が来た、どうしたんだと云ったら、鉄砲届けるの忘れたって、それっきり猟は止めた。車屋もおらクレーやって人撃たんようしてんだ、名人だといって、獲物持って来たりしてたが、そのうち仏心起こして止めた。
いついつか信濃河波夕荒れて鴨打ち猟の支度せるらく

百代なし隠れ住まへる秋山の紅葉下照る言はむ方なし
 秋山郷は長野県と新潟県にまたがる、平家の落人部落で、秋山というだけあって紅葉の絶景、峰には雪が降って、次第に色染めて来るその美しさ、宝が埋まっているという伝説。
百代なし隠れ住まへる秋山の群れ山鳥かさ寝もい寝やれ

人はいさ心も知らね秋山の屋敷田浦を新穂刈り干せ
 屋敷という一村にだけ米が取れたという、そのまあ過酷な暮らしは、つぶさに書き記されて、何冊かの本になっている、こうまでして人間は生きなければならんのかと、そう云ったら実も蓋もないんだけど。
月読みも年をへぬれや新穂刈る田浦屋敷に雪はふりしく

広神の松の嶺いに月かかり帰り来つれば我が門とへに
 守門に雪が降ってしばらくは上天気、一月したら下界にやって来る、栃尾は見附の三倍、守門の裏の入広瀬は、そのまた何倍か、半年間の冬が来る。
守門には雪は降らずて廻らへる刈谷田すすきおほにも思ほゆ

いやひこの蒲原田井に舞ひ行かな汝は満州の泥の木穂棉
 先先住のせがれが戦争で満州へ行って、苗木を持ち帰って植えた。どろのきの仲間という、晩秋に穂棉を飛ばす、くわがたがつくのでそのままにしておいたら、くわがたは消えて大木になった。こりゃ大弱り。
初々の雪は降れりと聞こえけむその山古志のかなやの郷に

津軽より帰り来たれる汝が故になほ木枯らしの吹くぞおかしき
 津軽出身の人がいて、津軽三味線山上進講演会があったり、ねぶた見に行く会があったり、ねぶた見たいと思うのに、お盆の真っ最中、真冬に何人かで行って来た。
木枯らしに荒れ吹く夕を寝ねやれば遠故郷を思ひこそすれ

夕もやひ浅間を過ぎて嬬恋の里に入るらく小夜更けにけり
 おふくろを信州の故郷に分骨して、草津温泉に泊ろうかと、道に迷って延々行って、高速道路に乗ってただもう帰って来た。満月の夜だった。
雲井にか月は見裂けれ嬬恋の我れをのみとて通ひ来にけり
嬬恋の雲井に月の隠らへばあしたをしじに雪はふりしく

山のまを出ては天降る月の影いくつ里わを通ひ過ぎにき
 わしはどうしようもない親不孝罰当たりのせがれであって、葬式だけは商売柄出したということか、なんにもしてやれなかった、大法だけは伝えて行こうと。
月影を眩しみ我れは行く河のかそけきなへに入り泊てむとす

田子倉のぶなに林をえ深くにあしたを雪は降りしかむとす
 田子倉ダムのぶなの原始林に雪が降る、道は閉ざされて、小出会津若松間の鉄道だけが通う、冬は失業保険貰って、かもしかだの撃って暮らす、いやそのう、口の軽いっやつにはお裾分けできないって。
しくしくに雪降りしけば笹がねの会津に入らむ春遠みかも

秋の陽を寄せあひすらむ河の辺やなんに袖振り会津の人も
 西会津のまたこんなところまで、きのこ取りに行って、それが寝てて取れるほど取れたり、山鳥の子が群れていたり、うはうは云って、翌年行ったらなーんにもなく。
熱塩ゆ加納へ行かむしだり尾の山鶏の子が群らふよろしき 

村の名は弥平四郎と飯豊なむ山を閉ざして舞ひ散る落ち葉
 奥川渓谷のとっつきの村を弥平四郎といって、飯豊山の登山口になっている、春にも行き、秋にも行ったが、山には登ってない、もうわしみたいぽんこつには無理か。
村の名は弥平四郎と飯豊なむ山を閉ざしてしの降る雪も
阿賀野川山なみしるく見ゆるは研鎌の月ぞ入りあへ行かめ

北国に我も住まへれ初しぐれしが雲間の月に追はれてぞ来し
 北国しぐれというより、なにしろ降りだすと降って来る、毎日真っ暗けで、落ち葉をせいては水びたし、初しぐれは風情があるたって、いやもうこいつは。
北国に我も暮らさむ初しぐれ千々の小草に夕かぎろへる

北国のしの降る雨は止みもあらで鳴る神起こし雪うちまじる
 降っているうちに雪うちまじりと、だがそれは本格の雪ではない、突然雨が止む、ふうっと晴れ渡って地面が乾く、するとどんがらがら雪起こし、あとはもう積もるばかり。
北国のあらぬしぐれか止みぬれば鳴る神起こし雪はしの降る

焼山に雪は降れりとあしたには人にも告げな門田辺紅葉
 焼山に降ったというのが、雪の知らせかな、どこに降っても私にはわかると、宮城道男が云った、そりゃそのとおりだと思う、紅葉の盛りにも降ったりする。
古寺の幾つ松がへ初々の降りしく雪は暮れ入りにけれ

あかねさし月は今夕もわたらへど雪を待つらむ軒辺淋しも
 柿なんかだれも取って食わなくなって、ひよどりや烏の、たいてい年を越えて寄ったかる、いちめん雪になってからだ、雪には柿がよく似合う。
栄ゆると名をし代えたる大面村雪に残んのあら柿もみじ