良寛詩五言1

僧伽

落髪して僧伽と為り、
食を乞ふて聊か素を養ふ、
自ら見るすでに此くの如し、
如何が省悟せざらん。
我出家の児を見るに、
昼夜浪りに喚呼す、
祇だ口腹の為の故に、
一生外辺の鶩(あひる)となる。
白衣の道心無きは、
猶尚是れ恕すべし、
出家の道心無きは、
之れ其の汚を如何せん。
髪は三界の愛を断ち、
衣は有相の色を破る、
恩を棄てて無為に入る、
是れ等閑の作に非ず。
我れ彼の朝野に適くに、
士女各おの作有り、
織らずんば何を以てか衣、
耕やさずんば何を以てか哺はん。
今釈氏子と称して、
行も無く亦悟も無し、
徒に檀越の施を費して、
三業相ひ顧みず。
頭を聚めて大語を打き、
因循旦暮を度る、
外面は殊勝を逞しゅうして、
外の田野の嫗を迷はす。
謂ふ我好箇手と、
呼嘆何れの日にか醒めん、
たとい乳虎の隊に入るとも、
名利の道を践むこと勿れ。
名利わずかに心に入れば、
海水も交澍し難し、
阿爺汝を度して自り、
暁夜何の作す所ぞ。
香を焼ひて神仏に請ひ、
永く道心の固きを願へり、
汝が今日の如きに似ば、
乃ち抵捂せざる無からんや。
三界は客舎の如く、
人命は朝露に似たり、
好時は常に失ひ易く、
正法亦遇ひ難し。
須べからく精彩を著けて好かるべし、
手を換へて呼ぶを待つこと毋かれ、
今我れ苦んごろに口説するも、
竟ひに好心の作に非ず。
今自り熟らつら思量して、
汝が其の度を改む可し、
勉めよや後世子、
自ら懼怖を遺すこと莫れ。
僧伽

落髪して僧伽と為り、食を乞ふて聊か素を養ふ、自ら見るすでに此くの如し、如何が省悟せざらん。

頭を剃って僧の仲間になった、乞食してようやくにその身を養う、自ら見るすでにかくのごとし、どうして悟らずにいられようかということです。出家とは世の中からはみ出して、しかも世の中の世話にならねばならぬ、悟ることだけがたった一つの仕事です、でなかったら生きているいわれはない。悟るとは人間いかにあるべきかの本来本当です、世間の中にあっては難事です、これをもって恩に報いるのです、外にはなんにもないです。


我出家の児を見るに、昼夜浪りに喚呼す、祇だ口腹の為の故に、一生外辺のぼう(矛に欠のしたに鳥=あひる)となる。

我れ出家どもを見るのに、昼夜みだりに喚き呼び暮らす、ただ口と腹のためだけに、一生を外辺のあひるとなるというんです。仏教はどうの悟りはどうの坊主はこうあるべき、喚き呼び暮らすばっかり、うるさったく空威張りとふりのどたばたあひる、まったくに良寛さんのころから、仏教のぶの字もなかった越後坊主ですか、今に至ってただもうだらしなく世俗と同じですか。


白衣の道心無きは、猶尚是れ恕すべし、出家の道心無きは、之れ其の汚を如何せん。

白衣は世間俗人です、道心なければ人格が成り立たないんです、遊び戯れてももとこれ人倫です、付和雷同でなく真の批評精神が必要です、ましてや出家に道心無しは、ただのナンセンスです、出家して求道心のないとは漫画にもならんです、坊主らごらどもの人間として不成立は、心理学病理学上の問題ですか、へんなのばっかりこんなんと付き合ったらいかんです、これその汚れを如何せん、実に良寛の時代からまったくどーしよーもないんですか。


髪は三界の愛を断ち、衣は有相の色を破る、恩を棄てて無為に入る、是れ等閑の作に非ず。

出家剃髪は恩愛を絶つ、出家もすこぶる曖昧なれば帰って難しいんですか、母親を免れえぬ人は悟りに縁遠いです、いったん世間情識を絶つ、有心から無心へです、これができないのはたとい坐禅を物扱いして、出家ではなく出世の手段のように思う、まったくどうしようもないんですが悟ったさん困ったさんのめったくさ、喚呼もって喧々諤々。棄恩入無為、真実報恩者これが基本技、いいですか仏の道なんです、なんにもないんです、なんにもないを知る、無覚の覚世の中のエリートの百生分の仕事を終えるんですか、イチロー松井がわずかに匹敵するがほどに、ものみなまさに現実。


我れ彼の朝野に適くに、士女各おの作有り、織らずんば何を以てか衣、耕やさずんば何を以てか哺はん。

我れかの朝野に行くにはまさに托鉢しもってゆく風です、良寛に机上空論なし、形而上学なしの仏教、現実そのもので面白い。織らずんば衣るなし、耕さずんば食うなし、一日働かざれば一日食うべからずの旗を翻して、鍬を隠されて餓死して死んだ百丈慧懐ですか、良寛のユニークさなんてどこにもないです、だれにでも出来ます、それがなんで真似出来ないか。


今釈氏子と称して、行も無く亦悟も無し、徒に檀越の施を費して、三業相ひ顧みず。

魚屋は魚食ってみてから売れ、坊主は死んでみてから葬式しろって云ったら、教区ご寺院連中に睨まれた、もっともこれ基本技、行い清ますことをもって沢木興道宗ですか、宗門ごと身売りしていよいよもって坊主台無し、人に見せるための坐禅しかなく、らしいことは是本当は村八分、集団自閉症の末に、ついに命脈を絶って久しく、三業とはたとい我昔所造諸悪業、皆由無始貪じん(怒り)痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔という、懺悔滅罪というこれ坐禅の根本です、口で云い約束ごとでは塵っぱ一つどうもならんです、人に寄食して死出虫稼業がほっときゃ偉くなるっきり、みっともないったらない。


頭を聚めて大語を打き、因循旦暮を度る、外面は殊勝を逞しゅうして、外の田野のおう(区に女)を迷はす。

こりゃまあたいて坊主のありようです、今は大語するもなくただよったくって嘘八百のなんせえ反吐のなすりあいですか、みっともないといったらお寺に生まれたから説教で、親父が偉くっててめえもじきふんぞり返って、なんせいお布施稼業は殊勝な面して、じじばばのご機嫌を取り結ぶ、たしかに一定の人間がいる、信心深いというのもどっか化石化して、世の中の出外れみたい問題にならんですか、そーして物真似振りをもってありがたや、類は友を呼ぶ。でもなあこれ張子の虎はなんにもならんです、血の一滴もなく人を見殺しにして、ただもう無関心残酷です。若しや坊主の真似なんぞしないんですよ。


謂ふ我好箇手と、呼嘆何れの日にか醒めん、たとい乳虎の隊に入るとも、名利の道を践むこと勿れ。

ちらとも齧ってどんなもんだいと云う、たとい坊主なりとも無数の悟ったさん困ったさん、こりゃまたどうしようもないです、バットならホームランを打つ、刀なら首ちょん切る、かすっともかすらないのにおれはとふんぞり返り、首ちょん切られてもさっぱり気が付かない、いやはやこんなのばっかり、ああ何時の日にか醒めんです。乳虎の隊とは危険極まりないこと、孤俊イチローたった一人っきりです、これは名利のわざですが、仏はちらとも名利あってはまったく不成立です、名利色の道を捨てることから坐禅は始まるんです、どうしてうまく行かぬか、どこかに欲望があるからです。


名利わずかに心に入れば、海水も亦うるほし(樹のさんずい)難し、阿爺汝を度して自り、暁夜何の作す所ぞ。

名利わずかに起これば海水もこれをうるほしがたし、仏を得てどうしようこうしようの心です、ちらともあれば不自由です、もういっぺん初心に返って下さい、初心からして仏教を振りかざす、何物かになろうという心なら、これを捨てて当に初心から入門すべきです。仏たること以無所得元の木阿弥です、阿爺というせっかくおれがと、おれすなわち良寛でもお釈迦さんでもいい、いいえおれすなわちおれなんです、汝を度してより朝夕実になんにもならなかった、坐禅という手つかずではなしに、こうあらねばならぬの明け暮れです、さあ気が付いて下さい。なんでおれは届かんのか、はい名利の故にです。


香を焼ひて神仏に請ひ、永く道心の固きを願へり、汝が今日の如きに似ば、乃ち抵ご(てへんに吾)せざる無からんや。

毎日お経を上げて神仏に請うんですか、そんなことないです、毎日まったく違う自分=環境と向き合うんです、あるいは未だしあるいは忘我あるいは歓喜、たといどうあろうとも端に為にするんです、むちゃくちゃ妄想法界も挙げて無料奉仕です、仏に家に投げ入れて捨身施虎です、抵触けいげあろうともすべてをもってするんです、この身心あればわずかに是と。もとなんにもないものがなんにもないものを坐る。


三界は客舎の如く、人命は朝露に似たり、好時は常に失ひ易く、正法亦遇ひ難し。

三界は客舎の如くと知る、人生という七転八倒を一つ抜け出して省みるにいいです、人間もとこれ如来です、人間以外の地球宇宙万物が如来の生命を謳歌しています、人間だけが自分に首を突っ込んであーでもないこーでもないの無様な歩きっぷりです、如来来たる如く、如去去れる如し、本来まったくに後先なしです。形質は草露の如くと、花の命はけっこう長いという、八十が百まで生きて何の結果をも見ず、ただもう銭金妄想に破れ衣つけて行く、人間の尊厳なぞこれっから先もなく、刺身にして食う魚のほうがよっぽど尊厳だ、こんなもの早く滅びたがいい、いえもう滅んでいるんですか、ただもう地球のお荷物ごみあくた。そうではない百歳のたった一日でもいい、目を覚まして下さい、正法とはまったくこれ以外にないたった一つ。


須べからく精彩を著けて好かるべし、手を換へて呼ぶを待つこと母かれ、今我れ苦んごろに口説するも、竟ひに好心の作に非ず。

悟ったさん困ったさんのおおかた悟りというのは、自分という散逸を一つにしたと思い込む、自我の延長天才だというがほどに、そんなわやな精彩じゃないんです、死んで死んで死に切って思いのままにするわざぞよき、自分まったく失せると二00%自分です、無一物中無尽蔵花あり月あり楼台ありです、たった一つきりです、あれこれ取捨選択するすべてを包含する、自分用なしです、飢えた虎に身を投げ与えて下さい。ただもうこれ。まずもって乳離れして下さい、色色じゃない、なんにもないんです、ねんごろに口説するも取り付く島なし。


今自り熟らつら思量して、汝が其の度を改む可し、勉めよや後世子、自らク(りっしんべんに貝貝ふるとり)怖を遺すこと莫れ。

つらつら思量してという、坐るっていうことはこれなんです、けいげあるかすっとも触れるところへ目をやる、落ちるときに知るんです、いいですか汝がその度を改むべしと、どこまで行っても思い上がりを度すんです、自己改変とか壊滅です、ないはずの自分がどうしてもある、なぜかということです、勉めるしかないんです、おれはこうだからと開き直ったらもうおしまい、すっからかんです、く怖おそれる危ぶむという=人間ですか、すなわちく怖を残すことなかれと、く怖にうち任せるほかなし=生きているということですよ、坐の醍醐味はすなわちこの辺にあるんです、こうあるべきたとい大安心の問題じゃないんですよ。

----------

唱導詞

風俗年々に薄く、
朝野歳々に衰ふ、
人心時々に危ふく、
祖道日々に微かなり。
師は盛んに宗称を唱へ、
資は随って之に和す、
師資互ひに膠漆し、
死を守って敢へて移らず。
法にして若し宗を立つ可くんば、
古聖たれか為さざらん、
人々共に宗を立つ、
嗟我れいずくにか適帰せん。
諸人且らく喧ぐ勿く、
我が唱導の詞を聴け、
唱導自ずから始まり有り、
請ふ霊山従り施かん。
仏は是れ天中の天、
誰れ人か敢へて是非せん、
仏滅五百歳、
人其の儀を二三にす。
大士此の世に方って、
論を造って至微に帰す、
唯道を以って任と為す、
何れを是とし何れを非とせん。
仏法東に漸んで自り、
白馬創めて基いを作す、
吾師遠く来儀して、
諸法頓に帰する有り。
彼の大唐の盛んなる、
斯の時より美なるはなし、
衆を領し徒を匡し、
箇箇法中の獅たり。
頓漸機を逗むと雖も、
南北未だ岐を分たず、
此の有宋の末に及んで、
白璧肇て疵を生ず。
五家逓ひに鋒を露はし、
八宗並びに駆馳す、
余波つひに遙に引ひて、
殆ど排すべからざるに至る。
えつに吾永平有りて、
真箇祖域の魁をなせり、
つとに太白印を帯び、
扶桑に宗雷を振るふ。
大いなる哉択法眼、
竜象尚威を潜む、
盛んなり弘通の任、
幽も輝を蒙むらざるなく。
輝を垂れて島夷に及ぶ、
削るべきは皆すでに削り、
施すべきは皆すでに施せり、
師の神州を去ってより、
悠々幾多時ぞ、
枳刺高堂に生じ、
薫蘭草莽に萎む、
陽春たれか復た唱へん。
巴歌日に岐に盈つ、
呼嗟余少子、
此の時に遭遇す、
大厦の将に崩倒せんや、
一木の支ふる所に非ず、
清夜寝ぬる能はず、
反側して斯の詩を歌ふ。 唱導詞

風俗年々に薄く、朝野歳々に衰ふ、人心時々に危ふく、祖道日々に微かなり。

いつの世にもまさに人はこういう感慨を持つ、つまりはまさにこういうことなんでしょう、現代なぞ日本語も失われ、毎日犯罪の巣窟ですか、人心あるいはまったくまともではなく、サイレントマジョリティというその根底から軽薄ですか、あっはっは祖道日々にかそかなりと、なにさ道元禅師の法を守っていりゃ他のこといらんです、たとい地球滅亡もただ地球滅亡ってだけのことです、仏もとなんにもなしが損なわれることはないです。


師は盛んに宗称を唱へ、資は随って之に和す、師資互ひに膠漆し、死を守って敢へて移らず。

師と資、これを助けるもの弟子信者ですか、新興宗教まさにこんな具合、旧宗教もそりゃたいてい同じ、宗派を作り数を増やしいい暮らしをし政治に参与する、それには宗称を唱え、もとなんにもない仏教をあるあるといって言いふらすんです、言葉の尾ひれにくっついて人数の右往左往、百害あって一利なしの、いわゆる宗教です、若しこれを卒業したら、人類も地球もんみなのお仲間入りが出来ます、平和を唱えて戦争、だれかれ説得して喧嘩喧騒、こんなもんが他にあるはずもなし、その心情説話たるや死に体です、燃えないごみの日に出すしかないどーしようもなし。坐ればわずかに宗称を免れる、膠漆にかわうるしですか、さらりと免れ去ること。


法にして若し宗を立つ可くんば、古聖たれか為さざらん、人々共に宗を立つ、嗟我れいずくにか適帰せん。

法というもとまったくないんです、強いて云えば物理法則ですか、物理学は観察者を別の置くのでどうしても近似値です、もとこの我れがありよう記述に拠らんです、これを知る古聖すなわちお釈迦さまです、だれあってお釈迦さまです、良寛も道元さんもお釈迦さまと同じになる、記述じゃない身心もって証拠するんです、百人いれば百人宗を立つ、いよいよもってうるさったいのは、すでにしてみんな物真似です、きまってどこかに定規があると思い込む、花も鳥も雲もそんなふうではまったくないんです、良寛さんが一人っきり子供らと遊ぶしかないのはこれですか、ああ我いずくにか適帰せん、子供らへの対大古法はそりゃとんでもない現実です、よくまあ生涯。


諸人且らく喧ぐ勿く、我が唱導の詞を聴け、唱導自ずから始まり有り、請ふ霊山従り施かん。

喧騒そうじゃないこうだおれはというやつです、一般世の常平和と云えば戦争の、石を投げれば収拾のつかぬ波紋に干渉ですか、そいつをいったん止めて我が唱導を聴け、もう一つ石を投げるこっちゃないんです、唱導というひとりよがり手前勝手じゃないんです、独創や発明を超える、もとこのとおりにあるんです、霊山界上という、お釈迦さまの会下です、個々別々でありながら寸分も違わないんです、一器の水が一滴余さず一器にという名人芸まだるっこいこといらんのです、ねん花微笑して、我に正法眼蔵涅槃妙心の術あり、あげて迦葉に付嘱すと伝わる、そうして良寛に至る。


仏は是れ天中の天、誰れ人か敢へて是非せん、仏滅五百歳、人其の儀を二三にす。

もとまったく仏です、他にはないんです、これを受けるのにもとまったく受けるよりない、そこを間違うんです、だからおれはという、だからこうだだって云々、すでにして敗壊です、二束三文なんにもならずが却ってひけらかし、難しくなる、次第に偉くなる、一般庶民が拝聴して耳を傾けてやらねば存在できない、もうろくじじいの年を取るにしたがい介護が必要ですか、仏滅五百歳、人其の儀を二三とす、上座部に別け大衆部に別けする、十にわけ二十にわけする、なんの必要があって、学者食わんがための手段です、参禅をするももまずもってこれをかなぐり捨てる、ちらとも我利あっては涅槃は来ないんです、仏滅なんてありっこないです。ほうらこのとうりなーんにもなし。


大士此の世に方って、論を造って至微に帰す、唯道を以って任と為す、何れを是とし何れを非とせん。

大士というものが払底しちまったから、いくら良寛さんでも云うことなし、あっはっはまあそういうことだけれども人もとみな大士、大士でなければ命も命の喜びもないんです、ただもう生え抜きのそのまんま、仏これ仏教他にはなしです、論を造って至微に帰す、ノーベル賞でも貰いますか、一億総評論家と三十年前には云われて、今は観光観光閑古鳥ですか、せいぜいうまいものを食って云々、いずれを是となしいずれを非となす、なんせあほくさ。


仏法東に漸んで自り、白馬創めて基いを作す、吾師遠く来儀して、諸法頓に帰する有り。

白馬は白馬寺、中国最初の寺です、後漢明帝の代。吾師遠くより来儀してとは達磨さんのことです、ようやく頓に帰するあり、日本と同じです、百済から仏教伝来538嘘の始まりですか、ようやくにして道元禅師仏を伝える、頓知の法です、頓に無生を知る、百万だら仏教教義を並べ立てたとた、なんの仏にもならぬ、まずこれを知る、ことはじめです。


彼の大唐の盛んなる、斯の時より美なるはなし、衆を領し徒を匡し、箇箇法中の獅たり。

六祖禅師からいよいよ盛んに興る、もっとも美しい時であるという、衆を領し徒を匡す、まことにその通り、世の中の規範となることは、皇帝も補佐する官もまさにこれによる、箇箇法中の獅たりというのは、今もお寺には阿吽の獅子があって、そのまあ猛烈比類なきことは坊主というろくでもなしの、これが原本だとは到底思えぬほどに、猿芝居の法戦識やお布施あつめの得度式とはまったく無縁です、タイには七八世紀ごろの、国王が仏陀に会いに行くしきたりがあって、あるいは日本の鎌倉時代、執権が法を具現する、理想社会というのはまさにこれを云うんです、今の中国共産党は一神教のカリカチュアですか、どうにもこうにもがらくたです、はた迷惑お騒がせてめえの保身のためのほかにはなんにも出来ない、しかもそれを知らないんですか、最低です。


頓漸機を逗むと雖も、南北未だ岐を分たず、此の有宋の末に及んで、白璧肇て疵を生ず。

六祖と神秀上座の南北あい別れですか、頓に無生を知ることは自分を省みること不可能です、自分を省みて次第これをよくして行こうという愚かを知る、南北未だ岐を分たずとは、たとい頓悟するもついにこれを得る、朝打参禅暮打八百です、いわば毎日壊変です、これなくしてはただの人にならんです、日々思い上がりを撲滅して下さい、ついにものを得ずです。宋末に於いてようやく玉に疵ですか、いや歴史は何云おうがちゃーんとわしまで伝わったんです、それでいいです。


家遞に鋒を露はし、八宗竝びに驅馳す、余波つひに遐に拖ひて、殆ど排すべからざるに臻る。(漢字が二三違っています)

五家は臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼宗の五つ、それぞれ秀でた人のあとに就くんですか、互いに交流があったあたりはよかったんですか、八宗は聖徳太子のころにすでに輸入していた、華厳、律、法相、三論、戒実、倶舎に、天台、真言ですか、なんでいまさらっていうんですが、本来本当のほかには余計です、諸門あってもとは同じといったって、五家八宗不都合です、いずれ良貨は悪貨を駆逐するわけで、習慣になりお布施稼ぎになり、たいていは仏教のぶの字もなくなって、仏教をてめえ自堕落の弁護に利用するだけとなる、悟ったといって開き直るものまたもっともこの類です、悟ったおれは色欲を離れ不動心などいうのを、もうろくじっさみたいに人に聞いて貰わなくてはいられん、こりゃ本末転倒もいいところで、自分があるゆえに為人のところが出来ない、基本わざがなっちょらんのです、もうひとつおまけに反省力〇、次第に偉くなっちまうのは、余波ついにひいて排すべからざるに至るの、五家八宗の成れの果てに同じく。


えつに吾永平有りて、真箇祖域の魁をなせり、つとに太白印を帯び、扶桑に宗雷を振るふ。

道元禅師がついにこれを得て帰朝して、越前永平寺に法幡を翻す、真箇祖域の魁となる、太白印です、お釈迦さま明星一見の事です、これなくんば仏教はないです、扶桑我が国に宗雷を揮う、天地同根どかん一発ですか。


大いなる哉択法眼、竜象尚威を潜む、盛んなり弘通の任、幽も輝を蒙むらざるなく。

大いなるかな法眼をつまびらかにす、一言一句たがわざるなし御開山道元禅師、まったく他の追随を許さないです、普勧坐禅義から正法眼蔵その顕はすところは、もとより本来仏です、仏らしいこともこうすべきこうなるはずの推論、離れて遠くに見ることの毛ほどもなし、ただこれ盛んなり弘通の任、幽かそかに暗い見えない隅々まで照らし尽くして余りあり、今にもって最大の任、まさに第一人者です。ただし正法眼蔵を読んで悟ったの真意だのいう人たいていまったくのでたらめです、曲学阿世の徒どころではなく、正法眼蔵に涙のあとを残す良寛禅師の、そりゃもう爪の垢を飲んだって追っつかぬです、どうーしよーもない手前味噌は百害あって一利なす、無心ではなく有心を求めること不可、万里の波濤を超えに入宋沙門の、まるっ裸の不惜身命をまずもって見習うべきです、自分用なしから入って下さい。


輝を垂れて島夷に及ぶ、削るべきは皆すでに削り、施すべきは皆すでに施せり、師の神州を去ってより、

島夷我が国のことですか、仏のない仏道を知らぬ島夷です、そこをもって噂の仏教よこしまの修行を削る
いらんことはいらんことです、まわりくどいことをすればまわりくどいだけです、右の頬を打たれりゃ左を出せのあつかましさ、心して狭き門より入れと、狭い門から入ったら狭いっきり、過った宗教他愛なし、およそこれを宗教とは云わぬ、施すべきは皆すでに施せりと、広大の慈門もって示す、仏の掌です、すでに去りてより久しく。


悠々幾多時ぞ、枳刺高堂に生じ、薫蘭草莽に萎む、陽春たれか復た唱へん。

永平六代にしてようやく衰微すと、枳殻からたちが法堂に生え、せっかく薫草も野草の中に萎む、どうもこれ仏教といういったんは滅びたんですか、形骸ばかりが残ってついに、陽春たれかまた唱えんと嘆かはしい次第になった、臨済宗でも盤桂禅師、至道無難正受老人と継いで跡がないです。明治に到って北野元峰禅師が開示される、飯田とう(木へんに党)陰老師が独力で只管打坐を復興する、そういうことはあったんですが、他まったくのでたらめです、すでに命脈尽きたんですか。


巴歌日に岐に盈つ、呼嗟余少子、此の時に遭遇す、大厦の将に崩倒せんや、一木の支ふる所に非ず、清夜寝ぬる能はず、反側して斯の詩を歌ふ。

巴歌は野卑なる歌、悟ったさん困ったさんの大勢ですか、印可底などいって仏教のぶの字もないんですか、紙ぺら一枚をもって証拠とする、あるいは坐禅も仏も歯牙にも掛けぬ右往左往の、食えなくなってようやく慌てるらごら坊主ですか。ああ我れ少子、この時に遭遇す、何をどうしようたって圧倒的に力不足です、大かは大家です、崩壊しようとするのに一木じゃ支えにならぬ、清夜寝ぬるあたわず、転々反側寝返りをうつんです。自分というものがまったく失せ切って、理論上は不落安穏がなかんずくそうはいかない、良寛一生不離叢林は、がきどもを先輩にする対大古法です、なんてえまあこんなめちゃくちゃな、すげーもんだってただもう舌を巻く。

----------

之則の物故を聞く二首

人生百年の内、
汎として中流の船の若し、
縁有り因無きに非ず、
誰れか心を其の辺に置かん。
昔二三子と、
翺翔す狭河の間、
文を以て恒に友を会し、
優遊云に年を極む。
何んぞ況や吾と子と、
嘗て先生の門に遊ぶ、
行くには即ち車騎を並べ、
止まりては即茵筵を同じうす。
風波一たび処を失して、
彼此天淵の如し、
子は青雲の志を抽んでて、
我れは是れ金仙を慕ふ。
子は東都の東に去り、
我れは西海の藩に到る、
西海は我が郷に非ず、
誰れか能く長く滞らん。
去去旧閭に向ひ、
杳杳雲端を凌ぐ、
聊か一把の茅を得て、
居を九上の嶺に占む。
故園疇昔に非ず、
朝夜変遷多し、
人に逢ふて朋侶を問へば、
手を挙げて高原を指す。
鳴咽して言ふ能はず、
良久して涙漣漣たり、
昔は同門の友たり、
今は苔下の泉となる。
昔は常に歓言に接せしが、
今は亡と存と為れり、
三界何ぞ茫々たる、
六趣実に論じ難し。
之を釈てて道路に就き、
錫を振って人煙を望む、
青松道をさしはさんで直く、
宮観雲中に連なる。
楊柳翠旗を揺かし、
桃花金鞍に点ず、
市中佳辰に当たり、
往来何ぞ連綿たる。
之を顧みるに相識に非ず。
安んぞ濽然たらざるを得ん。

之則の物故を聞く二首

人生百年の内、汎として中流の船の如し、縁有り因無きに非ず、誰れか心を其の辺に置かん。

之則ゆきのりは武左衛門という地蔵堂町の庄屋。人生百年のうちです、汎広大はてなきさま、中流の船の如しとはこれ人みなの実感ですか、背まーいこれっこっきりだってそりゃやっぱり同じこってす、因縁の有るというまた無きにしもあらず、そりゃほんとにそうです、だれかれくんずれほんずれじゃないです、誰か心を辺、寄り付く岸ですか、だからこうだおれはという、次にはまったく別の岸ですか、なにがどうあるべき、たとい無二の親友も明日は朝露。


昔二三子と、翺翔す狭河の間、文を以て恒に友を会し、優遊云に年を極む。

むかし幾人か仲間を語らって、こうしょう、得意がって狭河の間、西川という地蔵堂を流れる川があった、広大無辺の仏の世界ではなく、文をもって付き合う文人才子の集まりです、優雅に遊んでここに年を極める、さようならというんです。良寛の書もあり歌もありなかんずく詩は抜群です、文人として右に出る者なし、おそらく永遠に残るでしょう、ほんとうにただ書く文字、王義之の他にそんな人めったにないです。


何んぞ況や吾と子と、嘗て先生の門に遊ぶ、行くには即ち車騎を並べ、止まりては即茵筵を同じうす。

お前と俺と同期の桜ですか、先生は大森子陽という人、車を並べて行き、同じ敷物に坐ったという、同窓会というよりこれは同郷だから、終生の仲むつまじさですか、わしみたい川流れの馬の骨にはよくわからんです、同窓同郷ようやく疎し。天地空明花あり月あり。


風波一たび処を失して、彼此天淵の如し、子は青雲の志を抽んでて、我れは是れ金仙を慕ふ。

青雲の志とじきに幕末ですか、良寛は国仙和尚のあとにくっついて玉島の円通寺に行く。彼此天淵の如し、天地かけはなれる様子。


子は東都の東に去り、我れは西海の藩に到る、西海は我が郷に非ず、誰れか能く長く滞らん。

東都の東に去り、江戸に赴いたんですか、西海の藩は備中玉島の円通寺です、今も残っているそうです、観光資源ですか、曹洞宗の修行場は観光だけです、本山という仏教のぶの字もなく、格好をつけてらしくの坊主造りのほかなく、淋しい悲しい事件です。禅堂はいたずらにして静けさや涙すなるは出家せぬ尼、尼僧堂のほうがでたらめ破れほっかいですか。西海は我が郷に非ず、誰かよく長く滞まらんと、良寛は托鉢して歩き、清の国までも行くつもりだったらしいです、わしの弟子もぶち抜いた後、托鉢して沖縄までも行こうとて、開門岳から年頭挨拶してきたのをようやく呼び返した、天地あまねく故郷を知る、これ仏。


去去旧閭に向ひ、杳杳雲端を凌ぐ、聊か一把の茅を得て、居を九上の嶺に占む。

去り去りて旧閭、故郷に向い、ようようとして、わけもわからず雲端をしのぐ、雲をかきわける底の雲水行ですか、九上山の五合庵は大正時代に模して作ったのがあり、今は御多分に漏れずの観光開発です、時に人を案内する、売店でたこあしのから揚げを買ってむしゃむしゃ食い歩き。


故園疇昔に非ず、朝夜変遷多し、人に逢ふて朋侶を問へば、手を挙げて高原を指す。

故園は故郷疇昔はむかし、世は移り事変わるわけです、これは今の世のほうがもっと激しいんですか、故郷といったって思い出のひとかけらもないそんな風景です、故郷喪失、むかしの川がない、命のないような淋しさ空白ですか、人に出会いだれかれを問えば、高原墓のある高台を指差す。たといなんにもなくっても木の葉一枚雲の流れるさえ故郷です、心無心にして、そこなわれることなし、無心とは心の無いことです、ないもの失われず、たった今さえこれ。


鳴咽して言ふ能はず、良久して涙漣漣たり、昔は同門の友たり、今は苔下の泉となる。

すなわちこういうことがある、死に別れ生き別れするんですか、わしのようなどうしようもない親不孝はた迷惑は、苦いというより折れ釘のように心身を穿つ、菩提を弔うとはどういうことか、生まれ変わり死に変わりを願うんですか、いいや仏まっさらです、たといどうなとこれっから先も傷つかぬのです、するとだれかれ親腹から蓮の葉っぱの露の玉のように。


昔は常に歓言に接せしが、今は亡と存と為れり、三界何ぞ茫々たる、六趣実に論じ難し。

むかしは常に楽しい喜びの会話があったのに、今は死んだ人と生き残った人になった、三界は欲界色界無色会ですとさ、浮世あの世のすべてですか、六趣は六道に同じ地獄餓鬼修羅畜生人間天上です、実に論じ難とは実際です、どうしようもこうしようもない現実は、ただもう目の当たりする以外にないです、これを知るを仏という悟りというんです、三界なんぞ茫々たる、取り付く島もないんです、自分とはこれ坐禅とはすなわちこれです。


之を釈てて道路に就き、錫を振って人煙を望む、青松道をさしはさんで直く、宮観雲中に連なる。

釈という字を捨てるに当てる、ものを知るつまびらかにするとはまさに捨てることです、自我が関わればどんずまりおしまいです。錫杖はこれを引いて托鉢する、たった一つ糧のたのみであり人と付き合うことだった、青松をたばさんで道直くとはまさに実感です、だれがなにしてどうした政治が文学がという、あるいはまったく脇目も振らず、宮観ものみやぐらのような高い建物ですか、雲中につらなると貧富の差なにがなし、鉢の子の一椀ですか、一生不離叢林観音様ですか。


楊柳翠旗を揺かし、桃花金鞍に点ず、市中佳辰に当たり、往来何ぞ連綿たる。

やなぎは緑の旗をうごかし、桃の花は金の鞍に散る、市中もっともよき時、往来は連綿として続き、春の美しい賑やかな風景ですか、柳は緑花は紅という、詩人また成句を連ねて人に訴える。


之を顧みるに相識に非ず。安んぞ濽)然たらざるを得ん。

これを見るに知った人はだれもいない、さん然さめざめと涙を流すさま。生きていりゃぬくもりがあるかと、良寛さんはついにひとりぼっち。江戸からの墨客も忘れて月を仰いで突っ立つ。

----------
(之則の物故を聞く二首)

今日城下に出でて、
千門に食を乞ふて之く、
路み有識の人に逢ふ、
道ふ子黄泉に帰せりと。
忽ち聞いて只夢の如く、
思ひ定まって涙衣を沾す、
子とは少小より、
往還す狭河の陲
啻に同門の好みのみにあらず、
共に烟霞の期あり、
家郷より分飛して後、
消息両りながら夷微たり。
此の揺落の候に当たり、
我れを捨てて何処へ行きし、
聚散元より分有り、
誰か能く永く追随せん。
呼鳴復た何をか道はん、
錫を飛ばして独り帰る来る。


(之則の物故を聞く二首)

今日城下に出でて、千門に食を乞ふて之く、路み有識の人に逢ふ、道ふ子黄泉に帰せりと。

今日城下に出て千門、たいてい百門ぐらいでくたびれてしまうけど、托鉢して歩いて行った、そうしたら知り合いの人に出会った、之則が死んだと云う。


忽ち聞いて只夢の如く、思ひ定まって涙衣を沾す、子とは少小より、往還す狭河の陲。

聞いて夢のようであった、思い定まって涙衣をひたす、彼とはほんのがきのころから、西川の辺を行き来する。


啻に同門の好みのみにあらず、共にえん烟霞の期あり、家郷より分飛して後、消息両りながら夷微たり。

同門のよしみだけではなく、えん霞隠棲して山水を愛するはなはだしと、同じくそんなふうであったというんです、家郷をあとにしてから、二人ながらなんの頼りもなかった。


此の揺落の候に当たり、我れを捨てて何処へ行きし、聚散元より分有り、誰か能く永く追随せん。

この揺落の候落ち葉の季節秋です、おれを見捨ててどこへ行っちまったんだ、もとより集散また分あり、いったいだればが永遠につきしたがうものぞ。


呼鳴復た何をか道はん、錫を飛ばして独り帰る来る。

ああまた何をか云はん、何を云っても届かない、届かないものこれ、錫杖をついて一人行く、帰るというしばらく帰る所ありと思う。

----------
秋日天華上人と雲﨑に遊ぶ

夫れ人の世に在る、
汎として水上の蘋の如し、
誰か心を其の際に容れん、
縁有り因無きに非ず。
錫を振りて親故に別れ、
手を挙げて城闉を謝す、
納衣聊か破れしを補ひ、
一鉢知りぬ幾春なることを。
偏へに愛す草堂の静、
薄らく言に佳辰を消す、
同調復た相得て、
誰か主と賓を論ぜん。
風は高し松千丈、
霜冷ややかにして菊幾輪、
手を青雲の外に把って、
相忘るる寂莫の浜。


秋日天華上人と雲﨑に遊ぶ

夫れ人の世に在る、汎として水上の蘋の如し、誰か心を其の際に容れん、縁有り因無きに非ず。

人間がこの世の中にあることは、広範偏在なきですか、水上の浮き草の如くです、浮世というんですか、それをだからどうの点と線を結んで最短距離して、滑稽ともなんと大真面目のなんのかの、袖刷りあうも縁という、因果必然という、もとこうあるんです、因果を辿ってもそりゃかいないとは云わんが、かきよごし尻切れとんぼの、科学というお釣りが来るのを、そりゃどーしようもないんです。


錫を振りて親故に別れ、手を挙げて城いん(門に切)を謝す、納衣聊か破れしを補ひ、一鉢知りぬ幾春なることを。

良寛托鉢行のいわれですか、たしかに身を養うことは城いん、街なか世の中に謝すんです、額に汗して働かぬものには一文もやらぬと、追い返す門にさえぬーっと鉢の子をつきだす、謝すこと満腔宇宙の如くして、一切因縁を絶つほどにかつがつ生き伸びるんです、わしのようなぐうたらどうしようもなしが、まったくつくずくそう思います、良寛正解です、一鉢知りぬ幾春を、すずめといっしょに托鉢して行く、そんなものは不用とまさに正解。


偏へに愛す草堂の静、薄らく言に佳辰を消す、同調復た相得て、誰か主と賓を論ぜん。

ひとえに愛す草の庵の静けさ、しばらくここにの使い様は詩経国風にある、良寛の愛読書らしい、佳辰を消すとは頼りを消すほどでいいか、只管の消息吐く息吸う息ですか、すると同じような一人二人いて、やって来るとどっちが主でどっちが客だかわからない。鬼やんまが入ってきてホバーリングしてテレビを見ている、うっふっふそんなふうですか。


風は高し松千丈、霜冷ややかにして菊幾輪、手を青雲の外に把って、相忘るる寂莫の浜。

松に風あり、霜に菊ありですか、手を伸ばすと雲の外です、これ普通の人にはできないです、身心脱落自分というものがないんです、手に持ったお椀の中にころっと入っている、すると淋しいとか孤独とかいう識域が失せるんです、寂莫の浜じゃなく月を仰いで忘我です。実在不可思議。

----------
秋夜香聚閣に宿り早(よあけ)に檻に倚りて眺む

日夕精舎に投じ、
盥漱青蓮を拝す、
一灯幽室を照らし、
万象倶に寂然たり。
鐘声五夜の後、
梵音林泉を動かす、
東方漸くすでに白く、
泬寥たり雨後の天。
涼秋八九月、
爽気山川を磨す、
宿霧陰壑に凝り、
初日層巒に登る。
宝塔虚空に生じ、
金閣樹杪に懸る、
絶巘飛流灑ぐ、
積波通天に接す。
杳杳津を問ふの客、
汎汎渡を競ふの船、
州渚何ぞ微茫たる、
杉檜の翠餐すべし。
伊昔遐異を貴び、
足跡殆ど遍ねからんとす、
如今此の地に遊ぶ、
佳妙信に宣べ難し。
たれか香聚界を取りて、
之を予の目前に置ける、
俯して仰ぐ一世の表、
吟詠聊か篇を成す。
帰朝如何ともするなく、
長途忽ち心関ず、
人間虧盈有り、
再来定めん何れの年ぞ。
去らんと欲して且らく彷徨し、
錫を卓して思ひ呆然。

秋夜香聚閣に宿り早(よあけ)に檻に倚りて眺む

日夕精舎に投じ、盥漱青蓮を拝す、一灯幽室を照らし、万象倶に寂然たり。

どっかのお寺に泊まったんだな、お寺は修業道場すなわち祇園精舎の末裔だが、一家団欒葬式稼業嘘八百の猿芝居ではないはず、それなりの環境を整え清々として、余計なものを排除する、れっきとした僧堂まで私有財産、葬式稼業の訓練所または観光地であると、そりゃ仏教死に絶えた、ただのでたらめ我田引水です。盥に行脚して来たその足を漱ぐいで青蓮、蓮のうてなにまします本尊仏を拝するんです、托鉢行脚の者拝宿は四時までにという他決まりがあった、わしの雲水のころはもうすっかりすたれて、お寺はただもう嫌悪感あらわにそっぽを向いた。部屋に通されて一灯かすかに照らし、ものみなともに寂然たり、自分というもののまったくないありさまです。


鐘声五夜の後、梵音林泉を動かす、東方漸くすでに白く、泬寥たり雨後の天。

五夜ののちは午前四時です、出家して四時に鐘を付く、こいつがいちばん参ったなあなんせそれまで面に日の当たるまで寝ていたから、ごーんとわっはっは家鳴り震動響き渡る、お経は六時から、夏はもう四時でも明るい、きょう寥空しい太虚です、太虚の洞然なるが如くという、雨が降っていたんです。


涼秋八九月、爽気山川を磨す、宿霧陰壑に凝り、初日層巒に登る。

風景のまさにこのようなありさまを如実にする、涼秋八九月です、爽気山川をみがく、霧は谷を埋めて、ようやく日が登るありさま、大法のありようとは違うではないか、悟った人には別様に見えるはずという、たしかにまったく別様です、雪舟の絵がこれをよく表しています、でも人の慣れ親しんだ言葉を用いてもなんら不都合はないんです、良寛の歌が法語と同じに見えるのは、別段特異事情によるものではないこと、よくよく参じ尽くしてこれをつぶさに見て下さい。


宝塔虚空に生じ、金閣樹杪に懸る、絶巘飛流灑ぐ、積波通天に接す。

香聚閣というお寺だそうですこりゃもう立派な大伽藍ですか、それとも詩の抜群ですか、宝塔仏舎利を奉る五重塔ですか、金閣は仏殿法堂ですか、物の見事に大自然の中にある、飛流そそぐ、滝があったりするんですか、山並みを重ねて天に通ずと、詩作自在は必ず習い覚えたものに追加する、良寛の独創は凡庸の手段ではないです。


杳杳津を問ふの客、汎汎渡を競ふの船、州渚何ぞ微茫たる、杉檜の翠餐すべし。

杳としてというまったくわからないほどの津は港ですか、汎とはただようさまですか船を渡す、彼岸にわたる法の舟、あんまり広大あんまり渺茫、砂州も渚もちんぷんかんぷん、まあさ杉檜の緑でも食っておけ。あっはっはこりゃどう読んでもそんなふうにしか聞こえないけどな、風景とすりゃ面白いけれど、やっぱりこれご立派なお寺の姿ですか、ようもわからんどうぞご勝手に。


伊昔遐異を貴び、足跡殆ど遍ねからんとす、如今此の地に遊ぶ、佳妙信に宣べ難し。

伊昔はむかしです、かい遠くへだたりたるところと、地の果てまでですか、托鉢行脚して行く、ほとんど行かぬところなしというぐあいです、清の国へまで足を伸ばすはずだった、そうしてたった今ここにいる、いやもうそのすばらしいことは言葉もなくと。


たれか香聚界を取りて、之を予の目前に置ける、俯して仰ぐ一世の表、吟詠聊か篇を成す。

香聚界とは香象菩薩の住む所とある、香聚閣というお寺の因縁であろうが、菩薩もお寺も興味ある人は調べて下さい、どうもわしは勉強嫌いで失礼致し候です、なにしろすばらしいもので、こうして俯仰するをもって吟詠して一篇の詩になった。


帰朝如何ともするなく、長途忽ち心関ず、人間虧盈有り、再来定めん何れの年ぞ。去らんと欲して且らく彷徨し、錫を卓して思ひ呆然。

時来たら辞するよりなく、長途長い旅も心とざす、あんまり気が進まない、人間も月のように満ち欠けがある、でもまたいつここへ来られることか、というんです詠嘆はなはだですか、殺し文句の世界をもっぱらにするんですか、なーるほど。去ろうとしてしばらくあたりをさまよう、錫丈をとんと突いて思い呆然ですかあっはっは。ようできました三重丸たってわしには、詞の素養もないしとってもこんな詩は出来ないんです。

----------
寛政甲子の夏

凄凄たる暮芒種の後、
玄雲欝として披らけず、
疾雷今竟夜に振るひ、
暴風終日吹く。
洪燎階除に襄り、
豊注田菑を沈む、
里に童謡の声なく、
路に車馬の帰る無し。
江流何んぞ滔滔たる、
首を回らせば臨沂を失す、
凡民小大となく、
作役日に以って疲る。
畛界の焉に在るを知るらん、
堤塘竟ひに支え難し、
小婦は杼を投じて走り、
老婦は鋤によりて睎む。
何れの幣帛か備はらざる、
何れの神祇か祈らざる、
昊杳として問ひ難く、
造物聊か疑ふべし。
孰か能く四載に乗じて、
此の民をして依るところ有らしめる、
側に里人の話を聴けば、今年は黍稷滋く、
人工は居常に倍し、
寒温其の時を得、
深く耕し疾くくさぎり、
晨に往きて夕に之を顧みたりと。
一朝地を払うて耗す、
之を如何ぞ罹ひ無けん。 寛政甲子の夏

凄凄たる暮芒種の後、玄雲欝として披らけず、疾雷今竟夜に振るひ、暴風終日吹く。

ぼう種は陰暦六月五日ごろですとさ、淋しいすざましい葦原の風景ですか、玄雲まっくろい雲です、空をおおおって、夜中雷が鳴りはためき、一日中暴風が吹く、文化甲子の年だそうです。


洪燎階除に襄り、豊注田菑を沈む、里に童謡の声なく、路に車馬の帰る無し。

洪燎は洪水です、階除にのぼり、土手や堰を越えてきたんでしょう、豊注は大雨または大水ですか田しは田や畑です、田畑を沈める、煙の火ではなくさんずいにする、漢文の素養わしらの世代のは到底及びもなく、こうでもなけりゃそりゃ漢詩は作れないですか、平仄や韻の問題ではないです、里に童謡の声なく、がきどもが歌っていない、路に車馬の帰るなし、人っ子一人いないんですか、心理だのたとい環境条件だのぶつくさごたくさ云ってないんです、現代詩だの歌も俳句ももういっぺん元へ帰る必要があります、妄想思いつきではなくそのものずばり、まったくこれにて十二分です、歌の傑作は明治維新の志士どもですか、言うこと為すこと判然としていて命がけです。正岡子規は一世一代のああゆう人です、それに尾ひれをつけて現代俳句だの歌だのまったくのごみあくた、なんにもならない代わりに世の中の物云いをめちゃくちゃにしちまったです、今の心の退廃はおうよそこれによる。国語教育の根本がもう間違っているんです、もって省すべきです。


江流何んぞ滔滔たる、首を回らせば臨沂を失す、凡民小大となく、作役日に以って疲る。

信濃川がぐるっと廻って流れる、よって中ノ島村は三年にいっぺんしか収獲がなかった、明治に到って分水を作って海に流す、中ノ島村対岸の与板は良寛の生家がある、五合庵は分水の辺となった、堤に1mのところまで水が来たとき行ってみると、河川敷から中州を浸して滔滔たることは、ミニ揚子江の感じ、首を回らせば臨きを失す、いちめんの水っていうのはまさにまったくこれ、作役人夫に出ることですか、人力ではいかんともしがたしたって、人力以外にはなく、だれかれこりゃもうくたびれはてる他ないです。


畛界の焉に在るを知るらん、堤塘竟ひに支え難し、小婦は杼を投じて走り、老婦は鋤によりて睎く。

しんは田んぼ、畦も境涯もなくなった、堤は崩壊する、若い女は機織のおさを投げて走り、年寄りの女は鋤にもたれよって嘆くはいことほどさようです


何れの幣帛か備はらざる、何れの神祇か祈らざる、昊杳として問ひ難し、造物聊か疑ふべし。

幣はくぬさですか、神様に願うときのてだて、ぬさもとりあえず手向け山、まいないですか、不備であったか、どこか祈らない神様があったか、こう天空のことはさっぱりわからない、造物天地を創造した神さまをちいっとばかり疑うっていうんです。越後は地滑り地帯が多く、人柱を建てて祈願するのに、そうそうは行き倒れは転がってない、ふんどしの汚いやつをえらんで生き埋めとかほんとにあったらしい、乙女の人身御供なんていうむかしから嫁日照りをそんなもったいないことはできんという。神さまに云うこと聞かせるには人を生贄にするというのは、殷のころからあったんですか、道という字はしんにゅう村の出入り口に首を埋めたことによると、白川博士が云った、彼はほんとうの学者だった。とにかくどうしようもこうしようもない理不尽、そんじゃかなわないからなんとかしよう、しておくれという、政治とはまったくこれ。


孰か能く四載に乗じて、此の民をして依るところ有らしめる、側に里人の話を聴けば、今年は黍稷滋く、

四載春夏秋冬を四つの乗り物にたとえる中国古来の言い方、この民をたよるところあらしむる、なんとかしてやる方法はないものか、里人の話を聴けば、今年はしゅしょく、穀物の稔りはよく、


人工は居常に倍し、寒温其の時を得、深く耕し疾くくさぎり、晨に往きて夕に之を顧みたりと。

人のまた常に倍して面倒をみたと、深くたがやして草を抜き、朝に行き夕べに見回りした、
一朝地を払うて耗す、之を如何ぞ罹ひ無けん。
それを一朝にして全滅です、これをなんとも思わずにいられようか。諸行無常盛者必衰という観念論ではなく、じかに憂い涙を流すさま、だからいわんこっちゃないなど云う坊主じゃないんです、ひでりの夏はおろおろ歩きという詩人ですか、いいえ悟りを開くとは、飾りっけなく無防備まるっぱだかなんです、まずもってこれを知って下さい。

----------
伊勢道中苦雨の作。二首

我れ京洛を発してより、
指を倒す十二支、
日として雨の零らざるなし、
之を如何ぞ思ひ無けん。
鴻雁翅応に重かるべし、
桃花の紅転たた垂る、
舟子暁に渡を失ひ、
行人暮れに岐に迷ふ。
我が行殊に未だ半らならず、
領(うなじ)を引いて一たび眉を顰む、
且つ去年の秋の如く、
一風三日吹く。
路辺には喬木を抜き、
雲中茅茨を揚ぐ、
米価之が為に貴く、
今春亦斯くの如し。
斯くの若くして倘止まずんば
蒼生の罹を奈何せん 伊勢道中苦雨の作。二首

我れ京洛を発してより、指を倒す十二支、日として雨の零らざるなし、之を如何ぞ思ひ無けん。

京の町を出てから十二日間ですか、一日として雨の降らない日はなかった、これにどうして思い到らなかったのかというのです、托鉢行なんといったって雨が難物です。


鴻雁翅当に重かるべし、桃花の紅転たた垂る、舟子暁に渡を失ひ、行人暮れに岐に迷ふ。

鴨も雁がねもつばさ重ったるう、桃の花はせっかく咲いたのに垂れっぱなし、渡し守はあかつきに舟をわたしそくね、客はた夕暮れに路に迷う、対句を使うあさにらしくですか、面白いです。


我が行殊に未だ半らならず、領(うなじ)を引いて一たび眉を顰む、且つ去年の秋の如く、一風三日吹く。

まだ半分も行かぬ、首を引いて眉をひそめる、去年の秋を思い出した、風が吹いたら三日も止まなかったが。


路辺には喬木を抜き、雲中茅茨を揚ぐ、米価之が為に貴く、今春亦斯くの如し。斯くの若くして倘止まずんば蒼生の罹を奈何せん

道っぱたに木が根扱ぎになって、空には茅葺のかやが吹っ飛ぶ、こんなふうで米の値段が高くなった、この春また同じようなふうでもって。

----------
(伊勢道中苦雨の作。二首)

投宿す破院の下、
孤灯思ひ凄然たり、
旅服たが為に乾かん、
吟詠して聊か自ら寛ぐ。
雨声長く耳に在り、
枕をそばだてて暁天に至る。 (伊勢道中苦雨の作。二首)

投宿す破院の下、孤灯思ひ凄然たり、旅服たが為に乾かん、吟詠して聊か自ら寛ぐ。

破れ寺に宿を借りる、そりゃ孤灯凄まじいものがあります、蝋燭の火でも点けるんですか、風でも吹けばぞっとしない物音がして、濡れた衣をひとり乾かす、どうにもこうにもですか、詩を吟じていささか自ら寛ぐと、いついつかこうして故郷に帰りついたんですか。


雨声長く耳に在り、枕をそばだてて暁天に至る。

若しかくの如くして止まずんば、蒼生の憂い如何せんと、人々のたいへんなありさまを歌いながら、つきはなたれたような孤独ですか、孤独といわず孤俊という、ひとりぼっちの観音さまなんているわけないんです、一木一草まさにおのれのもの、雨声とともに、一人起き出でて暁にいたる、わしみたいなぐーたらもすなわち夜があんまり長くって往生したことがあったな。

----------

藤氏の別館

城を去る二三里、
適たま樵采の行くに伴ふ、
路を夾んで青松直く、
谷を隔てて野梅香し。
我れ来って得る有るが若く、
錫を卓す即ち我が郷、
池古うして魚竜戯れ、
林静かにして白日長し。
家中何の有する所ぞ、
詩書わずかに一牀のみ、
情を縦しいままにして衣帯を緩うし、
句を拾うて聊か章を為す。
晩に歩く東廂の下、
春禽復た云に翔ける。

藤氏の別館

城を去る二三里、適たま樵采の行くに伴ふ、路を夾んで青松直く、谷を隔てて野梅香し。

お城から二三里、樵采たきぎを取る人について行く、両側には松が青く、谷をへだてて梅が香る。


我れ来って得る有るが若く、錫を卓す即ち我が郷、池古うして魚竜戯れ、林静かにして白日長し。

我れ来たってなにかしら得るものあるがごとく、錫を置いて滞在するこは我が故郷、池は古く魚どもがわわむれ、林は静にして白日長し、春をのんびりですか。


家中何の有する所ぞ、詩書わずかに一牀のみ、情を縦しいままにして衣帯を緩うし、句を拾うて聊か章を為す。

なんにもないところで、わずかに詩の本一冊、情をほしいままにして緩く衣帯をかけ、句を拾ってわずかに章をなす。


晩に歩く東廂下、春禽復た云に翔ける。

東の軒先を歩く、きじかやまどりがまた飛ぶというんです、たきぎとりから始まって、あっはっは粋がっているわけです。藤氏の別邸ですとさ。

----------

子陽先生の墓を吊ふ

古墓荒岡の側、
年々愁草を生ず、
灑掃人の侍するなく、
適たま蒭蕘の行くを見る。
憶ふ昔総角の歳、
従ひ遊ぶ狭水の傍ら、
一朝分飛の後、
消息両りながら茫々たり。
帰り来たれば異物と為る、
何を以てか精霊に対へん、
我れ一掬の水を灑ひで、
聊か以って先生を弔ふ。
白日忽ち西に沈み、
山野只松声のみ、
徘徊して去るに忍びず、
涕涙一裳を沾す。 子陽先生の墓を吊ふ

古墓荒岡の側、年々愁草を生ず、灑草人の侍するなく、適たま蒭蕘の行くを見る。

子陽先生の墓をもうでる、荒れ放題のありさまに、掃除をする人もなく草むす、あらまあつたがからまって。


憶ふ昔総角の歳、従ひ遊ぶ狭水の傍ら、一朝分飛の後、消息両りながら茫々たり。

狭水は今の西川、用水路になって信濃川から流れめぐる、みんなで遊んだ川の辺りを、お互い巣立って後さっぱりもうわけもわからなくなっていた。


帰り来たれば異物と為る、何を以てか精霊に対へん、我れ一掬の水を灑ひで、聊か以って先生を弔ふ。

旅から帰ってくると異物、もうこの世にはいなかった、何をもって霊にこたえよう、我れ一掬ひとすくいの水をそそいで、しばらくは先生を弔う。


白日忽ち西に沈み、山野只松声のみ、徘徊して去るに忍びず、涕涙一裳を沾す。

陽は西に沈み、山野は松の風に鳴る音だけ、さまよい歩いて行き去り難し、涙もすそをうるをす。

----------
無常信に迅速
刹那々々に移る
紅顔長に保ち難く
玄髪変じて絲と為る
弓は張る脊梁の骨
波は疊む醜面の皮
耳蝉竟夜鳴り
眼華終日飛ぶ
起居長く嘆息し、
依稀として杖に倚って之く、
常に憶ふ少壮の楽、
業に添ふ今日の罹ひ。
痛ましき哉老を恫むの客、
彼の霜下の枝の若し、
生を三界に受くる者、
誰人か斯に到らざらん。
念念暫らく止むこと無し、
少壮能く幾時ぞ、
四大日々に衰へ、
心身夜夜に疲る。
一朝病に就ひて臥し、
枕衾長く離るるなし、
平生嘍囉を打たくも、
此に至って何の為す所ぞ。
一息わずかに切断せば、
六根共に依る無し、
親戚面に当たって嘆き、
妻子背を撫して悲しむ。
渠を喚べどもかれ応へず、
かれを哭すれどもかれ知らず、
冥々たり黄泉の路、
茫々且つ独り之く。 起居長く嘆息し、依稀として杖に倚って之く、常に憶ふ少壮の楽、業に添ふ今日の罹ひ。

立ち居振る舞い億劫で如何ともしがたしです、なにしろ杖にたよってどったらばたら、思うのは少壮血気盛んだったころの楽々清々ですか、すでに添ふ業のようなものですか今日の愁いどーもこーもならんです、あっはっは無老復無老尽、年寄るを忘れるんですよ、一柱坐って清々比類無き、云ってみりゃそりゃ明日きりないんです、夢も希望もないのが仏って夢と希望しかないんです。


痛ましき哉老を恫むの客、彼の霜下の枝の若し、生を三界に受くる者、誰人か斯に到らざらん。

老いを愚痴る人の痛ましいありさま、霜の降る枝の如くと、しわがれひしがれわっはっは死ぬまで生きるんですか、おれおれ詐欺にひっかかって、介護保険だの施設にいいようにふんだくられ、身内は保険金を目当てにするだけ、じじばばいなくなりゃ国も借金不用となそりゃまったくだ、三界に生を受ける者、たれかここに到らざらん。


念念暫らく止むこと無し、少壮能く幾時ぞ、四大日々に衰へ、心身夜夜に疲る。

一念は六十刹那と、別にそんなもないらんです、念起こり念滅するを逐一に捕らえられとりことなって、俺はどうのだからどうにいいわるいのまんま墓穴を掘る、哀れ空しいんです。少壮勢い盛んなときは今に見ていろおれだってふうの、妄想念我を乗り越えてあるふうですが、年寄るにしたがい妄想が皮をかぶって歩くふうの、心身夜夜に疲れて長嘆息ですか、変化の激しい今の世の中まるっきりついて行けず、老人の沽券を振り回してもだれも聞いてくれんです。悟ったさん困ったさんもそりゃじきに思い知るんですか、仏の道とは何か、無心如来これ。不立文字これ、仏に帰るっきゃないんですよ。


一朝病に就ひて臥し、枕衾長く離るるなし、平生嘍囉を打たくも、此に至って何の為す所ぞ。

ろうらをたたく無駄口をたたくんですか、愚痴ばっかりですか、いいことしい正しいということもまた無駄口愚痴ですよ、ポルポト派は正しいという、そりゃなんたって問題にならんです、思想の美酒に酔い無惨やるせなし、宗教主義主張平和がいい戦争はんたいだという、いったい人類はただまったくにむだこと愚痴の繰り返しですか、ここに至ってなんの為す所ぞ。わっはっは死にゃ仏です。


一息わずかに切断せば、六根共に依る無し、親戚面に当たって嘆き、妻子背を撫して悲しむ。

息を引き取ったらおしまい、眼耳鼻舌身意てんでんぱあです、親戚ども面見ては嘆き、妻や子は背中を撫でて悲しむ。


渠を喚べどもかれ応へず、かれを哭すれどもかれ知らず、冥々たり黄泉の路、茫々且つ独り之く。

生きながら死ぬることこれ仏の道は、死んだふりする、居たりえ帰り来たって別事なし、柳は緑花は紅とふんぞり返ることではないです、死んだやつは死んだきり、てめえなくなっても世の中まるっきりこの通りです。すなわち冥々たる黄泉もなく、茫々かつ独り行くも知らず、いいえまったくの一人っきりですか、取り付く島もなし。

----------
春夜雪に対して友人を懐ふ

春宵夜将に半ばならんとし、
殊に覚ゆ寒さの肌を侵すを、
地炉たれか炭を添ふる、
浄瓶手ずから移すに慵し。
徐々に衣掌を整のへ、
軽々柴扉を推す、
千岩同じく一色、
万経人行絶えたり。
竹に傍へば密かに響きあり、
梅を占うて香を尋ねんと欲す、
寥々孤り興を発す、
たれと與に平生を慰めん。
思ふ所天末に在り、
翰を援ひて聊か情を馳す、
愧ずらくは陽春の調に非らずして、
漫りに高人の聴を汚さんことを。
春夜雪に対して友人を懐ふ

春宵夜将に半ばならんとし、殊に覚ゆ寒さの肌を侵すを、地炉たれか炭を添ふる、浄瓶手ずから移すに慵)し。

春になっても越後は寒い、三月四月まで雪がある、夜はことのほか寒い、炭を添えようたってもうなかったりして、じんびん浄瓶は仏に処するには手を清め口をそそぎした、中国伝来の坊主の持ち物、水の国日本では次第にすたれたんですか。


徐々に衣掌を整のへ、軽々柴扉を推す、千岩同じく一色、万経人行絶えたり。

おもむろに衣に手甲脚伴を付けたんですか、そうしてかるがると柴の戸を押す、千岩同じく一色、ものみな同じに見える寒さの朝です、万経人の行くなし、人っ子一人いないんです。


竹に傍へば密かに響きあり、梅を占うて香を尋ねんと欲す、寥々孤り興を発す、たれと與に平生を慰めん。

竹にそえばひそかに響きあり、梅を問うて香りを尋ねんとす、寥として一人興味をおこす、誰とともにか平生を慰めん。
しんとして一人きりの様子です、ほんとうに詩作の妙というかよく表れています、今の人孤独というよりは埋没してなにやら曖昧模糊のオナニー人間ですか、良寛はまるっきり別です、たった一人風に任せて歩く、音がし香りのする世界です、これがまったく違うことを今の人まず知るべきです。どろんまみれわけもわからぬ歌や俳句と違う真箇を見て下さい。


思ふ所天末に在り、翰を援ひて聊か情を馳す、愧ずらくは陽春の調に非らずして、漫りに高人の聴を汚さんことを。

天末ですか、かすみたいなんでもどっか天に響く、自然というものの大自在に属するんです、かん林という筆をもってするんです、ちっとばかり書いたんですが、恥ずかしいことには陽春を歌わず、ひそやかに情を延べて高人の聴を汚す、どうも杜撰であったかというのです。詩も歌も身勝手な妄想ではなく、伝統を踏まえることこれいろはのい、これを忘れてはでたらめ収拾のつかなくなること、現代俳句の如しですか。

----------
乞食

蕭条三間の屋、
摧残朽老の身、
況や厳冬の節に方り、
辛苦具ぶさに陳べ難し。
粥を啜って寒夜を消し、
日を数へて陽春を遅きとす、
斗升の米を乞はざれば、
何を以て此の辰を凌がん。
静かに思ふも活計無し、
詩を書して故人に寄す。 乞食

蕭条三間の屋、摧残朽老の身、況や厳冬の節に方り、辛苦具ぶさに陳べ難し。

しょうじょう物淋しいありさま、さいざん砕けてはてること、三間の屋です、年老いて朽ちるばかりの身に、厳冬の辛苦はまさにつぶさに陳べがたしと。そりゃもう寒いしどうしようもないです、老いの身骨身のこたえ。


粥を啜って寒夜を消し、日を数へて陽春を遅きとす、斗升の米を乞はざれば、何を以て此の辰を凌がん。

粥をすすって腹を満たすのと温まるのと、日を数えて陽春の遅いのを恨む、一斗一升の米を乞はねば、何をもってこの時を過ごさん。清僧托鉢のてらいなどどこにもないです、ただこれこうある現実は、そりゃ今のホームレスだって同じです、へたすりゃ餓死凍死です、五合庵の暮らしもたとい生まれ故郷も同じです、まあ親から貰った頑丈な体に感謝するほかないですか。


静かに思ふも活計無し、詩を書して故人に寄す。

まったくに詩を書くおかになしは、そりゃわしもまったく同じだ、だれも認めてくれる人なし、活計なんてものではなく、故人これを知ると思うかつかつ慰めですか、良寛のように好き勝手という、曲げて他と付き合う意気地なさですか。

----------
正月十六日の夜維馨老に贈る

春夜二三更、
等閑に柴門を出ず、
微雪松杉を覆ひ、
孤月層巒に上る。
人を憶へば山河遠し、
翰を含んで思ひ万端。 正月十六日の夜維馨老に贈る

春夜二三更、等閑に柴門を出ず、微雪松杉を覆ひ、孤月層巒に上る。

春といってもまだ浅いんです、真夜中ぶらり柴の門を出た、あっはっは夜中出歩く人、もっとも五合庵うちの中なんて三歩すりゃ尽きる、松に杉にうっすら雪がふり、山なみの上に孤月かかる。こりゃまほんとに語源絶句の代表みたいな。


人を憶へば山河遠し、翰を含んで思ひ万端。

人の世の中です、たとい孤駿云う甲斐なしの良寛さんの思い万端です、あれこれ思うことは切ったり貼ったり迷い込んだりじゃないんです、坐っていて人を憶へば山河遠しは、銀椀に雪を盛り、名月に鷺を蔵す、類して等しからず、混ずる時んば所を知ると、まったくの手付かずですか、転々して前後を知らないんです、孤月というんでしょう、四智円明の月冴えん。