知床

知床


 北海道へ、えぞはアイヌの国へ鱒釣りに行こう、いわなにおしょろこまにやまめにますにと。中古のワゴンを買って、フライからテントから一式詰め込んで、新潟港夜中の十一時出航、あしたの午後五時半に小樽に着く。わしは六十になる、六十の初体験を、せがれと若いのが、
「いやになっちまうなあ、でもしょうがねえか。」
といって、面倒を見る。じっさは二人の面倒を見るつもり。初秋の今んとこ借りはない、痩せ我慢の樫の木が見送った。

いつかしの秋を迎ヘむ六十男が神威の国へ頼む我が勢子

 フェリーはしらかばという名の、さかさに読むとばからし、へさきは左右逆、白鳥という大阪青森の特急はもうなくなっていたか。

白鳥の浮き寝しつらむあしたには出羽の浜廻か津軽の波も

 九月学生はまだ夏休みだった、わんさかよったくって貧乏旅行、中に髪を緑色に染める子がいた、色白でけっこう似合うのか、

みどりなす竜宮乙女が咲まふれば人も六十に年老ひにけり

 一寝入りしたら津軽海峡、でもそれからが長かった、デッキに出る、海は汚れてビニールの切れっぱしやら、もの悲しいような風を切って。夕暮れ大小の島が見えて小樽港へ。

吾背子がアイヌ神威に入らむ日や船のしりへに寄せあふものは
大島や小島の沖に寄らむさへくしくも思へ暮れあひ小樽

 札幌には若いのがもう一人いて、それを慕う娘もいて、一行はむりおしそこへ泊まる、くろまぐろの大トロだの、ほっき貝の青いのや、けがにやたいへんなご馳走が出る。習い始めだというチェロを聞かされた、他にバッハのCDを貰う。
リバーランドスルーイットという鱒釣りのビデオを見る。

無伴奏バッハを聞くはさひはての大空にして涙溢るる
ウルップの北海沖をしましくは一つ木の葉に舞ふぞ悲しき

 高速道路に乗って初秋の石狩平野を一時間、滝川ICから富良野へ、

秋の風さへ吹くにはぐれ雲いずこわたらへ石狩の野ぞ
追分けて右は富良野へいくつ字秋を迎えむ門清やけし

 滝川からまた一〇〇キロ、ラベンダーの残る富良野を過ぎ、えぞぶきの巨大な葉っぱと芹の花と、東大の広大な演習林がある、北海道のへそもど真ん中の金山湖畔。キャンプして空知川を遡ろうという。
 茂みを秋の光。

えぞぶきの露にしのはないにしへの見果てぬ夢を金山の郷

 キャンプは満員で一軒いりの宿へ泊まる、奥深い清流、少年のころ夢にまで見た北海道の蝶が群れ飛ぶ。
 増水で釣れぬ、降参して引き上げた。
 湖畔にいとうを釣り、ひぐまがこわくって早々に引き上げる。

蕗の葉にしのふ思ひは空知川雲井の間にも竿振らむとは

 旭川から石狩川を遡って行く、せがれと若いのは二年前に来たという、そのときの大当たりをじっさにも味わせてやれと気張る、てんさいとラベンダーの畑は、じきに山になる。

沖つ雲千切れ流れていにしへの神威古譚と忘れて思へや
群つ鳥さ鳴きわたらへ石狩の夕映へすらむ行方知らずも

 ライダーの宿一泊五〇〇円、トタン屋根のバラックは今はがら空き、歩いて行くのがトホラーで自転車で行くのがチャリラーで、北海道の青春。岩内川という、熊のうんちがあったり、丈を越すいたどりが茂ったり、ふきの葉を押し分けて入る、釣れる。
 なに、キャッチアンドリリースだってー

ライダーの宿とは云はむ過ぎ行けば残んの夏をえぞ芹の花
岩内の空をも深み岸のへの蕗もおどろに鈴振らむとは

 山を越え山を越えて白滝村へ入り、森林軌道沿いに、丸瀬布温泉というところがあった。一軒宿は盛況で、有名人が泊まったりする、夕方せがれと若いのが、裏の川に入って、イブニングライズというらしい、うはうは云って帰ってきた。
 雪に花の咲く写真がある。ここはもうオホーツクだという、りんごしじみやおおいちもんじという珍しい蝶の産地。

あけぼののオホーツクかも雪のへに李咲くらむ知らじや吾妹
りんごしじみおほいちもんじの丸瀬布タイムマシーンに乗れるが如く

 サロマ湖畔に一日いようと思ったら、すでにシーズンオフの店仕舞いする、釣り具屋も閉まる、ボートももうない、なんでもいいから車に乗って突っ走る。
 湖の向こうはオホーツクの荒波。

行く秋をここに迎へんサロマ湖や寄せあふ波はオホーツクの海

 浜は原生花園という、歩くか自転車を借りて行く、風が強くて割愛。西部劇のような町があり、網走刑務所の看板が立ち、ねぎぼうずの畑があり、ー

岬には花を問はむにオホーツクの波風高し行くには行かじ
名にしおふる流刑地となむ網走の花をのみにて行き過ぎにけり

 トホラーの女の子がでかいザックを背負って行く、オホーツクの吹きっさらしにルアーを振っている釣り人。

トホラーの少女が告げて行くらくは春は寄せあふ流氷をかも
オホーツク鍋とぞいふをかっ食らひルアー振るらく海なも荒れぬ

 吹きっさらしがぱったり止んで知床に入る、急峻の川が流れ込んで、その回りに猟師が網を刺す、岬あり磯あり、催眠術のように美しい風景を行く。

知床やうとろ岬のかもめ鳥何を告げなむ行くてをよぎる
知床の海人の大網刺し入れて迎えむものは二十一世紀も

 とっつきの魚港は観光客で大賑わい、干物があったり土産物屋が並んだり、右へそれて山を廻る。

知床の花の岬を今日もがも神威こやさむ我れ他所に見つ

 日本百名山のうち、羅臼岳はじっさもせがれも若いのも絶句するよりなく、雪霧らひして見え隠れ、ほんの一五分あれば頂上と思うが、半日はかかるらしい、笹とかんばの林と。

羅臼らは夏を神さひ舞へるらく笹に樺ばの衣着けながら
あは霧らひ雲い神さひ舞へるらくほとほと死にき言し忘れて

 谷あひにおしょろこまがいた、黄色いいわなのような、大きいのをといってポケットに入れて、せがれと若いのに大目玉食らう、だからハングリー世代はだめなんだ、これ絶滅種だよと。たった三尾釣ったのに、あれ十尾もある。
 羅臼町のホテルに泊まる、しょうがねえといってせがれと若いのが、街灯の下に他のとあわせて薫製にする、じっさ一人酒を飲んでいた。

笹の葉の神威におはせおしょろこまさーやさやさや咲く花の
散る花も神威におはせ舞ひ踊れさーやさやさや知床の夜ぞ

 朝のうちは雨が降り、晴れて浜辺にルアーを降る、鮭は寄って来ず、あれがエトロフ国尻かといって島影を見る、うみねこがむくろを突っつく。

知床に雨かも降らるトラックの鮭を落として行くが面白ろ
 
 格好の川があって道沿いに入って行くとそっくり牧場になる、引き返して来たら、ストップというお兄さんがいて、なにやら演説する、神妙に聞いていたがへんてこりん、心身症害者のコロニーだった。早々に抜け出して、内陸へ入る。霧がかかってまた晴れて、自衛隊の演習地があった、街があった、道は縦横に走り、牛の見えない牧場があった。

牛飼ひの牛をもいずこ厚岸の霧らひかかりて旅は旅行く

 釧路湿原の原生林に入る、みさごのような猛禽がいて、水のない川があって、どこをどう走ったか、またもとへ戻る、捨て猫がいた。湿原にはボートがないと入れない、鶴居村というところに、鶴の尾羽根を拾う。

釧路には葦の小舟に棹差していとうを釣らむ一メートルの
北海のさ庭に遊ぶしるしとふ釧路に拾ふこの鶴の羽根

 夕暮れ宿を二軒も断られてさまよひ歩く、そりゃそうだウエザーも脱がぬ坊主頭、オウムが牛耳っていたころだったし。馬主来はばしゅくると読むらしい。

夕暮れて宿を借らむに白糠の鮭をのぼるを眺めやりつつ
かき暮れて宿らむものを馬主来の右に問へれば左に外ける

 季節外れのキャンプ場へ入り込む、水道も炊飯施設もトイレもあった。飯を買い忘れた、十勝ワインがあった、そいつといわなの、おしょろこまの薫製を食う、そのうまいことは、頭からまるかじり。
 北海の荒波を満天の星。

一憶年神威廻らへ音別の荒波洗ふあれはさそりか

 すばらしい川があって、リバーランドスルーイットはこれだと云って、熊出没注意の赤い看板を横に見て入って行く、一時間二時間魚影なく、ついにあきらめて出る。どろんこ車にガソリン補給、
 「なんだあ釣りかあ、釣れたかって。」
 兄ちゃんが聞く、
 「てーんであかん。」
 「そっかあどっち川でもあっち川でも二百や三百。」
 兄ちゃんに教えて貰って、ラッコ川というところへ行く。
 釣れた、油断してでっかいのを逃がす、ひぐまかえぞしかの踏み跡がある。

ここにして神威こやさん夏をなほラッコ川なむ舞ひ散る落ち葉
ひよどりに残んの酒を酌み交はし早に終へなむ北海の旅

 苫小牧から高速道路がある、それに乗ろうとて、フェリーを予約して走る。黄金街道という、万札敷きつめての難工事で、その名のついた道を行く、えりも岬を過ぎ、競馬馬で有名な静内町を過ぎ。

黄金の延べ板ならむトンネルの波のむたさへ暮れあひ寄せぬ
夕の陽を寄せあひすらむ島影や襟裳岬を過ぎがてにせむ
静内に月を仰ひで過ぎ行けば残んの夏を博労の夢

 稲光して雷が鳴って門別のあたり。

鳴る神の門別辺りめぐらへば過ぎし空知はいかにやあらむ
秋鹿の声だに聞かじ夕霧らひ帰らひ行くか石狩の野を

 夜景は雨に濡れ、

さひはての何によりあへ若人や物悲しくに暮れあひ小樽

 三十時間フェリーに乗って帰って来たら、釧路ナンバーのトラックが牛を運んで行く。

今し我が帰り来たれる初秋を釧路の牛かあひ別れ行く