法戦式問答
解説
差出人: " "さん
送信日時 2001/09/13 18:12
ML.NO [ :0540]
本文: なんだかんだという人がいるから解説しましょう、この問答はちょうどINで問題になっていたところを、法戦式の問答の形にしたんでした、1にわかりやすいこと、2にほんとうに知れば急転直下します、3に語の響き、ということです。
8月26日法戦式問答原案
一
問、達磨さんは実在の人であったか架空の人であったかという問題があります、師はどう思はれますか。
答、どっちであっても同じことです。
問、なぜです。
答、無心ということを知らない人がこれを問題にするのです。達磨さんの不識という、花のように自分を知らないんです。ほんとうに知るとは知らないということです。真の実在はまったくないのと同じです。如来あるいは如去としての体現のない人が、いくら施設したとて達磨郭然には届きません。
問、ほんとうに有れば有るほど無い実感ですね。
答、そうです、それを得て下さい、仏教無心の故にこれを知る金剛不壊。
問、珍重。
答、万歳。
アッハッハやっぱ解説する必要ないなあ、達磨の不識は人間以外のものたいてい「知らない」なんです、ほんとうに知らない人になって下さい、仏教無門関ただこの一事に尽きます、知っているか知らないか、それは自分がちゃんと知ってるんです、自己をかえりみるに自己なし、なかなかそうは問屋が下ろさない、四苦八苦するんです、四苦八苦するその自分を捨てる、時節因縁必ず照ちょするんです、き-き-云ってないで旅がらすさん、花のように知らない人になって下さい、たとい問答100万発も届かないです。無心です。ないものこわれないんです。無心と知り金剛不壊と知る、一件落着ですよ、達磨在りも達磨無しもまったく同じと知る、大悟徹底ですよ。
他になにかあると思ったらもうそれでおしまいです。
二
問、今の仏教のありようをお聞きします。
答、今も昔もなんの変りもないのが仏教です。
問、物の役に立つんでしょうか。
答、世の中や人知によってはどうにもならぬものを解決します。
問、お経のようなむずかしい言葉を使うんですか。
答、このとおりの会話があるっきりです。
問、仏とはなんでしょう。
答、仏はほどけです、自分で自分を縛っているものをほどけばもと仏。
問、珍重。
答、万歳。
今も昔もなんの変わりもないもの、そんなもの他になんにもないことを知る、一件落着ですよ、仏はほどけば解脱人です、他になに必要なんですか、何か必要なだけ滞るんでしょうがさ、この単純を知らぬじゃそりゃなんにもならんです。禅あり仏教ありの百年河清を待つです。
三
問、無常迅速と云います、これを免れる方法はありますか。たとえば年を取らぬとか、タイムマシ-ンに乗るとかでなくったって、なにかしら有効な方法です。
答、そういう思い込みの他にはありません。
問、念仏を唱えたら人生の無常を卒業できますか。
答、たとい卒業したとて無常のまったただなかです。
問、お釈迦さんはどのように解決したんです。
答、わずかに、無常を見ることの不可能を知ったんです。問、見ることができない!
答、人間もまた人間以外のものも、そのようにできあがっているんです。種は芽生え生い伸び、花咲いて実り、枯れる、しかも無常を知らないんです。この事よくよくおもんばかって下さい。自ずから解決の道があります。
問、無常の風に吹き曝されとは、どういうことですか。
答、せっかくの大法を顧みぬことです。
問、珍重。
答、万歳。
無常を見ること不可能を知る、無常とは何かに答えてごらんなさい、ろくでもない参禅問答の比じゃないんです、正念相続という今様臨済にも一個半個あろうかと思いますが、その人に出会ってごらんなさい、無常の風に晒されずとはまさにこれとうなずくところがあります。人間の如来は人間に同ぜるが如し、即ち人間といえばもっとも人間の姿なんです。
四
問、形影相見るが如しというは、畢竟如何。
答、畢竟以前の空寂に至って後、云い持ち来たれ。
問、畢竟以前何処に有りや。
答、足下三千。
問、わずかに漆桶の打破するありやまた無しや。
答、知らず。
問、黒漆のこんろん夜に走る。
答、汝夢にだも見ず。
問、珍重。
答、万歳。
真夜中に真っ黒い玉になって飛んで行くんです、形影あい見るが如しのこれ対句みたいになっている、古来の問答に似せたってよりそうなっちまったです。というのはわたし経行(きんひんと読む、歩く坐禅です)の時に対面する相手が自分になっている、はあっと思ったんですが、黒漆のこんろんになってぶっ飛んだのはまたあとだったような気がします、変な話だけどそういうこともあるんです。
しかもこれが後引いたらもう駄目なんです、汝夢にだも見ずといって、これを奪った。
五
問、繋駒伏鼠、先聖これを悲しんで法の檀度となると云うが如きんば如何。
答、顛倒想滅すれば肯心自ら許す。
問、成ずるになんなんとして十劫樹を感ず。
答、虎の欠たるが如く馬の夜目の如し。
問、むしろ思慮を入れんやと。
答、汝何の故の仏法ぞ、もと要なきを求めて何をかせん。初心これ仏法なり、我がもの省みるに底無し、かつて手つかずをもっての故に、臣は君に奉し、子は父に順ず。すでに取りえなくんば、かくの如くかくの如し。
問、かくの如くの実際。
答、手の舞い足の踏むところを知らず。
問、珍重。
答、万歳。
ご存じ宝鏡三味です、これむかしっからどんな問答でも一転語でも宝鏡三昧から取って来れば足りると云われた、つまりこれを逆手にとったわけです。並べ立てればもう立派な問答になる、でもっておまえさんはどうなんだってことです。いくら問答を立派公案を解いたとて、自分にとってそれが何かってことです、公案や問答があるんじゃないんです。かくの如くの実際です、これを得なければなんにもならんです。かくの如くある、手の舞い足の踏むところを知らずです、これ世間有頂天のこと云いますが、ほんとうにただ手足なく手足のおもむくところを知らないんです。木人まさに歌い石女立って舞う、宝鏡三昧の結果です。
六
問、うばきくた尊者因みに波旬三種の臭屍をつく、蛆たかり腐乱して外すに外れずとあります、三種の臭屍とはなんでしょうか。
答、貪嗔痴の三過現未の三、是非に管し善いと思い悪いと思い、あるいはなんにも思わぬものこれ。
問、波旬にはあらず、我は強いて他をたぶらかし悪意を持ってするなし。
答、そのように思うものこれ臭屍。我という纓絡、蛆たかれ腐乱すと知ってのちにこれを外せ。
問、十力の弟子によってのものは十力の弟子によってのみと。
答、しかり、他またなし。
問、南無帰依三宝。
答、まさに解脱と求めよ。
問、珍重。
答、万歳。
これは提唱に引いた伝光祿の7からとった、面白いと思ったのです、ちょっと歯切れが悪くって直そうと思って忘れてしまった。波旬とは悪魔ということで、人間妄想のありようです、それがどんなに醜く独り善がりかということを十力の弟子が初めて示すんです、示されてみると首からぶら下がって取れない、腐乱し猛烈な悪臭です、なんとかしてくれと泣きわめく、七天に上って訴えようがどうしようもない、帰依三宝十力の弟子によるものは十力の弟子によってのみ外れると云われます。至心帰依=大悟徹底なんです、解脱するんですよ。
七
問、寺院を借りてバッハやビバルディを演奏するのはどう思いますか。
答、たといバッハやビバルディも、音楽なしのすばらしさを知って欲しいと思います。
問、日本の伝統は無心にあるということですか。
答、そうではないんです、心はいっとき他のものを要さないんです、天上の音楽も地上の名画も、あるときは一点のしみにしか過ぎない、どうですか本来あるがよう、あなたが無心という以前の姿です。寺院は実にその為にあります。
問、いっとき静かにいるということですか。
答、そのように取り繕わないんです。
問、取り繕わないという、-
答、夢にも見ない現実です。
問、珍重。
答、万歳。
名古屋の覚王山僧堂に安居した折り、金きらきん立派な僧堂をバイオリンの稽古に賃貸ししていた、兄弟子ども黙って寝ていたがこっちは頭へ来て、ひとこと云っちまった、そうしたらバイオリン教師がむきになって、おれはこんなに真剣にやってるんだといった、ふっとそれを思い出したのと、音楽葬がどうのといってたから作ってみた。禅風とかなんとかいう人には、なんだこれと思うだろうが、たといモ-ツアルトは有心だ、バッハでさへ本来生死に立ち会うものではないと言い切れる仏-禅者があるか、あるなら云い出ていただきたい、ことは公案オモチャのお遊びではないんです、まったく足下三千を知らぬ。禅がどうのなどいう自閉症じゃ役に立たないんです。
八
問、如何なるか是れ塵々三昧。
答、鉢裏飯、桶裏水。
問、卻って定当得するや亦無しや。
答、多口の阿師嘴を下し難し、擬くるに擬かず、止むるに止まらず。南面して北斗を仰ぐ、白浪滔天平地に起こる。
問、三ありと道う何をか説く、更に怨苦を添う。
答、個々無棍の長者子。
問、珍重。
答、万歳。
こりゃ最後書記がしめくくるんで漢文の歯切れがいいのにした。塵々三昧ただの人の日送りです。得たといっても得ぬといっても三十棒は、そうなんでしょう、なんら手を付ける必要がないんです、ところがどうゆうわけか染那する、染那するに従い苦しむ、たとい単純を示そうが、さらに怨苦をそうんです、もと何不自由のない大金持ちってこと知るまで滞るんです、わかりますか。
仏道というもとないものなんです、これを知るのに端的です、いいですか南面して北斗を見る、生まれついての観音さまです、とやこうのこといらんのです。
提唱…提唱録、お経について説き、坐禅の方法を示し、また覚者=ただの人、羅漢さんの周辺を記述します。
法話…川上雪担老師が過去に掲示板等に投稿したもの。(主に平成15年9月くらいまでの投稿)
歌…歌は、人の姿をしています、一個の人間を失うまいとする努力です。万葉の、ゆるくって巨大幅の衣、っていうのは、せせこましい現代生活にはなかなかってことあります。でも人の感動は変わらない、いろんな複雑怪奇ないいわるい感情も、春は花夏時鳥といって、どか-んとばかり生き甲斐、アッハッハどうもそんなふうなこと発見したってことですか。
とんとむかし…とんとむかしは、目で聞き、あるいは耳で読むようにできています。ノイロ-ゼや心身症の治癒に役立てばということです。