なむねこ
なむは寺のばあさが、なんまんだぶでなくって、なむからたんのうの「なむ」と付けた。飲むから足んねえトラヤ-ヤ-もっとくうりょうという、禅宗大悲心陀羅尼。だからこれは坊主の猫談義。
「かあちゃんはな、まずとうちゃんを生んで、なむを生んで、太一を生んで、美代を生んで。」
と云った覚えがあるから、なむねこは、がきが生まれる前に来た。
ばあさはあの世へ行って、がき二つフリ-タ-というもんになって、美代はマンガを書いて、坊主は歯欠け坊主になって、なむという名は永久欠番になった。
まえは大雪が降って、ずっしりとえちごっぽうの、雪降ったらみんな忘れて、冬は半年、 「お寺ねずみ出て困るすけ、ネコいねか。」
と云ったら、暮れの三十日、ひょうろく檀那が、チャリンコにダンボ-ルの箱ひっつけてやって来た。
「ネコ持って来てやったすけ。」
「ネコなんて知らん。」
だっておめえさとも云わず、へっへえほれって出したら、吾が猫(我輩は猫であるを、マンガお美代がそういった。)と同じ黒ぶちが、掌に余った分、さあとつっ走ってどっかへ行った。
「ほれな。」
「縁の下へ入った。」
ひょうろく檀那、チャリンコこいで行っちまう、ぶちねこは行方知れず、その晩から雪が降った。
「腹減ったら出て来るら。」
にゃんともすんともなく、盆暮れ坊主、かす寺だって大忙し、えんこ汲み(むかしはこれ出来ないと一丁前の坊主じゃなかった。)から、金きらきんの座蒲団まで、
正月三元日は飲み暮らして、寒の入りの六日であったか、軒の山っきわが盛り上がる、一メ-トルの雪をもっこりもぐら、すんでに小猫が現れる。
坊主は裸足ですっとんだ、黒ぶちとっつかまえて、爪を立てる、
「ふやあ生きてたあや、一週間も雪の中。」
逃げるやつを、手は傷だらけ、法事の鮭の半ぺら持っちゃ、なんとかじゃらして、三日してどうやら飼い猫になった。
鼠が消えた。そこらへんが、今のペットとかいう、痰壷みたいのと違う。
鼠は池の鯉食っちまうのから、どぶねずみから、茶髪の目くりくりってのからいたが、極小の二十日鼠が悪さする。
蒲団部屋の蒲団むしゃくる、かりかりやっているから、襖開けっぱなしに掴んだら、掌に入る、ぎゅうとやりそくなって逃げた。裾から入って睾丸かすめて逐電、てなこと一回二回あった。
蒲団部屋に弟子が寝ていたら仇する。
「ちええ、ねずみに鼻噛られた。」
といって来る、
「そりゃ大変だ、だっそだかぺストんなって死ぬぞ。」 別になんともなかった。
中国通の贅沢旦那がいて、
「二十日鼠の、いえ白いやつです、生きたまんまを蜂蜜に漬け込んで食べるんです。」
あんなうまいものはないといった。かねて計画中の、やましろなめくじという、どでっかい蛞蝓のムニェルと、青蛙のサラダ、青大将のメインディッシュに、蛍の幼虫入り宮入貝のス-プ、ジストマ沢蟹の活け造りなと、お寺げてもの料理に、一品加えようと、部屋ごったくさにしておくと、人の目の前を、おんちょろちょろと食い物が行く。
なむは鼠を取ったかというと、どうも記憶にない。消えたから食ったかも知らぬ。
宝石のようなあの小猫になった。重力を無視してすっ飛び、どうにか爪を隠すようになって、ごろごろとっついたり、猫並みの猫っていうには、ちょっと強烈なとこあったが、
「なああの目、そんだからわし小猫好きだ。」
坊主の猫可愛がり、でもってあんまり記憶にない、弱ったのは、必死に手懐けて、法事の鮭食わせたら、ねこまんまもねこフッドも、見向きもしなくなる。法事がそうあるわけはなし、
「くっそう、かってにせえ。」
前足をけっけっと振る、ねこまためえが、まあその憎ったらしいことは、-
でもってなむねこはかってにする。
雪が消えた。坊主は重労働、そこらじゅう駆けずり回って、どっさくさ落ち葉やら、無遠慮に落っことす松の枝とか、軒先片づける。
被害状況見て、どうやら春になる。
花も満開の、そうしたら雌猫がやって来た。
庭石の上に乗っかって、にゃあおって顔をする、りっぱなスフィンクス。
なむはその回りを、ねり歩く。
なんとかしてくれえといって、坊主を見上げる、笑っっちまうったら、うっふう男一匹、
「てめえでなんとかせえ。」
といったら、なんとかした。
三日も失せていて、へんてこになって現れた。女というのはおそろしい、宝石はぶっさけて、くっせえようなぼろ雑巾、
「ぎゃあ。」
とかいうのを、
「こんばかったれめが。」
坊主喝を入れたら、しゅんとなった。
でもってなむねこは、なむ三宝成人式。
そのころ坊主は何をやってたかって、たいてい都合のいいことだけ覚えている、近頃はいいことだってみんな忘れちまう、どっちみち恥かき人生、とやこうつっぱらかって生きていた。
弟子は一番め逃げて、次のがろくでもないとこ寺持って、三番めが行ったり来たりしていたが、せがれが出来たから、おたがい売れ残り救済事業のかあちゃんと、子づくりしていた。
坊主はかあちゃんなどいらねえといった。ばあさがおれも年だて貰ってくれえといった、貰ったら今度はきいかあ年が年中不協和音の、
「坊主はかあちゃんの肩持つ。」
「あたしといっしょに逃げて。」
とか尋常ならざる。中国通贅沢檀那いうには、
「あの色っけのねえかあちゃん、ばあさん対策に貰ったな。」
こきゃあがれ、そういうのは企業秘密だって、親不孝とっちゃん坊やにおしんばあさって、かあちゃんなかなか。でもって一人寝ていると、枕もとに、血だらけの腕がぬうっと、
「うわあ、おれが悪かった、かんべんしてくれ。」
見れば、なむの食った兎の足、獲物取ったら、お裾分けっていうか、自慢げに置いて行く、そいつがあるときは、はらばたどわっ。
「ええもう、食うならどっか見えねえところで食え。」
坊主いったら、本堂のど真ん中、拝敷き座にくといって、とっときのまあ、金きら座蒲団の上に載せる。
「いやだ、どうしてなむはあんなとこへ。」
かあちゃん嘆いたって、みんなかあちゃんが悪いからだって、ばあさいうたって、なむにしてみれば、親代わり坊主に挨拶。
かあちゃん町っ子で、犬猫嫌い、
「なむは困ったわあ、そこらじゅう毛がとっついて、」 喘息だとか泥足だとかあっちこっち、
「へえさようであったか。」
と坊主。
なんせ法事の鮭はあったりなかったり、なむは村中かっさらって歩く。でもって野兎取ったり、とんびはどこも食わずほってあったし、りすもいたが、小鳥を取るのは名人だった。
畑の畝に伏せる、射程距離に入ったとたん、ぱくっとやる。
冬には吹き荒れて、迷い鳥が入る。色んな鳥が廊下や軒先にいた。のごまなんていう、喉のあたり鮮紅色の、北海道にしかいないという-図鑑に書いてあった、そんな鳥が迷い込む。
痛めぬよう、そっと取って逃がしてやるのに、
「いかん、なむがいた。」
思ったとたんに、ぱっくりおしまい。
拝敷きは駄目だっていい聞かせたら、そのあとしなくなった。
忘れたころ、堂裏の物置きへ行ったら、いったい何羽分になるか、ふうわり虹のような山鳥の羽根。
「山鳥なら、持ってくりゃ鮭ととっかえこしたのに。」 見事なしだり尾。
裏の山は松山で、しめじや松茸が取れた。坊主は死出虫稼業よりは、いっそきのこ取り大好き人間で、なむのいたころは、それはよう取れた。
国の方針といって、お役人なんでそういうことしたんだやら、杉を植えさせられ、そのあと松食い虫が流行って、残った松は全滅。
つまらない山になった、坊主死んだろにまた松山。
「なむ山へ行こうか。」
いうと、
「なあむ。」
といってついて来る。犬と違って、ととっと走っちゃ、そこで待つ。
野兎は短い耳を立て、ひげを垂らして立派なものだ。山鳥はぱっさぱっさ藪の中を歩く。ふくろうはずいぶんでっかくなって、金色目ん玉を向く、なんたって首が一八O度曲がる。置物のようにぽんと夜鷹、いつだったか気絶してひっくりかえっていた狸の子。
いろんな鳥がいた。月日星ほしほしの三光鳥や、あかひょうびんが本堂に入って、内外で呼びあって、とんびの半分みたいな声で鳴く。
大るりやいかる。
松食い虫のあと青げらが来た。七八羽でもってどんどんかっか、あっというまに穴だらけ。本堂書院ところかまわず。
なむはもういなかった。
啄木も庵は破らず夏木立たって、生臭坊主の寺、暁天坐やっていると、
「くうくうぱっさ。」
方向感覚失せちまって、なんだといったら、青げらのやつ、
柱掛けのまん幕の中で寝ていた。
ぶち抜いた穴から入って来た。そいつをとらまえ、窓にぶち当たったのひっつかまえ、みなして二十キロ先の川原へ持って行って、おっぱなした。獰猛なやつで、とてつもなく美しい羽していて、緑群青、あわい茶色から鮮紅色、そいつがやたらつっつく、押さえこんだって平ちゃらの、うすっ気味悪いったら、きゅ-るり長いその舌。
「なむが生きてたらてめえっち。」
おっぱなしたら、寺の方角へまっしぐら。
家庭の猛獣ならぬ、なむは山原のし歩く、勝手自在かと思ったら、それがそうでもなく、一周して帰りきわ板(はんと読む、分厚いけやき板を槌で叩く)が鳴っている、客が来たとすっとんだら、なむがわあおと鳴く。
三日もそこで鳴いていた。
墓場の上のお不動さんの滝で、なにをまあって坊主はほっといた。
原始ねこになって帰って来て、うらめしげに見上げる。
山へつれて行って、さっさと帰る路とそうでない路がある、ねこにはねこの都合。
せがれが生まれた、なむはすんでに、その喉っくびに噛みつく。
「なむ。」
慌ててひっぱがして、云い聞かせた。
年子の妹が生まれたときは、なんにもしなかった。ひっぱたくということがなくって、納得する猫。
納得しないこともあった。なむは夕八時を過ぎると、お出ましになる、十一時を回って帰って来る、
「にゃあ-お。」
とご帰還を知らせて、二階を上がって来て、坊主の蒲団にもぐり込む。にゃ-おうんにゃ-お、甘ったれ声が気に食わんといって、坊主はほっぽり出す。
かあちゃんくたびれて、寝入り鼻だし、
「くう、静かにしろ。」
やったって、なむは毎晩。
いったいどこへ行くといって、村中の台所漁って歩くのと、縄張りといったって、あるときは四キロ四方の、
その向こうまでのし歩く。
お寺のねこだといって、たいてい黙っている。
「あんちきしょう、戸棚の戸開けて、鮒の煮つけは食わず、そんとなりの鰈食って行きゃあがった。」
とか、
「ちった、お寺でも責任取ってもらえ。」
といって、ぶちから茶からまっ白けから黒いの、なむにそっくりがあっちこっち。
ぶったくられて、どぶっ溜めはまったことがあって、鼻つまみの、足びっこ引いて帰って来た。自業自得の、たらいへ入れて石鹸つけて洗ってやると、けっこう我慢して、ぶうたらいっている。
そのあと拭いてドライヤ-で乾かすと、ふっさりとまあ気持ちよさそう。
ねこが一匹いると、そこらじゅうのねこがよったくる。 ときに坊主の寝床まで運動会。
ぎゃ-おやるさっさか歩く、ふ-び-追いかけっこ、ださんばすとか、
「ええどぶねこどもは、てめえっちの為に坊主やってんじゃね-や。」
追っ払おうたってどうもならん。所詮人間はねこの敵ではなく。
いよいよお盛んのつやつやなむ。
せがれの生まれたとき、坊主はどっか行っちまっていて、
「そんなもん知るか。」
とか、なむと同じ、太一とばあさが名前を付けた。
妹の美代んときも同じで、はあて、そいつがなんたって、せがれを抱いて歩く、法事から帰って来ればせがれ。
きゃわいいたって、なんせわしに似てるから、
「あら、あたしそっくり。」
かあちゃんが、がきんころの写真見せた、
「ひ! 」
ほんにそっくり、血液型も同じ。
「むかしは美人だったんかね、売れ残り救済事業だもんでわからねえ。」
「ほんに悪うござんしたわねえ。」
可愛いって女子高生がよったくる、人のものはおれのものっていう、ロシアみたい門前の強欲ったかりも、可愛いっていった、馬鹿坊主手出し過ぎて、神経質ったらちいっとばか。
そこへ行くと、年子の妹は豪傑だった。
「産院の前通ったら、あたしここで生まれたんだって。」「まさか。」
そういえばご対面のとき、にいっと笑ったとか、一つ二つまで兄貴に頭が上がらない、はじめに覚えたのが「ばん」という言葉で、ばかというらしい、兄貴がなんやかやいうと、ばんていう、ばんていって、だめっていわれるとあ-んて泣く。頭上がらないのは兄貴だけで、坊主が何いったって知らん顔。
三つになったらたいてい女の子は一丁前。
「へえ、この赤ん坊きんなの芸者よりおもしれえや。」 電車ん中で大人気になったり、どっかのおっさんとっついちまって、さしもの坊主飯半分で逃げ出したり。
「お宅の家系よ、なんだって仕切るんだから。」
「そんなことあるもんか。」
坊主とかあちゃんとまるっきり違う、足して二で割ったら、
理想的って、どうもそうはいかないらしい、どっちか一方の、たいてい悪いとこ引き継いで、かわいそうなはこの子でございの、親の因果。
坊主せがれ抱いて歩き、蜂がぶ-んと飛んで来て、大事な宝もんの、目の上ちくり、こ-んなに腫れ上がって医者に行った。
「きょんみたい顔んなった。」
とばあさいう、きょんていったいなんだ。奥手でもって、庭中はいはいやって歩き、さっぱり言葉覚えぬ。柿がなって、むりやり「かき」って詰め込んだ。
ヘルニヤで入院して、医者がすっとんで来た。
「あのカキっていうの、なんでしょうね。」
「なんでもない。」
せがれの方は、なむを叩いたこともなかった、かわいい大事がる。娘の方はそんなんでなく、
「キャワイイ。」
たら、めっちゃんこ。
二人よっったくってすんともいわぬ時は、たいてい何かやっている。苦労して手に入れた、白土三平ひらひらどっさん、二階の窓から全巻ぶちまける。碁石一組池ぼちゃやってみたり、寺の障子貼りっていうのはたいへんだ、いいかげんやって振り向くと、二人でもって指つっとさして、ずうっと歩いて来る。
叱ったってしょうがないし、叱ったこともなかったが、一度だけめった怒った。
がきどもが悪いんではない、甥っこ、つまり連中の叔父さんに、きよちゃんというのがいた、ねこ大嫌い人間、ねこが恐いんだから仕方がない。大学の山岳部にいて、山から帰って来て、真夜中寺にもぐり込んで寝ていたりする。
昼飯んなっても起きてこない。蒲団の中になむおっぽり込むと、
「ぎゃあ。」
といって、飛び起きる。
ばあさがどっかから、白い小猫貰って来た。なむいるから駄目だっていうの、袖ふり会うも多少の縁とか。
かわいそうなねこになった。なむは餌やると、小猫に食わせる、さすが大ボスだと思っていると、なにかの加減で追ったくる、小便ちびって小猫は逃げ、
「でもってなむ怒ったのよ、そうしたらなむの方が、ノイロ-ゼなっちゃって。」
とかあちゃん。
きよちゃん、その小猫池にぼっちゃんやって、
「ふ-ん、三回が限度だな。」
という、きよちゃんは消えた、二人でもってきゃっきゃとやっている、白猫泡吹いてふん伸びた。
ねこってのは蘇る、二人はなんで怒られたか思案する。 坊主がきのしつけなんか、したことなかった。
「しつけ糸なあ、そんなもんわしんとこねえ。」
姉が来てとやこういうと、うそぶく。
どういうものか太一は真っ正直んなっちゃって、美代の方は外面がいい。
「挨拶してくれるんでえ。」
村の連中が目細める-いうことっちゃさっぱり聞かんくせして。
三番弟子がしょうもないやつで、すいかをかいすと教え、
「そう、いいか、ここはカステラ。」
とかやる。
「うんカステラ。」
アイスムクリンとかおおとも殺しとか、まだ呂律定まらんやつを。五円玉持って、村の茶屋へ行って、アイスムクリン三つも買っちまう、とんもころし並べて、さあ買った買った、買った人には一億円上げるよ、-
どこの子だって、四つのころまでに、親の恩はみんな返す。
最初の弟子は、とんだ秀才で、金沢大学付属高校特待生という、三つのころに、テレビで歌う流行歌、メロディ-から歌詞は三番まで、いっぺんで覚えた、大人がみんな期待する、そいつがうるさいとか、高校生のとき、どこまで思考出来るか、試してみようというんで、一週間机に向かったっきり、頭おかしくなった、-
縁あって出家して、東大なんて田舎臭い、ソルボンヌ行こうとかいっていたが、出奔して十年もたってから、アメリカで新興宗教やってるって便りが来た。
雪ん中せがれと歩いていたの、思い出す。
次の弟子はその反対の、どんくさ代表、幼いころ大熱を出してその後遺症が残る、
「おれ、病気あるから、影日向なく生きて行こうと思って。」
といった。師のもとへ参禅にやった、
「あれは不思議な男だ。これがこの通り、他にはない、だからこの通り坐れったら、この通り坐る。」
師がいってよこす。三カ月して帰単して、豪雪の寺は屋根へ上って雪下ろし。先へ上って行ったのが戻って来る 、
「なんだか変だよう、雪がこっちだか、わしが雪なんだかわからない。」
やったなあと坊主、それから、
「でもっておまえの病気はなんなんだ。」
と聞いた。
「うっふう、ありゃ付録だかんなあ。」
真剣に悩んでいたものを、あっけらかん。
病気は結婚したら治った。世間知らずの坊主とも、だまされてえらいとこ行って、苦労する。
悟るったって、持ち物み-んななくなってまる裸。
無知のとげも、盾籠るお城も盾もない。
三番めはこいつがしょうもないやつで、
「キャワイイ。」
たら、娘と同じなむめっちゃくちゃ。
中学生のころ、学校始まって以来の秀才だった、高校入っておかしくなる。先生が首に縄つけて、引っ張って来た。
「だまっちゃったっきり、なんにもいわねえです。」
こんにゃくにかび生えたみたい。いいから置いてけとか、三日ほっぽっといて、な-んも云わぬ。
「ばかもん、なんだと思ってんだ、食う寝るっから人に面倒かけやがって、え-とっとと失せろ。」
一喝したら、ふっとんで来て口を開く。
聞いたらなんと、藤村操の「人生生きるに値せず」というのを読んでおかしくなった、
「へえ、今時そんなやついたんか。 」
といって、なんとか学校へ復帰して、元気になって夏休みやって来た。
いっしょに釣りに行ったりしたが、
「おれ危ないとこ、和尚さんに救われた、仏教大学行って、おれも人を救える人間になりたい。」
といった。とんだ野口秀世が、仏教大学行ったってろくなことない、頭いいんだしどっか国立入れ、勉強しろと、その間一人坐禅する、
「できたよ。」
といって来る、
「そうか、いいとこ受かったか。」
「どっこも受からねえけど、見性ってのしたぜ。」
点検してみると、ちょっと違う、
「そういっている自分だあな。」
そうかといって坐って、たいていぶち抜いた。
仏教大学へ行って、優と良ばっかり並べた成績表、ぱあっと太陽みたい、今どきあんな人いないといって、女子学生がよったくる。いい塩梅と思ったらいい塩梅過ぎて、またもやおかしくなってどっか行った。
すったもんだして、
「おれ出家する。」
といった。
「僧籍ありゃ学費半分でいいってよ。」
そうかいって頭剃って、そいつが伸びて行ったり来たりしていた、いろんなことあったんだろうが、世の中たいへん、-
七月の法要手伝えっていったら、ゼミあってだめだ、じゃ仕方ないと思ったら、何人かよったくって小笠原へ遊びに行った。でもってゼミも落として卒業不可っていう、青春はまあ青春。
「あいつさ、あんまし気持ちいいんで、海ん中でますかいたんだぜ、今んごろあいつそっくりの魚泳いでる。」 友達が来てそういった。
どんべったら、学費免除もない、寺の婿養子に入って、大苦労して、どうやら物になって来る時節、つい最近弟弟子が同じく寺の婿養子にはいった。ずっと年下の、珍しくぴったりやった男だのに、
「どこ行ったって欠片もない、坊主がいちばん仏教に遠い。」
という、らしいことはいい、本物やったら即刻死刑、
四面楚歌という、まあどうもこうもならん、潜行密用は愚の如く魯の如し、只能く相続するを主中の主と名付く、「他日異日必ず花咲くんです。」
はなむけのスピ-チに、坊主は一心そういった。
なむは坐っていると、坊主の膝の上に乗る。
重たいからほっぽり出す。
大の甘えん坊で、なんたって坊主の膝の上、酒呑まされて、よたっとやっちまったりの、それが山門を一歩出たら、知らん顔。
いったいどうなってんだか、それで助かったことがある。
隣村に法事で行ったら、なむの倍はありそうな、まっ白い猫がいる。
「ほう、てえしたもんだなあ、こりゃ。」
いったら、
「うんにゃそれが。」
という、なむだってどでかい猫で、がきどもよったくって、なむを取り巻いて、
「でっけ猫だ。」
とやっていて可笑しかったが、そいつが、
「来た、あん猫だ、あいつ来るとおらとこねこ、ちぢかまっちまって。」
というの見ると、なむがのっそり、知らん顔の坊主、なむからたんの、とらやあや-、仏壇に向かってお経。
なむは一週間あるいは一カ月、冬の間お出ましになる。 まっ始め逃げ出した、雪山もっこりのそうしなけりゃならんと思っている。若いうちはほんとうに、雪山やっていたらしい、丸々太って帰って来る。
「シベリアタイガ-じゃなくって。」
呆れたって云い聞かしたって、どうもならん。
冬の間法事もないし、-
年食ってから、四キロ強はなれたJRの駅にいた。
「このねこ、目刺しやったら頭残して食う。」
駅員がそういった、待合室のスト-ブにあたって世間の風当たり見ていたか、
「とにかく知らん顔しててくれて、助かったわ。」
かあちゃん帰って来て、そういった。
三番弟子と、その友達が出家して、四番弟子になったが、この男灘高並みの受験校に入って、そのあと合唱部やってシュ-ベルトにいかれて、
「自慢じゃねえが、おれの上はあっても下はないという、-」
どっぺりというのね-んで、先公が卒業させた、シュ-ベルトは巨大な壁のように立ちはだかる、ある日み-んな止めて海へ飛び込んだ、真っ青な海。
小笠原へ連れて行った元凶。
こいつはただものじゃなかった。
「仏教科の四年間、ずうっと疑問に思っていた、十重禁戒、殺すなかれ、盗むなかれってやつ、他のはともかく、殺すなかれってあれ守ったら、一瞬も生きていかれねえぜ、教授ども、みだりに殺すなかていうけど、そんなんじゃな-んともならん。」
という、
「よく見ろ。」
坊主はいった、
「こいつ人間の作ったもんじゃねえ、もとっからこうあるんだ。」
「そうか。」
といって、体倍にも膨れ上がる。たがが外れたっていうか、ちらとも気がつく。
二人雲水、川行けったら海行ったり、庭掃いて野球やったり、そうして二人そろって托鉢に出た。
足の悪い三番弟子が帰って来る。
「おれはだめだ、とっても良寛行はできねえ。」
仕方ねえ寺持つといった。
二番弟子の方は、一カ月かかって山形から仙台へ抜ける。
「一人っきりんなって、どうしようかと思ったぜ。」
そりゃわかると坊主。
「人はみんな入れてくれた、ばあさんに拝まれちゃったりしてな、でも寺ってどっこも泊めてくれね-んだ、土砂降りだったって、門前払い。」
坊主道地に墜ちた。托鉢は、はなむけスピ-チの弟子が、九州まで行って、開聞岳の頂上から年始の挨拶。
「そんなことしてないで、正業に就けっていわれた。」 という、托鉢の伝統そのものがついえ去る。
なむの耳が切れた。
「猫又大明神に行って来たんさね。」
物識り檀那がいった。
一回行けば一つ切れる。
じき三つ切れたから、三回行って、そういうのは立派な猫又。そこらじゅうの雌猫孕ませて歩く、
「なむが羨ましいんでしょ。」
とかあちゃん。
年上の弟子がいた。弁護士やって大学教授という、その弁護士先生の鞄に、なむは小便ひっかける、
「うひゃあひゃあ、わたしんちも猫飼ってまして。」
血統書付きの猫、子増やしてもうかったっていうから、金持ちは損をしない。先生カ-キチでフェラ-リ・デイトナというの持っていた。
四キロ先からド-ンと乗りつける。
「やってみて下さい、悟った人はすんなり。」
十二気筒360馬力、かけ損なうと二時間はぱあ、一秒でもってO~150キロ、首根っこが-んと来る、高速時はびたっと坐って、空間そのものが行く。
坊主は二速がやっと、三番弟子の、こいつもけっこうカ-キチで長岡小千谷間まっすぐすっ飛ばして、210キロ出したとか。
フェラ-リ・デイトナ、革貼りの内装が雨漏りするったって、実にいい格好していた、物まね部分がなんにもない。
物まねつぎあわせ-人を馬鹿にしたような、世界中日本車のようになって、かつてヒットラ-のいったように、この世はおしまい。
デイトナ中古で800万で買って、売るとき1500万だった。でも一回のオ-バ-ホ-ルが100万だって、とっても貧乏人には無理。
もっともカ-キチ先生、みんな車に注ぎ込んじゃって、「うちはもうおんぼろ。」
といって奥さんがぼやく。
末寺坊主来て、なむを見て、
「当家のねこは虎の如し。」
といった。
「坊主は猫の如し。」
返したって、あんまり禅問答にはならず。この坊主珍しく坐禅する。宗門は、-そりゃひどいもので、
「坐禅では草もむしれません。」
と僧堂師家がいう。良寛さんのころから、仏教のブの字もなし、なんせ猿芝居の「らしさ」っていう、物まねいじめ日本の元凶。
呆れるほど蛙の面に水、
「こんなんで続いてるって法ないです。」
「よせよせ、割り食うのわしらの方だ。」
たとい坐禅という格好付け、坊主が坊主大嫌いじゃしょうがないって、猫かぶりの猫又。
早くあと押しつけてなむになって出奔。
なむは十一になって急に衰えた。
歯がみんな抜け落ちて、よだれを垂らす、よだれでもって毛がだまになって貼り付く。みっともないったら、洗濯しても駄目だ。
そんなになったって、猫と女は年功序列。
うっふっふ大威張り。
夏になる、娘の美代がばりっとむしったら、だま取れる、ばりっばりっとすっかり清々。
美代は赤ん坊のとき、坊主の唇に出来たいぼ、むしり取った。取れそうで取れぬのばりっ、血が出てそれで納まった。
なむは坊主の膝の上に乗る。
ぽわあと温かくなる。
「うわあ、なんでわしの膝の上に。」
ほっぽり出したって、番度び。
アビシニアンのあいのこだったか、美人猫がいた。なむは大苦労して、どうやら思いを遂げたか、ふいっといなくなって、それから帰って来た。
ダンボ-ルに蒲団敷いて入れた。
坊主が水しめしてやると、飲んでいたが、じきに飲まなくなる。
「へえ、こいつもうあっち行っているぜ。」
荘厳の大往生であった、さしものばあさが、
「ねこに見習はなけりゃ。」
といった。
太一と美代のこさえたなむの墓から、赤のまんまがゆ-らり生えた。
せがれは、寺のあとなんか継がないほうがいいって、坊主。
提唱…提唱録、お経について説き、坐禅の方法を示し、また覚者=ただの人、羅漢さんの周辺を記述します。
法話…川上雪担老師が過去に掲示板等に投稿したもの。(主に平成15年9月くらいまでの投稿)
歌…歌は、人の姿をしています、一個の人間を失うまいとする努力です。万葉の、ゆるくって巨大幅の衣、っていうのは、せせこましい現代生活にはなかなかってことあります。でも人の感動は変わらない、いろんな複雑怪奇ないいわるい感情も、春は花夏時鳥といって、どか-んとばかり生き甲斐、アッハッハどうもそんなふうなこと発見したってことですか。
とんとむかし…とんとむかしは、目で聞き、あるいは耳で読むようにできています。ノイロ-ゼや心身症の治癒に役立てばということです。