碧厳録1

第一則~第二十五則


第一則 達磨廓然無聖

本則・挙す、梁の武帝、達磨大師に問ふ、(這の不喞瑠を説くの漢。)如何なるか是れ聖諦第一義。(是れ甚んの繋驢楔ぞ。)磨云く、廓然無聖。(将に謂へり多少の奇特と。箭新羅を過ぐ、可殺だ明白。)帝日く、朕に対する者は誰そ。(満面の慚惶強いて惺惺。果然として模索不著。)磨云く、不識。(咄、再来半文銭に直らず。)帝契はず。(可惜許。却って些子に較れり。)達磨遂に江を渡って魏に至る。(這の野狐精。一場の麼羅を免れず。西より東に過ぎ、東より西に過ぐ。)帝後に誌公に問ふ。(貧児旧債を思ふ。傍人眼有り。)誌公云く、陛下還って此の人を識るや否や。(誌公に和して、国を追い出して始めて得ん。好し三十棒を与ふるに。達磨来や。)帝云く、不識。(卻って是れ武帝達磨の公案を承当得す。)誌公云く、此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ。(胡乱に指注す。臂膊外に向かって曲がらず。)帝悔ひて、遂に使を遣はして去って請ぜんとす。(果然として把不住。向に道ふ不喞瑠と。)誌公云く、道ふこと莫れ、陛下使を発し去って取らしめんと。(東家人死すれば、西家の人哀を助く。也好し一時に国を追い出すに。)闔国の人去るとも、佗亦回らじ。(誌公也た好し、三十棒を与ふるに。知らず脚跟下大光明を放つことを。)

こりゃまあこんなふうです、梁の武帝達磨大師に問う、(てめえのつっかえ、まあさ溜飲を下げようっていうんで質問、なでなでしてもらいたいって、そうさたいていのやつがこれ。)聖諦第一義仏教のエッセンスですか、本当本来は何かと聞く、(杭に繋がれたろば、ものはこうあるべきだからおれはとやる、たいてい問う以前に答えがある、その答え通り云ってくれないと面白くない、宗教家の殺し文句、檀家説法これ。なんてえつまらん。)達磨さん答えて、廓然無聖がらんとしてなんにもない、個々別々だよと云うんですか、ものみなぜんたい、聖人も俗人もないです、是非善悪の他、大手を広げるんで、これこのとおり。(どうだ云い得ただろうがってなもんの、せっかく放った箭は、中国どころか新羅を過ぎて向こうへすっとんだ、あっはっははなはだ明白、もとからこうであって、箭なんか射る必要ないよ。)帝云く、なんとな、がらんとなんにもないだと、天花乱墜地変黄金涙にゆすれるっていう、仏無上のイメージングをなんたるこの、わしの前のおまえさんはいったい誰だと聞く。(赤恥掻いて強いて清々、果然はたしてまったく模索不著わけがわからんのです。)磨云く、不識知らない。(こらさ、再来半文銭同じことまた云う、半文にもならんていうんです。)帝契はず、なんだこの野郎ってんです。(惜しいかな、かえってどっか当たってるっていうのに、契はずまったくの正解なんですよ。)達磨さんは揚子江を渡って魏の国へ行く。(この野狐禅が、一場のもら恥かいた、西から東へ来て、こんだ東から西へだとさ。)帝後に誌公に問う、わっはっは雑誌公けさんですか、付け足しですな。(貧乏人がむかしの債務を思う、なんか仕出かしてはよかったんだろうかという、はーい貧児旧債はあなたですよ、岡目八目知らぬは自分ばかりなり。)誌公云く、陛下かえってこの人を知るや。(誌公といっしょになって国を追い出して、きれいさっぱりかん、始めて知る、祖師西来意、えい三十棒、どうじゃ達磨さんは来たか。)帝云く、不識知らない。(はい達磨さんの公案と同じです。)誌公云く、これはこれ観音大士、仏心印を伝える。(胡乱にざつっぱに示す、腕は外に向かって曲がらない、てめえ観音さまになってから云え、はいそうですよ、虚空これ、無自覚の覚です、仏心印を伝える大観世音菩薩、雑誌公けさんは知識だけのことと思っている、そうじゃない清々この上なしなんです、でなかったら誰が求める、面壁九年たとい酒池肉林も遠く及ばず。)帝悔やんで使いを出して請す。(だから云っただろう、こやつ唐変木。)そんなことしたってだめですよと、誌公。(東家の人死ねば、西家の人哀れむ、てやんでえみんな追い出せ、なんてえこった、人間以外厳然、よってもって平和、よくよく見よ、なにをなすべき。)国をあげて追っかけたって彼は戻らんです。(えい三十棒、てめえ正解を知らない、大光明とは達磨不要、インドの今様聖者、光明ラジニーシ等とはまったくの無関係を知って下さい、標準なしですよ。)

梁の武帝は魏晋南北朝ですか、一代にして国を興し次代にはもう滅んでいたという、滅んだ理由は、仏教に入れ揚げて、武帝かつて袈裟を被して、自ら放光般若経を講ず、天花乱墜して地黄金に変ずるを感得すと、評唱にある通りです。寺を建て僧を度し教によって修行す、人呼んで仏心太子と云うとあります、そこへ西インドから達磨さんがやってきた、おっとり刀で引見するわけです。真諦は以て非有を明かし、俗諦は以て非無を明かす、真俗不二即ち是れ聖諦第一義と、あっはっはあほなこと云ってます。寺を建て僧を度す、達磨云く無功徳と、乃至本則の対話です。かっこ内は雪竇和尚の頌古に評唱する、円悟の著語です、これを見れば、あらかた提唱は終わっています、よくよく味わって下さい。かくねんむしょうという、真俗も聖諦もない、第一義もエッセンスもたわけた汚点ですか、ものみなあるがようにある、初心すでに終わる、これ仏教の本来です、知らないという、自分というあるいは知っている分がすべて嘘です。花にあなたはだあれと聞く、知らないと答えるんです、私は菊で管巻の種類何時何日なんお太郎兵衛が植えてこやしはどうで日照時間はどうで、いえ品評界に三等を取った、上を見りゃきりもなし、下を見りゃ切りもなしまあこのへんで、など云い出したらそれっきり花を見る気がしなくなります。見れども飽かぬものみな、人間だけが醜悪無惨、自己を顧みるという得手勝手ですか、よこしまです、これを去って本来のありよう、知らないんです、廓然無聖です。他の諸の宗教じゃない、教義だの荒唐無稽、くじら食うなの独り善がりじゃないんです、仏教の本質を知って下さい、人間も始めて万物のお仲間入り、進化のいびつから発して、脳味噌に支配されっぱなし、三百万年来ついに地球を滅ぼすに至った是非善悪、あっはっは落とし前つけて下さい、脳味噌の主人たることに気がついて下さい、主客転倒事を去って本来人、はいこれがノウハウ碧巌祿、人みな実に参じて下さい、これ焦眉の急。

頌・聖諦廓然、(箭新羅を過ぐ。夷。)何ぞ当に的を弁ずべき。(過也。什麼の弁ぞ難きことからん。)朕に対する者は誰そ。(再来半文銭に直らず。又恁麼にし去るや。)還って云ふ不識と。(三個四個中れり。咄。)茲に因って暗に江を渡る。(人の鼻孔を穿つことを得ず、卻って別人に穿たる。蒼天蒼天。好不大丈夫。)豈に荊棘を生ずることを免れんや。(脚跟下已に深きこと数丈。)闔国の人追へども再来せじ。(両重の公案。追ふことを用ひて何かせん。什麼の処にか在る。大丈夫の志気何にか在る。)千古万古空しく相憶ふ。(手を換へて胸を槌つ。空を望んで啓告す。)相憶ふことを休めよ。(什麼と道ふぞ、鬼窟裏に向かって活計をなす。)清風匝地何の極りか有らん。(果然。大小の雪竇草裏に向かって棍ず。)師左右を顧視して云く、這裏還って祖師有り麼。(なんじ番款を持つ那。猶ほ這の去就を作す。)自ら云く、有り。(榻薩阿労。)喚び来れ、老僧が与に洗脚せしめん。(更に三十棒を与へて追い出すとも。也未だ分外とせず。這の去就を作す。猶ほ些子に較れり。)

頌は韻を踏みひょうそくを合わせする、言葉の美しさを遺憾なく発揮するんですが、まずはおぼろげにも味わうによく、已に真意を弁えて参究する、また楽しからずやです。わしにそんな力量はない、せいぜいが空んじて用いる程度ですか、かっこいいってなもんです、あっはっは。聖諦廓然と一通にもってくる、早く知るところを用いる、(かすっともかすらないとき如何、てなもんです、夷は口へん、坊主どもが払子を揮っていいとかとつ、かつとやる、虚空一等に両断です、まずはさ。)何ぞ的を弁ずべき、目的でいいです、真理如何とやる、なんでそんなことが必要か。もとまっ平ら、水の中にあって渇と求める如く、どうじゃというんです。(なあに云ってんだ、いくらでも道えるじゃねえか、どあほ。)朕に対する者は誰そ、これまったく答えそのものです、わかりますか。(達磨さん呼んでおいて朕に対する者は誰そってさ、達磨さんって云えば恁麼、そこらの石っころも恁麼、いんもってこれという、これ虚空もとなし。)かえって云う不識と。(三個四個当たれり、まあさ帝の不識もあなたの不識もって、たといどう当たるかたって、しょんべんするも飯食うも不識、へた知ってたら歩くも歩けんでしょうが、とつ。)これによって暗、ひそかに江を渡る。(人の鼻孔を穿つはずが、あべこべに穿たれ、雪竇このとおり繰り返すのは思い入れ、感無量ですか、いえ末派のわれらも繰り返し叙すべきところ。蒼天悲しいかなです、好不大丈夫やれんなあおっさんてなわけです。)豈に荊棘を生ずることを免れんや、せっかく祖師西来は、人の心病を救う、刺さった刺を抜きに来たのにさあ。鳴物入りの面壁九歳またこれかえって刺、そうなんですよ彼がためにいくたび蒼龍窟に下る。(そう云ってるやつが荊棘、てめえの足下穴を穿つ。)闔国の人追えども再来せじ。(両重の公案、国をあげて追う他になし、追うもの実はおのれ自身、大丈夫如何。)千古万古空しく相談憶ふ、追うても無く、再来も無くはーいもう一押しってさ、押すも無く初心これを知る。(手をかえて胸を打つ、空を望んで警告す、いえさ謹んで告をす。)相憶うことを休めよ。(なにをいう、思わなければ求められんがさ、てめえという胡乱をすったもんだしろっていう、できない相談の、底をぶち抜け。)清風匝地何の極りかあらん。際限ないんですよ、清風匝地、匝は廻るの意、若しイメージングしてりゃ際限、わかりますかこれ、いえ参禅者終にわからんのはこれ、(果然大小の雪竇草裏にこんは、車に昆転がる意、あっちにもこっちにも悟ったとか、大悟徹底とかいうの転がってるぜ。草裏どこまで行ってもおれがとやる、わかりますかこれ。就中わかんねーんだな。)師左右を顧視して云く、かえって祖師ありや、師とは大小の雪竇ですか、(汝番款を持つな、款は自白、なにかあると思うからに白状するんです、どこかにちらとも標準が残る、去就を作すんです、あっはっは無理矢理押さえ込んだらさらに屑。)自ら云く、有り、はいありますよ、(榻薩阿労はたいへんにご苦労さん。)呼んで来い、わしの足を洗わせてやろう、達磨さんにまあさ行脚の足洗わせる、なんたるこったっていう、三十棒、且喜すらくは没交渉。(どうしようもないやつめ、三十棒食らわせて追ん出したって、まだ足らぬは、この去就、まあこだわりですか、つまらないっていうんです、円悟のやつ涙流してるんとちがうか。)

第二則 趙州至道無難

本則・挙す、趙州衆に示して云く、(這の老漢什麼をか作す。這の葛藤を打すること莫れ。)至道無難。(難に非ず易に非ず。)唯嫌揀択。(眼前是れ什麼ぞ。三祖猶ほ在り。)纔に語言有れば、是れ揀択、是れ明白。(両頭三面。小売弄。魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ。)老僧は明白裏に在らず。(賊心已に露る。這の老漢什麼の処に向かってか去る。)是れ汝還って護惜すや也無しや。(敗也。也一個半箇有り。)時に僧有り、問ふ、既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん。(也好し一拶を与ふるに。舌上の齶を柱ふ。)州云く、我れも亦知らず。(這の老漢を拶殺せず、倒退三千。)僧云く、和尚既に知らずんば、什麼としてか卻って明白裏に在らずと道ふ。(看よ走りて什麼の処に向かってか去らん。逐って樹に上り去らしむ。)州云く、事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了って退け。(頼ひに這の一著有り。這の老漢。)

趙州和尚常にこの話頭を挙す、三祖大師信心銘に云く、至道無難唯嫌揀択、但だ憎愛莫ければ、洞然として明白と。わずかに是非有れば、是れ揀択、是れ明白。至道無難(難にあらず易にあらず、もと難易ないんです。)道に至るに難易なし、もとこのとおり手つかずの初心です、まっ平らです、ただ揀択をいとう、あれがいいこれが悪いしない、取捨選択というおのれのよこしまを離れる、生まれまっさらの赤ん坊です。(眼前これなんぞ、あっはっは回答これ、御名御辞ですよ、だめじゃねえか三祖大師にひっかかってるなんて。)わずかに恁麼に会せば、嗟過了也。鎬釘膠粘せば、何の用を為すにか堪えん。会せばおしまいです、ひっかかりとっかかりです。禅という単純を示す、まるっきりないものをひけらかすんです、なんの役にも立たんです。州云く、是れ揀択是れ明白と、如今の参禅問答、揀択の中に在らざれば、便ち明白裏に坐在す。老僧は明白裏に在らず、汝ら還って護惜すやまた無しやと。(なにをしようっていうんだ、葛藤これ身心、ならそのまんまやらしときゃいい、手を下すに従い増幅。)あっはっは、(至道無難と唯嫌揀択で両頭、揀択、憎愛でもって三面にしとくか、なんかそんな仏像転がっている、小売弄は読んで字の如しです、いい気になるなっていうんです。魚行けば濁り、鳥飛べば毛落ちは、どうですか、防ぐ手立てありますか、なかったらどうすりゃいいんです。)賊心とは相手のひっかかりわだかまりを盗みに行くんですか、被害甚大、去ったあとになんにも残らんけりゃ可。護惜する、読んで字の如し、まあ大切にするんですか、(敗や、だめじゃねーかすっぱりやれ、一個半分お釣りが来た、ほうれ。)明白も揀択も、禅という単純一つきりの心を、見るものと見られるものの二分裂です、たいていみーんなやってます。わだかまりある、うまく行っているという、双方不可。観察しないんですよ、観察するものこれ、すなわち明白裏にあらず、明白という取って付けない、千変万化も見るなけりゃゼロにもならんです、活発発地。時に僧侶あり、問う、既に明白裏にあらずんば、箇のなにをか護惜せん。(この一拶うっふちょっとぬるいんですか、どあほぐらいでいいんだけど、なんせ師事する見習い。舌上のあぎとを支う、さしもの趙州だまり込むさま。)州云く、我れも亦知らず。これが趙州なんです、わしにゃとうていこうはいかん、生地丸出しと云おうか、三つの子が手も足も出んてとこ、いいですなあ。(趙州はやっつけられん、一昨日おいで。)和尚既に知らずんば、なんとしてかかえって明白裏にあらずと云う。(蛇足なんです、いえさ馬脚を表した、いまだしなんです、豚もおだてりゃ木に上っちまう、こうあるべきがどっかにある、わかりますかこれ、落着せえ。)事を問うことは即ち得たり、礼拝して去れ。(よかったねえ云うことあって、ご老人て、円悟舌を巻く。)

趙州従しん(言に念)南泉普願の嗣、這の老漢、平生棒喝を以て人を接せず、只平常の言語を以てするに、只是れ天下の人如何ともせず、けだし他の平生そこばくの計較無き為なり、ゆえに横拈倒用、逆行順行、大自在を得たりと、評唱にあるとおり、趙州の右に趙州なく、碧巌録にはもっとも記載多く、鳴乎大趙州と云わんかなです。そうねえ、昨日弟子が去る、わしよりも本山がいいといって、地震後に駆けつけた、世間なら美談だろうが、そんなんでは到底法は継げんです。たとい地震あろうが、目前ものなし、立身出世の色気しかないのはまあしょうがないですが、ちらとも知るには、ようやく自分という目鼻が付く、ようやく捨てるべきものを見るんです。大趙州も十八歳の時に見性することあって、長らく判然としなかった、揀択の人です、我れと我が身を如何せんという、だったらそりゃなんとかなる、揀択を強いて明白、宗門に泳ぎ出るに及んでは、まあさ田舎者ですか、また一個ろくでなしを作っちゃった、しょうがないです。趙州ついに南泉に問う、泉答えて云く、道は知にも非ず、無知にも非ず、知は是れ妄覚、無知は是れ雑念、若しこの事を得ば、龍の水を得る如く、洞然として明白なりと。揀択し明白していたそのものが失せるんです。たいていだから無字を透る、見性という、そんなんもとありっこないんですが、ちらとも見たと云われてより、ほんとうにこの事を得るまで、だいぶ手間がかかります。どこまで行ってもおれがなんです、おれというこっちがわから風景を見る、いったんは納まるようでいてそりゃどうもならんです。ついにすったもんだのこっち側が失せる、鉄砲かまえて狙っている猟師が、虎に食われちゃうんですか、太虚の洞然たるが如くと、ちゃーんと身心が答えてくれます。すんばらしいとか清々とかいうまったくらち外です、何時間坐ってもほうと一息って、まあそんなふうです。立身出世や得る得ないじゃない、ただこれ。ただの人初心なんです。

至道無難。(三重の公案とはここに、三祖大師、趙州また雪竇の公案です、公案とは自分とその世界のすべてをもってする、正令全提です。歴史も人類もないんです、思想宗教の埒外です、即ち満口に霜を置くこれ。)言端語端、めりはりというより、微塵もゆるがせにしない、しいどうぶなんこれっこっきり、他しです。(めりはりしようとすれば、水濁るんです、他なしとやれば、卻って七花八裂、さあどうするこの馬鹿。)一に多種有り。まあさこう云いおくことまさに是し、一に多種あり、二に両般なしなど云ったって、実にお題目にもならんです、よくよく見て下さい、初心に穴を穿つ、葛藤をひっかきまわして、でもって忘れ惚けりゃ、忘れ呆けが残る。(分開せばって風呂敷でもおっ広げるんですか、水の湧き起こる唐草模様、火炎式土器、つまらんですよ、それとも世間一般芸能事に任せ。)二に両般無し。(人間が自然数を発明してより葛藤即ち生涯。)天際日上り月下る、葛藤生涯日は上り月廻る他に何があるか、追憶とてただこれ。(覿面に相呈す、頭上まんまんなどいうことにひっかからないんです、はいそうですかよって、覿面にあい呈するに従いなんにもないんです。)檻前山深く水寒し、檻はだれがこさえるんですか、はい自分です、世間不都合という檻の失せる、生老病死の檻失せる、山深く水寒しです。絶学無為の閑道人、妄を除かず真を求めず、妄想と真実の檻なんです、すると人間世界から逸脱する他なく。(死ぬしかないと云っているのです、至道無難、唯嫌揀択、ただ憎愛なければとは、生きていたら不可能ですよ、生死を明きらむるとは、明きらめるおのれを捨て、あっはっは寒毛卓立これ。)髑髏識尽きるとは、死ぬという生死を諦めるという、どうしても我れを進めてこれを見ようとする、人間皮肉を去ってどくろですか。そうではない、その手を止めれば、万法の進みて我れを証する、これを悟りというと。喜びという、悟る喜び光明の喜びと、追求する、それはセックスの喜び我欲の喜びと同じです、ラジニーシです。あっはっは別の喜びがあるってさ、死んだら死んだっきりだよ、200%の喜び如何。(棺木裏に瞠眼す、僧あり出で来たって問う、盧行者六祖禅師はこれ他の同参。)枯木龍吟銷して未だ乾かず、銷は金属を溶かす意、失せる消えるんです。死んで死んで死にきって思いのままにするわざぞよき、至道無難禅師はまさにこの至道無難によって得る、棺桶に入る、死人と同じこれわが宗旨なりと。すでに明白裏にあらずんばの僧、銷して未だ乾かず。(うっふ、死んで花実の咲く話、達磨東土に遊ぶ。)難難。(はい難難、ちらとも得れば必ず邪法、目前の機に非ず、目前の機に非ざる時如何、雲門倒一説。はい捨てるよりなく、捨てて捨てて捨てきって思いのままというもなおです、至道無難といい、難難と説く。)揀択明白君自ら看よ、そうです自知するよりないんです、扶け起こすすべてが邪法。(瞎も喝もまあ同じですか、よくよく見ろというんです、まさに思へり別人によると、仏の修行これ、幸いにして自ら見るに値う、死ぬとこれがあるんです、卻って別人によると、いやわしゃ知らんよ。)

第三則 馬大師不安

本則・挙す、馬大師不安、(這の漢漏逗少なからず。別人を帯累し去れり。)院主問ふ、和尚近日尊候如何。(四百四病一時に発す。三日の後亡僧を送らずんば是れ好手。仁義道中。)大師云く、日面仏月面仏。(可殺だ新鮮。養子の縁。)

馬大師、馬祖道一南嶽懐譲の嗣、不安というのは四大不調、具合が悪いわけです、(この漢漏逗少なからずと、漏れ出す、てめえ一人で病んでりゃいいのにってふう、人まで巻き添えにしやがって。風邪引いた病気だといっては、ずっしり病気になって、別人を帯累し去れりを、あなたもやっていませんか、病に甘え、ぬくぬくと病気ですか、ついでに人を巻き添えです、あっはっは。病気は飽きると治る、もう止めたあほくさというと、頑固な口内炎が消える、人にうつすと風邪が治るとかさ。)院主はお寺の住職ですか、西堂位とて馬大師が接化に当たっていたんでしょう、心配してどうですかとお見舞いです。(四百四病一時に起こる、いっぺんに大病になっちゃった、お見舞いとはまさにこれ、三日ののちにあの世行きです。よくよく見てとって下さい、仁義道中お控えなすって、人の日常これ心病、心身症などいう名付けて治療法は、まあさいったんたがを緩めるんですか、病気だといっては二重の自縛。ついには手足も効かず。どうですか、死んだやつは二度と死なないっていう、病気になりようがないっていう処方箋は。)大師云く、日面仏月面仏、わっはっはなんともこいつは為人のところ、どっかのお経に出ているなど、馬大師自身が知らないんでしょう、珍しい言葉などと云わない、日面仏月面仏です。はい坐って下さい、実にこれを得て下さい、群生の永しなえにこの中に住すと、不安も四大不調もあっはっは仏さまには通じないんですか、百歳の老翁も三つのがきも同じなんです、無無明亦無無明尽、無老死亦無老死尽、年老い死ぬことはそりゃあ当然。(はなはだ新鮮、父母未生前、養子の縁なんて組まないよ。)

頌・日面仏月面仏。(口を開けば胆を見る。両面の鏡の相照らして中に於て影像無きが如し。)五帝三皇是れ何物ぞ。(大高生。他を謾ずること無くんば好し。貴ぶ可し、賤む可し。)二十年曾て苦辛す。(自ら是れ汝落草す。山僧が事に干らず。唖子苦瓜を喫す。)君が為に幾か蒼龍窟に下る。(何ぞ恁麼なることを消いん。錯って用心すること莫くんば好し。也奇特無しと道ふこと莫れ。)屈。(人を愁殺す。愁人愁人に向かって説くことなかれ。)述するに堪へたり。(阿誰い向かってか説かん。愁人に説与すれば人を愁殺す。)明眼の衲僧も軽忽すること莫れ。(更に須らく子細にすべし。咄。倒退三千。)

日面仏月面仏。(口を開けばきもを見ると、わっはっはどかん内蔵丸出し、さらけ出すんですか、日面仏月面仏、両面の鏡の中に影像無きが如しと、さあこれやってごらんなさい、坐っていると退屈する、どうしたらいいなと微塵も云わなくなります。なんぼ坐ったってほうと一瞬、身心失せきってはじめて生死です。まあさ、ちらとも口を開けば肝丸出しを勉強して下さい。自閉症のだからおれはやってないんです、たいていの禅者、印下底などいう今の人やっぱり自閉症、真の喜びもなければ、人に差し出す手もなし、どうしようもないっていうただのごろつき。)五帝三皇は中国古代の理想王です、鼓腹撃壌のたとえにある、民は王さまのあることを知らなかったほどに豊かで平和であった。人の思いこれに尽きるはなしなんですが、五帝三皇これ何物ぞ。(おおさ大きく出たじゃないか、他を謾ずることなかれ。いい加減なこと云うな。貴ぶべし、賤しむべしとは、驚異あれば狸奴白虎、下劣あるをもって宝几珍御と、洞山大師宝鏡三味にある如くに、これ参禅のありようです、それを逆手に取った。いえさだからってそういう思い上がりじゃどうしようもないんです、理想王より偉いんだとさあっはっは百害。)二十年来かつて苦辛す、馬祖のことですか雪竇の辺ですか、三十年来となりゃえっへわしのこったがさ。(自らこれ汝落草す、なんじこれ彼にあらず、彼まさにこれ汝、たとえば経行するでしょう、向こうから来るのが自分になっている、面白いんでしょう、身心無ければこれ。まさにこれ仏道です。落草は手を下す、すなわちこれを得るためのいらん努力ですか、いえさこれを得て、未だ四苦八苦へ手を下す。おれは知らんよという、落草しないっていう落草。唖者がにがうりを噛む如くって、あっはっはこれ誰の消息。)君がためいくたびか蒼龍窟に下る、龍の玉摩尼宝珠を得んがための命がけも、いくたびかというさらでだに実感です。(ただの工夫、もと始めっから恁麼、あほなこと云っていらん用心をさせるな、馬の夜目虎の欠けたるが如し、いえだからってただじゃあただにならんのです。)屈。死ぬまで屈が残ったりさ。(人を愁殺す、なんだまあ二人で同病相哀れむやっとれ、どあほ。)述べるに堪えたり、感涙日面仏月面仏。(涙ゆすれて述べる能わず。)明眼の衲僧も軽忽する莫れ。禅月公子行に題してという詩、錦衣鮮華にして手に鶻を捧ぐ、閑行の気貌軽忽多し、稼穡の艱難総に知らず、五帝三皇是れ何物ぞ。というによって頌す、衲僧はまあさ雲水のこと、たとい頂門に眼を具し、肘後に符有る明眼の衲僧、四天下を照破するも、這裏に至って也軽忽するなかれ。(すべからく子細にして始めて得るべし、やってやってやり抜いて下さい、ほかになし。)

第四則 徳山い山に到る

本則・挙す、徳山い山に到る。(担板漢、野狐精。)複子を挟んで法堂上に於て、(妨げず人をして疑著せしむ。敗缺を納る。)東より西に過ぎ、西より東に過ぎ、(可殺だ禅有りて什麼か作ん。)顧視して無無と云って便ち出ず。(好し三十棒を与ふるに。可殺だ気天を衝く。真の獅子子善く獅子吼す。)雪竇著語して云く、勘破了也。(錯、果然、点。)徳山門首に至り、卻って云く、也草草なることを得じと。(放去収来。頭上は大高生。末後は大低生。過ちを知って必ず改む、能く幾人か有らん。(便ち威儀を具し、再び入って相見す。(依前として這の去就を作す。已に是れ第二重の敗缺。けん。)い山坐する次、(冷眼にして這の老漢を看る。虎髭を撫ずることは也須らく是れ這般の人にして始めて得べし。)徳山坐具を提起して云く、和尚。(頭を改め面を換ふ。風無きに波を起す。)い山払子を取らんと擬す。(須らく是れ那漢にして、始めて得べし。籌を帷幄の中に運す。妨げず天下の人の舌頭を坐断することを。)徳山便ち喝して、払袖して出ず。(野狐精神の見解。這の一喝也権有り也実有り、也照有り也た用有り。一等に是れ雲を弩らひ霧を攫む者、中に就いて奇特なり。)雪竇著語して云く、勘破了也。(錯、果然、点。)徳山法堂を背却して、草鞋を著けて便ち行く。(風光愛しつべし。公案未だ円かならず。頂上の笠をかち得て、脚下の鞋を失却す。已に是れ喪身失命し了れり。)い山晩に至って首座に問ふ、適来の新到、什麼の処にか在る。(東辺に落節し西辺に抜本す。眼東南を観て意西北に在り。)首座云く、当時法堂を背却し、草鞋を著けて出で去れり。(霊亀尾を曳く。好し三十棒を与ふるに。這般の漢脳後に多少をか喫す合き。)い山云く、此の子已後孤峰頂上に向かって、草庵を盤結して、仏を呵し祖を罵り去ること在らん。(賊過ぎて後弓を張る。天下の衲僧跳不出。)雪竇著語して云く、雪上に霜を加ふ。(錯、果然、点。)

い山霊祐百丈の嗣、仰山とともにい仰宗の祖、いはさんずいに為、きと読むらしい川の名。徳山宣鑑は龍潭の嗣、婆子に三心不可得如何なる心によって団子を食うかと問われて、龍潭和尚を問ういきさつ。金剛経を焼いてきれいさっぱりですか、そりゃもうほんにかすっとも残らない、実にこの則の消息。担板漢野狐精、はいなってなもんです。板を担う、たいていの人思想信条こうあるべきの無細工、こっけいですか、野狐精は、たとい仏を知るについては不細工、我田引水しかできない、つまり物まねです。よくよく見てごらんなさい、あなたは物まね身上。複子をたばさむは旅装のまんま法堂に上がる、(これなにごとかっていうんでしょう、すなわち敗壊たり、たってさなにやっても同じですか。)東より西へ、西から東へ、お寺は南門という南向き。(おうまるっきり禅風だぜ、がんばってね。)かえりみて無といってそのまんま出る。(でかした三十棒、衝天の志気ですか、ライオンの子がライオンに吼えるぞ、あたりきよ、唯我独尊ふうわり一吹き。)雪竇つけて、かんぱりょうや。(錯、金属の溶け消える、果然、やったあっていうんです、点、動くな、これい山を徳山がかんぱりょうや、雪竇がかんぱりょうや、おまえさん方はどうだって点ずるんです。)徳山山門に至って待てよ、もうちょっとちゃんとせにゃいかんといって、引き返す。(放ったら収めんけりゃ、大威張りかいといて低姿勢ですか、でも過ちに気がついたら必ず改める、おっほっほえらいえらい。)威儀を具し、着襪塔袈裟です、ふたたび入って相見、(また例によってやっとる、二度の敗缺、もとまるっきり用事がないんでしょう、だったらなんで。)い山坐するついで、(冷眼にして、うは大い山坐す、触れなば落ちんて、首が飛ぶ、吸毛剣がそこにあるんです、虎のひげ撫でに行く、うっふうちょっと勇気要りますか。)徳山坐具を提起は、今もって同じふうにして坊主ども猿芝居問答、如何なるかとやっている、和尚。(開き直ってやって来た、すなわち風無きに波を起す。)い山払子を取る、取ろうとしたんです。(すわぶった斬る、天子ははかりごとを幄の中にする、将軍は塞外にあり。)徳山即ち喝して、袖を払って出る、うはすごいねこのおっさん。(杜撰な野郎め、聞いたふうなことするな。一喝権あり、お経全巻あるよってな、実あり仏そっくりです、照あり用あり、もって救いもって使うんです。いやたいしたもんですとさ。)雪竇また勘破了や。(はーいはい。)徳山わらじ履いてさっさと出て行く、いいですか参禅これ、ちらとも滞る、すなわち鞋を脱ぐよりないんです、卒業すると用なし。(まあさかわいらしいこったが、未だし、頭上の笠を奪ったが、却下の鞋をないがしろ、そんでもって死んじまいやがった。)い山晩にいたって首座に問う、さっきの新到はどうした、僧堂の新参をしんとうと云う。(東もいない、西もいない、南北を見て東西を知る、これ観音さまの世の常だけんどもさ。)首座云く、わらじ履いて出て行った。(おっほ首座まで感じ入っているぞ、よし三十棒。でくのぼうだって脳後に多少をか。)い山云く、あいついずれ孤峰頂上に向かって、草庵を結び、仏を呵しり、祖を罵る、たいへんなあほになるぞ。印下って云えばそりゃまあって、印下される玉かよ。(泥縄もいいとこだ、そんなんじゃ一匹も育たんぜ。)雪竇云く、雪上に霜を加える。無駄っことです、でも卒業式他にはなく。錯、果然、点。

頌・一勘破。(言猶ほ耳に在り。過。)二勘破。(両重の公案。)雪上に霜を加ふ。曾て嶮堕す。(三段同じからず、什麼の処にか在る。)飛騎将軍虜庭に入る。(嶮。敗軍の将再斬に労すること無けん。喪身失命。)再び完全を得る幾箇ぞ。(死中に活を得たり。)急に走過す。(傍若無人。三十六策、汝が神通を尽くすも何の用を作すにか堪へん。)放過せず。(理能く豹を伏す。鼻孔を穿卻す。)孤峰頂上草裏に坐す。(果然。鼻孔を穿過するも也未だ奇特とせず。什麼と為てか卻って草裏に在りて坐す。)咄。(会すや。両刃相傷る。両両三三旧路に行く。唱拍相随ふ。便ち打たん。)

勘破了也と一言云えば足る、てまえもわしも真っ二つ。もと無一物中無尽蔵、標準は自分なんです、いいの悪いの身心消えたの残ったの、とやこう一二三やっている、はいやっているそのもの、そのものと知れるときまったくなし。何を勘破了、すでに耳朶に在り、再来かすっともかすらんですか、かすっともかすらぬ宇宙それ。過なく不過なし、千変万化。両重の公案早に忘れるによく、雪上に霜を加える、これなんぞ。かつて嶮堕すと、東へ過ぎ西へ過ぎ、無無と云って出ず、虎のひげを撫でずに退散ですか、人物まねにそりゃ何やったって、所作が見事などいうお笑い番組です、たとい山門を掠めるとも嶮堕、人みな嶮あり堕ありと。い山の雪に徳山の霜を置くんですか、徳山の雪にい山の霜を加えるんですか、見た目まったく不変、はい正解、そこらへん謝三郎一般の見る、はい答え。かつて嶮堕して残屑なし。飛騎将軍李広は弓の名手であった、深く虜庭に入りという、捕虜になって死人のまねをして、隙を見て馬を奪い、追手を次々射倒して生還したという故事。徳山入室してい山に相見す。死中に活を得たりですか、これ世間一般、言い訳屁理屈、おれはえらいおまえはだめというしか、相見る事なく、若しやちらとそんなんありゃ、真っ二つ。虜庭に入って死んだ真似、あっはっは煮るなり焼くなりどうぞっていう、はてどうぞって云ったとたんに、三つに切られ。急に走過す、再び完全を得る幾箇ぞ、払子を擬せんとすれば即ち喝し、払袖して出ずと。傍若無人は西へ東への一件、三十六計逃げるに及かず、あっはっは真正面したです、神通などへたな斟酌なし、死体と同じこれわが宗旨なり、打てば響くんです。放過せず。い山盗人を追う、豹も理に契う、鼻の孔えぐるんですか。孤峰頂上草裏に坐す、なんだこりゃあってんです、座蒲団の真っ赤なの三十枚も敷かせりゃいいのに、なんで草裏だ、咄。二人破れて傷つく、旧態依然の、唱拍道中、三十棒ってわけです。

第五則 雪峰尽大地

本則・挙す、雪峰衆に示して云く、(一盲衆盲を引く。分外と為さず。)尽大地撮し来るに、粟米粒の大いさの如し。(是れ何の手段ぞ、山僧従来鬼眼晴を弄せず。)面前に抛向す。(只恐らくは抛不下ならんことを。什麼の伎倆か有らん。)漆桶不会。(勢いに倚って人を欺く。自領出去。大衆を謾ずること莫くんば好し。)鼓を打って普請して看よ。(瞎。鼓を打つことは三軍の為なり。)

雪峰義存、徳山の嗣、三たび投子(義青)に上り、九たび洞山(良价)に到るとある、いたるところに飯頭となる、飯焚きやって歩いていた。一日洞山雪峰に問ふ、なにをか作す、峰云く、米をふるってます。山云く、砂をふるって米を去るか、米をふるって砂を去るか。峰云うく、砂米いっせいに去る。山云く、大衆箇のなにをか喫せん。峰即ち盆をくつがえす。これどうですか、洞山大師の接化、米と砂と篩と、観念思い込み、先入主を去って、まったくに見てごらんなさい。米をふるって砂を去るか、砂をふるって米を去るか、まさに如実なんです。身心いっせいに去るんですか、あっはっは、雪峰盆をくつがえす。まあ仕方ないですか。汝が縁徳山にありと、徳山に問う、従上宗乗中の事、学人還って分有り也また無しや。徳山打すること一棒して、什麼と道ふぞと。これによって省あり。ちらとも気がついたんです。さあ気がついて下さい、一棒にうってこれと。他にはないんです、生まれ本来これ、仏教周辺じゃないです。のち鰲山にいたって雪に隔てらる、兄弟子巌頭と雪に閉じ込められて、雪峰云く、我れそのかみ徳山の棒下に在って、桶底の脱するが如くに相似たりと。巌頭喝して云く、汝道うことを見ずや、門より入るものは是れ家珍にあらずと。須らく是れ自己胸中より流出して、蓋天蓋地にして、方に少分の相応有るべしと。雪峰忽然として大悟。礼拝して云く、師兄、今日始めて是れ鰲山成道と。尽大地撮し来るに粟米粒の如し、面前に抛向す、ほうら投げ出したぞ、漆桶不会、どこへ行ったかさっぱりわからん、鼓を打って普請して、作務太鼓うってさあ大衆みんなして捜せ、というんです。さあどうですか。一盲群盲を引く、分外にあらず、なんてえことはないっていうんです、一盲衆盲を引く=初心世の中ぜんたい、はーい、なんていうことないんです。これなんの手段ぞ、もと手段なし、山僧従来鬼眼晴にあずからず、あほなこと云って辺りをへいげいするなんざ最低だ。抛ったたって抛ってねえじゃねえか、勢いによって人を欺く、わっはっはこうれだまされるな、太鼓打つなんては軍隊の行進。まあさ、いい加減云いたい放題。

牛頭没し。(閃電に相似たり。蹉過了也。)馬頭囘る。(撃石火の如し。)曹溪鏡裏塵埃を絶す。(鏡を打破し来れ汝と相見せん。須らく是れ打破して始めて得べし。)鼓を打って看せしめ来れども君見ず。(汝が眼晴を刺破す。軽易すること莫んば好し。漆桶什麼の見難き処か有らん。)百花春至って誰が為にか開く。(法相饒さず。一場の狼籍。葛藤窟裏より出頭し来る。)

牛頭馬頭は地獄のお使い、獄卒です、大死ぬ一番大活現成ですか、死んだものは二度と生き返らない、しかも牛頭没し馬頭囘るんです、どうぞ味わって下さい。しかも閃電光撃石花です、ほうっと気がつく、神経シナップスの一瞬です、光速と同じに意識の速度のゼロですよ、右情識の至るにあらず。間違っちゃいかんです、仏道修行という絵に描いた餅じゃないんです。即今奪い去る、どこまで行こうが引き算です、ちらともあれば役立たぬ、これを曹溪鏡塵埃を絶すです。曹溪は六祖禅師のよる処、わがこの禅庭。妄想をどうにかしようとする、これ妄想です、鏡の底をぶち破って下さい。去来白雲を見るに見ずなんです、鳴動する大山なし、ただに打てば響く。鼓を打って看せしめ来れども君見ず、ついに終わるんです。自分という一切にかかわらない、坐禅とはただの奉仕です、奉仕する君、いいえ我れなし、わかりますかこれ、わかったら不可。そうそう簡単には行かないです、尽くしきってなをです。どうもこうものその向こう、しかもなをかつわっはっは、無始劫来貪嗔癡ですか。一生ものという、なにさ一生なんてけしつぶですよ、生生世世もたかが知れています。百花春至って誰が為にか開く。わずかに無上楽ですか、たしかに世間一般のはるかに届かぬ世界があります、生まれたまんの無上楽、はいこれ一場の狼籍、葛藤窟裏っより出頭して来る、ふーんどあほが、おっほっほ。

第六則 雲門日々好日

挙す、雲門垂語して云く、十五日已前は汝に問はず、(半ばは河南半ばは河北。這裏旧暦日を収めず。)十五日已後、一句を道ひ将ち来れ。(免れず朝より暮れに至ることを。切に忌む道著することを。来日是れ十六。月日流るるが如し。)自ら代って云く、日々是れ好日。(収。鰕跳れども斗を出でず。誰家にか明月清風無からん。還って知る麼、海神貴っときことを知りて価を知らず。)

雲門文偃は雪峰の嗣、はじめ睦州に参ず、わずかに門にまたがれば、よって行って、道え道えという、答え得ないと押し出して、秦時のたくらく鑽と云った。秦の阿房宮を造ったときのろくろぎり、使いすぎてすりへって役に立たない。はいあなたのこってすよ、観念思想もの云いにすりへって、真実が見えないんですか、如何なるか是れ仏と聞いて、仏という別ものです、仏道修行という、てめえの屁の匂いを嗅いでるんですか。雲門三たび問うて、道え道えと云われ、押し出されて、足が残った、門扉に挟まれて、足を折る、忍痛して声を発して、忽禅として大悟すとあります。痛いことは痛い、くわーっと叫んで、どこが痛いんかわからない。身心失せて玉露宙に浮かぶ。まるっきりうわっとこうなっちゃうんです、生まれたまんま、父母未生前という、元の木阿弥です。十五日以前は汝に問はず、(半ばは河南、半ばは河北と、まあさ同じ続きを半分にぶった切ったですか、これ旧暦っていうんじゃない、人の観念思い込みのこよみを収めず、十五日と云えばどっか収まりつく、そうじゃないんだよってこと。)十五日以後一句を道いもち来れ、さああたいへんだっていうんですか、十五日間を必死で修行して一句、そりゃ門扉に足を折られるです、ではなんとすりゃいい、なんもせんでいいって、はーい、わっはっはどうですか、日々好日とは程遠いですか。公案たってとんでもない部類、これ透過するの、なまなかじゃないです。世にいう日々是好日のしゃっぽを、いえさぬるま湯をまず抛つ、ことはそれからです。でもって禅坊主だの、機峰だの大修行だのを卒業し切って下さい、あっはっは大それたっていうより初心これ、(切に忌む道著することを、明日十六日だよ、はいもうひっかっかっている、だめ。月日流れるが如し、はいこの公案透過すれ、もしやちったあまし。)自ら代って云く、日々是好日。(収、おさまったんですとさ、嘘付け。鰕まあでっかい海老ですか、斗は北斗七星、そりゃ納まるって何が。たが家にか明月清風なからん、仏になった、わしだけ清々辺りを払うってこと、そんなことありえないんですよ、これが仏教というものなんです、悟りとは何か、還って知るや、海神貴きを知りて価を知らず、うまいこと云うってよりへたくそめが、うっふ。わし碧巌提唱して、どうしようかって思う、自信ゼロの上に、なにやってんだかさっぱり、なぜか終わるんかな。)

頌・一を去却し、(七穿八穴、什麼の処に向かってか去る。一著を放過す。)七を拈得す。(拈不出。卻って放過せず。)上下四維等匹無し。(可似生。上は是れ天、下は是れ地、東西南北と四維と、什麼の等匹か有らん。争奈せん柱杖我が手裏に在ることを。)徐ろに行いて踏断す流水の声。(脚跟下を問ふこと莫れ。体究を為し難し。葛藤窟裏に打入し去り了れり。)縦に観て写し出す飛禽の跡。(眼裏亦此の消息無し。野狐精の見解。依前として只旧窩窟裏に在り。)草茸茸。(脳後に箭を抜く。是れ何の消息ぞ。平実の処に堕在す。)煙羃羃。(未だ這の窩窟を出でず、足下雲生ず。)空生巌畔花狼籍。(什麼の処にか在る。不喞溜の漢。勘破了也。)弾指して悲しむに堪えたり舜若多。(四方八面尽法界。舜若多の鼻孔裏に向かって一句を道ひ将ち来れ。什麼の処にか在る。)動著すること莫れ。前言何れにか在る。動著する時如何。)動著すれば三十棒。(自領出去、便ち打たん。)

我れは愛す韶陽(雲門は韶山に住す。)新定の機、雲門の機峰を憶う雪竇の頌、まさにもってかくの如しですか。一を去却し、仏とは何かというんでしょう、どう答えますか、たとい大手を広げてこの通りと云ったとて、一を去却しない、じゃ云わぬがよいかって同じこと、七穿八穴してどうにもこうにもならんです。良寛さんが仏を問われて泣いたという、自明まさにかくの如くあるのに、一言半句云い出でない、なぜですか。七を拈得すと、花を拈ずるに及んで迦葉破顔微笑、我れに正法眼蔵ねはん妙心の術あり、あげて迦葉に付嘱すと。韶陽新定の機、なにをどう道をうがまさに三種あり。ものみな三種あり。須菩提尊者巌中に宴座す、諸天花を雨ふらして賛嘆す、空中に花を雨ふらして賛嘆するはまた是れ何人ぞ。天日く、我れは是れ天帝釈。尊者日く、汝何をか賛嘆す。天日く、我れ尊者の善く般若波羅蜜多を説きたまふを重んず。尊者日く、我れ般若に於て未だ嘗て一字をも説かず。汝如何が賛嘆せん。天日く、尊者無説、我れ即ち無聞。無説無聞是れ真の般若なりと云って、また花の雨ふらすと。上下四維天上天下東西南北、等匹同じたぐいなし、廓然無聖個々別々ですか、(あほうめが、上は天下は土東西南北と、なんの等匹かあらん、あったりめえじゃねえかってさ、だが柱杖わが手に在り、はいどうかこの一句を手に入れて下さい、てんでんばらばらとりとめなしじゃ、終わらないんですよ。)おもむろに行いて踏断す流水の声、日々是れ好日ですか、わっはっは原爆投下、(日々是好日はたしててめえはどうかと問う、ではだめなんですよ、体究し難し、まったくの無反省かろうじて可、葛藤くつりに打入する=つまらんこったです。)ほしいままに観て写し出す飛禽の跡、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけれ、見えないものが見えるんですか、ないものはないんですか。(依然として旧かくつ裏に在り、不可ですかたいへんけっこうなこってすか、あっはっは。)草茸茸煙羃羃。(脳味噌にぶっ刺さった箭を抜いて下さい、なんという自由、なんだあ、だれ同じ平日。足下雲生ず、雲助けめえなんにもならんわ。)空生巌畔花狼籍、かっこういいなあって感じ入っちまうからわしはあかん。夜明簾外風月如昼、枯木巌前花卉常春、(だからなんだっていうんだ、どあほうが、見たか。)弾指して悲しむに耐えたりしゅんにゃた、虚空神です、はいあなたのことです、悲しむことできますか、でなかったら草も煙も杓子定規。動著することなかれ、標準あれば動くか、著するか、はいすべては自分がやっているんです、蛇足。動著するなかれというも早く三十棒。

第七則 法眼慧超仏を問ふ

本則・挙す、僧、法眼に問ふ、(什麼と道ふぞ。担枷過状。)慧超、和尚に咨す、如何なるか是れ仏。(什麼と道ふぞ。眼晴突出す。)法眼云く、汝は是れ慧超。(模に依って脱出す。鉄餐飴。就身打刧。)

法眼文益は羅漢桂斑の嗣、大法眼、法眼宗の祖。そったく同時底の機ありという、口に卒はひよこが殻を破る、啄はおやどりがつっつく、まさに能くこの答話ありと、僧法眼に問う、(なんと云うぞ、首枷をてめえではめて白状書を持って来た。どうですか、問うというとたいていそんなふうでしょう、思い当たって下さい、じきに承当。自分という首枷を自分で設けて、さあどうしたらいいと問う、いえさ、こんなぐあいだからって曝け出す、あっはっは、はいお止めなさいって云う他なく。)慧超、和尚にまおす、いかなるかこれ仏。(なんというぞ、眼晴突出、わっはっは本体はどうなっているんだ。そっくりおまえさんだろうがさ。)法眼云く、汝はこれ慧超。慧超は法眼の嗣、帰宗策真の名、汝は是れ帰宗策真。(模によって脱出す、如何なるか是れ仏という、たがを脱出です、法眼と慧超と同じか別か、法眼も慧超もなく、如何なるか是れ仏だけがあるんです、すると慧超ですか、いえ法眼ですか、さあ道へ、三十棒じゃ不足、どかんおしまい、鉄餐飴。鉄のあめ嘗めるんですか、没慈味、味もそっけもないんです、はいこれわが宗旨なり。就身打刧、みぐるみはがれたって、まあさそりゃあそういうこってす。)

これは弁道話にあります、則監院法眼の会中にあって、かつて参請入室せず。一日法眼問ふて云く、何で来たり入室せず。則云く、それがし青林(師虔、洞山良价の嗣)の処に於て、箇の入頭有り。法眼云く、汝試みに我が為に挙せよ看ん。則云く、それがし問ふ、如何なるか是れ仏。林云く、丙丁童子来求火。法眼云く、好語、恐らくは汝錯って会せんことを。則云く、丙丁は火に属す。火を以て火を求む。それがしの如きは是れ仏、更に去って仏を求む。法眼云く、果然、錯って会し了れりと。則不憤して、便ち単を起って江を渡り去る。法眼云く、此の人若し囘らば救うべし、囘らずんば救うことを得じと。則中路に至って、自ら忖って云く、他は是れ五百人の善知識、豈に我れを賺すべけんやと。遂に囘って再び参ず。法眼云く、汝ただ我れに問へ、我れ汝が為に答へん。則便ち問ふ、如何なるか是れ仏。法眼云く、丙丁童子来求火。則言下に於て大悟す。はいみなさんどうか大悟して下さい、らしいこと仏はかくあるべしだからやってないんです、何がどうくわしかろうが、実になんにもならんです、まねごとと本来事と、ぶち抜く以外にないです、いまだかつておのれの言なし、自在なしを省みて下さい。更にこれ五位君臣、四料簡を用いず、箭鋒相柱うという法眼下、思量せんと擬すればいずれの劫にか悟らんと。汝は是れ慧超。

頌・江国の春風吹き起たず。(尽大地那裏よりか這の消息を得たる。文彩已に彰る。)鷓鴣啼いて深花裏に在り。(喃喃何ぞ用ひん。又風に別調のうちに吹かる。豈に恁麼の事有らんや。)三級波高うして魚龍と化す。(這の一路を通ず。大衆を謾ずること莫んば好し。龍頭に踏著す。)癡人猶ほ汲む夜塘の水。(扶籬模壁。門を捺し戸に傍ふ。衲僧什麼の用処か有らん。株を守りて兎を待つ。)

江国の春風吹き起こり、鷓鴣啼く処百花開くというんでしょう、江南の春です、これを得て恁麼にし去る、まさに百花開く、わっはっは派手派手ですか、(尽大地那裏よりか這の消息を得たる、自然というこれを得る、今の人もっとも遠いものです。自然という仮りに自分という環境ですか、別に見ている物が本来に帰る、月は月花はむかしの花ながら見るもののものになりにけるかな。たとい別ものにしたって夢にだも見ず、歌にも俳句にもならん、ただのでたらめ。そうねえまずもってこれなんとかせにゃあと思うです。悟りも糞もないよ、淫靡なる一個、いいやそんなもんにもならぬか。坐る以外に手段なく、まずもって捨てるべき自分を見いだして下さい。そうしてっからに、已にして文彩に堕すと、もって云い出でて下さい。)江国の春風吹き起たたず、鷓鴣啼いて深花裏に在り、如何なるか是れ仏、法眼云く、汝は是れ慧超。まさに言下に於て大悟すこれ、大死一番大活現成、無一物中無尽蔵、花あり月あり楼台ありという大騒ぎ不要ですか、いいえあっさり通り越したんですか、はい初心これ。(喃喃何ぞ用いん、別段の手段を仮らず、いえまた風に別調のうちに吹かれとは、夜静弦声響碧空、宮商信任往来風、依稀似曲才堪聴、又被風吹別調中っよりとる、汝は是れ慧超と吹くんですか、なにさ今に始まったこっちゃないんです。)三級波高うして魚龍に化す、登竜門です、いつまで魚やってないんですよ、仏教という我という、だからどうだ物まねやってないんです。(這の一路を通ず、たった一つしかないんです、いっぺんに躍り上がって、天空に駆けて下さい。悟ったらどうの悟らんきゃだめの、迷悟中を去る。大衆をだまして龍の頭踏んずけてるんじゃないんです、あれじゃなくこれ、悟り終わればただの人。)癡人なほ汲む夜塘の水、ただの人が若しやただの人に云う、取りつく島もなし。たいてい怒り出す、うっふ癡人に夢を説くなかれ、希望が欲しいという、三つのがきとわしには夢も希望もないよと云ったら、そっぽ向く。天使がどうのと、けったくそわりいこと云うなったら、見えてない人だってさ、さよう見えている分みな嘘。法王さまだってよ、くされきんたま握ってるなきなねえったら、うっふぶん殴られ。(ない壁と仮物の籬に寄っかかり、門戸を構え立てて、なんだかんだ云々、坊主には関係ないよそんなん、株にひっかかる兎を待ち惚けの連中、あっはっは世間とは何。)

第八則 翠巌夏末衆に示す

本則・挙す、翠巌夏末衆に示して云く、一夏以来、兄弟の為に説話す。(口を開かば焉んぞ恁麼なることを知らん。)看よ翠巌が眉毛在りや。(只眼晴も也地に落つることをかち得たり。鼻孔に和して也失し了れり。地獄に入ること箭の射るが如し。)保副云く、賊と作る人心虚なり。(灼然、是れ賊賊を知る。)長慶云く、生也。(舌頭地に落つ。錯を将て錯に著つ。果然。)雲門云く、関。(什麼の処にか走在し去る。天下の衲僧跳不出。敗也。)

翠巌令参、保福従展、長慶慧稜、雲門文偃ともに雪峰に継ぐ。一夏というのは三旬安居の一期今は冬もありますが、四月から七月十五日までですか。一夏の間兄弟(ひんでい)の為に説話す、どうだおれの眉毛あるか。嘘をつくと眉毛が落ちるという、あるいは達磨にひげありやという公案。(口を開けばどうやって本当本来を知るか。)且らく云えとあります、一大蔵経、五千四十八巻、免れず心と説き性と説き、頓と説き漸と説くことを、かえって這箇の消息ありやと。どうですかあっはっは多少は思い当たって下さい。でなきゃ翠巌眉毛ありやが、まったくの無駄こと。しゃばの人の反省会は、てめえの言質に科ありやなしやと、つぶさに見る、なんという醜悪、はいそんな問題じゃまったくないんです。(眼晴なあ、出来したりといって三文やす、眉毛ありやって、わっはっはそうだそうだって、人の云う尻馬に乗ろうってんだろ、けったくそわりい、堕地獄。)保福云く、賊となる人心虚なり、賊とは人の家に入ってその財産を掠めとるんです、わかりますか、眉毛ありやを根っこぎ奪いとろうという、てめえなにほどかあったら不可能、わかりますかこれ、賊心。(おっほう賊賊を知る。)長慶云く、生ぜり。生えてるよってさ、わっはっは。(語るに落ちたってやつ、過ちをもって過ちにつく、賊心。)雲門云く、関。関は無門関、眉毛ありやとなるほど、いやあなるほどなど云ってたら、そりゃあそれまでの人。急転直下して下さい、拈華微笑が欲しいですか、三十棒が欲しいんですか、それとも。(まるっきり取りつく島もない、これじゃ天下の坊主どもくされきんたま、どうもこうもならんぜ、敗也ってさ、取り付く島もないもの=あなた自身。)

頌・翠巌徒に示す。(這の老賊。人家の男女を教壊す。)千古対無し。(千箇万箇。也一箇半箇有り。分一節。)関字相酬ゆ。(道ふことを信ぜずや。妨げず奇特なることを。若し是れ恁麼の人ならば方に恁麼に道ふことを解せん。)失銭遭罪。(気を飲み声を呑む。雪竇も也少なからず。声に和して便ち打たん。)潦倒たる保福。(同行道伴。猶ほ這の去就を作す。両箇三箇。)抑揚得難し。(放行把住。誰か是れ同生同死。他を謗ずること莫んば好し。且喜すらくは没交渉。)労労たる翠巌。(這の野狐精。口を合取せば好し。)分明に是れ賊。(道著するも也妨げず。捉敗了也。)白圭瑕無し。(還って弁得するや。天下の人価を知らず。)誰か真仮を弁ぜん。(多くは只是れ仮。山僧従来眼無し。碧眼の胡僧。)長慶相諳んず。(是れ精製を識る。須らく是れ他にして始めて得べし。未だ一半も得ざること在り。)眉毛生也。(什麼の処にか在る。頂門上より脚跟下に至るまで一茎草も也無し。)

翠巌徒に示す、(この老賊です、手練手管ですか、百戦錬磨という瑕がついたら、そりゃ過ぎたるは及ばざるが如く、人家の男女を教壊するには、ただぶっこわしてもかえって爪弾き、あっはっはわしのよくやるやつ、もうちょっと手練ですか、うふ。)千古対無し、そりゃもうまったくそういうこったです、眉毛ありや、言語を絶することをかえって知らないんです。お釈迦さんも知らないんですか、観音さまはご存知ですか、はて達磨さんは。(ものみなかくの如し、知ってるやつの一人半分、いえさただこれ。)関字あいむくゆ、かんとこれ。そうだよっていうには、まったく不足を見てください、あいむくいなけりゃ、そりゃしょうがない。(どうだいっていうんです、さまたげず奇特なることを、たしかだろうがさ、能書きしたってわからん、知るやつのみ知る。)失銭遭罪は、むかし銭なくした者は罰せられた、泣き面に蜂です。関だって、もう一度ぶん殴られる、いえさあなたが、殴られるほどだったら大喜びですか、まあまあ。(気を飲み声を呑む、翠巌もです、雪竇もまた、だれかさんもさ。えーい三十棒あっはっは。)潦倒たる保福、潦は大雨のさま溜まり水だってさ、ちいっとはか行かぬさまですか。賊となる人心虚なり。(同行道伴。そりゃまあいいんだけれども、だからどうだってんだ、二人三人ていうんです、役に立ちますか。)抑揚得難し、(尻馬に乗る、同生同死底、まあさ他なし、とやこうのこっちゃないよ。)労は口へんです、労労たるでも通じますか、がやがややかましいっていうんですが、賊心大いにご苦労さんってふうに、一昨日おいで。(やこぜい、野狐禅ですか、じきに得たり口へんたんの如くなるを、むうと黙っちゃんですか、二通りありますか、是と不是と、いいえ翠巌でなくあなたです。)分明に是れ賊って蛇足みたいの。白圭きずなし、まっしろい玉です、賊とは何かよくよく参じて下さい。(世間一般の賊じゃないんですよ、手を触れりゃ大火傷、いえどっかへ吹っ飛んじまう。)誰れか真仮を弁ぜん。真仮を弁ずるまったくなし、これを知る、でなきゃ届かんですよ。(多くはきず、なにどうしたって瑕、おらあ知らんよ、碧い眼の達磨さんにでも聞いておくれ。)長慶あい諳らんず。生ぜりと道う、どうですか、なにほどか得たですか、馬走れの鞭影。(未だ一半をえざることあり。)いずれのところにかある、頭のてっぺんから足の下までっていうからに、一茎草。どあほ。

第九則 趙州四門

本則・挙す、僧、趙州に問ふ、如何なるか是れ趙州。(河北河南。総に説不著。爛泥裏に棘有り。河南に在らずんば正に河北に在らん。)州云く、東門西門南門北門。(開也。相罵ることは汝に饒す觜を接げ。相唾することは汝に饒す水を溌げ。見成公案、還って見る麼。便ち打たん。)

趙州和尚は趙州城に住んでいた、よって僧問う、人と地名とをひっかけるには、迷故三界城、悟故十方空、人というんでしょう、自分で自分城をこさえて、でもって四苦八苦して、孤独だ淋しいだの、自閉症やっている、極め付きへんてこりん自業自得です。元の木阿弥に戻す、自縄自縛を開放する、これを仏教、身心脱落の方法です。如何なるかこれ趙州(河北河南、人でなけりゃお城っていうんですか、だからひっかかっちまう、爛泥裏に棘です、どうだと云うからには、云うやつに突き刺さってっている、そりゃ云わんけりゃ、ただの一般。仏というなにかしら、即ち有る無しを卒業してもって、はじめて初心まったいらです。趙州和尚さすがにそんなもんにはひっかからぬたって、棘には棘もって応ずるわけです。)東門西門南門北門、こっちから向こうってだけですか、お城があるんですかないんですか、そりゃだれのことです、僧ですか趙州ですか。(開也、わかったかってなもんです、わかったという跡形失せて開くんです。あいののしる=仏教ですかあっはっは、まあいいわさ觜をつなげ、悟故十方空とつないで行けっていうんです、でなきゃそりゃ問題外。東門西門相対す、唾つけたわけです、東西南北門不用たって唾つけてます、汝に許す、仕方ないもんは仕方ない、道わんけりゃわからん、云ったら水をそそげ、でなきゃ趙州はわからんです、いくら仏教百般も、わずかに坐ってごらんなさい。自足するおのれも消え失せて、清々なーんてもんじゃないんです、龍の水を得る虎の山によると、わずかに外っからに云う、でも本来人安住する、洞然明白、余は明白裏にあらずと、汝ら護惜すや否や。見成公案かえって見るや、すなわち打たん。さあこれ。)

頌・句裏に機を呈して劈面に来る。(響。魚行けば水濁る。趙州を謗ずる莫くんば好し。)爍迦羅眼繊埃を絶す。(沙を撒し土を撒す。趙州を帯累すること莫れ。天を撈し地を模して什麼かせん。)東西南北門相対す。(開也。那裏にか許多の門有らん。趙州城を背卻して什麼の処に向かってか去る。)限り無き輪鎚撃てども開けず。(自ら是れ汝が輪鎚到らず。開也。)

句裏に機を呈してひつ面に来たる、機とは何か、打てば響くんです。のびたうどんのような人間、無意味な現代人ですか、たとい人生如何に生きたらよいかという、しばらく機ありです。てめえの得失是非のみのああだこうだ、機というよりも、なめくじの頭もたげ行く意志久しですか、それでも救い無きにしもあらず。救いようのないあっちやこっち、認知症予備軍。一つに成り切って下さい、機とは正にこれ。どうだというんです、繊埃あっちゃぶった切るんです、因果必然だけです、虚空をわがものにしない、よこしまにしないんです、もしやお釣りありゃ木端微塵。はいひつめんに来る、これを趙州、響です、間髪を入れず。魚行けば水濁る、この僧水を濁したんですか、趙州濁さず、はいこうなくっちゃ仏とは云われぬ、みなさん、どうか成し遂げて下さい、趙州を謗ずる莫んばよしを、よくよく知って下さい。禅門だの悟りだのがあるんじゃないんです、本来本法性ただ。爍迦羅眼とはサンスクリットで金剛、堅固不壊だそうです、ないものは壊れない、傷つかない、滞らない、ずばりこのもの=仏です、すなわち救いです。わかりますか、間髪を入れずとは同事なんです、機という別誂えないんです。無心返り点を打つと、心が無いんです、はいこれを求めて下さい、求めている間は無心にならんです。天を撈し地を模して何かせん、参じ尽くして初心ですよ、自分というものの用なし、決別これ自然、わかりますか。東西南北門相対す、虚空という飢えた虎に食らい尽くされて下さい、まるっきりはじめから虚空なんです、苦労もなんもないんです、捨てておしまい。趙州という無門関、背卻しようたってもとないんですよ、限り無き輪鎚撃てども響かず、ついに落着するんです。限り無き輪鎚もって敬礼す、自らこれ汝が輪鎚いたらずと知る、時節因縁。

第十則 睦州掠虚頭の漢

本則・挙す、睦州、僧に問ふ、近離甚れの処ぞ。(深竿影草。)僧便ち喝す。(作家の禅客。且く詐明頭なること莫れ。也恁麼にし去ることを解す。)州云く、老僧汝に一喝せらる。(陥虎の機。人を狃かして作麼せん。)僧又喝す。(頭角を看取せよ。似たることは則ち似たり。是なることは則ち未だ是ならず。只恐らくは龍頭蛇尾ならんことを。)州云く、三喝四喝の後作麼生。(逆水の波、未だ曾て一人の出得頭する有らず。那裏にか入り去る。)僧無語。(果然として模索不著。)州便ち打って云く、若し睦州をして令を尽くして行ぜしめば、尽大地の草木悉く斬って三段と為さん。)這の掠虚頭の漢。(一著を放過すれば第二に落在す。)

睦州道明は百丈下三世、黄檗の嗣、近離いずれの処ぞ、どこから来たか。(深竿影草、さぐりを入れる、心というものあればひっかかる、あるいは草の影ですか、ゆらめくんです、心なければ同事、間髪を入れず、しもに来たると道うんですか、喝するんですか、はーい答え百万通り。)僧すなわち喝す、かーつとやる。(作家の禅客、新定という全世界をまったく新しく定める、これ作家、独創という狭い了見じゃないんです。たとい物まねだろうが陳腐だろうが、作家は作家。詐明頭分かったような、にせものじゃない、たとい渇すべきと知って、渇するが是か喝せざるが是か、では何をもって是と云う。)州云く、老僧汝に一喝せらる、一喝されちゃったというんです。(陥虎の機、たとい穴に落ちたって虎、けものへんに柔で、人を猿のようにするんだってさ、坊主の法要これ、いやさどうにもこうにもです、たぶらかすほどの力あれば却って可。)僧また渇す。(頭角を看取せよ、虎に食われそうになって慌てて喝しても、てめえだからどうだの理由付け。似ていたって本来ならず、おもしろくもなんともないんです、うっふっふ竜頭蛇尾。)州云く、三喝四喝ののちそもさん、どうするんだいってわけです。(逆水の波、うわっと押し寄せて、ノウハウも知らずってより、命失せ、だったらいいんですが、那裏にか入り去るとて、しがみつく。)僧無語。なんにも云えなくなった。(はたして、あっはっは。)州便ち打って云く、(よかったねえっていうんです、若し睦州をして令を行ぜしむれば、一木一草も残らんぜえ、おい。)這の掠虚頭の漢。かたり者め。(人をかたっているんですか、自分をかたっているんですか、はいしばらく省みて下さい、蛇足です。)

おおよそ宗教を扶竪せんには、すべからく是れ本分宗師の眼目有り、本分宗師の作用あるべしと。睦州またわずかに僧の来るを見て、便ち道ふ、見成公案、汝に三十棒をゆるす。また僧を見て云く、上座。僧頭をめぐらす。州云く、担板漢。また衆に示して云く、未だ箇の入頭の処有らずんば、すべからく箇の入頭の処を得るべし。すでに箇の入頭の処を得ば、老僧に辜負することを得ざれと。どうですかこれ。なにがなし禅有り公案ありするんじゃないんです、奥深い道程じゃない、もとまっぱじめです。まったくほかなし、見るとおり聞くとおりですか。箇の入頭とは、頭失せちゃって下さい、身心という、もとなんにもない処へ、よこしまにする我がものを返上する、たったこれだけ。睦州もお釈迦さまもないんです。即今見成です、三十棒です。担板漢の、つっぱらかり重石取って下さい。どうやればよう坐れるの、動中の禅はだの、ノウハウやっているそのもの。人がせっかく無心を説けば、決まって有心のとやこう、ぶんなぐったろうが、旧態依然は、そりゃ一昨日おいで。取り付く島もないという、はい取り付く島もないとは、あなたそのものです、自分が自分に取り付く物笑い。睦州が見えるか、見えるもの自分ですか、ないものは見えない、ようやくお釈迦さんがほうふつしますか、はい落葉あり新緑あり。

頌・両喝と三喝と。(雷声浩大にして雨点全く無し。古より今に至るまで人の恁麼なる有ること罕なり。)作者機変を知る。(若し是れ作家にあらずんば争か験し得ん。只恐らくは不恁麼ならんことを。)若し虎頭に騎ると謂はば、囮。瞎漢、虎頭如何が騎らん。多少の人恁麼に会す。也人有り這の見解を作す。)二り倶に瞎漢と成らん。(親言は親口より出ず。何ぞ止だ両箇のみならん。自領出去。)誰か瞎漢。(誰をして弁ぜしめん。頼ひに末後の句有り。ほとんど人を廉殺す。)拈じ来って天下人に与へて看せしむ。(看ることは即ち無きにあらず、慮著せば即ち喝す。闍黎若し眼を著けて看ば、則ち両手に空を培らん。恁麼に挙す、且く道へ是れ第幾機ぞ。)

両喝と三喝と、何度喝しても同じなんですか、機械すなわちマシーンです、だったら是といって無意味、なんの役にも立たない死人です、死人の喝と死んで死んで死にきっての喝と、あっはっはどうですか。三喝四喝まったく違うんですか、臨済云く、有る時の一喝は、一喝の有をなさず、有る時の一喝は、卻って一喝の用をなす、有る時の一喝は、踞地獅子の如く、有る時の一喝は、金剛王宝剣の如しと。これなんにも云わんのと同じですか、臨済の喝するそのもの、なんにもなしと見つめている自分を去る、喝自ずからに現成。老師他が晋山式に一喝して、満場のごろつき坊主どもしゅんとした。文句ばっかり空威張り、どうしようもない自閉症ども、まさに一喝に納まる。(雷声浩大にして雨点まったくなし、うふうわしは未だしって思う、もうはやあかん、人の恁麼なることまれなり。)作者機変を知る。知って下さい、思いの他の事実。(不恁麼じゃあどうしたって真似ごと、意味を追うしめりっけ。自分に返っちまう。ないはずの自分に。)若し虎の頭に騎ると云はば、さあ騎ってみろ、虎ここにあり、食われているぜえすでに、(囮はかこいにカ、くわと口をわずかに開いて全世界宇宙中にあり、瞎はめくら、虎の頭に騎るだと、そんなものどこにある、どめくらめ、かれ虎これ猫多少の見解、百害あって一利なし。)二人ともにどめくら、うっふっふ七通発達、かーつと一切呑却、(見えないものこれ真、自分という他に向かって参ぜよ、親言親口の外、自領出去は手前味噌、賦活の力なし。)誰か瞎漢。ふりかえって一挙に持って行く。(だれがどめくらだって、わずかに残ったやつをふんだくる、末後の一句あり、いやさどめくら一般じゃないって、そりゃ当然。)拈じ来たってあえて見せしむ、ことの語り事をこおば、云わずはわからんのです、切々。(あっはっはこれ第いくつめの機ぞ、両手に空をつちかうこと無ければよし。)


第十一則 黄檗口童酒糟の漢

挙す。黄檗、衆に示して云く、(水を打して盆に礙へらる。一口に呑尽す。天下の衲僧跳不出。)汝等諸人、尽く是れ口童酒糟の漢。恁麼に行脚せば、(道著す。草鞋を踏破す。天を掀し地を揺がす。)何れの処にか今日あらん。(今日を用ひて什麼か作ん。妨げず群を驚かし衆を動ずることを。)還って大唐国裏に禅師無きことを知る麼。(老僧不会。一口に呑尽す。也是雲居の羅漢。)時に僧あり出でて云く、只諸方の徒を匡し衆を領するが如きんば、又作麼生。(也好し一拶を与ふるに。機に臨んで恁麼ならざるを得ず。)檗云く、禅無しとは道はず、只是れ師無し。(直に得たり分疎不下なることを。瓦解氷消。竜頭蛇尾の漢。)

黄檗希運は百丈の嗣、身の丈七尺、額に円珠有り、天性禅を会すとあります、かつて路に一僧に会う、眼光人を射る、すこぶる異相あり、親しくともに行くに、増水して河が渡れない、とどまる黄檗を後目に、この僧平地を歩むが如くに踏み渡る、振り返ってさし招く。黄檗咄して云く、這の自了の漢、われ早く捏怪なることを知らば、汝が脛を切るべしと。てめえこっきりのやつですか、うっふっふ、脛ぶった切ってやったものをという、その僧嘆じて云く、真の大乗の器なりと、云いおわって見えず。百丈に至る、丈問ふて日く、巍巍堂々として什麼の処よりか来る。檗云く、巍巍堂々として嶺中より来る。丈云く、来ること何の事の為ぞ、檗云く、別事の為ならずと。丈深く之を器となす。どうですか、巍巍堂々の人間一個また別事の為ならずと、まさにこのとおりの人間一個皆無ですか、人間一個を復活するための何十年という、まさにこれ、天性禅生まれ立て赤ん坊のまんま、身の丈七尺額に円珠です。わしら末世の有耶無耶もたしか赤ん坊のおぎゃあとこの世に生まれたんです、生まれた喜びをもういっぺん味わってみてください。無自覚の覚、まさに別事の為にあらず。次の日百丈を辞す。どこへ行くんだ、馬祖大師を礼拝し去らん。馬大師すでに遷化す。われ福縁薄くして、ついに見えじ、平日何の言句かあらん。百丈馬祖に参ずる因縁を挙す。祖我が来るを見て、払子を竪起す。我れ問ふて云く、此の用に即するか、此の用を離するかと。祖遂に払子を禅床角に掛けて良久す。用いるのか離れるのか。払子をかけて黙す。祖かえって問う、汝以後両片皮を挙して、てめえのしゃっつらもってですか、あればそりゃ皮っつら、如何が人の為にせんと、我れ払子をとって竪起す。祖云く、此の用に即するか、此の用を離するかと。我れ払子をもって禅床角に掛く。祖威をふるって喝す。我れ三日耳を聾す。聞いて黄檗悚然として舌を巻く。若し馬大師に承嗣せば、他日以後我が児孫を喪せん。丈云く、如是如是、見師と等しき時は、師の半徳を減ず。智師に過ぎてまさに伝授するに堪えたり。なんじが今の見処、あだかも超師の作有りと。

汝ら諸人、尽く是れとう(口に童)酒糟の漢、越州の人多く酒かすを食らうとある、人をののしる言葉、酒かすを食うを常とす、学者どもというよりはあなた方、人の発酵し終わったかすを食らって、ああでもないこうでもないやっている。せっかく参禅でさえ、自己に参ずることをせず、物差しをあてがって、てめえの頭なでくってばかり。水を打って盆にささえらる、どうじゃと来るやつを、だからと挟む。一口に呑み尽くす以外になく、平地に乱を起こす、もとの平地、まったく納まるとは元の木阿弥。恁麼に行脚せば、師を訪ね参禅弁道は、求めるに従い煩瑣ですか、いよいよ困難ですか。ただじゃあただが得られない、わずかに悩を除く、一朝一夕には行かないという、さあどうですか。道著す、いかなるか是れ大道、大道長安に通ずと、はいただのアスファルトの道、そんなほこりまるけのもんじゃないという。草鞋をいくつ踏み破り、天を動かし地を揺るがす、なぜか。いずれの処にか今日あらん、今日たった今、花は花のように咲き、雲は雲のように浮かぶ。今日を用いて何かせん、やっぱり群を抜き衆を扇動ですか、あっはっは。かえって大唐国裏に禅師無きことを知るや。これさ威張るなっていうんです、雲居の漢。まあさそんなこっちゃぜんぜんないんです、師失せてはじめて参禅、ついにこの世から出外れて下さい、するとようやく一箇、坐が坐になって来ます、それまではまるっきり問題外を知る。時に僧あり出て云く、只諸方の徒を匡し衆を領するが如きんば如何、あったっていいじゃないかという、よう知っとるはこやつ。禅無しとは云わず、ただこれ師なし、従い蛇足せにゃならん、せっかく大長刀振り上げといて、黄檗たるものがあっはっは竜頭蛇尾。

頌・凛凛たる孤風自ら誇らず。(猶ほ自ら有ることを知らず。也是れ雲居の漢。)寰海に端居して龍蛇を定む。(也緇素を別たんことを要す。也白七白分明ならんことを要す。)大中天子曾て軽触す。(什麼の大中天子とか説かん。任ひ大なるも也須らく地おり起こるべし。更に高きも天有ることを争奈何せん。)三度び親しく爪牙を弄するに遭ふ。(死蝦蟆。多口にして什麼か作ん。未だ奇特と為す。猶ほ是れ小機巧。若し是れ大機大用現前せば、尽十方世界乃至山河大地、尽く黄檗の処に在って命を乞はん。)

凛凛たる孤風自ら誇らず、まさにこれ黄檗、なを自ら有ることを知らずと、それではぼんくらではないかって、世間一般ほかと比較して、上を見ればきりもなし下を見ればきりもなし、まあこの辺でという、いじましいったら、ヒットラーでなくんば第一人者とならず、騒々しく傍迷惑、もとおぎゃあと生まれて、りんりんたる孤風自ら誇らず、花も月も雲もまさにこの通りあり、実に別段のことなし。寰とは天子の幄ですか、寰海という仏心大海です、端居して幄握するんです、将軍は塞外天子の手足ですかあっはっは。いながらにして龍蛇を定める、緇は黒い、素は白いんです、白に七これも黒い、いずれがどうかよくわからんです、おおざっぱではない精緻を極めるさま。大中天子は唐の宣宗であって、即位するまでに有余曲折あった、道に参ずること久しく、塩官の会中にあって、書記和尚となる、黄檗に見えて、仏についても求めず、法についても求めず、衆についても求めず、礼拝して何の求むる所ぞと問う。檗云く、仏についても求めず、法についても求めず、衆についても求めず、常に礼すること是の如し。大虫云く、礼することを用いて何か為ん、檗即ち掌す、ひっぱたいた。大虫云く、大そ(鹿が三つで雑っぱですか。)生。荒っぽいやつだと云う。檗云く、這裏什麼の所在ぞ、そと説き細と説くといって、また掌す。大中のちに国位を継いで、黄檗に賜ってそ行の沙門となす。大虫天子かつて軽触す、命の危ういところを逃れてついに天子となるいきさつと、黄檗の虎の髭を撫ぜたこととです。(大中天子がなんだ、どんな大だろうが地から起こる、上にはどんなに高いたって天がある、あっはっは、次の著語に引くんですか。)三度び爪牙に弄するに遭う、もう一度云ってらあ死んだがま。多口未だ奇特とせず、いいかもし大機大用現前せば、十方世界流転三界ことごとく黄檗に命を乞はんと。はい、だれしも別なし。)

第十二則 洞山麻三斤

本則・挙す、僧、洞山に問ふ、如何なるか是れ仏。(鉄しつり。天下の衲僧跳不出。)山云く、麻三斤。(灼然。破草鞋。槐樹を指して柳樹を罵って秤鎚と為す。)

洞山守初は雲門の嗣、僧因に洞山に問ひ、如何なるか是れ仏、仏とは何かと問う、(鉄しつり、しつはくさかんむりに疾、りはくさかんむりに黎、辞書引いたけどどっちも出てないな、植物名なんだろうけど、鉄びしにでもしとくか、天下の衲僧跳不出、そう云われるとどうもこうもならんですか、仏とは何か、解けば仏、自縄自縛する縄をほどく、如何なるか仏と問う、そやつをほどく、どうにもこうにもならんやつをです。)洞山麻三斤とて知られたこれ、どう思いますか、取り付く島もないんでしょう、即ち取り付く島もない=あなたです=仏と解説して、結局なんにもならんでしょう。麻三斤の親切を思いとって下さい、思いとるとは仏を知ること、他にはなく、(灼然、どうだというんです、明白洞然、草鞋を破る、師を、法を求める行脚の旅ここに終わるってわけです、如何なるか是れ仏が破れ去る。求めずばもとっからある、不思議なことにそれが納得できない、不思議なことに元の木阿弥。知らないことをどうやって知るんですかと聞く、知らないんですと答える、さあどうですか、この世に禅問答なんてないです、ちんぷんかんぷんはシャバです、正確無比。たまたま槐えんじゅを指して柳をののしって、秤鎚となす、まあさ一応のめどとしたとは、これ仏かシャバ世間か。)如何なるか是れ仏、趙州云く、殿裏底。風穴云く、杖林山下の竹筋鞭。あるいは云く、三十二相。言下に悟る幾人ぞとさ、あっはっは。どうにもこうにもならんな。

頌・金烏急に、(左眼半斤、快鷂おえども及ばず、火焔裏に身を横たふ。)玉兎速やかなり。(右眼八両。ごうが宮裏にか窟を作す。)善応何ぞ曾て軽触有らん。(鐘の扣に在るが如く、谷の響を受くるが如し。)展事投機洞山を見ば、(錯りて定盤星を認む、自ら是れ闍黎恁麼に見る。)跛鼈盲亀空谷に入る。(自領出去。同坑に異土無し。阿誰か汝が鷂子を打って死す。)花簇簇錦簇簇。(両重の公案。一状に領過す。旧きに依って一般。)南地の竹兮北地の木。(三重も也有り。四重の公案。頭上に頭を安ず。)因つて思ふ長慶と陸大夫。(癩児伴を牽く。山僧も也恁麼、雪竇も也恁麼。)道ふことを解す笑ふ合し哭す合からず。(呵呵。蒼天夜半更に冤苦を添ふ。)夷。(咄。是れ什麼ぞ。便ち打つ。)

金烏は日玉兎は月、光陰箭の如しですか、歳月人を待たずのほうが合ってますか、(斤と両とどっちがどうなってんのかな、鷂はたかです、はやぶさですか、わっはっは日を仰ぎ月を眺め半斤八両、しかもまあこの烏鷂の追えども及ばす、火焔裏に身を横たう、麻三斤、なにをまあぼろくず、いやさ風の吹くほどにもってこってす。ごうがは女に亙、女に我、月の神様です、宮殿にかくつをなす、とげがつっ刺さったんです、如何なるか是れ仏。)善応なんぞかつて軽触あらん、かすっともかすらないんです、元の木阿弥、はーい箇の麻三斤ぐさっと致命傷ですか。いったいなんだろうという、意味があるんだろうかという、毒素次第に身を食む。食み尽くして空ですか、もと空ですか。鐘のたたくに似て、谷に響きを受けるが如くですか、まさにこうあって、如何なるか是れ仏。)洞山はじめ雲門に参ず。門問ふ、近離いずれの処ぞ。山云く、渣渡。門云く、湖南の報慈。門云く、幾時か彼の中を離る。山云く、八月二十五日。門云く、汝に三頓の棒を許す。晩になって入室す、親近して問ふて云く、それがし科いずれの処にか在る。門云く、飯袋子、江南湖南、すなわち恁麼にし去るやと。洞山言下に於て瞎然大悟。云うことがまあふるっておったな、大千法界無人行です、門云く、身は椰子の大きさの如くして、大口を叩きおってと、なかなかどうして。展事投機して洞山を見れば、びっこの鼈盲の亀がだだっ広い谷間を行くように、そりゃ滑稽なだけでなんの得るところもない、言事を展ぶるなく、語機に投ぜずです。(あやまって定盤星を認める、秤の無駄目です、だからどうのやるんです、いらん目盛りに頼る、わかりますかこれ。なーんだおまえさんもやってるじゃないか。うっふ。同じ穴のむじな、せっかくのはやぶさ殺してなーんにもならぬわ。)花簇簇錦簇簇、南地の竹北地の木。あるようほら麻三斤です、空谷なんてものあるわけがない、馬鹿めが、二度三度繰り返さなくってもさ。陸亘大夫南泉に参ず。泉遷化す。亘喪を聞いて寺に入って下祭し、卻って呵呵大笑す。院主云く、先師と大夫と師資の義有り。何ぞ哭せざる。大夫云く、道ひ得ば即ち哭せんと。院主無語。亘大いに哭して云く、蒼天蒼天。先師世を去ること遠しと。後長慶聞いて云く、大夫笑うべし哭すべからずと。癩児伴をひく、どうしようもねえごったくどもめ、わしも雪竇もさ。わっはっは。

第十三則 巴稜銀椀に雪を盛る

本則・挙す、僧巴稜に問ふ、如何なるか是れ提婆宗。(白馬蘆花に入る。什麼と道ふぞ、点。)巴稜云く、銀椀裏に雪を盛る。(汝が咽喉を塞断す。七花八裂。)

巴稜は雲門の嗣。提婆宗は仏心宗というと同じく、第十五祖提婆尊者、龍樹に見え、水鉢に一針を投じて行く、すなわち仏心宗を伝える。仏語心を宗となし、無門を法門となすと、馬祖云く、おおよし言句有るは是れ提婆宗、ただし箇を以て主となすと。他にはないんです、無心心無うして、来たる如しの如来かな、ただこの事。如何なるか是れ提婆宗。(白馬蘆花に入る、銀椀に雪を盛るのと同じだがな、なんと云うぞ、点、とどまっていろというんです、振り返ることありますか、なけりゃぼんくら、たとい振り返ってなにほどか見る、見るにものなし、見るものも見られるものもなし、無心とはこれ、如来とはこれ、あらゆる一切を救い得て妙。)巴稜云く、銀椀裏に雪を盛る。(汝が咽喉を塞断す、どうですか七花八裂ですか、三十棒。)汝今これを得たり、宜しくよく保護すべし、銀椀に雪を盛り、明月に鷺を蔵す。類して等しからず、混ずる時んば処を知ると、洞山大師宝鏡三味にあります、坐って坐って坐り尽くして下さい、ついに汝今これを得たりと、まったくの初心です。はーいあなたが死んで三年たった風景、風景なにかわらずや、あなたというよこしまが失せ。

頌・老新開、(千兵は得やすく一将は求め難し。多口の阿師。)端的別なり。(是れ何の端的ぞ。頂門上の一著、夢にも見るや也未だしや。)道ふことを解す銀椀裏に雪を盛ると。(鰕跳れども斗を出ず。両重の公案。多少の人喪身失命す。)九十六箇応に自知すべし。(身を兼ねて内に在り。闍黎還って知る麼。一坑に埋却せん。)知らずんば卻って天辺の月に問へ。(遠して遠し。自領出去。空を望んで啓告す。)提婆宗提婆宗。(什麼と道ふぞ。山僧這裏に在り。満口に霜を含む。)赤旛の下清風を起こす。(百雑砕。打って云く、已に著け了れり。汝且く去って頭を斬り臂を裁り来れ。汝が与めに一句を道はん。)

老新開、新開はすなわち院の名なりとある、いつだって新開なんです、自家薬篭中のものなどないんです、手練れという百戦錬磨という、仏に関する限り絶無、ただこうあるっきりです。(千兵は得やすく、兵は手練がいい、将は無心です、心というもの無し、よってものみな二00%です、口を開いて物云うに舌頭定まらず、どうやって説教したらいいかわからない、はたしてそんな大それたことできるか、まさか。)端的別なり、後先なくばったりです、当たらずということなし、自覚症状なしとは云わず、比較なしとは云わず、ただこれ端的。(これなんの端的ぞ、頂門上の一著と、さらに夢にだも思わず。)道うことを知る、銀椀に雪を盛ると、感嘆おく能わざるですか、あっはっは。(大海老が棲むという大海、跳りはねても北斗七星を超えない、まあさ、一に聞いたふうなことを抜かすなですか、二に銀椀に雪を盛りなんです、観音さまの掌、孫悟空どんなに走っても、世間安穏のうち、大力量これ。多少の人命を失う、みなごろしの歌ですよ。)九十六箇、僧あり問う、如何なるか是れ提唱婆宗、雲門云く、九十六種、汝は是れ最下の一種と。たとい九十六ありとも形心ともに自知すとは、もと一つことです。一つことはないと同じ、銀椀に雪を盛り、乃至混ずる時んば処を知るんです、わかりますか、だから、故にだれがどうとやっているひまはないんです。(身を兼ねて内にあり、いやさそんなんつまらんです、ただこうあって一坑に埋却の手続きを取らない、乱暴しない。)知らずんば卻って天辺の月に問え、だから別段他がためにという、捨身施虎も天辺の月に問えと、鼻息わずかに通えばいいです。(遠くて遠い、手前味噌ですか、なにさあ世間も宇宙も不要ってことあります、空を望んで啓すことしないんです、知らず知らず。)提婆宗、提婆尊者、手に赤旛を持つ、論に破れた者は旛下に立つ、外道みな首を斬って過を謝せんとす、提婆これをとどめて、化して剃髪して道に入らしむとあります、これによって提婆宗大いに興る、赤旛の下清風起こる。(百雑砕あっはっは、外道まさにこれ。さあすでに著け終わったぞ、しばらくは頭を失せ臂を斬り、さあやって来い、汝がために一句せん。)云い忘れた、満口に霜を置く衲はとあってさ。

第十六則 鏡清卒啄の機

本則・挙す、僧、鏡清に問ふ、学人卒す。請ふ師啄せよ。(風無きに浪を起こして什麼か作ん。汝許多の見解を用って什麼か作ん。)清云く、還って活を得るや也無や。(箚。帽を買ふに頭を相す。錯を将って錯に就く。総に恁麼なる可からず。)僧云く、若し活せずんば、人に怪笑せられん。(相帯累す。天をささえ地を柱ふ。担板漢。)清云く、也是れ草裏の漢。(果然。自領出去。放過せば即ち不可。)

鏡清道ふ(付に心)は雪峰の嗣、そつは口に卒、そったくは雛が卵から出るとき、ひなが中からつっつくのをそつ、親が外からつっつくのを啄。鏡清初め雪峰に見えて玄旨を得たり、のち常に卒啄の機を以て、学人に接す。示して云く、おおよそ行脚の人は、須らく卒啄同時の眼を具し、卒啄同時の用有って、方に衲僧と称すべし。母啄せんと欲するに而も子卒せざることを得ず。子卒せんと欲するに而も母啄せざることを得ざるが如しと。僧有り便ち出て問ふ。母啄し子卒す。和尚分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得たる。清云く、好箇の消息。僧云く、子卒し母啄す、学人分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得たる。清云く、箇の面目を露すと。学人卒す、請ふ師啄せよ。どうじゃというんです、好箇の消息、機は熟しているんですか、いえ突き破って若しやかくの如くあり、面目露れると、師啄せよ、一言あってしかるべき、さあ道えってなもんですか。(風無きに波を起こして何かせん。もとまったいらなんです、何がどうあるべきってことない、見解を用いないんです、この僧したたか者ですが、なんのかのいう2チャンネル人みたいの、何がどうのと云い募る、仏教辺をあげつらう、そりゃまるっきりわかってないです、物差し充てがうだけの人、卒するまでも行かないんです、一応目鼻ありの雛と云うべきにおいて、汝そこばくの見解もて何かせんと、たとい三十棒も啄すべき効果。)清云く、かえって活を得るやまた無や、ちったあ思い知ったか、魚は龍と化したか、(わっはっは帽子を買うのに頭整えてら、啄する前に生まれ出た元気を云う、あほか。錯をもって錯につく、どうだいとうそぶくのへ、どうだいと返す、なかなかだってさ、さもありなん。)僧云く、若し活せずんば、怪笑せられん、そりゃ物にならんけりゃ、お笑い草だよと云う、いいようでいてよくないんです、この辺りが今もまあまったく同じ、得た得ない、おれは悟った、だからという。まともな禅者の、そうねえ一将は得がたく、万卒はそこらじゅうにという、未だまだ人の物差し、他人の指図によるんです、インドのラジニーシ風歌舞伎役者みたい、悟りだ光明を以て回るのは、そりゃ論外です、仏には縁もゆかりもないんです。悟り終わって悟りなし、もとこれ仏。(相帯累す、どうしてもこれです、おまえも悟っているから、だからとやる、仏にはただの言いがかりです、そんなものあるわけがない、天をささえ地をささえる、うっふっふ板担漢。)清云く、また是れ草裏の漢、悟り終わってまた俗人俗物ですか、よくあるこってすよ。(なんだい、まともに答えてやれ、そんなん手前味噌。)

頌・古仏家風有り。(言猶ほ耳に在り。千古の榜様。釈迦老子を謗ずること莫くんば好し。)対揚貶剥に遭ふ。(鼻孔什麼としてか卻って山僧が手裏に在る。八棒十三に対す。汝作麼生。一著を放過す。便ち打たん。)子母相知らず。(既に相知らず、什麼と為てか卻って卒啄有る。天然。)是れ誰か同じく卒啄す。(百雑砕。老婆心切。且く錯りて認むること莫れ。)啄。覚。(什麼と道ふぞ。第二頭に落在す。)猶ほ殼に在り。(何ぞ出頭し来らざる。重ねて樸に遭ふ。(錯。便ち打つ。両重の公案。三重四重し了れり。)天下の衲僧徒に名ばく=しんにゅうに貌、はるか、遠いの意=す。(放過し了れり。挙起することを須ひず。還って名ばくし得る底有り麼。若し名ばくし得るも也是れ草裏の漢。千古万古黒漫漫。溝に填ち壑に塞がって人の会する無し。)

古仏家風有りと、耳たこですか、聞いたふうなことを実際は如何、榜とは札です、なんとかと記してぶら下がっている。釈迦老子生誕、七歩歩んで天上天下唯我独尊と、雲門云く、我れ当時若し見れば、一棒に打ち殺して、犬に食わせてやると、あっはっは釈迦老子を謗ること莫んばよし。卒啄同時底あるいは古仏の家風、たとい挙すあれば褒貶。得るんですか得ないんですか、せっかく見過ごすんですか、それともなんでもないんですか。鼻の孔穿つ、なんとしてかわが手裏にある、これ面白いんです、仏教という標準という、知っていればあるいは手段、知らざればなんとしてかと、卻っておのれの手裏を見る。八棒十三に対すとは、雪竇簡潔に示すこと、おまえはどうじゃと云う、見損ずればすなわち打つ。卒啄わずかに行なわれ。かするにはかするんですか。子母相知らず。まったく相知らずして、ものみな行なわれ、たとえて初心という、ものみなまっぱじめ。すでに知らず、なんとしてか卒啄同時。天然というほどに嘘八。これ誰か同じく卒啄す、いやさわかったよ、老婆親切、なにほどか錯って認め、あるあると聞こえるんでしょう、正師にも惑わされ邪師にも惑わされ、なほ殼に有り、からとっつけているなっていう、なんぞ殻破って出頭しないんだ。若し活せずんば、人に怪笑せられんと、卵の殻、うっふう重ねてぶん殴られ。なにをもたもた、三重の公案。天下の衲僧徒に名ばくす、形にこだわるっていうんですか、見過ごすなっていうんです、これなければ僧堂なしみたいなさ。卒啄同時、千古万古溝にはまって谷を塞ぎ、あっはっは一人の仏も出てこないよ。まったくご苦労さんなこと。

第十七則 香林坐久成労

本則・挙す、僧、香林に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。(大いに人の疑著する有り。猶ほ這箇の消息有る在り。)林云く、坐久成労。(魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ。狗口を合取せば好し。作家の眼目。鋸解称鎚。)

香林澄遠は雲門の嗣、会下にあって十八年、雲門常に遠侍者と呼ぶ、わずかに応諾あれば、門云く、是れ什麼ぞと。香林見解を呈す、精魂を弄して終に契わず。一日忽ち云く、我会せりと。門云く、何ぞ向上に道ひ将ち来らざると。また住すること三年。まさに是れ大機用、雲門おおよそ一言一句あれば、すべて遠侍者の処に収在す。雲門下香林派もっとも盛んなりと、八十歳遷化す。如何なるか是れ祖師西来意、坐久成労。達磨さんがこの地にやって来た意はと問う、すべての問いがあるんですか、すなわち自分はどうなっているかという、たった一つだけです、(大いに人の疑著するありとは、達磨さんに毒を盛る連中からはじまって、半信半疑からそっぽを向くまで、人間という曖昧模糊ですか、それとも一木一草ですか、なを這箇の消息あり、たった一個に帰るんです、さあどうしたらいいか、どうしたらいいかの皮面剥げ。)坐久成労、坐りくたびれたって云うんです、(魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、坐ったらどうなるって、坐らねばどうもならんて、直指人身見性成仏、もとこれ、他にはまったくなしを、坐久成労ですか、がーんと一発ぶん殴られ、狗は犬です、狗子に仏性有りやまた無しやでもいいんです、うわっと口塞ぐによし、犬ころやってたら犬ころごと。作家とは始めて独立独歩人です、正解彼が手裏にあり、鋸解称鎚、のこぎりが解かってかなずちと称するんですか、わっはっは解不得だってさ。わかりますか。)

頌・一箇両箇千万箇。(何ぞ依って之れを行ぜざる。麻の如く粟に似たり。群を成し隊を作して什麼かにせん。)籠頭を脱却し角駄を卸す。(今日より去って応に須らく灑灑落落たるべし。還って休得すや也未だしや。)左転右転後へに随ひ来る。(猶ほ自ら放不下。影影響響。便ち打たん。)紫胡劉鉄磨を打たんことを要す。(山僧柱杖子を拗折して更に此の令を行ぜず。賊過ぎて後弓を張る。便ち打たん。嶮。)

一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角駄を卸す、灑灑落落として、生死の所染を被らず。だれかれ尽大地、籠頭、考え思想に囚われてああでもないこうでもないする、妄想人間ですか、角駄、こうあらねばならぬ、だからどうだの物差し人間ですか、よってもって世界混乱、いたずらに歴史を編む。どうしようもこうしようもない無駄ことです、一人わずかに免れれば一箇両箇千万箇ですか、しゃらくらくあるがようにある、個々別々花のように知らんわいの世界です。ビジュアルに知るなら雪舟の絵がいいです、わずかに自分というものなければ、ものみなかくの如くです、デフォルメも空間処理もない、実にあのように現ずる、何ぞ依って之を行ぜざる、さあやって下さい、人っことなんかいいです、一個本来ならば、千箇万箇相通ずるんです。麻の如く粟の如く、無無明亦無無明尽ですか、灑灑落落。かえって休得すや也た未だしや、あっはっはまったく未だしです、どこまで行こうがはいぼんくらです。紫胡は南泉に参ずる、時に劉鉄磨い(さんずいに為)山の下に在って庵を結ぶ、みなまたこれを如何ともせず。一日紫胡訪うて云く、便ち是れ劉鉄磨なること莫しや。磨云く、不敢。胡云く、左転か右転か。磨云く、和尚顛倒すること莫れ。胡声に和して便ち打つ。如何なるかこれ祖師西来意、坐久成労。左転右転後へに随い来る。わっはっは坐久成労を知る、すなわち打たんことを要す。なを自ら放不下、なんてえこった不可。山僧柱杖子を折って更に行ぜず、追い打ちはポイントにならんよ、かすっともかすったら、わっはっはどもならん、どもならんたって、かすらない坐禅をするがいいさ、払拭。

第十八則 忠国師無縫塔

本則・肅宗皇帝。(本是れ代宗、此には誤る。)忠国師に問ふ、百年の後所須何物ぞ。(預め掻いて痒きを待つ。果然模を起こし様を描く。老老大大這の去就を作す。東を指して西と作すべからず。)国師云く、老僧の与に箇の無縫塔を作れ。(把不住。)帝云く、請ふ師塔様。(好し一箚を与ふるに。)国師良久して云く、会す麼。(囚に停まって智を長ず。直に得たり東を指し西を画し、南をもって北と作すことを。直に得たり口扁担に似たることを。)帝云く、不会。(頼ひに不会に値ふ、当時更に一拶を与へて伊をして満口に霜を含ましめば卻って些子に較らん。)国師云く、吾に付法の弟子耽源といふものあり、卻って此の事を諳んず。請ふ詔して之に問へ。(頼ひに禅床を掀倒せざるに値ふ。何ぞ佗に本分の草料を与へざる。人をだ胡すること莫くんば好し。一著を放過す。)国師遷化の後、(惜しむ可し。果然として錯って定盤星を認む。)帝、耽源に詔して、此意如何と問ふ。(子は父の業を承け去る。也第二頭第三頭に落在す。)源云く、湘の南、潭の北。(也是れ把不住。両両三三什麼をか作す。半開半合。)雪竇著語して云く、独掌浪りに鳴らず。(一盲衆盲を引く。果然として語に随って解を生ず。邪に随ひ悪を逐うて什麼か作ん。)中に黄金有って一国に充つ。(上は是れ天、下は是れ地、這箇の消息無し。是れ誰が分上の事ぞ。)雪竇著語して云く、山形の柱杖子。(拗折了也。也是れ模を起こして様を描く。)無影樹下の合同船。(祖師喪し了れり。闍黎什麼と道ふぞ。)雪竇著語して云く、海晏河清。(洪波浩渺白浪滔天。猶ほ些子に較れり。)瑠璃殿上に知識無し。(咄。)雪竇著語して云く、拈了也。(賊過ぎて後弓を張る。言猶ほ耳に在り。)

慧忠国師は六祖の嗣、肅宗代宗また玄宗の子孫なり、太子なりし時常に参禅す。如何なるか是れ十身調御と問ふるは肅宗、国師まさにねはんに入らんとす、代宗問ふて日く、国師百年の後所須如何と、百年後にどうしたらよかろうと聞く。国師云く、老僧のために箇の無縫塔を作れ、縫い目のない塔です、帝云く、塔様如何。(あらかじめ掻いて痒きを待つ、俗人必ずこれです、模を起こし様を描く、人まねしてこうあるべき、だからという、老老大大いやごくろうさん、東を指し西となす、たいていそっぽを向いているんです、はいあなた自身のこと。)無縫塔とは何か、ものみな無縫塔、把握すること不可能なんです、これかれにあらず、影形相見る。(好し一箚を与えるに、はいそういうこと。)国師、良久して云く、会すや。箇の無縫塔、この通りと示す、これかれにあらず、彼まさにこれ汝、(囚われに停まって智えを長ず、世の人まさにこれ、ついに届かず、東を指し西を画し南をもって北となす、なんにもならずはくたびれるっきり、口への字に結ぶことを得たり、お釈迦さま良久して、結果なしですか。)帝云く、不会。(わかったと云って、いいやなにほどかわからしめて、満口に霜を含むよりはましと、仏法苦渋ですか、いいかげん飽き飽きするんですか。まさか。)付法の耽源に詔して問えと云うて遷化す。(禅床を蹴倒す、うっふう帝だろうがやりかねない、本分の草料を与える、だこ駄目にしちゃならんよと、せっかくおっぱなしちまった。)帝詔して耽源に問う。(子は父をうけがう、三文やすですか、聞くほうも定盤星だってもさ。)湘の南潭の北、中に黄金有って一国に充つ、無影樹下の合同船、瑠璃殿上に知識なしと、耽源応真、国師の侍者となる、のちに耽源寺に住す。湘の南潭の北、独掌みだりに鳴らず、湘は洞庭湖に注ぐ河の名ですか、湘と潭といいですねえ、まったい他なしに、独掌みだりに鳴らず、打てば響くんです、(一盲衆盲を引く、無縫塔とは縫い目のない塔、仏はすなわちという、解釈してみたってなんにもならない、見えるものこれ、見えぬものあれ、湘と潭と有無にわたる、海安河清は、日々是好日だから云々です、打てば響くとは、言い訳の役立たずじゃないんです。用いざれば不可。)中に黄金あって一国に充つ、はいこれ、無影樹下の合同船、はい彼岸にわたる法の櫂、三千世界だれかれみんなです、瑠璃殿上に知識なし、知らず知らず帝の則に契うことこれ、瑠璃殿まっ平ら、拈了や、わかったかったって、賊過ぎて弓を張る。

頌・無縫塔。(這の一縫大小大。什麼と道ふぞ。)見ること還って難し。(眼の見る可きに非ず。瞎。)澄潭許さず蒼龍の蟠ることを。(見る麼。洪波浩渺。蒼龍什麼の処に向かってか蟠る。這裏直に得たり模索不著なることを。)層落落。(眼花すること莫れ。眼花して什麼かせん。)影団団。(通身是れ眼。七に落ち八に落つ。両両三三旧路に行く。左転右転後へに随い来る。)千古万古人に与へて看せしむ。(見る麼。瞎漢作麼生か看ん。闍黎覩得見す麼。)

無縫塔見ること還って難しと、しかも独露して私無しといえども、即ち是れ見んと要するに還って難し。雪竇慈悲、更に汝に向かって道ふ、澄潭許さず蒼龍の蟠ることをと。箇の無縫塔まずもって坐って下さい、坐るとは仏を現ずることです、自らの外に向かって参じて下さい、私するなにもないんです、見ようとしたって見えない、見るものもなければ、見られるものもない、しかも独露身箇の無縫塔、澄潭許さず蒼龍のわだかまることをと、なにごとか残っていたら、異物異論です、悟りといい仏教といい他をあげつらう、すなわち納得行かないんです。活仏これ、層落落という、洪波浩渺も更に葛藤あろうが、層落落、日々是好日とも云わぬ、眼花とは妄想世間です、通身是眼もってかすっともすらない、七花八裂して過ぎるに任す、わっはっは両両三三旧路に行く、まったくかつてと変わらないんです。左転右転後へに随い来ると、面白うかくの如く、千古万古人に与えて看せしむ、仏という永遠の姿です、その実際をよろしくっよく見て取って下さい。他ではないんです、もとのありようこれ、瞎漢おろか人ですか、世の人見れども見えず、行なわれ尽くすこれ、よくよく見よ、坊主という無駄飯食いじゃないはず。

第十九則 倶胝只一指を竪つ

本則・挙す、倶胝和尚、凡そ所問あれば、(什麼の消息か有る。鈍根の阿師。)只一指を竪つ。(這の老漢也天下の人の舌頭を坐断せんことを要す。熱するときんば即ち普天普地熱し、寒するちきは即ち普天普地寒す。天下の人の舌頭を換卻す。)

若し指頭上に向かって会せば、即ち倶胝に辜負せん。若し指頭上に向かって会せずんば、即ち生鉄鋳就すに相似ん。会も也恁麼にし去り、不会も也恁麼にし去り、高も也恁麼にし去り、低も也恁麼にし去り、是も也恁麼にし去り、非も也恁麼にし去る、このゆえに道ふ、一塵わずかに起こって、大地全く収まり、一花開かんと欲して、世界即ち起こる。一毛頭の獅子、百毛頭に現ずと。まずはよくこの意を体して下さい、一指頭如何、まったく他なしです。倶胝和尚はム州金華の人、初め住庵のとき、一尼有り、実際と名ずく。庵に至って直に笠を下ろさず、錫を持して禅床をめぐること三匝して云く、道ひ得ば即ち笠を下さんと。是くの如く三たび問ふ。倶胝対無し。尼即ち去る。倶胝日く、日も暮れるに、しばらく留まって一泊せよと。尼日く道ひ得ば即ち宿さんと。胝対無し。尼便ち行く。胝嘆じて日く、我大丈夫の形して、しかも丈夫の気なしと、遂に発奮してこの事を明きらめんと欲す、庵を捨て諸方に参じ、打畳行脚せんと擬す。その夜の夢に山神告げて日く、ここを去ることを須ひざれ、来日肉身の菩薩有り来たって、和尚の為に説法せんと。はたして次の日、天龍和尚庵に到る。胝すなわち迎へ礼じて、つぶさに前事を陳ぶ。天龍只一指を竪てて之に応ず。倶胝忽然として大悟す。このゆえに倶胝凡よそ所問あれば、只一指を竪つ。倶胝庵中に、一童子あり、人に和尚よのつね何の法をか説くと云われて、童子指頭を竪起す、帰って師に挙似す。倶胝刀をもってその指を断つ。童子叫喚して走り出ず。倶胝召すこと一声、童子首をめぐらす。倶胝指頭を竪起す。童子瞎然として領解す。どうですか、よく知られたこれ。

頌・対揚深く愛す老倶胝。(癩児伴を率く。同道方に知る。是れ一機一境を免れざることを。)宇宙空じ来るに更に誰か有る。(両箇三箇更に一箇有り。也須らく打殺すべし。)曾て蒼海に向かって浮木を下す。(全く是れ這箇。是なることは即ち是、太孤俊生。破草鞋、什麼の用処か有らん。)夜濤相共に盲亀を接す。(天を撈し地を模す。什麼の了期か有らん。接得して何の用を作すにか堪えん。令に拠って行ず。無仏世界に駻向せん。闍黎一箇の瞎漢を接得す。)

対揚という、人を接するの機、何をどう云ったって、一箇どうあろうが、たいていまったくどうにもならん、歯がゆいというより非力無力ですか、卒啄同時、向こうのやって来るのを待つ、あるいはしでかしたへーえと感嘆する他はなく、ただ一箇死ぬまでして、ミイラにでもなり終わるしかなく、それでも満足は大満足大安心です。曾て蒼海に浮木を下す、法華経に云く、一眼の亀の浮木の孔に値うて、没溺の患い無きが如くと。生死海中にあって大法の縁、夜濤あいともに盲亀を接すと、別段のことはなしただ是れ、一指頭あるいは有りや無しや。衆生業海の中にあって、頭出頭没して自己を明きらあめず、出期あることなし。倶胝老慈を垂れて、盲亀を接す、一指頭全世界ですか、悟り終わるも悟らずも、これ有りやまた無しや。あなたにとって一指頭とはただの観念ですか、おうむ返しですか、指ぶった切られなきゃ痛恨せんですか。たとい一機一用もまた、なにかしら役立たず、対揚深く愛すと、どこまで行こうがとっかかり、ひっかかり。父母未生前なんの変哲もないのにさ、あっはっはどうしようもないですな。

第二十則 龍牙西来意無し

本則・挙す、龍牙翠微に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。(諸方の旧話。也勘過せんと要す。)微云く、我が与めに禅板を過し来るれ。(禅板を用って什麼か作ん。ほとんど合に放過すべし。嶮。)牙、禅板を過して翠微に与ふ。(也是れ把不住。青龍に駕与すれども騎ることを解せず。可惜許。当面に承当せず。)微接得して便ち打つ。(著。箇の死漢を打得して甚の事を済さん。也第二頭に落在し了れり。)牙云く、打つことは即ち打つに任す。要且つ祖師西来意無し。(這の漢第二頭に話在す。賊過ぎて後弓を張る。)牙又臨済に問ふ、如何なるか是れ祖師西来意。(諸方の旧公案。再び問ひ将ち来る。半文銭に直らず。)済云く、我が与に蒲団を過し来れ。曹溪の波浪如し相似たらば、限り無き平人も陸沈せられん。一状に領過す。一坑に埋卻せん。)牙、蒲団を取って臨済に過与す。(依前として把不住。依前として不怜悧。越国に依稀として揚州に髣髴たり。)済、接得して便ち打つ。(著。惜しむ可し這般の死漢を打することを。一模に脱出す。)牙云く、打つことは即ち打つに任す。要且つ祖師西来意無し。(灼然。鬼窟裏に在りて活計を作す。将に便宜を得たりと。賊過ぎて後弓を張る。)
龍牙居遁は洞山良价の嗣、翠微無学、丹霞の嗣青原下四世、臨済義玄は黄檗の嗣、如何なるか是れ祖師西来意という、求道の心他にはなし、求道の結果他にはなし、達磨さん西来意です。そっぽ向いたきりの坊主ども、達磨さんに毒を盛るんじゃ、そりゃどうもこうもないんです。(諸方の旧話、耳たこのこってすか、また勘過せず、重大問題です、なんの問題でもなくなったときにちったあまし。)我がために禅板を過し来れ、取ってくれというのです、禅板とはわしはよく知らんがそういう必需品なんでしょう、禅板を渡せ、(禅板をもって何かせん、さあ何をしようというんですか、あっはっはたいていまったく何にもならんが。)はいよといって手渡す。(また是れ把不住、ちいともわからん、せっかく青龍に駕して騎ってるってのがわからん、惜しいかな、まったく正解だってのがさ、わからんこれ。)接得して打つ、もってきたやつを打つ。(著、「これ。」というんですか、死体を打ったってなんにもならんぜ、死体というのは、祖師西来意に脳天しびれているやつのことを云うんですか、それともあっさり卒業しちゃった死体、わっはっは仏さまですか。いや第二頭に落在すと、臨済も翠微も未だいたらず、なをかつ祖師西来意無しですか、よくよく看よ。)打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師西来意無し。(這の漢第二頭に落在す、そうじゃないそれだけのこっちゃないぞというには、禅板をもって来い=担板漢と云うによく、賊過ぎて後弓を張る。いえさ見え見え、ちらともあったら、あったやつが落ちる。そうなああとは省略。

頌・龍牙山裏龍に眼無し。(瞎。別人を謾ずることは即ち得たり。泥裏に土地を洗ふ。天下の人総に知る。)死水何ぞ曾て古風を振はん。(忽然として活する時奈何ともすること無けん。累天下の人に及んで出頭することを得ず。)禅板蒲団用ふること能はず、(阿誰をしてか説かしめん。汝禅板蒲団を要して什麼か作ん。是れ闍黎に分付すること莫し麼。)只応に分付して盧公に与ふべし。(也即ち分付することを著ず。漆桶。這般の見解を作すこと莫れ。)

龍牙先ず翠微、臨済に参じ、後徳山に参ず。遂に問う。学人ばくやの剣によって、師の頭を取らんと擬する時如何。徳山首をのべて云く、か。牙云く、師の頭落ちぬと。山微笑して即ち休し去る。次に洞山に到る。洞山云く、徳山何の言句か有りし。牙前話を挙す。他無語と。洞山云く、道ふこと莫れ語無しと。試みに徳山落つる底の頭をもって、老僧に呈似せよ看んと。牙此に於て省悟あり、遙に香を焚いて、徳山を望んで礼拝懺悔す。徳山聞いて云く、洞山老漢、好悪を知らず。這の漢死し来ること多少ぞ。救い得るも用処か有らん、さもあらばあれ、老僧が頭を担うて天下をめぐって走ることをと。あっはっはこれ面白いです、龍牙山裏龍に眼無し、めくらの龍ですか、(どあほ、知ったかぶりをたぶらかそうたって、たいていなんにもならんは、ものみなのありよう、元の木阿弥、悟ったやつも悟らぬやつも総に元の木阿弥。)死水何ぞかつて古風を振はん、死ねば仏です、めくらの龍も死人に口なしですか、じゃなんの役にも立たない、(忽然として活する時如何、死んで死んで死にきった時、忽然として死体が起き上がる、木人まさに歌い石女立って舞うんです、観念に囚われて死人という、世間一般とはまるっきり別です、別途に頼るんじゃない、ノウハウを云っているそのもの。わざわい天下の人に及んで、出頭することを得ず、のべたんわざわいですか、本当に死なん重病人ですか、そりゃもうどうしようもないな、なに死にゃ病失せる、でもさ物云えば唇寒し。)禅板蒲団を用いて何をしようという、しかもあっちもこっちも同じにさ、というんなら先ずは翠微に、あるいは臨済になってごらん、一指もて全世界動くこれ、そりゃもうなんたって答えのまっただなか、要かつ祖師西来意無しですか。(そんじゃだれもって何云わせりゃいいんだ、どうやっておまえさんにくっつけりゃいいんだ、頭のばしてカと云えば、首ちょん切ってやるが、でもってその頭抱えてつっぱしるってか、うふふ。)只応に分付して盧公に与ふべし。盧公とは雪竇自身のこってす、頭さし延べたんですか、いやさそこらへん謝三郎、一物の仏法無しをさもう一枚。(分付するものなく、分付しようにもなし、著け得ず。ちらともあっちゃ難。)

頌・這の老漢、也未だ剿絶するを得ず。復一頌を成す。(灼然。能く幾人有ってか知る。自ら知る一半に較ることを。頼に末後の句有り。)盧公に付し了るも亦何ぞ憑らん。(尽大地恁麼の人を討ぬるに也得難し。誰をして領過せしめん。)坐倚将て祖燈を継ぐことを休めよ。(草裏の漢。黒山下に打入して坐す。鬼窟裏に落在し去れり。)対するに堪へたり暮雲の帰って未だ合せざるに。(一箇半箇。挙著せば即ち錯らん。果然として出不得。)遠山限りなく碧層層。(汝が眼を塞卻し、汝が耳を塞卻す。深坑に没溺す。更に参ぜよ三十年。)

この老漢未だそうぜつするを得ず、云い足りないもう一言ですか、あっはっは何ごとかある、また一頌を成す、(灼然、はたして、まったくにです、よく幾人かあって知る、本当にこの事を知る実に稀です、皆無と云っていい、たとい知る。なにほどか道い得るも、すなわち一半にあたる、坐って坐って坐り抜く、わっはっは絶えざる一半にあたる、どうもこうもですか、転た悟れば転た捨てよですか、なにさ較るたんびに外れ、遂になんにもないんです、末後の一句有耶無耶、うっふ。)盧公に付し了るも、そうさぜーんぶ引き受けちゃった、でもって世間一般、だから故にというなし、だったらどうする、何に憑って立つ、ただこれ清々、打てば響く。(尽大地恁麼の人をたずぬるに得難し、語るに落ちたってやつ、どうしようもない手合いだな、ほんにさ、ただもうこうしてるっきりよ、おれだって云ったって仕方ないぜ、仏これ。他に何云うことある。)坐倚もって祖燈を継ぐことを止めよ、馬鹿なこと云ってるんじゃないの、わしより坐ってる人いないよ、なぜって坐ってる以外にないからさ、倚によって法を説く、いやさそれは億劫。(でたらめ云うな、妄想真っ黒けが、穿ったこと云うっきりのどけち。)対するに堪えたり暮雲の帰って未だ合せざるに、こいつ解かってます、まさにこうなんですよ、葛藤あり好悪あってしかも対するに堪えたりです、愛いやつなーんて云っちゃって、同病あい哀れんでんじゃないよ、まったく。もののありようかくの如く。(果然として出不得。咄。)遠山限りなく碧層層。いいですか風景が自分になってこっちを見ている感じ、いえそう云うも百歩遅いですか、だれが坐っているんですか、なにせ自分失せる醍醐味を味わって下さい、ことはそれからです。狙っているものが向こうへ行ってしまう、はーい。(更に参ぜよ三十年。瞎。)



第二十一則 智門蓮花荷葉

挙す、僧、智門に問ふ、蓮花未だ水を出でざる時如何。(不疑の地に鈎在す。泥裏に土塊を洗ふ。那裏よりか這の消息を得来る。)智門云く、蓮花。(一二三四五六七。天下の人を疑殺す。)僧云く、水を出でて後如何。(鬼窟裏に向かって活計を作す莫れ。又恁麼に去るや。)門云く、荷葉。(幽州は猶ほ自ら可なり、最も苦なるは是れ江南。両頭三面。天下の人を笑殺す。)

智門光祚、香林の嗣雲門下三世。這の蓮花出水と未出水と、これ一かこれ二か。若し恁麼に見得せば、汝に許す箇の入処あることを。若しこれ一と道はば、仏性をまんかんし、真如をろうとうす。若しこれ二と道はば、心境未だ忘ぜず、解路上に落在して走らば、なんの歇期かあらん。ということです。ことは簡単です、ふらふらしてないんです。蓮花未だ水を出ざるとき如何、蓮花。悟っていない、どうにも有耶無耶迷悟中、なんとかしてくれという、なんとすりゃいいという、はい、そう云っているそのものなんです。水の中にあって渇を求める、途中受用底、さあそのまんま捨身施虎です。省みる自己なんていらんのです。(不疑の地に鈎在ですか、悟ったらこうなるという、こやつにひっかかって四苦八苦、どっちみち泥裏に土塊を洗う、いいわるいない、どろんまるけのすったもんだそのものなんです、いったいどこから仏という、悟ったらとい、宝貴珍御をひっかついで来たんだ。ええ。)蓮花。(一二三四五六とさ、だれあってやっているだろうがさ、なんだったらぜーんぶ駄目にすりゃいい。ふうっと吹けば飛ぶ。)水を出て後如何、悟ったら、成仏したらどうかと聞くんです、世の中三千世界まったくこれっきゃないが。(鬼窟裏に活計、ことをかまえてなんのと云ってるんじゃないの、又恁麼にし去るや、そのまんまでいいの。わかったか。)荷葉。自分に首を突っ込む不都合を止めれば、ぜんたい、あるいはようやく一箇なんです、世間宇宙みんな荷なうのが当たり前。(幽州は北地寒いが平和、幽州てめえに首を突っ込んでいる、囚われ故に平和の、はーいあなたもまさにそれ、うっふう鳥けものにも劣るなーんてさ。江南は気候はよいが戦乱が絶えないとさ。八面六臂ですか、天下の人を笑殺す、あっはっはまさにそれ。荷葉。)

頌・蓮花荷葉君に報じて知らしむ。(老婆心切。見成公案。文彩已に彰る。)出水は何ぞ未出の時に如かん。(泥裏に土地を洗ふ。分開せば也好し。ろうーにんべんに龍、おとるの意、とうーにんべんに同、おろかの意、し去る可らず。)江北江南王老に問へ。(主人公什麼の処にか在る。王老師に問ふて什麼かせん。汝自ら草鞋を踏破す。)一狐疑し了って一狐疑せん。(一坑に埋卻せん。自ら是れ汝疑う。疑情未だ息まざることを免れず。打って云く、会す麼。)

未出水の時如何、露柱燈籠。出水の時如何、杖頭に日月をかかげ、脚下太だ泥深し。どうですか未出水の人何をもって何をどうするんですか。老婆親切見成公案、これいったいなんの為にするんですか、文彩已にあらわると、世のため人の為ですか、仏という大悟徹底という、色気筆頭のためにですか。蓮花荷葉君に報じて知らしむ、若しこれあって、知らずんばまさに迷妄、一神教の無茶苦茶、共産党のてめえ本尊です、百憶の人路頭に迷う、わっはっは地球壊滅です。ろくなことのないのは歴史が証明する、なんという無惨やるせない人類史、これっから先もいいことはなかったんです。露柱燈籠を知らんからです。ものみなのありよう、もと五相完具、花鳥風月まさに他なく、知らない存分なんです、おそらくは知っている分が嘘です。人間はでは嘘のかたまりです。どうしても迷妄を開かなくては、地球宇宙万物に申し開きがつかない。よってもってその結果が、出水は何ぞ未出の時に如かん。です。わかりますか、悟り終わって悟りなし。身心脱落、省みるにおのれなしをもって始めて雪月花です。悟ったという跡形あっては使えない、でもなにしろいったんはこれを徹底せにゃいかんです、おろそかにするなかれ。江北江南王老師に問え、参じ尽くしてのちに入てん垂手です、王老師はすべての一般人です、混ずる時んば処を知る、用いて諸苦を抜くと、主人公まさにあり、自ら草鞋を踏み破る、観念思想によらない、個々別々です。これのできるのは仏を於てないんです、よくよく承知して下さい。一狐疑し了って一狐疑す。敢えて云うんです、悟り終わって悟りなしの人また然り、未だ出水の人幾度狐疑しゅんじゅんも、寄らば大樹の影やっていませんか、甘え根性です。若しこれ無影下の合同船、同じく狐疑するとはどういうこと、どこかにあると思う、信ずる分をもってする、まったくのなんにもなしを卻って知る、幾度これですか、打って云く、会すや。

第二十二則 雪峰鼈鼻蛇

本則・挙す、雪峰衆に示して云く、南山に一条の鼈鼻蛇あり。(怪を見て怪とせざれば怪自から壊す。大小大の怪事。妨げず人をして疑著せじむ。)汝等諸人切に須らく好く看るべし。(カ。一場の漏逗。)長慶云く、今日堂中、大いに人有りて喪身失命。(普州の人賊をを送る。己を以て人に方ぶ。)僧、玄沙に挙似す。(同坑に異土無し。奴は卑を見て慇懃。同病相憐れむ。)玄沙云く、須らく是れ稜兄にして始めて得べし。然かも此の如くなりと雖も、我は即ち不恁麼。(野狐精の見解を作すことを免れず。是れ什麼の消息ぞ。毒気人を傷る。)僧云く、和尚作麼生。(也好し這の老漢を拶著す。)玄沙云く、南山を用ひて什も作ん。(釣魚船上の謝三郎。只這の野狐精。猶ほ些子に較れり。喪身失命するも也知らず。)雲門柱杖を以て雪峰の面前にざんーてへんに竄ー向して、怕るる勢いを作す。(也を怕れて什麼か作ん。一子親しく得たり。一等に是れ精魂を弄す。諸人試みに弁じ看よ。)

雪峰義存は徳山の嗣、雪峰は巌頭、欽山と同行なり、三たび投子に到り、九たび洞山に上る。のち徳山に参じて方に漆桶を打破す。一日巌頭と欽山を訪はんとして、鰲山店上に至って雪に隔てらる。巌頭は打睡す。雪峰は一向に坐禅す。とやこうあって巌頭喝して云く、門より入る者は、是れ家珍にあらず。一々自己の胸襟より流出しもち来って、為に蓋天蓋地にし去れと。峰言下に於て大悟す。便ち礼拝し、連声に叫んで云く、今日始めて是れ鰲山成道と。雪峰、おおよそ上道、衆に示して云く、一々蓋天蓋地、更に玄と説き妙と説かず。亦心と説き性と説かず。突然として独露す。大火聚の如し。之に近づけば即ち面門を燎卻す。太阿の剣に似たり。之を擬すれば喪身失命す。若し也佇思停機せば、即ち干渉なしと。南山に鼈鼻蛇あり。鼈鼻蛇は猛毒です、一ころにあの世へ行ける、南山を用いて何かせんと、風は南より来たる、南無阿弥陀仏ですか、わっはっは、今日堂中、大いに人あって喪身失命、坐っている、泥中に土塊を洗う、はい他なしそれでいいんですよ、いい悪いたって他なしを、なんとかすりゃとやっている、いえそれも同じ喪身失命です。でも善悪わずかにもあれば、いまだ死なず。死ぬと思うその殻っけつあれば、たとい南山、たとい鼈鼻蛇。普州の人賊を送る、普州には賊多し、てめえも賊なりという、どっかになあなああるんです。同坑に異土なし、たった一つです、でもまあこうすりゃこうなる、人真似やってる分には、奴は卑を見て慇懃です。野狐精の見解という、そりゃ漆桶を打破し去るも、比較検討あれば野狐精。今日始めて鰲山成道あって、蓋天蓋地です。するとただもう追ん出される、三界に家なしですか、雲門杖投げ出して、ひやあ恐ろしです、一子親しく弁じ得たりは、まったく仏と縁切れ、雪峰なざ知らん、ただこれ。

頌・象骨巌高うして人到らず。(千箇万箇模索不著。公が境界に非ず。)到る者は須らく是れ蛇を弄するの手なるべし。(是れ精、精を識り、是れ賊、賊を識る。群を成し隊を作して什麼か作ん。也須らく是れ同火にして始めて得べし。)稜師備師奈何ともせず。(一状に領過す。一著を放過す。)喪身失命多少か有る。(罪重ねて科せず。平人を帯累す。)韶陽知って、(猶ほ些子に較れり。這の老漢只一隻眼を具す。老漢技倆を作すことを免れず。)重ねて草を撥ふ。(落草の漢什麼の用処か有らん。果然。什麼の処にか在る。便ち打つ。)南北東西討ぬるに処無し。(有り麼有り麼。闍黎眼瞎す。)忽然として突出す柱杖頭。(看よ。高く眼を著けよ。便ち打つ。)雪峰に抛対して大いに口を張る。(自作自受。千箇万箇を呑卻するも什麼の事をか済さん。天下の人模索不著。)大いに口を張る兮閃電に同じ。(両重の公案。果然。頼ひに末後の句有り。)眉毛を剔起すれば還って見えず。(蹉過了也。五湖四海恁麼の人を覓むるに也得難し。如今什麼の処にか在る。)如今蔵して乳峰の前に在り。(什麼の処に向かってか去る。大小の雪竇も也這の去就を作す。山僧今日也一句に遭ふ。)来る者は一一方便を看よ。(瞎。脚跟下に向かって看ること莫れ。上座が脚跟下を看取せよ。一箭を著け了れり。)師高声に喝して云く、脚下を看よ。(賊過ぎて後弓を張る。第二頭第三頭。重言吃に当らず。)

象骨巌は雪峰山に在り、雪峰機鋒高俊にして、人の到ること稀なりと、(千人万人模索不著さっぱりわからない、とうてい公、一般の境界ではない、あっはっは役立たず。)到る者はすべからく是れ蛇を弄する手なるべし、猛毒の蛇を弄ぶの手段、がぶっとやられて頓死。(精、精を知り、賊、賊を知る、つうかあです、一般論やこうあるべきなど、群をなし隊をなす、なんにもならんです、同火にして始めて得べし。教育とはこれ他になし、無駄飯作ったって無駄骨。)稜は長慶備は玄沙、如何ともせず、跳び出せないんですか。(罪状通知二人で一枚、ちょっと云い忘れたことないかい。)喪身失命多少かある、そりゃたしかにご苦労さんなこったが、(だからそれで許しちゃ、平人を帯累す、よしよしと云われて老師の会下には大小の是がいた、老師はいいよ、はたしておまえさんはいいのかと、兄弟子に云われて慄然。)韶陽は雲門のこと、見てとって、(どうせなら知らずにやれ、一隻眼はかえって技倆をなすことを免れず、慧能もと技倆無しですか、ただ説きゃいいんです。)重ねて草を払う、雑草妄想ですか、世間一般妄想まるけのあれありこれありを、喪身失命と一に帰す、またかえってこれも妄想、再度払うわけです。(落ちきってではどうやって用いる、てめえの居場所もないではないか、ええこのあほ。)南北東西たずぬるに処なし、まるっきり自信もなんにもないんです、ただもうその日暮らしの赤貧洗うが如し、(有りや有りや、闍黎眼を見開く、有りや有りやと坊主ども、なきゃいたたまれないんですか、まあさ。)忽然として突出す柱杖頭。(看よ、高く眼をつけよって、なんのこった、云うからに呆れて、すなわち打つ。)雪峰に投げつけて大口を叩く。(なにさあ手前味噌、千人万人かっさらうたって、うわあ恐いぶるぶる、そんなんだれもわからないよ。)大いに口を張る閃電、間髪を入れずです。(喪身失命をさ、でもその上の雪峰への公案、さあどうしてくれるってんです、さいわいに末後の一句あり、どうですかこれ、うっふっふ。)眉毛をちっきすれば卻って見えず、はあてね。(蹉過了也、へえ行っちまった、あんなやつ五湖四海どこ捜したっていないよ、今はどこにいるんだ。)如今蔵して乳峰の前に在り、乳峰は雪竇山のこと象骨巌と相見るみゆ。摩尼宝珠如来蔵裏親しく収籃す、寒山詩にあります、ここにあるよっていうんです。(なんだどこへもって行くんだ、大小の雪竇もこの去就をなす、あっはっは今日おれも大口叩くやつに出会った。)来る者は一一方便を看よ。これとして仏教、常套文句なし、突出鼈鼻蛇のように、閃電丸出し、いいか、言句上これっから先じゃ、喪身失命どころか、(てめえを振り替える、振り替えるてめえです。わかったか。)高声に渇して云く、脚下を看よ。どあほ。(賊過ぎて後弓を張る、第二第三、重ねて云う吃るより悪い、脚下を見るになし、玉露宙に浮かぶ。)

第二十三則 保福長慶遊山

本則・挙す、保福、長慶遊山する次で、(這の両箇落草の漢。)福、手を以て指して云く、只這裏便ち是れ妙峰頂。(平地上に骨堆を起こす。切に忌む道著することを。地を掘って深く埋めん。)慶云く、是は即ち是、可惜許。(若し是れ鉄眼銅晴にあらずんば幾んど惑了せられん。同病相憐れむ。両箇一坑に埋卻せん。)雪竇著語して云く、今日這の漢と共に遊山して、箇の什麼をか図る。(妨げず人の斤両を減ずることを。猶ほ些子に較れり。傍人剣を按ず。)復た云く、百千年後無しとは道はず。只是れ少なり。(少売弄。也是れ雲居の羅漢。)後に鏡清に挙似す。(好有り悪有り。)清云く、若し是れ孫公にあらずんば、便ち髑髏野に遍きことを見ん。(同道の者方に知る。大地茫茫として人を愁殺す。奴は婢を見て慇懃。たとひ臨済、徳山出で来るとも、也須らく棒を喫すべし。)

保福、長慶、鏡清みな雪峰の嗣、保福と長慶遊山するついで、そこらへん山歩きです、(ぶらり歩きやがって、坐っていろてなもんです、落草の漢、隙ありひまつぶしですか。)保福手をもって指して云く、這裏便ち妙峰頂、これみんな妙峰頂、華厳経入法界品に出ずと、そうねえ雪舟の山水画を見るにいです、天橋立図という、一般の人デフォルメもいいところだというんですが、実にあんなふうに見えるんです、眼なく見る、身心なく行き立ってあるんですか、わずかに身心なければ、うーんなんて云ったらいいんだろ、妙峰頂という、舌足らずしかないんですか、空前絶後の事、仏仏を現ずるんですか、(平地上に骨堆を起こす、だからこれ平らにこうあって他なしを、世間一般見ようにも見えない、思いのほかの事実です、大満足ですか、あっはっは満足不満足のらち外です。道著すりゃそりゃ損なう、異物は地を掘って埋めるうっふ。)長慶云く、是は即ち是、いいことはいい、惜しいかなっていう、云うだけ野暮なんです、詩歌絵画の才能ありゃ、もっとじかに表わすこと可能って、これやっぱり人々自ずからです、自分で見て下さいって他ないんです。(そうさ、ちゃーんとやり切っていないと、特別の境地だ、禅の悟りだなどまあろくなことにはならん、せっかく同病相憐れんで、一つ穴に埋卻せん、云うことないんです。)雪竇著語、わしもさ三人遊山して、何をか図る、ただこうあって世間宇宙全般、図るにいたっては一瞬千斤、絶えざるこれもって、平地に乱もくそもないんです、汝これ彼にあらず、彼まさにこれ汝。(だれあって剣を按ず。)百千年後無しとは云わず、ただこれまれなり、雪舟の他に雪舟なし、良寛の他に良寛なし、ほんのわずかの人がこれを知る、雪竇のころであっても同じ、禅風大いに盛んな時代でも、これを知る者一人半分、今もまあさあっはっは。鏡清云く、若しこれ孫公ー長慶にあらずんば髑髏野にあまねし、そうなんです、境地にしてしまうんです、おれは得た免許皆伝という、どくろ野に満てりです、あるいは境地如何と、だれかれ聞く、そんじゃなんにもならないんです。(同道の者まさに知るしか方法はないんです、大地茫茫として人を愁殺すという、世界人類いえおのれの周辺だけです、一言に死んだほうがよっぽどましですか、そりゃものみなそんなふうです、でもそれたといちらともありゃあ、奴は婢を見て慇懃、くだらんことせにゃいかんです、あっはっは臨済も徳山も痛棒。)

頌・妙峰孤頂草離離(身に和して没卻す。脚下已に深きこと数丈。)拈得分明誰にか付与せん。(用ひて什麼か作ん。大地人の知る没し。乾屎蹶。何の用を作すにか堪えん。鼻孔を拈得して口を失卻す。)是れ孫公の端的を弁ずるにあらずんば、(錯。箭を看よ。賊を著け了るも也知らず。)髑髏地に著く幾人か知る。(更に再活せず。麻の如く粟に似たり。闍黎鼻孔を拈得して口を失卻す。)

妙峰孤頂草離離、これはまったくたった一人、しかも他まったく同じ、なあなあだの言い訳コンセンサスの入る余地がないんです、かくあるべしというなし、神様の都合や人様の勝手はない、美しくも醜くもないです、すべてを絶してもとっからただこうあるんです、それを知るものなく、知らしめるものなく、(身に和して没卻す、無心これ、脚下深きこと数丈、観音様これ、まさに如来来たる如し。)拈華微笑です、だれがだれに、一器の水が一器に余すところなくなどいう、いらん手続きをしないんです、拈得分明誰にか付与せん、はいこれ。(用いて何をするってことなく、ありのまんま、大地をまた人の知るなし、花知らず蝶知らず、定の則に契う、もしこれを用いる乾屎蹶、どうにもこうにもまったくです、鼻孔をとらまえて引き回したとて、一言半句なし。)端的を弁ずる、孫公という提出そのものです。(ばかめが、箭を看よとは、端的というにすでにして、箭をつがえるんです、即ち賊心。)どくろ地に著く幾人か、まるっきりの初心だってのにさ、どうしてかそうは行かぬ、心地そう滅して始めて知る、人間世界を去ってのち、人間世界を去るということあとかたなく失せるんです、生死を明きらむることこれ。(死んだものは再び蘇らんのです、大死一番大活現成という、ただもう死ぬに切るんです、麻の如く粟に似たり、思想の統一性がないんです、生きる酒に酔うなどいう、生臭いもの皆無、わかりますかこれ、聾唖者が夢を話す、わっはっはそんな具合にむちゃくちゃ。)

第二十四則 鉄磨い(さんずいに為)山に到る

本則・挙す、劉鉄磨い山に到る。(妨げず湊泊し難きことを。這の老婆本分を知らず。)山云く、老じー牛に字、めすうしのことー牛、来也。(点。深竿影草。什麼の処に向かってか敖耳訛を見る。)磨云く、来日台山に大会斎あり、和尚卻って去る麼。(箭虚りに発せず。大唐に鼓を打てば新羅に舞ふ。放去は太だ速やかに、収来は太だ遅し。)い山身を放って臥す。(中れり。汝什麼の処に向かってかい山を見ん。誰か知る遠き煙浪に、別に好思量有ることを。)磨便ち出で去る。(過也。機を見て作す。)

劉鉄磨はい山門下の尼、久参にして、機鋒峭俊なり、人号して劉鉄磨となす、劉は姓、い山を去ること十里にして庵を卓つ。一日去ってい山を訪ふ、山来るを見て便ち云く、老じ牛、汝来也。磨云く、来日台山に大会斎あり、和尚還って去るやと。い山身を放って便ち臥す。磨便ち出で去る。また一に説話の如くに相似たり、且つ是れ禅にあらず、また道にあらず。喚んで無事の会となし得てんや。い山台山を去ること自ずから数千里を隔つ、鉄磨什麼によってか卻ってい山をして去って斎せしめん。評唱にこうあります、五台山は山西省にあって、弥勒下生の伝説かなんぞで有名なんですか、大会斎大盤振舞いのお斎です。さあどうだ、行くかって云う、山身を放って臥す、磨出で去る、あっはっはどうですかこれ。(湊泊し難きとは取り付く島もないんです、取り付く島もないとは、仏教ではなくあなた自身のこってす、取り付ける分がみな嘘です。この老婆本分を知らず、師匠弟子の常識的本分ですか、仏教という本分ですか。知らぬとはなぜ。)老じ牛、牝牛来たな。(点、はたしてって云うんです、深竿影草、さぐりを入れる、どこまでできているかという、そんなこたないです、ただですよ。どう挨拶したって打てば響く、みだりには云わないんです、敖耳は一字なんです、ごうがでもって、一般には使わないなまりですか、禅ありやというんですか、平地に乱を起こす。でなきゃわからんってこと。)五台山のおときに行くかい、行くと云えば三十棒、行かぬと云えば三十棒、今日は、お久しぶり、どうしてますかの挨拶と、さあどうです、三十三天に至って盆をくつがえすほどの、日々是好日わかりますか、世間せんずり寝んねとは別、(箭みだりに発せず、でたらめ云ってるんじゃない、唐で太鼓を打てば新羅に舞う、これ日常、ぼかっとやるのは一瞬、初心またはなはだ遅し。)い山身を投げ出す。うはってなもんです、ちゃんと中っているんですよ、劉鉄磨を度す、(汝いずれの処に向かってかい山を見る、たといさわらぬ神に祟りなしたって、響いているんです。)磨便ち出で去る。(はいよってなんもんです。あっはっは。)

頌・曾て鉄馬に騎って重城に入る。(戦いに慣ふ作家。塞外は将軍。七事身に随ふ。)勅下って伝え聞く六国の清きことを。(狗赦書を銜む。寰中は天子。争奈せん海晏河清なることを。)猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ。(是れ什麼の消息ぞ。一条の柱杖両人扶かる。相招いて同じく往き、又同じく来る。)夜深けて誰と共にか御街に行かん。(君は瀟湘に向かひ我は秦に向かふ。且らく道へ、行ひて什麼か作ん。)

鉄馬に騎って重城に入る、劉鉄磨がい山に会いに行く、どうですか、ただ会いに行くんです、なにほどのことがあらんや。あっはっは、老師に会う、いえ達磨さんに会うのに、それしきのっていうか、なんとも思わんですか。さあどうですか。寒毛卓慄、流汗淋漓さあどうするといって、手も足も出ないとか。でもって鉄壁の布陣ですか、そんじゃあ始めっから負けてます。(戦いに慣う作家、女碁は戦いってね、いえさただの語なんです、打てば響く、死んではいないってことです、塞外は将軍、七事身に随う、そういうことが自然に行なわれるんです、取り付く島もなく、大火聚の如し、これあなた。)勅下って、天子の詔勅です、目をやれば劉鉄磨、牝牛来たかってんです、六国とは秦に併合された、韓、魏、趙、燕、斉、楚の国、まあさちゃーんとしていらあってことです、つうと云えばかあという是なんです。(狗赦書を銜む、天子の赦免状ですか、寰中は天子のとばり、直轄領です、寸分の狂いもなく、しかり五台山の婆さんもちゃーんと収まっているんです。)猶ほ金鞭を握って帰客に問う、そりゃもうどうあったって一言無きゃならんです、他なしの金鞭、来日台山に大会斎あり、行くかと帰客に問う、至りえ帰り来たって別事なしですか、わっはっはそんなん知らんというんです。(是れなんの消息ぞ、ちらともあったらひっかかる、共倒れじゃなくって、一喝両人助かる、あいともに行き、同じく来る、うっふううてやんでえ。)夜深けて誰と共にか、かごを御して街へ繰り出すんですか、まあさ、身を放ち臥す、廓然無聖、てんでかってですよ、即ち帰ると、なあなあ付和雷同ではない、人人よろしくとはまさにこれ、且らく道へ、行いて什麼か作ん。)

第二十五則 蓮華峰柱杖を拈ず

本則・挙す、蓮華峰庵主、柱杖を拈じて衆に示して云く、(看よ。頂門上に一隻眼を具す。也是れ時の人の窩窟。)古人這裏に到って、什麼としてか肯て住せざる。(虚空裏に向かって釘楔す可からず。権りに化城を立す。)衆無語。(千個万個麻の如く粟に似たり。卻って些子に較れり。可惜許。一棚の俊鶻。)自ら代って云く、他の途路に力を得ざるが為なり。(若し途中に向かって弁ぜば、猶ほ半月程を争はん。設使力を得るも什麼を作すにか堪へん。豈に全く一箇無かる可けんや。)復た云く、畢竟如何。(千人万人只箇裏に向かって坐卻す。千人万人の中一箇両箇会す。)又自ら代って云く、そくー木へんに即りつー木へんに栗ー横に担って人を顧みず。直に千峰万峰に入り去る。(也好し三十棒を与ふるに。只他の担板なるが為なり。脳後に鰓を見ば与に往来すること莫れ。)

蓮華峰庵主は秦先深の嗣、雲門下三世。しゅじょう杖です、杖を拈ず、とって云く、なんとしてかあえて住せざる。(看よ、頂門上に一隻眼を具す、一隻眼を具すとは悟り終わること、どうしてもこれなくんば仏とは云えんです。二つの眼、見たものをとやこう反芻する、だからどうの、観念思想の問題なんでしょう、眼華という、たいていの人そうやって、それにしてやられているんです。一隻眼生まれ本来のまっすぐに帰る、遠近なく見るものと見られるものの区別なく、目なく意なくなんです、でもって一隻眼を具すと、また時の人のか窟、あの人は悟っているから、悟ったらどうのと別誂えして、またそれにひっかかる。悟り終わって悟りなし。)古人這裏に向かって、なんとしてか敢えて住せざる。せっかく得たものを、どうしてそこに住む、たとい悟りというを用いないのだ。(虚空裏に向かって、もとないもに釘楔を打つ、お化け城を築く、仏教といい禅というもの、はいこれ。)衆無語。(千個万個、箇という字を用いるには人臭いってこと、総勢麻の如く粟の如し、無語というそりゃどっか当たっているんですが、惜しむらくは、一棚の俊鶻、棚に並んだ土鳩ですか、ぴくつくっきりの落着を知らぬ。)自ら代って云う、他の途路に力を得ざるが為なり、なにやらかしたって役立たず、うっふまさにこれ、世間人の固執がないんです、たとい何やったとてぴったり、名人達人を超えたろうが、次にはもう忘れ、いえさほんにこれ。(そいつをだからどうの、弁じてたら半月かかるよ、いいか、たとい力を得るも、さよう何を仕出かしたって、世界騒がしい、ろくなこっちゃないよ、わかったか、無為の真人これ、歴史というがらくたを作らないんです。)また云く、畢竟如何。わっはっはだからどうだ、文句あるかってんだ。(千人万人箇裏に向かって坐卻す、そりゃ坐らねばわからない、一にも二にも坐る、でもさ千人万人のうちの一箇半箇会す。)又自ら代って云く、そくりつというのは杖の材料です、横に担って人を顧みず、じきに千峰万峰に入り去る、はいこれまさにこうなんです、たわごと云ってないで実際を見て下さい、世界平和という喧嘩の種じゃないんです、人道などいう不都合じゃない、(わっはっは三十棒だ、よくぞ云いやがったって、世間一般が他人の思想是非善悪ひっかつぐから仕方がない、まあさ鰓のある人間には気をつけろよ、ひでえめに会うぜ。)

頌・眼裏の塵沙耳裏の土。(朦憧三百担。鶻鶻突突什麼の限りか有らん。更に恁麼の漢有り。)千峰万峰肯て住せず。(汝什麼の所に向かってか去る。且らく道へ、是れ什麼の消息ぞ。)落花流水太だ茫茫。(好箇の消息。閃電の機、徒に佇思するに労す。左顧千生右顧万劫。)眉毛を剔起すれば何れの処にか去る。(脚跟下更に一対の眼を贈らん。元来只這裏に在り。還って庵主の脚跟を截得するや。然も是の如しと雖も、也須らく是れ這の田地に到って始めて得べし。打って云く、什麼と為てか只這裏に在る。)

南泉また云く、七百の高僧、ことごとく是れ仏法を会する底の人なり。ただ盧行者のみ有って、仏法を会せず、ただ道を会す、このゆえに他の衣鉢を得ると。仏教もと備わるんです、備わるものは使えばいい、ただそれだけです、200%使いおおせて人生です、他ものみなの生活です。それを仏教云々、人のありよう能書きは、邪魔になれこその塵あくたです、光明だのラジニーシだのいう、百害あって一利なし、オウムもキリスト教も五十歩百歩なんです、眼裏の塵砂耳裏の土。(もうどう三百担、あっはっは複雑怪奇な面した牧師さまですか、土鳩肩をよせあってぴくぴく、世の中評論家、だからどうのと毎日別誂えですか、さらに別誂えのあるを夢にだも見ず。)千峰万峰あえて住せず、これさっそうたる独立独歩人です、頌としてすがすかしい限りです。(いずれの処に向かってか去る、これなんの消息ぞ。)落花流水太だ茫茫。ものみな主客、かくのごとくかくの如く。(好箇の消息、そうだよっていうんです、あれこれとっかっかりしてただもうご苦労さん、人生という仏教という、いえさ宗教という早くこれを卒業して下さい、人間もようやく万物宇宙のお仲間入り。千生万劫、ちらとも顧みるにより、生きたという感慨ですか、なんてえつまらんことを。)眉毛をちっき、こうやるんでっす、でもってどこへ去るか、はいわずかに蓮華峰仏ありの風、いやなかなか。(こりゃまあ蛇足もいいとこ、更に一対の眼を贈る、なんとしてか一対の眼、倒退三千、ただ這裏にありと、脚跟下を截得して何せん、この田地に到る、衆無対、打って云く、なんとしてか這裏に到る。)