二連禅歌=春
こしみちや春あけぼのの天空をなんに譬えむ雪の軒にして
明けても暮れても降って吹雪いて、氷柱が二メートルにもなってぶら下がる、半年もの冬はうんざり、もう苦痛だ、それがとつぜんぽっかりと晴れる、春はあけぼの、
いやひこのおのれ神さび白雲の夕うつろへばまふら悲しも
みどりなす夕うつろへば大面村雪の梢が春を待たまく
一瞬太陽が黄緑に、彩なして棚引く雲、不思議な夕をそっくり覚えている、大面村はこのあたりきっての古村。かつては海沿いであった、大面村大字小滝がお寺の地。
白雲のうつろへ行けば大面村寄せあふ軒が春を待たまく
古人の杉のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも
先住がなくなった夕、もうまっ黒に霧がかかる、雪霧というものだった、春になるよと世話人が云った、すざまじいほどの、何メートルの豪雪がいっぺんに溶ける。でもこれは初春の挨拶に作る。
古寺の松のさ庭ゆしくしくの雪霧らひつつ春は立ちこも
尾崎行く田辺の川波寄るさへやしくしく思ほゆ雪消えなばか
雪折れの木を手入れしたり、屋根の破損があったり、なんせ大仕事が待っていたが、しばらくは豪雪地帯の、少し外れてはいるんだが、春を楽しむゆとり。
背うら山春は来たらしこの夕木末もしのに濡れあふ見れば
背の山の押し照る月を松がへもしのへる雲の隠さふべしや
豪雪のその雪消えの満月、霧や雲が過る。仙界を行くような、雑木と松の茂みと、お化けのような物陰や、孫悟空にでもなったような。
小滝村あは雪しのふ松がへも押し照る月を隠さふべしや
あけぼのの春は来たらし大面村田ごとの松を見らくしよしも
小滝村は十三軒とお寺、参道の松も松喰虫が流行ってみな枯れた。山を越えて行く、天狗が出てお寺を手伝ったという、むかしばなしにもある、その道はもうない。
雪霧らひけだしも行けば大面村灯どちが幾つ村の井
吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪は今日もしの降る
入広瀬や松之山などいうのは、冬は陸の孤島だった、五月を過ぎてやっと通う、なんせ三0回もの雪下ろし、こっちは三回で死ぬ思い、でも連中の冬はけっこうスマートだ、松之山は温泉もあるし。
吾妹子が松之山なむいや遠のしの降る雪ははだれ見えつつ
まんさくの花にし咲くをいつしばの待たまく春は日長くなりぬ
まず咲くからまんさく、豊年満作を願う意もある、なにしろ春が待ち遠しい、雪の少ない年は春ながといって、いつまでもうら寒い風が吹く。
まんさくの花には咲けどいつしばの待たまく春は日長くなりぬ
まんさくの花の春辺をいつしばの待つには待たじ霧らひ立ちこも
まんさくの花の春辺をいつしばの山尋行けば霧らひ隠もせる
まんさくの花を貰いに来て、神棚にお供えしていたじいさまは、九十幾つで死んだ、その後来る人はない。年の吉凶を占う、めでたいばかりの花ではなく。
まんさくの花に咲けるを知らでいて年のへ我は物をこそ思へ
椿だに浮かび廻らへ心字池月は雲間に隠らへ行けど
先住がいまわの床に、いい庭がある池があってなと云った。いちめんの雪だ、おかしくなったんかと思ったら、春になると美しいお坪が現れる、心を象った心字池。
落ち椿廻らへ行くか心字池ほどろふりしくその春の雪
山川も海もはてなん万づ代にい行きかよひて死なば死なまし
冬は兎の運動会、本堂の大屋根のてっぺんまでも足跡がつく、ほどろに雪が消えて、熊みたいにでっかくなった、その足跡。
兎らの足跡をたどりに背うら山天の雲いが浮かび行くらん
いちげなる咲き立つ見れば古寺の杉の門は足掻きも行かな
菊咲き一華という、いちりんそうが咲く、杉の木の下の、雪の降り残すところから。門をかなとと詠んで、ー
いちげなる咲き立つ見れば降りしける真杉門は荒れ吹くなゆめ
越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかましがしくしくに雪の辺に咲く
しょうじょうばかまは雪割り咲く、さまざまな色合いに山土手をいちめん、けっこう美人なのかな、
越し人の呼び名はなんとしょうじょうばかましがしくしくにおのれ恋ほしき
春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せあふものは雪のひたたか
お寺の山から十五万の蘭が出たという、捜しに行ってみた、いくら捜したってただの春蘭、へりがすべすべってのもなく、痩せた蛇がとぐろを巻く、雪は未だ残り。
春蘭の香にや満つらむ衣辺に寄せ来るものは痩せぬ蛇も
武士のいにしへ垣のいつしばもむらさきにほへ雪割り桜
寺山にはなく、向かいの砦山にいちめんに咲く。砦は掘りの跡しかない。主は上杉影勝公下丸多伊豆守、即ちお寺の開基さんであった。
雪割りの花を愛ほしといつしばの忍ひ行きしはたが妻として
夕ざれば雪も消ぬがに大面村いつかな聞かむ蛙鳴くなる
雪の消えぬまに鳴いて、ほんに蛙が多かった、蛇寺と云われるぐらい蛇もいた、田に水を張ると、さすが蒲原の蛙の大合唱。
夕ざれば雪も消ぬがに山門のいついつ聞かむ蛙鳴くなる
曳馬の曾地峠を越えて行け寄せあふ波は花にしあらん
このあたりでは柏崎の桜が一番早いといって、曽地峠を越えて行く、たいていは海沿い行くんだけれども、そうは早く咲かない。
しくしくの花には咲かね柏崎寄せあふ波は春にしあらめ
梓弓春をぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひあれ越せし
すみれさいしんを食草とする、かたくりの花に、梅に桜にと、訪ね訪ねて春は爛漫。異常気象でどうやら絶滅。でも日本のどこかではきっと。
梅桜咲くをぎふてふマンモスの氷河の時代ゆ舞ひ生れ越せし
今町の夕ざり椿つらつらにたれを待つらむ雪はしの降る
今町はむかし米の集散地で栄えた、芸者が何十人もいた、料亭はいくつか残っている、ガソリンスタンドで挨拶する子がいた、おやまあわしなんぞにと思ったら、料亭の若女将だった、いつかな雪は降り。
吉野屋の夕ざり椿つらつらに何を告げなむ鳴き行く鳥も
榛名なむ早にも聞こえ過ぎ行けば月夜野村に雪は消残る
年上の弟子であった人がなくなった。弁護士で大学教授でスピード狂でフェラーリを乗り回して、六十でスキーを覚えと、大変な人物であった。世話になった分何のお返しもできず、今はの際のお見舞いに行く。
新治の月夜野過ぎてあひ別れ汝が初に見む梅が枝ぞこれ
君に別れ越しの野末も春なれやしましく雪は降りさふあらん
葬式に行った、有名人やタレントが来ていた、亡僧の習わしに拠った、弟子どもよったくって、かえって遺族に迷惑をかけた。
送りては帰らひ来つるこの夜半の月はしましく雪を押し照る
夕されば粟が守門にあかねさしいついつ郷は春をおほめく
弥彦と差し向かい、守門に粟ケ岳、雪に真っ白に覆われて、五月になってもはだれが見える、夕焼けに桃色に染まって、美しいというよりも、むしろ苦しいような。
夕されば粟が守門にあかねさし刈谷河辺に雪消ゆはいつ
ふりしきる雪のさ庭にあかねさし行けばや梅の花にしぞ咲く
梅の老木があって毎年いい花を咲かせていたのが、寝てしまった、植木屋呼んで助け起こしたら、梅の古木は寝てからまた一世代とだれか云った、ふーん儲けられたか。
あしびきのおくのさ庭に日の射すと尋ねも行かな老ひたる梅を
梅の咲く山はたのへに吹く風は今日はも吹かず暮れ入りにけれ
梅が咲いてもうら寒い風が吹く、それがふっと止んで、人も通身に和む春、信濃川は雪代水を流して、いっそまた遅い春。
柳生の中なる夕日つれなくも信濃河の辺春なほ浅き
いにしへゆ我が言の葉をかたかごの紫にほふ春ならましや
かたくり、かたかご、村ではかたこという、お墓の辺にいっぱい咲いて、あるいは雪折れする竹には、いちりんそうの花。
いちげなる花にも寄せな豪雪の過ぎにし思ひをいささむら竹
いにしへの人に我ありや白鳥の越しの田浦に春の火を燃す
白鳥は水原で餌付けしてから増えて、村の辺りにも、春先群れになって宿る。野火を燃すのは、とっくに帰ったあとだが、越しの田浦とひっかけた。
白鳥の廻らひ帰るしかすがに越しの田浦を燃ゆる火もがも
春さらば村松田辺の社には何をし問はむ行き過ぎにけれ
吹きさらしの田んぼを行くと、村松には花が満開、向こうは下越。公園があって、花見がてら待ち合わせしたら、すっぽかされ。
田の末ゆ吹く風しのひ村松の花に会はむとたが思ひきや
五十嵐の雪は降れるに梓弓春立つ雁に会ひにけるかな
五十嵐小文治は那須与一と親類で、扇を射落とした弓は、蒙古伝来のものという。支配の五十嵐川は清流で、しじみの取れる川であったが、いいものは失せて行く。
五十嵐の雪は降れるに梓弓春雁がねの幾重わたらふ
梅の咲く早にも降れるあは雪や初音鶯鳴くには鳴かじ
梅が咲いても吹雪いたり、枝折れが雪の辺で花をつけたり、頑丈だ。冬越しの鳥が落ちて死ぬ、春ながという方言がある、いつまでも寒い。
鵯の墜ちて死ぬべき春なれやこれの深田に花咲くはいつ
山のはの初々梅に咲けるしを人にも告げで寝ぬる口惜しき
お寺にはいい梅のなる白梅と、杏のような種も実も大きい紅梅とがある、三十年の間に二つの梅も年を取った、人が長生きになったということか。
春野辺にいつか咲きのふ梅なれや我も六十路に年老ひにけり
我やまた遊び呆けて鶯のしのひ鳴きつつ春野辺暮れぬ
鶯と鳴き合わせをする、ほーほけきょけきょけきょ谷渡りだとやっていると、客が来て呆れ顔。入れ歯にしたら鳴けぬ、十五万出して入れ替えたら、鳴けるようになった。
野尻なる散りしく梅を他所に見て鳴くや鶯春をひねもす
漕ぎ別けて二人し行かむ魚野川寄せあふ波は花にしあらん
カヌーを買って乗り込んで、弟子二人櫂を取るのに、穏やかな流れの底に逆流があったとかで、穏やかに沈没、人と舟は助かったが、荷物と櫂一本が消えた。
川上はなほなほ咲けれしだれては散りしくあらん野積大橋
真之代に花は散らへれ大関の竿を振るには水の冷たさ
鮒釣りほどおもしろいものはなく、いとよも釣れ、たなごも釣れして、春の川は楽しかった、花が咲いて散るまでが乗っ込み、それが終わると本命の鯉。
竿を振りわたらひ行かな真之代の関の辺べは散りしく花の
四方より花吹き入れて信濃河寄せあふ波の行方知らずも
この二つが春の代表作だと云えば、誰彼あそうかと嘆ずる者もなく、他いい文句だけどなあ、歌でもなくってこれはなんだと聞く、どうもそうらしい。
三界の花のあしたをいやひこのおのれ神さひ雨もよひする
花の戸に小夜は更けたり六十男が手振りし歌へ鳥刺しアリヤ
何百回魔笛を聞いて、歌詞も覚えらず音痴のまんま、ものすごい能無しが好きなんだでしょうがない、一事が万事かあちゃんも苦労する。
年をへて妻とし行ける地蔵堂の花は暮れあひ咲き満ちてけり
田上越え二人して行けあしひきの山の端咲くは花にしあらん
桜というのは大きな山桜から、そめいよしのから、目立たない、あれも花であったかと、何十年もして気がついたりする。芽吹き山の圧倒的な美しさとも、うるしに負けるんだけど。
村の井の春をしのはなあしひきの山の下ふは萌え立つあるに
桃に梅三春の花と恋ひしたひ尋ね会津に雪は降りしく
三春は郡山の向こう、高速道路ができてもまあ遠い、梅に桜に桃といっしょに咲くから三春と、テレビで見ておっ取り刀で行ったら、磐悌山の辺りは雪が降り、花はまだつぼみのまんま、
会津にはふりしく雪を今日越えて三春の花はいついつ咲かめ
明日には花にふりしくものなれや春をい寝ねやる会津遠国は
会津磐悌山は吹雪、春いや遠しという会津は何万石であったか、なつかしいあったかい感じ、小学校の修学旅行はここ。お父さんお母さんという茶碗と木刀がお土産。
真杉生ふる遠郷さへやしかすがに霧らひい寝やる二十万石
三貫野まふらまふらに散りしけば田辺のわたりも常にはあらじ
嶺崎はむかし三貫野と云った、五百刈とか千把野とか、猫興野とかいった地名は、栄町や夢見野などいうよりはずっと粋で、切ない汗まみれの、息だえて御先祖さまってしみじみ思う。
三貫野花はくたちも散りしけば天行く月はいずこわたらへ
阿賀野河おのれ入りあふ道の瀬の忘れはててはしのやまざくら
阿賀野川にはむかし真っ黒になって鱒が遡ったという、ダムができてなんだか死んだようになった、でもいい川だ、水銀中毒があったり、だいぶ汚れても来て。むかしに戻したい川の一番。
阿賀野河入りあへ行けば咲く花の人を迎えむ村字いくつ
越人が舟にもやへる大曲のいにしへ春を忘れ菜の花
川流れという菜の花、信濃河岸に咲いて、向こうを雪の山脈、けっこう絵になるか。下の田圃川でふな釣り、どじょうにざりがに、たにしもいた。
わくらばが鮒釣りすらむ小滝村四方の春辺を忘れ菜の花
君見ずや下田鶯しば鳴くに昨日も今日も日な曇りする
黄砂現象というのはもろ黄砂現象であって、春霞とは云い難い、近頃悪いものはみんな中国から来るといって、中国人の犯罪もけっこう多い、でもまあ信濃河沿いはゆったりのんびり。
知るや君信濃河波清やけくに春の小須戸をわたらひ過ぎき
雨降れば草の伸び行く春野なれ我も六十路に年老ひにけり
六十になって何かいいことあったかって、ありっこない、よくぞここまでくそ役にも立たぬ人生、あっはっはまあさ、どうしようもないものはどうしようもないとて。
塩入りの夕べを仰ぐ山桜帰る朝たを咲き満ちてけれ
花魁の賑はふ夕は過ぎぬれど散りしく郷に会ひにけるかな
分水は桜を植えて毎年花魁道中がある、子供が小さいころ連れて行った、とうもろこし八00円綿飴六00円次から買えといって、破産する、花見も草々に引き上げた、大河津分水も六十年たって大改修。
花魁の春たけなはに行き通ひ六十過ぎたるしが大河津
しましくに吹きしのへれば大河津荒き波もは満つ満つ花の
信濃河が蛇行して氾濫を繰り返し、三年にいっぺんしか米が取れなかった、これを海へ切り通して流す分水工事は、大竹貫一が私財を抛って開始、三分の二を成就して、ようやく国が動く
大河津花はしましく咲きけむが年はも如何に吹く風寒し
散りしける花を尋ねに行く河の寄せあふ波の行きて帰らずは
あっちこっち古墳があるぞ、なんで発掘しねえんだって云ったら、ぼた山だよって。樹木が生い茂って、良寛さんの五合庵のあたり。やっぱり古墳かな、朝鮮人労働者が埋まっているってさ。
万づ代の過ぎ行くものは河にしや両手の辺にも寄せあふ花ぞ
春さらば雪崩やうたむ笠掘のしのひ桜に我が会ひにける
笠掘には、そんな平地にかもしかが四00頭から棲んで、特別天然記念物になっている。集落があって、雪崩も起こるし、三四軒無人になって潰れる、折れ曲がって咲いているその花。
小千谷なむ月はわたらへ雲間ゆも散りしく花を越しの河波
いにしへの人に恋ふらむ椿花降り降る如く群れあふ鳥も
お寺の山菜は、ふきのとう、とりあし、たらのめ、うど、ぜんまい、しどけ、しょうねんぼう、やまおがら、わらび、ふきという順番、たっぷり食べられるけれど、そりゃ一度二度で堪能する。
生ひ伸びる種々にしてたげましや我が山門を春はたけなは
しくしくに春の雨降る信濃河みずく柳生によそひて行かな
雪代といって山々の雪解けが終わるのは五月中旬、信濃河の水位は連休がピーク、分水は一五分で東京都一カ月分の使用量を放出、それは見もの。みんな車を寄せてぽかんと眺めている。
しくしくに春の雨降る蒲原の芽吹く柳生によそひて行かな
野積には春を寄せあふ河波の佐渡は見えずも立ちつくしけむ
分水河口は毎年形を変える、土砂とごみと流木と、だが野積はずんと古い、高知法印のミイラ、活仏は、親鸞さんもお参りしたという、弥彦のこっちから云うと向こう側。
野積には寄せあひすらむ河波の花をなふして立ちつくしけむ
行く春をうねり寄せたる田の浦の刺すらむ網に魚はかからず
野積にははまぼうふうがあって、刺身のつまにいい、生物の先生に教えてもらって摘んで来た。二十年もたって行くと絶滅寸前、草摘み山菜取りなど、優雅ではなく、わしらハングリー世代がただもうむしり取る。
妻として草摘み行かな田の浦の松がへしるく風は吹けども
荒磯辺の寄せては返すしぶき濡れ妻とし春をわたらふものぞ
自動車道のできる前に、巻の庵主さま方と歩く。清いうえにも清い角田荒磯、良寛さんもきっと波に濡れてなど思い、毒消し売りの工場を見学。
雲井にか花吹き入れていやひこや妻とし春は荒磯わたらふ
守門なるはだれ見えむ道の背やこぶしの花も咲き満つらむか
牛ケ首牛の尾という地名はどういう意味があったのか、諸橋轍次の漢学の里はこぶしの花の満開、粟ケ岳のはだれはなんの印か。
水仙の花にし咲ける牛ケ首風に問へるはたが客人ぞ
山門を田に水引けばともしびの天地とほり鳴くなる蛙
田に水を引いたとたん蛙の爆弾、さしも蒲原平野、紫外線が強くなって卵が死ぬという、今のところまずは安穏、雨降りゃそこらじゅうが蛙。
蒲原を田に水引けばともしびの今夕清やけく鳴くなる蛙
三条も花の散らふは水の辺のしましくありて行き過ぎにけれ
大面村大字小滝から栄町になって、今度は三条市になった、お寺はいちばんはしっこの僻地、文化財保護だといって、三000円貰った、桁四つばかりちがうんじゃねえのけといって、書類のほうは十何行あった。
いついつか日は忙しくに過ぎ行けど咲き満つあらむ大やまざくら
ずくなしの花をくたちか降る雨の蒲原田井を冷えわびわたる
ずくなし谷うつぎという、挿しても水を吸わないからずくなしと、薄桃色に咲く。この花の咲くころ、田植え冷えといって急に冷え込む。根付きがいいというが、むかしの田植えは四時起きの、燃し火を焚いて。
ずくなしの花をくたちか降る雨の昨日も今日も冷えさびわたる
ずくなしのくたち止まずは三内が十兵衛田井は植え終えずけむ
二日植えて冷え込んだ体を半日休めと、大の男がこんなふうで。、産後の肥立ちの悪いかあちゃんが、田んぼわきに伸びていると、ほったらかしに帰っちまう、死にゃ代わりがあるとって、そりゃ婿どんも同じ。
いついつか我も越し人ずくなしの花咲く頃を思ひがてする
行く春のここはもいずこ妻問ひに鳴くや雉子の草をも深み
お寺はやまどりはいるが雉はいない、それがあるとき一羽迷い込んで、鳴いて歩く、雉も鳴かずは撃たれまいって、悲しいような滑稽な。車の脇を歩いたり、でっかい鳩だと思ったらきじであったりする。
信濃河鳴くや雉子の妻問ひにほろとて散るかやへやまざくら
谷内烏いつかな花は散り失せてわたらふ田辺に吹く風強し
烏が石をくわえて舞い上がり、落としては拾う、放れ烏の一人遊び。フロントガラスにぼかっと当たったのはくるみ、車に轢かせて割いて食べるらしい、ばかがらすとひょうきんからすと、だれかに似ているのと。
見附道やはざうら田辺を新芽吹く烏鳴くだにおぼろなりけれ
片方は何処へ行きしおしどりの襲はれし辺をはだれ消え行く
てんかいたちに食われたか、おしどりが雪の上に残骸、越後のはやや形が違う、でも雪消えの春をつがいで飛ぶ、お寺の池に来て、しばらく様子を見て行ってしまった。弁護士さんがなくなった年。
鶯の未だ馴れずも鳴きとよみけふの日長を君やありとて
山を越え来鳴きわたらへ時鳥月は二つにあひ見てしがな
さつきはほとんど白で、自然とあんまり変わらないお坪、でっかい松と心字池、十五夜にほととぎすが鳴いて、でもって草むしりがたいへん。
心字池しのふる雪は消えも行け幾代伝へむ花と月影
かっこうの鳴きわたらへば心字池いにしへしのぶこは菖蒲草
じゅんさいが採れたのに、先住と先先住の家族が喧嘩して、みんな引っこ抜いて後に鯉を入れた。太郎というひょうきんな大鯉がいて食いすぎで死んだ。どやつも池のまわりを食い荒らす、なんとかせにゃ。
春蝉の音をのみ鳴きて蒲原のこし国中に年はふりぬれ
あんにんご雨に降りあへ下田村夕を聞かなむ鳴く時鳥
あんにんごは桜の種で白い房になって咲く、その実をあんにんご酒にする。ふじにずくなしにあんにんご山は若葉、蚊も虻もいないしと。
休耕の六郎田んぼは鋤き起こし烏に追はれこはなんの鳥
ま葛生ふる山のまにして春蝉の長鳴きつつに日はも過ぎぬれ
五月半ばみーんみーんと蝉が鳴く、お寺にはしゃくやくの咲くころ。長い間鳴き声ばかり、ある年玄関の楓に二匹いた、透き通った、青い小型の美しい蝉、と思ったら地球温暖化で、ぎふちょうと同じにいなくなる。
いついつか耳鳴りすらむ春蝉の茂みみ山は冷へわびもすれ
モーツアルト越しの小国を新芽吹くしくしく今に恋ひわたるらむ
雪深い小国は別天地のような、坂上田村麻呂お手植えのけやきの赤谷へ抜け、松代へ抜け、小千谷へまた十日町へ。モーツアルトを聞いてドライブする。地震で長い間不通になった。わしたかの類の、見たこともないようなのが雪の辺を行く。
モーツアルト越しの小国を咲く花のしくしく今に恋ひわたるらむ
いずくにか棹さし行かむ捨て小舟春は花にし咲きて散らふる
弟子が岩船にお寺を持った、春になって尋ねて行く、むずかしい処だと聞くが、川は澄んで鱒が泳ぐ。それはもう美しい風景の、嫁に逃げられねえようにとさ、うっふっふ。
二人して棹さし行かむ岩船の春は満ち満つ萌え出にけれ
しましくは雨に降りあふ茂みへの蛙鳴く音とあり通ひつつ
逃げられもせずに子供が二人になった。笹川の流れは景勝の地、嫁の友人が東京から来る、まいたけが出る、縄文時代の集落がすっぽりダムの底。婿どんはあっちこっち案内。
あかねさす朝日乙女が岩船の結ひし紐さへこれな忘れそ
世紀末わが物憂きはしくしくの雨に流らへ楓で若葉
若かえるでのもみずまで寝もとわが思ふなはあどか思ふ。万葉にある歌だ。かえるでとは蛙の手か、葉うらが返るからか、とうとう二十一世紀まで生きた、はあてなどうなるか。
二十一世紀なほ物憂きはしくしくの雨に拭はれ楓で若葉
あれもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは
塀にある雑木がやっぱり桜だったとは、伐らないでよかった。横浜の中華街で手相を見て貰った、もう人生終わったでなと云ったら、こんないい手相見たことがない、九十までは生きられますと云った、またよく見る、幸せを売る商売。
これもまた花でありしか深山木の六十を過ぎて初に知れりとは
田を植えて茂み鳴くかやふくろふの山屋軒辺は風さへに吹く
ふくろうは氷柱のぶら下がる軒にふっと温むと鳴く、ほうほうが来たよ、春になったよといって喜ぶ、ずいぶんでっかいのがいる、まん丸い目玉が凄い、王様だ、また季節の変わり目に鳴く。
田を植えて烏鳴くさへいやひこのおのれ神さび雨降り荒れる
田を植えて蛙鳴くさへ信濃河これも神さび雪代わたる
なにかへんてこな季節、うら寒い風が吹いたり急に暑くなったり、信濃河は雪代水、守門はぶあつい霧の中、そりゃもうどうしようもないっていう。
郭公の鳴きわたらへば守門なるおのれ神さび面隠みこやせ
提唱…提唱録、お経について説き、坐禅の方法を示し、また覚者=ただの人、羅漢さんの周辺を記述します。
法話…川上雪担老師が過去に掲示板等に投稿したもの。(主に平成15年9月くらいまでの投稿)
歌…歌は、人の姿をしています、一個の人間を失うまいとする努力です。万葉の、ゆるくって巨大幅の衣、っていうのは、せせこましい現代生活にはなかなかってことあります。でも人の感動は変わらない、いろんな複雑怪奇ないいわるい感情も、春は花夏時鳥といって、どか-んとばかり生き甲斐、アッハッハどうもそんなふうなこと発見したってことですか。
とんとむかし…とんとむかしは、目で聞き、あるいは耳で読むようにできています。ノイロ-ゼや心身症の治癒に役立てばということです。