宮沢賢治イーハートーヴォ

宮沢賢治イーハートーヴォ

明治以来西向け西、追いつけ追い越せという空しいがらくた、中にあって、残るのは漱石の坊ちゃんと猫、そうして宮沢賢治だ、他は歴史の闇に消える、マイナーで云えば嘉村礒太と命の初夜の北川民夫だ、どうやらそんなふうに思う。
漱石はべらんめえに一応ニヒリズムを接ぎ木して失敗作、宮沢賢治は優等生だ、
彼一人西向け西に成功する。
たった一人あるいはゲーテでありモーツアルトである、その詩に見る、まっすぐであり、手も触れえぬ恋愛であり、フモールであり、微笑みである。
ディッヒターというにふさわしい、厳格な人生に、命を顧みず、川に溺れた人を助ける、一回的な心である。
こんな人は他にいない。
ぺらんぽらんのお化けが昆布を取り昆布を取り、他みな消滅する中に生き残る、賢治童話はたとい思いつきも、100ぺんの書き直しの末に生まれる、ついには世界裁判長になる。浮かれてこの世に現出、太陽の刺を取りに行くといって、未完に終わる。火山局の役人になって蘇る、ついには死んで百花開くという。
挫折をいう、挫折というならそれでいい。黄色いトマトという童話がある、兄妹で野菜を育てる、黄色い小さなトマトがなって、日の光と露の雫に宝石のようだ、いいものができたといって、二人売りに行く、
「なんだこんなできそくないのトマト。」
といってつっかえされる。
彼はつっかえされて、たったの一行も売れなかった。
たとい何度試みたって同じだったと思う。彼を標準にして文壇を一般人を計ればいい、いったい何が不足していたか、当時と比べて今はといえば、もはや読者も文壇もない、高島屋のカタログのような婦人雑誌。
「今の世そうさなあ、ある意味で宮沢賢治の理想は実現した。」
といったら、
「なんていう悪い冗談を云う。」
と娘が云った。農協ができ科学的であり、村起こしだの観光だ、人間の命は地球よりも重い、
「でもだれ一人火中の栗を拾わない。」
いや、そういう人もいるさ。
食うため第一の世の中、なあなあ組織人間の、北朝鮮と同じ内部告発なんぞしようもんならー
宮沢賢治を小学校のころ読んだ、兄弟三人で読んで以来バイブルであった、学生のころ女の子が卒論に、
「宮沢賢治は単純過ぎて。」
という。日本人に何が弾けないって、特に女の子にはモーツアルトが弾けない。
いつか世界中弾けなくなったりする。
「万人が幸福にならなければ個人の幸福はありえない。」という賢さの理想を、
これは西向け西のまっ心だ、
「それは人間だ。」
の解いてはならぬ謎だ。わしはこれをひっくり返そうと思う。
「まず一箇の灯明あって万人の幸福。」
一箇灯明なければ万人の幸福なし、賢さと父親の仏教論議は父親が正しい。
でなけりゃお先真っ暗だ。
旅に行って岩手県を過った、花巻へ行こうというのを、
「賢さはわしのバイブルだった、行きたくない。」
といって、わずかに過った、すると能登へ行ったときに感じた、絶句するよう
な圧倒的な何か、
「これがイーハートーヴォだ。」
ただもうなんにも云えぬのだ。
賢さのイーハートーヴォに敷かむにはなほも淋しえその花筵
・賢さと書いてマルで囲って宮沢賢治の署名

2019年05月31日