道元禅師正法眼蔵
道元禅師正法眼蔵
道元禅師は十三才で比叡山に登り、十七才のころには一切経巻を尽くして、要約するに、
「本来本法性、天然自生心。」
だと知った。もとこのとおり手つかず、このまんまでいいという、なんにもせずいたってだが、さっぱりいいことはなかった。たまたま栄西禅師に問う、
「如何なるか是れ仏。」
答えは、
「三世の諸仏知らず、狸奴白虎卻って是を知る。」
仏は知らず、きつねやたぬきの類が知るという。その通りであったが契わず、入宋沙門となって海を渡る。
大宋国に行脚し、論破するには、
「こっちもわからんが、そっちも知らん。」
というのだ。諦めて帰ろうとした時に、天童山如浄禅師に会う。求める人と正師です、こっちもわからんのが、これぞと知る。生まれて初めて父に出会う心地です。すっかり入れ揚げるというんじゃ、まだ足らんです、一切合財です、如浄禅師があるんじゃない、まるっきりこっちを映す鏡です。
ちらともあれば取れる、外れる、とっつきはっつきする自縄自縛の縄がほどけるんです。
ほどき終わって坐っていた。ほどくものも坐る自分も失せる。
忘我です。
たまたま隣単に居眠りする人がいて、如浄禅師叱咤してこれを打つ、打睡一下の因縁という、別に言語上のこっちゃない、ぱすっでもかちでもいい、これを機縁にはあっと一念起こるんです。
身心失せてものみながある、自分というものがまったくなくなって個々別々です。
「やったあ、やりました。」
というんです。面白いんです、よたよたぶっ飛んで行くんです、手の舞い足の踏む処を知らずです。
「身心脱落来。」
身心脱落し来たる、やりましたって云うんです。これに対し如浄禅師は、
「脱落身心底。」
脱落せる身心底、そうじゃないよ、もとはじめっからこうあるんだよ、と云う。ここに於てまったく納まるんです。
そうでないと、やったあやりましたの人になってしまう、あまりに強烈な体験、というのはあとからに思念なんです、それを持ってとやこうする、本来人から遠いんです。たいていもう一苦労せにゃならんです。
師嗣相継ぐぴったり行くんです。
空手還郷なんにも持たずに故郷へ帰ること、中国へ留学僧のうち、道元禅師が初物でしょう、経巻も道具立てもなんにもありはしない、つまり他は偽物ってことです。仏ではない。
これを云うに、
「眼横鼻直にして、他に瞞ぜられず。」
目はよこ鼻はたて、なんの他と変わるものはない、だがだれが出て来ようが、迷わされないたぶらかされないというんです。平ちゃらという無神経粗暴じゃない、たれかれありゃたれかれってだけです。
いいですか宗教これです。
眼横鼻直以外にちらともありゃ、それは邪教です、弊害のはなはだしいこと歴史が証明しています。
他に瞞ぜられず、まったくただの人です。
取りつく島もない=自分です。
「自分が自分に取り付くこと不可能。」
自分を知ること不可能、三世の諸仏知らずです、これ天然自生心、なを証せざれば露われずです。
帰朝第一声は普勧坐禅義であった。坐る方法これがすべてだったんです、第一声すべて、第二も第何十もみなすべてです。
道本円通争か修証を仮らんという、これをなを証せざるは露われず、まさに円通の人がこれを示す、これを透過しないことには、そりゃなんにもならんです。
普勧坐禅義につぎたし継ぎ足し行く形の正法眼蔵を、世の人眼蔵家といい研究解明といい、あるいは趣味上の物とする、そりゃとんでもない間違いです。
そんなことしたってなんにもならない、百害あって一利なしです。
眼蔵は一応にも二応にも普勧坐禅義を卒業し終わった人が見るものです。
証拠し終わってはじめて見るんです。
すると自分のありようが、鏡に映すようにわかるんです、至らずを知り、休咎を咎め、あるいは手を携えて行く。正法眼蔵まさに至宝、人類の財産です。
繰り返しいいますが、忘我身心脱落来ないし脱落身心底という、自他同じ、一回きりのこれないかぎり、そりゃどうにもこうにもなんです。
歩みを進むれば遠近にあらず、迷って山河の箇を隔つんです。
今はようもわからんだからということないんです。
目は横鼻はたて、他に瞞ぜられずとは、時代や環境によらんです。