クレエ天使よまだ女性的な
クレエ天使よまだ女性的な
手作り本を作って、「とんとむかし」という表紙には、むかし大好きだったクレエの絵を拝借、鮮やかな色彩が白黒になって、デッサンもどうもぱっとしない、はてなと思って、たまたま韓国名宝展のカタログから、申師任堂の草虫図というのをとった。シンサイムデンという、なんともすばらしい、白黒にしたって、そりゃまことに残念には違いないが、ぱくっとネズミが西瓜を噛ったり、あげは蝶が、佳人の装いの如くにおうがように飛んでいる、16世紀の女流であり、
「朝鮮性理学の巨儒李イイの母、高い人格と立派な子女教育、詩書画すべてに秀で。」
という、まったく初見参であり、他のことをわしは知らぬ。でもこれ人格高潔とか教育者という以前に、美しい、ユーモアがあり惚れこんで、何度見たって新鮮だ、イムデンさんが鏡に向かってメイキャップ、なんていうふうの清楚である。
むかしの絵と、クレエももう古典に入るだろうが、今様と、わしの年になるとたいてい文句なしに、むかしを取る。
どうしてクレエの絵があんなに好きだったんだろうか。おおかたの日本人とて、最後の審判の超大作よりも、おのれ掌する一枚、
「ぴったりと納まってものみなある。」
という、珠玉の額縁が欲しかったのか。
クレエはだけどまったくそうではない。たしかに、
「売れる絵。」
をこさえる為の工夫がある、並大抵ではない、千人万人試みてたった一人成功する底。
たしかに溢れるような才能を、自然がその眼を押さえるのだという、止むに止まれぬ欲求がある。
それを生かし、そいつで飯を食って行く。
他の人よりもよっぽど端的に行く。
首尾よう壁に貼りつける。
「人間と同じように絵画も皮膚や骨格を持っており、従い絵画の解剖学を形作る必要がある。」
という、たといどんな理由付けも、さっぱり役には立たぬことを知って、なをかつ絵描きという額縁を。
「空間と時間との区別はない、手紙のように読む必要のある絵を。」
「表現手段の純粋培養。」
肉体精神の分離を云い、善と悪の対立をいい、バウハウスでの講義あり、広範な教養とかつて伝統のくびきと。
断末魔の画家と云ったらいいか。
論議をこえてみずみずしく蘇る色彩=ただの風景。
「ある庭園の思い出。」
という、庭の風景に立ち返る。
あるいは舞台をしつらえて、汚点をまき散らしながら身をさらす、瀕死の娥。
絵画という額縁をこさえる悪を知る、日本人には到底及ばぬ理屈だ。
日本画伯など戦争あろうが、社会どうあろうが、
「絵描きでございます。」
と云っていれば足りる、ゴッホの絵100億日本画2000万の所以だ。
クレエのぴったり額縁に納まる、色彩と構成の圧倒的な魅力を、日本画風の静けさというには、とんでもない誤解だ。
いっときの非常な緊張の辺に自分が生きている。
一瞬許された空間である、ほんとうは許されるべくもないと知る。
修行の上に修行を重ねという、そういう理屈とは違うのだ。
ナチスが暴威をふるう時に、ほとんど作品がない、
「天使よ、まだ女性的な。」
と雌伏するほかない自分を見る。
その絵画の額縁に雌伏するよりない自分を、どこかに知る。
そうしてその絵はぴったり納まって、次には額縁を抜けて行く、広大な平野
に向かって歩き出す、どうにも収まり切れぬ本来がある。
それ故に絵画も額縁も捨てた現代作家の先駆となる。
でもクレエは伝統の人であった、伝統はクレエとともに死ぬ。
現代作家は森林にモニュメントを刻んだり、夢の島にトーテムポールを建てたり、大空に凧を上げたり、溢れかえるコマーシャリズムに一定のパターンを強要したり、自分の内蔵を宇宙にかっぴろげてみたりなど、さまざまわけのわからんと、わしら旧世代はたいていそっぽを向いたり。
なんにもしないのが一番いいといって、なんにもしないの一番いいことを知らぬ。
ではストーンヘンジの、オカリナの狭い心域にさへはるかに届かぬ。
失敗かひとりよがりの他にはない。
なんにもしないことだ。
蘇ることだ。
申師任堂の幸福を知るには、遠くて遠い、かえってクレエのほうが近いという、それではどうにもこうにも。