ショートショート17
2011年05月01日 07:26 せっちゃん ショートショート・証道歌
接心提唱は永嘉大師証道歌です、三島でやってみて効果のあることがわかった、じせん大人の寄付で東山寺も校本を仕入れた。
君見ずや絶学無為の閑道人、妄想を除かず真を求めず。無明の実性即仏性。幻化の空身即法身。法身覚了すれば無一物。本源自性天真仏。五陰の浮雲は空去来。三毒の水泡は虚出没。実相を証すれば人法無し。刹那に滅却す阿鼻の業。
どうですか三つごろまでだれでもまさにこんなふうです、絶学無為の閑道人です、いいやそんな持って回った事云わんでもいいです。心地を尽くすとは元の木阿弥です、仏教という付け加えることなし、妄想のまんままるっきり手付かず、もと真なんです、その上に真を求めることはいらんです、あるがまんまとはこれです、ところが人はあるがまんまという余計ことを目指す、なぜか、どうしても他にあると思う、自分はどうしようもない、なんとかしなければという、それを払拭するんです。法身覚了すれば無一物です、自分というまったくないんです、断崖から身を投げる如くです、無明が自分ならば無明のまっただなか、無明を知らんのです。心は一つです、一つの心が一つの心を見ること不可、無心とは心がないんです、五蘊皆空度一切苦厄、我汝を救い得たりと、達磨さんが慧可大師に云うのはこれです、心がなきゃ一切苦厄はないんです。実際には幻化の空身即法身、まるっきりなんにもないものが宙に浮かぶんです、これを無上楽です、たとい貪り怒り馬鹿もきあすっともかすらないんです、刹那に滅却す阿鼻の業。六道輪廻から一歩出て、七歩歩んで上下四方指差して、天上天下唯我独尊です、すべての赤ん坊がこう生まれついています。物心つくに従い外れて行く、子供は三つまでの親の恩はすべて返すという、仏さまといっしょの生活です、どんなに年を取ろうがひねくれようが、もとに帰ることができる、帰家穏坐というこれが仏教です。
坐ル煮はなんでもありのめっちゃくちゃに坐って下さい、自分に手を付けないんです、ノウハウはおのれ一個宇宙全体です、なーにさ坐ってりゃいーんです、仏の家に投げ入れて力をも入れずまるっきりの向こう会わせです、こんな楽ちんなことはない、自分始めから用無しです、飢えた虎に食われてしまって下さい、自分からとやこうする要らぬお世話、人格を整えいいことしいなど飢えた虎には関係ないんです。
2011年05月02日 07:14 せっちゃん ショートショート・証道歌
誰か無念、誰か無生、若し実に無生まらば不生も無し。機関木人を喚取して問え。仏を求め功を施さば早晩成ぜん。四大を放って把捉すること莫れ。寂滅性中随って飲啄せよ。諸行は無常にして一切空なり。即ち是れ如来の大円覚。決定の説は真僧を表す。
無念の念を念としという、こっちがあって向こうが無念とやってたって、さっぱりらちあかんです、無念とはなんにもなしです、なんにもなしを見ているものがないんです、切って落としたようにない、無生の人とはこれです、坐っていて無心という、心が無いんです。心はたった一つです、たった一つを観察不可能です、だから無いんです。坐っているとさまざまあったりなかったりする、妄念の中にそっくりはまりこんで無我だったり、あっちこっち確執あったり、呼吸困難や、すべて放捨してほうっと太息したり、みなこれ機関木人です、たとい形有るように見えてなーんもないです。仏を求めて功を施さば早晩成ぜんと、ただもうこれ機関木人です、境地がどうの仏がどうのたといどーやったとて無所有です。虎に食らわれるのに是非善悪じゃない、まるっきり向こう会わせです。どうしても坐るしかない、だったら坐りゃいいです、あるときうまく行った、あるときうまく行かなかった、とやこうすったもんだはーいそのまんまです、みずとりの行くも帰るも跡絶えてされども法は忘れざりけり。なにかしらあって苦しむんです、どこかにもとないものをあるとする、よこしまにしているんです、機関木人がそれを教えてくれる、目を向けると機関木人もない、ふーっと抜けてなんいもないんです。四大に放って把捉することなかれ、参禅者はややもするとものにしよう、わがものにしようとするんです、そうではない四大地水火風、もとわがものないのを知ってもとの木阿弥です。寂滅性中随って飲啄せよ、飲んで食ってもてめえの所有じゃない、諸行は無常にして一切空。これ如来の大円覚、決定の説は真僧を表すと、七転八倒めったやたらなんたってかんたってやって下さい、いっときよくったってそんなものなんのその。
2011年05月03日 08:06 せっちゃん ショートショート・証道歌
唯だ証して乃ち知る。測るべきこと難し。鏡裡に形を看る見ること難からず。水中に月を捉う争でかねん(てへんに占)得せん。常に独り行き常に独り歩す。達者同じく遊ぶ涅槃の路。調べ古り神清うして風自ずから高し。貌かじけ骨剛うして人顧みず。窮釈子口に貧と称す。実に是れ身貧にして道貧ならず。貧なれば即ちみ常に褸褐を披す。道あれば則ち心に無価の珍を蔵む。無価の珍は用うれども尽くること無し。物を利し縁に応じて終いにおしまず。
実証するよりないんです、類推したり想定するのは百害あって一利なし、および悟りも、悟っておれもこのくらいだからという不可です、ありがとうなどわしの提唱にお礼を云うやつ、ぶんなぐって面の皮ひんむくにいいです。宝鏡三昧は自分失せる、相手だけが映るんです、経行のさいむかいが自分になってやってくる、影が自分でこっちを見ているふう、いずれ仏教だの如来だの云うひまはないんです、水中に月を捉えるいかでかねんぜんと、常に独り行き独り歩く、前後裁断です、昨日今日明日なんてのない。達者同じく遊ぶ涅槃の路。お釈迦さまも達磨さんんも道元禅師もまったく同じです、寸分違わずです、自分というかけらもないんです。雲門の公案を授かったというおっさんがいた、もし雲門禅があったとすりゃとっくに消えています、あるものは必ず滅するんです、なんにもないから金剛不壊、とこしなえです。なんにもないからものみな世界宇宙人類、妄想にも真にも、いいことしいだろうが、あくたれうそにも通用するんです、ちらともあればつっかえ糞詰まり、けつまずいて転ぶ。智慧とはこれです。
人の云うことさっぱりわからんで、てめえの智慧をひからかす人、そんなんが最近増えている、まるっきり痴呆ですか、マルバツ式優等生の、智慧のなんたるかを知らない、女一人口説けない、きちがいにもなれないなーんだろこれ。そんなんが増えています。
調べ古り神清うして風自ずから高し、まさにかくの如しですよ、どうしようもないぼろくずのようなんでも、悟ればがらっと変ります、悟っただからおれはというのとは断然違います、一人でも半分でも出てこの世の中救って下さい。貧乏おんぼろけが無価の珍を持つ、物を利し縁に応じて惜しむ、けちることがないんです。
2011年05月04日 07:22 せっちゃん ショートショート・証道歌
上士は一決して一切了ず。中下は多聞なれども多く信ぜず。但だ自ら懐中に垢衣を解く。誰か能く外に向って精進に誇らん。他の謗ずるに従す他の非するに任す。火を把って天を焼く徒に自ら疲る。我れ聞いて恰も甘露を飲むが如し。しょう(金に肖)融して頓に不思議に入る。悪言は是れ功徳なりと観ずれば、是れ即ち吾が善智識と成る。せん(言に山)謗に因って怨親を起こさざれば、何ぞ無生慈忍の力を表せん。宗も亦通じ説も亦通ず。定慧円明にして空に滞らず。但だ吾今独り達了するのみに非ず、恒沙の諸仏体皆同じ。
上士は一決して一切了ず、はいだれあってこのようにありたいものです、中下は多聞なれども多く信ぜず、原発事故の薀蓄ですか、ただもう知識をひけらかす、ほかには指一本動かさない、てめえ知識をひけらかして、他の云うことは聞けない、大災害は起こるべくして起こったんだと思わざるを得ない。人間が先にメルトダウンしちまった、多聞にして不信、この世の終わりですか。たとい最先端でも任に当たっては譲る。ただ自ら懐中に垢衣を解く、大丈夫のなすべきことこれ、なにがどう起ころうとも一切了ず、もと解決済みの清風です、こういう人の一人半分が欲しいんです。波紋を広げる人じゃないまったく収まる心です。外に向って精進を誇らず、人に見せるための沢木興道禅ですか、みっともないったらそんなものを宗門は用い、ついに滅びてどーにもこーにもならんです。他の謗るにまかす、非するに任す、火をとって天を焼く、自ら疲れるばかり、法を知る者はまさにこのとおりやって来た。そりゃたいへんなこったですが、わっはっはわしみたい短気はこれ再度学ぶべし、とんでもないめにあった十人二十人、わっはっはあいつらまるっきり文句云わんな、さすが仏じゃ、涙が出る。恰も甘露を飲むが如し、しょう融して頓に不思議に入ると、わしはどいつも一発かましてみーんな大人しくさせちまった、口も聞かんで無視してらーな、はーいこーゆーのいかんです、mixiでもあっちこっちぶん殴って追い出して、うっはだれもよっつかねーや。でもよく坐ってるぞ、悟りそーなのいねーなもしやさ。自分がなくなったどーしたらいいかって聞くの二人いた。こりゃもーじき使えら。
2011年05月07日 12:28 せっちゃん ショートショート・けったんさま
なーんか世の中面白いこたねーかなって、たけのこはまだ出ねーけどうどとたらのめが食える、五月の青葉風が吹いて、お寺はいちめ山桜の花吹雪。こーんないー気候だってのに、がたびしふるえて寝込んで肺炎やってら、たらのめのてんぷらもげんなりったら、情けねー体たらく。
てっちゃんはばかであほう丸出しだし、かーちゃんはストライキだしもー面倒見切れねーや。具合がわりーとじき死んじまったほうがよく思えるのは、現代人の通性かな、まあわしの年なりゃ生きるも死ぬもねーわな、おまけに万ずほったらかして平然、あとはかってに尻拭いせえってやつ。
すけかんの田中もガンになって死ぬる時、引篭もりのせがれとかーちゃんの後の心配して死んだな。あいつは甲斐性ある、わしはなーんのとりえもねーや、ぐーたら遊びほうけておねーちゃんのお尻触るぐれーかふん。
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
だでさっさと死なせてくれーってのに、おいそれとは問屋が卸さねーや、これしきの肺炎でぶがぶが、ぎゃーお地獄ってわめーてりゃ、実際死のうとなったらうっはーこりゃまー大騒ぎ。
老い朽ちて人を恋ふらむ軒にしや秋海棠の花を長雨
すんなりひやーり人畜無害に行くにはさ、あれ本のゼニ明慧のやつわしの立替分忘れてるぞ、八石山ステーキの分も、そーだあこっそりつかみ取りしてこよ、あいつ庭掃除してるまにさ。
坐禅して病気に負けてりゃしょーがねーが、気張るとこほん咳出て、まーもー少し辛抱しろって、坐禅ほどえらいやついねーんだオールマイティだってのに、たかが肺炎負け、けったんさまじゃこんの野郎。
あんれ坐ったら、ちゃーんと坐れてら、証道歌はたとい死んだってぽしゃらねーんだな。そんじゃなんしろ全快すっか、はーてな説得は次の世に延期ってことに。
人間さまねえうっひーはーいはい。
2011年05月08日 09:04 せっちゃん ショートショート・どーにもこーにも
見ずや五洩石頭に参じ、先ず自ら約して日く、若し一言にして相契はば即ち住まらん。然らずんば即ち去らんと。石頭座に拠り、洩袖を払って出んとするに、石頭是れ法器なりと知って、即ち開示を垂る。洩其の旨を領せず。告辞して出でて門に至る。石頭之を呼んで云く、じゃり。洩回顧す、石頭云く、生より死に至るまで、只だ是れ這箇。頭を回し脳を転じて、更に別に求むること莫れと。洩言下に大悟す。
公案禅の卒業者みたいなのが来て、いろんなことをやってくる、みなまた脚下なーんだそりゃあほめがっての、公案を授かって坐って無我夢中に解くと、よしといわれるらしい、隻手妙音だの、如何なるか是れ祖師西来意だの、次から次に透過して、はーてさまるっきりなんにもならん、依然として自閉症の、女の子一り口説けない、仏かというとそりゃもと仏、すなおなはずがただもうてめえのことばっか。自分をなくなして来いというと、さっぱりわからん、自分とは何かと問うたことがない、なんで禅をするんだという答えがない。生より死に至るまで、ただこれ這箇、頭を回し脳を転じて、更に別に求むることなかれ。 臨済宗にこれを示すと、答えのいくとおりが並ぶきりだ。すっかりメルトダウンしている。公案といういんちきだな。行きかけの二三人に崖から飛び降りろと云ったら、二人開けた、公案禅さんは、金正日万歳と云って物笑い、大真面目にこれなんだ、メルトダウンした白隠禅も、なんとかお払い箱にしなきゃ、ただもうこれ百害あって一利なし。
らごらはお釈迦さまの子だ、らちあかん坊主をらごらという、お寺のせがれ。ほんにまあどーよーもこーしよーもないことは、お寺に生まれたら説教で、人に見せるための修行をして、禅宗だってのに坐禅が嫌いで、魚売らぬ魚屋みたいで、人格の形成を欠く、こんなもんと付き合っちゃ人間駄目になる、ちったあてっちゃん坊や見ることは見るかと思いきや、てめえ鬱憤晴らしに人に大怪我させた。ことのなんたるかを知らんのがらごらで、こんなもな到底晋山式面ない。わしが若かったらただじゃおかんのに、情けなやてめえんことだけで沢山だ。とっくに見捨てていらーな、ふん。
2011年05月09日 09:17 せっちゃん ショートショート・結婚式
六月十二日はしおあじちゃんと村松君の結婚式だな、もっほちゃんも穴井も明慧上人もさみーんな張り切って、かーちゃんまで仮病止めて行くんだって、今日はなんか揉み治療行ったぞ、止めとけってんだ、返事も十日のぎりぎりに出すんだってさ。
うわーいてっちゃんもかーちゃんもいらねえ、ホームレスの門出祝じゃなくって、どぱーっとやろーぜ披露宴。はーてとさ結婚式差定が仕上がって、
来賓親族着席、新郎新婦着席、式師入堂、開会の辞、献香三拝、啓白文奉読、酒水灌頂、寿珠授与、指輪交換、三帰礼文、盃事、新郎新婦誓いの言葉、式師示訓、先祖報告のお経、普同三拝、開式の辞、退堂。
とにかく式の前にはちゃんと覚えよ、こないだこけちゃんの時には帯がすっぽ抜けてえらいこっちゃ、卓子の下に投げ入れて、穴井侍者のほかは気付かず。なんせ腹がまんまる。もっほちゃんが音楽係り、しゅーしんに入れてもらったサザーランドの羽生の宿が、ラストローズオブサマーになっていた。すんげー声だしどーってこたねーんだけど。式師の支度部屋なくって、じゃあたしんとこでって、花嫁の支度部屋ぐはは。京都大学学士会館だった、今度はらごら坊主のグランドホテルだとさ、道具立ては揃ってるらしーから、一式車に積んでってのはいらんな。
十二月でどえらい寒かった、新潟は吹雪きだってのに、からりと晴れて京都のほうが寒い。つぎの日はわしの誕生日で、スペイン料理店で誕生祝してくれた、新婚さんはそれどころじゃなくって、みーんな二十台三十台のおにーちゃんおねーちゃんにおごってもらっちゃった、いつか返そうと思ってそのまんまだ、京都はなんでもおいしい、すなぎもの他覚えてないが、ワインもうまくってばんざーいわーいすっかり酔っ払って、藤田ホテルに引き揚げた。いいホテルだってのに閉店したらしい。加茂川散歩すると、四条大橋の下に青テントがあって、スニーカーが七足分もある、ひえこの寒い加茂川へりにって、七人もいりゃあったけーか。
加茂川の月に宿借るあしかびのしじにも雪は降りしかむとす
今度は夏のまっさかり、何年越しの恋が実ったんか、なんせあつあつのお二人さん、しおあじちゃんのためにぐーたら亭主たる、東大ロシア文学博士号ほったらかしに、ジャスコに就職した。女の力は恐ろしいのだ。こけちゃんの彼氏はノーベル賞候補最短距離だとさ、どっちにしてもちった目の出るころはわしはあの世行き。
2011年05月10日 08:50 せっちゃん ショートショート・冗談きつい
接心に小林が倒れて救急車呼んだ、なんで倒れたかっていうとよーもわからん、あいつきのこの仲間だ、救急車が来て消防車が来て、ぶったまげた村の区長がすっ飛んできて大騒ぎ。どこへ持って行くんだって、電話三つ四つかけて断られ、てっちゃんが見附市民病院にかけてよしってさ見附死人病院だな。なんで消防車が来たって、ガソリンどえれー高いころ遊んでるんだな、わっはっは笑える、悪い冗談だよまったく。
結婚式に霊柩車とか、野球チームでなぜか霊柩車に出会うと勝つ、監督がひそかに葬儀社頼んだとか、ふーんさびの効いたジョークってのはあんまし思い付かねーかな、天気予報とかけて親父のふんどしと解く、その心は、たまに当たる、美緒ちゃん得意のこやつ、匹敵するのねーかって、さんざくた考えてうまくいかねー、才能ねーかな。
穴井がカーナビと仲が悪く、頼むでナビ子ったらしょっちゅー喧嘩してたな、北海道で層雲峡へ入れたら、とんでもない沢に行く。案内を終了いたしますって、まわりなーんにもなし。二度同じとこへ案内した。わしも白鳥で有名な瓢湖入れたら、裏側へ連れていかれて、案内を終了しますって、こりゃどうにならん表へ行くのに一騒ぎ。冗談きついってやつ。こないだは高速道路入り口なし、出口で料金だってんで、
「どこにも払うとこねかったじゃねーか、冗談きついよ。」
って、住所指名記入の上一時間待たされて三千円ぱくられた。甲斐で見るより駿河よいって、富士山の裏かわ廻って行って、はてないったいだれの祟りだ、ようやく花が満開で、高遠の花を見に行こうって、ずいぶん行ったところで、「美緒ちゃんコンビニに聞いてみろや。」
って云ったら、まだ咲いてないって、仕方ないお昼スリランカ料理食べてお帰ろうってカーナビ入れたら、へーんなところへ案内する、飯田はいーところだ明慧上人お寺持て、ほんにいいお寺あらあとか、山ん中へ行く。道路工事のおっさんどもが怪訝な顔して見る、メインテナンスほったらかしの、がけくずれ落葉の山、こりゃおかしいぞ、案内を終了します、際限もなく道は続く。引き返してこんだは反対側へ行く、もーいーやどっかで飯食おう、いやだって美緒ちゃんにもっほちゃんに、電話掛けて聞いて十五キロ戻る。
旦那は大阪の領事館に行っているんだって、おいしい料理で見たことも聞いたこともないメニューがあって、酒もいーのあって。お土産買った、美緒ちゃんの目の色が変わる、椰子の実でこさえた象さんがあった、これって云ったら、耳の付け根が破損して売りものにならんです、同じのあるってなーんか色違い、はじめの買ったらただにする、わるいで刺繍の象さんも買った。帰ったら椰子の実の象さんしっぽもげた。
2011年05月11日 08:30 せっちゃん ショートショート・心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
心経のこれだけで、仏教も坐禅のありようもすべて尽くしている、観自在菩薩とは、仏道を習うというは自己を習うなり、自己を習うというは自己を忘れるなりです。一人がほんとうに考えて行き着く結果です。すべては自分を知る、自分を習う以外になく、自分はたった一つ、たった一つがたった一つを知ることはできない、自己を忘れて始めて正解です。これ西欧にはない智慧ですか、収拾のつかないテスト氏は、戦争と平和の間を行ったり来たり。万遍繰り返すのを進歩というんですか。
般若波羅蜜多を深く行ずる時、ぱーらみーたー彼岸に渡るということです、三蔵法師がそのまんまに漢字を当てた。架空の我れを立ててものみなを扱い見るを此岸という、アイでありイッヒであるそのものがおかしい、気がつくのが非情に難しい。もとの仏に帰る、これを彼岸にわたるという。実に坐禅とはただこれです。
なかなかうまく行かんです、我からという従前が長く、一切苦厄はもと仏を、我をもって邪にする故にと、時には地を這い回るような悲惨陰惨をさえ、解脱できない、彼岸に渡れない。
坐禅をしながら、うまく行っているうまく行ってないという、自分が自分を見ている、二分裂です、籠の鳥ですか。はじめから自分を勘定に入れないんです。捨身施虎、飢えた虎に身を投げ与える=これ坐禅。てめえがどうだ、いいのわるいの立派だの、何あったって飢えた虎は食うきりです。早くこれを知って下さい。
てめえなければ五蘊のがんじがらめなく、一切苦厄もなく、七歩歩んで天上天下唯我独尊、六道輪廻地獄餓鬼修羅畜生人間天井の盥回しから一歩抜け出るんです、これが仏教です、人の救いは他にはないんです。
何故仏教が行われないか、メルトダウンしているのは坊主どもかそれともって、そんなことはどーでもいーんです、正法に値う今日の我らを願うべし、自分が証する以外になく、一箇救われて地球のお仲間入りです。花のように知らない人になって下さい。一箇千万億。
遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、依般若波羅蜜多故、得阿のく多羅三みゃく三菩提。
無常正等菩提です、ひとりよがりの坐禅もなく、仏教もないんです。とやこう云いつのっているうちに、時は過ぎます。
2011年05月12日 08:36 せっちゃん ショートショート・結婚式
6月12日結婚式、式次第。
2011年05月13日 08:22 せっちゃん ショートショート・お役人様
長岡の歴史民族博物館ってとこから電話来て、なんとかかんとかおっほんお役人さまだあ、今資料の展示中東山寺の屋根普請を天狗がしたっての出とる、ちらし作ってやるからありがたく思え。なんせ地方小役人様だ、かーちゃん出て、今は屋根もかやぶきではないし、天狗の伝説のあとも残っていねーし、ちらしもらえばごみに出さんきゃなんねーし、とは云わなかったが、いらんて云った。見幕で怒られた。能足りんめが、せっかくお役人様の親切を、ならどーぞごかってに。ちらし来たみたい、ぐわ趣味わりーごみ出し。
三条のお役人さまも、四天王の看板立ててやるって来たな、なものはいらんと二度断ったら、三度めに若槻先生を連れて来た。もと図書館長さんで、いい人で腰が低く、ずいぶんお世話にもなったし、おごっても貰ったっけか坊主。先生平身低頭してお布施を差し出す。看板承知した。だれかれ面倒事あると先生を引っ張り出すんだな。もうお年だしどーしていなさるか。
坊主はお布施とお寺の宣伝、あとはあっちゃならんのさ、用のねーの来たってめんどいきりなんに、観光だのなんだの、ルートに乗って右往左往のほかに物考えたら死刑だとさ。
あいまいもこの人の顔、日本人てこーんなんだったっけ、十把一からげ、代替えの聞く、やすものソーセージみたいなさ、ちった薬味効かせるか、築山のせんぶりでも。
おおたかが四羽飛んで来た、おおたかなんかな、夏の青天に衝突ニアミスみたい、冴えない弧を描く。何を漁ってるんだ、肺炎で自棄くたばった、わしの腐臭を嗅いでやって来たか。
死んだ鯉の鳥葬は見事だったな、四尾骨だけ残してきれいに食っていた。だれかわしを十文字に切り裂いて、頭蓋叩き割ってはらわたから手足並べておくれ、おおたかわしどもにからすまでよったくって、ほんの三日。
そーだ思い出した、若槻先生におごってもらって弥彦の花を見に行ったっけな。弥彦のてっぺんまで登る、関根先生という植物の先生に、ここは固有種も豊富なんです、次から次から教えてもらっててーんで忘れて、まけに途中でふんのびた。てっぺんついてわしだけロープウェイで帰る。
なんか今生名残のよーな気がするなー、スカイツリーと同じほどの高さ。