ショートショート4
2010年07月18日 08:49 せっちゃん ショートショート・うつぼかずら
人間はチンパンジーがサバンナ生活をして二足歩行になったんじゃなく、440万年ほど前に、まっぱじめから二足歩行だったんですとさ。獲物を持ち運びできる、犬歯などいらぬ幸せな家庭生活を雌が望んで云々、科学者どもの何十年にわたる研究の末、ダーウィン以来の思い込みが覆されたーやれめでたや。ちえ糞喰らえ、進化論なんて眉唾信じるのは、小学生と科学者しかいねーわさ。
鳥もけものも美しいのに、進化論人間だけ醜悪。
科学者がまじーのとキリスト教がわりーのと。
思い込みから思い込みへの輾転反側、桃の窈窕たる、この子ここに嫁ぐ、その家室に宜しからん、あれどっかで脱線。そんでもって厳密に実証計測、へーいてめえ真相ってことは、思ってもみない奇妙奇天烈、
世の中は科学の発展のためにあるのだ、頭の悪いのはお呼びでねーの。
理論物理学っていう花形は、早く大人の答え出さねーかなかな。あほくさ。わかんねーことしか云わねーよ。大統一理論だってさソフトクリームにして食えるかな。
面抱して突っ走る馬車馬だあな、水爆作ってどっかんたって、世界平和唱えりゃ免罪符って、細菌部隊も立派な科学であって、ノーベル賞貰えばもう云うことなし。
わかんねーなどーも。。
科学は、じっと我慢の勝つまではっての、なんの満足もない。
高校生のころ湯川秀樹博士の講演聞きに行って、世の中こーんなにって、まあ死ぬほど退屈した。
えらいってことはたいへんなこった。
マッドサイアンティストって面白いんだってさ、なーるほど。
エイズウイルス作り出した博士とか、エボラ出血熱もさ、狂人って面白いんだな。狂ってねえんなら、わしらのほうが狂ってんだ。
科学者は科学者しか興味がないのさ。他は人間じゃない。
美しい女の科学者がラフレシーアになったんだ、科学者の女王さまは、わぎなだけになって、猛烈くさい花咲かせて、科学者という無数の蝿をとりこにする。
惜しいかな三日の命。
ではうつぼかずらになって、ぼうふらを飼ってもうすこし長生きしよう、理論物理学の二度と外には出られない、てめえの大風呂敷の袋小路。
ふわーあ欠伸。
2010年07月19日 09:18 せっちゃん ショートショート・あかのまんま
ねずみいるで猫欲しいったら、ひょーろく旦那が持って来た、ほれったら、がきねこさーっと逃げてそれっきり。暮れだったな、雪降って三元日、雪がもっくりもっくり動く、飛び出してとっつかまえた。法事の鮭かざして、手指傷だらけにして手懐けた。ばーさんんがナムと名付けた。
黒虎の可愛い子猫、重力を無視してすっ飛ぶ。鮭しか食わんのには弱った、そうそう法事はない、猫フードもかつおぶしまんまも見向きもせん。山猫になって、小鳥だの兎だの取った。わしの枕元に兎の足がぬーっと、止めとけったら、本堂拝敷きの上にどたん血まみれ兎、ここも困るといったらそれっきり。何ヶ月して須弥壇裏へ行くと、山鳥の羽がふわーっと何羽分か。山鳥なら法事の鮭と替えてやるってーのにって、後の祭り。
ナムもお年頃だ、どっかの雌猫がやって来て、石の上にのっかるのを、回りりめぐっちゃわしを見上げる、なんとかしてくれーって、ばーたれてめえのきんたままで面倒見れるかったら、なんとかした。どっきたねえざまして帰って来て、がーおと鳴く。なんだこのやろうって、喝入れたらしゃきっとした。
「当家の猫は虎の如し。」
と、どっかの坊主が云った。
「当家の坊主は猫の如し。」
と応じて、なにしろ堂々たるナムになった。子供が取り囲んで、
「でっけーねこだ。」
と云う、寺ん子はナムの次がせがれ、喉へ牙立てるのを押し止め。年子の妹の時はしなかった。
「お母さんはお父さんを生んでおばーちゃんを生んで、ナムを生んでお兄ちゃんを生んであたしを生んで、それから鶏を生みました。」
って、酉年ばーさんの鶏を狙う、ひよこ一匹だけだよったらそーした。迷い鳥が入る、逃がしてやろうとして、ナムだと思ったらもう取っている、家庭の猛獣ってまあさ山猫だな。
ひどい甘えん坊のくせに、山門を出たら知らん顔をする、どーなっているんかな、法事に行くと白い大猫がいて、またあいつが来た、うちのちじんじまうと云いう、見たらナムが歩いていた。お寺の猫戸棚開けやがる、鮒のすずめ焼き手つけず、かれいの煮たのとってきゃがったとか、のし歩いて4キロ四方のめすねこ孕ませた。
えらいめにあってどぶんどろで帰ってきた。洗ってやると心地よさそうにふっさり。いやがるくせに洗って欲しいんだな。
夕方消えて真夜中ご帰還だ、にゃーお帰ったぞ、うっさいほうり投げる、さかりがつくと猫の運動会だ、やってられん。
それが冬はお寺にいない、始めのくせか、ものすげーや山へ修行に行っている、二メートルほどが雪の中。年寄ったら駅でストーブにあたっていた、
「この猫めざしやっても食わねえ。」
駅員が云う、知らん顔だもんで助かる。
山へ行くと犬のようについて来る、とこっと走っては待つ、きのこを取って近くへ来ておっ放したら、三日もいた、縄張りの外はかん狂うのかな。
「こやつも大明神に三回お参りしたから、立派な猫又だ。」
とだれか云った、耳が三つ裂けていた。
武勇伝ははしょる。
つやつやの黒虎の、すだまとってやってたのがけだまができた、どーしようもないのを、ナムの天敵の娘がばりっとむしる、なーるほどむしれる、スマートになった。人の膝の上で漏らすのには参った。熱くなってうは放り出す。
美人猫が来た、しゃむねこかなんかのあいのこだ。最後の彼女になった、意のままに行かないのを、じっと待っている、ふーんボスはボスなんだ。
何日か消えていて帰って来た。
ダンボールにふとんしいて入れた、水だけ飲んだ。飲まなくなって三日、
「もう仏になってらあ。」
大往生だった、
「わしもこんなふうに死にてえ。」
とばーさんが云った。
ナムのお墓からゆーらりあかのまんまが生えた。
もう一匹猫を葬ってある、水頭症の猫で、猫好きの姉が拾ってきて、獣医に診せた。
「安楽死ですか。」
「たとい短い命だって死ぬまで飼う。」
獣医が感動して診療代ただにした。
じきにもう死んだ。
2010年07月22日 08:23 せっちゃん ショートショート・燕雀
雀は強い、改築した棟に住んだら、雀のつがいが来て出て行けという、そういえばここ屋根だった、巣作ってたなあやつ、
「やだよ、わしの部屋だ。」
云ったら、くそびいっとひって行く、部屋のしみ一番は今もついている。でもってすぐそこの鬼瓦に住んでるな。
雀らが縄張りすらむ軒のへに人も住まへばこは騒がしき
車庫へ来たつばめを、雀のつがいが追っ払う、七羽のつばめを物ともしない。鳩に餌やったら、雀がそやつをのうのうと食う。めじろと花の蜜を吸って、くちばしがでかいから花をむしっちまう。
長野県飯田市のみずひき会館は、みずひきでおめでたの他にさまざまなものを作る。
紋章をこさえてやる五万円。
作りながら講釈をする、それが堂に入っている、
「あ、上杉の家紋ですか、あれだけはくわしく書いて送って下さい、みなちょっとずつ違います、丸竹に対い雀の、葉っぱの数や竹の節から、雀が口を開くか閉じるかなど、みないわれがあります、関東管領上杉家を長尾影虎が継いだんです、えーそりゃ古いですよ、そもそも雀は、弥生時代に稲といっしょに大陸から入って来ましてー。」
すんでに五万円取られるとこだった、みずひきで家紋こさえたって、はあてなあんまり。景勝公家来丸太伊豆守、東山寺院殿一泊宗賢大居士というのが、つまりお寺の開基さんだ。上杉のゆかり。
ある日新潟市長のでっかい車がきて、市長秘書と貧乏サラリーマンみたいなおっさんが挨拶、名刺を見ると、ふえ札幌市長板垣なにがしとある。
「わたしが丸太伊豆守の子孫です。」
と名乗った。
弱った、子孫さまはとっくに所在が知れて、景勝公とともに移封されて行って、何代かのちに帰農した、れっきとしたじいさんばあさんだった。
「はい調べて置きます。」
といったら、過去帳のコピーを送ってきた、たしかに繋がっている。さても屋根普請があって、三十万がとこ寄付して貰った。坊主まるもうけ。
最近伊豆守子孫の別口が現れた。二反の白やっときゃいいのであってはーてな。
雀は激減したという。今の屋根には隙間がない、巣作りができない。あんな可愛いのにさ、舌切り雀のむかしから、ほっぺたに丸のある隣人。
燕は縄文時代からいたのかな。これもよーく人間に馴れつく。家の中に巣を作ると、戸の開くのを待って飛んで行く。うんこしょんべんひりっぱなしは、猿と鳥はどーしよーもない。
秋になって、信濃河に釣りに行くと、無数のつばめが河面すれすれに飛ぶ、どういうこったと思ったら、いっせいに大空へ駆け上がる、数千数万そのまんま消え去る。
感動の渡りだった。
一羽遅れるといくつも応援がきて、巣から連れ立つ、なるほどなあって、雀のほうが好きかなわしは。
2010年07月23日 08:20 せっちゃん ショートショート・わるがき
裾花川は戸隠の裏から流れて行く。中学のころ長野市に住んで、蝶を採集したり、りんごを盗んだり、外灯をパチンコで狙ったり、勉強はさっぱりしなかったが、そのほかのことはたいていやった。ひめぎふちょうが採れると聞いて、裾花川で死ぬところだった。洪水になって、わるがき三人で雑魚取りに行った。田んぼ川に魚がごっそり溜る、泥んまるけになって、たらいに一杯も捕った。
つい最近裾花川を最上流に遡った。有料になっていて、1人四百円ほどふんだくられる。
にりんそうが群生する。初めて見た、一つ咲くのがいちりんそう二つ咲くのがにりんそうって、三つ咲いたり四つ咲いたり、わっはっはけっこうでたらめだ。 シャトルバスが出る。
広い沼地になってみずばしょうが咲く。いわなの群れがいた。
やっぱり有料化はいい、でないと踏み荒らされ、魚は釣られ、見る影もなくなる。
いもりの池があって、久しぶりに卵塊を見た。
秋もう一度行ってみた。
もう番人はいないと思ったらいて、しっかり取られた。シャトルバスはなく30分も歩く。
老夫婦がきのこを取っていた。
舞茸にならたけとすぎたけにわんさか。
なるほど車制限すりゃ舞茸も生えるか。
巨大な岩盤が斜めに走って、すずめばちのでっかい巣がぶら下がる。
化石が出て、廃校になった小学校が博物館になっていた。
北朝鮮みたいな国を、世界中よったくってなんにもできない。
なんでだろう。
拉致されて泣き寝入りや、魚雷ぶちこまれて45人いっぺんに轟沈も。答えは明白だってのに有耶無耶になる。
なんでだろうなあ裾花川。
人をないがしろにし、おれおれ詐欺も罪悪感なし、無差別殺人もてめえ死刑になる段取りって、ー
あほらしいなあ裾花川。
だれにだって理由はあるという、人間にしかない理不尽。
鬼無里村って鬼がいないから、住民みんな鬼だからって、いやもう寒村になって猿の群れ。
いわなのひれの白いのは、みずばしょうが咲くからか。
平和ってあやふい平衡の辺に成り立つ。
年金貰っておんぼろ車の旅も平和をむさぼり。
わるがきの束の間のほうが楽しい。
どっかに罪の意識があってさ。
2010年07月24日 07:03 せっちゃん ショートショート・草むしり
草むしりも億劫になって、二00円で椅子買ってきてけつ置いたら三度めにぽしゃる、もう一つ買ってきたらやっぱり同じ。メタボで重いんだ。久延寺行ったら老和尚が農業用の車椅子くれた、物欲しそうに眺めていたんだ。真っ黒い車二つ回転式の椅子がつく、きこきこ軋むけど便利だ、ぶっこわれそーにない、夏を今んとこ草に負けずに頑張る。
うぐいすは鳴き終ったが、せきれいやひよどりと鳴き合わせて、寄って来たり警戒するのを、わっはっは我が世の春じゃなく、次第にまあどえらい暑い夏。
松食い虫で松が枯れて、あとがまはまだ若い、樫と楓と、なんしろさつきの坊主刈りしかない、植木屋高いしもっぱら草むしり。
どっかの親子やって来て、うわあトトロの森だと云った。
海水温が0,04度上がってパニック状態だって学者が云う、ようもわからんけどわしら旧世代人はもうパンクだ。
ミイラになって月山の雪景色を荘厳てなさ、悠長なことは云ってられん、ふわーい暑い、汗みずく。
エミールガレの展示館でワイングラスを買った、うっふう本物のはずがない、でもよくできで2450円で買ったら、ここにぽつっと気泡が入って、
「4600円を半値にしたんです。」
よろしいかって、
「へーい。」
と、買ってきた。
ペアの片方は完全だ。
七十の、飲むしか楽しみないってのに、大切にしていた江戸切子を雲水に欠かれた。
「あのー作り物は壊れもの。」
と、こきゃがる。こやつ新興宗教を企んで追い出され、借金踏み倒しのまんま、わしの許しを得たと云いふらす。隠れキリシタンの末裔だってさ、しょーがねえやつだ。
グラスは大きい方がいいって、おかまのソムリエが云った、なけなし五000円はたいて買ってきたら、次の日せがれが割った。岩原ワインのワインというより、なんだべーなああれは、そやつは買わず干し葡萄とグラス買ったのに。
えーともう一つだれかに割られた。
とんちきめ修行がわりーからだって、とうとうてめえで割った。
最後の江戸切子を、ボトルの底とがっちんこ。
草むしり終わって一杯飲んだ。
あっちー夕方。
ワインは安物でもグラスがいいや、あっちーのもしばらく遠のく。
でもって飲んでさ、熱中症であの世行き。
これがまあ終の棲家か雪五尺、むかしはそのぐらい降ったが、今は毎日35度の夏。
これからは金持ちだけ生き残って、良寛さんは無理ってさいっひっひ。
クーラー15万円どうすべえか、わしの部屋。
2010年07月25日 08:43 せっちゃん ショートショート・こぶし
ドライブに行く、新しい道発見といって行き止まり、曲がりくねった坂道をバックしたり、方向転換したり。冬期間通行止めをさ、残雪があったり、倒木がふさぐ。
地震はひどかった、道ごとがっさり落ちたり、ひびが入ったり。
馬鹿は死ななきゃ治らないったら、命がけの。
ゲリラ豪雨にを行く、えーい行っちまえ戻るのはいやだ、降雨時は通行禁止って書いてある。
行きて返る心の味は芭蕉、行ったきりの禅宗無門関。
いっひっひ。
じっさのこれが唯一趣味。
山ん中を縦横に道が走る、用もないってのに。バブルで作っては放置の、事業仕分けもどこ吹く風の、自然破壊。
ガソリン使って年金はたく、そりゃ優良年寄りだって、えーと関係ねーか。
道を作らせて、地区の者以外立ち入り禁止、山菜取るなの赤い看板。
みっともねえったら、さもしい日本人。
そーさなあ、歩くことができない日本人。
哲学的ってのも感心しねーけどさ、なんだろな人格のない不細工、兎やカラスにも劣る。
すたすたやって来た金毛の、うーんありゃテンだ、朱鷺食っちまった立派なおっさんだ、ど近眼か、鼻先へ来て人を見上げ山へそける。
一本の木に二00も蝶の群がる所があった、百体観音の道や、摩崖仏の村。山百合の咲き乱れる間道。
モーツアルトと二人ドライブしてたら、相手してやってもいいっていう子がいた。
「わしなにするかわかんねーけど。」
「警察に親類いる。」
こぶしの花のような、かそかな優美な感じのやることは強烈。
ちきんレースってやってみない、ぐわ止めとけ。
塩の温泉だってさ、死海のように浮く、すっぱだかになってぽっかり、まっしろで黒いものが見えて、わしはたいてい真っ黒だどぼん、わーきゃあきゃあ。
飲んでもいいよっていう、飲んだら、あたしペーパードライバーやってみようかって、うわ後ろ見ないで発進、路肩に幅寄せ、
まああの映画見よう、なんの映画か忘れちまった。
外へ出たら夕焼け、彼女は大粒の涙流す。
へえそんな映画だったか。ちがう夕映え見ると悲しいの。
「お寺へ行ってみたい。」
「かーちゃんいる止めとけ。」
塩湯に浮かんでなんんもなかってにはー
行って来たよっていう、むちゅっとキスして、坐禅蒲団のほかなんにもなかったって云う。
車幅きりの道があった、あたし練習したからって、これさ止めとけ、うわジェットコースター。
でも運転したな。
また行き止まりがあった、方向転換七回切り返し、彼女外に出て示指する、
もうこういうことしたら置いてくって、かんかんに怒る、置いてくったっておまえその。
彼女がいない、うんまさか。
谷の底に季節外れのこぶしが咲いていた。
2010年07月26日 08:17 せっちゃん ショートショート・どあほ
葬儀屋1お寺1お経読むの1だとさ、東京相場な。葬儀屋が絶対権力でお寺はゼニさえもうかりゃいい、お経読み抱えて贅沢して暮らす。お寺さんはかっこうつけて衣お袈裟目ん玉の飛び出るほどご立派にして、高級車乗り回す、ただもうそれだけ。
「あんなんでどーなんのかなあ。」
お経読みの弟子が云った。
「あいつら食えなくなりゃ反省すっか。はーてな。」
仏教のぶの字もない。
本山もなあー情けねえったら。
明治政府の肉食妻帯勝手たるべしから、世襲四代五代めに入る。御開山禅師、いえお釈迦さま以来の伝統を食いつぶした。坊主の三種の神器は嘘とはったりと空威張りってのもとっくに色褪せて、だらしなく常識なく人前にまともに面も出せない。
禅宗なのに坐禅がきらい、かっこうをするのはいい本当にやったら共産党扱い。
臨済の雲水に軽蔑された、
「鼻にしわ寄せて云うなあ、こっちだって僧堂のことはよく知っているのにさ。」
「あっはっはそりゃま、曹洞宗なんてただの信仰ってえか、問題にならんのさ。」
大徳寺の姪っこが参禅に来て、それが相度脱することあり、仕上がったお兄さんこと次期道頭と一言二言して、彼はかなわず逃げ出して九州落ちだとさ。
道元禅師の悟、臨済などとっくからものともせんのさ、でも彼らは対面を保っている、大法だ仏だ、老師というと本当に大切にする。
ご詠歌に法式猿芝居の、まあさこれ達磨さんを毒殺し、御開山禅師に後足で泥をかける。なんていうこったかさ。
最近にっちもさっちも行かなくなって、録陰禅だのとパンフレットを送って来る、そりゃ同じこった、らしくしよう、物売ろうってだけの、嘘とはったり悪あがき。
滅んだ。
宗門はお終いだが、道元禅師は永遠だ、お釈迦さまも達磨さんも露一つ変わっていない。
でなきゃこの世に救いはない。
「おまえ、そりゃ食ってくのたいへんだろうが、出家したらやることはたった一つ。」
悟りのない仏教なんてない、身心脱落来脱落身心底、自分というもののあるうちは仏ではない、坐っても坐禅にならない。
曹洞宗は、お釈迦さまの即身是仏、ほかには一遍上人があるだけだ。
一人これを継ぐ、すなわち全世界宇宙。
2010年07月27日 08:40 せっちゃん ショートショート・あほう
いやひこの蒲原田井を夏なれや朝な夕なにかなかなの鳴く
まだ明けきらぬうちにかなかな、身を切られるような辛さ,何で辛いのかと、たいてい辛いことばっかりさ。てめえというこのもの無いがよく、人生生涯とは心底これを観ずることか、親しいものを裏切り、何をどんなことやってもてめえ生き残る金正日、というのが若しや現代人。
いやひこの蒲原田井を住み憂くやまだきをさへにかなかなの鳴く
身心脱落来、身心脱落し来る=やったあやりましたあと、道元禅師が如淨禅師のもとへすっ飛んで行く、脱落身心底、脱落せる身心底=ちがうよもとっからこのとおり、なんにもないんだよと示す。
なんにもないという驚天動地、仏教だ悟りといういくら説いてもやってみなきゃわからん。我れと有情と同時成道、お釈迦さまの悟りも道元禅師の悟りも、そうですてめえの、お前さんの悟りもまったく同じ。でなけりゃ救いなく、悟る価値もない。
悟り終わって悟りなしは、もとまったく自分というもの不要、捨身施虎、身心飢えた虎に投げ与え。
打睡一下の現状公案。
ないものをどうやって説く。大小無数の悟ったさん困ったさん、うるさったいのをぶんなぐると二度と来ない。坐らないで仏教のなんの布教坊主の罰当たり、師家という未だ許されぬ何人か。これを知って得ようとする、なんとかしようという未だ急転直下を知らず。
絶海の孤島は、島流しの、なにしろ飯を食うための日送り。
物云わざるは腹膨るるわざなり、只管に打坐して癒すには癒せ。
良寛一休とほんとうに何人もいなかったんな。
人はいさなんに淋しえいやひこの蒲原田井にかなかなの鳴く
早く自未得度先度他の心を起こすべし、たとひ七歳の女流なりと雖も、この心を起こせば、すでに一切衆生の導師なり、衆生の慈父なり、男女を論ずることなかれ、これ仏道極妙の法則なり。
人はいさなんに苦しえ米山の蒲原田井にかなかなの鳴く
従来の光陰はたとひ空しく過ごすといふとも、今生の未だ過ぎざる間に急ぎて発願すべし。ただこれ正法眼蔵のみあり、救いこれあり。
2010年07月28日 08:22 せっちゃん ショートショート・カラヤン
白鵬になぜ天皇賜杯をやらねーんだ、心体一如独りよく相撲界を支えたってのに、賜杯なしとは日本人の恥の上塗りだ、昭和天皇ならば必ずって、天皇は若しや不可能なんだろうか、だって天皇の相撲なんだ、モンゴル場所じゃねーんだったら。
外野は事情知らねーからきしょーめ云いたい放題。スイスの観光鉄道殺人しやがってけろんぱ営業しやがる、日本人なんて黄色い猿かまわねーのさ、今は儲けどきだあぶくゼニふんだくれ、北朝鮮に云いなりなってる腰抜けども。ちえスイスなんて最低、いけすかねえけちども、いいかげん国日本よりゃ、いいかげんにのしつけたイエスキリストさまの選良、申しつけどおりやっときゃいーのだアーメン。
このくそあちーのに世の中ろくなことはねーや。
ぐわーくさくさドライブ行こう。
山百合と鬼百合の咲く、自然破壊も民主党なんでも反対党もくそくらえ。だーれが殺したククロビン、蓮華寺街道花1文目。
カラヤンの魔笛はまだ色褪せねーな。
カラヤン初期のモーツアルトって到底聞けた代物じゃねー、帝王カラヤンのこうあるべきっていう、アーメン国の強引、モーツアルトもなんもない、自己主張のめりはり。
でもエーリッヒクンツのパパゲーノは絶品、三重奏五重奏とうっふー極楽浄土、みーちゃんはーちゃんの奇跡ってんだ、半分はかったるいけんど。
さすがに五味康介はカラヤンの魔笛をさー、柳生十兵衛の生みの親。
カラヤンの初演は生き生きと、再演の魔笛は断末魔の辺に土をぶっかけ。
音楽という最後の砦が失墜。
モーツアルトが消えた。
ふーんなことわしにゃ関係ねーや。
山百合が美しいように、雲が流れるように、本阿弥光悦は刀の目利きで、俵屋宗達は不出生の絵描きだし、雪舟は無心そのものを表す、不思議なことに人類史上雪舟だけという。
一休あり良寛あり、即ちこれを知れるあり。
わっはっは死ぬまでは生きるかって、そんな約束はしないのさ。
みみずのぬたくった歌書こう、一筆全世界。
物云わざれば腹膨れるわざなり、文句百万だらするはずがさ、忘れちまったぞ。
新しい道発見だ、どこへ行くんかな行ってみよう。
2010年07月29日 08:31 せっちゃん ショートショート・まがたま
この夜さは寝やらずあるに萩を越え一つ舞ひ行く残んの蛍
熱帯夜の寝るには寝られず、八月だっていうのに蛍が飛んで行く、生きていくのも楽じゃないって、六十も半ばを過ぎりゃ思うはな、年金を貰ってから青春といって、オーストラリアへ行ってろうにんあじを釣ってと、耳は遠くなるしょんべんは近くなる、ものは面倒臭い、人事飽き飽きしたってわっはっは、むかしだったら大半死んでら。
名にしおふる翡翠の里と聞き越せどしの降る雨を青海川波
やまめを二尾釣って上流へ行ったら、ひすいを堀り出そうとして、スコップ投げ出したまんま人間いないしょーもないやつ。いつかとっつかまってテレビ出たのは高校教師だった。青梅川の最上流は小屋ほどもある翡翠が物の見事に並んでいる。海へ出たのは持って帰れる。一つ見つけて帰りに思ったら見失う、尺物だいくらぐするんだ重たい。
こしの国のこしは、あちゃらか語で玉をかしゅという、なまってこしになった、世界中に隠れもない玉の国だったんだ、良寛を世に出した人が、同じく翡翠の里を再発見した、そりゃ二千年来の大発見だった。大国主命と奴那川姫の因縁、名実ともの浮世の支配者になったんな。
まがたまに穴を開ける方法って、いつかテレビでやってた、竹の錐と雨露で穴が開く。
だれかやってみたんだな。
山一つ向こうに大正時代の金山跡がある。銭湯に学校に映画館もあり芸者もいて大はやりした、廃屋が二三軒見えるきりだ、
橋立の金山堀の跡を問ふに久しき夏をま葛生ふなる
わしは無駄遣いするだけの、だらしない男でゼニ金に縁がない。でもゼニいらんていう良寛の心がやっとわかった。楽ができるなんでもできる、400億もあったら祇園精舎こさえて、ひどい苦労する連中丸抱えしてってわっはっは、大きにお世話ってこと。
人の為になんかなりゃしない。
まがたまに金のネックレスか。
えーですなあ魂と永遠のしるし。
なんにもねーのが金剛不壊。
お寺追い出されたら行くとこねーし、年金は使ってしまうし。
ホームレスになるのはしんどいな。
いやひこの茂み田浦の百日紅七十夏も過ぎにけらしや
2010年07月30日 08:31 せっちゃん しょーとしょーと・蒙古弓
暑い日に烏が数十羽道路に群れている、なんだこやつはってほんとになんだこやつは。暑いと口開けてふーふーして電信柱にとまって黒ずくめ、よくまあ落っこちて死なねーもんだ、わしの仲間だでなああいつ性悪で、一五0年から長生きする。
下田三千坊ってのがあって、山のてっぺんがそうだって、ただの藪っ原。研究していた校長先生が鏡を一枚拾った、それを持って戦前韓国に赴任して本人もそれっきり。三千坊とは坊が三千あった、坊とは坊守、僧が住んだわけだ。
寒河江の慈恩寺は一五0戸の村で、むかしは一五0戸ぜんぶ坊、つまりお寺だった。一五0もあって何をしていたって、葬式稼業というより、ご祈祷や占いや病気を治したりの、まあさわしにはよーもわからん。
今は三ヶ寺か、蔵する仏像は奈良時代から江戸末期まで、重文国宝級のものがずらり、たまに御開帳がある、わしは十二神将を見た、すごいぜあれ。
下田三千坊も、ふーん黄金のもあいとか埋まってたり。
五十嵐神社がある。
五十嵐小文路は皇室より古いと云われ、那須家の親戚筋で、那須与一の扇を射落とした弓は、蒙古直伝のものと実証した人がいる、つまり45度に射る強弓だ。
裏日本がむかしは表日本であって、五十嵐家は大陸と交易があった。日吉丸がみなし児になった如く、皇室によっておそらく抹殺された。
のさばるは夏の烏か三千坊悲鳴を上げたる五助のばあさ
三千坊もありゃ加茂川の水と賽の目となんとやら、そりゃのさばっていたにちがいぬ。
鏡一枚ではどうもならんな。
秦の始皇帝が遣わした方士の一団、いやさモンゴルの軍団が衣を着て、坊主の名をかたって、若しやジンギスカンの墓がー
そうではないぞ、六祖禅師の会下が道元禅師より何百年も前に真法を伝えた。ゼニカネに縁がねーし、病気も治さねーし、なんにも祈らねえわっはっは自然消滅。
ここ掘れわんわん大判小判がざっくざく、どっかに大陸の黄金でも眠っているか。
土器やかわらけなんてつまらんぞ。
上杉謙信のころ、お寺のまん前まで海が来ていた、大きなもみの木があって、春の嵐で倒れたが、舟つなぎの木と呼ばれていた。
池浚いに池掘ってみたけど、半欠けの木片が出た。
あれわしのお寺のこっちゃなかったか。
鏡一枚故郷に帰った。
めでたしなんにもないのが金剛不壊。
2010年07月31日 08:26 せっちゃん ショートショート・しのぶずり
もののふのいにしへ垣のいつしばも紫にほへ雪割桜
雪割草はお寺の山には咲かず、向かいの山に咲く、上杉影勝家来丸太伊豆守のお城のあった山だ、この人がお寺の開基さん、大面城址といって石垣のあとが残る。白から青、紫にかけていちめんに咲く、人に云うと取りに来るから云わない。
雪割りの花を愛ほしといつしばのしのひ行きしはたが嬬として
雪割草はこの二十年世界的に名が売れて、さまざまな変り種が出来る、一鉢四十万のが出た、いや三百万になったとか。たしかに可憐な美しい花だ。
十日町の温泉に泊まったら、雪割草のカレンダーがあった、鉢植えも売っている、まだスキーも出来る季節だった。色とりどりの花がこりゃまた一年中雪割草だ。
山から取ってきて植えた花は、一年でおしまいになった、それ相応の手入れが必要っていうけど、わしは末寺から貰ったさつきを毎年枯らして、申し訳ない話、呆れて持ってこなくなった、なんの花だってだめだ。
カレンダーのわきに色紙があった。
板橋興宗禅師の書だ。
大先輩だ。
老師会下の接心に、坐ったら坐ったっきりの、飯から飯までという、のちの禅師さまは大親分だった。
何年か前に禅師を辞す、前代未聞であった。
北野元峰禅師は悟があり不出生の大、不生の人であった。そのあと仏教と云えるほどは板橋禅師のみ。
なんとも情けない、
「眼蔵のどこにも悟れとは書いてない。」
など云い触らして、犯罪にも等しい、嘘とはったりと空威張りとらごら坊主ども、よったくって宗門をつぶした。
板橋禅師が辞したのも頷ける。
芭蕉の句碑のある信夫文字刷り石を尋ねたら、宝物館の扁額が板橋禅師の書であった。立派な風格がある。
坊主どもはさっぱりだが、世間の人はちゃんと見ているってこったな。
悟はないが悟のありようを知る。
禅師のおかげで宗門も面目を保ったが、今後はどうなるかわからない。
しのぶもじずり、ねじばなも可憐な花だ。
大好きだ。お寺にいっぱいある。
せがれが総持寺に安居したとき板橋禅師であった、目をかけてくれて有り難かった。わしの一番初めの弟子は、せがれが三つのころお寺にいて、なつかしがってせがれを呼ぶ、さっぱりそりゃ覚えてない。まあよく面倒を見たのにさ。
この男とんでもない秀才で、逃げ出してアメリカへ渡って宗教を興し、大学まで建てた。
禅師を尋ねてきて激論を交わしたそうの。
挨拶もしねーで行っちまった。
なんのいわれか大岩の、
早苗取る手元やむかし信夫摺り。