ショートショート6
2010年09月01日 08:00 せっちゃん ショートショート・本
本を読むのを止めてもう何年になるか、新聞もま見ない、原始野蛮生活じゃなくって幼稚園以前かな。疎開したらなぜか美術全集があった、小学館の全集本が揃い、小説物語から科学から歴史からあって、大学受験にまで役に立った。分厚い童話の本があって読んでも尽きない、がきの理想みないな本、むかし贅沢な装丁のであんなに楽しいものなかった。なにしろ本の虫、宮沢賢治を姉と弟と三人で読んで感動した。
大学に入って授業を放り出してモーツアルトと本だった。ドストエフスキーは三遍あて読んだ、シェークスピアが面白かった、カフカもニーチェもリルケも学者どもよりは知る、小林秀雄や山本健吉ーあっはっはどーもよくわからん、なんの足しにならず、貧乏人の銭失いというんかな、ただもう笑える。
お盆の檀経で稼いだのをSFと推理小説に注ぎ込んだ、気が付いたら根太が弛む、うちぶっこわれらてんで、倅の高校で本を寄付してくれと云った、軽トラ借りてきて持ちこんだ。
校長がお礼の電話よこして、せっちゃん文庫作るという、
「そんなもないらん。」
「いえあの山田風太郎とかO嬢の物語家畜人ヤフーとかいうの、高校生にはちょっと。」
という、
「へーい。」
てやんでえ、高校生の頭ん中身90%がセックスだってえのに。
図書司の女先生が釘を刺して、廃判になるものもありますがいーですかっていう、持っていればけっこう高く売れたかも知れぬ。
どだいわしは物持ちが悪い、大切なものでもみんなぱーにしちまう、こりゃ前世からの因縁だな。
読むもの正法眼蔵しかない、そうさなあまったくに、良寛のように涙ぽたぽた落として、読むというより見るんだな。
身心と正法眼蔵が同じになる、
ちらともあればかなわぬ。
人は知らんのだな。
自分なぞこれっから先もいらん、道元禅師お釈迦さまがあるっきりだ。
生活とはまったくこれ。
読書とは何か、知らんよそんなの。
2010年09月02日 07:27 せっちゃん ショートショート・竜宮の使い
じゃりんこ知恵ちゃんもあられちゃんもさ、面白かったのに、そのあと漫画見てない、漫画の世の中終わったかというとそーでもないらしい、ゲゲゲの女房の朝ドラ流行ったり、新潟は漫画王国だといって英才教育したり、うっは漫画、世の中人みな漫画になったら、そうさなそれでまあ一巻の終わり。
じゃりんこ知恵が四コマだったら長続きしたのに、はあてさ、さざえさんは国定教科書だった、さざえさん見て行くとさざえさんの会話。面白かったな、そういうことはもうないか。
96歳のばーさんの詩が流行ると、おまえさんだってまだ間に合うぞだって、うっふふ。
日本右翼はだらしがねえ、命を捨てるなんてねえ連中だな、金正日ぶっ殺したら漫画ネタになる。世のため人のためだあ。マスコミをぶん殴るにはどーしたらいい、詐欺がいい、昭和年号スクープに匹敵するのは、金正日の馬鹿孫に水爆持たせる、うっかりぼっかんてスクープ。魚雷はCIAの悪ふざけ。戦争がなきゃアメリカは成り立たない、儲からない円高になる、アラブの次はわっはっは日本マスコミってのどーだ、フセインよりもカダフィよりもお頭弱いぜ、弱いとこをめちゃんこにする、骨までしゃぶってイラクだアフガニスタン。今のもいつの世の中もそーゆーわけだな。
弱いっちゃ坊主がいっちお弱いから、漫画にしろって、坊主頭お袈裟着せて猿芝居はいおしまい、うっはっはなんにもはじまらねーや。
三つ巴のアラブにユダヤにキリストにって、地球の癌だね水爆一発。
つまんねーことしゃべくってねーで、このあっちーのなんとかしろ。
みーんな気象予報官のせいだ、憎まれ役徹底やるには、金正日をじゃなくってさ、池の水が細い、えさがやれない、鯉がひものようになる、フロリダの地下水脈かっぱらって来い、おーいどらえもん、弥彦山の向こう日本海へつなげ。
湧き溢れる泉。
竜宮の使いが来るぞ、わっはっは今んとこわしの漫画
夢に見よう、夢なら鰓つけないで潜って行って
2010年09月03日 08:05 せっちゃん ショートショート・がっこ
長野から秋田に引っ越して、秋田のわるがきどもと遊んでまた所変わって面白かった。秋田犬にそりを引かせて四人乗り込んだり、わだち跡が凍結してスケートしたり、スケートリンクぬるんで係員が陥没したり、
「だから今日は止めとけ。」
「はーい。」
帰って来た。
山の洞穴につららが下がってその下に石筍じゃなく、氷旬が出来ていた。円いつるつるの。
雪は真横から降る、長いケットを被ってちょこちょこっと走っては軒から軒へ、かーちゃん連中は巧みなものだった。
高校の生物部へ入った。ちょうちょ採りの延長で、ひめぎふちょうをお初に見て、きちがいになって採りまくるものを三年の先輩が、
「可哀想なことをするな。」
という、ぽけえつ突っ立った。
そういうものかと心のどこかで聞こえ。
祠のわらしべにつるした餅を取って、焼いて食う、凍み餅だった、それはうまかった。
仁別というところへ森林トロッコが行く、太平山のふもとで、秋田杉の産地だった。村はあったが道なんかない、だれかれ森林トロッコで行く。
乗り込んで、このあたりってんで飛び降りたら、しくじって二回転半、ばっさの心配そうな顔、我が子を見るような、なぜか一生忘れない。
清流があって、やまめを三0も釣っているおっさんがいた。春先へびがうじゃらけて、一匹に噛まれたという蛇採りがいた。太平山には一度だけ登った、白い石があって割ると水晶が出た。
トロッコは帰りは杉丸太を積む、みんなで乗り込んで帰って来たてたら、
「わっ。」
と声がして、トロッコが止まった。ケーブルが張ってあった、そいつが首にはまって、外れずに落ちる、十メートルの谷底だった、奇跡的に岩と岩の間に落ちて、かすり傷で助かった、ひめぎふちょうの先輩だった。
どうしているかな。
すべてがなつかしく、てめえ悪たれの分だけ余計で、だからこうやって物語るのも、隠して置きたい分が多い。二度と戻らない、時空間とはよく云ったもので、たとい山川の姿は変わらずとも、もう二度と行きつけない。
おくの我が物思ひせむは大杉の太平山とぞただずまひけれ
弟子が秋田に縁あって、わしは何十年して行ってみた、覚えのある所なぞなかった。当然だ、立派な道路が出来てビルが林立して~
清やけしや早稲の田浦を雄物川浮かべる瀬瀬に思ほゆるかも
きりたんぽに鉈漬けにいぶりがっこにはたはたずしににしんにひろっこに、それはみんな家庭料理だった、商品とはぜんぜん違う。
2010年09月04日 07:48 せっちゃん ショートショート・はげたか
ちえ坊主組合かどーしよーもねーな、禅宗が坐禅もしないで空威張りお寺さまやってる、越後は仏教国だって、越後こそは長く仏教のぶの字もなかった、
「我が道首を回らせば実に嘆くに耐えたり、天上人間今幾人ぞ。」
と、良寛の云うとおり。
巨人阪神のテレビを見た、真剣命懸けみたいなバッター、こりゃ人間だあほーっと一息。
なんでおれんとこ呼ばねえって、偉そう坊主がいう、先住はなにがし因縁でだからおれはって、張ったおしてくれよーかまったく、おまえさんを呼ぶなんの価値がある、嘘とはったりの猿芝居、よくそんなんで生きていられるーだめだこりゃ通用しねーや。
金持ち坊主が痛風になった、ワインしか飲めねえってさ、仏罰の当たるのが遅すぎた、なんせ法堂博士の、血の一滴もないしろうるり、子供さえ逃げ出すなーんだこりゃ、食えてりゃ反省もしねーのは金正日と同じだが、くわけったくそわりー。
暑いんで夜中も明けっぱなしの窓から、月が上り雲が浮かんで星が見える、無上道の月、雲の千変万化は妄想の数ほどあっはっは、絵なんかよりゃ面白いなあ、百物語も及ばない。
テレビでニューギニアのごくらくちょうを見た、滑稽で哀しいダンスはまさにこれ極楽。こんな不思議なものがあるのものか、天才の発明なんぞ足元にも及ばぬ、三千年もの間ニューギニア人が真似る、ごくらくちょうになりたいとさ。それは嘘だ、嘘だと知って進化すべきだ。
極楽鳥の絶滅を防げ。
人間一匹生きて行くのに、何百何千の生き物も、生き物でないものもぶっこわす、破壊する、くそひったって還元しない、死んだってCO2増やすだけだ。
こりゃ人間もとっこ用なしってこったな。
良寛さんがまずはもっとも無難。
至道無難唯嫌けん(棟のてへん)択、ただ憎愛無ければ洞然として明白なり、洞然明白はなんにもない、なんにもないを知るものさえないこと、少しは無駄使いせずにすむ、いたずらを止める邪しまを擲つ。
人が極楽の踊りをする、木人正に歌い石女立って舞う。
物真似では断じてない。
坊主なんていう禿げ鷹役立たずの唾棄すべき、ああそんなこっちゃないのさ。
記録破りの猛暑は思考力を麻痺させる、
秋になったら反省するか。
人類曲がり角。
いえさもう遅すぎるかどうかってことをさ。
2010年09月05日 07:38 せっちゃん ショートショート・釜茹で
見たこともない冬の街の夕景がとつぜんになつかしく、号泣するには声も出ない、なぜかといってなぜかわからん。霜柱の枯野で涙ぽろぽろ、初秋の風の音など、自然と人間の関わりはめったになく、失禁の涙や、そけっぱなしのデザインだデフォルメの、情感を搾り出すには、馬のけつがぷっかり茶釜になり、芝居のはねたあとの杓子定規。
台風一過底無しの天、ようやく秋が来たと思ったらまた台風だ、でも萩の花が咲く、なんとも爽やかな。
人類曲がり角も絶望もさ、秋が来て冬は雪降る。
願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ
西行はその歌の通りに大往生したという、心なき身の苛烈極まりない生涯を、日本史のなかにこんなやつは二人といなかったか、つれつれ草のあやしゅうこそもの狂ほしけれは、一人二人そんなのがいたか、傷ついた獅子のようなとてつもない兼好法師、ゴッホは西行のほうか、ピカソも地下室の手記もあやしゅうこその室内楽か、リルケもカフカもどんずまり、オドラデックか腐ったりんごか、なぜかもう帰ってはこない。
年をへてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山
西行はどこへも行かず、新鮮で不思議な命を。
ここもまた我れ住み憂くてお去りなば小松は一人にならんとすらむ
号泣するものこれ、更に心の幼びて魂切れらるる恋もするかも。女なんていうもの消えた世の中という、せせら笑と肉と物、いやそんなことあるはずがない
心なき身にも哀れは知られけれ鴫立つ沢の秋の夕暮れ
おのれが許されなかった男の行状記、おのれが許される者今の世いるか、頭なでなでお役人さまいいことし阿呆、断然不可。
いくたび野垂れ死んで、腐れほうけて蘇る。
無心もと心の無いことをしる、無いものは金剛不壊、決して損なわれることはない。
釜茹でになった石川五右衛門は、てめえの子をつっさし上げて煮えくたれ。 俳句にも歌にもならぬ事件だ。
わしは五右衛門風呂の底を抜いちた、坊主ども十日も風呂へ入れずえれこった、大展三謝、そうさなわしにできることといったらわっはっは。
2010年09月08日 08:34 せっちゃん ショートショート・古墳
今は長野市になった松代に大室古墳群というのがある、古墳が500も見つかっている、墓と同じに二代三代と使うらしい、先代のを押しのけて安置するなど、千曲川の向こう山ぜんたい古墳群で、円墳方墳前方後円墳さまざま、その上に江戸時代の墓地があったり、ぜんたいの発掘はこれからだそうで、なんせ入り口が人の軒先を行く。
「鏃だの埴輪なんてつまらねえ、ツタンカーメン黄金尽くしみてえな金目のもんねーんか。」
「いやあのそーゆーもんは。」
「さばよんで世界遺産にしれや、年三000人の見学を二十万にして。」
「県も市も努力しております。」
「お役人じゃなくってさ、商売人雇え、イギリスのストーンヘンジだって詐欺まがいのいいかげんだって話だぜ。」
すっかり嫌われた。
おねーちゃん達に鼻の下長くして説明してた学芸員さま。
じっさも発掘作業に雇ってくれっかな、時給八00円でかんかん照りうわー止めた、時給万札何枚かくれりゃ、ネイルアートでも埋めといて、掘り出してやるのにさ。
ボランティアだってさ。
雲がなびいて龍人の里ってのいけるかな、古代人だってなにか壮大なわかりやすいイメージ持ってたんだろーがさ。
「あのよ。」
「ばーか。」
わっはっはわしの知ったことか。
大室古墳も仏教伝来までか。
「閻魔さまってどんないわれの人かわかっか。」
「そりゃやっぱり裁判員裁判のはーてな。」
亡者一号だってさ、どえらく貧乏くじ引いたわけの。
ずーっとやってなきゃなんねーんか、なんてえ理不尽な。
世の中理不尽。
裁判ておかしなもんさ、因果必然=ただそれだけって知るには、人類はまだずいぶんかかる。
知る人は知ってるのさ。
閻魔大王くじ引いてっと、わっはっはおっぱいのような円墳がいーか。
2010年09月09日 08:29 せっちゃん ショートショート・さそり
知床の花の岬を今日もがも神威肥やさむわれ他所に見つ
ひぐまの牧場で見たひぐまは顔だけでこーんなにある、
「逃げたらいかんです、向って行けば向こうもこわいから。」
先生さまはそう云うんだが、あんなの向うとかなんとかの問題じゃなく、白熊のほうがもっとでかいって、なんたってこりゃ別世界。
幸いニアミスもしなかった。
せがれが高校生で弟子と、わしは北海道初体験。
羅臼らは今夕しくしく舞へるらく笹にかんばの衣着けながら
おしょろこまを釣った、リリースするのって云われて、でっかいの二三匹ポケット入れたら、そいつが十二三匹になる、
「だからハングリー世代はいやだってえの。」
こっぴどく怒られて、
「釣ったら食わんけりゃ申し訳ねー。」
他で釣ったいわなやまめと、若いの二人健気に燻製器に載せる、外でやってくって云われて外灯の下。わし一人宿のご馳走食って酒飲んで、
「なんだ遅いじゃねーか。」
ふーらり行くとまだ半分がとこ。
「申し訳ねー。」
酔っ払って寝ちまった。
かき暮れて宿を借らむに白糠の鮭の遡上るを眺めやりつつ
次の日、どこでも泊めてくれたのが、なぜか断られ、坊主頭をオームと間違われたってふーんもしや、
かき暮れて宿を借らんに馬主来の右に問へれば左にそける
バシュクルって地名だとさ、三軒四軒断られ、真っ暗になって公園に来た。水道もトイレもある、テントを張ってランターンがこわれている、車のライトを点けた。
食い物も買ってない、十勝ワインと、
「そうだあったぞ、いわなとおしょろこまの燻製だ。」
骨もまるごと食えておっそろしく美味い。
「お寺のあとを継ぐのか。」
「うん。」
「ふーん。」
らごら坊主なんてしょーがねえけど。
はか行かぬ話して、さそりがばかでっかい満天の星。
秋長けて神威廻らへ音別の怒涛に洗ふあれはさそりか
2010年09月10日 08:00 せっちゃん ショートショート・心経
無所得の故に菩提薩た(土に垂)ボーディサットバ修菩薩行は、これをだれも知らない。自分のものもとっからなんにもない、仏を我が物邪にしない、だから坐禅が出来る。どうしようこうしようだからという間は坐禅にならない。なんにもないもの観察すること不可能=彼岸にわたる=般若波羅蜜多の智慧。故に心無け(罫のトなし)げ(石に疑)まっさらなんの疑いもない、ちらともかすらない、無有恐怖まったく投げ出して恐れなし。飢えた虎に食わせて、なんにもなしは金剛不壊、傷つかず損なわれず。細には無間に入り大には方所を絶す、大自在を得る、ものみなを涅槃という。究竟涅槃ニールバーナ自分が風景が自分になってこっちを見る、転ずるんです。コペルニクス的転回いやまあそんなものの比じゃないが、遠離一切顛倒夢想です。流転三界夢のあぶくと消える、六道輪廻を一歩抜けて天上天下唯我独尊です、世の中顛倒夢想です、不成立で成り立っている、三界擾擾事麻の如し、まずもって痛切に気が付いて下さい、にっちもさっちも行かんと知って、依般若波羅蜜多です。依般若波羅蜜多故得あのくたらさんみゃくさんぼだいです。忘我をもって根本となす、自分を知は忘れること、世間の云う平和と愛の因果必然、棄恩入無為真実報恩者人間の基本わざです。
世尊因みに外道問う、
「有言を問はず無言を問はず。」
世尊拠座す。
外道賛嘆して云く、
「世尊大慈大悲、我が迷雲を開いて我れをして得入せしめたもう。」
乃ち作礼して去る。
阿難仏に尋ねて問う、
「外道は何の所証有ってか賛嘆して去る。」
世尊云く、
「世の良馬の鞭影を見て行くが如し。」
心経の具現まさにかくの如し。
無門日く、阿難は乃ち仏弟子、恰も外道の見解に如かず、且つらく道へ、外道と仏弟子と相ひ去ること多少ぞ。
外道いまだ本来を知らず、行って袖を取って示せ。
2010年09月11日 08:32 せっちゃん ショートショート・山月記
若狭湾はいわゆる湾岸気候で、ぽっかり晴れるとあくる日はどうっと風、吹雪になってしくしく雪降る、うすら寒く曇りになって晴れてと冬中繰り返す。
鉢の子、応量器はお釈迦さまの頭蓋骨と云われ、地に落としたら即刻下山。三つ指に支える、その指に唾をつけて凍みつかせて行く。足のほうはずぼらで雪じきに馴れつく。指は鉈でぶっちぎられるようで、映画にもなったなんとか楼の辺りまでもー
「ほう。」
と声出して行く、法というのと鉢がなまってほうとなったというのと。
寒行托鉢は寒三十日二月四日の節分まで。
ほうと呼んで行く、一つになろうとすると却って外れる、ほうほうと声ばかりが澄みわたる、若狭の海に吹雪きをたきこんで、これは雲水名利に尽きる。
小浜の人は毎日出迎えて喜捨する、そっちのほうがすげーやなと云って行く。
わしの得度の師は断食と托鉢だけで暮らしている、岩船のど田舎で神様の右隣みたい、行い清ます聖僧でもって、逃げ出しちまったわしは、せがれにお寺譲ったらはーてなどうやって暮らしたらいい。年金だけの肉食妻帯、うんまいもの食っておねーちゃんが大好きで釣り坊主で、てんでいーことなし。今更うらやむわけにもいかんし、托鉢なん忘れてしまった。逃げ出して托鉢したら、米ばっかり貰って動き取れなくなった、月の夜中よっぴで歩いたらり。電車に乗って八王子の友人のところへ転げ込んだ。新婚早々へ泊まり込んで、おまえも出家しろって云ったらしい。
八王子から小浜まで行こうとして、草臥れる死んじまう、師のもとには帰らず、庵主さまんとこへ転がり込んでもって、発心寺へ安居。
わっはっはぶっ倒れそうになって抱え上げられた。
あとは省略さんざくた。
今弟子が二人行く、この年の猛暑にもめげず、むかでに咬まれ蚊に刺されがんばって、一人はなんとか行く、一人はドイツ語の勉強だあな、本末転倒。
そのずっと兄弟子は悟り終わって托鉢に出た、開聞岳から年頭の挨拶なんてやってきたが、あるとき托鉢したら、そんなことしてないで早く正業に就けと、どっかのばあさに云われて、それかあらぬか婿養子に入った。じき晋山式だ。発心寺にいる一人が立職する。
山月記の虎みたいな、ひぐまの檻の不貞寝するひぐまみたいな、えーとそんなわしの法を継ぐわけもねーか、お達者でな。
2010年09月12日 08:21 せっちゃん しょーとしょーと・万国屋
上古には人もありしを明治には志士も出でしをつらつら椿
十二月何日であったか酒田の本間屋敷はお休みで、本間美術館と大正天皇の御幸に建てたという別邸を見た。藤原せいかの書があった。さすが上代のものは違う、江戸時代の書は面白くない、西郷や山岡鉄州が品位もあり迫力もある、勝海舟のようもわからん字が、藤原せいかに匹敵する、そんなもんかなあと見て雪の降る別邸に入る。
大正時代のガラスですといってゆがみぼやけてなつかしい。贅を尽くした杉や檜や大欅、見るもの聞くもの忘れちまうのが年寄りで、宝物あって覚えているのは庭の雪景色だけ、なぜか花の栞を売る、買って来た。
戦にもつつがなしやと思し召せ飯塚邸は地震に倒れ
新潟の飯塚邸は昭和天皇をお泊めした由緒ある家だが、中越地震で半壊した、別邸も地震にはどうか、旧木造は弱いとだれか云っていた。
代々の松せめてなりたや殿さまの本間屋敷に雪降りしきる
本邸は門構えと松を仰いで行く、もうじきお雛様を飾るんだそうの。
御幸には本間屋敷の別邸の花の栞はたが為に売る
温海温泉万国屋は田中角栄嶽山会の定宿で、新潟人にはおなじみだ、なぜか知らんがかーちゃん慰労でもって三回も泊まったか。酒田に行ったときは、係りが車のキーを雪の辺に紛失、客あしらい絶品の万国屋には珍しい、江戸時代からの老舗で、フランス万国博覧会の因みに万国屋にしたそうだ。酒田まで電車の旅は吹雪の海岸がいい。
おすすめの酒田の鮨は江戸前でなく、なんかもちもちして面白い。
次の年も泊まったら支配人がすっとんで来た。
「申し訳ありません。」
なんだと思ったら、やくざが泊まっている、いえコンパニオンを三十人と聞いて初めて気がついたんですが、酒田の大親分の襲名披露だそうでして、
「大浴場は入らないよういってありますし、出会っても知らん顔っていうか、普通に。」
へえやくざかってんで大浴場に入ったら、くりからもんもんの若いのが三人いた、わしを見上げて眼を飛ばす、ふんやくざなんぞにって、腕力じゃかなわねーか、メタボ腹叩いてのこり。
ロビーにいたら客が親分扱い、ふーん頭剃ってるしな。どうだったって仲居に聞いたら、やーさんは面白かったってさ。
花のころ行ってそれからあと行かない。
万ず人いずはたよりは押し寄せて流転三界塩の花咲く
2010年09月13日 09:00 せっちゃん ショートショート・水母
鶴岡の由良の浜には水母の水族館がある、加茂の水族館といって発光のメカなんかようも知らんけど、だれかさんの研究で名を売った。見ていると面白い、ふーらり自由自在、水母こそ我が命ってわっはっは中枢神経のない、唯我独尊永遠回帰。
二人して水母の海に吸い込まれ広大宇宙が檻の中なる
深海艇に乗って行って、発光くらげにうるくらげにくしくらげに猛烈毒のふーらふらに大行列にって、心行く我が浮世ってのを味わってみたい。
わっはっはじき飽きてろくでもないことを考えるか。
北朝鮮開発のレビュー水母ご存知喜び組、水母の宇宙服はナサのえーと、イオンロケットでもって虹の七色ふわりふーっと全天に覆いかぶさる宇宙船、水母内視鏡は究極の日本医療、排泄してもけっこうけだらけ、CIAの拷問水母とか捕虜収容所向け。
はてなあ貧相品薄。
水母で見たことのあるのは、あんどんくらげみずくらげ泳いでいてばちばちっと刺す細長いのや、三メートルもある越前水母ってのこりゃもう化け物。
磯に透明な帯が浮かぶ、一メートルもあったなんだと思ったら動く、これも水母だってさ。
真水水母っていうのもあったなあ、ほんの親指のほど。おねーちゃん二人大喧嘩して、釣りしていたがきんちょが親にしがみつく。うははあの沼どうなったか。
加茂の水族館の手前に八乙女温泉というのができて、冬一泊した。
吹雪に荒れて塩の花がふーわり。
空しくは塩の花なむかもめ鳥由良の浜廻のきぬぎぬをかも
八乙女の由良の浜辺に雪は降り鷲にてあらむ島に宿仮る
鳶だってさ、それでも猛禽。
地上を歩くにはナイフがいると、どっか詩人が云ってたな、ナイフは知らんが銭はいらーな、わしみたいぐーたらは一人じゃ旅も覚束ない。
水母って何が面白いのかな、摩訶不思議。
荒城の月とは聞こえま悲しや誰れか命の茶を喫し去る
大回りして会津へ行った、鶴賀城には荒城の月の歌碑が建つ、その前に茶室があった。
白虎隊よりは若しや水母。
2010年09月14日 08:11 せっちゃん ショートショート・奥社
女プロ棋士の草分け木谷門下の庄司和子さんが、妙高のサンライトホテルにいて囲碁の指導にあたる。新企画の囲碁雑誌に、太田医者の口利きでもって、娘のおたえが漫画を描く。太田医者の先代はアマ六段で、地方じゃ随一だった。そりゃもう日本棋院には足向けて寝れねーやと云ったら、おたえのやつ編集者と喧嘩してあっさり止めちまった。責任者が庄司和子プロだった。わしは謝りに行った。
ついでに同寮会しようといって都合つくのを誘った。
さすがプロで、強いのもいたが碁盤二枚並べて、
「あらお強いわね。」
「困った負けそう。」
なとおっしゃって、わっはっはだれ一人勝てなかった。
わしは弱いし遠慮した。
妙高までは二時間で行く、そのあと行って打ってもらった、ついに六子を越えず、彼女は接心にも来た。
プロで食えるのは十五人ほどだという、厳しい世界だ、あとは指導碁をうったり余力で稼がにゃならん。
いっしょに奥社まで行った。
「あたしは歩くの強いのよ。」
のたのたするわしを尻目にさっさと歩く。
戸隠は中学のときに蝶を採りに行く。
たいていは一の鳥居から二軒茶屋まで、奥社は朝四時起きのとっぷり暮れて八時ごろ帰りついた、すっからかん勉強もしねーで親父に怒られて、そんなこたお留守で、すいみつとうかっぱらって弁当の代わりにして、辛い大根抜いて食ったり、きべりたてはやおおいちもんじやうちむらさきしじみや、手もふるえて採って歩いた。
奥社にはすずめばちの巣が三つもぶら下がって、その裏を登って行くと高山蝶のべにひかげがいたが、時間の余裕はなかった。
庄司プロは参拝客と元気な挨拶を交わす。
川にいわながいた。
「へーえ復活したんか。」
死んじまった同寮生といわなを取ったっけ。
惜しいやつは死ぬんだ。
すずめばちの巣はなかった。
三四年して庄司プロとも同寮会とも疎遠になった。
同寮会はお年のせいだな。
つい先日参道さしむかいの忍者屋敷に入った。美緒ちゃんもっほちゃんと三人、入ったら出られない仕掛けで、こりゃもう入り口からだなって、人の入るすきにさっさと出て待っていたら、どえらいめにあって二人ぶうぶういって出て来た。
「蝋燭の棚を横へ動かすとぽっかり開いて。」
それからがたいへん、
「そっか。」
わしは何でも省略するで碁も強くならねーんだ。
2010年09月15日 08:10 せっちゃん ショートショート・シタール
ゲリラ豪雨が来た、あと三0分も降るとやばいかな、築山が川になって流れる、池は茶色になって溢れそう。いつだったか恒規大般若に降って、お参りが三人しか来なかった、山になるお寺はどんざん流れ、池の鯉ごと流れて、山門の向こうの前谷地が水びたし、信越線がせき止める。
行ってみると中ノ島は、わしは野次馬で必ずすっ飛んで行く、いちめんの海だった、田んぼが何百枚も水につかる、十日もつかってとうとう駄目になった、小沼大沼赤沼という水はけの悪い村だ。
大竹貫一が私財をなげうって、分水をこさえる以前、中ノ島は三年に一回米が獲れたという。信濃川とあばれ刈谷田川のデルタ地帯、洪水の伝説は今も残っていて、何代も聞き伝えて、うわーったらあっというまに水につかっていたなど、大木に人が乗っかって流れて行った、家ごとぽっかりとか、単純でものすごいのを目の当たり。
わたしさんという人がいた、綿引というらしい電話じゃわたしさん、山門の四天王を見ていた、
「仁王さんがなんで四つあるの。」
「これ四天王ってんでな、仁王さんみてえ褌一丁じゃねーのさ。」
「あらそう。」
東山寺と与板の別院に二人坊主が来て、さし向かい安堵しようという、いやそういう伝説。
四天王は四つの柱、黒青赤白と東西南北を表して、白が北方毘沙門天、上杉謙信公の守り本尊、五穀豊穣をみそなわす。
わたしさんはわしみたいにはいよって云ってさっさと忘れ。
彼女は若かった、ホスピスの看護師でもって、インドに旅して恋をした。彼はシタールに入れあげて、シタールこそは楽器の総元締め、使わない絃が十三本もある、練習して指の骨がむきだすってえ人もいる、尊敬します、とか。
わたしさんが彼をお寺に連れてきた、何人かよったくって演奏を聞く。かぼちゃくりぬいた共鳴器、軽いことは軽いんだが、珍なのがよく、聞き終わって旦那が、フランス流の批評つまり悪口だな、フォロウしたが間に合わず、わたしさんはかんかんに怒る。
「わたしの悪口なら我慢します、彼は真剣なんです。」
シタールってのどうもいまいち、のちの楽器に発展した若しや抜け殻、
「わたしさん貢君の一生かい。」
「そんなのいや。」
何とか云ってそれっきりになった。
その彼氏、古くからの大旦那伝兵衛さの甥っ子だった。
そうか世間はせまいな、わたしさんは津川の名物狐の嫁入りに応募するって云った、嫁入り道具一式貰える。
大洪水になった。お寺もやられたが、伝兵衛さとこは危うく免れた。
あとを追いかけて中越地震が来た。
収まって大凧合戦のとき伝兵衛さに聞くと、
「あの二人離婚しちまった、今の若いのは辛抱が足りねえ。」
と云った。
わたしさんのせいか彼のせいか、わしのせいじゃねえぞ旦那のせいだ。
2010年09月16日 08:13 せっちゃん ショートショート・すずめばち
すずめばちが巣作った、きいろすずめばちだ、天井裏だどっかはぐらんきゃ取れねーか。去年は山の上り口におおすずめばちがでっかいのこさえてた、ぶんぶんうなっているところへ、業者が木を伐採してぶん投げた。危なかった、ぼんのくぼのあたりやられて、かーちゃんがまむし酒つけたら、腫れがひいたって医者にすっ飛んだ。
ここ何年来やられている、弟子が何人もやられた、若しや二度三度刺されると死ぬって、まむしの毒より強いんだそーの、ショック死だ。なーにこんなんて云って、放置した弟子が足むくれて来て、医者へ行って一泊した。
思い出した、きんたまのあたりもぞもぞ、布団はぐると10センチもある、これはおおすずめばちの女王だ、五月だったな。
住職さまは偉いから刺さない。
みつばちはお墓へ巣を作る、ちょーどいいらしい、二つ三つあって殺虫剤で始末する。みつばちとすずめばちの戦争も見た、なんせ熱で焼き殺すってえからみつばちもすごい。
その巣取ろうっていう檀家がいて、立ち会った、墓石下ろすと真っ白い蜜蝋に黄金の蜜、ふわーきれいだって感激。雪の降る直前だったな、野郎めこわがってわしが手突っ込んで掻き出した。
一斗もあったってえけど持ってこねえ。
お寺なんて間尺に合わん。わしはなにしたって行き当たりばったりのその日暮らし。
朝のまだきからかなかなが鳴いて、切ないようなもの蒲原のさ。
蛙合戦の池に、まむしの棲家にすずめばちに、うわばみみてえなやまかがしがいたり、たぬきの溜め糞にはつたけが生えて、いやさすんげえ門前にろくでもねえ坊主どもに、うっふう四十年の歳月が過ぎた。
そうしたら龍舌蘭という、先住が植えたんか、草むしりの邪魔してひでえ棘の葉っぱが、もくもく株を増やして花序がすーるり伸びる。
百もの花をつけて見事に咲いた。
センチュリーユッカというらしい、百年にいっぺんの花。
生死さへ忘れ呆けて八潮にぞセンチュリイユッカの花咲きにほふ
龍像の伝への如く閑そけしや百年古幻の花咲きにほふ
テキーラの材料だとさ。
応募した歌がNHKの歌壇に出た。
いいことあるぜえって伝兵衛さが云った。
歌は二つ三つとって貰っておさらばした、あほくさ。
龍舌蘭は三年にわたって咲いてもとに戻る。
ぼけの実が落っこちていた。
彼岸になる。
草むしりして、水の出たあとをかたずけて、
「ばかめ寺継ぐってのか、うっふ。」
てっちゃんは禅師を招聘に行く。
来年の十一月五日六日と禅師のほうから決めて来た。
ありがてーこったな。
仏達失われずありし感激は我が美はしき若き阿修羅も
美緒ちゃんの身障者手帳で薬師寺展を見た。
仏の他になんにもありはしないのさ、ふうっと楽しい。
2010年09月17日 08:25 せっちゃん ショートショート・天人
北原白秋の二度目の奥さんが離婚して、利休の菩提寺である聚光院に転がり込んだ、坊主丸め込んで勝手放題、一千万だ一億する茶碗だのふうっと消えるどえらい話、あと釜たいへんだったって、お偉い人から聞いた。白秋先生は趣味悪いってより女ならもうだれでもよかった、ビートたけしもその口だな。ベートーベンの恋人の写真じゃない肖像画か、人は変わっても同じ顔して、同じ風で、なーんていうんだろう、女にはなくなった品位かな、わっはっはなんせもうがきみたいにまっしぐら。
めかけ五人持った成金が、まるっきり同の寄せる、目ん玉でんぐり笑っちまう品の悪さ。
ゲーテの恋人は千差万別、各別個に愛したってえやつの、也太奇也太奇わっはっはお疲れさま。いや男ってのは女がないとつぶれ狸、つれそうこともっともよし、クサンチッペも野村夫人も、はーてわしは知らん。
ここのまり十まりつきてつきおさむ十つつ十を百と知りせば
君無くば千度び百たびつけりとも十つつ十を百と知らじをや
貞心尼の良寛どのは、幼いから大好き人間、惚れたはれたの数知れずかどうか。
流転三界中、恩愛不能断、棄恩入無為、真実報恩者。そうやって出家して愛とはなんぞや。
二十三の娘が死に化粧する、棺桶の蓋開けたらはあて天女様。
色欲はとうに失せて、たとえようもない美しさ。
西塔は飛天になりて鳴りとよみ見れども飽かぬ月を廻らへ
天女に惚れたって、永遠の恋だって。
見たふう聞いたふうなこと云ったってしょうがないやな。
テレビで白神山中の秋を映す、紅葉に霜を置く、くりたけが生える、心なき身にも哀れはと、物申すだけ余計だな。
ここのまり十まりつきてと、自分が失せてきって風景だけの、たとい天女に恋するたって、そのものずばり成就する。
天竺へ行かなかったいって耳を切った明恵上人は、風景と一つになってはいない、何故か。
無心とはすべてを所有する。
梅渓という書がすばらしい、他のへたくそ生真面目な書も大灯国師。
十八年間乞食をしてうっかり瓜に釣られて、死ぬる時は骨が抜きん出て只管打坐。
そうだよう究極の恋愛上手。
真珠庵の一休みたい、うっふう大騒ぎしないのさ。
2010年09月18日 08:04 せっちゃん ショートショート・象潟
田口なる廃村にしていくつ軒けものを追へば猫にしあらむ
スキー場や豪華なリゾートホテルの隣り合わせに廃村がある、なぜか不思議な気もしない。手つかずの自然なんてもうない、廃墟と化した東京なんて正に冒険野郎のねらい目だ。ホームレスは暑い夏で消えて、金持ちが生き残って、うまいもの食う遊ぼうってしかなく、山川買い漁る中国にそそのかされて、金正日がお祝いの水爆をぶち込む、あとつぎばんざーいだってさ。ふわーい欠伸。
のみしらみ馬のばりこく枕元
人間不在の荒廃は、俳句もできねーかな、
ばりじゃなくってしとにして、歌碑は最上川の上流にあったか、待てよ川が変わって鳴子の郷の方だったか。
芭蕉は越後に入ってえらいめにあった、越後女は詩人といううさんくさいものは認めない、わしもかつては詩人のはしくれであって、それ相応にどえらいめにあって、うっかり弟の嫁にした、この世の終わり。
一つ家に遊女も寝たり萩と月
交番に突き出されるぞ、いやさもくもく分厚い手して草むしり。
芭蕉は曾良という上の空引き連れて、五00両という豪華な旅、
わしらにはコメントの仕様もないか、
ホームレスで歌人もいいけど、猫のほうがぞっこん。
なんで人間は毛皮捨てたんだ、なにもうじき生えるってさ。
弟子とおねーちゃんどもして、大間岬からフェリーに乗ろうってんで、真夜中鼠ヶ関から酒田へ。ぽっかり満月だ、中秋の名月。
風流心を起こして、鳥海山へ行こうったらだれも賛成しない、
「だれか熊に食われたって。」
「月でもって逆さ鳥海をさ。」
「あれ夕陽なんだろ。」
登るにつれ霧がかかる、行ったら戻らぬ主義、一寸先も見えぬって五メートル先駄目だ。そろーりそろーり一どうにか下りてきた、みんなふーんと黙っている。
象潟の道の駅は、夜寝るところが作ってあった。
象潟や雨に西施が合歓の花
なーるほど眠いから眠るんだ、寝ずが関ってのキーンとトラック野郎。。
「うんでもってせいしってなんだ。」
「うん何回聞いても忘れっちまう、いいかげんな野郎さな。」
女でねーんかはてな。
松島は恨むが如く象潟は笑うが如くって、いや奥の細道のあと隆起して陸地になった。
眠れずに走る。
田んぼの中にいくつ松島。
「笑うが如くって。」
「いやそういうわけじゃー」
ほんにこれじゃ風景にならん。
2010年09月19日 08:27 せっちゃん ショートショート・江ノ島
何十年ぶりかで江ノ島へ行く、さくらがいがあるよって、どろちゃんが拾って見せた。
「ふーん。」
はんかけのさくらがい。
木の桟橋にかきがいっぱいくっついて、弁天様は池にーむかあしむかし。
立派な橋ができて人も車もひっきりなし。
どっ汚い水に釣り人、ごんずいが釣れたってさ。
参道は変わらず、弁天小僧ゆかりの宿もあった、どろちゃんがその宿取ってくれた。どろちゃん一家は善行に住んでいて、兄弟だーれも家を出て行かない、この親不孝ものめってさ、なんせ善行でもって住み心地がよくって。
わしは鵠沼にいたな。工場と畑とさ、小田急のレールに石を並べて電車が急停車。工場のモーターを押さえ込んだら、うわっぱりが巻きついて死ぬとこだった、わるがき。
江ノ島に仰がむものは富士の嶺わたつみうみに思ひうちよせ
遊行寺を行き過ぎがての思ほゆはつとに忘れし幼な心ぞ
由良の浜に奥の江ノ島という所がある、島を一回りできて赤い鳥居もある、磯っぱたに禿げ頭のおっさんが竿を出す、
「何を釣るんだ。」
「いいや。」
蛸を釣り上げた、こりゃ名人だ、
奥の江ノ島は水が澄む。
八乙女温泉というでっかいのが出来た。坊主どもがよったくった。わしんとこと秋田のさまやんと同じ距離だという。村上から二人勝木から一人、うちにいた弟子と、うーんなんせ師匠が悪い、一杯飲んだら麻雀だ。
卓球だ野球だ釣りしたり海にもぐったり、わっはっはだれかれ文句も云わずって、聞こえずってだけのさ。
五月の接心にしゅうしんとさまやんに、牡蠣を取ってこいと云った。
岩牡蠣だ、生でも酢も焼いて食うもいい、フライがなんせ美味しい。二人もぐってぶるぶるふるえて、ちんたましぼむといって取ってきた。
食ったら全員中った、多少早かった、食中毒とちがって次第にひどく、接心初日二日と討ち死にだ、ぶーたら寝ている。しゅうしんは二度と牡蠣は食わんと云った。
わしは人の三倍食ってけろんとしていた。
「修行がわりいからさ。」
「ぐわ人間じゃねーや。」
さまやんは寺の婿養子になった。ばあさが先生上がりで、娘大威張りの、すったもんだとち狂う。
悟りのわりいせいだな。
収まってみりゃ、こいつお寺様になりたかったらしい、そんなみっともねーやつ弟子にゃいねーけんど。
2010年09月20日 07:46 せっちゃん ショートショート・円空仏
円空仏はロシアのなんとかさんが発見しなけりゃ、何百年ごみあくたのほったらかし。日本人はてめえの目で見ない、今は文人写真屋評論屋だれあって円空仏様さま、あほくさ廻ってごみあくた。知らんけどあいつたしかに成仏してニールバーナ、仏の幸せを200%表す。彫刻が手段で、肝心要の仏が鑿を手に一所不定住で歩く。仏師の技能より仏を示ししたい。ニールバーナを無上の喜びそれ自身。
「有言にあらず、無言にあらず。」
荒削りしてそっくり自然になる、仏のまわりに全世界が躍り出る。
こんなすてきなことはなかった。
庶民は円空仏を削って、薬の代わりに服用する。
あっはっは効いたかも知れんな。
見よやこれ巨大なる木はひび割れて新紀元なる円空仏は
死期を悟って断食してミイラになった。
たいしたもんだ。
今年の夏は暑かった、とんでもなく暑く草むしりもお手上げ、草も暑気あたりと思いきや、日影や水のあたりわんさか生える。どうにかむしって彼岸には間に合った。
葬式稼業の生臭草むしりだけが命、
楽しさは草をむしれば様変わりつゆ咲く花の珍しみ秋
七十の光陰空しく草むしりあったら日差しを我が心栄え
浮世のやぶれ釜踏み抜いて出家して、すったもんだなんにもできず、せっかく法を継ぐもの一人半分未だし。
わしはなにをやって来たんだ。
親不孝のかぎりを尽くしてさ。
うっさい食って飲んで歌って、おねーちゃんどもでいーじゃねえか。ふん鑿一丁に人生のピラミッドだと、くわーすげーやわっはっは。
たとい名は知られずともさ。
飯山の正受庵とふ花をねんじ白隠さんにはなで伝はらず
有名人白隠どのか。なーんだなこりゃ。
花が咲いていた、わしんとこにもさ。
花一輪たとい我が生涯。
はーてなホームレスになるよりミイラだぜって、難しいってよ今の法律。
2010年09月21日 07:37 せっちゃん ショートショート・田中一村
あだん咲く三千世界一村の涙溢れて極楽浄土
田中一村の絵は十年まえ横浜のそごうで見た。すでに人がわんさか寄ってたな、孤高の画家ってんで向こう受けしたんだ、最後の三十枚ばかりもう動けないってふうの、絵というよりもって絶句。奄美大島が神殿になった、世界宇宙あるいは人生になって、清清しく他なんにもし。漫画と化して行く画壇に追っ払われて、どこへ行こうって奄美は偶然だ、必然はてめえだ。自分という出世作を失い去って、初めて道ですか、失い失い去ってかつかつ現実です。
絵になるとは何か、東山かいいもすんでに絵にならず、百年三百年のちの田中一村です。よくまあこんな世の中にさ。
ふだらくやミイラになりて漂いにあだん花咲く奄美の島へ
おふくろが死んだ朝からすあげはが飛んできた、
「いいから行け、もうおれにはかまうな。」
と云ったら、めぐりを舞い飛んで去る。
蝶に夢中になっていたがきを、からすあんよと呼んだ、まっくろけな足にひっかけてさ。
親不孝のまあさ仕放題。
弟はアルツハイマーで死んだ、姉は今施設に入っている。
云うことはないのさわしは。
地獄も極楽もなく、雲の踊る大空があって、日月星辰があって、花が咲いて、水が流れて。
過現未なし、一村の絵をもう一つ他愛なくしたらそうさなあ。
悲痛すざまじいことは、ふーっと吹けば三遍も死ぬか、笑うこと底抜け、思想なく宗教なく。
各々の方面に知覚を遺さず、群生の長しなえに此中に使用する、各々の知覚に方面露れず、是時十方法界の土地草木しょう(薔のくさかんむりでなく状の犬なし)壁瓦礫皆仏事を作すを以て其起こす所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の仏化に冥資せられて親き悟を顕す、是れを無為の功徳とす、是れを無作の功徳とし、是発菩提心なり。
腸のうして断腸の思いは、菩提の心よもに長ずと。
2010年09月22日 08:28 せっちゃん ショートショート・角
温泉津温泉ゆのうず温泉と読む、島根だっけか温泉のそりゃもう古株、飛び込みで泊まった宿の前に、角の生えたおっさんの像がある、浅原才市妙好人とあった。
こんなふうに記す。
如来の御姿姿こそかかるあさましきわたしのすがたなりなみあむだぶつなみあむだぶつ
角のあるのは私の心、
合掌させるは仏さま、
鬼が仏に抱かれて、
心柔き角も折れ、
火の車の因作っても、
みな消されて其の上に、
歓喜心にみちみちる、
嬉しはずか(りっしんべんに鬼)し今ここに、
蓮の台が待っている。
妙好人とは在家の門徒だな、これだけ修行して歓喜を得蓮の台はなみたいていじゃないんだけど、仏教とは云えない、もう一歩進めないとそりゃなんにもならない。
ぶんなぐって父母未生前。
妄想教の門徒物知らず、どこまで行ってもらちあかん。ないはずの心をもてあそび、いたぶりいじくる。
車座になって大きな数珠をくって、なんまんだぶつ百万べん唱えるという、法悦忘我あるを是。
だがもとそれっこっきりを知らない。
今の世なおさらとち狂ってどーしよーもないな。エログロナンセンス、救いようもな真っ黒け。
小説作法書いた丹羽文雄ってのが、今様ページ開いたやつか。門徒坊主が悟ったんだといって狂いなって、日本刀振り回して豚箱へ入ったっけな、妙好人が悟ったらどうなる、ただの人になれるか、狂うほうが大。
仲居のばあさは人物だった。
恋患いひいっひっひいとて温泉津の角に生ひたるばあさま椿
よく練れて修行というあとかたもなく、萩の北門屋敷の弓道三段という仲居とは格段の差があった。てめえを押し付けることをしない。
鍵かける風呂あったんにさ、恵美子ちゃんに振られた。きしょーめ頭来た。あとになってなんでアタックしなかったのって顔する、わーお修行不足で口説けない、てっちゃんに遺伝したんだ。
2010年09月23日 06:50 せっちゃん ショートショート・生死
生を明きらめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。
坐禅のノウハウはこれです、生死とは起こってくることすべてです、妄想も真実もです、明きらめるとはまったくの手つかず、生死の真っ只中に身心を置き放つこと、まさに飢えた虎に食らわれる如くです、是非善悪の判断=こうあるべきだからどうなるごと食われる、そのまんま涅槃です、坐禅とはこれです、生死を離れるとはお釈迦さまあって自分というまったくなし、仏あってよこしまなし、救われるとは一大事因縁と究め尽くすことです、究めるものが消えている、尽くすものなし無上楽これ参禅です。
きす二匹釣ってふぐばっかり、引き上げて帰って来たら眠くなる、モーツアルトも駄目だ、声張り上げて歌う、気が付いたら反対車線のガードレール、タイヤパンクしたけど停めた。振り向くと普通車にワゴンに大型トラックがいる。ワゴンから飛び出してきて、
「どうしたんだ、余所見運転か。」
という、
「ちがう居眠り運転だ。」
なんにもなしで、みんな行ってしまった。
よくまあ助かった、国道だった、三台も名人運転がいたんだ。
まだ寿命があったってことか。
てめえもうない、大法のためにしなきゃと思い、そうだって決心したら忘れている、ぬかにくぎかな。
柏崎だった。
そこから中越沖地震が這い上がってきた、三日後わしの命が助かってー
人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善の助くるに依りてすでに受け難き人身を受けたるのみに非ず遇い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生最勝の生なるべし。
彼岸に雨降ってきのこが出た、見たこともないのがどっさり、取って食おうかって前科一犯、晩秋取って食ったらトイレへ三回、黙っていたら家中行く、それからはきのこ禁止令。
でもあいつ苦味があったのに、これ苦くないぞー
たとい国難の時にあたって、わしのような路傍の石っころも若しや役に立てば。
2010年09月24日 06:52 せっちゃん ショートショート・マリノ
マリノというイタリア料理店があった、建物もしっかりして洒落ていて粋な絵や中国の玉を飾る、いつ行ってもがらんどうで昼は流行る、料理はいける、一品取りゃ腹いっぱい、サラリーマンの食堂になる、年百年中変わらぬメニューだったな。
運ちゃんがわりにかあちゃんと行ったり、客連れて行ったり。
「今日はまただーれもいねーなあ。」
「はいだーれも。」
「熊が出たせーかな。」
「ぎゃはは。」
お世辞もないマダムが笑った、どんぐりが不作で熊が出た年。
この九月で止めるという、年寄りが認知症になったんでっていう。
最後になった、せがれの晋山式の相談があって役員ごと行く。
「ここは第一産業道路だし、ずいぶん盛ったんね。」
「新幹線と高速道路できでばったりか。」
熊の出るところじゃねーけど。
ワインもちゃんとあったし、わしには手ごろだったのにさ。
田舎は車、一杯呑むたってそりゃ億劫だ。
マダムがわしの手とって、長生きしてくれと云った、うん死ぬまで生きるよってお別れ。
北極海にポリニアという凍らない海ができる、強風が吹いて深海の水を盛り上げる、なんかようもわからんが、栄養満点で夏は15度にもなる。
鯨やいるかやあざらしに白熊のオアシス。
くらげだのクリオネにおきあみやたらがわんさか。
珍らしい一角獣の海なんだだってさ。
角の長いのがメスを得る、海から突き出してみせる優雅な角比べ。
歯の変形らしいが、なんのメリットがあるのか、無用の長物の長い方が偉いってのは拍手喝采。
角突き合いもせず、突き刺して魚を取るんでもなく。
勝ったのがメスの背中を撫でるってだけの。
角の消えた一角獣ってのはどーだ、ナンセンスそのもの。
わしも無用の長物だ、わっはっは角のない一角獣か、せがれにあと譲ったらホームレスだな、人間はゼニがないとオアシスにも行けねーしな。
2010年09月25日 07:40 せっちゃん ショートショート・禁煙
禁煙できねーなんてあほだ、わしなんか七回もやってるっていうと、みんなげらげら笑う、次は八回目かってわけで。わしは一年は止めて、また吸って、今は止めてもう15年になるかな。空手馬鹿の羽賀がニュージーランドへ連れてくといった。空港もだめ飛行機もだめ、向こうは煙草ぽい捨ても野糞しても罰金30万円、レンタカーのいいの借りられん、民宿するとその家高く売れんという。仕方なし止めたら、なんのことはない、ニュージーランド人煙草ばかすか吸う、どでっけえ野糞ひってある。
まあさそれっきりだで腹ヤニも消えたか。
煙草止める方法は、煙草止めるってことな。理由つけたら必ず反対の理由がある、ノウハウしには逆ノウハウがある、体に悪い命が惜しいってんだら、死んでも煙草吸うとか、一つ二つ数える、吸いたいおのれを見据えるって、うざいほっとけ数わかんねーとかさ。
わっはっは100%成功してかくの如く、きしょーめメタボ腹になった。
むかしは布袋腹といったんだ。
わしの倍は膨れてるのが参禅に来た。若いみたいだしこーゆーのろくでなし、このくそ暑いのに、借金たけて道っぱたで立ちん棒してるやつ。聞いてみたら理論物理学だとさ。世の中にまだそんなもんあんのけといったら、口をぱくぱく科学を擁護する、純情だ。
女の子に絡んで振られてばかりの数学博士いた、嫁なしで五十になったか、頭よかったらおれ物理学やってたんだとのたもうた。
そんじゃ頭いいんだ。
「独身だろ。」
「結婚してます。」
「そんなんでよく相手あったな。」
「以前はすっきりしてたんです。」
「うんじゃ詐欺だ。」
「あの奥さんのほうも膨らんで。」
せっかくの脳味噌でーじょぶかよ。
中国共産党め尖閣諸島だとさ、因果必然のほかに仏教の武器なし。日本がつけ払っているのか、中国がダライラマや諸悪の落とし前つけるのはいつか。腰抜け日本が領土失ってめ見るのが先だな。
理論物理で計算してみてくれ。
わしにゃ煙草吸いの因果必然しかわからんでな。
2010年09月26日 07:30 せっちゃん ショートショート・自殺
癌はかびだって教養のねーのが云ってたけど、人間のはびこった処って地球の癌だな、コンクリートとごみあくたと心身症で覆って栄養もない、詐欺と喧嘩とゲームと炭酸ガスしかない、住めば都とわしも癌細胞になって行くか、ゼニあったらなふわーい欠伸。この年して立ち上がれ日本のたすきかけて托鉢して歩くか、共産中国にぐうの音も出ねーでさ、うっふう漫画にもならねーされこーべ。
暑い夏が急に冷えてへんてこきのこが出る、さしものきのこ博士も諦めるよりないか、まつたけしめじ山だったの。
成上がり中国の毒ガスで松が枯れ、しめじも香茸も死に絶えた。
わしは九一までは生きると手相見が云った、しんどいなあと二十年。
八十歳仏寿、お釈迦さまのお年までは十年足らず。
大恩の万分の一ほども返してと思うんだけれど。
こんな手紙が来た、
「里親になって育ててきた二十歳の若者が、職もなく将来の希望も持てず自殺した、責任を感じて夜も寝られず、可哀想で辛くて、今となってはどうすることもできず、血圧も上がり体調を崩しています、人生とは何か、人一人救えなかった自分がみじめでー。」
なんとかしてくれってわけだ。
はーてさっさと死んじまえとも云えず、わしにゃ坐禅しかない、殺し文句の新興宗教、儲かる手立てはねーのさきしょうめ。
どーもこやつらちあかねーみてーだし、ありがたーい普勧坐禅儀と、
「この橋渡るべからず。」
「曲がった道をまっすぐ歩け。」
一休さんじゃだめか。
真正面に向き合え、面と向えばない、逃げれば追いかけてくる、追えば逃げる。どんな問題も同じだ、自殺も殺人も国家腰砕けも一億円詐欺もさ、妄想に多種あったろうがおまえさんは同じ。器は一つ。心は一つ。
無心=心が無い、ないものは傷つかず病まず、金剛不壊。
そーさわしはこの一本さ。
あほんだれめが。
注意一生怪我一秒、脇見運転してやがって。
地球の癌だろうが生死の問題しかないのさ。
弱り目に祟り目でゼニカネ吸い取る宗教に、わっはっははまりそうだな。
金正日もおまえさんもいいことしい、あいつ可哀想だ根も葉もない乞食根性が。
てめえが救われんけりゃ、人を救うどころか足ひっぱるだけだな。
くもの糸に群がりたかる亡者。
2010年09月27日 08:12 せっちゃん ショートショート・まつたけ
坊主というものは遣唐使船に二人三人乗せて行って、海が荒れると投げ込む、なんまんおだぶつ役に立つか、飯食わせて飼ってりゃ当たり前。お経読んでお布施払ったら、即ちこれ越後坊主の伝統かな、嘘とはったりと大威張りの、ありがたーい法要だ随喜の涙流して、なんか情けねーんだかほかに人生の意義がねーんだか笑える。
「坐禅では草もむしれません。」
とは、越後師家の言い種だ。
禅宗だってのにさ。
お寺さまになりたいってのが、教区御寺院さまに出家した、石ころみたいにこき使われて逃げてきた、なんとかしてくれって、なりわい坊主いらんおっ返した。法式博士の和尚は、血や涙の一滴もない、坊主パイはおいそれと食わすわけにゃいかん、偉いのは先代さまでたっといのはてめえの寺で、ほかにゃなーんにもない。縁のあった子まで逃げ出した。彼は務め上げてお寺さまになって、お礼奉公に来た、ながーい法要に随喜の涙流していたっけさわっはっは。
こりゃあもう別世界だな。
間違っても坊主にゃならんこった。
そいつが坊主になってさ、托鉢して歩いてたら日が暮れた、泊めてくれんかと戸を叩くと、
「うちは今病人がありますから。」
と断る。
次の家も病人その次の家も病人、こりゃ流行病か、しょーがねえお宮に泊まると云ったら警察呼ぶとさ。
ぽっかり月が出た。
十五夜お月さんだ。
そんでは一晩中歩いてやれって歩いていると、うしろから自転車が来た、
「ぼんさま泊まるとこねーのけ、だったらうちに泊まれ。」
という、地獄に仏だ、月夜に仏かついて行った。
蚕を飼う家だった、そこいらじゅうに蚕の棚、
「風呂へへーれや。」
「はい。」
かあちゃんタオル一枚で出てくる、なけなしのご馳走をさ、赤ん坊と夫婦と坊主と川の字ならぬ並んで寝た。
ありがたいったって苦しいほどにさ。
お経読んで出てそれっきり。
養蚕業は仏教ってこった。
今年もまつたけが来た、年々高価になるまつたけ、車椅子になって、そうして今は入院したっきりのばーさまが送ってくれる。
心苦しいたってなんたってこれ。
お釈迦さまは如来応具正遍知。
このばかたれはさ。
弟子から岩牡蠣が来た、うんではこっちが先だ、そのまあうんまいこと、ポン酢つけて赤ワイン。
うわーい堪能あしたはまつたけー
どうしようもねえなあ、投げ込まれるか荒海へ。
2010年09月28日 08:37 せっちゃん しょーとしょーと・こぎん刺し
じょんがらの津軽三味線これなんに飲めや歌へや雪に寝ねやれ
津軽三味線の山上進をお青森に尋ねて行ったら、有名なったからもう出ないって民謡酒場が云った。黒まぐろに青いほっき貝に生きた蛸にかぶと焼き、飛び切り贅沢食って田酒飲んで、お寺で山上進とジャムセッションしたピアノ弾きの幸ちゃんは、どでんでん太鼓をひっぱたき笛を吹き、助平親父がともに踊っておしりさわったり、はあてな酔っ払ってあとはようもわからん。
雪に歌いながら歩いたっけ。
冬の青森は迫力があった、凍りついた滝があって、海ではほっけ釣ったりのりを摘んだり、雪がなくっても40キロでびったり走るなぜだ、三代丸山は夕景浮世の終わりか始まりか。バッハだっていう思い切ってろくでもないのを聞くバーとかさ。
吹き溜まりバーとは云はむ底なしやロートレックの風にしも聞け
山上進は申し訳なかったと、お寺のために作曲してくれた、ありがたいんだけどモーツアルト頭にはだめか。シャンソン歌手でデビューした人がいて、女どもが講演会しようっていう、聞きに行ったけど今一。
いやうまいんだそーの。
山へきのこ取りに行ったら、どこもかしこもきのこずらない、そだ取らぬ林は荒れて、暑い夏でもって菌も死に絶えたか。
今年の冬は寒いってさ。
わしはへんくつで、わけもわからん山歩きが好きだ、茂み葉を見上げても、草の穂もよし、日が当たったり、ぽっかり雲が流れて行ったり。音痴でも歌うのは好きだが、野っぱらじゃ歌わんな。
音楽が生み出せりゃハッピーだろうけど、田中一村のように絵が書けたらって、無能のでたらめもハッピーかな。
山菜取りはしんどいし、きのこは絶滅、あっはっは坐ってりゃいいか。
願はくは花のもとにて春死なんそのきさらぎの望月のころ
西行の希望はない。まだ娑婆のつとめが終わってないか。
一人でも二人でも無心を授けたい。
なんにもない無上楽を。思い凄まじと良寛の云う、わしも寒晒し野晒しの、身を守るすべもなし守る身もなし。
ハッピーとは正にこれ。
一人二人救いえてどこでもかまわんぽっくり。
吹雪して津軽女がしくしくのこぎん刺しとふこれな忘れそ
こぎん刺し四万五千円なんとかなる、母ちゃんにお土産おうってもう一度みたら四十五万、うわああの一万年のザック買った、地味でいてぱあっと目立つ。