とんとむかし5

うらめしや

とんとむかしがあったとさ。
むかし、六兵衛という、何やらしてもさっぱりな役者があった。
馬の足やらせりゃ半歩多い、たった一つのせりふ先にいっちまって、主役が台なし。

「しょうがねえなあ、おめえは面だきゃ一丁前なんだが。」
といわれて、のっぺり面なでさすって、
「そんでもおらあ、芝居が好きなんだ。」
といって、松の木なんかかかえていた。
ところがあるとき、首くくってぶら下がる役があって、みな縁起でもねえっていうのを、六兵衛が引き受けた。
それが、とてつもなくうまく行った。
三尺高い木の上から、ぶら-りぶら下がって、目ん玉むく。
「ひええあいつ、ほんものじゃねえか。」
といって客がざわめく。
のっぺり面の妙に生々しくって、ぬうっと突き出た足の、ばかでっかいのがいい。
芝居よりその首つりを見ようとて、客が押しかけた。
六兵衛は得意満面。
袖をなのめにしてきせるはこうと、草履の揃え方はまっすぐの方がいいか、
「おれも役者のはしっくれ。」
というには、みんな、たかがちょんの間とはいわぬようにした。
飯どきに、飲めない酒をちびいと飲んで、
「こういったぐあいに。」
目をむいて、べろうり舌を出す。そいつは、やり過ぎだともいわないようにした。
そのうち、
「首くくって死ぬるのが、人間本望ともうすもの。」
といいだして、はてみんなそっぽ向く。
それがあるとき、とつぜん仕掛けのかぎが外れて、縄がしまる。満座の客が息を飲んで見つめる間、六兵衛はほんとうに行ってしまった。
幕になって、
「どうした、もういいから下りてこい。」
といったが、ぶら下がったまんま。
役人がやって来て、大騒ぎになった。
「首吊り六兵衛、本望を遂げ申し候。」
と、小屋の前に札を立てて、出しものはそれっきりになった。
そうしたら、その六兵衛の幽霊が出た。
そんなはずはないがといって、待ちもうけたら、ほんとうに出る。
「どうした、本望ではなかったか。」
と、座長が聞くと、
「一度でいいから、見得切ってみたかった。」
と、幽霊がいった。
「ようしやってみろ、みんなで見ていようから。」
といってみんなして待つと、両手をだらんとぶら下げて、幽霊が出て、
「うらめしや、本望でござる。」
といった。
「やっぱり一句多いか。」
とは云わぬようにした。



ひとりぼっこ

とんとむかしがあったとさ。
むかし、ひとりぼっこという、これもこわ-い、お化けがあった。
ひとりぼっこが、おっかさんに化けて、みよという子を、さらって行った。
みよは、歌が上手だった。
みよが歌えば、人も草木も、ほろりした。
ひとりぼっこは、みよに、白いどんぐりを食わせた。みよはそれっきり、ものを忘れて、ひとりぼっこのために、まんま炊いたり、洗濯したりして、働いた。
歌うのだけは覚えて、その歌は、高い峰や、木々の梢に、響きわたった。
竹の太郎という者があった。
山中を行くと、ほろとて歌う声がする、さがすと、昆布のような着物を来て、はだしの女の子がいた。
行ってみると、もういなかった。
村へ出て、人々に聞くと、その子は、ひとりぼっこに、さらわれたという。
ひとりぼっこは、なんにでも化ける。
姿は見えない、刀で切っても、槍で突いてもだめだ、
「たった一本きりある、頭の毛を抜けばいい。」
といった。
竹の太郎は、犬をつれて、山へ入った。
犬が吠える。犬の先に、焼き灰を撒いた。かすかに異臭がして、あとをつける。
犬は、泡を吹いて死んでいた。
なおも行くと、石の上に、ひものような着物を着た、はだしの女の子が立つ。
「これをお食べ。」
といって、白いどんぐりを、差し出した。
「なんでおまえは、ひとりぼっこという。」
竹の太郎は、聞いた。
「ひとりぼっこだからさ。」
「どうして人をさらう。」
「みんな槍で突いたり、刀で切ったりするからさ。」
「そうかな。」
女の子はふうと笑う、その手から、白いどんぐりをとって、竹の太郎は食べた。
それっきり、ものを忘れて、みよと二人、ひとりぼっこに使われて、水を汲み、たきぎを取って働いた。
みよが歌を忘れぬように、竹の太郎も、達者な字を、忘れなかった。
天に月、地に風、人に竹の太郎。
土の上に、三べん書くと、自分を思い出した。
みよが歌う、清うげに歌うと、
「おうほろ。」
といって、ひとりぼっこが、姿を現わした。
平らったい頭に生えた、一本きりの毛を、竹の太郎は、引き抜いた。
「きえおう。」
叫び上げて、ひとりぼっこは、かすみになって消えた。
正気にもどった、みよをつれて、村へ帰って行った。
竹の太郎の話は、また他にもある。



草笛

とんとむかしがあったとさ。
むかし、柿川の村に、三郎という、草笛を吹く、子どもがあった。
ほうほけきょと、鶯に吹いたり、ころころ虫の音に鳴いたり、だれ聞かずとも、そこらに寝そべって、一人吹いた。
ぽっかりと雲が浮かぶ、
「雲はどこへ行くんか。」
三郎は、ぴ-と吹いた。
京の都へ行くのか、それとも坊さまのいわっしゃる、天竺の国へも、
「そうさ、行ったら帰って来んな。」
とつぜん、明るい声がして、ひげも髪も、雪のように白い、大じいさまが立った。
「おまえはだれじゃ。」
たまげて聞くと、
「草笛をよくするな、子ども。」
じいさまは、ふうと笑って、手にもった杖に、大空の雲をさす。
「どうじゃ、あれを吹いてみろ。」
「あんなものが吹けるか。」
「そうかな。」
じいさまは杖を振った。
とつぜん雲は、哀しい笛の音になって鳴る、めくるめく、山川も舞い踊り、草木も歌う。
我に返った時には、だれもいなかった。
「なさんらい。」
と、聞こえたような。
よそものは、滅多に来なかった。
戦の世であった。
三日のちに兵が襲い、村を焼き、人を殺して、掠め去った。
兄は殺され、父母は行方知れず。
三郎は歩いて行った。
真っ暗闇に、灯が見える、よって行って、倒れ込んだ。
「どうした。」
ぎらり槍に刀。
「面倒だ、殺せ。」
が-んと何か。
「ほおっ、こいつかわしおった。」
虎のようなひげ面が覗く。
「わっぱ、ついてこれたら飼ってやろう。」
「よせ、伊太夫。」
若い声がいった。
「一思いにやれ、その方が、そやつにとっても幸せだ。」
「二の槍は使わん。」
「では、勝手にせえ。」
一行は馬にまたがった。
あとを追う三郎を、伊太夫のひげが、わしづかみにして、鞍へ押し押しつけた。
雨になった。
夜通し走って、山中の砦についた。
霧に旗が浮かぶ。
「山磊清花。」
さんらいきよはなと読む。
一団を清花党といった。
党首はまだ若かった。
「ええい、あやつも死んだか、戦はこれからぞ、寝たいやつは寝ろ、飲みたいやつは飲め。」
といって、立ち去る。
三郎は追い使われた。
水を汲め、酒だ、
「こっちだわっぱ。」
「ばかったれ。」
こづかれ、なぐられ、何かを食らい、まどろみついでに寝る。
十日もすれば、馴れつく。
戦があった。
ぬうっと腕が伸びる。夜は酒を飲んで、女の声も聞こえる、
「わっぱ、おどれ。」
という。
「踊れません。」
「では歌え。」
「歌は歌えぬが。」
三郎は、草をむしって、口に当てた。
「てえつまらねえ、あっちへ行け。」
追っ払われ。
負け戦があった。
どまんじゅうが並び、刀をつっさして、酒をあおって、なにやらわめく。
「くさぶえ。」
だれかいった。
三郎は草をとって吹いた。
雲のぽっかり浮かんで行った、故郷の山川が、いつか草笛の調べになっていた。
いかついやつらが、号泣する。
山磊清花の旗がなびく。
「きっとあの旗を。」
「うぬらが手向けにしようぞ。」
おうと槍をつっさし上げる。
月が上る。
「笛は好かん。」
ぼそりと、若い党首が云った。
また戦があった。
勝ち戦であった。
「これは、おまえにやろう、わっぱ。」
といって、ひげの伊太夫が、一管の笛を、三郎の手に置く。
見事なこしらえであった。
三郎は、吹き鳴らし、吹き鳴らし、どうやら鳴るようになって、ほうほけきょと吹き、ころころと吹く。
雲の浮かぶ調べ。
「笛というのはあのー。」
伊太夫に聞いた。
「そんなものを、わしが知るか。」
とひげつらは、三郎を、砦の奥へつれて行った。
おんなと呼ぶ。
「楓の衣。」
美しい女が立った。
「おい女、このわっぱに、手ほどきしてやれ。」
「笛か。」
「あなたさまのものであれば、お返しいたします。」
「吹いてごらん。」
女はいった。
三郎はたった一つ、覚えのものを吹いた。
「よく吹けた。」
女は笛をとって、朱い唇にあてた。
三郎の、生まれて初めて聞く、おかしくも悲しい、なんと云をう、浮きぬ沈みぬ、流れにもてあそばれる、楓の葉。
一つが二つになり、四つになりして、またさま変わる。
「はらとうの曲。」
女は笑い、こうと涙にむせぶ。
笛は三郎の手にあった。
三郎は、笛をとって、吹き鳴らし、二へん三べんすると、砦をわたる雲も、群れ行く鳥も、はらとうの曲になった。
ついには戦の世も、はらとうの。
 楓という女が、身を投げて死んだ。
「西明寺の女よ。」
いかついやつらがいった。
「西明寺は我らがかたき。」
「西明寺の大叔父が加担するぞ。」
若い党首がいった。
「しなの原の合戦を、一時支え切れば、おぎの城に、清花の旗が立つ。」
「そいつはあやかしだ。」
と、ひげの伊太夫、
「西明寺も、高取を抜く。」
「高取を抜くのはわかる、肥沃の三州への足がかり、そうさ、しなの原に、わしらを見殺しにしてな、ていのいいお供え餅さ。」
「一か八かだ。」
「感心せんな。」
「他にわしらの浮かぶ瀬があるか。」
いつかは死ぬる身の、清花党は撃って出た。
「くさぶえ、おまえも行け、戦はおしまいよ。」
ひげの伊太夫がいった。
「わっはっは、どっちにしてもな。」
三郎は笛を背負い、半分に切った槍を手に、伊太夫のわきを走った。
敵はいったん引いて、三方に押し囲まれ。
「清花とな、そんなものは知らん。」
西明寺はいった。
「夜盗を始末する。」
あっというまのこと。草笛失せろ、伊太夫がいった。半槍を捨てて、三郎は抜け出した。あとはわからぬ。どこをどう歩いたか、膝をついたら、動けなかった。
往来であった、
背中の笛をとった。
一曲吹き終わったら、銭があった。
そのようにして、村から村へ、町から町へ、三郎は、笛を手に、渡り歩いた。
三日も食わずに、橋の下に寝ていたり、祭りのお囃しを吹いたり、酔客にからまれ、貴人の縁先に呼ばれたりした。
夏は過ぎ、秋が来た。
冬になって、また春が来た。
花が吹き散って、きぎしが鳴く。
一人三郎は、笛を吹いた。
はらとうの一曲を、四つに吹き分ける、おもしろおかしい笛と、悲しい愁いの笛、おどろに激しい笛と、平らに静かな笛と。
文字も見えぬ三郎の、たった一つの。
とつぜん別の音が加わった。
拍子を合わせるようでいて、月と雲のように、流れと淵のように、それはまったく相容れぬ。
三郎は必死に吹いた。
終わった。
においたつ、春の装いに着飾った人が立つ。
「そのはらとう、どこで覚えた。」
手には、白がねの笛を持つ。
三郎は、身を投げて死んだ、楓という、女の人のことを話した。
「そうか、死んだか。」
その人はいった。
「よく伝わった。」
三郎を見据える。
「戦の世であっては、先の知れぬのは、乞食のおまえもわしも同じ、よし、わしのを伝授しよう。」
一曲を吹き終わって、
「かんだは。」
といった。吹き散らふ花の、永しなえの春を、対になって舞う鳥の、あるいは剣の、めくるめくようなかんだは。
短冊を引き抜いて、なにやら書いてわたす。
「京へ行ったら、西九条の、あやなまろの屋敷へ行け、少しはましなめも見るであろう。」

といって、立ち去った。
さすらい歩いて、三郎が、京に入ったのは、すでに秋も末であった。
死人や行き倒れや、盗人ども、いっそ生きていたのさへ、不思議であった。
西九条のそれは、冠木門をくぐって、草は伸び放題、紅葉の美しい、あやなまろの屋敷であった。
二度追い返されて、三郎は、漆黒の髪の、大きな目が張り裂けるような、あやなまろという人に会った。
「ほっほっほ、やすひでは、歌がうまいな。」
持参の短冊を見て、あやなまろはいった。
「はらとうにかんだはとな。」
ふうむといって、あごをしゃくる。
三郎は笛を吹いた。
「字が見えぬな。」
ふをっと笑って、先をうながす、吹きおわると、人を呼んで、
「典楽寮へつれて行け。」
といった。
 隣り合わせの、林苑の中に、お寺の伽藍のような、建物があった。
三郎は、鼠色の、お仕着せを着せられて、北のはしの、わらわべの寮へ入った。
「よくな、空んずることじゃ。」
目の大きな、あやなまろはいった。
そうして、年下のわらわべまでが、三郎を追い使った。
いっそ席にもつけず、わっぱという他に、名まえもなく。
三郎はよく空んじた。
十三ある典楽の七部に別れ、三つになるそれを、あるいは盗み聞き、かつがつに習い覚えて、一切を空んじた。
三年たっても、三郎はわらわべだった。
あとつぎたちは、一曲二曲して典楽へ上って行く。
三郎は代役として、幕の影にあって笛を吹いた。
人は影と呼び、草笛と呼んだ。
広大な林苑に一人別け入って、三郎は笛を吹いた。
心行く、また即興に我を忘れ。
吹き終わると、咲き乱れる花の中に、美しい女の人が立った。
「なんという名手じゃ、あやなまろのわっぱじゃな、典楽四家の阿呆どもとは、比べものにならぬわ。」
その人はいった。
「清花の三郎も、そのように吹けばよいものを。」
「なんと申されました。」
だが、女の人は立ち去る。
二度三度、典楽寮の絵に見る、天華乱墜して、天人の舞い舞い行くありさまを、三郎は一曲に工夫した。
西九条の、あやなまろの屋敷へ、呼ばれた。
行ってみると、天人のようなその人がいた。
山磊清花の党首と。
(伊太夫さまはどうなされたか。)
「塔家の姫君じゃ。」
しっこくの髪の、あやなまろがいった。
「これは清花の三郎、天楽の総家じゃ。」
党首はなんにも云わぬ。
「わっぱの草笛じゃ、人は影とも呼ぶ。清花の三郎はな、塔家にあずけられて、姫といっしょに育った。それがどうじゃ、まだほんのこんなころに、後見の西明寺に切りつけおった、笛をとる手に、刃を持ってな。」
あやなまろはいった。
「戦はさんざんだった。」
男ははうそぶく。
「伊太夫さまは、どうなされました。」
「そうか草笛とな、死んだわ。」
清花の三郎はいった。
「そうであろ、ぶかっこうな戦など、大夫のするものでない。」
「うるさい、笛なんぞ吹いて、戦乱の世がわたれるものか、じじいの株が奪われたんなら、弓矢に取り戻すまでよ。」
「命一つに逃げ帰ったのはたれじゃ。」
塔家の姫君、
「あたしはもう二十を過ぎる。」
「まあまあ。」
と、あやなまろ、
「こたびは、願いがかなって、天楽の棟梁清花の、失ったものは、取り戻せることになった、塔家には、たいへんな苦労があったがの。

「秘曲さんらいじょうをおまえが吹く。」
塔家の姫がいった。
「笛なんぞ忘れた。」
「笛は草笛が吹く。」
あやなまろがいった。
「名手じゃ。ぬしは吹く真似さえすりゃいい。一曲を奏し、さらに一曲のお召しがあって、秘曲さんらいじょうを吹く。」
「そういうことじゃ。」
あやなまろは、手に黒うるしの笛をとって、一曲を吹いた。
奇妙な笛であった。
「わしはこの程度じゃが。」
といって、影の三郎を見る。
「影は命を吹き込むであろう。りょううんというこれは、なさんらいのへんげに次ぐ、名笛じゃ、おまえに授けよう。」
黒うるしの笛は、影の手にあった。
さんらいじょうという、さても、萩の池にもよほす、月の宴であった。
召し人の歌をえらぶあいだ、一曲を奏する。
月明かりに、白がねの笛をとって、清花の三郎が立つ。
影は、黒うるしのりょううんをとる。
笛の一音とも思えぬりょうらん、天花乱墜して、飛天に羽衣の舞いを舞い行く、とよみわたって切々の。
水をうったように、静まり返った。
「更に一曲をとのおおせじゃ。」
と聞こえ。
とつぜん二つの月に鳴りとよむ、秘曲さんらいじょうであった。空華は失せ、人は手を取り合うて、三千世界夢幻の。
ことはなった。
「あまりにも首尾よう。」
張り裂けるような目の、あやなまろ。
「心配じゃ。」
「そんなことはない、おそうはあったが、めでたく、清花の棟梁。」
塔家の姫君。
「まったく阿呆な話よ、あいつおれの手の中で、鳴っておったがな。」
と、清花の棟梁。
またのお召し出しがあった。
「伝説のなさんらいをという仰せじゃ。」
と、あやなまろ、
「ううむ、あれは吹いてはならぬ。」
影の三郎は、知らぬはずだが、西明寺め、これは典楽三家とつるんで、画策しおった。

「なんで吹いてはならぬ。」
清花の三郎がいった。
「あれを吹いたものを、なさんらいという、おまえの爺は、あれを三度び吹いた、主上のご病気平癒のため、またひでりに雨乞いのため、そうして道ならぬ恋のためじゃ。」
「とつぜん竜巻が起こって、みんな吹っ飛んだというんだろう、じじいとへんげは、行方知れず。」
あやなまろは押し黙る。
「この人を塔家に預けたのは、おまえか。」
と、姫君、
「他にすべはなかった。」
「三郎はいったいだれの子じゃ。」
答えはなく。
「そのなさんらいってのを、草笛に示せ。」
「わしごときの、知るものではない。」
「なんとな。」
一同押し黙る。
「譜面がないと。」
「山磊清花の旗印です、あれはもしや、楽譜ではないかと。」
影の三郎がいった。
くしゃくしゃになった、山磊清花の旗を、清花の棟梁は、そこへ取り出してひろげ、

「まさに、なんと字も見えぬ、おまえがな。」
あやなまろがいった。
あしの池に、雪の宴であった。
召し人の中には、西明寺あり塔家あり、かかわりのあるものは、みな集まった。
一曲は、変じつくした、故郷の空に浮かぶ、雲の笛。
清花の三郎は、白がねの笛をとり、影は黒うるしのりょううんを。
なさんらい、なんのへんてつもない笛の音に、わしづかみにされて、影の三郎は、宙に舞い上がる。
その身は失せて、笛だけが鳴る。
「塔家の姫がほしいか。」
声がいった。
「字が見えぬと、だったら歌詠みの三人も雇え、そうさ、おまえが清花の三郎だ、刀を振り回す、でくのぼうではない、主上のお声を聞く、おまえこそが、典楽総家の棟梁だ。」
押さえ込もうとして、りょううんは張り裂けた。
笛は鳴っている。
でくのぼうのの手に、刃が握られ、血まみれの生首が、ぶら下がる。
けったり笑う姫。
影は、枯れあしをひっつかんだ。
草笛の一声。
ものみなとつぜん止んで、されこうべが一つと、へんげの名笛が転がった。
事件は人の噂にも上らなかった。
あやなまろの漆黒の髪は、まっしろになった。その目はめしい。
「へんげは草笛、いやなさんらいの手に。」
といって、息を引き取った。
典楽寮は閉ざされ、戦は百年に及ぶ。
なさんらいとその名笛は、はて、柿川の流れに聞こえるという。



ささ酒

とんとむかしがあったとさ。
むかし、松代村に、ひょうろくという男があった。ふた親ねえなって、かしがった家に住んで、なんにもせん。
となりの姉、食うもの持って来て、
「ちったあ稼げ。」
といったが、
「はあ。」
といって寝ていた。
それがある日、旅支度して、
「いい夢見た。」
といって、出て行く。
「まあ、ちった歩いたほうがいい。」
となりの姉は見送った。
ひょうろくは、歩いて行った。川があって、川をわたると、さんさ笹が鳴って、立派なお屋敷があった。
ご門を入って行くと、
「お帰りなされませ。」
といって、きれいな女が、手をついた。
「うむ。」
ひょうろくは上がった。なんにも描いていない屏風があった。
大広間には、お屋敷中の人が集まっていた。
「なげしの槍をお取りなされ。」
雪のように白い、年寄りがいった。
ひょうろくは、長柄の槍をとった。
「おさやを。」
さやを払うと、白い年寄りが、
「お突きなされ。」
といって、胸を広げる。
「おまえは止めた。」
ひょうろくがいうと、
「ありがたいことじゃ。」
と、引き下がる。
次ぎには大男が、
「突け。」
といって出た。
どんと突くと、樽になって転がった。
あやしい目をした女が、
「あたしは。」
という、突くと、
「こうっ。」
と鳴いて、鶏になって飛んで行った。
ぶおとこが三人、
「わしらは突かんでくれ。」
という。
「ならん、ならん。」
突くと、ひょっとこのお面が、三つになった。
ひょうろくは、突いたり、突かなかったりした。あと転がったのは、座蒲団十枚に、たくあん石が一つ。
「では、お使えもうしてくれ。」
白い年寄りがいった。
ひょうろくは、高膳に食べ、きれいな女たちが酒を注ぎ、そうして舞い踊る。絹の蒲団に、くるまって寝た。
あくる日、
「東を、見回って下され。」
という、ひょうろくは、見回った。
千枚田んぼに、びいと燕が飛んで、早苗にさわさわ、はては見えぬ。
「どうであったか。」
白い年寄りが聞く。
「見事であった。」
ひょうろくは答えた。
その夜も、高膳に食べ、とりわけ美しい子の、ひょうろくは、手をとった。
あくる朝、
「西を、見回って下され。」
といった。ひょうろくは見回った。
とんぼが群れて、さんさ稲穂の、金色にはてもなく。
「どうであったか。」
年寄りが聞く。
「立派であった。」
ひょうろくは答えた。
美しい子は、清うげに歌い、あとはにぎやかに、はやしを入れた。
あくる朝、
「山を、見回って下され。」
といった。
松には白雲が、杉はさんさん雨、
「ほっきょかけたか。」
檜には時鳥が鳴いた。
「どうであったか。」
「よかろう。」
ひょうろくはいった。
美しい子と二人食べ、そうしてほんのり酔うた。
あくる朝、
「川を見回って下され。」
という。
鱒が跳ねとんで、川はゆたかに。
「どうであったか。」
「うむ。」
とひょうろく。
ひょうろくは美しい子と、夫婦になった。
あくる朝、
「お倉を案内しましょう。」
と、美しい妻がいった。
米倉金倉宝倉と、松とぼたんのお庭に建つ。
「どうでした。」
「さよう。」
そうして二人仲良うに暮らして、十年たった。
雪のような年寄りが、死んだ。
なんにも描いてない屏風に、龍が浮かび上がる。
らんらんと目が光る。
「お逃げなされ。」
美しい妻がいった。
「おまえも。」
「だめです、なげしの槍に、どうしてわたしを突かなかった。わたしはお倉のかぎです。」

「夢では突いた。」
長者屋敷は沈む。
雷が鳴って、龍が舞い飛ぶ。
ひょうろくの手に、笹の葉が一枝。
となりの姉、かしいだ家のぞくと、ひょうろくが寝ていた。
「あや-、いつ帰った。」
たくあん石が転がって、座蒲団十枚。
ひょっとこのお面が三つ。でっかい樽に、雨漏りがして、水がたまっていた。
笹っ葉がつかる。
「酒だや、これ。」
姉がとんきょうな声を上げた。
いい酒だった。
姉は夫に死なれて、やもめになっていた。ひょうろくは、姉といっしょになって、酒屋を開いた。
「ひょうろくのささ酒。」
という。十枚の座蒲団には、いつも客があって、ひょっとこ三つで、三代は火事を出さぬという。
たくあん石は、いい漬物。

2019年05月30日